家に手を入れた。前々から考えていたことだが、予定はしていなかった。
設計図に資材、それに塗料や接着剤なども仕入れて持ち帰れたので、丁度良い機会と、屋根にニスとペンキを塗り、継ぎ目にビニールを被せ、僅かに傾斜をつける。
冷涼な乾燥地帯に、降雨量の少ない土地だからこそ通用する程度のやわな作りの小屋だ。梁や柱を組み立てて移動式の壁に組み立てて固定し、鉛管や鉄筋などで補強する。変異獣や屍者が数匹、押し寄せてきても五分は持つだろう。まともな建材など望むべくもない、黄昏の時代の庶民の住処にしては上等だ。
床に毛布やら段ボールを敷き詰め、断熱材代わりにしている。一番いい所はポリスチレンと板材だ。土から上がってくる冬の寒さも防いでくれる。七人が床に眠れる程度の広さは、辛うじてあるだろう。以前のように隙間風が吹くこともなければ、雨漏りもしない。寒さの厳しい冬には壁に毛布を張り、さらに小さな天幕を張り、服を着込んで過ごす予定だ。寒さに耐えられるかは分からないから、簡易宿泊所に例年通りの宿泊費は払い込んである。
冬までにもう少し増築出来そうだと踏んでいる。寝る時に一々、荷物を纏める手間も無くしたい、が、その分、市に売る資材は減る。家の手入れも、今年はもういいかな。と言う気持ちも幾らかは合った。あまり金を貯めても意味がないが、家を急激にでかくすれば、近隣の住人や零落した市民、何処かには確実に潜んでいる嫉妬深い誰かには憎まれるかもしれない。成功が敵を呼ぶと言う側面は、確かにある。
馬鹿馬鹿しい話だが、嫉妬に足を引っ張られたり、潰された人物も世には少なくない。ただ、もうほんの少し大きな部屋も欲しかった。雑魚寝した時、身体が触れ合わない程度の広さでいい。それで随分と暮らしやすくなるだろうなと思えた。
屋根を支える梁に釘を打ち込み、広げた屋根を固定しながら、以前には段ボールの天幕に暮らしていた身が随分、贅沢になったと。どうでもいい追憶に一瞬だけ耽った。人は一度上げた生活水準を落とせないと言われている。一度快適さを受け入れれば、心身がそれに適応してしまうと。だけど、本当にそうか、とマギーは疑問を抱いている。
確かに掘っ建て小屋程度だが、まともな住処にはあっという間に慣れた。
今さら、段ボールの天幕に戻ってもろくに眠れないだろう。
だけど、貧しい暮らしには無理を重ねている感が付き纏うのに対し、もう少しだけ大きな家で暮らしてる人間はどうだろうか。最初からそれが欲しかったし、それ以上の生活を望むかも分からない。豪邸に暮らしても、普通の暮らしやすい邸宅に戻りたがるのではないか。不足が解消されたのに、それ以上を本当に欲しくなるだろうか?
いや、豪邸に適した細かな快適さ。それを埋めるだけの人の手もある生活は違うのかも知れない。慣れたら、その快適さに戻りたくなるような富裕層の暮らしもあるのだろうか。
成功したら、際限なく貪欲になるかな。普通の邸宅でいいと思う。実際のところ、マギーはそれほど金を欲しい訳でもない、だが、必要だった。
おのれ一人じゃない。貪欲でもない。力が必要になる――身内の為、仲間の為、味方の為、共同体、或いは大義の為に。大義。自由主義社会を気に入ってる。色々と生きやすい。主義者のつもりはなかったのに、守る為に危険を冒すだけの価値はあるかも知れないと少しは思っている自分がいた。
昔はこんなことを考えなかった。雑念が多すぎる。抱えたものが増えたのかな。
行商で食べ続けられるとさえ、限った訳ではないものを。
おのれ一人だけを考えていた時の方が、生き物としては間違いなく強かった。
釘を打ち終わり、「風呂に入りたいな」マギーは額の汗を拭いた。金がないから、今日は、お湯で身体を拭くだけだ。好きな時に入れるほどの金は、まだない。料理番――隻眼のリリーが飯が出来たと皆を呼んできた。手を止めて、濡れたタオルで汗を吹いた。確かに、背負うものが多すぎた。
軍閥や略奪者《レイダー》の軍団、傭兵団の連中も、貪欲に見えて止まれなくなったのだろうか。案外、誰もがこうやって越えられない河を越えていくのかもしれない。
