マギーは、まずは身内の結束を固めた。しかし、それでも今回の一件、或いは敗北と言う結末もあり得ると心中、織り込んでもいる。最悪の想定としては、おのれの徒党に深刻な死傷者を出すことであろうが、次点で忌避すべき敗北は、敵工作員――赤泥のジルカに出し抜かれて被保護者『お姫さま』が拉致される結末であろう。
自由居留地圏の多くの町には、法によって言論の自由が保証されている。この場合の自由とは、野放図な罵詈雑言を許す無制限の絶対権ではない。
いかな政治的立場に立とうとも、それだけで公的に罰せられたり、過度な圧力を懸けられてはならないと言う、政治的自由を一定まで保証する権利である。
自由社会に生きる人々にとって至極当たり前に思えるかも知れないが、この自由権を巡っては、明確に言語化し、民衆が獲得に至るまでの過程で歴史上、数多の陣営が血みどろの闘争を繰り返してきた。
とは言え、伝統的に善政が続く王国や貴族封建領においては、外敵や不満分子による陰謀の端緒となりえるし、社会主義国家や共産主義国家にとっては治世を不安定化させる害毒とされる可能性も低くない。いかな理念にしろ、運用次第では危険な道具として用いられる側面は否定できない。自由と言う概念に関しても、覇権主義的な共産主義大国に対して、人々を護る盾とも成り得ると同時に、自由資本主義大国の資本家たちが比較的に安定している他体制の小国を不安定化させ、侵略して経済的植民地にした事例も、歴史上には普通に散見されている。
さて、自由居留地圏の労働者や
辺土とは言え、定住民が千を超え、旅人たちも盛んに行き交う自由居留地ポレシャ市と、封建諸邦連なる閉鎖的な地方の寒村の人々では、扇動に対する耐性も自然と異なってくる。よく解釈すれば、都市部には利巧者が多いとも言えるし、悪く言うなら擦《す》れているとも言える。自由居留地では色々と勝手が違う。赤泥のジルカも、さぞ跳梁しづらいに違いない。
――――
大諸侯とて大領である程、都市や教団、農民代表や有力市民、職工組合、商業勢力――多くの勢力と交渉せねばならないし、或いは他の貴族との間に勢力均衡のバランスも取らざるを得ない。自然、人々の間には諸権利と交渉の為の意識が芽生えてくる。だから、伯爵級などは逆説的に儀礼さえ守れば、庶民とも話が通じることも多い。封建制が自由民主主義の母体であると言われる由来である。
逆に男爵や旗騎士《バナレット》、荘園騎士や村持ちの郷士、豪族などは時に胡乱な人物も混ざってくる。彼ら彼女らは地勢的にお山の大将となり易く、何者もその振る舞いを掣肘しえない。地方権力者や小規模領主ほどに権力行使の自由度が高く、自身の領域内では圧倒的な権力を得る。言わば小さな国における絶対的支配者であるが、これは善政や適切な改革を行いうると同時に、ともすれば暴君にもなりえる。
特に他勢力との交流が限られる閉鎖的な土地が危うい。自制の効いた領主も普通に見かけられるが、極稀に濃縮した毒みたいな人物が冠を被ることもある。山峡や谷間の村。或いは、冬に交流が途絶える台地など、特に他勢力との交流が限られる閉鎖的な土地が危うい。自制の効いた領主も普通に見かけられるが、極稀に濃縮した毒みたいな人物が冠を被ることもある。
一応、遠来からの客人や他所の勢力に紐づいていれば、丁重に扱われることもあるが、礼儀正しく穏やかな笑みを浮かべながら農奴や部下をあっさりと処刑したりするような人物もいて、賓客として扱われていても腹の底は冷えっぱなしである。此方に恐怖を引き起こすのが狙いなら交渉の一環としてまだ理解できるが、客人に無礼を働いたと本気で怒って処刑する人物に至っては、隊商員時代のマギーからすると理解不能な異星人と同じだった。他所との交流の少ない小領域に君臨する人民代表や大統領、主席や書記長。或いは法王、大司教や大神官。社長や農場主、鉱山代表にもしばしば類似の事例が見られる。小君主のひとつの典型である。
