黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_89K 6月20日Ⅱ 在庫と虫干し

 在庫は悪である。19世紀の経済の本に書かれていたこの一文は、ジャスト・イン・タイムの嚆矢であろう。

 

 在庫が重い負担《コスト》へと転落したのは19世紀後半、近代後期以降とされている。産業革命以降による大量生産を土台とし、鉄道による運輸も発達し、都市部の地価が高騰した為に在庫が悪であり、重荷に過ぎないと、それまでと百八十度の発想の転換が優れた商売人たちの頭脳の奥で超新星のように発生した。

 

 それ以前からも、潮流としては運輸の発達とともに流通量に合わせて在庫の量を減らし、負担をより小さく留めると言うやり方が主流になりつつあったが、伝統的な商家の幾つかは危機的状況を乗り切ってきた在庫を持つ戦略を止められなかった。

 

 何故ならば、在庫を無くした方がいいのでは?と言う思想自体はそれ以前にも幾度か誕生し、しかし、そのたびに間違えが証明されていたからである。時代が熟していなかったが故にあだ花として散っていた先進的発想の持ち主たちを知っていたがゆえに、経験則としても、思考の結論としても、大きな商家に重い腰は上げなかった。

 

 愚か者はいない。いや、結果的にそう断じるのは仕方ないとしても、敗者でさえ相当な思考や経験の果てに結論していた。相当に賢い人物でも責任の重責に縛られつつも、ある程度は妥当な行動や決断(しかし、押し寄せてくる時代の変化の波を越えるには絶望的に足りない)の果てに、なお淘汰されている。経済史――否、歴史を鑑みれば、指導者たちの大半は、愚かさと言うより、当時の常識では妥当であった戦略が変化への追随に及ばぬだけで、無策な無能は殆んど見当たらない。

 

 古い組織のうちにも改革を推し進めようと言う人物はいたが、結局は内部での主導権を巡る争いに敗れ、それ故に母体である商家自体が寒冷化と食料不足に悩む恐竜のように、重い税負担と都市の地価高騰、保管料の肥大化と競争の激化によって滅びていった。

 

 大抵の商家自体もある程度は制度に合わせて改革を行っていたが、税制の変化や土地の高騰。加えて競争相手のコスト切り捨てなどによる市場争奪の激化など、時代の急激な変化には適応しきれなかった。一部の天才ではなく、大勢の賢者がいずれは来ると理解していたにも拘らず、早すぎて潰れた発想があったように。商家の当事者たちも決断できなかったのではなく、まだ早いと決断したがゆえに滅びたのかも知れない。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 お家で在庫整理しながら、マギーちゃんは大きな欠伸をした。

 当時として数百、数千人を率いた武将が名将に敗北したからと言って、並みはずれた人物であることに違いないのと一緒だ。例えれば、歴史ゲームの信長の野望やクルセイダーキングスのやられ役は、数百年の戦乱で数百万――或いは、一千万を超える兵士たちの上澄みの数千人の一人なのだ。

 

 近代以降の商業的な競争が激しい時代であったら、おのれなどは精々、商家の勤め人の器に過ぎなかったと時々、マギーは考えている。勤め人を馬鹿にはしてない。ただ、一国一城の主を目指すのに裸一貫からでは到底、這い上がれない時代だと見做している。

 

 中世でもやはり難しかっただろう。欧州においては女に財産権が殆んどなかった。夫を持つと、妻の財産は同時に夫の権利ともなる。日本では女に財産や家の相続権があって店持ちや船持ち、土地持ちに高利貸の女たちもいたそうだが、それでもやはり多少は男性の方が有利ではあった。黄昏の時代に自由居留地領域では、男女は表面上、まったく対等の権利を所有している。その点では、やはり中世の欧州や日本よりもいいと思えた。もし、男性に生まれていたら、異なる考えを持っていたかも知れないが。

 

 近代以前、商売人にとって特に重要な要素の一つが在庫の量だ。倉庫代や管理維持費、保管費に税金と巨大な負担が伸し掛かる近現代とは違う。

 地代が安く、税制が未発達な、或いは強欲な国家がいまだ、所有物に税の網を伸ばしていない時代。商人にとって抱えてる在庫の量は、商売における力の誇示であり、信用の源泉であり、富そのものでもあった。