徒党の者たちで食卓を囲んだ。卓に木箱や丸太の切り株に腰掛ける者もいれば、毛布の上に座る者もいる。思い思いの場所に散って食べる者もいる。好き好きだ。
用心棒リジィは、食事の時も、周辺の街路を見渡しやすい位置に必ず座っている。
「肉は有難い、元気が出る」ニナが指に付いた白いラードを嘗めとっている。
「太るぞ」とジーナ・
「太りたい。少しはね」
「パスタが伸びてる」徒弟トリスが首を捻る。
前日の余りをスープに入れた麺だ。
「伸びてるパスタも旨ないかな?」と隻眼のリリー。
「ええ?歯応えがないっすよ」「胃に優しい感じがします」
周囲に流れる穏やかな談笑を聞き流しながら、マギーは目を閉じる。
今、丁寧に一日、一日を生きている。明日で寿命が終わるかのように。そして永劫に生きるかのように夢も見ている。飯を喰いながら、考えることは沢山あった。
生活の事。仲間たちの事。かつての部下たちの事。商売に加えて、街道の安全。
保安官補の仕事として、出回るアヘンや麻薬、偽札の事。ガルダ人亡命者一行の保護の仕事――赤泥のジルカ。どれほどの相手でどんな手でくるだろうか。
それに、牧草地争いと、牧者たちの弾薬。
ポレシャ市でも配給量は多くない。なら、争っている牧童団や牧者衆らも、苦しい筈だ。本来なら。羊飼いたちは兎も角として……村の羊飼いたちなんかは、端から戦おうとはせずに、空いてる牧草地に入り込んでは、こっそりと草を喰わせて素早く逃げ去ってしまう。厭らしい、それでいて効果的な、こちらの利益を削ってくるやり方。それも戦い方の一つだ。カウボーイ気取りの牧童たちと別の意味で、村の羊飼いたちは、また手強い。一方で、撃ち合いから逃げない連中もいる――ミト村の雇われ牧者はともかく、トランやスージに雇われた牧者衆は粘り強い。何処から弾薬を得てるのか。何かしらの伝手を持つか。調べてみる価値はあるかも。
だが、慎重に動く必要もある。味方の密偵や都市斥候が消えるのは、得てして隠された秘密を探る時だった。或いは連中にも、私のような行商が何人か付いていて、肩入れしているのかな。
弾薬は何処で補給している?小さい徒党ならやはり自由都市《ズール》か。それにしても、よくやり合う。ポレシャ市と契約している牧者衆だ。数だって多いし、練度だって低くない。味方だから軽口叩けるが、戦うと想定して戦力を測る目で見れば、途端に怖さが滲み出てくる。弾薬だって相当に配給されてる。よく継戦できる。
考え込みながら、マギーは細巻きを吸った。最近はヘビースモーカーではない。日に一本とか、二、三日に一本の時もある。ライターやマッチさえ貴重な世の中だ。だが、その瞬間、気持ちが不思議と楽になる。生きる重みは好きだが、手放したい瞬間もある。
「いい煙草吸ってるな」お代わりしにブリキの皿を持ったリジィが言う。
「三日ぶりかな。また、禁煙に成功しちゃってさ」言いながら、木箱から一本マギーは勧めた。手を振って断ったリジィが、顎をしゃくって通りへ通じる路地を示した。
見れば、議会衛兵の巨漢ジョージアが歩いてくる。「何時も飯時に来るなあ、あいつは」軽口を叩きながら、苦笑を浮かべた。
食事を楽しむ身内を眺めながら、ぼんやりとマギーは思考を走らせた。
幾ら稼げば、この不安は消える?ギルド通貨で50万か、それとも大陸通貨で100万か。いや、脅威は消えない。不安は呑み込めるようになるだけだ。
(笑わせてくれる)自嘲の笑みを浮かべて、首を振るった。10年かけてやっと都市通貨の2万を貯めた女が。50万だの、100万だの。夢みたいな金額を。
だが、都市通貨の5万から8万であれば、やってできないこともない。
8万都市通貨を使ってどの程度の事が出来るか、元傭兵のマギーはよく知っている。それだけあれば大抵の危険から徒党を守り抜けるし、安定した利殖にも回せる。
例えば、ポレシャが滅びるような災厄には流石にどうにも出来ないだろうが、滅亡するか否かの脅威であれば、凌いでみせよう。スネイクバイトのウロボロスには、その程度の力量はあるはずだと、心の奥底で静かに自負を燃やしてもいた。
※※※※
ポレシャ市には、古ポレシャと呼ばれる廃墟の地区がある。
