六月も半ばを過ぎていた。初夏の自由市場を見て回ったトリスは、金槌を購入した。自分の工具や立派な鞄を持つのは、若い徒弟にとって自立の第一歩だ。
職工だけでなく、商人の徒弟にとっても、それだけの品を買える賃金を貰っている身分の証となり、他の徒弟たちから一目置かれる。
のこぎりやバール。手斧にレンチ。鍛冶ならやっとこ。針子などは針と糸など。例えば、浮浪農民でもおのれの鎌や鍬を持っているかで多少、報酬が変わってくる。
自由都市にはガストーチもあるそうだが、田舎町ではプロパンガスが安定供給できない。どうしても鍛冶屋や鋳掛屋頼りとなる。市民街区には、ガスボンベを時々、買い付ける裕福な市民もいるそうだが、町外れには縁のない話だ。
トリスはお調子者ではないので、あまり調子に乗って見せびらかしたりはしない。
貴重な工具は羨望の的であると同時に、嫉妬の種だ。製品の柄に名を刻み、身内以外だと信頼できる一人、二人にそれを見せるだけだ。世知辛い世の中には、盗みも警戒しなければならない。持ち物と知る知己は、裁判の際には証人になってくれる。
金槌は古い代物でも、都市通貨払いで350だの400だのの値札が付いている。過去に一度、二百幾つかの値札の品をどこぞの露店で見掛けたが、どうやらあれは特別安かっただけで相場ではないようだ。その時は、具合を確かめた客が即座に買っていった。大工仕事をする際、今までは親方やニナから道具を借りていた。これからは己の道具を用いて、好きな具合に家具や椅子を弄れる訳だ。大工仕事は、文明崩壊後《ポストアポカリプス》の世に木材や釘を買えるものにとって第二の仕事であり、習熟すれば生命線にも成り得るだろう。
自由労働者が農村で単純な仕事――楽な仕事ではない。体力は使う辛い仕事だ―――をする場合、食事と寝床付きで日に五から十通貨が相場だ。農村で作られている金代わりの木札やら鐚銭やらを村から出る際、自作農に頼んで両替すると元々の価値の低さと手数料から半額程度に目減りする事もあるそうだ。
村なら百日食べられる持ち金が、近場の町に行ったら五十日分にしかならない。
時々は、行商人が町の品を売りにも来る。だから、数年も過ごせば村に落ち着いてしまう自由労働者や故郷を離れない若者も少なからずいる。
取りあえずは喰っていけるのだ、と、小さな村落に生まれて、大きな自治惣村に出、そこから街道筋の居留地に赴いて、最後にポレシャ市までやってきたと言う、蚤の市の雑役夫マーさんが言ってた。本名は誰も知らない。仕事は色々している。
親方マギーは、犯罪者の手配書を何枚も持っているが、マーさんらしき顔は載ってなかった。親方マギーは、取りあえず誰でも疑う側面がある。兎に角、普通の頑張ってきた自由労働者マーさんは時々、過去の話をするのだが、自由都市へは行かないのかと若い徒弟の誰かが尋ねると、ポレシャ市でいいと言う。女のところへ転がり込み、地区通貨や居留地通貨を意外と貯め込んでいると囁かれている。
トリスの親方マギーは、商売で普通に都市通貨を扱っている。出会った時に想像してたよりも遥かに腕利き――いや、辣腕だが、しかし、穀倉地帯ポレシャの発行する市通貨だって、自由都市の通貨に対しても、それほど目減りしない。精々、15%から20%ほどだ。市の通貨と関連づいた地区通貨だと、さらに一段挟まるが、それでも都市通貨に対して半額以上でほぼ無制限で両替できる。
一介の地区通貨がである。市への納税にも使える。弱いように見えて、これは凄い。
だから、行商人の徒弟でも金槌を買えた。高度産業文明の時代とは違って、金属製の加工品はひときわ高価な代物だ。最初の工具。それに自前の刃物、しっかりした鞄、良い靴などは全て一人前の証となる。近世以前の社会と同様、それらは身分の証明であると同時に象徴《シンボル》――若い徒弟や行商、自由職工たちにとって職能や継続する仕事。信用、そして移動能力の象徴でもある。
