黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_90G 水キャラバン

 ある種の苔や茸、積層した鳥の糞、灌木。古い世代の屍者が身に付けている貴金属の指輪――廃墟領域の奥深く、文明の残滓と遺産以外でも金になる代物を廃墟漁り(スカベンジャー)たちは漁って持ち帰ってくる。他に細々と交易もしているらしいが、兎も角、連中の憂い顔が明るく晴れるのは滅多に見られない。

 

 今日、若干の金銭を入手できたとしても、明日の命は分からない。いつ命を落とすとも分からないそんな日常が、廃墟漁り(スカベンジャー)たちから屈託のない気持ちまでを揮発させてしまったのかも知れない。

 

 廃墟漁り(スカベンジャー)たちは、持ち帰った貴重品をできるだけ高く売りつけようとするが、薬用成分を持った苔などでも、大型居留地ほどに代替品や交易でも入手できる代物が多い。そして切羽詰まって医薬品を必要としている小さな集落や部落では、充分な対価を用意できない。だから、と言う訳でもあるまいが、廃墟漁り(スカベンジャー)は、余り金銭や豊かな生活には縁がない。

 しかし、それにもまして、おおかたの廃墟漁り(スカベンジャー)たちが祭りを楽しまないのは、緊張を保てなくなることを恐れるからだろう。

 

 

 同様に廃墟に赴いて、大勢で浅い場所を掘り、鉄筋やベトン片などを持ち帰るのが都市鉱夫たちだが、此方には緊張はあっても余り翳《かげ》りは見られない。危険が少なく、程々に安定した稼ぎが心の有り方にも余裕をもたらしているのだろうか。

 ただし、単独や少数の鉱夫隊ではなく、十数人規模の鉱夫団を結成するには、相応の資金は勿論、かなりの準備期間や伝手が必要だった。

 

 ハンマーやピッケル。頑丈な衣服に運搬する荷車なども必要であり、護衛に当たる者たちの武具も手当てしなければならない。他に支保としての木材。ロープに滑車。

 親方の他、人材として崩落を見極める者、測量係に帳簿係。コンクリ片を必要とする石工や大工、居留地、商会などとの交渉役。見張り役から戦闘担当など各々の役割分担と危険に応じて収入を分配しなければならない。

 

 加えて鉱夫団は、単独や少数の鉱夫隊よりも羽振りはいいが、その分、盗賊団や都市の破落戸、そして居留地の徴税吏や関所番らにも目を付けられやすい。そして黄昏の世(トワイライトエイジ)においては、相手が民主共和制の都市だろうが、封建貴族領主だろうが、権力者や政体の『正当かつ合法的』な要求の全てに応えていたら、しばしば税金だけで全収入を越えてしまう事もある。

 

 だから、鉱夫団は、すべからく武装鉱夫団であり、それでも成功した廃墟鉱夫団は、大抵の廃墟漁り(スカベンジャー)たちの不安定な稼ぎを越えるだけの収入を安定して得ていると言う意味で、成り上がり者たちの成功の一つの類型ではあった。

 

 以前、ポレシャ防壁から目と鼻の先の廃墟区において、廃墟漁り(スカベンジャー)の一党が壊滅していた。空気式《エア》ライフルや釘打ち銃(ネイルガン)、クロスボウを持った廃墟漁り(スカベンジャー)は、単独で一匹や二匹の動屍者《ウォーカー》なら片付けられるが、遮蔽物や逃げ場のない隘路に六匹以上が相手になると、もう手の施しようがなくなる。殺到してくる屍者の群れの先頭の数匹を倒せても、残りには食らい付かれ、引き裂かれてしまう。

 

 表情に暗い影が差しているのは、廃墟の生活者たちも同じだ。

 廃墟民たちは、屍者や怪物たちの徘徊する廃墟領域で隠れ暮らしている。おまけに貧しい人々には、廃墟漁り(スカベンジャー)たちが持つような使いやすく、威力も持った飛び道具はない。手持ちの武器と言えば、精々が貧弱な手製のクロスボウや弓、それに粗末な槍やこん棒、鉄パイプなどで、屍者や変異獣、巨大蟻は愚か、時として巨大鼠や野犬にすら餌食とされてしまう。

 

