夏至祭の前日、マギーはニナやジーナ・エクルストン。その他大勢を引き連れて、計六人で下町の大浴場へと向かった。
古い劇場を改装して営業されている浴場である。
性風俗とは無縁で、旧世界の温泉宿を思わせるような営業が行われている。
それが今や地区で最大の事業物件にまで成り上がっていた。入口に火縄銃やクロスボウで武装した番人が、入口からも二階のバルコニーからも見下ろしているのは、不動産登録したにも拘らず揉め事を起こして事業に食い込み、或いは、破落戸《ごろつき》なり、無頼徒党が力づくで大浴場を奪おうとする事態に対する備えであった。
勿論、『町外れ』は、仮にもポレシャ市の正式な行政区画。そのように無謀かつ無法な試みが仕掛けられたことは、幸いにして一度もなかった。とは言え、旧劇場を改修し、大浴場を開催した当初には、怪しげな成り行きに陥りかけた局面も見られたそうだ。
浴場を開いた
だから、『陛下』は、下層地区の顔役だの有力者だのを飛び越えて、有力市民や参事の幾人かに金だけを出してもらった。一人だけでは事業を奪われるかもしれないので、複数人――特に対立しあう二つの名家に掛け合って、同じ程度の金額を借り受け、返せるだけの利益と金を貯め込みながらも、今も借りたまま、延々と金主に利子を返し続けている。
有力市民の庇護を受ける一方、下層地区で恐れられている武器商人マギーに近づいて火縄銃や120
マギーは入り口で20都市通貨を支払い、個室を二つ借り受けた。
本来、浴槽付きの個室を借りるとなると倍の料金が掛かるが、浴場建設時に幾らかの資材を融通したのと仕入れた石鹸を原価で卸していること。それに貴重な都市通貨での支払いで安めに使わせてもらっている。
なあなあの約束ごとなど得てして忘れられやすいものだが、定期的に顔を出しているお陰で、いまだに低料金での利用を継続できている。或いは、マギーに多少の利用価値があるからかも知れないが、現金払いの常連客と言うのは、何時の時代でも有難いものではある。
ついでに、リリーにも別口で風呂に入れるだけの小遣いは渡していた。
中世社会に酷似した給与体系の
ポスターの張られた廊下を歩きながら、新顔の従業員に気づいて、マギーは微かに目配せして、ニナと頷き合った。それにしても何処から連れてきたものか。
定期的に見ない顔の若い者が大浴場の手伝いに勤めてくる。流れの若者を引き込んだとしても、それだけでは足るまい。秘密の拠点なり、隠し村でも築いているのか。或いは、『陛下』は、どこかの隠れ里や母集団の分派なのかも知れない。
兎に角、マギーの顔も知らない新入りが定期的に入ってくるのは、『陛下』の徒党の人的資源の底知れなさを思わせてくれる。若者や中年、丁稚の小僧を四人、五人と連れてきては仕事を与えている。ポレシャに根を張る、と決めてから、五年を懸けたマギーの徒党が七人である。かなり有能で現実的な成長であると自負しつつ分析していたが、比べても『陛下』の徒党は拡張性が尋常ではない。
小さな地区の視点で見ると、相当に脅威となる組織力の発露でもあるから、マギーも警戒している。そしてマギーが気づいてると言う事は、当然に他にも警戒している市民なり、下層地区の頭目なりがいると言う事でもあった。
何処かの放浪民の大集団なり、或いは滅びた居留地の末裔なりが、集団で下層地区、或いはポレシャ市そのものに浸透し、乗っ取ろうとしている可能性も当然に考慮している筈だ。移民による侵略も、さほど珍しくはない。地元民を迫害し、追い出して、新しい国を築こうとするのは、歴史上、幾度も繰り返されてきた行為だ。
『陛下』には、どこか謎めいた背景が存在している。国家的な上位組織なり、民族的指導者の指示を受けているのか。或いは、数ある有力者の一人で、単に母集団から人員を引っ張ってきているのか。『陛下』自身が小さな秘密結社なり、部族の長か。それに近い立場である可能性もあった。
