黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_90M 朝帰り

 徒弟トリスと猫耳ココ、そしてセシリアは、先刻は混んでいた写真屋に向かった。

 夕刻が近づけば、人手も徐々に減り始める。家族連れや若者、子供たちが名残を惜しみつつも、友人らと別れを告げている。とは言え、夏至祭である。一部の恋人や若者たちは、なおも残るつもりのようだ。

 

 普段であれば、マスケットと木柵に守られた地区とは言え、黄昏の世(トワイライトエイジ)に陽が落ちても遊びに出歩くものは多くはいない。野犬や巨大鼠の群れが出る事もあれば、変異獣や屍者が木柵を乗り越えてくる事態も無いとは言い切れない。ポレシャ程の居留地で、もっと守りが堅い市民街区や門前町ですら、住人たちは夜の闇を恐れて戸締りは怠らない。ただし、夏至の祭りである。自警団や臨時の増員は、いつもより厳重に街路や区切りの番所を見張っている。夏至でなければ、若い恋人たちも速やかに家路に就いていただろう。

 

「まだ射的やってないのらぁ」三人は、もう少し遊ぶつもりだった。ちょっと千鳥足になっている。でも酔ってない。酔ってないから大丈夫。

 水替りのエールのアルコール分は1%から2%。夏で汗も搔いている。ジョッキで5杯やそこらを呑んでも酔うはずがないのだ。

 5杯?お喋りしながら、多分、それくらい。エール以外も飲んだ気がするけど。

 

 空き地に停まった大型馬車――暗室や現像器具を乗せた、巡回写真屋のコネストーガ型の馬車前に行き、予約票を出して銀貨を前金を支払う。

「しゃんにん(三人)!でぅ!」トリスが明晰な口調で言い、「なあー、けっぽ」猫耳ココが相槌を打った。

「三人で、記念写真だね?」と写真屋が尋ねてくる。

「うぃー」セシリアも幸せそうに笑顔で肯いた。

 

「お化粧とか、晴着……は、そのままでいいか」写真屋が尋ねてくるので、トリスは据わった目で、机の上に置かれたドレスやマント、飾りの剣やかつらなどを見やった。

「んー」口紅がある。手に取ったトリスはセシリアの頬に猫の髭を描いた。

「んむぅ」満足げに頷き、鏡を見せる。

 セシリアもトリスの頬に描いた。鼻先も塗る。それから猫耳。犬耳かも知れないけど被った。ココは自前の猫耳があるので、問題ない。

 

「はい、椅子に座って。並んで。動かないでね」写真屋の指示に従い、椅子に座る。

 猫耳ココが崩れ落ちたので、肩に手を廻した。

「ポーズ」固まった三人の前、カメラから煙と光が発生した。

「では、明日。明後日かな。昼頃に現像できます」写真屋が引換券を手渡してくるので、頷いてよろよろと立ち上がった。

 財布は大丈夫。頭はしっかりしている。スリに注意。あれ?今、受け取った引換券は何処にやった?無いぞ?探すトリスに猫耳ココが指摘してきた。

 ああ、胸ポケットに入ってる。うん、大丈夫。

 

 

 三人で固まって――認知能力が落ちてるのは自覚しているから、財布は懐奥深く仕舞い込み、鞄を堅く握りしめて、治安の良さげな通りを巡回の自警団員やら、市場の地回りやらの背後を付いていく。地回りと言っても破落戸ではなく、自由市場やら商店あたりで若者を出し合っての自警団の一種。地代も取るが市の枠組みなので限度もあり、要求が度を過ぎれば、公的な枠組みの上層へと抗議もできる。しかし、公的な枠組みと私的な枠組みの境界が何処にあるかは、きっと何処の居留地も苦心する部分だ。

 

「あすこで女の子に話しかけてるのが、ヒモのジョニーです。相手にしたら駄目ですよ。マジで」トリスがやや真剣な口調で言うのを、セシリアは眠そうに「うぃ、うむ」と頷いている。

 農村と田舎町、そして市《ブーグ》。居留地も規模で、夜の雰囲気や危険の質感が微妙に異なってくる。農村の出身では、ポレシャ市の日没が近づいた頃合いには、やや適応し辛いだろう。立ちんぼの娼婦にヒモや女衒など、都市や大型居留地に特有の存在だ。ポレシャ市は人攫いは存在できないが、良くも悪くも、娼婦やヒモ男がそれだけで食べていける規模の余剰が存在している。出稼ぎのおのぼりさんや田舎娘が口先で騙される事件は、毎年のように起こる春先の風物詩であった。

