黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

327 / 336
03_90K 散歩しながら夢を語るだけの話

 ポレシャ市には、何種類かの通貨が発行されている。紙幣や羊皮紙幣、銀貨に銅貨、他に何種類かの貨幣。銀貨と銅貨は若干の信用と共に他所でも地金の価値では通用するが、どれもこれも大半、地域通貨に過ぎない。とは言っても、ポレシャ圏はかなり広大ではあるが。しかし、数多の通貨のうち、年次が記載された麦兌換紙幣だけは、他の居留地での買い物にも用いることが出来る。

 

 行商人マギーは市の流通網の一部を担っている。自由都市に小麦兌換紙幣を持ち込み、資材や弾薬、衣料品や奢侈品、香辛料など色々と役立つ品を買い漁っては、ポレシャ市に持ち帰っている。自由都市のキャラバンは収穫期の終わりに貯め込んだ小麦兌換紙幣をポレシャ市に持ち込んで、小麦と引き換えて自由都市へと持ち帰っている。

 

 数トン、十数トンの小麦が護衛付の幌馬車隊で幾度も往来する。食料として見れば、高が数百人分かも知れないが、ポレシャの上小麦は上質で、味も良く、都市市民に好まれており、長期保存できるので多少の投機対象ともなっている。

 

 そもそも、マギーが行商を始めたのは、買い出しのついでであった。都市の図書館に通ったり、トイレットペーパーを買うついで、役に立ちそうな品を市に持ち帰って転売することで小遣いを稼いでいた。二年、三年と続けるうちに顔が繋がり、元手が増え、相場を把握し、段々と稼げるようになってきた。

 稼げるようになったのは、都市と幾度も往来する余裕の生じた三年目だ。生活の足しから、賃金と徐々に同じ程度に稼げるようになり、やがて日銭と稼ぐ割合が逆転し、行商人として市に登録して、本格的にそちらに軸足を移すようになる。

 

 当初は、稼いだ金を小麦に替えて自由都市に持ち込み、引き換えで物品を持ち帰っていたが、やがてポレシャで小麦兌換紙幣の支払いを受け取れるようになり、それを自由都市の穀物商店で引き取って貰い、両替や手形を発行して貰うようになった。

 今は麦兌換紙幣も持ち運ぶ量を減らして、自由都市のポレシャ市公館で手形と引き換えに麦兌換紙幣や都市通貨を受け取り、穀物商との伝手も完全には切らずに両替し、物産を買い集めてポレシャ市へと持ち帰っている。両替では、さほどの利益は上げてない。顔を繋ぎ続けるのが目的と割り切っている。

 

 売り上げはあまり変わらない。手間ばかり増えているようにも見えるが、見えない冗長性や保険が増えている。情報の交換だって大事だ。一つ一つは何気ない断片でも、集約し、蓄積すると見えてくる事象や思惑も少なくない。年に二、三十回も自由都市と往来して、役立つ商品を持ち帰れる行商人は多分、貴重だ。他に十数人もいれば、代替は効くだろうが。ともかくも、マギーは年間に都市通貨で二万近い純利益を上げていた。二万以上かも知れない。

 

 

 流石にこれ以上は、打ち止めだろうが、専業の町商人さえ中々に二万は稼げまい。商会や隊商はもっと稼いでいるかもだが、規模が違う。マギーたちは、極少人数だ。しかも、帳簿上では利益を上げていても、大抵の商人には現物保持も多い。現物と現金のどちらが強いかは、場所と時節、状況によって異なるが、少なくとも、そこら辺の零細商人や行商の親方では、これだけの現金は掴めない。

 鉛管や鉄筋を壁に埋め込んだ小さな家も作った。慢心してはいけないが、普段は慎重なマギーさえ、近頃は多少、鼻が伸びてるのは否めなかった。

 

 ただし、二万都市通貨は、血縁もいない根無しの風来坊が稼ぐには、些か危険な大金でもあった。ポレシャ市は、近代資本主義でもなければ、現金は万能の力でもない――強力なパワーの一種ではあるが。曠野に限らず、各地で成功し過ぎた成り上がりの破滅や、為政者の不興を買ったよそ者の末路を幾度となく目にしてきた。