親方マギーやニナは、SNSやデータベースも無いからね、と何かを囁き合っていた。時折、両替商スタンフィールド氏などとも訳の分からない単語を出して、色々と会話をしている。四六時中、本をよく読むからか。先達二人が交わす会話や思考、知識には付いていけないところがある。
ポレシャ市や近隣の農村ならともかく、しかし、遠出した時は、立派な工具などをあまり見せびらかさない方がいいだろう。畑の痩せた小村落や街道にぽつんとした小集落。山間の孤立した数戸の部落などでは、例え一年働いても工具などは手に入らない。貧しい土地の住人にとって、職人の持ち物は、殺してでも奪い取る程の価値があるからだ。
露店や屋台、それに催し物の際には不思議とやってくる旅芸人などを楽しみながら見て回る。猫耳のココは、皮革職人の屋台に足を止めていた。ぶにゃぶにゃ言いながら、背負い鞄に目を止めると手に取って、縫い目を軽く引っ張ったり、革の仕上がりを撫でて確かめている。どうやら気に入ったらしい、とトリスは思ったが、なにかが職人の勘に触ったようだ。
「おい、あんまりべたべたと触らんでくれ!」いささか乱暴な口調で注意され、ココは買う気を無くしたのか。そっと鞄を戻した。
それから別の屋台へと向かい、今度はボロボロだった腰のポーチを試着してみる。
自由市場の取締官――と言う名の、地回りが近くに寄ってきた。そこそこ高価な品を売買する際に、もう支払った。いや、まだだ。試着して逃げようとした、これは最初から私の服だ。みたいな言い争いや揉め事が起きないように、比較的に真っ当な人格の持ち主が任命される。少なくとも、定期的な賃金と信頼が汚職の稼ぎより重たいと考えられる人物だが、悪い真似をすれば相当に旨味のある地位なので、成り代わろうと、さらに濡れ衣工作で失脚を狙われたりする。
こんな低い地位でさえ、官職と権限には賄賂と陰謀が付き纏うのだ。なので、囮調査で定期的に評価したり、市の上位の役人が出張ってきて働きぶりを監査する。
幾人かは、定期的な半公開投票で選抜されるが、上位の顔役の票が大きい。参事らが承認するのだが、時々、審査に時間が掛かる。賄賂は露骨にやると投書だの新聞のすっぱ抜きで失脚する。制度の腐敗か、民主主義の機能かは、難しいところである。
試着の前に、補償金を置くのは自由市場の慣習であった。門前町の蚤の市では、金額が大きいわりに顧客の層が悪くないので、滅多には揉め事も起きない。ただし、誰もが勘違いと言う事はあるので、地区衛兵が確かめる事もある。
猫耳ココは、ベルトポーチを購入した。暫く使って具合が良いようなら、古いものは下取りに引き取ってくれるそうだ。ココの古いポーチを慎重に調べた露天商は、半月以内なら幾ら幾らで引き取るよ、と提示してきたので猫耳は承諾し、約束内容と日時を記した手紙を受け取っていた。ただ、状態や懐具合によっては引き取れないこともあるとは書かれていた。今日の散策では、互いにいい買い物をしたようだ。
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電気の貴重な社会。下層地区の人々は、日の出とともに起きて、日没の少し後には寝てしまう。それでも町外れの住人たちが、通りに火を焚き、外地区の
廃市街の住人たちが日没前に時間を掛けて、頑丈な扉の前に荷や瓦礫を積み上げ、拳ほどの換気口や覗き穴から曙光が差し込むまでどかさないのも、市民たちが電気の光や暖炉の炎を楽しみながら、時々、夜っぴて騒いでいるのも闇夜への恐怖ゆえだろう。