 貧しい廃墟民ほどに、日々が死と隣り合わせだ。そして、そうした人間が肉体的や思考力で高まることは殆んどない。恐怖は脳髄を麻痺させる。資質の有る人間なら精神力は鍛えられるかもしれないが、元より窮地に追い詰められた人間が若干の精神力を得ようとて、為せることなど殆んどない。

 

 ポレシャ市の夏至の祭りに、市民や労働者、農民、それに外地区に暮らす渡り人(オーキー)や自由労働者までもが明るく騒ぎ立て、廃市街に暮らす浮浪者《ホーボー》たちでさえも、浮かれながら酒や甘味を楽しんでいる中、しかし、住人登録は愚か、名簿上ですら存在していない廃墟生活者たちは、相も変わらず廃墟に隠れ潜んでいた。

 

 町や地区で住人登録をするには戸籍や身分証が必要であるし、外地区や廃市街であっても既に先住の徒党が縄張りに巣食って、みかじめ料や労役、なんらかの税金を課してくる。土地を守るには武装は必要だし、金が出せないなら労役を出せと言うのは、相応の理屈ではあるだろう。しかし、武装も持たず、僅かな金銭さえも払う余裕がない人々にとって移り住める場所となると、もはや廃墟領域の浅い場所しか残されていなかった。そうして隠れ潜む暮らしを選んだ廃墟民たちは、路上を駆け回る子供たちを羨ましげに眺める我が子らを慰めるように抱きしめていた。

 

 

 廃市街に住む浮浪者《ホーボー》や乞食すら、祭りを楽しんでいる。彼らや彼女らが、都市にとって可視化可能な層の下辺であり、自分たちの慈悲深い手が届いてるなと確認できるところだろうと、甘い果実汁を飲みながらトリスは囁いた。猫耳ココが相槌を打っている。

 選ばれた数人の乞食たちにお湯と石鹼を振舞い、洗濯までしてやって焚火で乾かしている。食事も振舞ってやるようだ。貧しいものに優しくしてやることで、道徳を示している。よい祭りの素晴らしい慣習ではあるが、かつてのトリスは廃市街の浮浪児であったから、廃市街のさらに外。廃墟領域に暮らす人々がいることを知っている。

 

 だからと言って、市政に対する文句や不満などはなかった。中世みたいに貧しい世界で、貴重な食べ物やお湯、石鹸を分け与えてるのだから偽善ではない。市民連中は、本当に出来ることはしている。真の底辺に手が届かないのは悲劇だが、それは人の限界で、責めるのはむしろ傲慢に過ぎると言うのが、今のトリスとココの結論であった。

「ようやっておる。いい町だ」「にゃあー」

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 夏至祭の喧騒の中、ガルダの侍女見習いセシリアは、トリスたちに連れられて自由市場から町外れ地区の出店が多い場所へと向かった。

 見慣れぬ屋台と天幕、露天商に芸人。衣装を着て踊る子ザルや、人の言葉を喋る鸚鵡。それに変異獣!やら巨大鼠やらが芸をしている。

 日陰では農民や巡礼、旅人や商人が交渉し、或いは笑い声を響かせ、珍しい薬草やら鉱石を天秤に乗せ、銅貨や紙幣、それに通貨となる陶器皿や煙草、酒に弾薬をやり取りしている。異国情緒溢れる人の流れと催し物に目を奪われながら、最初に案内されたのはボーリング場だ。勿論、レーンは機械式ではなく手でピンを並べている。

 

 屋根や壁に大穴が開いてる大型百貨店の跡地(廃屋)に即席の遊技場が設けられ、ビリヤードやダーツ。その他、器具があれば楽しめる幾つかの遊びが用意されていた。建物の中からは、ひっきりなしに乾いた音と男女の明るい笑い声が響いている。

「……安い水を買うんでは?」セシリアの問いかけに「勿論、案内するよ。でも、まずは楽しもう」とトリスが踏み込んでいった。セシリアも後に続くと、屋内には熱気が溢れている。

 勿論、貴重な器具なので、料金はやや高め。楽しめるのは自由農民や職工、労働者階級の大人――おまけして青少年からだろう。

 実際には小作人や小屋住み農、職にあぶれがちな渡り人(オーキー)の若者でも遊技の料金なら払える程度に稼いでいる者は多いが、屋外では似たような娯楽を少し安めの範囲で楽しめる仮小屋や天幕、屋台が設けられている。町外れ地区も年々、豊かになりつつある。同時に、身分と言うほどではないが、やや緩やかな階層が形成されつつあるのだろうか。