 

 地区の街路を歩きながら、徒弟トリスは唸った。

「まずいのら、ちょっと酔いが抜けないら」地面が揺れてる。

「星の鼓動を感じる」セシリアが言った。実際は、ただ足元が覚束ないだけだ。

「にゃうにゃ」呂律が回らないながらも、猫耳ココがなにかを提案してきた。

「あに?」

「にゃうにゃ(サウナ)、むしぶろにゃ」猫耳が繰り返した。

「うふ、それはいい」深々と頷いたトリスはふらふらと歩いていたが突然、次の瞬間、目の前に蒸し風呂が出現していた。

「おう、蒸し風呂が飛んできたよ」トリスは目を瞠った。

 

 

 料金を支払って下着姿になる。

「……大丈夫かな、こいつら?」不安げに呟いたのは、近所のアンドレさん。

 蒸し風呂小屋の雇われ亭主である。

 砂時計をひっくり返しながら「10分だよ!それ以上は体に毒だからね!」と叫んでいた。

 酔っ払いが時々来るので、どの客も10分で入れ替えるそうだ。

 トリスたちは酔ってないのだが。迷惑な話である。

「にゃ!」と猫耳ココが看板に向かいながら、手を上げて頷いている。

 三人は水をごくごくと飲んで、(飲まされて)塩飴を口に含んでから、蒸し風呂の小屋に入り込んだ。中は娘さんばかり。男女一緒に営業する時もあるが、皆が浮かれ易い夏至のお祭りは、それをやると風俗的によろしくない事案が発生しやすい季節だった。

 

 内部では農家のおばちゃんやら自由商人のお姉ちゃんたちが世間話をしている。

 女廃墟漁り(スカベンジャー)もいれば、同年代か、年下の少女もいるし、渡り人(オーキー)のおっかさんに自由労働者の若妻もいる。

 家族がどうだ。仕事がどうだ。物価の云々。今度の隊商で欲しいものが云々。子供の教育。誰それは怠け者で~~。

 トリスは大きな欠伸をしつつ、セシリアに教えてあげる。

 鉱夫衆の集まる酒場や木こり団の定宿。牧者衆のお気に入りの一角に、廃墟漁りたちが戦利品を持ち寄る店など、まだ沢山教える事がある。何といってもトリスも知らないことが沢山ある。そして、サウナは庶民の社交場。世間話を。酒場でもそうだけど。ぐぅ。

 

 夏至祭だ。若い男もそうだが、女の子や娘は特に、綺麗な服を着込んでる客が多いので、盗難には注意して警備員を雇っている。

「トリスめ。大丈夫ですかね?」その警備員によって引きずり出された徒弟トリスは、涎を垂らして眠りこけていた。黒猫ココは、水を飲んで涼んでいる。セシリアはトリスを心配しながら話しかけていたが、急にケタケタ笑いだした。

 

 蒸し風呂小屋の亭主アンドレさんは、ため息を吐いて、おのれの驢馬馬車の背後に乗せた。どうせ近所で、それにそろそろ店仕舞いだ。他にも町の入り口方面に暮らしてる酔っ払いたちが数人、乗せられている。

 

 

 黄昏の時代(トワイライトエイジ)に例え居留地の内部であっても、日が沈んでも外をうろつくのはお勧めされない。ポレシャ市の町外れ地区であれば、路傍に一晩寝ても多分、大丈夫だろうが、保証は出来ない。外地区では、まず止めておいた方がいい。廃市街あたりとなると不用心に夜を出歩くだけで、命に関わってくる。廃墟地帯だと冗談ではなく、自殺行為である。屍者が徘徊し、巨大蟻どもが餌を探し、飢えた野犬や巨大鼠が彷徨っているからだ。

 

 

 やがて太陽が地平線にゆっくりと沈み始める。日没まではあっという間だが、しばらくの間は、残照が西の空を照らしている。その間に帰宅して、厳重に戸締りしなければならない。アンドレが鼻を鳴らした。手綱を取り、驢馬の荷車がゴトゴトと動き出した。粗末な車輪だ。胴体の下に木が打ち付けられ、短い車軸と車輪が通されている。町中専用だから、平坦な道を短距離動ければそれでいい。

 

 

