ポレシャのマギーは、連日を忙しく立ち働いていた。保安官助手としては、こまごまとした業務をこなしつつ、ガルダ人の姫さまと亡命者一行を保護しており、調達係としては鉄くずや板材などを仕入れつつ、牧者衆の手助けに奔走していた。とは言え、抗争で用いられる弾薬となると五発や十発では到底、足りない。
マギーは腕利きの行商人であったが、雷管付き紙薬莢弾を定期で調達するのは流石に手に余った。それでも銃の予備部品のうちから、消耗しやすい撃針や遊底を仕入れていた。これはJJやイザベルなど牧者衆に相当に感謝されたので戦線の維持に一役買ったのは間違いない。
これの他に民兵隊のヘルナル大尉が時々だが、偵察騎兵を随伴させてるようになったので、牧者たちも一時よりは随分と楽になったようだ。モンデューソン家も私兵の軽騎兵を出してくれ、巡回とまではいかないが、不審者の情報を牧者衆に連携取って知らせてくれるようになった。同じ町の勢力が烏合の衆なのは自治都市や合議制共同体の常だが、不仲と言う訳ではない。長期戦になるにつれ、耐えられる負担の範囲で牧者衆への支援は増え始めていた。そして、互いに限られた物量でやりくりしているのだ。こちらが苦しい時は、あちらも苦しい筈だった。
牧者たちはなんとか持ち堪えている。取りあえず、安堵したマギーだが、本業を疎かには出来ない。礼のチーズや乳がもたらされて食事が豪華になっても、収入が増えた訳ではないのだ。十年一日のように自由都市ズールとポレシャ市を往来し続けては、金と物を動かし続けている。思わぬことが起きる。思うようにいかないのも日常茶飯事であった。
自由都市ズールからポレシャ市へと帰還する際、南街道に変異獣が出た。マギーとニナが旅籠の広間で休んでいたところ、自由都市の軍人が駆け込んできて、街道上を通行止めしたといきなり布告してきた。
「この先は通行止め!通行止めだ!」と掠れた声で叫びながら、替え馬に乗ってすぐに次の旅籠へと向かう。声が掠れてるのは、街道上ですれ違った者たちにも知らせて押し留めているからだ。普段は横柄な態度を見せるズールの軍人連中であるが、それでも人の命が掛かる局面となれば、命懸けで必死の働きを見せもする者も多いのが、単純に腐敗しているとも言い切れないところだ。
変異獣の群れ、どうにも小村落の一つか、二つは食い潰せる規模らしい。小村落や部落と言っても住人は槍や熊手で武装し、家の窓からクロスボウや弓、火縄銃を撃ってくる。数戸もあれば、十人からの農民が死に物狂いで抵抗する。それをあっさりと潰すのだから、生半可な頭数ではないとは素人にだって想像がつくものだ。
旅人や
大抵の行商人は、農民や自由労働者の兼業であり、どちらが主でどちらが従とも言えない。専業で喰えるのは一握り。
地元で慣れた仕事をしながら過ごす日々と、街道上で足止めされながら、旅籠で過ごす一日とでは掛かる金が段違いだ。今、こうして過ごしている間にも稼いだ金が消えている。
マギーとニナは、宿泊料を気にする零細行商よりは、一段上の旅商人だ。着込んでいる服は派手ではないが実用的で、布地も厚く強靭。変異獣の爪や噛みつきを防げる程の防護性を備えた高価な代物だ。武装は単発式の燧石銃《フリントロック》だが、精密な機械部分もきっちり整備されている。年収は都市通貨で二万を越え、手持ちの金もほぼ同額に近い。時に盗賊に身代金を奪われ、家も建て、徒党の武装と生活を揃えるのに相応の出費と維持費を掛けて、なお相当の大金を手元に持っている。
何事も予定通りに進まないのが旅商人だ。天気が崩れることもあれば、盗賊団も出没もする。屍者の群れが徘徊し、軍隊が通行を封鎖することもある。長椅子の上で地図を広げると、マギーたちは場所を指し示しながらひそひそと耳打ちし合う。手元には燧石銃《フリントロック》の他、火縄銃《マッチロック》が三丁、そして120
「余裕がなければ、わたしも苛立ったかもしれない」マギーが囁くと、ニナは、「あの頃には、旅の不便さを楽しんでもいたよ」と告げてきた。今も休養を取ると思って、封鎖を耐えていた。略奪者《レイダー》だの大規模傭兵団だのの組織相手よりはましだ。もっと情報を集めるか、急いで逃げる選択を迫られる。最も数年に一度は、人狩りと略奪者《レイダー》、盗賊団《バンディッツ》と無法者《アウトロー》などが街道で激しい戦闘を繰り広げることもあった。喰い合って巨大な勢力が生まれない限り、悪党と悪党の潰し合いは大歓迎だ。