 

 何処で遊ぶかを少し迷った様子のトリスたちだったが、屋内遊技場の一日入場券を購入した。セシリアにはやや高いとは思ったが、おめかしした日に口説きに血眼となっている青年らに付き纏われたくない。セシリアは子供。トリスは単眼少女。ココは猫耳と、年端もいかない少女に変異者の組み合わせなのだが、すでに何度か口説かれた。屋外の遊技場だと、ナンパ待ちの娘さんたちもいるのだ。

「ア×があれば、誰でもいいのかにゃー」猫耳ココがちょっと子供には聞かせたくない下品な言葉を漏らした。トリスと猫耳ココでさえ、まだ少女と言う範疇の年齢で、興味も花より団子にあった。 

 

 親方のマギーは地区でも有数の行商人で、トリスとココは手代としてそれなりの賃金を貰っているそうだ。三人分の料金を払って数回のゲームを楽しんだ。

「いい汗かいたにゃ」と猫耳ココが水筒を傾けた。中身は氷入りの井戸水。

 衣食住の面倒を親方に見てもらった上、普段からあまりお金の使い道もないそうで、猫耳ココは、湯水のように金を使っている。とは言っても、たかが知れているが。

 

 三人で少し汗を掻いて、外へと出る。高価な機械式時計など誰も持ってないが、鐘の音や太陽の位置からすると、まだ午前中であった。

「ボーリングは行ったから、次は空気銃の射的……」トリスが言った時、「にゃ!」

叫んだココが文字通りに飛び上がった。

「わあ、なんだい。急に」徒弟トリスが猫耳ココの凝視している先の幟《のぼり》を見て「アイスクリームだァ!」叫びながら同じように飛び上がった。

「にゃがああああ!」ココが獣みたいに叫んだ。

 

 

 

 邸宅の面影を残す廃屋の入り口。なにやら中年男がシェフの格好をして、アイスを売っていた。

 地区の日当の半分くらいする。恐ろしい値段だ。それにしても、シェフがまるで知らない顔なのはトリスにとって意外だった。

 いや、どこかで見た顔なのだから、きっと近隣の住人には違いないが、しかし、地区で新規商売をしそうな切れ者や、稼いでいる商人の主だった面々はおおよそ顔を知ってると思い込んでいたので、まるで知らない無名の人物が急に出てきたのには少し驚かされた。

 

 冬の間に仕込んでおいた氷で地下室に氷室を構築し、そこで牛乳と卵黄、砂糖を用いたアイスクリームを生産する。数年前までの下層地区では想像も出来なかった、中町や門前町でも、そうは売ってないアイスクリームが町外れ地区に売っていた。

 自由都市ズールやポレシャの市民街区でも、電気冷蔵庫を使える層は一握りなので、アイスは気軽には食べられない。

 

 とは言え、アイスクリームは、17世紀から18世紀のパリでも食べられていた代物だ。ポレシャ市には、地下室に氷室も作れれば、牛乳も農村から入手できる。交易で相当量の砂糖も入ってくるし、ハンドミキサーも手動式なので大変と言えば大変だが、泡立て器での攪拌よりはましだろう。いや、例えば、歯車とクランクに壊れた自転車で漕ぐように工夫してしまえば、手でやるよりもずっと楽だし、ポレシャにはその程度の技術力はある。よく考えれば、条件は揃っていて、それなら抜け目のない誰かが作るのは、時間の問題に過ぎないか、とトリスは納得していた。そして、一つの成功は、無数の追随を生む。後追いでアイスを売る誰かしらがきっと出るに違いない。

 

「ほう、アイスクリーム。文明崩壊前の知見や知識は残っているとは言え、大したものですね」通りすがりが眼鏡をくいと動かしながら、アイスを巡る状況を周囲の人に解説していた。誰だ、こいつ?とトリスは思った。

 

 日陰でアイスを食べる。三人で、無言で。猫耳ココは信じられない程に早く舌を動かしていた。目の瞳孔が細まって、完全に猫科の獣みたいになっている。

 冷涼な曠野の地では、氷菓子はそれほど珍しい訳ではない。大型居留地のポレシャ市なら、シャーベットなど似たような氷菓子を普段から庶民も口にしている。

 一方、温暖な南の湿原諸邦では、熟した果実などを口にしやすい代わり、アイスやシャーベットなどはまず食べられない。

 