 

 ポレシャ市、或いは自由居留地圏では一般に所得税、及び資産税はかなり軽い。共同体の徴税権は、かなり厳格に審議され、常に撤廃の可能性が存在している。

 歴史上の自治都市や農民たちが幾度となく、新税を試みる王侯や中央政府に武装闘争を挑んだように、黄昏の曠野に統治機構が税を懸けようとすれば武装蜂起や反乱の一つ二つは間違いなく起きる。国家・共同体崩壊に至る恐れは、曠野においては可能性ではなく存在しうる現実だった。

 

 人々が国家と言う巨大機構を負の遺産の為に信用しないが為、或いは小さな政府主義者たちの喧伝が広まった結果かもしれない。現状優位にある彼ら彼女らは、当然に異なる思想に社会戦を挑み続けるであろうし、庶民にとって有利な限りは現状が維持されるだろう。領域国家が生まれ難い曠野の地は、かつてなく国家形成に消極的な土地と時代かも知れない。

 

 曠野の由居留地圏が一つの国家を形成に至るか。国家形成の可能性について、マギーは時々、エヴァンス保安官やスタンフィールド氏と思考実験を討議することがある。商人たちは、商圏と市場を巡って絶えず競争し、農村共同体は常に税を憎んでいる。傭兵団や武装放浪民は巨大権力の誕生を忌むし、小さな政府主義者は、国家復活を悪として喧伝し続けている。そして何より、人々はかつての歴史と知識を持って、巨大国家と言う概念を理解しうる思考力と想像力を有していた。

 

 メリットもデメリットも比較討議した上で、自由居留地圏の人々は恐らく、ギリシアの諸ポリスやイタリア諸都市と同じ選択肢を取るに違いない。

 ペルシア戦争でのギリシア連合。或いは、ローマに対するラテン同盟。フランスに対峙した神聖同盟。ハプスブルクに結束したスイス諸邦。HREの侵入に対して結成された都市同盟。だが、それら盟約の殆んどは、けして恒久的な国家には至らなかった。外敵が退けば一時的な盟約は解かれ、都市と共同体はそれぞれの利害と衝突の日々へと回帰していった。自由居留地圏の人々も、自由居留地連合を『国家』とは呼ばないだろう。それが各々の結論であった。

 

 マギーの密かに導き出した、曠野に国家を形成する可能性はおおよそ二つ。英雄と呼べる巨大な個性が他の全てを押しつぶすか。或いは、より妥当、かつ柔軟に利害を調整し、軽度の税で可能な限りにマシな統治を行えるだけの高度な民主制に到達した時か。二つにひとつ。水源が乏しく、大軍を展開させるのに過酷で、得るものの少ない曠野が外敵に征服される可能性は、ほぼ除外している。

 尤も、曠野の地が此の侭、人類の滅びの日まで心地よい混沌に永劫に微睡み続ける可能性もそれなりに高いのだが。

 

 

 とまれ、中世の棒手振や露天商、行商人にとっては、在庫をどれだけ抱えられるかが、一人前の商人になれるかの試金石でもあったし、社会的な信用を左右するステータスでもあった。なんとなれば、市場は常に品不足であり、通貨の価値は常に不安定であり、流通は常に寸断されていたからである。

 そして……おお、黄昏の時代(トワイライトエイジ)。人類の黄昏よ。

 今の時代は、中世に似て非なる時代。緩やかに衰退に入りつつある時代にも、中世と同じく、庶民は常に品不足に喘いでいる。

 

 マギーにしてからが、在庫を蓄えるのは容易ではなかった。

 まずは、保管する場所がない。大抵の商人にとって保管庫は家屋の一部だが、マギーの自宅は下層地区の裏路地の奥。治安は悪くもないが、それほど良くもない。

 強盗などは殆んどないが、窃盗に関しては警戒する必要があった。

 天幕暮らしの頃は勿論、つい最近までは邸宅もまだ小屋程度の大きさであったから、在庫を保存する場所は愚か、仲間たちで寝る場所にも事欠く有様であった。

 

 だから櫃《チェスト》である。鍵の掛かる大きな木箱だ。中世の騎士たちが私物や財物を詰めておいた私的な櫃《チェスト》が、やはりマギーにとっても在庫や現金、帳簿を保存する為の箱であった。中世でも旅の騎士や修道士、富裕な農民は、鍵付きで運べる大型箱に財物を保存していた。

