6月19日。夏至祭まで残すこと二日となった。
最近のポレシャは、市民街区から門前町、町外れ地区に至るまで町全体がなんとなく浮き立つような雰囲気に包まれていた。こういう催し物では、貧しい人間や逸れ者、よそ者などは得てして疎外されがちであるが、外部地区や廃市街でも多少の余禄が振舞われるとあって、祭事を悪く言う者はいない。千枚なり、二千枚なりの
ポレシャ領域の子供たちは既に名簿に名前が載せられており、誰もが数枚のクッキーなり、キャラメルやチョコなりを受け取れる手はずが整っている。
勿論、誤魔化して架空の子供をでっち上げて多めに受け取る詐欺師もいるだろうし、取り上げて売り飛ばしたり、おのれが食べる大人までいるかも知れない。
一応は確認もするが、当日はあまり五月蠅い事は言わない。楽しんでもらうと言う目的を崩さぬよう祭りを演出しつつ、普段は見えにくい外部地区や廃市街の子供の人数を一応でも把握できるだけで充分であった。それに食べようと思えば、子供たちは貰ってすぐに食べてしまえるのだ。
一方、大人であれば浮浪者《ホーボー》や廃墟生活者、貧乏巡礼から旅の乞食に至るまで当日は振る舞い酒を期待できた。一杯飲むごとに腕にしばらく消えないスタンプが押されるので、 無制限に誤魔化せる訳でもないが用意されるのも一人頭、一杯や二杯などと言うケチな量でもない。街の片隅には、今から節制に励んでアルコールを抜く
いずれにせよ、雰囲気はいい。町全体に明るく騒がしい空気が漂っている。
近隣の農村地帯や農場にも前夜祭だと騒ぎながら、夜通しの炎が焚かれており、市民から労働者、農村部の農民や廃市街の生活者まで含めれば三千にも届こうと言う人々が暮らす領域で行き交う大人から子供、老人。貧しい浮浪農民や召使い、浮浪者《ホーボー》に至るまでが楽しげに囁いたり、ふざけ合ってるのを見れば、これは曠野にも稀なハレの日であるに違いない。
(……生涯に一度の素晴らしい日になるに違いないぜ)とジョージアも胸を躍らせながら、二日後を待ち侘びていた。あまりにも目が冴えて眠れない為、ブランデーを混ぜたホットミルクを飲み、ストレッチを入念に行ってみたりした。それでも眠りは浅いが、意識は研ぎ澄まされている。
(よくないなぁ。後で疲れちゃうぜ。これは)思いながら、仕事は欠かさない。
観光客や旅人、巡礼の前で肋骨服の議会衛兵に扮し、巨躯を活かして足を跳ね上げながら、門前へと交代し、一時間を直立して歩哨するのが、ジョージアの仕事だ。
実際、日当はあまりよろしくない。議会衛兵になるのは市民だが、次男次女以降の、しかも潰しの効かない連中ばかりで、足を跳ね上げるのと直立歩行の訓練ばかりしていて、銃も碌に撃てない奴らばかりなのだが。
しかし、時折、観衆に混じっている目つきの鋭い行商人や牧者など――盗賊傭兵団や無宿人《ノークォーター》、或いは無法者《アウトロー》や略奪者《レイダー》どもの密偵と思しき連中が、交代や整列を見て、表情に緊張を走らせているのだから、案外と分からないものであった。
ジョージアは昼時に真面目な仏頂面を張り付けたまま、議会の前に直立不動で佇んでいる。子犬を連れた少女が近寄ってきたが、鉄面皮の無表情を保っているジョージアを不思議そうに見上げている。肋骨服に騎兵胸甲を身に纏った傷だらけの巨漢は、きっと外からは不動の番人に見えようが、互いの親に連れられた通りすがりの若い男女が手を触れ合い、或いは視線を交わすのを見、にやけるのを必死で抑えながら、脳裏では残りの勤務時間を数えているのだ。
正午を過ぎ、勤務時間が残り十分にも近づいた頃、バスケットを持った若い娘さんが議事堂へと歩み寄ってきた。眼帯をしている。リリーであった。
ジョージアを見て、手を振ってくる。振り返したい。だが、勤務中には謹厳実直でなければならない。ジョージアは僅かに頷き返し、其の儘、歩哨勤務を続けるが、リリーは返事に気づけなかったようだ。口に拳を当てて、いきなり不安そうになってる。リリーは、万事がのんびりした農村育ちで、村人水準の教育と常識しか持ち合わせていない。都市衛兵の厳格な秩序は、理解できない。
仕方なしに誰も見ていない瞬間、ジョージアは素早く胸のところで手を振った。リリーが大喜びで手を振り返し、近くの中央広場のベンチへと座った。広場からは議会の尖塔を仰ぎ見れて、鐘を突く番人が階段を上っている姿も見て取れる。