ただし、なにかしらの背景があるからと言って、なにかしらの思惑もあるとは限らない。浸透も悪意なく、安心できる土地で暮らしたいだけの可能性もある。
暴れる者や盗むものが悪目立ちしがちだが、世にいる全ての移民が侵略者ではない。移民と言うレッテルは、ただの分類に過ぎず、中身は人間なのだから、善人もいれば悪人もおり、背景も事情も思惑も千差万別だろう。勿論、世には現地人を追い出し、或いは殺しつくして、土地を奪うつもり満々の侵略者の理論に骨の髄まで侵されてる移民連中だっているから、油断はならない。
マギーは『陛下』やその娘を好きだったから、その背景が悪いものでなければいいと思い(出来るだけ悪いことは企んでいて欲しくないなぁ)と考えつつも、いざと言う時に対立した状況《ケース》を想定し、彼ら彼女らの武装や戦闘員の人数、練度などについても、怠りなく情報を蓄積してもいた。最悪を想定し、備えるのがポレシャ市に雇用された治安要員としても最低限の責務であろうと弁えていたからだ。
それはそれとして湯気の立ち込める浴室にやってきたマギーは、浮かれた気分で服を脱いだ。お風呂の時間だ。ニナやジーナ・エクルストンもタオル一つで鼻歌など歌っている。マギーも油断しているので、ヴァレンシュタインやピサロのように暗殺を仕掛けられたら、やられてしまうだろうが多分、大丈夫だろう。多分。
※※※※
猫耳ココと徒弟のトリスは、浴室に駆け込むと玩具を取り出して浮かべだした。
「何故こいつらと一緒なんだ。おい!子供じゃないんだから。玩具なんか浮かべるな」同室に案内されたリジィは、不満げに唸りを上げる。
船と潜水艦の玩具を握りしめて「子供ですぅ。今、幼少期の遊べなかった分も取り返してるんだよ!」とトリスが主張した。こんな時にもスノーゴーグルは外さない。
ココもラバーダックを握りしめて、なぁーご、なぁーごと振り回して歩いている。
鬱陶しいので取り上げようとすると、本気で牙を剥いた。
「……そんなにかよ」と辟易したリジィが手を引いた。
「ぶぉおお!無敵戦艦のミサイル発射!怪獣メガアヒルは爆散した」トリスが他人の玩具に勝手な設定を付けると、怒った猫耳ココがラバーダックの体当たりで戦艦を沈める。十代も半ばを越えた二人の娘だが、子供時代に自由農民やら労働者らの家庭の子が玩具を持っていたのが羨ましかったそうで、賃金を貯めては時々、玩具箱を充実させている。
「子供のお守りじゃないか」頭を振るうリジィ。
しかし、それでも風呂は気持ちいいもので、軽く身体を洗い流してから湯舟に浸かっていると、何もかも忘れられそうになる。
廊下の方からは客や掃除夫、布や石鹸を持った丁稚の行き交う足音が良く響いてくる。音楽を流している流しの楽士もいるようだ。
「今の時間帯はやたらと繁盛しているな……あぁ、いや、明日が夏至祭だからか」ぽつりとリジィが呟いた。
風呂から上がり、もう一度、身体を洗おうとして「……石鹸が足りない」と気づいた。
「入り口で買わなかったのか。ケチることばかり考えてるから」トリスが鼻で笑う。
「貸してくれ」とリジィが言うも「ないよ。ちょっとの欠片しかないから使い切った」泡立った身体を布で洗いながら、トリスは首を振るった。
唸ったリジィだが「そう言えば、あいつら、泡石鹸沢山持ち込んでたな」とマギーたちのいる隣室に目を向ける。
「ええ?止めときなよ。石鹸くらいなら買いなよ」トリスが慌てて止めてくる。
「石鹸貰うくらい大丈夫だろ?」とリジィが肩を竦める。
「うむむ。いや、大人だから大丈夫か。それに無理やりはしないし」トリスが小声でぶつぶつ言うと、湯舟に沈み込んだ。
「なに言ってたんだ?」リジィは首を傾げつつ、隣の浴室へと歩いて行った。
リジィが隣の浴室へと向かってすぐ、小さな驚きの叫びが漏れてきた。
狼狽したようなリジィの上擦った声に、マギーの誘うような囁き。リジィの戸惑ったような低い返答が続き、やがて、くぐもった切なげなうめき声が響いてきた。
「やられてる」とココが唸った。
「知らんよ。忠告はしたし」トリスは玩具の潜水艦を大事そうに眺めていた。