 

 

 クロスボウやマスケット。それに黒色火薬や鉛玉を入れた武器用の櫃《チェスト》が一つ。乾燥材と虫よけを入れた服飾用の櫃《チェスト》が一つ。少なくとも、雨の殆んどを防げるだけの屋根の下。しっかりした箱に入れておけば、湿りの大半も防げる。それはマギーとて、部屋一つをまるごと保管庫にしてみたいものだが、雨漏りを完全に、少なくとも殆んど防げるようなもっといい屋根を誂えなければ――それに常時の信頼できる見張り番を立てるだけの人員的余裕も必要だった。

 

 強盗に襲われた際、殺傷されない為、最初から三人、四人と相応の武装を持たせておきたい。強盗は滅多にないが、下層地区に値打物を貯め込めば、話は別だ。

 武器商人であり、保安官助手でもあるマギーは恐れられているが、富の誘惑はしばしば、命の危険や恐怖を乗り越える。もっとまともで頑丈な扉。裏路地へ続く場所に土嚢を積んで、迎え撃てるようにしておく。そういった工夫をするだけで強盗に襲われにくくなる。

 

 ポレシャ市下層地区では聞かないが、近隣の町ではしばしば、櫃そのものが盗まれる事がある。櫃を丸ごと担いで逃げる泥棒や強盗の話を耳にしている。マギーの櫃は中身が詰まっていて、重たく大きい。頑丈な南京錠は、破壊するにも手間が掛かる。

 だから、最低でも車。荷車や牛、馬、驢馬などで運ばざるを得ない。

 だが、出入り口には、木柵。通路には土嚢が備えられており、火縄銃を持ったマギーの部下が見張ってる以上、荷車や馬は堂々とは持ち込めない。その程度には防備は整っている。だが、富の誇示が一定量を越えた瞬間、命知らずが――或いは予想以上に大きな他所の土地の強盗団が仲間を募って、急ぎ働き仕掛けてくる可能性も幾らかはあった。

 

 多分、大丈夫だが、身内の命を危うい賭けに懸ける気にはなれない。だから、マギーは富と在庫はそこそこで、その割には厳重な防備を整えている商人と言う立場を崩さない。襲えば、幾らかの金は入るが、確実に数人は死に、そして防備の割には金は少なめだ。割に合わない。それが、盗賊視点での獲物として、マギー宅の在庫と防備の比率であった。それでもなお襲ってくる奴がいるとしても、可能性はやや低い。現時点では、堅い守りの風評で満足しておくべきだろう。

 

 頑丈な邸宅を所有する店持ち商人に比較すれば、かなり見劣りするとは言え、多少の在庫を抱えただけで、マギーの評判と信用は明白にかなり高まった。

 市場は慢性的な商品不足に苦しんでおり、流通が寸断されがちで、しかも、需要と供給の波が激しく高低する為、長期的視野で捉えないと損をする商売人も少なからずいる。中世的な物資不足に苦しむ黄昏の世においては、まとめ買いや貯蔵が危地に強い富の形として、商人としてのマギーの力をかなり担保している。さらに言えば、通貨がさほど信用のない社会では、常に現物は一定の力を保有していた。

 

 相手の出した通貨が信用できない場合、商人側が取引を断ったり、物々交換を望み、或いは大きなプレミアムを付けることも曠野の商取引には無きにしも非ずなのだ。 だからこそ、ギルドや商会が部屋いっぱいの――或いは倉庫に大量の積荷を蓄積している場合、目に見える形で強靭な富と信用を積み重ねているのと同義であった。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

「天気もいいので虫干しをします」初夏の太陽の下、マギーちゃんは仲間や徒弟たちにそう宣告した。

 本や服飾品を壁や背の高い瓦礫、柱に張り巡らせた紐に通して、乾燥させる。

 それほどの在庫がある訳ではないので、一度に全てをやろうとすると手間が掛かり過ぎるので、半分ほどの服飾を紐に通した。毛布も干している。

 残りは、また次の日。間違えないように袋に入れておいた。

 猫耳のココが下着姿になってくつろいでいる。野生に返っているようだ。

 徒弟トリスが下着や生理用品について姉貴分であるニナに相談していた。今度、都市で良さそうな品を見繕ってくるとニナが返答していた。

 

