「もうじき、夏至祭がきます」傷だらけの相貌を緊張させて、ジョージアめが不器用に話題を切り出した。
花束を差し出されたリリーは、「はい」とだけ応えた。
「俺と一緒に見て回りませんか?」男の言葉を受け、隻眼の娘は頬を染めながら俯き、そして無言で頷いた。
僅かな逢瀬から、料理番の仕事場へと戻ってきたリリーは、頬を林檎のように赤く染め、瞳を潤ませていた。恋をする女性は美しくなると言うが、血色から肌艶まで変化しているのは、炊煙の為ばかりではあるまい。
食材の芋と肉をおずおずと渡していたジョージアは、共に昼食を食べていくつもりらしい。マギーちゃんは、ジョージアの図々しさに気を失う寸前であった。
市内の情報に耳が早いジーナ・エクルストンが議会衛兵への就任を祝福し、他の皆も驚きつつ、口々に賞賛している。リリーがはにかみながら、照れているジョージアを見つめる表情は、月のように美しく輝いていた。
「んあぁ」甘酸っぱい光景を見るに耐えず、マギーはコップを握った。金属製のカップがひしゃげて潰れ、ニナが目を剥いた。マギーちゃんは、友人の幸福を願い、喜べる人間である。それはそれとして、失恋は辛い。
「脳が破壊されそう。された」マギーは毛布の上に寝転んだ。
ニナが揺すってきた。「起きて、マギー。もうじき、お客が来るんだよ」
「とても辛い」寝ころんだまま、マギーは呻いた。失恋した。リリーは本当に可愛らしい娘で、マギーは一度でいいので懇ろになりたかった。生涯一度の恋でした、などと胸中で適当に呟いてみる。
「グレイ氏のお嬢さんのドレス。今日でしょう」ニナに指摘された。
「……やる気になれない」マギーは駄目そうに呟いた。
駄目そうなマギーをおいて、お昼前の時間帯にニナやトリスは忙しく動き回って、変異獣の頭蓋骨や土嚢に張り付けた飛び道具の標的を片付けます。怪しげな武器商人マギー宅が、ともかくも服飾職人マギーちゃん宅に変貌しました。
ともかくも夏至祭のドレスを注文したグレイ氏の娘さんが尋ねてくると、マギーはのそのそと起き上がりました。お客さんが来てもギリギリまで寝てるのは、かつてない事で、駄目かも知れんね、これは。と言う目でニナたちが見てきますが、マギーは置いてあった木箱を丁寧に開けると美しいドレスを取り出しました。
グレイ氏のお嬢さんに向かって「脱いでいただけますか?下着は結構です」いきなり脱がせてしまいます。
妙齢の女性が着替え始めると、マギーは胸や腰のサイズを素早くメジャーで測り、裾を合わせ、ピンを入れて微調整し始める。
メモを取りながら、当日の食事量や歩き回るかなども質問し始める。用途に応じて、足回りの動きやすさを調節したり、ウエストにゆとりを持たせるかなども変化させる。武器を扱うよりも、さらに滑らかな手付きにニナやジーナ・エクルストンも目を瞠った。滅多に服飾を弄らないのに、まぎれもなく熟練の職人の手際なのは、それだけの情熱と訓練を欠かしていないからだ。
グレイ氏のお嬢さんにドレスを着せ、髪型も軽く整えてから、大きめの鏡を手にして、姿見代わりとし「モラン・アステルのドレスです。ズール264年の品」とマギーは告げた。
ナポレオン時代を発祥とするエンパイアドレスをベースとしたドレスは、グレイ氏の娘さんに良く似合っていた。
「胸のすぐ下で切り替えるハイウエストで、軽い布がそのまま落ちるシルエット。古代《エンシェント》風の簡潔《シンプル》な美しさがあります。
幾らかのレースで飾り立てても似合います。色はシックな淡い青。白もお勧めですが、いずれも夏至祭の月の光の下には映えるでしょう」マギーは淡々と説明している。
「十年前の流行で自由都市ではやや古めですが、辺土にはモードが遅れて逸るのと流通が途切れていますから、充分に通用します。
当日は、お嬢さんの作ったレースの手袋も付けていただければ。いかがですか?」
しばしの間、感嘆したように口に手を当てていたが「完璧な仕事ぶりです」と称賛の言葉が返ってきて、マギーは微笑んだ。
「都市で売るなら四百六十都市通貨が相場です。それだけの価値がある品を纏うのだとお考え下さい。三百四十と言う価格は、夏至のお祭りに新たな恋人が生まれることは、私にとっても喜びだからです」顧客によっては、価格に触れすぎるのはやや品に欠けると受け取る向きもあるが、この場合、高価な品を纏うに相応しいイベントであり、あなた自身の価値ですとの意味合いを込めてマギーは説明していた。