 忘れてはならない。中近世の都市のように権力者たちが合意すれば、財産没収の上に放逐もあり得るかも知れない。酒に溺れたり、無能になる成り上がりたちは、それで身を守っているのだろうか。ポレシャはかなり公正な方の都市だし、取り込むような動きも見せてくる。多分、好かれてもいるが、それでもマギーには権力や地縁、私兵の裏付けがない。有力者の敵意を買ってはならないし、変に目立つのも避けるべきだった。この懸念は、ジーナ・エクルストンとだけ共有していた。ニナは、まだ若すぎる。

 

(……私兵、か)頑丈な家と五名の手練。いや、出来れば郊外でも、市内でも、小さな砦と十五名の兵士が欲しい。狂ったような願望だ。マギーは片目を閉じた。十五人の武装、維持費、給料、それに食糧や日常品。半農半武の郎党にしてさえ、村持ちの騎士でもなければ到底養えない。分かっている。不安は消えないのだ。どこかで人を信頼するか、さもなくば、際限なく求め続けるしかない。ポレシャ人たちさえ信用できないなら、いったい誰を信用するのだ。

 

 それでも時々、奈落の谷に張られた一本の吊り橋で、危うい綱渡りをしているような気分に襲われる。稼げば稼ぐほどに、谷は深くなっていく。やがて千尋の谷になるのではないか。そんな被害妄想めいた感覚に襲われることもある。

 多分に私兵や武装共同体を持ちたがる者たちも単に野心や権力欲に動かされただけとも限るまい。自力救済の延長として、財産の保全や身の安全、横暴な豪商や豪族相手の契約履行の担保、変異獣や盗賊などの外敵対策。政変や権力闘争への保険に、飢饉や街道封鎖、戦乱への備えとしての私兵であり、封建貴族化なのかもしれない。夏の日差しだけではない。重苦しさを感じたマギーは、苦しげに襟元を緩めた。

 

 

 

 ――――

 

 

 

 気持ちのいい陽気だった。

 

 六月も夏至の日差しはかなり強く、マギーも少し汗ばんでいた。防弾防刃繊維に鉄のプレートも付いた軍用コートは、厚くて重たい。脱ぎたかったが、用心深さのほかにイメージ作りもある。演出だ。見知らぬ人たちには、四六時中ハリネズミのように警戒していると思わせた方がいい。実際は、気を抜く瞬間があるとしても、だ。

 

 

 地区と地区を結ぶ廃領域の街路だ。ポレシャ市は、大きな町だ。南北に一キロ以上はあるが、人が住んでいる場所に限ると、意外と狭くて偏っている。一つの大都市――いや、文明崩壊前の基準では大きな町だろうか――の亡骸が黄昏の時代に分断され、空白の廃領域の内側に、複数の小さな共同体が根を下ろしている形となるだろう。

 

 それでも街路に怪物は殆んど出ない。警備隊と雇われの銃士たちが定期的に掃討しているからだ。それは野犬やコヨーテ、巨大蟻くらいは時に迷い込む。時には単独か、極少数の変異獣も、ひと気のない街路や建物を乗り越えてくるか、迷路のような旧市街の街路を通り抜けてくる。それでも二、三百メートルごとに見張り台めいた小さな建物が建てられており、最近だと屋上に大型バリスタも設置されている。

 

 マギーは歩きながら、紙に包んだサンドイッチを口にした。お供のジーナ・エクルストンも同じものを食べている。料理番リリーは、素朴な田舎料理を人数分作ることに掛けては右に出る者はいないが、香辛料を節約し(ケチり)がちで、ソース作りもやや苦手だ。外食は高くつくが、市民街区でしか食べられない贅沢な味も確かに存在している。

 

 マギーは、包み紙をくしゃくしゃに丸めて道端に捨てると、水筒の冷たい水を喉に流し込みました。紙のゴミは誰かが拾って燃料にするので構いません。ですが、大きな都市の市民区画でやったら、罰金刑を受けるでしょう。

「冷たい井戸水を何時でも飲める身分になったのは、まったくありがたい事です」とマギーは言いました。「全くです。昔の仲間たち(シアやフィオナ)は今頃、泥水でも啜ってるでしょう。ああ、可哀そう」とジーナ・エクルストンが、ぐふふとほくそ笑みながら相槌を打ちました。