屍者や変異獣でも少数であれば、顔見知りの同業者や腕の立ちそうな旅人たちと臨時の旅隊を組んで、突っ切る選択肢もある。街道封鎖時に旅籠や宿場町に待機していても油断は禁物で、屍者は不思議と人の住んでいる場所に引き寄せられることがある。血と肉の匂いを嗅ぎつけるとも言われているが、どうせなら、盗賊のアジトでも狙ってくれればいいものを。
旅籠に入ってすぐの待合室には、十数人ほどの客が思い思いに椅子や座布団に腰かけていた。曠野では、人数分の椅子も高価な代物で、買うと馬鹿にならない金額が掛かる。
苛立ちを隠しきれずに歩き回る馬借の一団。落ち着かなげに窓の外を覗き込む
散発的な銃声が聞こえてくる。南方の旅籠が襲撃されているのだ。咆哮からすると、この旅籠の周囲にもすでに群れの斥候が来ている。間近の街道を彷徨っている。そして人の背の高さ程度の壁は平気で乗り越えてくる。つまり、今からでは逃げられない。
変異獣どもの群れは何処から来たのだろうか。西の平野からなだれ込んできたのだろうか。十匹や二十匹では効くまい。多分、五十かそこらだと思いたいが。まさか三桁後半や四桁と言う事は無いだろう。今頃、自由都市の警備隊が集結しているし、派遣されるから十中八九、助かるだろうと踏んでいるが、集結が間に合わなかったり、仮に軍隊の防衛線がもっと北に敷かれたら、どうしようもない。マギーは、必ずしも助かるとも、死ぬとも確信している訳でもない。なるようにしかならない。目の前に来たら全力で戦うだけだ。生き残ろうと踏ん張れるだけ踏ん張る。生死の境は日常だった。今さら、焦ることも脅えることも無かった。
子供が泣きだした。まあ、滅多に千匹単位なんて起きない。二百や三百だって、都市の傍なら数年に一度。運悪く今、巡り合ったとしても若干、都市軍の方が強いし、救援も間に合うだろう。変異獣を狩っても金にはならない。平野を人類が奪還するには、恐ろしい金額を蕩尽しなければならない。西の平野を軍隊が取り戻せない理由だが、逆に金を生む街道に変異獣が蔓延らない理由でもある。
銃声や遠吠えはほぼ一昼夜続いた。朝の光が照らす中、再び、ズール軍の伝令騎兵が訪れた。
昨日とは別の軍人で、血の滲んだ包帯を巻きつけている。変異獣の群れは殲滅されたこと。僅かな生き残りは逃げ散ったこと。暫くは、街道のパトロールと一緒に行動するようにとだけ言い残して、次の宿場町なり旅籠へと出立した。
マギーは肩を竦めた。昨日はほぼ一日起きていたので、今日は休息を取って、明日出発するよう予定を変更する。ニナは肩に寄り掛かって寝息を立て始めた。
旅籠の広間《ロビー》には、同業者たちも顔を見せ始めていた。
昨日一日、ずっと二階の守りの堅い上室に閉じこもっていた連中だ。金を出し合ったのだろう。旅籠に怪物がなだれ込んでも、一番いい部屋で籠城した者たちが、時に生き残ったりもする。それを臆病とはマギーは思わなかった。東の平野の行商たちだ。古参商人もいれば、新参も混ざっている。護衛も、武装商人もいた。ポレシャの中町の商人もいれば、別の町の商人もいる。
ポレシャ方面へと向かう道は様々だが、此処にいる者たちの大半は、丘陵の途切れた南街道を通り抜けていくのだろう。豪族や略奪者などに通行料を支払い、それでもポレシャ市や他の居留地、農村部に蒸留酒や煙草、塩、毛皮や機械などを持ち込めば大層な稼ぎとなる。マギーはその道を逆に危険だと見做しているが、口にすることはない。流石に専業商人だけあって宿代に焦る者はいないようだが、一晩を怪物の恐怖に晒され、緊張に強張った表情は隠し切れないようだ。
――――
ロビーに集まっていた旅商人の一団が通り過ぎようとして、やや年配の男が足を止めた。背嚢を背にして座布団で休息しているマギーたちに視線を止めながら「一階に留まられたのですか。流石一代で成り上がった方には、勇気がありますな。まず最初になだれ込まれる場所ですからな」
(……皮肉かな?)年配の旅商人を見上げたマギーは、微かに目を細めた。記憶を探って確か、話したことは無かったと確認する。
「私どもなど、友人たちとまんじりと出来ぬ夜を過ごしましたよ」などと語っている相手に対して「失礼ですが、あなたは?」と尋ねた。