 生活が豊かになってくると、替えの服も考えなければならないが、保存状態だの洗濯や虫干し、それに保管場所も考えなければならないが、それなりの服装だと襤褸着の十倍ほども値が張るのが実情だった。加えてマギーとニナだけでなく、徒弟トリスや猫耳ココにも大きな櫃を買わなければならない。ジーナ・エクルストンやリジィが此処で暮らすなら。そしてリリーの分も必要になるだろう。

 

 

 

 黄昏の世にも、襤褸着に好んで横着する人々がいる――一部の渡り人《オーキー》や放浪農民、浮浪者《ホーボー》、廃墟生活者などは、とかく服飾に金や手間暇を掛けない。

 

 曠野の冬は厳しい。越えるたび、生き残るに金と食べ物の蓄積を要求してくる。

 生きるに必要な衣食住のうち、まず真っ先に削れるのは衣服であろう。しかし、服が高価であり、生活に余裕がないとも言え、布や衣服の類も、中世よりは庶民に手頃な価格で流通しており、金が無くとも手間暇かけて清潔に保ち、着飾っている浮浪者《ホーボー》や漂泊民、廃墟生活者に乞食も見かけられる。

 

 色褪せて破れそうな薄着をパッチワークに継ぎ接ぎしつつも、それでも子供には一張羅を与えてやりたいと親が励んだ修繕には、同じ系統の色で揃えたり、或いは、黒と白、青と赤など、敢えて鮮やかに対比させてみせる衣服を誇示して路地を歩く少年少女や若い娘の姿など、古着の纏う侘び寂びに丁寧な針仕事が合わさって一種、見事な美意識の発露に至った品々も見受けられる。一方では、継ぎ接ぎの服に無数のポケットを張り付けた不気味な衣服も一部では流行している。

 

 一方、生きるのに金が足りぬと服飾を切り捨てた人々には、大抵、寒さを凌ぐためにひたすらに服を重ね着しているが、見た目よりも暖かさや実用性を重視していると主張しながら、着られればよいと横着して、服を手荒く扱うので逆に傷みも激しかった。湖の近くで洗濯したり、廃屋の屋上で虫干しして、意外と清潔を保っている者もいるのだが、それでもまともな服を着て生活していると、見すぼらしい襤褸着を着込んだ連中とは付き合いを断ちたくなるものだ。

 

 

 ある日、唐突に気持ちが変わる。急に今まで気にならなかった以前の仲間たちの動作や振舞い、襤褸着や匂いが厭になる瞬間が訪れる。こればかりは思考ではどうにもならない、むしろ本能の働きに近い脳内の回路の切り替わりだった。

 

 襤褸着を着ている者からすれば、訳が分かるまいと思わなくもない。友人が突然に冷たくなって距離を取ってくるように見えるからだ。

 金が出来て、奴は冷たくなったと人々は口にするが、果たして人が服を着ているのか。服が人を纏っているのか。ニナもそうであったし、徒弟トリスもきっとそうなるとマギーは見ていた。猫耳ココは分からないが、これは自然な成り行きでもあった。

 

 人類は既に数万年も服を着て過ごしてきたのだから、服装は既に人間の一部であり、立派な服を着こむようになった者が、何時までも襤褸着の友人を避けるのは、見た目で病気の犬を避けるように当たり前の判断なのだろう。

 だから、マギーはやや割引のほぼ原価で良い服を徒弟に買わせるし、「もし、付き合いを続けたい廃墟育ちの立派な友人がいるなら、良い服を買うように勧めなさい」と、徒弟たちに勧めていた。別に強欲商人と言うだけではなく、相応の原理もあるのだ。

 

 

 さて、黄昏の曠野地帯には、化学薬品が入手しづらい。あまり金のない呉服商などは、在庫の入った櫃を少し開けて中で煙草の葉を燻している。これはかなり強力な虫殺しでノミの殆んどを殺し、ダニやシラミのかなりを駆除し、卵も弱らせてくれるが、代わりにかなりのヤニ臭さが衣服に染みついてしまう。とは言え、きちんとした服を買うとはいえ、渡り人(オーキー)や放浪農民、浮浪者《ホーボー》であれば、殆んど気にしない臭いである。だが、マギーちゃんの客層は、もう一段か、二段上。土地持ちの自由農民や金を持った正規居住者、農場主の一家や市民階層である。煙草の匂いをさせた服飾を持ち込む訳にはいかなかった。