 全てを食べ終わって、「いいのかなぁ」セシリアが長々とため息を吐いた。

 横で徒弟トリスが、「なにがです?」冷たいコンクリにひっくり返っている。

「こんなにのんびりしてて……」セシリアの呟きに対して、日陰の下で寝ころんだまま、徒弟トリスは遠くの青空を眺めている。

「いいんだ。普通の人は、あまり張りつめていると逆に持たないです」

 相棒の猫耳ココは、満足げに丸まって尻尾をざりざりと舐めていた。尻尾合ったのか、お前。

 

「お、写真屋が店を開いている」やや遠い空き地を眺めて、トリスが呟いた。

「流石に、そろそろ、用事も済ませないと。安い水も気になりますし」侍女見習の立場を思い出しつつ、セシリアが立ち上がって膝の埃を払うと、トリスは目の前の建物を指さした。

「此処です。丁度、目の前」

「駅……ですよね?鉄道の」首を傾げてるセシリアだが、「にゃあー」と猫耳ココが肯いている。湖畔諸邦にも、古い遺跡は埋もれている。むしろ曠野よりも、巨大遺跡は広大、かつ数もずっと多いかも知れない。

 無人の古い駅舎(廃墟)が佇んでいる。ひと気は、殆んど感じられない。

 屍者や変異獣が巣食っていると言う事は、なさそうだが。

「今日はお祭りだからね」言いながら、徒弟トリスと猫耳ココは躊躇なくずかずかと入り込んでいった。

 ひと気のない場所に誘われていた。なんだかんだで知り合ったばかり。何処まで信じていいかと、躊躇を覚えているのか。足踏みしていたセシリアだが、トリスたちも市から身分を保証された商人の徒弟。「よし!」と、頷くと、二人の背を追って駅舎に足を踏み入れた。

 

 

 無人の構内を歩き続ける中、セシリアの呼吸はやや荒かった。

 黄昏の時代(トワイライトエイジ)の常として、巨大構築物の内部を歩くのは常に恐怖と緊張が付きまとう。中途の見慣れぬ部屋や扉、階段には決して近づかない。人に使われている区画とは別の階や区画、地下などが怪物の巣窟となっており、棲み分けしている状況さえ、時と場所によってはあるからだ。酷い時には、ゾンビを閉じ込めた部屋の隣で生活している人間すらいる。

 

 セシリアにとっては幸いなことに、駅には怪物の気配も、物音も聞こえなかった。

 トリスとココは、真っすぐに駅構内を進むと、切符売り場の片隅の置かれた伝言板の前で足を止める。

「伝言板の前の机。あすこに名簿があります」トリスが指差した机の上には、小さな樽と湖の絵が置かれている。

 セシリアが首を傾げているので、徒弟トリスは説明を続けた。

「水キャラバンに参加するんです。樽は自分で用意するか、買う。牛や驢馬の荷車で運んでもらって同行する。湖に付いたら、樽を洗って水を入れる。これで一日で樽一つ二つくらいの水を持ち帰れます」

 

「湖水?」やや胡散臭げに呟いたセシリアが、机に置かれていた手刷りのチラシに目を通した。

 北方の湖水は冷たく澄んでおり、南方のそれと異なって寄生虫の類は殆んどいない。ただし、乾燥した高地ゆえに蒸発は激しく、場所によっては塩分や鉱毒など有害物質が化学的に濃縮されている事例もあるので注意が必要だ。水キャラバンのパンフレットにはそう書いてあった。

「スポンジや炭、砂利で浄水器も作っておけば、飲む水は兎も角、料理や洗い物。

 それに洗濯や身体を拭くにも使えますし」

 セシリアをじっと見つめながら、トリスはゆっくりと説明を続けている。

「真面目に早いうち、水キャラバンとの伝手は作っておいた方がいいと思います。

 若い人を四日に一人出すだけでも、随分と節約できます。

 まともな水キャラバンとの伝手の有無だけで結構、左右されますよ。

 いや、それは貧乏人だったらかな。余裕があるなら、お勧めです」

 

「水キャラバンは複数あります。利権化や独占を防ぐ為、曜日が決まってます。

 此処が水キャラバンの事務所。

 参加したい隊の名簿に……文字は書ける?」問いかけにセシリアが肯くと「メモ帳も買っておいた方がいい。ポレシャ市に暮らすなら」徒弟トリスはそう忠告した。

 