その点、行商人マギーちゃんの目から見て、お姫さまの人付き合いは充分に合格点に達していた。ガルダ領は比較的、小さな領邦だったそうだが、百人から千人ほどの国であれば代々、善政に心砕く領主が伝統として続いても不思議ない範囲でもある。
良心的な貴族の治世は、かなり優良な民主制をも凌駕する。とは言え、伝統的善政が成立するのは精々が十万人ほどの小国までであるし、外れの権力者が出た際、穏当に権力を交替させる制度化と言う点で、良く機能している民主制は平均的な封建性を凌駕しているとマギーは結論していた。
姫さまは、世間知らずと言う感ではない。町外れ地区の街並みに関して興味深げに散策しつつも露天商やら棒手振、それに荷運びたちと物怖じせずに言葉を交わし、慣れた感じで自由市場に馴染んでいた。多分に、領地のほぼ全員が顔見知りのような小さな国だったのかも知れない。曠野の似たような小封土で若君や姫君が、農夫や牛飼いと言葉を交わしていた長閑《のどか》な風景も遠目に見たことがあった。もっとも、その小国に関しては、傭兵ウロボロスの手によって滅ぼされているのであるが。
ちらと脳裏を掠めた過去の記憶を振り払うと、マギーは赤泥のジルカについて考える。ジルカのポレシャ到着は、ガルダの亡命者たちに遅れることわずかに数日。
まずは内通者がいないとの前提で、痕跡を辿ってきたか。聞き込みしたか。いずれにしろ、姫さま一行は、八人とそれなりの人数。痕跡も残るとして、北に向かったとおよその動きを把握していても、追跡者としてはかなりの手際の良さだろう。
赤泥のジルカの思惑は読みにくい。裏社会に属する一流の思考など、読めるはずもない。だが、定石《セオリー》であれば、同業の賞金稼ぎとしてマギーにも理解できる。ポレシャ市に目を付けたのは、亡命者にとっても慧眼である。曠野において南からの玄関口では多分、もっとも亡命者に優しい土地だろう。
ここから自由都市ズールに向かうにせよ、ノーラ自由市を目指すにせよ、亡命者・流民・商人・傭兵が行き交う中継点としての安全と、短い休息を得られる地勢が揃っている。隊商や巡礼団、比較的穏当な気性の牧者衆に同行を頼むこともでき、金さえあれば物資の補充も利くし、地図や旅券を購うにしても、あるいは身を隠すにしても、ポレシャは絶好の土地だった。
利点が一つ。ジルカは、マギーを知らない。亡命者の保護に当たる法執行官の存在を予知は出来ない。存在を予測は出来ても、腕前や人柄については予想は出来ない。その点でマギーはジルカに対して有利だった。
此の侭、存在を把握されず、亡命者たちに息を潜めさせる。ジルカ一味を見張りつつ、実際に襲撃に移行した際、逮捕する。そしてジルカの雇い主や伝手が通じないだろう東の流刑地へと送り付ける――と上司である保安官たちには説明するが最悪、殺害もあり得るとは密かに了解を取っておこうと考えていた。
ガルダの亡命者一行を守る為、なにを何処までするべきか。
赤泥のジルカ。正直言えば、縁も怨みもない。
もしかしたら、命の取り合いになるかも知れない。腕利きの賞金稼ぎは恐い生き物だ。正直言えば、安月給でやり合うのは割に合わない。
だが、まあ……ポレシャの下町は、マギーちゃんの縄張りなのだ。其処でよそ者に好き勝手されて、人を浚われるのは面白くない。端的に言えば、面子だった。
愚かしい面子は無用の血を流すが、本来、面子は共同体同士の衝突を避けて、結果として流血を少なくする為にある。奴らは――ジルカとその雇い主は、ポレシャを舐めている。危険を冒しても、ガルダの亡命者一行を守るには十分な理由だ。
