黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_90C 自由市場

 浮き立つような初夏の陽気で、雑踏の空気も心なしか和やかに揺蕩《たゆた》っていた。晴れ渡った蒼穹の彼方では、西の山塊に雪を冠する峰々が流れる叢雲《むらくも》を千々に切り裂いている。

 地面むき出しの街路にはどうしても土埃が舞い上がり、澄んだ空気とはいかないが、それでも街路には色とりどりの布で飾られた露店や屋台、天幕の店舗が散見され、時折、吹き付ける心地よい涼風に旗が棚引いていた。

 

 徒弟トリスは、掌の内に数枚の銀貨と銅貨を弄んだ。硬貨が高い音を立てる。相棒のココは、朝から串焼きを買い漁っていたが、流石に飽きたのか。今は食べきれない串焼きを紙に包んで持ち運びながら、誤魔化すように掌を猫のように舐めていた。

 

 小遣いを握りしめた子供たちが通りを駆け抜けていく。まずは子犬、それに家鴨ががあがあ鳴きながら追いかけている。祭りに合わせてドラゴンや狼、猫の着ぐるみで仮装をした子供たちも駆け回っていて、楽しげな笑い声が響き渡っていた。若者らしく手持無沙汰なトリスだが、もう少し若かったら犬や猫、謎めいた毛玉みたいな生き物と一緒に駆け回りながら、無邪気に夏至祭を楽しめただろうか。

 

 曠野の豊かな居留地でも滅多に見られない平和な風景ではあるが、しかし、物陰に視線をやれば子犬や家鴨、それに野良猫などを怪しい目つきで追いかける旅人の姿も見かけられた。後ろ暗い連中は、日陰でもフードを深く被って顔を隠し、大抵、二、三人で行動している。戦利品を入れる頭陀袋や大きな鞄を手近におくか、隠せるマントをしているのですぐに分かる。

 

 ポレシャ市では公的に人身売買が禁止されており、未成年の拉致・誘拐は死罪を含む厳罰対象なので奴隷商人は勿論、人買いでも大手を振って歩き回れないが、それでも大きな都市の煙突掃除や鉱山の子供鉱夫、廃墟上階に送り込む廃墟漁り(スカベンジャー)などに需要はあって、健康な子を口減らしや契約の形で連れ去ろうと目論む人買いは絶えず忍び込んで来るし、子犬や猫など食肉にしたり、番犬への調練、鼠取りの用途に愛玩用と、どこの土地でも売れるものだ。祭りの日とは言え、見知らぬ人も大勢入り乱れる雑踏には周囲の大人らの用心も必要だろう。

 

 路地をうろつく浮浪児の姿も、ちらほらと見られる。連中に限っては、人狩りの毒牙に掛かることは少ない。こん棒やナイフを持ち、凶暴で徒党を組んでいる。

 それもしても、廃市街や外地区を塒《ねぐら》とする連中ならトリスがおおよそ知っている筈なのに、見ない顔も混じっていた。トリスの生まれ育ったのは近場の廃市街だが、スリやかっぱらいが起こす騒ぎも、心なし以前より増えてる気がする。

 

 

 トリスは、変異者の少女である。もう二、三年ほどで若い娘と呼んだ方がいい年齢に差し掛かる。普段は大きな単眼を隠すためにスノーゴーグルをつけている。

 露骨な迫害はないけれど、差別心と言うか。どうしても嫌悪の表情を向けてくる者もいた。それは仕方がない事だとトリスは思っている。一神教の一部宗派やその領域などでは、変異者が見つかると火あぶりにされかねない。

 

 おっかない土地もあるものだが、ここは自由居留地圏。事にポレシャ市ではさほど問題にはならない。隣を歩いている相棒ココは頭の上に猫耳が動いているし、牙も尻尾も付いている。屋台には鱗を持ったお姉さん。ターバンに三つ目の旦那。四本の腕でジャグリングを行って見せる旅芸人。

 

 彼方の土地には、まったく姿かたちの違う種族もいるらしい。大昔にばら撒かれた細菌兵器が人の遺伝子を変異させた結果だとか、戦争用や愛玩用に創造された人工生命体の子孫だとも、或いは異なる世界が重なり合った時にこちらへ来た種族の末裔だとか言われている。分からんし、どうでもいい。

 大抵の種族には、いい奴もいれば、悪い奴もいる。悪党ばかりの連中は、そんなにいない。もっとも中には僅かな顔見知りが全員救いようがなくて、お近づきになりたくない種族や部族もいる。あるいは、トリスにもいくらか偏見はあるかも知れない。