交代時間までもうじきだと肯いたジョージアだが、子犬を抱えた幼女がリリーとジョージアを見比べて、にんまりと笑っていた。鉄兜姿のジョージアは無表情を保ち、なにも気づかない振りをし続けていたが、いつまでもしつこく、おしゃまな笑顔を浮かべたまま見つめてくるので、傷だらけの顔に獰猛な恐い表情を浮かべて見せたら、ケタケタと笑われた。
昼の鐘が鳴り響き、議会衛兵が足を高く掲げ、踵を合わせてすれ違い、交代して見せた。衛兵隊長は本来は本人が歩哨をやりたかったらしいが年齢も年齢で、腹が出ており、足も上がらない。無理をさせない代わりに鉄兜は羽根つきの特注品に肋骨服にも青いリボンが掛けられていて、一目で高官と分かるようになっていた。
備品の発注や清掃計画を立てる手際には長じており、長年、便利使いをされてきた人物だが、衛兵服のデザインと儀礼の考案に関しては中々の手柄だと皆が認めている。雑貨屋のパオロ爺さんがねじ込んだジョージアに関しても、前歴を見てから「いいんじゃないかな。うん」と頷いて、熱心に指導もしてくれたので、波長の合う人間にとっては悪い上司ではない。
交代して肋骨服を脱ぎ、ついで市中の巡回に出る――と言う名目でリリーと落ち合う。どのみち、休憩として昼食込みで1時間ほどは自由時間が与えられているし、ジョージアの担当地区は、他の市民出の議会衛兵たちが行きたがらない町外れ地区なのだから、二人きりになるに都合が悪いはずもない。
ベンチに腰掛けながら、リリーがバスケットを広げると、サンドイッチとグリルされた鶏肉。小さなカップに入ったレタスと卵のサラダに、蓋をされたポタージュが入っていた。
「昼からこんな豪勢で、大変だったのではないかな?」リリーへと尋ねると「夕べの残り物を工夫したのと、朝多めに作ったやつだから」可愛いことを述べてくる。
「恰好よかったわぁ」やや訛りのある口調でジョージアを褒めてくるが、女にそんな風に褒めそやされる、それも嘘の臭いがしないのは嬉しいものだ。
「これは二人分?」言った直後、馬鹿な質問をしたと、ジョージアは片目を瞑った。
「あ……お腹が空いてると思って沢山、作ってきたん。
足りないなら、次はもっと多めに……」足りなかったか、とリリーが言い淀むより早く「胃が破れてしまうよ。一緒に食べましょう。何処がいいかな」食べられそうな場所を探して、見まわした。そして静かに押し寄せてくる感動と愛に身体を震わせた。
俺は上手く相手を思いやってる言葉を吐いている。今のところは。そして互いを慈しみ合う関係にひどく歓びを覚えているぞ。俺は人間だ。素晴らしい。ジョージアは今こそおのれを自覚して、満足げに身震いした。
リリーへの愛は情熱が身体を震わせる熱病の類ではなかったが、胸に空いた空虚な穴が静かに満たされ、心に負った傷が静かに癒されていくような、静かな夕べに横たわって迎える、穏やかな眠りの前のひと時によく似ていた。
この先、二人で歩んでいく人生に幾度となく、この静かな愛に満たされる感覚を覚えるのだと思うと、ジョージアはひどく満たされた感覚を覚えていたのだ。
これが今のジョージアにとっての愛の形だった。老いたおのれとリリーが片田舎で穏やかに過ごす情景を幻視して、静かに目を閉じた。過去の喪失も裏切りも痛みも経験して、なお居場所を見出した。ジョージアは気遣いのうちにリリーの心の細やかさを知り、リリーを大事にしていた言動から友人としてのマギーを知った。マギーにはまだ未知の恐ろしい側面があるが、かつてのように盲目的な恐れはもう覚えなかった。ジョージアは満たされていたのだ。
※※※※
市場通りの奥まった路地を根城にするとしても、革鎧の兵士がフードの主人を恭しく護衛する光景が周囲から浮き上がるのは自明の理だ。
下層地区の市場通りの中ほどにある目立たぬ屋台の奥。あまり出入りしていないとは言え、貴族領域からの訪問者ですと言わんばかりに、小姓姿や侍女の衣装で出入りする風景は、外部地区との境界にある瓦礫と泥小屋だらけの貧しい定期市では、いやでも衆目を惹き付けた。
ポレシャ市の治安の良さと祭りが迫った雰囲気に、向けられる邪気は比較的に少ないが、今も襤褸を纏った小僧が口をぽかんと開けて林檎を取り落とした。
転がった林檎を拾い上げた姫さまが其の儘、小僧に手渡して頭を撫でてやる。