 トリスも、驢馬の荷車に乗せられた。他にも酔い過ぎた連中が荷台で船を漕いでいる。まるで乗合驢馬馬車だ。中途で身内が迎えに来たり、起こして定宿に放り込んでいく面倒見の良さだが、これは祭りの時期だけの特別待遇だ。猫耳ココとセシリアは、傍らを歩いている。

 

 路地の入口でトリスを起こして、セシリアと猫耳ココは親方の家まで運び込んだ。

 小屋の寝場所は、少し高く造成した地面にブルーシートで防湿。上には断熱材のポリスチレンが敷かれており、木板を渡して固定してある。貴重な釘をケチってるのでやや不安定でグラグラしてる。それでも毛布を敷いて汚れる事もない。

 寝るに快適な部屋は、まだ床の一部。他の屋根の下は、壁がまだ無かったり、床も断熱されてなかったりで、寝るのに適してない。いや、ひと昔前は、そこに新聞や毛布で寝転んでいたのだが。

 

 部屋には手引書や設計図が転がって、資材や工具はひとまとめになっている。冬に備えて少しずつ改築している。同時進行している幾つかのタスクの一部に過ぎないから、親方のマギーは急いでないし、焦っても無い。冬でも持ちこたえられるなら、それに越したことはないけれど、資材も貴重な時代。まずは秋や初冬を快適に過ごせる程度で良いと割り切っている。間に合わないなら無理せずに、簡易宿泊所に泊まる為の費用を支払うつもりだ。

 

 壁の黒板には、祭りの最終日。料理人リリーがお出かけなので、ご飯は自分で手当てするようにと書かれている。そのリリーはずっと楽しげだ。隣にいるリジィは、今は早めに寝ていた。今日の夜番だ。

 ぶっ通しで誰かが見張りに起きてる訳ではない。そこまでの人的資源の余裕はない。夜更かしと早起きをする二人は、ローテーションを組んでいる程度だ。

 歯を磨いた猫耳ココは、帰還の札をひっくり返して、何か忘れてるような気がしたが、そのまま寝床に倒れ込んだ。

 薄く開いた木窓から、吹き込む夏風が心地いい。

 今日はひどく楽しかった。明日も、明後日も……来年も、再来年も……猫耳ココは目を閉じた。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 深夜の町外れ地区に、通りの方からまだ人のざわめきが響いてくるのは、夏至祭の夜だからだろう。普段の夜はもっと静寂に包まれている。

 時折、犬の遠吠えが響き渡っていた。もしかしたら、怪物や野生動物の気配を感じ取った番犬の警告かも知れないが、夜間に銃声が響くことは稀だ。

 

 日没後に距離を保っての射撃は、どうしたって精度は落ちる。銃声に屍者や変異獣が引き寄せられようとも視認しづらく、致命的なまでに対応が遅れるかも知れない。だから、防壁以外では、夜間はクロスボウや弓矢、投げ槍に投石器。消音機付きのライフル。或いは、ネイルガンやエア・ライフルなどが多く用いられる。それは、家屋に詰め寄られれば、マスケットや銃器で応戦する者も出ようが、今宵の地区は夜のしじまに包まれているようだ。或いは、今も何処かで自警団や民兵、警備の傭兵らが人知れず、怪物の侵入を防いでいるかも知れないが。

 

 

 行商人マギーの住処は、町外れ地区の北入り口付近にあった。大通りからはやや外れた裏路地。緩やかな坂を少し下れば、そこの空き地がマギー名義で購入されている。敷地には未だに小さな小屋が建っているだけだが、少しずつ大きくなっていた。

 木材を梁や柱として鉄筋や鉛管を補強材に埋め込んである。屋根は帆布やトタン。風雨をほぼ完全に凌げる家は、下層地区の庶民には、かなり珍しい。廃屋を再利用した部屋以外の新築などでは、なおさらであった。

 

 それでも、未だに壁が欠けてる部屋も含めればだが。七、八人がすし詰めで屋根の下で眠れるだけの広さはあって、これは徒弟などには相当に過ごしやすい暮らしだった。加えて、親方マギーと徒党は、人数分の火縄銃と弾薬を運用できるだけのゆとりを持っていた。やや離れてはいるが、地区と隣接する廃市街で定期的に巨大蟻に野犬、屍者や変異獣さえもを駆除して、密度を下げており、家の近隣では怪物や野生動物が迷い込むことも殆んどない。近所の渡り人(オーキー)や自由労働者連中も、これには感謝を口にしている。狼の血が混じった巨犬やら変異獣の首など持ち帰った日には、一目見よう皆が出てきて騒ぎとなるほどだ。

