行商の旅のさなか、休憩を取るたびにマギーたちは地図を広げて眺める。
黄昏の時代、安定して使える街道はそれほど多くない。
巨大蟻や屍者、略奪者《レイダー》や傭兵団の姿を前方にみとめれば、予定の道のりや補給、日程はすぐに狂ってしまう。その場で第二、第三の進路へと変更することもあれば、大きく迂回を強いられもする。道を塞がれて間道に回り道する旅人を目当てに盗賊団や人狩り、蛮族、小規模な略奪者《レイダー》に追いはぎが罠を仕掛けることもある。
ところで傭兵団や略奪者《レイダー》、盗賊団は、世間から一様に恐れられ、忌み嫌われているが、必ずしも友好関係を保っている訳でもない。中には多少の繋がりを持つ場合もあるが、他所に拠点を持つ略奪者《レイダー》や蛮族の先遣隊。縄張りに巣食っている盗賊団。放浪の傭兵団や人狩りなどは没交渉の例も少なくない。
時にそうした盗賊団や人狩り、略奪者に蛮族、無宿人《ノークォーター》らが街道や宿場町を占拠し、地元民の迷惑など知らんとばかりに激しい抗争に突入してしまう事例も数年に一度は耳にする。
貴族や騎士、警備隊や自警団有志などが騒乱を納めんと駆けつけてくることもあれば、無頼側の人数が多ければ、統治者や法執行官なにするものぞ、と巻き込んで暴れ続け、小さな集落、部落の一つ、二つが灰燼に帰す事例さえ珍しくもない。
酷い時には惣村や居留地が半壊してしまう。一方で死んだ賞金首や連中の装備を拾って売り、一財産稼いでみせる抜け目ない
通行権やら縄張りを巡ってか。面子か。誤解か。理由はマギーには分からない。知りたくない。と言っても、知らなければ商売に差し支えるので、後で行きつけの酒場で金を払って情報を集めもする。酒場の主は、生き残りの農民や旅人。或いは当事者を拾って、事実の欠片をかき集める。利害に主観、希望と誇張、誤解に嘘が入り混じった事実の断片をかき集めて、それをどう組み立てるかは情報を買うもの次第だ。
農家の納屋に泊まった際、マギーはそうした話をジーナ・エクルストンと交わした。二人の共用している世界観や思考回路は似ている。付き合いも長く、気心も知れていれば、殆んど分身のようになっている。だから、日没より大分、早めに足を止めて、翌日の地図を眺める時間を作っておいた。
想定される脅威の種類はなにか。足止めされたら、何処まで戻るか。略奪者《レイダー》や盗賊《バンディット》、横暴な兵士や役人、警察官に如何に対処するか。賄賂や通行料は幾らまで出すか。生きてさえいれば稼げるが、あまりに舐められるとそれはそれで面倒ごとが起きてくる。
持ち歩いている燧石銃《フリントロック》は、大きな音が出る。多数の屍者を見かけた時は、使わない方がいい、など。手慣れてはいるが、毎回の手順を確認し、修正する手順はないとも確認している。しかし、大原則を手堅く固めつつ、柔軟性を維持して臨機応変でなければならないのだ。そこまでしないでも生き残れるかもしれない。なにをしても無駄かも知れない。先行きが常に不明な中、歩き続けなければならない。
金を稼いでも、余り状況は変わらない。良い装備となると、弾薬を集めるのに時間が掛かるし、こればかりは人を頼むことも難しい。基本的に枯渇気味で、欲しがる連中は必要だから伝手を維持している。金を積んだからと言って、容易く入手できる代物ではない。特にマギーに積める程度の金では、まだ無理だ。
それでも黒色火薬と鉛玉の供給は受けられる程度の人脈は築き上げた。それで満足すべきだろう。今は、まだ。
他に、選択肢としては人員を増やすくらいか。だが、専門の護衛を付ければ、信じられない程に金が飛んでいく。あくまでおおよその相場としてランツクネヒト一人で年俸が6000通貨。或いは3000通貨。前者は戦時の消耗込みでの価格。後者は戦闘が起こるかも知れない業務に雇用した際の価格。高価な傭兵分隊は、一週間で数千が吹っ飛ぶし、もっと安い浮浪傭兵も多い。装備代や食費などは契約で大分、変動してくる。