朝の六時から夏至祭中の自由市場を歩き回り、流石に疲れて瓦礫のベンチに腰を下ろした。親方マギーなどは稼ぎのいい行商人なので、市民たちと遊んで十時くらいに起きてくる事も多い。徒弟トリスは、そういう身分ではない。
近くにいた子供から、座布団を小銭で借りて尻に敷いた。面白い商売が色々とあるものだ。まったく商業都市らしく、庶民の子供まで目端が利くのだが、南方の湿原諸邦などからやってきた旅人などは面食らうらしい。
水筒の水は無くなっていたので、近場で安いエールを二杯買って、猫耳ココと共に喉を潤した。ポレシャのような大きな居留地では大抵、綺麗な地下水は高い。湖から汲んできた水か、或いは薄いエールが庶民の飲み物だ。
商売のタネになりそうなものは見つからなかった。例えば、自由都市ズールへと持ち込めそうな代物。或いは、利ザヤを稼げそうな代物。
まあ、簡単に見つかるはずはない。誰だって抜け目がないんだもの。徒弟に見つけられるなら、絶対に誰かが先にやっている。親方マギーは、煙草の草や針金を安く卸して、のこぎりを貸してくれる。あとは端材を集めれば、小動物用の罠や、スポンジに瓶を用いた簡素な浄水器を作って、それを売れる。これらが、トリスの飯のタネだ。
親方はおのれの重要な取引先も、商売の中身も、幾つかは秘密にしている。つまり、トリスを警戒している。これはいい事だ。ひとつ、親方はお人よしではない。ふたつ、取引先と仕入れが揃えば、トリスも同じように稼げる可能性がある。必ずしも、親方の商売を乗っ取る必要はない。出来れば、違う道で同じくらい稼いでみたいものだが。
それでも幾らかは親方のやり方から、学んでいる。一つ一つは利益にならない空き缶や段ボール、空き瓶に木材などの廃材をある程度、規格ごとに集めて、まとめて引き取ってくれる雑貨屋などに持っていけば、それなりの金になる。しかし、元手に盗まれない保管場所。引き取ってくれるだけの取引先に、傷んだ資材を入れてないと言う信用。そして調べられる目も必要だった。
加えてトリスは小娘で舐められやすい。不良在庫を掴まされたり、支払った取引相手が突然消える。金や荷だけ奪われるかもしれない。修行として、嫌な相手とも商売させられた後に己のノートにリポートや相手の評価も書かされたものだ。
場所ごとでの小細工してくる割合に、武装を示威した時の対応の違いなども分析させられた。そこまでは必要ないと思うのだが。データは共有してくれるが、親方は視界が高く、遠すぎる。数手先を読むので、思考に付いていけない。そこを合わせてくれたら完璧なのに、と思う。甘えだ。トリスは凡人なのでおのれのできる範囲で頑張るしかない。
だけど、今の暮らしに全く不満はない。猫耳ココが空を見ながら欠伸をした。トリスにも伝染する。今日は可愛い服だが、足の辺りにはゲートルを巻いている。土埃ですっかり汚れていた。埃の多い空気だ。エールでうがいをして、剝き出しの土に吐き捨てる。昔は一口の水が飲めずに死にかけた事もあったが、買ったエールを贅沢にうがいに使う。無駄ではないにしろ、金があるのは素晴らしい。
飢えとは無縁の日々。壁一枚隔てた向こうに潜む変異獣や屍者の気配に脅え、息を潜めてやり過ごした夜の記憶も、随分と遠ざかっていた。
木柵や土嚢に守られ、自警団が欠かさず巡回する下層地区。親方マギーの小さな家は、土嚢と土垣《つちがき》に守られた敷地に囲まれており毎日、夢も見ないほどの深い眠りを堪能することが許されている。時々、余りに恵まれすぎていて、今が夢ではないかと言う気持ちに襲われるが、それなら死ぬまでこの夢に浸っていたい。
戦える力は、重要だ。親方と身内の徒党に限らないが、地区の力ある徒党は、定期的に怪物の掃討を行っている。これは富と力の誇示だ。