 

 意外なことだが、変異者の多い廃市街よりも町外れ地区。町外れ地区よりは市民街区の方がトリスへのあたりは優しかった。生活に余裕があるからか、それとも単に偏見を表に出さないだけか。それでも少なくとも、ポレシャの市民階層が礼儀正しさを持っていることだけは間違いない。

 

 運が良かった。鉱山や廃墟漁りに使い潰されることもなく、既に大人に差し掛かって誘拐される恐れも消えた。地区でも指折りの行商親方に引き取られた。

 変異者であれ、なんであれ、今のトリスと猫耳ココは親方マギーの徒弟で、使い走りの丁稚小僧――ではなく手代である。

 数百都市通貨の現金や商品を扱い、定職持ちで賃金も週給で貰っている。

 半分子供でありつつ、時々、蚤の市の商人同士の場所割などではまったく一人前の人物としても扱われる。

 

 古くから、社会からの扱い――地位が人間を形作ると言われている。

 高度文明の名残漂う黄昏の時代(トワイライトエイジ)は、それでも中世や近世より随分と優しい時代で、二十歳、三十路を過ぎて遊んでいてもそれほど五月蠅いことは言われないが、徒弟トリスも、猫耳ココも、もうすでに廃市街の浮浪児でも、農村の逸れ者でもない。昔の知己が目の前にいても。

 

 

 路上に人出は多く、相も変わらず廃市街や廃墟に潜み暮らしているのだろう、昔馴染みも幾人かは見かけた。

 変わらぬ顔もいれば、見なくなった者らもいる。そして皆、一様にやつれている。

 痩せた土壌に根菜や小さな野菜の畑を耕し、ガラクタや鉄くずを拾っては小銭に替え、雑穀の薄い粥やパンで口を糊する暮らしに痩躯を保ったまま、殆んどの者は相変わらず、危険と隣り合わせの日々を生きているようだ。祭りの雰囲気に多少は出店や催しを楽しみながらも、鋭い目つきは油断なく、受け取った配給の甘味やら酒やらを盗まれまいと懐に抱え込んでいた。

 

 多分に巨大蟻の仕業か。それとも人間同士の抗争で矢傷でも負ったか。利き腕や片足を失い、乞食に零落《おちぶ》れた同年代も路傍には寝転がっていた。

 時折、そうなった知己を見かける。ポレシャ圏が比較的に安全寄りな土地と言えども、曠野はどうしたって屍者が徘徊し、変異獣が咆哮する無窮の辺土の一角だ。

 市民街区であれば、大きな怪我をする人は少なく、機械式の義足や義手でさえ時折は見かけるし、農村や下層地区。せめて外地区であれば、身内に助けられつつ、義手や義足で働いている人の姿を見かけられるも、廃市街の住人では、そう長く見かけることも滅多にはない。誰かを見かけなくなるたび、野犬や屍者、変異獣が彷徨う土地と隣り合っているのだと、トリスも強く思い知らされる。

 

 変異獣や屍者の仕業ではないとトリスは推測する。変異獣の脚からはそう滅多に逃げきれないし、屍者に噛まれずとも、腕や足を落とす程にひっかき傷が病毒で悪化しては、例え、親切な医者に助けられても、廃市街の医療で助かるとも思えないからだ。

(……綺麗に切断された怪物ならば、巨大蟻かな)トリスは一瞬で目を逸らした。

 路傍に座り込み、絶望さえも枯れ果てたような虚ろな目で眼前を眺めている。こちらに気づかなかったようなので、トリスも無視して通り過ぎた。親しくもなかった相手に、縋るような眼を向けられても困るからだ。

 

 浮浪児の徒党から、順調に廃墟生活者に。時折でも掃除や土木、或いは雑用などの半端仕事を請け負うものは、少しだけまともな装いをした浮浪者《ホーボー》に。

 廃市街の痩せた土壌に根菜や小さな畑を耕し、ガラクタや鉄くずを拾っては小銭に替える。雑穀の薄い粥やパンで口を糊する暮らしに痩せた体つきのまま、目つきだけは飢えた光を湛えながら痩せ犬のごとく薄暗い細路地や廃市街の廃屋を徘徊しているのだろう。

 