それにいかにジルカが腕利きではあろうが、スネイクバイトのウロボロスが怖気を振るい、尻尾を巻いて逃げ出せば名も廃ろう。結局は、面子。面子の為に、黄昏の時代に男の子たちも、一部の女の子たちも曠野に命を懸けるのだ。
ついでに言うなら、ポレシャ市は自由民主主義を掲げている。強い圧力がない場合、簡単には屈しないぞ、と情けないのか、健気なのか分からない宣言が為されているけれど、これを百年、二百年とずっと守り続けてきた。この無法の世にも有言実行してささやかな自由主義の芽を守ろうと言う土地の一つ、二つがあってもいい。
――闇の大地に小さな自由の灯火を掲げるのだ。口だけでもない。市民や労働者がなんとなくでも暮らしやすいのは、自由の空気を好んでいるからだろう。マギーがポレシャ市に居ついて、安月給でも割の合わない危険な任務を時々、引き受ける理由でもある。言ってしまえば、割とこの町が好きなのだ。
――――
ポレシャのマギーは、行商人である。武器も扱うが、服飾も商う。扱う衣類は、市民や正規居住者、それに裕福な職人などが好む上等な代物が多かった。労働時間から言っても、それ以下の襤褸服を売っても大した稼ぎにはならない。薄利多売は、まず前提として大量生産と輸送が可能な社会基盤があって、量販店のような仕組みや店舗を構えなければ成立し得ない。最低でも近世や江戸時代程度の物流は不可欠である。
例えラジオやテレビ、パソコンやバッテリーが街角にひっそり残っていても、 黄昏の世にあって世界は否応なく衰退しているのだ。
取り急ぎ、
「気でも狂ったんですか?」トリスが恐怖で喘ぎながら「継ぎ当てひとつない上等な衣服ですよ?一着で百通貨の価値があります」
「時間がない。取り換えても、誰かが口を滑らすかもしれない」己も服を手に取りながらマギーちゃんは悲しげに、しかし断固として告げた。
「……可愛い娘さんに其の儘に売って上げたかったですね」敢えて汚した服の山を背嚢に仕舞ってから、マギーとその一行は、下層地区でも外れにある自由市場へと足を踏み入れた。瓦礫が転がり、低い廃屋が散らばる外部地区との境界に踏み込むと、値踏みの視線が様々に向けられるも、揃いの防弾・防刃の軍用コートを羽織った一団に、裏通りの武器商マギーと気づいた破落戸が怯えたように視線を外した。幾人かの露天商は、鼻を鳴らして露骨に顔を背ける。
下層地区の住人たちとは、自警団や小さな催しで顔を合わせ、少なからず交流もあるが、外地区ではマギーはあまり好かれてない。市街に隣接する貧民窟ほどに、法執行官を権力の手先と見る向きが根強いし、加えて武器の商いと言うのは暴力の気配が漂うものだ。
さらには外地区や廃市街の小口商人の多くは数年、或いは数十年暮らしても、大きな天幕や泥小屋すら持てないままだ。人の世に妬み嫉みが消えることはない。怪物や野犬の群れに脅え、夜な夜な息を潜めて廃屋の影でやり過ごす者や、武装宿屋に寝床を借りて日々を送る者――長く不安定な暮らしを強いられてきた者たちにとって、若い女商人がわずか五年で四人が屋根の下で眠れる木板と釘、帆布の小屋を築いた話などは、きっと耳障りに違いない。
さすがに露骨な反感を抱いているのはほんの一握りだろうが、それでもあまり良くない傾向ではあった。危害を加える程ではないにしろ、危険な相手に対して情報が流れやすくなるかも知れない。だけど、成功や安定は、必ず誰かの反感を買うものだ。世の中で事業を行えば、必ず誰かには嫌われるものなのだ。 深刻な憎悪ではない、反感や妬みと言った嫌悪感については、誰もが受け入れるしかない。大小の差はあれど、これはもう一人前の大人にはどうしたって付いて回る理不尽な現実だからだ。