 

 

 今は静まり返ってる部屋の一角。微かに寝息が響いている中、部屋の片隅で人影が身を起こした。目を擦ると「トイレ」と呟きながら、鉄箱で燃える小さな炭火を頼りに歩き出したが、立ち止まった。訝しげに首を捻ってから、もう一度、目を擦ると、口元に手を当てて小さく悲鳴を洩らした。

 

 明け方に近い夜中だが、殆んどすぐに全員が跳ね起きた。手近な武器を次々と手に取る。十を数えぬうちにライターやマッチ、或いは小さな炭火から物陰や屋内のカンテラが次々と付けられた。

 部屋に佇んでいるのはセシリアだった。

「どうしたの?」暗闇から誰かが問いかけてきて。

「あ、御免なさい。まず、起こしてごめんなさい」セシリアは謝罪してから「なにも告げずに、よそ様の家に泊まってしまった。執事様に怒られ、いや、迷惑を掛けてしまった」

「なんだ、酔いが醒めたのか」「すぐ寝なさいよ。明日も早い」呟くと明かりが一つ消え、二つ消えて、周囲の大人たちは、すぐに寝転んで目を閉じた。

「うぅ、トイレ」セシリアは言いながら、探そうとしたが、トリスが起き上がって敷地の隅へと案内してくれた。

 

 

「わあ、トイレットペーパーがある!」とセシリアは仰天の声を洩らした。

「使い過ぎないように。親方がこれだけは本気で怒るからね」と徒弟トリスは、終わった後に、建物の仕切りの後ろに連れていった。

 明かりが皆に届かない壁の後ろでカンテラを付けると、明かりの下、ノートを取り出した。簡素な地図を描き始める。それからセシリアに手渡すと、ページを指差した。

「これが酒場、徒弟が集まる場所。描いて」

 トリスに指図され、ペンを握ったセシリアは戸惑いつつも、頷いて情報を書き加えた。

「……で、此処が廃墟漁りたちの店。次に駅舎。仕事を探せるし、水キャラバンの参加も出来る……全部、書いて」眠たげなトリスは、大きな単眼を細めていたが、何かしらの思惑があるのだろう。「う、うん」とセシリアは素直に従った。

「これを手土産に。徒弟たちや廃墟漁りに引き合わされていたって言えばいい」トリスが告げてきた。実際には、廃墟漁りの店で玩具などを見て回ったし、酒場では徒弟たちと飲んだだけである。

「大丈夫かなぁ」首を捻るセシリアだが、トリスは欠伸をしつつ「これを機に執事さんを測るといいよ」

「はい?」

「手土産を持ってきても怒るか。それとも手柄と褒めるか。価値が分かる人なら、褒めると思う」トリスの言い分に、セシリアはしばらく沈黙を保っていたが、ぽつりと口を開いた。

「……上役を測ると言う考えを抱いたことはなかったよ」

「これでも怒るなら、ちょっと価値観が違うかな」トリスは呑気に言った。他人ごとと思っているよりは、本気でそう考えているようだ。

 ちょっと危険な方向に誘導してくるトリスは、いかにも自由居留地の商人の弟子だろう。それも転職の余地のない小僧や丁稚の類ではなく、都市の使い走りや自由商人などもっと抜け目のない人種の考え方だった。

 

 

「凄く、合理的な考え方をするのね。恐いくらいだよぅ」セシリアが囁くように首を傾げるが、トリスは首を振った。

「自由居留地でも全員がそういう思考をするわけではない

 逆説的に、親方が余裕を持ち、それを許してるからでもある」

 欠伸を噛み殺しながら、涙目のトリスは眠そうに言葉を垂れ流してる。

 

「合理と言えば、思考を制限するのも合理と言えるし。かと言って理想主義でもない。逆におのれで判断する徒弟を使いこなすから、高度に思考を組んでいるんだね。 

 単純に合理と言えば、どの段階でも合理は生じるんだから」

「ちょっとなに言ってるか分かんないや」

「うちの親方は優しい。抜け目のない商人は、もっと恐い」大きな瞼を揉みながら、トリスはそう告げた。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 朝の四時か、五時。まだ夜の薄暗さが街角に燻っているが、ぽつぽつと往来する人影も見掛けられた。行商人のマギー親方と部下のジーナ・E(エクルストン)が昼頃には自由都市への行商の旅に出るそうで、留守役のニナと帳簿を開いて最後の打ち合わせしている。