 廃墟生活者は廃墟に潜み暮らし、仕事は持たず、労役にしろ、現物・現金にしろ、殆んど税を払わない。代わりに庇護も受けない。

 生活は不安定だ。飢饉や凶作までいかずとも、不作の年でさえ、露骨に影響を受けて餓死者を出すこともある。それでも、大半は喰い繋いではいる。廃墟でも浅い場所の古い庭園や公園、邸宅の裏庭や屋敷跡など、めぼしい空き地には誰かしらが種をまいて畑として利用していることも少なくない。農村ほどには収穫は多くない。貧相な野菜と穂の少ない麦は、しかし、痩せた土壌でも実る芋や雑穀、かぶらに根菜と採れるものは少なくない。

 

 地下で茸を栽培したり、豚に犬。大鼠を買うものもいる。当然に旨くはない。鳥や鼠と言った小動物の肉も貴重な蛋白質だ。だが、それは真っ当な方法に類している。

 露店の売れ残り、野菜の傷物を小銭で買い取ったり、残飯を物々交換や労力と引き換えに貰うものもいる。食べるものもいれば、それをまた売ったり、動物の餌にしてもう少しまともな食事を取る者もいる。

 

 案の定、徒党は小さく割れたようだ。浮浪児の徒党など、よほどに頭目が上手く手綱を取らなければ、生活習慣の似た者らとだけ付き合う方が利点が多いからだ。

 一人前が二、三人も揃えば、仕事も見つかるし、寝床も確保できる。怪物からも身を守れるなら、子供のように大勢で行動して食べ物を分け合う利点も小さくなる。

 

 さもなくば、ムーア兄さんのように行商人から品を流してもらい、大々的に商売を行う。あとは、資材を集めて廃市街に小さな安全地を確保し、酒場なり安宿なりを経営するか。つまりは、経済的な町の下請けに移行するのだ。そういう出来物が同時多発に何人か生まれて集まれば、廃墟の一角を取り仕切りつつ、比較的に安全な地域が生まれて、地区が生まれる事もある。

 廃墟領域が廃市街に。廃市街が外地区に。小さな居留地の誕生だ。

 安全な建物が複数できれば。通りを安全に歩けるならば。治安組織と繋ぎが出来、利害が調整出来て、有力者や徒党同士が折り合いを付けられれば――。

 

 

 

――――

 

 

 

 少し歩き疲れて、トリスは自由市場通りに設けられた瓦礫のベンチに座った。猫耳ココが、食べ飽きた肉の櫛をこちらに寄越してきたので、受け取りつつメモ帳を取り出した。

「……七……八人」無事だった知己の名前と、見かけた場所と歳月と共に記していった。乞食、浮浪者《ホーボー》、廃墟生活者。それでも一番、まともな服を着込んでいたのが荷運びをしていた男女の二人組だ。

 

 頑丈そうな厚手の服は繕いや継ぎ接ぎも多かったけど、きちんと洗濯されて嫌な臭いも殆んどしてこない。かつては対立していた徒党として、殺し合いに近い喧嘩もしたけれど、もはや悪童ぶりは息を潜め、町外れ区に暮らす自由労働者にしか見えなかった。

 祭りに晴着を着ているトリスを見かけると、気づいて目礼してきた。トリスも沈黙のまま、目礼を返した。

 そのうち、昔のいやな記憶が互いに薄れたら、数年後には立ち話くらいはする日が来るかもしれない。(いずれ、いつかは……)そう思いながらも、今はまだ、トリスは特に振り返らなかった。男女もまた、荷を肩に担いだまま人波の中へと紛れていった。

 

 

 

 夏至祭最中の自由市場は、意外にもそれほど盛況な様子でもなかった

 もともと、市場通りの露天商や屋台商人の大半は、地元農民や職工らが兼業として行っているもので、手仕事の小遣い稼ぎや趣味で開いてる店も少なくない。数年ぶりに開催される祭りなら、稼ぐよりこの三日間を楽しもうと考える者たちがいても自然なことだろう。勿論、副収入として家系を支えているものや露店を本業としている商人、あるいは人に使われている者など、世知辛い事情で祭りを楽しむ訳にもいかない者も多かった。

 

 とある廃墟漁り(スカベンジャー)の一党など、市内に入るまで今日が夏至の日と言う事も忘れていたようで、顔を見合わせていた。祭りは楽しみたいが人手が多い開催中は、商いにとっても絶好の好機である。結局、時間ごとに店番を決めて、順番に祭りに出かけることにしたようだ。

 