 

 大きな部屋を燻すには瀝青。次いで松脂が最良だろう。

 しかし、小さな櫃を満たすのであれば、薬草や香草の煙で十分だった。

 タイムの煙は虫を殺し、月桂樹《ベイリーフ》は、衣類の隙間に潜り込む小さな寄生虫を寄せつけない。ラベンダーの香りは、箪笥に入れておけば虫よけとなり、ヨモギの葉は、乾燥させて焚くと衣類の虫やダニにも一定の効果を発揮する。そのほかセージやローズマリーなども衣装箪笥の他、家畜小屋などでも用いられている。

 

 勿論、瀝青や煙草に比較すれば、効果はかなり低い。虫を殺すと言うよりも嫌がる匂いで追い払う為の煙であり、定期的に焚く必要があった。代わりに衣類の痛みは殆んど少なく、穏やかな良い香りが仄かに薫るようになる。北米の原住民や欧州、或いは日本でも使われたこれらの薬草や香草は、黄昏の世界にも一年を通じていずれかは安価で入手しやすく、遠来からの入荷が途切れることもなく、また客層の好みにもぴたりと一致する。なにより、費用対効果においても、継続性においても安心して使える品であり、人が手間暇さえかけるなら、これ以上の代物は無かった。

 

 近所の少年少女らが小遣い稼ぎで、水汲みついでに湖近くの森林で摘んで来るものもあった。勿論、屍者も彷徨えば、狼も駆逐されていない。巨大蟻に変異獣すら徘徊する黄昏の森だから、外縁のごく浅い場所で大人の護衛付ではあろう。

 

 冷涼な曠野の森林でも、摘まれたばかりのセージやヨモギ、ミントの類は役には立つもので、姉妹や母親に贈るのだと金よりもリボンを選ぶ少年などもいれば、早速に買い食いするもの。金を貯める者。親に金を渡す子に、親に金を奪われる子と様々な人生模様が子供社会のうちから展開されている。

 

 下層地区でも子供が金を持って買い物できるのは、ポレシャ市が農村よりも通貨に信頼が高く、当たり前に治安が良いことを示している。ともかくも、子供が子供らしく生きられる土地は、良い土地だ。小さな集落であれば、下手をするとろくに現金も流通していなければ、子供が買い食いできる品さえも売ってない。

 そもそも辺土の寒村では、子供など小銭を持つことすらない暮らしも、まったく当たり前の光景でもあった。

 

 

 

 ―――

 

 

 

 暖かな日差しが降り注ぐ中、元賞金稼ぎのマギーちゃんは虫干しを終えて、おのれが采配する小徒党の面々と休憩していた。

 乾いた布に香草の良い香りが鼻腔をくすぐっている。リリーがお茶を入れてくれた。敷地の隅、乾燥した地面の僅かな雑草の上に蝶が飛んでいた。お茶を味わいながら、これこそ人間の生活だわとご満悦の表情で肯いたマギーちゃんは、長椅子でニナに寄り掛かりながら、しばしの追憶に耽った。

 

 素寒貧の渡り人(オーキー)二人組から、此処までの暮らしを立てるのに5年掛かった。ポレシャ市での日当は、暮らしていくには悪くはないものの、マギーはもう少しだけいい暮らしをしたかったし、ニナにも文明の喜びを味合わせてやりたかった。ささやかな野心と言うやつだ。だから懸命に働きはしたが、好事魔多し。巨大蟻の襲撃に遭遇したり、戦えると見做されて無法者《アウトロー》一味との対決に駆り出されるなど、中々に平穏な日々は巡ってこなかった。

 

 それでも最初の家には少しずつ家具や工夫を建て増し、形になってきた頃、副業の小商いが妙なことになった。自由都市の蚤の市を巡っては廃品同然の空き缶やら空き瓶、革やらくず鉄やらを小銭で仕入れて、居留地の雑貨屋に持ち込む日々。当初は、自由都市での買い物ついでの小遣い稼ぎに過ぎなかったし、日用品を買う際、足しになればいい程度の考えであったし、その程度の小銭にしかならなかった。