「夏至祭は四日後。あとは、二日後までに工房なり職人宅でミシンを借りて若干の手直しをします。既に手配も済んでいるのでお任せください」請け負った服飾職人マギーに、グレイ氏の娘さんは大きくうなずいた。
「初めてお会いした時は、気怠そうだったので、大丈夫かな。と。貴女は素晴らしい職人でした」
「その称賛は、商品を引き渡すまでは取っておいていただけると幸いです」素っ気なく、しかし、穏やかに返答したマギーは、少し迷ってから、悪戯っぽく微笑みを浮かべた。
「……今朝、恋に破れました」言いつつ、辛そうな、しかし、優しい眼差しを敷地の奥へと投げかける。
調理場の傍らでは、仲睦まじそうな男女が瓦礫に寄り添って食事を取っている。
「それは……」とわずかに困惑を見せたグレイ氏の娘さんが、言葉に詰まると「いい人はやはり人気があるものです」とマギーは苦笑を浮かべた。
「私が先に知り合って、気持ちも告げたんですけどね。
受け流されちゃいました。
どうしてあんな相手に、と嫉妬する気持ちもあります」吹っ切るように言い切ってから、振り向いた。
「お相手は、昔からの婚約者の方だそうですね。
泣いても笑っても大事な決戦の一日です。
気を引き締めて臨まれますように」お嬢さんの手を取って、マギーは激励するようにうなずいた。
「そうですね。今、少しだけ難しい立場ですけど、どんな結果に終わるとしても後悔の無いように過ごしたいと思います」グレイ氏の娘さんはほほ笑みを浮かべ、淡々と頷いてみせた。
「それにしても、美人なのに。すぐに新しい恋人が見つかりますよ」グレイ氏の娘さんが元気づけるように言うと、マギーは少し辛そうに言った。
「でも、彼女をあんな男に取られたと思うと、やはりつらいです」
「彼女をぉ?!」手を慌てて放してから、グレイ氏の娘さんは「いえ、その。服飾の方には多いそうですからね。ええ」とのたまった。
※※※※
古着を仕入れて売る場合、最大の問題は仕立て直し――特に素材の確保の難しさにあった。顧客の体型に古着のサイズが一致するとも限らず、近いサイズを仕立て直すにしろ、同じ生地――最低でも似た肌触りと生地の色がないと仕立て直しても不自然になり、顧客が満足する衣服には到底、仕上がらない。
産業革命以前の時代、言うまでもなく、衣服は極めて高価な財産だった。繊維を束ねて糸を紡ぎ、糸を織って布を作り出し、布を縫い合わせてようやく一着の衣服が仕立て上げられる。三つの工程のいずれにも長時間の職人技が必要とされ、一年に一着、安い服を仕立てられれば上等と言うのが中世の庶民の服飾事情だった。
黄昏の時代、一部の都市には蒸気を動力とする紡績機械が残されている。むしろ、自由都市ズールにとって紡績事業は主要産業の一つであり、ズール圏及び連結している自由居留地圏内では、衣服は比較的に安く入手できる地域の品目であった。
とは言え、羊毛及び毛織物は、綿と綿織物に比べて手間がかかる為、コストはやや高くついて、一大特産品と言うよりは、産物の一つと言う地位に納まっている。
勿論、中世もそうであったように貧困層は数年も同じ服を着たきりとなる。庶民は修繕したり、仕立て直して古着を着回すし、労働者でもかなり余裕を持った家庭なら、年に一着、二着と新しい服を仕立てるのも珍しくない。
羊毛と毛織物は特に安く手に入るズールにおいて、服飾や布は特に人気のある商品であり、絹織物に綿、麻。珍重される毛皮までも遠来から定期的に一定量が持ち込まれている。自由都市ズールのみならず、曠野の大型居留地においては大抵が羊毛と毛織物を産しており、他所からの隊商にとっても、町商人からみても綿や絹織物、ベルベットなどと割のいい交換が行われるのだ。
そうした理由で曠野においては、全般的に布に衣服、或いは材料としての絹や木綿、麻から様々な毛織物までが入手しやすい代物であった。
特定の服を修繕し、或いは仕立て直す際も、布質に合わせた材料を探し、或いは合わせた染色を行うことも難しくない。他の地域ではこうはいかない。まず、材料から探さなければならない。服飾や染め物職人が、遠来から自由都市ズールを目指し、旅してくる理由であった。