 残っているのは不愛想な割れ眼鏡の娘さんに、作業着の若者の二人組。

 客引きをするでもなく、眼鏡さんはネイルガンを整備しているし、作業着の若者も本を読みこんでいる。並んでいるのは正体不明の機械ばかりで説明書きさえないのだが、それでも、目の前にずっと機械を弄ってる客の青年がいた。

 洒落た絹の黒服を着込んだキャロル・スタンフィールドは、市内の両替商でかつ、祭りには遠来からの来訪者が多いので稼ぎ時の筈だが、ガラクタの機械をひどく熱心に覗き込んでいる。

 

 背後には、両替商が飼ってる変異犬のアキレウス。蠍の尻尾を持ち、しかも、凍土狼のように巨大な犬だが、首輪をつけて大人しく座り込んでいた。同じく首輪に犬耳カチューシャを付けた押しかけ秘書兼愛人のメリッサ・グランフィールドが近くの屋台でボウル一杯の粥を買い、目の前に置いて撫でると、勢いよく食べ始めて、あっという間に空にしてしまう。

 

 

 親方マギーと親しく付き合いのある富裕層なので「スタンフィールドさん」トリスは恭しく声を掛け、頭を下げる。

「ええ、と。ああ、うん」向こうは煩わしそうに一瞥してから頷いた。普通なら世間話をするところだが、機械に夢中な青年の邪魔はしない方がいいだろう。

 無礼と言っていいが、何かに夢中になってるスタンフィールド氏は、議会の重鎮パオロ爺さんや友人マギーにも同じ対応をしてくる。

 社交性にやや欠けているが、悪人ではない。ポレシャ市にあるラジオの幾らかは青年が修理したもので、両替商なのに技術が高い。いや、逆か。技術の勉強をできる資金と余暇を持っている人物だった。

「分かったぞ、小型の蒸気機械だな。それも蒸気機関車の模型に乗せる為の奴だ!」涎を垂らして――本当に――キャロル・スタンフィールドが叫んだ。

「木炭では無理だな。泥炭。レール。鉄がな。ううん。木製レールで湖まで。いや、割に合わないか」鼻息を荒くして円筒状の鉄ボイラーに頬ずりしながら「惜しいなぁ。まあ、いい。あとで人を寄越すから取っておいてくれ」

 

 

「うちの荷車が帰ってきたら、届けてもいいけどね」とドライバーを胸ポケットに仕舞いつつ、眼鏡娘が提案する。

「なら、頼む。ああ、それと見つけた時の状態や場所。例えば、博物館なのか。それとも、工芸展や玩具屋なのか。誰かしらの屋敷かなんかも聞きたい。予備部品もあるかも知れんしな」スタンフィールド氏は、小型蒸気機関を眺めながら、呟いている。

「情報代は別にもらえるかね」眼鏡娘が言うと、作業服の青年「おい、お得意様だ」と窘めた。

「ああ、そうだな。了解だよ、旦那。紙に纏めとく。祭りが終わってからでいいかな?」

 

 どうやら、両替商と廃墟漁りたちは、以前からの顔見知りのようだ。邸宅の場所も聞かずに頷いた廃墟漁りたちが売約済みの札を張っている前で、手付金の支払いを済ませたスタンフィールド氏が鋭い視線をトリスへ向けてきた。

「おう、トリスだね。確か、マギーちゃん……いや、マギー親方の。そうだ、親方に電子部品を廻すように言ってくれないか?最近、どうにも品薄で」短兵急に注文を付けるスタンフィールド氏。整流器やトランジスタくらいなら工業都市で今でも細々と生産されているが、初期工業レベルの半導体すらも貴重で、遺跡の機械だけでなく現代製品からも回収されている。

 

「電子部品だったら、北のツァリオ市の連中が買い漁っています。あすこは交易都市だから、普通に他所に良い値で転売してるんだと」徒弟のトリスは肩を竦めつつ、最近の品薄について説明する。

「ツァリオからここまで来るの?