「ザスカと言います。マギーさん」ザスカは穏やかに微笑みながら「数年前に見かけた時は、破れた上着とズボンを着ていらした。失礼ながら、浮浪者とも見まがうような姿でいらっしゃった」
「それが今は、お二人ともソシエ・キエルの上着を羽織ってらっしゃる。是非とも、商売の秘訣を伺いたいものですな」油断できない目つきでマギーを見てきた。
マギーは心中、密かに舌を巻いた。嫉妬を避け、目立ちすぎない為、他人に違和感を与えない様、マスクや帽子など少しずつ印象と服装を変えていたものをあっさりと見抜いてきた。数多の人と出会う商人にも拘らず、有象無象の同業者を記憶して、その印象を覚えている観察力は、全くの凡人ではなさそうだ。
『運がよろしかっただけです』では謙遜になっても躱しきれない。なので、マギーは知らない振りを止めた。
「ザスカさんのような驢馬持ちの商人こそ私は羨ましい。どうすれば、驢馬を四頭も買って維持できるのか、私の方こそ聞きたいほどですよ」
マギーの切り返しに「はは、一本取られました。それにしても、知らない振りをしつつ、私の商いも把握しておられるとは、お人が悪い」
「同業者でも、非常に目立つ御方ですからね。ザスカさんは」と悪びれずにマギー。
そこで口を閉じると、推し量るようにお互いを見つめた。ザスカは羽振りの良さそうな男だ。何処を拠点としているのか。『話しかけられたが、ザスカと言う人を知ってるか』後で知己の行商人や牧者にそれとなく聞いてみるのも、いいかもしれない。
どちらかが言葉を発する前に、外からザスカを呼ぶ声がした。
「おや、出発の時刻のようです」ザスカは貴重な腕時計を眺めると「そちらは同行されますか」とマギーを誘ってきた。
「いいえ、少し休んでから出発しようかと」マギーには、他のものに使ってる抜け道を教えるような趣味はない。
「そうですか。では、また」静かに挨拶をして立ち去るザスカの背中を見つめていると「油断できなそうな人だね」肩に寄り掛かっていたニナが目を閉じたまま囁いた。
※※※※
ポレシャ市に戻ったマギーちゃんは、何時もの商いを一通り済ませてから、ジーナ・
用心棒リジィは逃げた。照れ屋さんだ。徒弟や同居人が増えてくれば、自宅で気ままに振舞えなくなるのは仕方ない。金を出して一日個室を借り切っている。
廊下をすれ違った客の牧童が「あの子たち指名したい」などと言い出しているのが耳に入った。娼婦たちは苦笑して「あの子たちはお客さんです」と窘めている。「女の子も利用するの?!」と驚きの声が聞こえてきた。若い独身者には想像もつかないだろうが、育ってきたお子さんがいる若い夫婦や、自宅兼工房に徒弟を抱える親方と奥さんが利用することもあるのだ。
女の子同士で半日をナメクジの化身みたいに過ごした。性的な傾向なのか、好きになった相手が偶々、女ばかりなのか。兎も角、癖ばかりはどうしようもない。火照った肌を水を浴びて冷ます。マギーの肌には、銃創や白兵の痕跡が幾つか刻まれていた。早々に傷を負うことはないが、戦場には手強い敵もいれば不運も生じる。
ジーナ・
寝台に横たわっているニナが水を飲んでいるマギーを眺め、次いでジーナ・
「駄目」とマギーは即座に告げた。
「なぜ?昔の仲間のスネイクバイトだけ?」とニナが尋ねてくるが「この綺麗な肌に入れ墨とか正気じゃない」とニナの肌に触れながらマギーは熱弁する。
「スネイクバイトは……っ馬鹿みたいだよ。蛇の入れ墨を入れた賞金稼ぎ集団で傭兵団なんて」マギーが苦い口調で言うと、ジーナ・
「普通にもっと真っ当な徒党を作りたかったよ」マギーが本当に苦々しそうに呟いたので、ニナはため息を吐いてから頷いた。
タオルだけ首に掛けたマギーは裸で椅子に腰かけながら、窓からの風に涼んでいた。市民街区の広場には馬や牛を見かける他、驢馬の荷車なども往来している。
小麦や野菜の他、木材や資料なども相応の量が郊外の農村や隊商、木こり団などから持ち込まれて倉庫へと運び込まれていた。
「そろそろ驢馬を買おう」風に髪をそよがせながら、マギーが宣言した。
「……驢馬」とニナは気だるげに呟き「いいね、可愛い」と目を閉じた。
驢馬一匹は、おおよそ600から1200都市通貨が妥当な価格だろう。
労働者の日当が大きな町で20通貨、毎日仕事は見つからない。小さな町では15通貨。村では8~12通貨。さらに通貨の価値もズール都市通貨とポレシャの麦通貨、門前町や町、自治惣村や地区で随分と変わってくる。しかし、驢馬自体は、牧場が近くにある場合には村の方が安くなる場合もある。