 

 街路には往来する人影がぽつぽつと見える。何処にでもいる浮浪者《ホーボー》や自由労働者、浮浪農民の姿は見当たらない。市民街区や門前町では物価も高く、出し物も少ない為、祭日に赴くものは少ないようだ。乞食や一部の廃墟民がちらほらと見掛けられるのは、此方は市民の食べ残しやお零れを狙ってだろう。恥も外聞もないと逆に生存のみには強みになるのかも知れない。

 

 時折、人や驢馬、牛に犬など役獣が曳いてる荷車には、野菜や穀類、芋に食肉などが運ばれていた。市民街区に向かう瑞々しい野菜もあれば、下層地区に向かう萎びた野菜も見かけられた。勿論、農民と直接、野菜を取引する自由労働者や渡り人(オーキー)の一家も多いから、煮込み料理の店などに売られるのだろう。

 料理を面倒くさがる独身男などが、知ってか知らずか腹に掻き込むのだ。

 野菜売りの農民にしろ、行商人にしろ、マギーの方が多分に稼いでいるが、それでも安定した商売だな、と少し羨ましく思った。料理番のリリーは傷んだ食材を安く買って、使えそうな部分だけ料理に用いている。それをマギーたちも食している。下層地区では当たり前の節約の一部だが、市民からみたら、乞食も、下層民もあまり変わらないかも知れない。

 

 

 

 

 

 傍目には、成功しつつある若手商人のマギーちゃんと仲間たちである。大商人でも、町商人でもないが、徒歩圏の危険地帯を行き来し、紙幣と手形と麦を抱えて、小さな物流を回している。行商としては、ちょっとした人物だろう。苦労が報われた――と、マギーでも感じ入る気持ちはある。偶にはほろ酔い気分で、土の道を歩く。

 

 

「チョコレートが食べたいし、金も稼ぎたかったんです」歩きながらのマギーの独白に「はい」ジーナ・E(エクルストン)は頷いた。

「紅茶でも、細巻きでも、ゲームや本でも、なんでもいいんですけどね」羽織った軍用コートの胸ポケットから、細い木箱を取り出した。踵にマッチを擦って細巻きに火を付ける。

 

「現状、年間20000都市通貨を稼いでいます。 これ以上は稼げるものではありませんが充分な利益です。むしろ、これ以上は、少し危険かも知れません」マギーの示唆の意味を、ジーナ・E(エクルストン)は理解している。

「貴女やリジィの武装も購入するし、家も建て増します。

 他に生活費と、色々と物入りですが。

 10年あれば、貯蓄もまず10万には届くでしょう」淡々と言いながら木箱を差し出したマギーに、細巻きを受け取ったジーナ・E(エクルストン)が「それだけあれば……」と囁いた。

「土地が買えますね」マギーも頷きながら、ゆっくりと手を広げた。

 

「開拓してもいいし、売りに出された農場でもいい。

 穏やかな生活に手が届きます。長く夢見てきました」

 ジーナ・E(エクルストン)も紫煙を燻らせながら、静かに耳を傾けていた。 

「勿論、10万都市通貨は庶民にとって途方もない金額です。

 市民にとってさえ大金でしょう」言ったマギーの細巻きを持った手が震えていた。

「妙な話です。もっと大それたことをしたり、夢見ていたのに、ささやかな夢が叶いそうなのが恐いです」

 

 

 快適な暮らしには何かとお金がかかる。

 

 マギーも、相棒のニナも、徒弟トリスやココと同じ食事を摂っている。一つ屋根の下で、同じ火に当たりながら毛布に包まって眠りに就いている。武器を与え、訓練し、意見を取り入れ、ほぼ同程度の生活と安全を確保している。だけど、親方として。その相棒としてマギーとニナは贅沢をしている。市民街区に赴いた際、遠慮なく水洗トイレを使用するし、そのたびに係に料金を払っている。

 