 あの子は、どうにもそういう話もしてくれないからなぁ」マギー親方について、なにか愚痴っているスタンフィールド氏。以前からの友人だそうなので、トリスは人間関係には口を挟まない。

「それとアルゴーの農民たちも」補足で説明を加えると、スタンフィールド氏は片目を薄く開いて考え込むが「ええ?鍋や鎌の鉄にも事欠く連中がなんで電子部品なんか欲しがるの?」口調だけは軽薄に尋ねてきた。

「ツァリオ方面への道中だから、多分にツァリオの商人に転売しているかと」トリスは推測ですが、と付け加えておいた。

「……アルゴーの純朴な農民連中にツァリオの交易相場の知識がね。

 さて、誰かが入れ知恵したかな?」とスタンフィールド氏は後半、低く小さく呟いた。

「半導体を求めて、同じことを言っておられたお客様が他にもおられました。

 親方は、ポレシャ市の顧客に売る分は、確保してあるはずだと。それと他所への売却にプレミアを付ける事もしないと。値上げはしないと言ってました」

 

 

 

 さて、奇妙な話ではあるけれど、市民街区の商店や門前町の蚤の市であまりお目に懸かれず、町外れ地区や農村の定期市などで入手しやすい品もある。入場許可を持たない廃墟漁りが持ち込む機械類であったり、狩人が持ち帰るある種の蛙や猫科、変異獣などの腺分泌物だったりする。その為、ポレシャ市くらいの町だと、催事の際に他所から持ち込まれる掘り出し物目当てに、市民や農場主などが自由市まで足を運ぶことがあった。変わったところでは、自由都市で医師や調香師と取引している腕利きの狩人団も曠野を彷徨っているそうだ。

 

 両替商スタンフィールド氏は、ポレシャの有力市民でかつ市参事であった。変人ではあるが、気さくな人柄であり、町外れ地区は自由市場の顔役たちも、気づくや挨拶へとやってくる。ラジオや無線機、電気ストーブに電灯を修繕できる技術者は、小さな都市には貴重な人材であるし、なによりマギーと付き合った(寝た)男なので、特に他の男からは尊敬されている。トリスの親方マギーも行商人だが、凄味が漂う美人であり、遊牧民戦争の際には両手の指に余る人数を殺している。スタンフィールド氏も、先年の遊牧民との戦争に参加した他、無法者たちと対決しており、肩に傷を負っている。結局のところ、男はどうしてもそういう武勇伝を評価するのだ。

 

「男の人ってそういう話好きよね」トリスのぼやきに「ふにゃ」とココが相槌を打った。商売や景気の話を織り交ぜつつ十分ほど世間話をしてから別れを告げて、二人は再び、自由市場をぷらぷらと歩き出した。手持無沙汰なトリスは、他の廃墟漁りや花売り娘らの屋台を覗いてみた。薬草や香草、燻して使う草や苔、瓶に詰めた黴なども売っている。それらは医療品や虫よけにもなるし、ある種の陶酔をもたらす禁制品も売られている。ココは猟師や農夫の露店を覗いていたが、毛皮やら苗木には興味を示さずに、肉や野菜の簡素な料理などばかりを買い漁っていた。

「よく食べるけど、デブネコにならないでよ?」

 流石に食べ過ぎでは、と眉を顰めるトリスの注文に、ふにゃあ、と答えたココが何かに気づいたか。猫耳をピクピクと動かし、やってきた方角へと視線をくれた。

 そちらには、まだスタンフィールド氏一行がいる筈であった。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 遠来からゴトゴトと妙な物音が響いてくる。スタンフィールド氏が顔を上げると、通りの向こう側から荷車が近寄ってきていた。荷車にはゴムタイヤが付き、犬橇のように大型の犬たちが曳いている。

 荷台には豪奢な椅子が設置されており、パグ犬を抱きかかえた女性が足組みしながら腰を掛けていた。年齢は二十代の後半か。羽の付いた白いトリコーン帽に乗馬ドレスが似合い過ぎるほどに、似合っていた。

「あら、キャロル・スタンフィールド市議」通りすがりに声を掛けてくるので、胡散臭そうに視線をくれたキャロル・スタンフィールド氏は嫌々と挨拶を返した。

「やあ、シエル・ガライ市議。誰かと思えば……」

 

 と、アキレウスに三杯めのご飯を上げていた秘書のメリッサが「市内では馬車や馬の騎乗は、法執行官以外は禁止されていますよ」注意する。

「明記されてるのは馬の引く車。これは犬が曳いてるのよ」楽しげにシエル・ガライが返答した。

「法の意義を曲解しやがって」

「曲解じゃなくて解釈よ」さらりと受け流したガライ農場のシエル女史は「それにしても相変わらず趣味の悪い怪物を飼ってるわね」スタンフィールド氏の愛犬を眺めて、辛辣に決めつけた。

 

「聖帝サウザーみたいな馬鹿な荷車に乗ってる君に、趣味の悪さ云々を言われたくはない。あと、俺の愛犬には、手出しをさせないぞ」スタンフィールド氏の後ろにアキレウスが隠れる。ギークかつナードの趣味を持つスタンフィールド氏は、漫画本も収集している。