十万通貨あれば、戦争契約の百人隊を隊長込みで一か月動かせる訳だ。安いと言えば、安い。金を蓄積した野心家の盗賊どもや傭兵隊長、無法者の頭が似たり寄ったりの傭兵団や無宿人《ノークォーター》らに声を掛け、町や小封土のひとつ、ふたつを乗っ取ってみせるのも聞かない話ではない。
(……そういう道もある)
賊徒に稼いだ金を奪われ、豪族や居留地に気分で税や通行料を取られ、家に置いておいた薪やら食料を盗まれ、マルグリット・モイラもいい加減、踏み躙られる立場に飽きる瞬間もあった。一度だけ、一度だけ暴虐を働き、どこかの隙の大きな町を奪い取り、その後は良い領主になる。傭兵隊長や山賊、武装放浪団が乗っ取った後、良い領主になった例も聞かないではない。
勿論、蛮族や異教徒の征服、上手くいった叛乱奴隷や異民族、貧困層の暴徒による乗っ取りには、元の住民を劣等民族や悪の化身として虐殺したり、奴隷としか扱わないものも多いが。支配者になるべきではない連中も世にいるとマギーは思っている。もっとも虐殺やら搾取やらにも、迫害されていたやら、先に殴られたやら、神のご意思なり、連中なりの言い分はあるのだろう。マギー自身も含めて、誰でもそうだ。
マギーも傭兵隊長として敵方の村々を略奪したこともある。勝つためであったし、人買いの真似はしなかった。それも言い訳だ。家や田畑を焼かれる者にとって、奪われるのとなにが違うのか。
契約の為と言い訳してきた。おのれの為に動いて悪い理由があるだろうか。
今なら、まだかつての部下を集められるだろう。二、三十人の信頼できる腕利きの兵士と――それに
「マギー」とジーナ・エクルストンが呼び掛けてきた。こちらを見ずに地図を眺めながら「どんな道を選ぼうとも付いていきますよ」淡々と告げてきて、それでマギーは苦笑して、弄んでいた野心を投げ捨てた。
日が暮れてきた。梁に私物のランタンを付ける。炎がじりじりと音を立てて、羽虫が寄ってきた。納屋の入り口にも扉が付いている。滅多にはないが、野犬や屍者、変異獣が入り込んでくる為、辺土では納屋にも扉を付ける。空気は籠るが仕方ない。
乾燥させる為、高い位置に小さな窓は沢山ある。毒蛇は少ない。扉を閉めれば、安心して眠れると言うものだ。
黎明とともに村を立ち、数時間を掛けて丘陵地帯を越え、ズール側の平野部へと降りた。細い間道からやや大きめの街道に合流する過程で、他の旅人を見かけることも増えてくる。
街道の草むらに死骸が転がっていた。腐臭が漂ってきたら、旅人たちはまず屍者を警戒する。クロスボウを携えて警戒してる旅人もいるが、マギーたちは燧石銃《フリントロック》を背負っている。少数の屍者が相手なら兎も角、一帯に多数の屍者が分散している場合、音が呼び寄せてしまう恐れもあった。
用心しながら歩を進めて、単なる行き倒れだと見定める。或いは盗賊や怪物に襲われたのか。眼球は喰われているが大鴉の仕業であろうし、荷がないのは通りすがりの誰かしらが漁ったからだろう。近くで荷を漁った者がいても立ち上がらぬなら、逆に単なる亡骸と安心できると言うものだ。大きな居留地の身分証でもあれば、いずれは身内に訃報も届くかも知れないが、恐らくは此の侭に放置され、街道沿いに時々、見かける白いされこうべとなるだろう。
マギーも時々、行き倒れとその荷物を見つけた時は、地図でも持ってないかと漁りもする。小銭に興味は持たない。
マギーは通貨を集めるのが趣味だが、大抵の通貨はコレクション済みだし、小銭やビタ銭などは、重たいばかりで両替するにも手間暇がかかる。時間当たりで考えると、貧乏人の財布を拾っても大した得でもないのだ。財布は、必要とするものが漁ればよい。
地図があれば、旅人の行った地形の情報が書き込まれている。放浪者と馬鹿にできるものでもない。時々、誰も知らないような土地や抜け道に入り込んでいる冒険野郎とているものだ。マギーが今、探しているのは牧草地だ。其の儘でなくとも良い。水はけのいい平地、南向けの斜面、草の生える谷などの情報を持っているかも知れない。数年、或いは十数年を掛ければ牧草地となる土地もある。ポレシャ市に限らず、牧者衆や遊牧民が保有している小さな牧草地の幾つかは、そうやって育てられた。そうした情報こそが、マギーにとっては宝の地図となる。