※※※※
大浴場にも、控えの部屋は備えられていた。予定を三時間ほどに延長して色々と楽しんだマギーは今、客室でゆっくりと時間を過ごしている。
ついでに、早めに上がった徒弟のトリスと猫耳ココにはお小遣いを多めに上げて遊びに行かせた。どうせまた、奇妙な機械模型だの兵隊人形でも買うのだ。
最近は敷地の一部に小さな塹壕を掘ったり、金網で有刺鉄線を作って、ロボットやSF兵士、怪獣を戦わせるジオラマを作っている。なにが楽しいのか。
二人揃って男の子みたいな趣味に耽溺しているのはどうかと思うが、兵隊人形を使って、幾度も民間人を銃剣で突き刺すシーンを演出するのは、止めて欲しい。
軍人人形(トリス)「死ね、死ねぇ。ミュータントめぇ」
民間人人形(ココ)「にゃご、にゃごー!にゃがー。お母ちゃん、シニタクナイ(棒読み)」
軍人人形(トリス)「人間の振りなんかしやがって!化け物め」
変異体の少女たちが、軍人が変異体を殺す情景を遊ぶと言うのは、なにか、かなり深刻に病的なものを感じる。が、トリスも猫耳ココも当然に迫害も受けてきたし、貧困に追い詰められてもいた。苦い過去を呑み込む儀式、心に地獄を抱えた子らが折り合いをつけて生きていく為の通過儀礼でもあるのだ、多分。
世の中には残酷さがあると認識し、なお、生きる覚悟を固める為の儀式だとマギーは解釈している。無理に止めるつもりはない。昔の隊商や賞金稼ぎ仲間にも、何かしらの奇妙な趣味に耽溺する者たちは少なくなかった。黄昏の時代に辛い経験をしながらも真っ当に生きるとなれば、なにかしらで歪みが噴き出るものだ。害のない形で昇華しうるなら、他人が口出しすべき事でもない。
「……はふぅ」湯気で上気したのか。その他の要因か。頬を茹で上がらせたリジィがぐったりとして、ローブを着込んだマギーに凭れ掛かっていた。動こうとするも、力が入らないようだ。かつてない肉体的反応を引き出されて、戸惑いを隠しきれてないのか。「なんなんだよ、もう……」とマギーを見上げてる。
「はい、水」運動の後は、ちゃんと水分を補給しないと駄目なので、ニナが水を手渡すと、リジィは受け取って一気に飲み干した。
それから、マギーを睨みつけようとするも「……道理でスネイクバイトの一部が、妙に結束強いと思ってた」マギーの腕が力強くリジィを抱きしめてくると、か細く弱々しい呻きにしかならなかった。
「可愛かったですよ、リジィ」マギーに囁かれて「うぅー!」女ランツクネヒトは、振り返ると拳で軽くマギーの腕を叩いた。動作には、今朝まで無かった身体を委ね切った馴れ馴れしさも漂っている。
「……爛れてる。変態どもめ」リジィが呟くと、えー。とニナが首を傾げて顔をのぞき込んで来る。
「わたしは違うぞ」照れたのか。リジィはニナから顔を背けつつ、そう零した。
「リジィだって最後の方……」ジーナ・エクルストンが指をリジィの頬に添えた。
「……違うったら、違う」弱々しくリジィは否定してるが、頬は真っ赤だ。
「私はリジィを気に入りました。
無理強いはしませんけどね。そのうち、また一緒にお風呂に入りましょうね」マギーが指先を絡めながら、優しげに囁いてきた。
うぅー、とリジィが呻いている。
「リジィも、気に入りましたよね」マギーが囁き、三人で迫ってくるので「……気に入ったよ!」真っ赤になったリジィはやけくそ気味に叫んだ。
マギーは無理強いしない。リジィが堕ちたとも思ってない。
肌を合わせた相手とも殺し合えるのが、賞金稼ぎや殺し屋の条件だろう。
いや、リジィの初々しい様子を見ると、堕ちたかも。それはそれで構わない。
仮にリジィが言いなりになるとしても、無駄遣いしたり、捨て駒にするつもりはない。マギーは、おのれが部下の立場なら、どう扱って欲しいかも常に考えている。
部下の面倒は見るし、手厚く扱う。首魁として特に隠すこともそれほどないので、全体の利益やおのれの取り分についても開示して、話し合いも受け付ける。