「サウ……なに?」漫画本などまるで読まないシエル・ガライは戸惑うものの「目が悪いのかしら?犬と言うのは、こういうのを言うのよ」と傍らの白い小さなパグ犬を抱きかかえる。「ボスちゃぁん」飼い主の甘やかす声に、パグ犬はぶんぶんと短い尻尾を振っていた。

 

「そんな犬、何の役に立つんだね?俺のアキレウスは、最高の番犬だぞ」両替商がアキレウスを撫でると、子牛のように巨大な怪犬は、歓びの余り全力で感情表現を行った。鋭い棘の付いた尻尾が左右にぶんぶんと刃みたいな風切り音を立てると、人々は悲鳴を上げて逃げ散った。

「ちょっと、止めなさいよ!その馬鹿犬が暴れたら、どうするのよ?十人くらい死人が出そうだわ」ため息を漏らすシエル・ガライ。

「暴れるもんか。アキレウスは頭がいいんだ」スタンフィールド氏は頑固に言い張った。

 

 

「飼い主と飼い犬揃って、目だけじゃなくて頭まで悪いのね。

 ご飯と飼い主の区別くらいは付くといいけれど……」首を傾げて「心配」と呟くシエル・ガライに対し「言ってろ。見せてやる」

 スタンフィールド氏は自信満々に「アキレウス!七引く三は!」

 ご飯を食べていた愛犬に質問を投げかけると、アキレウスは鳴いた。

 バウ!ヴォウ!バウ!

 三回。そして沈黙し、誇らしげな顔を浮かべた。主人だけが黙った。

「……アキレウス。六引く三は?」再びの質問。

 バウ!バウ!再び二度鳴いて、アキレウスは得意げに主人を見る。二回とも同じように一足りずに間違えている。つまり、ちゃんと計算して、同じように間違えているのだ。

「無様ね」シエル・ガライが上品に肩を震わせながら笑った、

 

「そういう君の犬はどうなんだ」スタンフィールド氏が問いかける。

「知りたい?」自信満々のシエル・ガライは、ふふ、と艶冶に笑った。

「ボスには知能注射をしたのよ。三本も打ったのよ。高かったわ。

 ボス、((2^10)/(4^5))+(sin^2(pi/3)+cos^2(pi/3))-1はいくつ?」シエルが質問すると、ボスは鳴いた。「ワン!」

「そうよ、1よ!いいこねぇ。犬としては天才だわ!」シエル・ガライが称賛する。

「おい、君」とスタンフィールドが言いかけたのを「お黙り。二本目までは、首を傾げるだけだったのよ。理解してるわ」ぴしゃりと言ったシエル・ガライが顎に手を当てて微笑んだ。

「また、勝っちゃったわ」自画自賛しているシエル・ガライ女史に「流石です。お嬢さま」傍に付いていた赤毛メイドが称賛して「はあ?負けてはおりませぬが?」スタンフィールド氏が異議を唱える中、パグ犬のボスが怪犬アキレウスに近寄って得意げな面で見上げた。

 

 アキレウスは左右を見て、ご主人たちが言い争い、誰も見てないのを確認してから、いきなり口を開いて小型犬ボスを呑み込んだ。それからもっちゃもっちゃと舌と口を動かし、餌用の特大ボウルの中にペッと吐き出した。

 涎塗れになったパグが身を起こし、狂ったように甲高い声で叫び始めた。アキレウスは素早く身を伏せる。

 

「あら?なにしてるの、ボス!」

 アキレウスのボウルの中で暴れまわるパグ犬は、涎に残ったお粥がくっついて、とんでもない姿になっている。

 近寄って愛犬を抱き上げようとしたシエル・ガライ女史だが「ぼぇ!えうっ」と淑女の出してはいけない声でえずきかけ「しかも……臭いわ!スタンフィールド!なんてご飯をペットに食べさせてるのかしら!」涙目で慌てて離れた。

「ともかく、匂いが取れるまで家には入れないからね!」

 

「おい。自分の餌と他の犬の餌の区別もつかないのは、君の犬のようだな」嘲弄するスタンフィールド氏に、お冠のシエル・ガライ女史がパグ犬に指を突き付けた。

「まあ!ボス!あんたったら!!ごはん抜きよ!」

 ボスは冤罪だときゃんきゃん半狂乱で泣き喚き、アキレウスは悲しげに唸って見せた。まるで餌を横取りされた可哀そうな犬のように見えた。

 

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