ジーナ・
「ズールの家畜市場で、およそ600都市通貨から900都市通貨ほどですね。ポレシャでは品薄で900から1200ですが」
「素人考えだけど、上手くすれば倍に売れるのかな?」とニナが首を傾げる。
「連れてきても売れるとも限りませんし。高価なだけに商売として扱うのは難しいでしょう。生き物ですし」ジーナ・
「いいんじゃないかな?何処に預けて、幾ら掛かるか気になるけれど」目を閉じたまま、ニナがランニングコストや不良品に関しても言及する。
「仮に年寄りや病気の子を掴まされても、今の収入と貯蓄なら致命傷にならないし……維持は出来るね。運用はどうかな」
驢馬は丘を通れない。いや、抜けられる道はある。遠回りになるが。今、使っているマギーたちの抜け道は、人しか通れないが半日で横断できる。巨大蟻にコヨーテ、狼などが彷徨う丘陵地帯に他に新しく道を見つけるか、人間なら縄梯子などを使って往来できる岸壁のような段差を掘り崩すしかない。
今までのマギーたちは、精密な地図と情報を基に、少人数の軽装で危険地帯を横断することで驢馬持ち商人や隊商に対して、価格面で伍してきた。マギーの強みの一つだ。新しい抜け道を開通した場合、他人に知られた途端に、強みの一つが失われる恐れがあった。
「抜け道が開通するまで、もう少し時間が掛かりますが……丘陵のこちら側で往復する必要が無くなるのは有難いですね。一週間も預けると、かなりの金額を取られそうですけど」ジーナ・
「それは最低滞在期間に合わせて、こちら側で仲間に待機してもらうのもありかも」機動力を活かせば、前々からの懸念を解消できるとはマギーも考えたが――
「二手に分かれて、曠野を移動できるだけの戦闘力があるかな。やっぱりトンネルが開通してから、驢馬を買った方がいいんじゃないかな?」ニナが先刻と正反対な意見を主張して水を差してきた。しかし、いい加減なのではなく、己の発言にも多面的に検証を入れて、欠点にもすぐに気づく頭の回転の速さ故の翻意だとマギーは評価していた。
「そうだな。そうするか」マギーも撤回しつつ、思案を凝らした。ノートを取り出して、意見を書き出してみる。おのれの脳内だけでなく、仲間にも見せることでいい意見が上がってくるかもしれない。
例えば、牧者に預ける。普段は使ってもらう。あまり酷使はさせない。
互いに信頼が必要になるが、そう言う手もある。
JJかイザベル・ミラー、ジーナ・
維持費は安くなる。代わりに損耗時をきっちりと詰めておく必要もある。
預かり者とは言え、戦時には徴用するだろうか?扱いで揉めるかも知れない。
ポレシャ牧者衆は、抗争中だ。武器や弾薬、物資を運ぶのに重宝するから敵だって狙ってくる。迂闊に預けるのも気が進まない。
厩を建てるか?驢馬の為の厩。冬を除いては預かり、飼葉を仕入れる。
商いになるかも知れない。初期投資があれば。
だが、人員はどうする?徒弟を使うか?人手に余裕はあるけど、それは一人、二人抜けても廻る程度の必要な余裕だ。此処で別事業に手を出すのは宜しくない。
かと言って、碌に知らない人間を雇用したら、驢馬と共に姿を消しかねない。
他所の居留地に逃げれば、手の届かない時代だ。簡単ではないな。どの判断も。
多少の危険なら押してしまえば案外、上手くいくかもしれないが。余裕を持っておきたい。しかし、さらに徒弟を増やすのは重たい。行商人と店持ち商人の間には、中々に上がれない、見えない境界線が幾つもあるのだった。
「勾配を歩きやすい靴でも揃えるかな」マギーは低く呟いた。高価で歩き易い、新しい靴。目には見え辛く、消耗品、ランニングコストに消えていくとしても、普段使いせず、難所の時だけ靴を変えるなどすれば数年は持つ。それも悪くない選択肢だった。取りあえず、金を貯めておくのだってありだ。漠然と過ごすのではなく、こうやって仲間たちと話し合うのも、マギーにとっては楽しい日々ではあった。
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8月上旬_20765都市通貨
戦争もあって、亡命の姫もいて、牧草地の抗争があるし、怪物が彷徨っているのに、靴を買うか悩む。なんだろね。この話。