市民街区に隣接した小高い丘で、建物はまだ綺麗な家屋が残っているのに人影はない。当初のポレシャは、この小高い丘に作られた小さな町だった。
近隣を屍者や変異獣が彷徨う中、防衛に優れた高い地形に砦のような小さな町は辛うじて生き延び続け、少しずつ怪物を駆逐していった。
防備を少しずつ整えながら、人口が増え始め、流れ込む怪物よりも駆除する方が僅かに多くなっていき――ポレシャ人たちは、折を見ては前哨を進め、何代も掛けて徐々に平野部に居住地を広げていった。そうして、ある時、当時の住人たちは丘よりも麓が住みやすいと気づいて、一斉に移住し始め、古い町は無人になった。
家が取り壊されたり、資材にされなかったのは、外敵や怪物によって攻撃を受けた際は、新しいポレシャの市民地区と連携を取る為であり、麓の砦やら前哨が陥落した際、古ポレシャに籠って最後の抵抗をする為だ。だが、幾度かは無法者や略奪者《レイダー》の襲撃を受けたものの結局、ポレシャが落ちることはなく、古ポレシャは今も、市民の家系発祥の地として残されていた。
ポレシャ市の内外には古い井戸が数多く点在している。使われなくなった大半は枯れ井戸だが、中には同じ水脈や水路から他に水を流す為、封印された井戸もあれば、僅かだが水が滲み出る井戸もあるし一度、枯れたと思われた場所で、蘇っている井戸もある。
地下水脈は目に見えない。機械好きの役人の中には、比抵抗探査機がどうこう言って予算を勝ち取ろうと頑張ってる人物がいるが、どうしたって銃弾薬や家畜に資材の方が優先されている。音響探査や電気探査装置なども貴重品だから、昔は枯れていた井戸が再び出るようになった場合などを見落とさないよう、人の足で一々、調べて回るしかない。
古井戸の検査の仕事は、距離を歩くので、骨惜しみせずに若くて元気のいい者たちに廻される。どのみち次回の検査には、他の者が調査に廻ってくるのだが、市内の古い井戸に水が満ちていても、欲を抑えて報告しなければいけない。徒弟トリスと猫耳ココは条件を満たしていたし、親方マギーや年長の者にくっ付いて、既に幾度か仕事を熟し、要領も呑み込んでいた。
ポレシャ市は兎も角、小さな町や村々の境界など、蘇った古井戸を巡っての争いで死人が出ることも珍しくない。辺境や開拓地では、井戸の価値はさらに上がる。だけど、南方の湿原諸邦だと、水はただとは言わないが、かなり安い。南からやってきた人間は、まず曠野の水の値段に慣れないといけなかった。
セシリアが古井戸を見て回る仕事を引き受けたのは、この土地をもう少し知りたいと感じたからだ。もしかしたら、この先、一生を過ごすことになるかも知れない。その一生が半年か、五十年かは分からないが。周辺の地形は足で廻って覚えておいた方がいいと忠告され、多少の賃金も出るとの誘い文句もあって、トリスの誘いに特に断る理由もセシリアには見つからなかった。侍女見習いではあったが最近は、館に上がる前の、素朴な村の子供だった時分のように歩く時間が増えていた。
「……うん?」石垣の上に座った徒弟トリスの言葉を聞き逃した気がして、古い井戸を覗き込んでたセシリアが振り返った。
「だからぁ、勝負は冬だってさ」トリスが言葉を発していた。
なにが、冬なのか?とは、きまり悪くて聞けなかった。ついつい、セシリアは曖昧に頷いてしまう。そういう、細かい失敗を流して誤魔化す癖がセシリアにはあった。
「今年の冬はどうなるかな」とトリスが言葉を続けた。装填済みの燧石銃《フリントロック》を構えて、視線を走らせている黒猫ココがニャーと鳴いた。
「そうだね。少し前は、冬を越えるのに必死だったのに、それを忘れかけてた」とトリスが相槌を打った。何故、ニャーで理解できるのか、セシリアには全く分からない。
古いポレシャには怪物は殆んどいない。一体化した石垣が張り巡らされ、街路や門は封鎖されている。それでもどこからか巨大鼠なり、変異獣が忍び込んでいるのを警戒して、三人は武装している。セシリアは、燧石銃《フリントロック》を借りていた。
「親方が言ってたよ。【赤泥】が仕掛けてくるなら多分、秋の中頃から初冬に掛けてだって」トリスが囁いた。