 下世話な話ではあるが、清潔に保たれた水洗トイレで毎回、トイレットペーパーを使用すると、月におよそ40地区通貨も掛かるのだ。設備の維持には人の手が必要となる。地区には公衆の水洗トイレはない。大浴場など在る建物にはあるが、一々、借りに行くわけにはいかない。普段は、ぼっとん便所である。敷地の片隅に穴を掘ってトイレにしており、夜中はランタンなどを持って一人で行くのだ。誰か、見張りが起きていると注意を払ってくれるが、万全ではない。それでも多分、大丈夫だ。

 

 屍者や変異獣、巨大蟻は滅多に入り込んでこない。定期的に近場の街路を掃討しているし(これは凄い事だ!!)、近所でも朝昼のうちであれば大抵は対処できる。

 自宅の敷地にトイレを設置して、定期的に汲み取りを頼んでいる。これが出来る下層地区の住人なんて、殆んどいない。大抵は共同便所――そこは想像を絶する汚さで、トイレに金を使えず、使わざるを得なかった頃の記憶は、マギーもニナも思い出さないようにしている――を使うか、小さなおまる。或いは、野外でするしかないのだが、街路では違法である。しかし、この軽犯罪は中々に根絶できない。

 

 お湯を沸かして石鹸を使い、定期的に身体を拭いたり、服も洗濯するにもお金は掛かる。勿論、徒弟たちや同居人のリリー、ジーナ・エクルストンにも定期的に洗わせている。これにも当然に金が掛かる。

 流石に手代を使うような商人だと、大抵は清潔にさせているが、丁稚小僧の少年少女では粗雑な扱いを受けている例も多い。事あるごとに徒弟たちが「親方ばんざぁい!」「ぶにゃああ!」と叫ぶのは、まんざらの媚びだけでもない。

 襤褸着に汚れた肌の同輩――徒弟小僧を目にした時など青ざめている。あちら側からの、有難みを忘れない為の自律の儀式でもあるのだろうと推測してる。

 

 雰囲気の維持コストは、安くて効果的だ。普段から、言っておけば時折、険悪になったり、言い争いになってもバッファーが効きやすい。

 そこら辺の空気感まで説明して全員が理解していると、決定的な亀裂に中々に至らない。特に指導者が時々、譲歩したり、一方的な命令ではなく、交渉したり、納得させていると、逆に危険な局面でも無理が効いたりもする。

 だから、時々、いい食事を取る時も、あまり見せないようにする。平等感の演出だ。時には、小遣いをやって徒弟にいい食事をさせる。お菓子は隠すか、きちんと配分する。勿論、金を出した親方は他の倍を食べるけれど、望む者には分配するのだ。それに、新鮮なレタスとマヨネーズ、チーズにベーコンを挟んだパンを食べる時は、こうして徒弟たちの所在を確認してから食べるのだ。

 

 マギーは、行商の親方として稼いでいる。夜まで帳簿を付けるし、取引や相場も読む。相手の感情を読むし、危険な街道を横断している。勇気をもって決断を引き受け、失敗の責任を引き受ける。交渉に謝罪、時に脅しも行う。経験を、成功も、失敗も語り、皆の前で改善点を探しもする。徒弟たちもそれを見、納得はしている。多く取って当然と考えつつも、同時に露骨にやれば空気が軋むとも理解している。

 

 自己評価として、小集団としてはかなり高効率で機能している。だから、リジィを引き入れた。冗長性を担保するため。誰かが欠けた際、或いは誰かが加入した際、機能不全を起こさないように。得てして小さな集団ほどに、上手く回る状況で現状維持に傾倒し、暗黙知と属人化が蔓延りやすい。それは悪いことではないが、いい事でもない。当然に利点と欠点が存在している。

 

 順調な平時だからこそ、敢えて乱して問題点を洗い出しておくのだ。今なら、少し失敗しても耐えられる。失敗からの修繕やリカバリーも貴重な経験だ。コストの負担に現状、耐えうるだけの収入が常態的に入ってきているからこそ、試行錯誤の経験を積んでおくべきだろう。それは利益の為に何処まで危険に踏み込むか。または、味方の死をどこまで許容するかとは別の問題である。考え過ぎかも知れないし、組織が拡大できるとも限らないが、おのれに万が一があった際、残った連中が路頭に迷わないようにはして置きたい。マギーにとっての仲間は、おのれを多少危険に晒そうとも、守りたいと思える程度には大事な存在だった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。