 

 

 実際に下層地区で三年近くもうだつが上がらなかったが、それが時折、貴重な工具やら、訳ありの医療品や服飾やらを安く仕入れて売るうちに思わぬ金額となり、さらに延々と続けてるうちに雑貨屋からあれこれと頼まれるようになってきた。元手と取引先が増え、足で稼ぐようになると思わぬ金額を稼ぎ出せるようになり、そこから鞄を大きくし、また稼ぎが大きくなり、扱う品物が増えて、と。

 実際には、頭で計画していたわけではなく、大半の部分が成り行きに過ぎなかった。偶《たま》さかの時流に乗れた。ポレシャ市が巨大蟻の襲撃から復興する時期、必要とされるものを駆け回って用意はしたが運が良かった。今、同じことを一からやれと言われても出来はしないだろう。もう、あれほどの必死な我武者羅さは発揮できそうにない。

 

 当初、地区紙幣や門前町の貨幣で受け取っていた対価を雑貨屋の爺さんに頼み込んで居留地紙幣の支払いに替えてもらい、ポレシャ市で小麦を仕入れては自由都市に持ち込んで、都市通貨で廃品や資材を買い込み、それをポレシャにまた持ち込んで、そうした部分は確かに交渉を持ち掛け、構造を組み立てたが、精々が利潤を増やし、資金に戻るまでのサイクルを多少、早めただけに過ぎない。

 

 行商での利益が日雇い仕事の賃金に迫り、やがて上回り、さらに倍、三倍と増えていき、今は随分と上等な暮らしを送れるようになった。しかし、ごぼう抜きした同業の棒手振や他の行商人、露天商、屋台商人にしろ、相応の工夫と手間暇は掛けている。マギーは確かに運と実力を兼ね備えていたと思うが、比較してさほどに優劣の差が開いてる訳でもない。例えば、自由都市と往来できるだけの熟練傭兵や元賞金稼ぎと、頭の切れる行商人が組めば、同じ事業は出来るのだ。他の誰かが市場に食い込んできたり、何時、追いついてきても不思議はなかった。

 

 買い手も、売り手も、取引相手がマギーでなければならない理由はない。だから、これから先も、油断なく競争相手と対峙し続けなければならない。

 勝利は偶然と努力の綾にすぎない。もしかしたら、うだつの上がらなかった最初の三年がマギーの本当の実力なのかもしれないのだから。

 

 

 陽だまりに微睡みながら、それでもマギーちゃんはやっと手にした穏やかな時間を享受していた。そもそも無法者《アウトロー》と対決したり、遊牧民相手の戦争に駆り出されたり、強盗団を追跡するなんて荒事に本来、自分は向いてないのだ。

 銃声にも刃物の煌めきにもうんざりだ。冒険の日々よ、さらば。こうして、なるべくして堅気の生活を手に入れた以上、けして手放すまいと決意するマギーちゃんは、その日も一日、何事もない穏やかな時間が過ごすつもりであった。招かれざる客人さえ訪れなければ、の話ではあるが。

 

 

 

 特徴的な角突きヘルメットを被った大男の姿が裏路地の入口に見えたような気がして、マギーちゃんは頬を神経質に痙攣させた。

 黒地に黄金麦穂の美々しい紋章はポレシャ市のものだが、まったく相応しくない男が議会衛兵に任命されたものだわい、と思いつつ、マギーは不吉の使者ジョージアを迎え入れる。元賞金稼ぎの巨漢は、やや緊張した表情を浮かべていた。

「リリーは、向こうで料理を作ってますよ」マギーが告げると、ジョージアは頭を振るい、顔を近づけてきて「……ジルカを見た」囁いた。

 

 

 マギーが一瞬、鋭い視線を向けて、ジョージアを見つめ返した。

 巨漢は、見るべきではないものを見た、と言う強張った表情を浮かべていた。

「ジルカ……赤泥の?」マギーも、不吉な名を囁くかのようにたずね返した。

「赤泥の」ジョージアが短く告げると、背後にいた部下のジーナ・エクルストンが頬を痙攣させ「いやな奴が来たな」と舌打ちをかました。

 