リジィが嫌がってないので肌を合わせたが、相手の望みに合わせて異性を世話もすれば、一人が好きと見たら放置もする。希望を尊重して、趣味嗜好に合わせて快適に過ごせるよう、こまめに気を配るのが好きだった。存外、奉仕者気質かも知れない。
リジィを冷静に、しかし、ちゃんと愛しさは込めて観察しながら、思考を走らせる。小規模な徒党の運営としては現状、問題ないだろう。
それほど、スケールするつもりはないし、万が一、組織拡大せざるを得ない時は、また、やり方を変えればいい。今が一番、気楽で楽しい時期だろうとは思っていたが。
※※※※
ポレシャの町外れ地区を、巨漢が散策していた。異相ではあった。顔には無数の傷が刻まれている。多くが刀槍の痕だが、獣か蟲と思しき噛み傷も耳朶を削っていた。
凶悪な面相に見えて、しかし、笑うと意外なほどに人の良さそうな表情が浮かび上がる。
時折、軒先に入り込んでは声を掛け、時々は、屋台やら露店で怪しげな串焼きやら干し果実などを小さな買い物を行っていた。半分は食べずに駆け回っている子供などにあっさりとやった。破落戸のようにのし歩いている感ではない。
巨漢は黒塗りの鉄兜を被っていた。それだけでは、およそ防護を期待した代物でもあるまい。黒地に黄金麦穂が透かし彫りされており、頂には角が付いている。
見る者の感性によっては痺れるほどの造形美を誇るそれは、議会衛兵の標準装備だ。
巨漢――ジョージアが町外れ地区を見回るのは、初めてでもない。只者ではない風情を漂わせながら、しかし、町外れ地区には、変異獣や屍者の脅威に日常的に晒され、無頼の無宿人《ノークォーター》やら浮浪傭兵やらの徒党が度々、近隣の農村や居留地、農場に小規模な襲撃を仕掛けては脅かしている境界地帯《フロンティア》でもあった。
以前より、ジョージアが唐突に彷徨いだした時、下層地区の住人らは、見慣れぬ大男が何者かと用心深い視線を投げかけていたが、ほどなく、町の用心棒との正体が判明してからも、孤立した見回り番などなんの役に立つのかと、すぐには信頼しなかった。しかし、変異獣や巨大蟻、飢えた野犬の類がバリケードから潜り込んだ時など、真っ先に駆けつけて自警団と共に戦う姿を見て、辺鄙な村の老夜警よりは役に立つだろうと結論したらしい。
今では、議会衛兵に就任したジョージアの見回りも、それなりに人々に受け入れられている。ただ、屍者の群れだけは苦手らしく、ジョージアは二の足を踏んでいる。戦い方からすれば、それも仕方あるまいと自警団からは許容されてはいる。
大半の人々にとって、屍者よりも手強い変異獣を銃やナイフで屠ってくれる以上、役に立っている。そして、人にはどうしたって得手不得手があるものだ。
町外れ地区には、森や離れた湖の近くで肥えた土を集め、裏庭や空き地で野菜を作っている
差し入れに関して、知人のマギーが一度、ジョージアに差し入れした住人にケチをつけたことがある。
「おい、スカンランさんよ。野菜を寄越せとは言わんけど、私もお前さんを助けただろうに、なにもなしかね?」
「おめぇさまは住人だろ。一緒にいれば、こっちが助けることもあるよ。
ただ、ジョージアはよそ者で戦ってくれたから、借りは返さんとよ」
マギーはスカンランの言い分をもっともだと思ったのか、二度と不満は口にしなかった。
町外れ地区の大通りから曠野側出入口。自由市場から地区の裏手へと見回っては、土嚢や木柵、バリケードなど目についたところを点検して、時には手で触れ、揺らしてみる。老朽化している木の柱、縄が朽ちて崩れかけている木柵、枯れ木と化しているバリケード。袋の破れた土嚢。崩れた土塁。積み上げた瓦礫は割れ、防護壁代わりに身を守るはずの廃屋には変異獣の仕業だろう。壁に穴が穿たれていた。予算も資材も足りない。人手もない。
いざと言う時、怪物や賊に侵入されるのは織り込み済みだ。破られたら拙い場所だけには、資材と守りの手を集中させて置いてある。後の場所は、いざと言う時は避難する。その為の手順や経路が近隣の家々の壁に貼られている。人は死ぬものだ。特に下層民は。それでも、戦える準備と権限を持っているだけ、ポレシャの庶民は恵まれてすらいる。それさえない土地も珍しくはない。