一角の人物は、誰もが地図を見る。同じ一枚の地図から、軍人や傭兵や遮蔽や高度を見るし、密輸人は抜け道を探す。盗賊は獲物を探すし、鉱夫は地質を見る。農民は水はけや水源、耕地を見出し、牧者は草を探す。情報とは不思議なもので、誰かにとっては無価値な情報が、別の誰かにとっては宝になりもする。
地図はなかった。肩を竦めつつ、マギーは立ち上がった。先に漁った人物が持っていったか。或いは、大した地図も最初からなかったか。どのような分野のどのような年齢層にも、人物はいるものだが、かと言って、そこら辺で出会えるような密度でもない。そもそも、一角の人物は滅多に行き倒れない。 価値ある情報や、手強い人物とは中々に出会うものでもないのだ。
※※※※
自由都市ズールがマギーの行商の目的地だ。安物のガラクタを仕入れて、物資の欠乏しているポレシャ市に持ち帰る。月におよそ二度。空き瓶や空き缶から古布。電子部品、鉄くずから工具、酒に菓子、医薬品に火縄銃。一年で一トンほども運び込めば、行商人の稼ぎとしては相当な額となる。
巨大な都市防壁は、遠来の地平からも目に入ってくる。都市内に聳えている大型廃墟の幾つかは、修繕されて近隣勢力の大使館や公館として利用されている。幾つかの都市は、数千、数万の人口を抱えているが、しかし、その繁栄も、多くは過去の遺産が放つ残光に過ぎなかった。曠野の設計士や職人たちは、文明崩壊前は愚か、恐らくは近代の建造物ほどにも快適な住居をもはや造れない。黄昏の時代だ。
防壁内北側のポレシャ市公邸の敷地には、広くポレシャ圏から出張ってきた行商人やら隊商、交易商に牧者、買い出しの農夫の一団に巡礼までが天幕を張って寝泊まりしている姿を見ることが出来る。大きな定期市が立つ時などは、隊商の為に仮設建築物が建てられる一方、群小の行商や農民、巡礼などは追い出されたりもするが大抵の時期、格安か無料で宿泊できるのだ。とは言え、旅人からすれば、予め地元の役人や顔役、役所に手数料を払っている為、実質的には無料とも言えないのだが。
基本的には、ポレシャ圏の身分証を持つものだけが宿営の対象だが、一時的に入り込むのであれば、出入りは厳しくない。近隣の薪売りや水売り、廃兵や乞食、盗賊の類なども紛れていた。ズールは巨大な都市であり、貴族地区や市民街区を除いては旅人や農民、物売りに浮浪者たちは至るところに見かけられるのだ。
マルグリット・モイラは行商人であるが、かつては賞金稼ぎで傭兵隊長だった。
曠野の自由都市ズールは、万に近い人と物流の集約地点であり、今も時々、昔の仲間と出会う時がある。現役を続けて、腕と装備を上げている者もいれば、引退し、土地持ちの自由農民や女職工となった者もいれば、結婚して平凡な農婦として暮らしている者。そして、手足を失い、食い詰めている者もいた。
商業地区で出くわしもするし、自由都市商会連の館、ポレシャ市公邸の庭先で出会う事もある。
「隊長、隊長殿……」感極まったように語り掛けてくる隻腕の戦友に出会い、「うん、うん。困ってるようだな。そうか、うん」困窮した仲間にあった時、マギーは何時も銀貨の一、二枚を手渡していた。銅貨の時もあるが、ビタ銭や低額紙幣はない。二日か、三日は木賃宿に泊まって食べられる。稼ぎに比べればけち臭いと思うかも知れないが、暫くぶりに出会えば、何人でも、何度目でも、なにも言わずに小遣いを渡すのだ。
優しいと言うには、おざなりな対応かも知れないが、今も稼いでいて、いつも1~2日暮らせる小遣いを分け隔てなく、皆に与える人物の方がよろしかろうと、そこは割り切るしかない。本人が別の職業で成功しているのも大事だろう。やはり隊長と呼べるだけの人物だと見做されているようだ。別の隊長の部下だったものも顔を見せるが「ティアマットは元気か。ん、分からんか。そうか。また顔を見せろよ」など言いながら、少額を手渡している。利用してくるだけの者もいる。流石に甘く見る者は余りいないだろうが。まあ、人数もたかが知れている。よく会うのは五人か、多くとも十人。連れ立っていた別の傭兵隊の廃兵にも一瞬、止まってから、金をくれてやった。「あいつらは元気なのか?」など情報を尋ねてもおいた。