さて、ミシンは希少ではあるが、やはり自由居留地圏においては比較的に見つかりやすい器具だ。自由居留地圏であれば、誰かしらが高値で買ってくれるので他所で見つけた
修繕。短時間で仕立て直すのにミシンは必須だったが、マギーもミシンは入手できていない。高価で希少な代物だから、知り合いの交易商や
かなり複雑な機構であるものの、当代の熟練職人なら大型の初期ミシンを製造できなくはない。ただし、やはり少量生産がネックとなる為、年に二、三台を大きな工房による発注に収まっている。
なので服飾職人マギーちゃんは、知り合いの裁縫を行っているメイお婆ちゃんに頼み込んで、小さなミシンを使わせてもらう約束をしていた。夏至祭が近づくにつれて、普段は寄らないお孫さんが媚び媚びで『お婆ちゃん、ミシンくれなぁい?』と寄ってきたそうだが、普段からお茶とお菓子とお花を持って訪問しては、延々とモードの話をしたり、一緒に繕い物しているマギーちゃんの勝利である。メイお婆ちゃんのお孫さんには怨まれそうだが、知った事ではない。マギーはドレスを仕立て直すのに、お婆ちゃんの知恵も借りるつもりだし、対価として、茶葉やお菓子に花瓶、そこに飾る花でもお婆ちゃんは喜んでくれるのだ。
その日、マギーちゃんは、元スネイクバイトのジーナ・エクルストン。女ランツクネヒトのリジィを引き連れて、門前地区のメイお婆ちゃんの瀟洒で閑静な小さな邸宅を訪れた。二人には小遣いをやって適当に時間を潰すように命じてくるとリジィは「市民がどんな酒を飲んでるか知りたいもんだぜ」と男の子みたいな口調で、嬉々として酒場だか、盛り場だかへと向かっていったが、ジーナ・Eはやや心配そうに表で待ってますと告げた。ジーナ・Eは、防弾、防刃の軍用コートを羽織っているが、メイお婆ちゃんの家を訪ねる時のマギーは、よそ行きの普通の私服だ。
「なにか気になることでも?」尋ねると、「念のためです」ジーナ・Eは首を振った。
ポレシャ市でマギーを狙うものがいるとも思わないし、よしんばいても予定を調べられるものなど居ようはずもない。メイ婆ちゃんを尋ねるのは月に一度程度である。なんの心配もないと思うが、頷いてからマギーはメイ婆ちゃんの家をノックした。
なにが起こる筈もない。二人でデザインの本を読みながら、一緒にドレスを仕立て直して、年の離れた友人と楽しい時間を過ごした。ジーナ・Eにもケーキとお茶を差し入れ、気遣いは欠かさない。
別れ際、小さく咳き込んだメイお婆ちゃんに夏でも夜はきちんと着込むように告げてから、仕上げたドレスの箱を持って帰路へと就いた。
リジィはかなり酔っていたが、足取りはしっかりしている。とは言え、反応速度は何時もより落ちているだろう。ジーナ・Eは、いつも通り、穏やかに微笑んでいる。
実のところ、マギーは、ジーナ・Eの泰然たる態度に見習う部分が多かった。
目下の者からでも、敵からでも、マギーは良い部分を衒いなく見習う。
さて、メイお婆ちゃんは50歳か、60歳か。既にポレシャの平均寿命は越えていた。
(……あと何年をこうして一緒に過ごせるだろう。十年?それとも二十年?)夕暮れの街路を歩きながら、考えに耽る。勿論、市民とほぼ変わらない文化的、かつ衛生的な生活を送っている門前町の老人と、下層地区の老浮浪者では残余の寿命も異なってくるだろうが、しかし、最近、知り合いの老人たちが、残された時間を妙に気に掛けている。『寝台の上で死ねるなら、幸せだな』と言っていたオーの事を思い出して、マギーはため息を漏らした。
通りの向こう側に徒弟のトリスと猫耳ココが手を振っている。手を振り返すと、駆け寄ってくる。この子らも成長して何時の日か、さらなる徒弟を取るのかな、とふと思った。
入りたての丁稚は大店の主や商会主を仰ぎ見るものだと言うが生憎、マギーは丁稚生活を経験していないので、正確な想像は出来かねた。そもそも、戦争や騒乱に巻き込まれず、猫耳ココやトリスが無事に成人できるかどうかも分からない。ニナは多分、大丈夫だろう。用心深く、金を稼げる方法は全て見せている。だが、マギーが戦場に倒れる時、ニナも倒れているかも知れない。
戦場で倒れるか、早死にするか。或いは、何時の日か、マギーも穏やかに老いるのか。その時、子供を造らなかったのを後悔してるだろうか?