ポレシャ市の行政地区である【町外れ】と、単なる外地区の違いは、蓄積されたインフラ――防衛線とその僅かな違いが生み出す、やはり僅かな富の蓄積。そして生まれる力ある徒党や幾人もの小金持ちの存在だろう。
ほんの幾つかの徒党は、定期的に間引きをする。トリスも随行するが、火縄銃を担いで防壁や廃市街の浅瀬を歩き回っては、仲間たちと共に高所や建物内部から待ち伏せを仕掛ける。地図を眺める親方の指示に従い、有利な点から発砲するだけで巨大鼠や野犬、数匹の巨大蟻にコヨーテ、二、三匹の屍者や変異獣ですら仕留めてしまう。夜、小屋の内部で眠る時にも、間近の壁にはクロスボウや手槍が立てかけられて大抵、誰かが見張っている。
廃墟育ちの浮浪児にとっては二、三匹の変異獣や屍者だって背筋が泡立つような危険な存在なのに、親方の戦術があまりにも水際立っているから、大した事ないと錯覚しそうになる。勘違いだと、トリスは常々、己に言い聞かせる。賞金目当ての浮浪傭兵たちがマスケット銃やクロスボウを持って乗り込んでは度々、死傷者を出し、時に逃げ帰ってくるような危険な怪物たちだ。
小さな集落――いや、惣村や中規模居留地にさえ、定期的な怪物との戦いは大きな負担となって伸し掛かる。定期的に、そして一方的に掃討できるのは、よほどに大きな居留地の装備の整った警備隊か。或いは、腕利きの狩人や銃士だけだ。
熟練の銃士たちは討伐任務から平然と帰ってくる――何年も一人も欠けないが、一部廃墟の深奥には、いまだ膨大な資源や資材、機械や技術書が眠っている。
エール酒と勇気で一杯になった経験の浅い探検団や冒険徒党などが、一獲千金を夢見て廃墟領域に乗り込んでは消息を絶つ話だってさほどには珍しくない。
アーキバス銃や手製のパイプクロスボウを携えた、まだ雀斑を浮かべたような若者らは、思慮深い大人たちが止めたってせせら笑うだけなのだ。
碌な地図を持たない素人徒党とは違い、親方マギーの製作した地図は、玄人の廃墟漁りも顔負けの精度だ。市当局に提供すれば、きっとそれなりの値段で買い取ってもらえるだろう。そこら辺で廃墟漁りや廃墟生活者が売ってる大半の地図よりも、角度も縮尺も精密で、抜け道や怪物の分布も記されているが、しかし、一度だけ売らないのかトリスが尋ねた時に、親方は薄く笑っただけだった。
保安官助手も務める親方だけど多分、市当局を信じ切ってはいない。いや、職務には忠実だけど、そう言うのではなく、味方に対しても保険を取ってあるのだ。そうトリスが悟った時、考えを読んだように、勿論、市当局も、より精密な地図を持っていても不思議ではない、みたいなことを親方は呟いていた。
だが、別にトリスは、おのれだけが不幸で危険な人生を生き延びてきたとは思っていない。時々、世界中の不幸を一身に背負ったみたいな面をしている輩もいるけど、そういうのは逆に信用ならない。多分、真実、相応に不幸なんだろうけど。不幸を背負っても、笑ったり、お互いにそんなものさ、と思ってる奴の方が好感を抱ける。
世には、幸福な奴を妬むものもいるけれど、トリスは用心して妬まないようにしている。妬みは自分を腐らせる。
不幸が多すぎて潰れてしまう哀れな人間も多い。世を怨んだり、拗ねないまでも、辛い日常に心の感覚が鈍麻してしまうのだ。地獄に落ちずに済んだのだから、好き好んで、魂の肥溜めに浸かることはない。そんな不幸ばかりではなく結構、幸せに恵まれた人生を送ってきた奴であろうとも、他の人間に対して洞察力を発揮できる奴の方が信用できる。むしろ、想像力が最低限の信用を互いに抱くための土台だと考えていた。
その点で、最近知り合ったばかりのガルダのセシリアはさて、どうだろうか?