(……罪な事を。なにもない人生に美人の姫が優しくしてやるなど。性癖がねじ曲がったわ)マギーは首を振った。そもそも、ガルダの人々は己が追われていた自覚があるのだろうか。それとも自由居留地圏まで落ち延びれば、もう安心だと判断したのか。
亡命してきたお姫様一行の世話など、絶対に保安官助手の職務の範疇ではないだろう。しかし、議会に呼ばれたマギーちゃんの目の前。参議たちはニコニコして、「取りあえず、マギーに任せるよぅ」「この娘、なんでも出来るんだから」
面倒ごとを押し付けられた。分かってる。しかし、幼少の頃、お婆ちゃん子だったマギーちゃんは、お年寄りに頼まれると断りにくいのだ。それに金もある割に税も兵役もこなしていない。その分の埋め合わせだと思うしかない。毎回、断る訳にもいかない。まだ、参議たちが尊重してくれるうちに引き受けるとしよう。今回の任務なら、此方の言い分もある程度は通るだろうと、それがマギーちゃんの判断であった。
そう言う訳でマギーちゃんは、朝からお姫さま一向に事情を聴取して書類にまとめ、ついでに必要な物資を聞き取っては色々と取り揃え、また書類を上げて、承認と予算をもらい受け、荷物持ちを手配して来訪したのだった。
伝説のスネイクバイトの姿である。これが。
町外れ地区や市場通りが物珍しいのか。お姫さまは好奇心に満ちた眼差しで見て回っている。大半の露天商や買い物客には、好意的に見られているが――邪な視線を向けそうな札付き連中は、つい先日に入れ墨だの焼き印を押されて、放逐されたばかりであるから――しかし、浮世であるもの。貧乏人や娼婦には妬み嫉みを向けそうな輩だって、一部には絶対にいるに違いないのだ。
出入りするな。とは言えない。控えめにしていただきたい、と賓客に口幅ったく注意しつつ、なにかしら手を打たないとな。ともマギーは考えている。「苦労性だね」と隣でニナが笑っていた。
薪と炭団子。大麦、小麦に蕎麦。キャベツや人参、幾らかの肉や塩など当座の食料と燃料を差し入れて、「火の扱いには気を付けて」と念を押しておき、ついでに「根菜は大丈夫か」とも尋ねておいた。
貴族の一部には、地面になる野菜を下等の食べ物と好まない人々もいるよく分からない価値観だが、問われた姫さまも不思議そうに首を傾げてるので、そういう慣習はないのだろう。
それから肩掛け鞄を開けると、マギーはそっと紙袋を取り出した。
「此方の青パッケージが抗生物質。こちらの白が鎮痛剤。これは消毒薬と抗菌作用のある包帯です。ただし勿論、二度、三度と洗って使えば、効果は低下します」
ポレシャ市でも相当に貴重な品であるし、間違いがあっても困るので、メモで確認しつつ、薬剤を差し入れる。
お姫さまと老人が肯いている。
「ありがたい」と老人が頭を下げて受け取った。お姫さまがハッとしたように「うん、大儀……ではなく、ありがとう」と言い直した。悪気はない。確かに大半の人間には好かれるだろう。概して民衆とは放浪の姫君と言う奴が好きなのだ、とマギーは皮肉っぽく思った。
(……私の血筋だって負けてないけど、他人の血を金に換えて生き延びた姫さまとか誰にも好かれないだろうな……ふっ、血筋か)自嘲の笑みを口元に浮かべつつ、ともかくも、一行の様子に視線を走らせ、怪我の具合と人数をそれとなく見て取った。
大分、顔色が良くなった老人は、元執事で様々な事務を取り仕切っていたと紹介された。気になるのは隻腕の騎士で、彼はかなり深刻な状態だと思えた。
「こちらは生理食塩水と栄養剤。点滴です。使用方法は、此方の紙面に。外傷治療用の針と糸。都市で外傷治療の二級、三級の免許を取った治療師が幾人かいます。持ち込めば、手当てを行ってくれます」
取りあえず、すぐに手配できる医療物資を手渡しながら、「一応は、郊外なども猟師をしている者や山小屋に暮らしてる者、農村で薬草医を兼ねてる者もいますが、市内の方が無難でしょう。薬草医は腕のいいものもいますが、何処でもそうであるように医師よりも玉石混合なので気を付けてください」市内の医療事情に関して、二、三の質問を交わして説明を終えた。
「……オンム婆が此処にいれば」姫さまがそう呟くと「ニムが後から追いかけると。無事だといいのですが」と老執事。
人名らしき単語を出し、なにやら囁き合っている二人だが、地元の薬草医か。或いは、留まっていた密偵なりか。マギーは深入りせずに、最後に手紙を取り出した。