取りあえずは、喫緊の手当てを必要とする箇所を幾つか見つけ、軽い作業とわずかな資材で手当てできそうな場所だけをメモに取った。予算が下りれば、数か月のうちには修繕できるだろう。そして、それで、もしかしたら犠牲になるものが減るかも知れない。或いは、資材は貯めて、もっと大きな工事に費やした方が犠牲は減るのかも知れない。昔から言われるようにジョージアに大局的な視点は欠けている。だが、大した出費でもなければ、出来るだけのことはしておきたかった。
小さな畑に鶏小屋。瓦礫と泥小屋の一家。廃屋に張られた布の屋根と壁に暮らす人々。背丈よりも低い天幕の住人たち。埃っぽい泥の路傍には、老婆が編み物をしており、ハーモニカやギターの音が廃屋の布の扉ごしに聞こえてくる。子供たちが楽しげに犬と駆けまわり、通りを歩いていれば、笑い声が絶えない。
いい町だと、ジョージアは衒いなく頷いた。しかし、同時に絶えず曠野の脅威に晒される土地でもある。自然の過酷さと資源の乏しさによって、終わらない貧困にとどまり続ける苦難が約束されてもいた。搾取がなくとも、曠野の殆んどの小さな居留地は、辛うじて存続しているに過ぎない。
俺の町だ。此処で生きて死のうとそう思った。町を眺めてるうちにわき出した感慨は、胸の内にストンと納得が落ちた。若い頃の渇望や野心がいまだに枯れた訳ではなかったが、そこには年相応に受け入れられる自然な姿があった。
※※※※
ジョージアは元から見回りを重ねていたが、衛兵としても巡回任務を志願した際、担当地区が『町外れ』となったのは、元賞金稼ぎの経歴と無関係ではあるまい。
『町外れ』は曠野や外部地区、そして廃市街や廃墟そのものと面したポレシャの境界地帯であった。他所からの脅威や外来の者たちは、大半が此処を通って町の中へと入り込んでくる。6月20日の朝も、『鉄兜』ジョージアは町外れ地区の北にある曠野側出入口で椅子に座りながら、訪問者たちに視線を走らせていた。
時折は、素寒貧だろう怪しげな来訪者や漂泊民を追い返さなくてはならない。祭りの日には、緩むであろう住人たちの財布そのものを狙って、スリや盗人《シーフ》らが町へと入り込んでくる。それを追い返すのも衛兵や自警団の仕事で、強面のジョージアはさながら下層地区の門番の役割を割り振られたのだろう。
大昔に見たベトナム帰還兵の映画――帰還兵を町に入れまいと意地悪にも見えた保安官をジョージアは思い出していた。どうしようもない。昔のジョージアは、漂泊民や放浪者たちの仲間だった。だが、思わぬ運命の変転によって大型居留地での結構な衛兵職にあり付いてしまった以上、職務に精励するしかない。
「いれてくれよぅ。意地悪しないでくれよぅ」
先刻から漂泊民や近隣を彷徨う浮浪者《ホーボー》、農村の乞食などがやってきては、追い返されている。
「駄目だ、駄目だ。身分証の無いものは、祭りのさなかは入れん」廃墟生活者なり、外部地区の人間でも、普段から出いれしていれば、顔見知りがいるはずだと指摘を受けて、追い返されていた。
トラブルは御免だ。と自警団員たちは、見知らぬ者らを追い返している。彼ら彼女らとて、元は
由来、大きな都市ほどに、町とは農村よりもよそ者に冷たいものだ。
泊まるなら、外部地区や近くの農村に安い宿屋も木賃宿もあった。納屋ならただみたいなもんだ。どうしても入りたいなら、祭りが終わってからにしろ、と旅の巡礼や喜捨を求める坊主、神官らも村々に押し付けるように追い出されている。
身分証を持ち、身なりが立派な聖職者だけは通すのだから、詐欺師などの仕事が無くならない訳だ。浮浪者《ホーボー》や漂泊民が町に入りたい時などに、詐欺師に身分証の偽造などを頼むのだ。大きな町には何処にでもある盗賊