初夏の日差しの下、乾燥した土の道に微細な土埃が舞っている。人通りが少ないがゆえに咳き込む程の砂埃ではないが、それでも一日の終わりに帰宅すれば、脚絆や靴は真っ黒に染まっている。自由市場を進むマギーたちは四人。ニナとリジィには留守を任せている。ジーナ・エクルストンは別として、揃いの軍用コートは目立った。普段着で良かったとマギーは舌打ちしたが、しかし、視線が追ってくるほどの者はいない。通りすがりに警戒を孕んだ一瞥をされ、そのまま視線を逸らされるだけだ。
路傍に毛布を広げただけの露店が目に入った。野菜売りの農夫。木工細工と毛皮、薬草を商う猟師。或いは空き缶や空き瓶、針金を見せてくる
マギーたちが踏み込むと、見慣れぬ軍用コートの一団に、すわ、襲撃か!と早合点したか、剣や銃を取り出しかけたが「わたしです」とマギーが星の銀バッジを見せながら、進み出るとすぐに落ち着いた様子だった。
マギーをみとめた姫さまと爺やが寄ってきたので「追手が来ました」マギーは声を潜めながら、端的に切り出した。
「追手は赤泥のジルカ。ご存じで?」尋ねてみれば、南の地ではやはりそれと知られた腕利きらしい。爺やが息を呑んだ。
「……知らいでか」苦い声の呟きが返って来たので、敢えて汚した服を取り出した。
「皆さんには兵士を止めてもらいます。
汚しはしたものの、袖口の解《ほつ》れもなければ、布の継《つ》ぎ当てもない。自由労働者、或いは
それでも若干の違和感は漂うだろう。が、亡命者たちが今、着ている南方仕立ての綿のペチコートにロングドレスや、厚手の兵士服よりは随分と自由居留地の雰囲気に馴染むに違いない。
「……妙な服じゃな」夏用の麻の服、それに羊毛《ウール》スカートを手に取ったお姫さまが、興味深げに貴人言葉で呟いている。侍女と男装の小姓も手に取って、此方は少し楽しげに服装を選んでいた。女兵士は少しチラ見してくるが、座ったままだ。
南方貴族は、会話の抑揚や使う単語までが庶人とは微細に異なっている。一方、商人勢力の方がより古くて強い自由居留地圏などでは、古い血筋の豪商家系こそがやや言語が異なっており、貴族たちは侯爵さえも、上品ではあるが庶民とさほど変わらぬ言葉遣いをしている。日常的な交流が限られるほどに上層、かつ古き家系には、時として驚くほどに古い時代の言語が残っているものだ。
「それで、ジルカめは何人引き連れて参った」性急な問いかけに対し、マギーは爺やの物言いを咎めるように鋭い視線を向けた。
「ご老人、私はガルダ領の家臣ではなく、自由居留地の法執行官であることをお忘れなく」いちいち釘を刺しておかないと調子に乗る人物もいる。
爺やがそうとも限らないが、この状況でマウントを取り始められたら面倒なことになる。関係の修正にも時間が掛かるのだから。
「わ、分かっておりますぞ。何人、引き連れてきたのですかな?」爺やは少し狼狽しつつ、素直に言い直してきた。可愛い。
マギーは頷いて「現状、ジルカと思しき人間を含めて三名」と説明する。
「僅か、それだけか。ならば、我らが叩っ切ってくれる」腕に包帯を巻いた若い兵士が勇ましげに声を上げた。隣に座っている目に包帯を当てた兵士は沈黙したまま、粥のお皿を抑え、もう一つの手が木箱の上でスプーンを探していた。
「ただし、後続や別動隊がないとは、確認できていません」水を差したマギーの言に若い兵士が悔しげに舌打ちする。短慮なのか、勇猛なのか。どちらにしろ、やや要注意だ。
「どうしても、市内で私戦を行いたいと言うのなら、仕方ありません。どうぞ、ご勝手に」敢えて突き放してみたマギーの言に「その場合、手助けもなしですね?」女兵士が不安げに微笑みながら、尋ねてくる。
「住人と建物を巻き込まなければ、市当局は一切、干渉しません」マギーが肯いていると、隻腕の騎士が苦痛を押して身を起こし「保安官に従いましょう。現状ではそれが一番、良さそうだ」発言してきた。
馬鹿ばかりでもないようだ、と頷いたマギーは、賞金首の手配書を取り出して、姫さまと爺やだけにそっと見せてみる。騎士にも見せて大丈夫とは思うが。