そもそも、幾度となく戦闘薬を投与した身体が普通に妊娠できるかも分からない。
女同士でも、単独遺伝子からでも子供は作れるそうだが……どうにも想像できなかった。
※※※※
マギーの小屋――今はまだ小屋だが敷地は充分に広大で、資材も伝手がある。
壁は移動可能な為、これから時間と共に成長するだろう自宅に帰ると、留守をしていたニナが柔らかな笑みを浮かべて抱き着いてきた。抱きしめ返して少しだけ肩の力を抜き、(まあ、いいさ……いや、これでよいのだ)と目を閉じた。
夏至祭は庶民の祭りだ。正確には、祭りを享受できるのも衣装を誂え、ご馳走を造れる戸籍持ちの庶民や農民だけであり、流れの
意外にもランツクネヒトのリジィ。村の少女だった頃に夏至祭を楽しんでいたと言う。もっとも色気よりも食い気だったそうで、年頃になる前に女ランツクネヒトの徴募に応じて村を飛び出した為、夜の部についてはあまり詳しくないとのこと。
盗賊団に食い物にされるか、ランツクネヒトになるかの二者択一だったそうで「陣女中《トロスフラウ》よりは、仕事が楽そうだった」と呑気に言ってるリジィは頼りにならず、残りの娘たちの視線は、村娘だったリリーへと集中した。
「夏至祭の夜。夜は……村の姉やんが言うには、二人きりになれそうな場所を予め探しておいて……」リリーは、頬を染めて沈黙した。
「……私たちって案外、低辺の集まりなのだな」どうでもよさそうに言ったマギーだが、考えてみれば、だから徒弟なり護衛として集められた訳でもあった。定職や土地持ちで合ったら引き抜けない。
「よい人員を選ばれたと思いますよ」ジーナ・Eが褒めそやして、ニナも小さく頷いた。夏至の祭りに備えて、マギーは希望者に小遣いと綺麗なベベを貸与する用意がある旨述べたのだが、徒党の反応はいま一つ芳しくない。戸惑ったように顔を見合わせたり、首を振ったりしている。
戸惑いがちな自由農民の娘リリーだが、おずおずと手を上げてドレスを所望した。マギーちゃんは、腕に縒《よ》りをかけて友人を着飾らせることに決めた。萌黄色のドレス。やや清楚な感。値は張らないが、露骨な安物でもない。
サイズはぴったりで、リリーに着せて連れ回したかった。
「まあ、よく働いてくれましたからね。これ以上、いいのを望むなら……」マギーが言うも「これでええ」とリリーが肯いている。
夏至祭が近づくにつれて、ポレシャ市街――町外れも普段とは多少、異なる空気が漂い出していた。どこか春の日にも似た、浮き立つような雰囲気に包まれている。
マギーにとっても不快な感覚ではない。子供たちが街路を駆け回るのは何時もの光景だが、いつもよりも多少、屋台や露店が増えており、旧駅舎や辻々の壁に貼られた粗末な広告にも、祭りの日時が告知されている。
粗末な屋台や露店にも、薄いエールや焼き菓子、干したベリーやジャムなどが売られ、行き交う人々の声も心なしか弾んでいる。普段は無頼や破落戸が潜む暗い路地裏にも今の時期だけは自警団が足しげく見回っており、若い恋人たちが肩を寄せ合って何かを囁き合っていた。
家々の窓辺には、色取り取りの布切れを縫い合わせた布飾りや簡素な花束がちらほらと飾られており、それなりの華やかさを醸し出している。
不安定な暮らしの中、それでも人々は小さな幸福の兆しに心を浮かせていた。
金を持たぬ者も、手作りの小さな人形や紙片で祭りの気分を味わいながら、通りは外なる脅威や緊張を少しだけ和らげた穏やかな空気に包まれている。
道中の神殿通りでは、牧者娘のジーナ・クレイと牛飼いガイ少年が、連れ立って歩いているのをマギーは見た。意外な組み合わせだが、初々しく俯いたり、はにかんだりしながら、比較的に穏やかで綺麗な花壇など作られているヘスティア神殿や春の女神フローラ神殿を巡っている。路傍では岩に噛り付いたイザベル・ミラーが「あああああ!隕石でも振ってきて夏至の祭りとか滅びないかな!」何故か空に向かって吠えていた。
(……哀れな)マギーは近づかないようにした。
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03_18 メイお婆ちゃん。元針子。