 

 トリスと猫耳ココは、セシリアに付き添って自由市場の方向へと向かうが、道すがらに恋人たちが腕など組んで歩いてる姿を幾度か見かけた。祭り帰りの若者たちが艶っぽさを漂わせつつ、幸せそうにくすくすと笑い合いながら家路へ就いてる風景は、セシリアにはまだ早すぎた。

「大人の雰囲気だ……刺激が強すぎる」頬を染めるセシリアに「山羊の交尾くらい見たことあるにゃー」「それはそう。農家の日雇いで牛の種付けも手伝った。我々は、もう大人よ」猫耳ココや徒弟トリスは余裕をかましている。

 

 ガルダ人たちの天幕が張られた路地へと帰り付けば、木戸には閂。縄留も掛けられていた。帰還を拒絶されてるようでセシリアは怯んだが、トリスは近くの木箱に乗っかって、奥の様子を窺ってみた。

「人の気配はある。もう起きてると思う」トリスが言うと、猫耳ココが門の近くで鳴いた。

「にゃー」

「ニャーじゃ分からないよ。すみませーん」木戸は簡単に開けられそうだが、門によじ登ると殺されても本当に文句は言えない。

 

 しばらくして老執事が出てきた。やや厳しい目で髭を撫でながら「朝帰りかね」と一言。厳しくもない平坦な口調が返って恐い。

 セシリアとトリスたちは、帰り付く前に言葉の組み立て方を話し合っていた。

「まず、こちらを」まずノートを提出した。

「地区の地図と、主な水キャラバンの規模や価格、帰還時間や参加した際の参加料、労働した場合の賃金などが乗っています。いずれも伝聞は多いですが。地区の位置関係。木こり団や牧者衆、廃墟漁りの集まる店などの記載は、間違っていない筈です」

 

 執事は、やや意表を突かれたようだ。少し考え込んでからノートを受け取り、丁寧にページを捲る。

「ふむ。これは君が?」ノートを見ながら、尋ねてくる。

「トリスとココに助けてもらいました。商人の徒弟らや廃墟漁りたちに引き合わしてもらいました」嘘はついていない。幾人かの知己も出来た。

「外泊して申し訳ありません」

 抑圧的な、叱るのが目的の人物には通用しないと思う、とトリスに言われた以上、思考誘導されてるかも知れないが。執事に対する恐怖はやや減って、観察する余裕がセシリアにも出来ていた。

 

 老執事は、最初の数ページを丁寧に眺め、それから残りページも確かめて、水キャラバンのページで丁寧に内容を追うと、頷いた。

「よくやった。ただそれはそれ。次からは遅れそうな時は、出来るだけ一度は帰還して報告しておきなさい」ノートを脇に挟み、振り返った。

「ありがとうございます」

 

 遅れてきた女兵士のイヴリンが目を丸くして、老執事の背中を見送りながら。

「気が利くね」

 どういう意味だろう。セシリアの同僚は、年上ばかり。

 意図を測りかねて、あまり手柄を主張しないように振舞うことにした。

「トリスに助けられました。とても親切にしてもらった」

 

 

 やや離れた街路で一部始終を眺めていた徒弟トリスと猫耳ココが、顔を見合わせると、そのまま静かにその場を離れた。

 家路に就いた二人は、街路を歩き出しながら欠伸を噛み殺している。

「なー、なご」猫耳ココは、ガルダ人たちの天幕を指差しながら、掌を広げた。

「あまり色々と教えすぎなんじゃないかって?」トリスが首を傾げると「にゃー」と頷いた。

「かも知れんけど、町に来て戸惑ってるのが昔の自分みたいでさ」朝の光に眩しげに目を細めてスノーゴーグルを付けたトリスに「なごー、にゃー」猫耳ココは肩を竦めてみせた。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 ノート

 

 セシリアは、主君との会話で「中々に利け者です」とか言われるくらいの評価は得つつある。

 逆に言うと、裏切りはしないでも、転職したり、鞍替えするかも知れないって警戒が出る。

 徒弟たちと仲良くしてるし、普通に主君側を測りもする。

 子供だから、まだ価値観が固まってない。

 給与=忠誠心で動く、自由居留地側の人物になり易い。

 

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