「破落戸やチンピラどもに間に、これをばら撒かれると拙いことになります」
己の賞金額を見たお姫さまが、息を呑んでいる。それはそうだろう。
こんな金額を首に懸けられたら、マギーやジョージアだって腰を抜かす。
声をギリギリまで潜めながら「20000大陸通貨です。仲介者もいない賞金なんて、実際に支払うかは不明ですが、馬鹿は鵜呑みにして動くでしょう」
告げてから、ハッと何かに気づいたマギーは尋ねてみた。
「……もしや、既に誰かが、兵士の格好のまま買い物に行かれましたか?」
うむ、と渋々、爺やが認めると「アウトー」「にゃあー」徒弟トリスと猫耳ココが小さく囁き合い、くすくすと笑いあった。
「トリス。ココ。失礼だよ」マギーに注意されると「だって、追われてるのに目立つ格好で……」言い訳するが「トリス」マギーがため息をついて二度めに名を呼ぶと「はい。親方」トリスは素直に頷いた。
「無礼な猫と一つ目小娘め。
わしの孫だったら、柳の鞭で尻を引っ叩くところじゃ」
暗にそうしろ、と言ってるのかな?と思ったが、マギーは徒弟たちを咎めなかった。マギー自身も、ガルダ人たちの行動は、いささか間が抜けていると思っていた。 「取りあえず、皆さん。着替えてください。革鎧も普段は木箱に仕舞って」ニナが言い「……襲撃されたら、どうするつもりですか?」若い兵士が不満げに言うも「それよりも目立たない方が重要です」マギーは変装を強く勧めた。
「ポレシャ市は市民街区に門前、中町、町外れと別れていて各々が小さな町になっている構造です。近隣農村や農場も含めれば住人も優に二千を超えるでしょう。加えて、外地区や廃市街にも住人は住んでいます」マギーはポレシャ市の構造を説明しながら、言葉を付け加える。
「地区と地区の距離。農村や農場の散らばりに外地区や廃市街でも怪物が出る一帯の居住区の隠蔽。此処から一集団を探し出すのは容易くありません。亡命してきたばかりの少女貴族が、外地区との境界に潜んでいるとは中々に思わないでしょう」
保安官助手の分析は、おおよそ妥当にも思えたが、隻腕の騎士が手を上げると、口を開いた。「……逃亡者が真っ先に潜みそうな場所ではあるが」
「南方諸邦のお姫さまが外地区や廃市街に?
貧民窟は、性質の悪い女衒や破落戸が屯し、巨大蟻や巨大鼠、時に変異獣や屍者が出没します。逃亡者が奇手を取るのは、フィクションだけです。まず、当たるとすれば、農場や農村に知己がいないかを足で廻って確認するはずです」
そもそも、追手側には姫さまたちがポレシャ市で留まっていると言う確信があるのか。まずは其処に疑念を抱いているマギーだが、一方ではその断言が油断なのか。それとも確信なのかも、亡命ガルダ人たちにはうかがい知れないようだ。互いに知り合ったばかりの状況に、亡命ガルダ人たちは戸惑って顔を見合わせつつ、それでも取りあえず保安官助手の指示に従うと決めたようで、男女に分かれて着替え始めたのだった。
※※※※
曠野と文明の狭間には、およそ三つの境界地帯が存在している。ポレシャ市の町外れ地区のような行政地区と外地区の境目。外地区と廃市街の狭間である、比較的に安全な廃市街。そして廃墟領域と辛うじて人が暮らしていける廃市街の狭間。
言うまでもなく、より外側に近い領域ほどに危険な土地となり、日常的に最後に出入りするのは、廃都市探索者《ルインハンター》や遺失技術探索者《テックハンター》、それに都市鉱夫や
一口に外地区と言い、自治区と分類されようとも、場所によって住人の暮らしに大きな幅があるのは世の常だ。例えば、ポレシャでも行政区市街と隣接している自治区などには資材や人手、職人などが流れ込み、バリケードや土嚢、土塁や瓦礫を積んだ手製の壁が要所を守るように構築されている。