笛を持った少女と太鼓を持った少年が上手い演奏をして見せると――漂泊民だが、祭りの為の楽士として期間限定の許可証を与えられて通された。一緒に来た年長の浅黒い青年は、駄目だと追い返されたが、目が諦めていない。きっと後で忍び込むに違いない。だが、どうしても入ると言うのなら、それは有罪の証拠かもしれない、と自警団員が囁き合っている。
椅子に座ってエールを飲んでいるジョージアだが、再び、やってきた旅人たちと自警団員たちが押し問答をしようとしている。今度の連中は相当に諦めが悪いようで、かなりしつこく食い下がっていた。
三人組の男女。武装はそれなりだが、旅装はかなりお粗末。どう見ても無宿人《ノークォーター》か、少人数で徘徊する浮浪傭兵。或いは、より危険な自由傭兵の類だろう。まともな門番なら、お断りするお客人だった。
「だから、わたしたちは……ほら、身分証だって……」と三枚の紙切れを受け取ったが、見て回すも自警団員は、誰も彼もが首を横にふるう。
「見たことないぞ。何処の身分証だよ。これ」
「曠野の身分証は、自由居留地も、貴族領も大体、知ってるんだ。こんなん出しても誤魔化されないぜ」口々に言うも、三人組は諦める様子がない。
「ま、一応照会して見ろ」とため息を漏らした班長が近くの机に座っている自警団員に頷いた。
「フェイルノートの組合で発行された本物の身分証だよ」と旅人が言い張ってる。
「どこだよ。フェイルノートって……聞いたことない」自警団員が呟き、机で調べていた自警団員が分厚いノートを捲りながら「やっぱねえぞ。この身分証」と首を振るう。
「町の祭りには興味もないし、迷惑になる真似はしないよ」言い張る旅人たちだったが、仕事熱心なポレシャの自警団員は、そう簡単に怪しげな人物を通さないし、賄賂も通用しない。
「時期が悪かったな。仕事を探すなら他所に行くことだ」班長の真っ当な言い草に、相談し合う三人組。
「ああもう……だからさ」粘っている連中があまりにもしつこいので「なんだい、しつこい野郎だね」ぶつぶつと呟きながら、ジョージアが仕事をしようと椅子から立ち上がると、押し問答していた三人組の流れ者がこちらに視線をくれた。
と、頬に入れ墨を入れていた女が目を輝かせた。
「あ、ジョージア!」
「おん?」ジョージアが足を止めた。
「風の噂に引退したと聞いたけど、こんなところで会えるとはね!」女は歩み寄ってくると、親しげに手など握ってきた。
「おいおい、こんなところとはご挨拶だな。俺の地元に」
見覚えはある。誰だっけ、と記憶を探っているジョージアだが、親しげに背中を叩いてきた動作と女の匂いに遠い過去の記憶が刺激された。
「お前、ジルカか」ジョージアの言葉に「そうだよ、ジルカさんだよぉう」嬉しげに胸を叩いて来る女は、赤泥のジルカ。南方では、それなりに名の知れた賞金稼ぎ。つまりは、マギーやジョージアの元の同業者だ。
「今、ちょっと大物を追いかけていてさ。
自由居留地圏に逃げ込んだと思うんだがね。ポレシャは南方の要だろ?
入れて欲しいんだけど。あ、心当たりないか?」
ジルカがごそごそと取り出した手配書を一瞥し、ジョージアは頷いた。
「ふぅん、美人だね。
この娘さんはなにをしたんだね?」ジョージアの物言いに、「男はすぐに面に騙される」とジルカの背後で仲間の女が、長身の相棒に囁いていた。
「なにも。
強いて言えば、運が悪いかな」ジルカの物言いは、端的だった。
ジョージアが首を傾げると、ジルカは小声で囁くように言ってきた。
「父親が領主で戦争に負けて国が滅んだ。
勝った領主からすりゃあ、直系の係累なんて危なくていかしておけない」
ジルカの言い草に、ふむん、と頷いたジョージア。
「尤もな話だがね、衛兵としては入れたくないねぇ」と呟いている。
「まあ、そうだろうね。
もっとも賞金が賞金だ。追いかけてるのはあたしたちだけじゃない」
なぜかジョージアを意味ありげに見つめた赤泥のジルカは、手配書に記された五桁の賞金額に指先で触れながら「噂じゃ、隠し財宝の在りかを知ってるとか。あくまで噂だがね」そう面白そうに囁いた。