 短時間で受けた説明をかみ砕くためか。セシリアはため息を漏らし、頭を振っている。少し、酷な要求かも知れないとは、トリスも懸念していた。中世めいた貴族封土の農村での十年一日の暮らしぶりに比べれば、大型居留地での生活はいささか情報と刺激に溢れているだろう。

 とは言え、時間と機会は、常に限られている。故郷に戻れる見込みが薄い以上、どうしてもポレシャ市に慣れて、いち早く生計を立ててもらわなければならない。

 最初は無理にでも慣れてもらうしかない。そしてガルダ人一行で、いち早く適応できそうなのは十代前半のセシリアと言うのが、トリスの見立てだった。

 

「名前と住所、住人番号。住所は、うちの親方のところでも良い。連絡先だからね。

 聞かれたら、親方の血の繋がってない親戚だとでも言っておいて。

 で、持っていく樽や壺の大きさを申告して、馬車で運んでもらうなら、その分のお金を払う」詰まりやすいところを丁寧に説明しながら、徒弟のトリスは、マギーに拾われる前、廃墟で燻っていた過去の暮らしを思い返していた。

 

 多少の危険はあれども、水キャラバンに参加できれば助かる命も多いだろうものを、しかし、廃墟生活者の多くは湖までの地図さえ持ち合わせていない。

 無気力なのか。愚劣なのか。或いは、水を採りに行く余裕さえないのか。

 雨水や近くの池で水を汲むのだって命懸けだが、その分は只だ。

 水キャラバンに参加する金さえ惜しかった。

 廃墟暮らしは何時も乾いているのに、参加する手順を知らない。門前払いが当たり前になると、引け目を覚える。乗り越えるには、心の力がいった。

 今になって、水が当たり前にある生活を、今度は他人に与える為に……ため息を漏らして、トリスは頭を振るう。

 

 

「ほかに個人商売や小規模集団もあります」水売りだけではない。

 商売としては木こり党や鉱夫団、馬借隊が上等だろうが、訓練された人数がいれば荷運びや炭焼き、隊商護衛に干し草売りなど様々に道は開ける。

「元気な若い人。コリンさんやイブリンさんを出せば、取りあえず、二人か三人分の食い扶持は稼げると思います。八人は無理だと思うけど」

 取りあえずは水売りをしながら賃金を貯めて、自前の樽や驢馬を買い求め、或いは敷地内で鶏や鵞鳥などを飼って卵を売っても良い。元手が出来れば、他の商売にも手を出せるとトリスは提案している。

 勿論、侍女見習いのセシリアに発言権は殆んど無いだろうけれど、考え方としては商人たちがこういうやり方があると話していましたと伝えるだけでもよいのだ。そしてまともな指導者なら、理と利があるなら発言者が誰であっても意見は採用する。

 

「樽を仕入れて水を売れば。戦える四人で、小さな水売り隊を編成して……うん。

 わたしが勧める事でもないけど。商売は大変だし。

 でも、武力と人手があって、安定した商売なら、水売りは兎も角、食べられます」

 

 聞いてるセシリアは、何故か、少し泣きそうになっていた。

 説明を覚え切る自信が無いのか。徒弟トリスは頷いて、予め要点を纏めておいたメモ帳のページを切り離して「次からは自分で書いてね」と手渡した。

 

 セシリアが遂に堪え切れずに涙を零した。静かにしゃくりあげている。ここ最近に立て続けに起きたあまりにも多くの出来事の衝撃に加え、新しい環境での仕事が多すぎて、キャパシティを越えたのか。

 甘やかされてきた子だなぁ、と言う顔でトリスは猫耳ココと目を合わせた。しかし、軽蔑の態度ではない。逆恨みや苦手としての逃げに入る子供もいるが、トリスと猫耳ココが静かに泣き止むのを待っていると、セシリアは何度か息を整え、袖で目元を拭った。照れたように小さく笑うので、トリスも頷き返した。

 

 仕事の厳しさや至らなさで涙する丁稚の少年少女は多い。職工の徒弟や、牧者や農民、鉱夫に木こりや労働者の子弟たちだって同じだ。多分、誰もが涙を呑んで歩いている。徒弟トリスは、仕事で泣いたことはない。多分、猫耳ココも。危険と隣り合わせの日常を過ごしてきたのと、親方が上手く能力を伸ばして割り振ってくれるので、仕事に焦燥もないし、今のところ、泣くほどの失敗もない。育ちにくい小さな失敗からのリカバリーに関しては話し合い、日常生活の中で覚えている最中だ。