町外れ地区のように路傍で午睡などは出来ないにしろ、それでもいきなり街路に屍者や変異獣が飛び出してくる心配などしないでいい。ひと気の少ない路地などは野犬や巨大鼠、大型の虫などが飛び出してくることもあろうが、通りに逃げれば滅多なことは起きない。仮に屍者などが出ても、自警団の廻り番たちが早々に対処してくれよう。屍者に噛まれた、引っ掻かれたと疑われれば、しばらくは隔離もされようが、少なくとも人が優勢な土地に恐慌や混乱、暴動は滅多には起きない。
これが、防壁の外――郭外地《フォーブール》に位置していると緊張の度はかなり高まる。全般的な、或いは幾つか要地の防備を張り巡らせるだけの資材は足りず、見張りの人員や武器、弾薬も欠乏しがちである。自然、主要な一帯を守る為に資源を集中して、安心できるのが一握りの通りや建物、或いは十字路などに成りがちだが、それでも自治区は全体として人の領域として認識されている。通りを隔てて屍者や変異獣、巨大蟻などがうろつき、或いは建物に巣食っていようと、別の建物に根城を築けるかもしれない。鈍間な屍者たちが彷徨う路地の近くを素早く駆け抜けるのが日常だとしても、人々は取りあえず、地区の何処にでも足を運び、安全が確保された小さな市場で買い物し、仕事に向かい、酒場で語らい、日々を過ごしている。外地区の地区たる所以である。
廃市街は、比較的に安全な廃墟区画を再利用し、廃墟生活者たちが暮らしている一帯を差している。そして危険な外地区と、安全な廃市街は紙一重である。
市政と多少の交流を有し、幾らかの税や労役の対価として立ち入りや住民の保護、武器や物資の支援を受け取る外地区もあれば、住人が責務と拘束を嫌って廃市街を自称する地区もあって、何処からが外地区で、どこからが廃市街なのか。境界に位置する区画の場合、それは全く住人の自称や認識に拠ってしまう。得てして、外から来る旅人は境界を見誤りがちだが、熟練した旅人であればそれほど戸惑うことがない。
強力な廃市街は、比較的に安価、かつ安全に物資を調達し、寝泊まりすることができる生命線だからだ。
そして曠野と都市。法秩序と無法が入り混じる境界――外地区とも廃市街とも言い難い区画のいかがわしい酒場においては、様々な人種が坩堝のように出入りし、混じり合いながら、時に情報を取引し、密輸品を出入りさせ、時として違法な品々までが取引されている。
市街や外地区には出入りできない無法者《アウトロー》や密輸商人が柱の後ろで静かに囁き合っている。変装した低額賞金首と賭博師、無宿人がカードやサイコロに興じ、隣の席では娼婦と阿片売り、闇医者がこそこそと話し合っている。
ずんぐりした鉱夫が武器商人と古いリボルバーの値を巡って口論を重ねてる後ろの席では、家畜泥棒が暗闇に身を潜め、すぐ背後を牧童や牧者たちが人を探しながら通り抜けた。偶さか、再会した遊牧民と蛮族が過去の因縁に睨み合い、邪教徒と漂泊民が盗人組合の乞食を仲介として神殿から掠めた品を取引している。身代金代理業者が有力な隊商の代理人と話し合い、隊商の護衛が業者を睨みつけていた。
廃市街とも外地区とも付かぬ瓦礫の転がる街並みの一角、廃ビル二階に縄梯子を伝って入る、存在を知らねば気づかぬような酒場がひっそりと佇んでいる。
店主は、市民モンド。モンドの酒場と呼ばれている。元々、若い頃から必要なことさえも滅多に喋らない寡黙な男と知られており、四六時中を廃市街や外地区、時に廃墟を歩き回っては、どぶろくや密造酒の味を比べ、古い酒瓶を集めたり、密造酒作りの一味と知り合って交流していた。