こういう隊長なら慕われるだろう、と想像する人物像をマギーは自分で演じていた。零落《おちぶ》れた時期、こういう人物がいればいいと想像したが、マギーの上に立つ者はいなかった。だから、己がなるしかなかった。零落《おちぶ》れた時期の心細さと恐れを思い返せば、見ない振りも、マギーには出来なかった。
ズールに到着して、まずは手紙や手形を届け、挨拶回りをを済ませる。蚤の市や自由市場、中小の店舗を回るのは明日からだ。既に露天商や屋台とは、もうあまり取引しなくなっていた。値段的には割に合う相手でも、仕入れる品の量が足りない。
集めた情報は、ノートに記しておいた。傭兵団や賞金稼ぎ、賞金首の噂や位置、活動範囲。さほど役に立つ局面もない、どの程度に信じられるかも分からない情報を小まめに蓄積させ続ける。望まれた時には、酒場の主人にも教える事がある。貸しを作る。そうして要望すれば、酒場の主人も、幾らかの情報をマギーに教えてくる。
商材として区切った方が小遣いにはなるだろうが、マギーのこれは保険なので、情報屋稼業の競争相手にはならない。
情報を蓄積し、伝手を広げ、金も稼いでいる。単に稼いでいる金額と蓄えている情報だけでも、もう少しは成り上がれるだろうと自己評価している。
限界も見えているが、それはかなり先にあった。夕方には馴染の酒場に顔を出して、静かに杯を傾けてた。商いは上手くいっているが、時間こそが貴重になってきた。昔馴染みの連中との付き合いも、いつの間にやら少しずつ浅くなってきている。
杯で転がすのは輸入物のワインやラム。水分補給のエールを別にすれば、安物のどぶろくや密造酒《ムーンシャイン》はもう滅多に口にすることもない。かと言って、豪商たちのようにコニャック(もどき)やスコッチ(もどき)を口にするような身分でもない。なんとも中途半端な成り上がりだ。出来ることは多いが、手が届かないことはそれ以上に多すぎた。
「心ある領主《ロード》たちは、城に忠実な老兵たちの為の居場所を作ってやっているそうだ」マギーはため息交じりに囁いた。
「……貴族になりたいんですか?」ジーナ・エルクストンは面白そうに尋ねてくる。友情と忠誠を疑ってはいないが、ジーナ・
「分からん」マギーは首を振った。
少し酔った自覚をしつつ、子供みたいな願望をマギーは垂れ流した。
「金貨百億万枚欲しい。そんででかい家を建てて、廃兵になった連中が暮らせる場所を作ってやりてえ」馴染の酒場の何時もの席。酔いながらそう零した。
似たような夢や野望を口にする連中は、酒場に星の数ほどもいる。
「実際には、幾ら必要です?」傭兵時代からの副官で、商人になってからも合流してきたジーナ・エクルストンが隣席で尋ねてきた。
「んー。一万都市通貨あれば、土地を買って小さな廃兵院は作れる。あとは修道院みたいに畑仕事して、酒でも造れば」マギーは疲れた表情で呟いた。
「払います?貴女には払えない金額ではない。会うたびに3通貨、5通貨と渡してるでしょう?」
「無理。まだ、無理」マギーは、深々とため息を漏らした。そう、まだ無理だ。
『赤泥のジルカ』に関する情報と調査を酒場の主マーカスに依頼する。引き換えに、ポレシャ方面で顔を見かける傭兵や賞金稼ぎ、賞金首たちの消息や動向を尋ねられる。分かるものは応え、隠したいものは応えず、分からないものに関しては首を振った。
自由都市ズールは全く人種の坩堝で、その多様さに比べるとポレシャ市でさえ辺土の田舎町に過ぎないと思えてくるほどだ。時には、昔の仲間や友軍がかつての敵手と同じ傭兵団や徒党を作ったり、加わっている姿を見かけもする。そういう連中に関しては心配していない。飽きるまで戦い続け、好きに生きて好きに死ねばよいのだ。また、堅気に成った者たちも、おのれの人生を生きているだろう。だが、見捨てられた者どもに手を差し伸ばす前に、まずマギーはおのれの道に刺す過去の影や立ちはだかる新しい敵に対処しなければならなかった。