 普段から想定しておけば、経験が無くとも多少は対応できるというものだ。

 

「薪と食べ物に関しては、後日、紹介します」トリスの言葉に、セシリアが肯いた。

「写真にゃ」ココが言ってトリスもセシリアの手を取りながら、明るい声で「それよりも写真ですよ。写真。写真。生まれて初めてです。いや、二度目かな」

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 花びらが風に舞っていた。風までが薫るようだ。冷涼な曠野では夏こそが草花の咲き誇る季節なのだろう。手を引かれながら廃屋と天幕、粘土と泥の小屋の街並みを駆けていく。窓や入り口には、花輪や薬草、香草の束が吊るされたり、飾られており、色取り取りの布が靡いている光景に、鬱屈した気分はどうしても続かない。

「何故?」笑いながら、セシリアは叫んだ。

「親切に……どうして助けてくれる?!」二度目の質問に「二つ目の何故か。余計だったかしらん?」前を小走りしているトリスが叫び返してきた。

「分からない!こんなことをしてていいのかな!

 ただ、なにか。なにかしてないと、不安に押し潰されそうな気持ちになる!」

 日常の雑務でもなんでもいい。忙しく立ち働いていれば、それだけ故郷の記憶や追手の脅威、家族に関する不安を忘れられるのだと、侍女見習の少女が其の儘に気持ちを告げるとトリスは路上で立ち止まって空を仰いだ。

 

 空を眺めたまま「自由だから」と呟いた。

「はい?」セシリアが尋ね返すも

「わたしは自由なんだ!」手を大きく広げてトリスは絶叫した。

「フリーダムにゃああ!」と猫耳も叫んだ。

 奇行にドン引きしているセシリアは、恥ずかしくなり、慌てて周囲を見回した。

 ガルダの農村部だったら、きっと奇異の目で見られたに違いない――が、生憎と今いるのは自由居留地の大通り。通り過ぎる大人たちは老いも若きも富も貧しきも、まるで微笑ましいものを見るように少女たちを一瞥しては、穏やかに談笑しつつ、傍らを通り過ぎていき、鼠や猫の着ぐるみを着た子供たちが「自由だ!」と調子よく叫びながら、路地へと駆け去っていった。

 

「わたしはわたしの自由を、好きに使う」トリスは背中を見せたまま、しみじみと言葉を続けた。

「自由の有難みを感じるのは、不自由だったことがある人間だけです」

 セシリアは戸惑いを隠しきれなかったが、トリスの声音がひどく真剣なのだけは理解できた。

「今は、時間と思考を対価に蓄積できる。自由だから。

 襲い掛かってくる嵐に備えて立ち向かえる」独り言のように呟いているトリスがようやく振り返ると「あなたを助けようと思うのは、自由の価値を知ってる人間だから」何故か手を差し伸ばしてきた。

 

「……意味が分からないよ」セシリアが低い声で首を振るうと

「分からないでも、今はそれでいい。

 これは封建制とか、自由議会制とか、そう言う話ではない。

 もっと本質的な、人間の自由について……あたしの自己満足です」徒弟《トリス》は堂々と言い張った。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

tips         ※ 26/5/05 追加

 

 

 市内での水の調達は、複数ルートがある。

 私的な少数の水キャラバンも存在していて。

 不定期、定期便。一時的な結成。ずっと組み続ける。など。

 

 近場の水源で並んで少しずつ貰える湧き水とか、やや危険だけど綺麗な泉。

 汚い水だけど比較的安全に水は汲める沼地。

 

 お金と入れ物。時間。武装や仲間を募る伝手などあって

 少人数や一家族くらいなら、子供の水汲みだけで無料の湧き水に行って、

 足りない分は節約と買うなりでなんとか、みたいな運用もある。

 

 

 

 無料で、時間コストの高い湧き水

 危険だが、質の良い泉

 安全、しかし、質の悪い沼地

 

 水汲みと小売り、私的な水汲み隊。

 定期便と臨時共同の隊。

 

 少人数なら別手段でも回せる。

 だけど八人組でそれなりの生活水準を維持するなら、

 水キャラバンに参加した方が割がいい。

 

 

 

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