当然に巨大蟻の群れに追われて、腕や尻を切り裂かれたり、商売敵と誤解した密造酒作りに銃で撃たれ、屍者に引っ掻かれて高熱を出し、間一髪で抗体を打たれたこともあるが、狂ったように廃墟歩きと酒探しに没頭し続けた。見つけた古い蒸留器を組み立て直し、廃市街の比較的に安全な二階に小さな塒を構えたのは、酒が集まってくると考えたのと、古い馴染の旅人たちを穏やかに迎える為でもあった。それが二十年以上も続けるうち、何故か客層が広がり続け、今では怪しげな客層の集まるいかがわしい酒場になり果てている。
縄梯子が揺れた。二人組が入口に姿を見せる。酒代のツケが溜まり、いつの間にか用心棒に収まっていた入口のガンマンが椅子に座ったまま、首を傾げる。見慣れぬ二人組に、店主は胡乱な視線を向けた。曠野の何処ぞから来た気配ではない。ガンマンも、鼻を二度鳴らした。よそ者の匂いが漂ってくる。
それも曠野のよそ者ではなく、果てからの旅人の匂いだった。
「水を二杯」と頬に赤い入れ墨の女。それとも戦化粧を施してるのか。微かに視線を細めたモンドに注文してきた。先払いだと壁の値段を示す。
「高いな」との反応に「いやなら、他所に行きな」ぶっきらぼうにモンドは告げる。
「お釣りはくれるんだろうね」女が小粒の銀を出してきた。
銀の粒を本物と見定めてから、大ぶりの銅貨を数枚、取り出してカウンターに乗せて、そして背後の棚に並んだ瓶から透明な水をコップへと灌いだ。
見慣れぬ二人組は、一息に飲んだ。
「あぁ、もう無くなっちまった。もう一杯くれ」
先刻よりは安い値を告げて、別の瓶を取り出した。
「おい、なんで瓶を変える?」痩せた男の方が尋ねてくる。
「最初のは、井戸水だ。こっちは湖水を濾過して煮沸したヤツ。
味わって飲まないなら、こっちで十分だろう。半額以下だ」とモンド。
「いや、井戸水をもう一杯ずつくれ」女が指を二本立て、注文してから、身を乗り出して「ぺぺはいるか?」愛想がよく、明るい声で聴いてきた。
店主モンドは、胡散臭そうに二人の客を眺めると「……何人かいる」とだけ低い声で返した。
「ジョナサン・ぺぺ。名前じゃなくて苗字だ」色黒の男の方が「友だちなんだ」と真偽を確かめようのない言葉を吐いてきた。
値踏みの視線を二人に注いでいたモンドが「荷運びのペペなら、あっちだ。席じゃない。床の毛布に座っている」親指で示すと、女が「ありがと」と小粒銀を弾いてきた。モンドの傍らのカップに音を立てて落ちる。
「良い店だな。壁に値段が描いてあるのがいい。気にいったよ」と告げた男の背中に向かって、「そうかい。紳士淑女の方々に気に入ってもらえて、光栄だぜ」二人組はモンドの言葉に微かに笑いながら、素焼きのコップと空き缶に針金製の取っ手を付けた杯を抱えて奥へと近づいていった。
モンドは視線で背中を追った。よそ者は騒動を引き起こすだろうか。いや、探しているペペは大人しい男で、トラブルを呼び込む性格ではない。モンドは首を振るい、カウンターを布巾で拭いた。余計な考えだ。酒と仕事の事だけ考えていればいい。
――――
Tips
曠野の似たような小封土で若君や姫君が、農夫や牛飼いなどと言葉を交わしていた長閑な風景も遠目に見たことがあった。もっとも、その小国に関しては、傭兵ウロボロスによって滅ぼされているのであるが。
パトラ領 パトラ領主はリゲルを狙った。
息子は婚約者だが、結び付けるよりも滅ぼした方が話が早い。
リゲル領 お姫さまがあとを継いだばかりの国。
パトラの領主に狙われた。
傭兵ウロボロスとスネイクバイトたちを雇った。
侵攻軍を撃退したのみならず、アフターケアも万全だった。
パトラ領の軍の過半と城を攻め落とし、
領主の一族に関しても処理してくれた。
「もう、そちの顔など二度と見たくない!下がれ!」
「ウ、ウロボロス殿、姫さまは興奮なされているのです」
リゲルの姫とパトラ領の若君は婚約者で、姫君とも仲が良かった。
人はどうしたって、二つに一つしか選べないし、守った相手に憎まれる結末もあり得る。