「こちらはパオロ・ジャッコーニ参事の医師への紹介状。半年以内。三回までは市内で医療と予後の診断が無料で受けられます」片腕を喪失し、しかし、今も二人を護るように近くで佇んでいる屈強の騎士に視線を送った。
ヴェルダンのギィ。南方では、それと名が知れた騎士だとジョージアめが評していたが、なるほど。壮健であれば、さぞ手強かったに違いないと思える面持ちの主。しかし、今は顔から血の気が失せ、意志だけで持ちこたえているようにも見えた。
二人が感謝したように受け取ったので頷いてから、ついでとばかりにメモを一枚、手渡した。
「それとこちら、食料と薪、そして飲料水の季節ごとのおおよその相場を纏めました。近隣の主な商人です。いずれも値段と品質は、きちんと交渉する限りは信用できます。付属のチェックは、口の堅さです。
付けた人物は、お喋りでも肝心の身元などは洩らしません」
老執事が微かに目を細めた。しかし、お姫さまは目を丸くしてる。
大丈夫かな、この娘さん、とマギーは微かな不安を覚えた。
「おおよそですので、親しい友人となれば、当然に変化します。
また、季節ごと。その年の気候によっても相場は変化します。
湖への水運びに人手を送れば、飲料水と多少の賃金は入手できるでしょう」
今は、水を買える身分へと成り上がったが、マギーたちもポレシャ市を訪れた当初の二、三年は水運びに参加して飲料水と賃金を稼いだものだ。
数世紀と善政を行ってきた累代の家系などであれば、領民が命懸けで支え、君主の為に戦う事例も耳にするが、南方の小領地。捲土重来の望みや強力な親戚がある訳でもない。ポレシャ市は、自由居留地圏に属している。
商人たちと労働者の町で、額に汗して働く生き方を忌避するようでは、いかな忠誠心とて長くは続くまい。それとも姫君との付き合いや人格的魅力は、お家を喪失してなお、家臣たちにとって支え続けるに足る価値を見出せる稀有なものなのだろうか。
ともかくも姫君は頷いたので、マギーは言葉を続けた。
「貴方たちが例え貴族であっても、ポレシャ――自由居留地圏では何者でもありません。自由居留地圏は、平民たちの領域です。意識して貴族たちに対抗し、抑え込んでいる土地です」忠告を聞き入れるだけの度量はあるのか。それとも、鈍いのか。姫君は、瞬きしつつ耳を傾けている。
「貴方たちは、大貴族の係累がいる訳でも、大国、大領からの亡命者でもありません。貴族と称し、そう振舞っても構いませんが、此処では権力を持ちません。
尊厳を脅かされたり、身を護る以外で剣を抜けば、当然に刑罰を受けます」
「それは、そうでしょう。弁えない者も多いのですか?」と姫さまが首を傾げる。
「他所の町での敗残貴族や亡命騎士の暴れっぷりが時々、新聞記事に載る程度には……」とマギーは頷いた。
「特に都市では地元貴族以外、庶民と同じ扱いです。
そして都市で大商人や富裕な市民と揉めれば、領地で貴族と揉めた農民がそうなるように、甚だ不利な判決が下される可能性もあります」国を追われた議員や政治家が、遠来の貴族領では何の力も持たないのと同じだ。それでも、マギーの言に老執事が不満そうに髭を震わせ、侍女が、まあ、と口に掌を当てたが、口は挟んでこなかった。
「役人よりも、議員よりも、軍人や貴族よりも、裕福な商人が力を持つ土地です。
覚えておいてください」常識ではあるが、他地方の小貴族一行が、自由居留地圏での当たり前を知らない可能性もあった。そして、知っていても軽視する可能性も。
「よい、忠告です。肝に銘じておきます」姫君は口にしてはそう言い、頷いた。
「ただ、それほど殺伐としている感は受けません」と首を傾げもする。
「ポレシャ市は比較的にマシな土地です。
市民を怒らせたから、とか、そういう名目で死刑になった者は百年いません」とマギーが言うと、少し考えてから「少なくとも大義名分が働いていると言う事ですね?」
馬鹿ではないな、と思いつつ、マギーは頷いた。
「そうとも言えます。でも、大国や官僚国家でもない民主制で、大義名分が覆いつくすのは難しいですから、字義通りに受け取っても構わないと思いますよ」
姫さまは数秒を咀嚼するように考え込み、それから大きくうなずいて「分かりました。保安官。色々とありがとう」と礼を言った。
「保安官助手です。ポレシャにようこそ」苦笑したマギーも、胸に手を当て軽く一礼した。