「……相当に強いの?マギーよりも?」と太ももに寝ていたニナが首を傾げて、マギーを見上げてきたので「分からない。名のある軍人とか、戦士のような強いとか、得意とか、そう言うのが世間に割れていない。ただ、名前と狩った相手だけが知られている」と深刻な表情を浮かべてマギーは返答した。

「狙いはお姫さまかな?」考え込んだマギーが尋ねると「他にいるかね?」ジョージアは端的に肯定する。

「やっぱりか。尋ねてみただけだ」マギーは落ち着きなく視線を彷徨わせた。真剣に考え込んでいる。マギーの珍しい姿にニナも軽く緊張した。

 

 

「赤泥のジルカは、南方の腕利きだ。私はあまり詳しくない」マギーが率直に告げて、ジョージアを見ると、議会衛兵の巨漢は頷いて口を開いた。

「ジルカは、地元に馴染んで標的を嗅ぎ付ける。群衆に紛れる。赤い泥のように。

 破落戸を手懐けて嗅ぎまわる。犬だ。酷く鼻の利く猟犬」

 マギーも、ジーナ・エクルストンも沈黙した。リジィは、何か威勢のいい事を言おうとしたのか、口を開きかけて閉じた。

「貴族領の農村と自由居留地では、勝手は違うが……」ジーナ・エクルストンの指摘に、ジョージアは首を振った。

「分からん。その違いが何処までこちらの優位に働くか」

「迎え撃つなら、こっちは地元、と言いたいが。また、厄介な奴が出てきたものだ」とマギーがぼやくと「今回、人手を集める手は使えん」とジョージアが言ってきた。

「……何故だ?」肘をついたまま、マギーが首を傾げた。

 懐から賞金首の手配書を取り出したジョージアが、緊張に頬を痙攣させた。

 

 

「姫様の賞金額か」マギーが一瞥してから、「……正気か?」眉を顰めた。

「……20000大陸通貨」ジーナ・エクルストンが掠れた声で呟いた。

「私の財産よりも多いな」地区で名の入れた商人マギーさんが渇いた笑いを浮かべる。

 

「大陸通貨……ってことは、マギーの賞金の6倍だね」とニナが瞬いた。

「なに?お前、賞金懸かってるの?」とジョージア。

「ズール銀貨で5000かな?」マギーは「この間のポレシャと遊牧民の戦争で相手の王さまに掛けられた」と肩を竦めて「自由騎兵だの、浮浪傭兵だの、部族戦士だの二、三十人くらいに襲われたよ。殆んど返り討ちにしたけど」事も無げに告げる。

「遊牧民戦争……自由騎兵……あ、月の牙が壊滅したのって、お前なの?」リジィが仰天して目を剥いた。

「おう、ジェレミー・バートランドは手強かった。

 その時は他に腕利き二人いてなんとか凌いだけど、あいつだけは紙一重だったよ」

 マギーの言に「その腕利き、力を借りられないか?」ジョージアは提案してみる。

 マギーは首を振った。

「一人は旅に出て、もう一人はもういない」

「エマはいい人だった」ニナがポツリと呟いた。

「うん」マギーも少しだけ感慨に耽ってから「だから、駄目だ」と告げた。

 

 いずれにしても、名にし負うスネイクバイトのウロボロス。高名な賞金稼ぎで傭兵隊長であったマルグリット・モイラが、戦争時に因縁ある部族王に懸けられた賞金が都市銀貨で5000と考えると、大陸通貨で20000がいかに頭のおかしい金額か分かる。マギーの賞金でさえ、名の知れた略奪者《レイダー》部隊の頭目を大きく上回っているのだから、尋常ではない。

 

 ニナは静かにマギーに寄り掛かっている。徒弟トリスや猫耳ココもいつの間にか、頭目たちを凝視している。リリーは困ったように沈黙を保ったまま、料理を続けていた。

「幾らお姫さまとは言え、小封土の生き残りに掛ける金額じゃないよ、これ」マギーが賞金首の手配書を眺めながら、ぼやいた。

「殆んど戦争の軍資金に近い金額だ」とリジィ。

「しかも、生かして捉えることが条件か」とジーナ・エクルストンも首を傾げている。

「思惑が読めんな。それにしても、しかし……明日はお祭りだって言うのに」マギーはため息を漏らした。

 

 

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