赤泥のジルカ。姫さまを狙っていると言う刺客。その異名を出されて、セシリアの喉が微かに痙攣して音を出した。
「親方言うにはさ。ジルカは、地元の人間を作戦の手先にするらしいんだ」石垣の上で片膝を抱えながら、トリスが淡々と語っている。
にゃー、と猫耳ココが再びなにかを言って、徒弟トリスが肯いている。
「人が飢える季節だから、余裕がない奴らが誘いに乗る。
今年は、特に新参も多い」それから顔を強張らせている侍女見習いセシリアに気づくと「まあ、親方が読み間違う事も、普通にあるかもね」などと笑って言葉を濁した。
えぇー、と、セシリアは抗議の声を発したが、トリスの言葉がある種の気休めであることには気づいていた。当たるか否かは別にして、きっと保安官補は冬と読んでいるに違いない。
ポレシャ市は存外、大きな町だった。馴染んで静かに暮らしている亡命者一行を探し出すには多少の時間が掛かる。
今、セシリアと姫さまたちが暮らしている大型の天幕住居も、それなりに守りは固かった。瓦礫を積んだ防壁が道を塞ぎ、戦える護衛が四人。
実際には自由市場の詰め所から五分で夜警が駆け付けられる位置にあって、袋小路に見えて、奥にはもう一つの袋小路に抜ける道があり、そこからさらに『町外れ』地区へと抜けられるようになっている。土地勘が身に付くにつれて、思ったよりも守りやすい場所だとは理解していた。
ただし、一抹の不安は残っている。天幕周辺の廃屋は大半が無人に見えるけれど、そこから狙い撃ちされたらどうするのかとか。
セシリアがモイラ保安官補に尋ねると、「よく気が付くね。行ってみよう」などと頷かれて連れて行かれた。踏み込めば屋上の床は丸ごと抜けてたし、窓は塞いでおこうなどと言い出してる。本当に大丈夫だろうか。適当に見えてしまう。若干の住み着いた浮浪者《ホーボー》や寝起きしている自由労働者、出入りしてる
セシリアは、保安官補をよく知らない。だけど、トリスは中々の切れ者だ。
「……トリスは本音でどう思ってる?」セシリアが尋ねると、単眼を細めたトリスは笑いかけ、しかし、真剣な視線に十数秒を気まずく沈黙してから「……私は妥当だと思ってるよ」低い声で答えた。
赤泥のジルカと仲間たちは一流の手合いだ。市場の守衛なんか纏めて蹴散らせるかも知れないが、同時に公的な賞金稼ぎの身分も持っている。けっして、無法者《アウトロー》や略奪者《レイダー》の類ではない。
ポレシャは自由居留地圏のまともな町だ。大暴れして、北方全域で手配されるのは、ジルカとて避けたいだろう。だから、冬の初め。貧しい庶民が冬ごもりして姿を消し、夜警たちもいなくなる時期。無関係の人々を巻き込まず、そして切羽詰まった食い詰め者の中から、冬を越える為なら、なんでもする者を集められる時期。
推測は混ざっている。だけど、希望的観測は排除されているとセシリアは思った。勿論、実際には、ジルカも知った事かと暴れるかも知れない。姫さま嗅ぎ付けて、もっと早い時期に仕掛けてくるかもしれないし、見つけられずに、もう諦めて北方から出ていってるかもしれない。仕込みを大きくするために来年まで待つ可能性もある。だけど、晩秋から初冬だとトリスは読んでいた。ならば、多分、その頃だとセシリアも思った。
「今年のうちには決着は付く。多分、ね」トリスは言いながら「その時には、私たちも少しは力になりたいけど。装備もヨワヨワだし、戦う度胸はないかな」言いながらセシリアに視線を向けた。なー、と猫耳ココも鳴きながら、セシリアを見ていた。
「襲撃が起きたら、多分、君が逃がす係になる。その時、姫さま連れてきたら、合流して市民街区に逃げ込む為の場所も用意してある」トリスは躊躇してから言葉を続けた。「こういう役割を多少、決めておくだけでも本番で結構違う。でも、嫌なら……」
「嫌じゃないよ。誰かがやらないと」セシリアは言った。それが私に割り当てた役割か。微かに身体を震わせながら、淡く微笑みを浮かべた。
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七月上旬_18529都市通貨