ポレシャのマギーは、行商人である。主に自由都市ズールの店舗やら蚤の市で仕入れた奢侈品、例えば、高価な蒸留酒や懐中時計。ゲーム機に絵画。装飾付きのライターに花瓶、化粧品や櫛、指輪など――勿論、行商人が扱える半端な価格帯ではあるけれど――を手に入れた際、お得意様を尋ねて売り込む事も珍しくない。つまり、市の参事の邸宅を来訪しても、それを誰も怪しいとは思われない。
残暑も薄れつつある八月末。背嚢を担いだマギーちゃんはパオロ爺さんの雑貨店を尋ねた。
「おるかー?」気軽に声を出して了承を貰い、裏口から入った。すっかり勝手知ったるなんとやらだ。応接間でお茶とお茶菓子を出してもらう。マギーは大抵、ニナか、ジーナ・E
世間話として、都市軍や遊牧民の動向、各地の景気、有名な隊商や冒険商人、傭兵団の行き先などに触れた。マギー以外にも情報源はあるだろうし、マギーも噂か、事実か、確度が高いか、くらいは付け加えている。それでも爺さんは耳を傾けて頷いていた。爺さんは途中、軽く咳き込んだ。髪の毛にすっかりと白いものが増えていた。記憶の中の爺さん――最初に出会った時は、もう少し若々しかった。
スン、と鼻を鳴らしたマギーは、あまり顧客を増やさない。少なくとも高価な品を売る相手は選んでいる。参事では二、三人。市民、豪農、軍人なども同様だ。
キャパがないとも言えるし、固定客を大事にしているとも言えた。余った高価な品は、徒弟たちの出店に張り紙と絵だけで展示させている。相手の懐具合次第で吹っかける時もあれば、値引きに応じる時もある。取りあえず、利益になればいい程度の考えで販売しているが、そちらの方が案外、上手く売れたりする。
他に燧石銃《フリントロック》や火縄銃《マッチロック》も相当数が売れている。一回の仕入れで三丁だの五丁だの、一年あたり百丁近くのペースで売れている。加えて、付き合いのある工房は今、黒色火薬と弾薬をかなりの安値でマギーに提供してくれている。ズール圏ではダブついているのか。市場を拡大する為の販売促進なのか。意図は推し量れないが、転売するだけで30都市通貨。上手くすれば50都市通貨程度の利益になる量だ。仮に武器市場が飽和しても、火薬は売れ続ける。ポレシャ圏でマスケットが百や二百増えたとしても、巨大蟻や変異獣、屍者が今日明日に消えて無くなることもない。素直に有難い話だった。
とは言え、いずれマスケット市場も飽和するんではないかとマギーは睨んでいる。或いは、これほど売り上げが順調なら、ルガリエの武器職人たちも、ポレシャ圏の市場に食指を動かすかもしれない。客としては、開拓地や辺境へと向かう開拓者たちも仕入れていくが、こちらはたかが知れている。いや、意外な数が纏まって売れてはいるが、開拓農民たち。直接ルガリエから仕入れないのも妙な話だ。いや、時間当たりのコストと集約数か。マギーは纏まった数を仕入れているから、連中は時間と手間暇を大きく節約できるわけだ。マギーの利益は、その手間賃に生じているのだろう。
所詮、マギーは一介の行商人。今、順調でも何時まで続くか分からない。密輸品に誘惑を感じている理由だ。
そして、パオロ爺さんも同じく、参事と言っても、小さな田舎町の議員に過ぎない。雇われ保安官補のマギーと同じく、商いの方が大事である。ここしばらく自宅を建てる為、売却する資材量が減っていたのだが、再び以前と同じ量を卸せるとマギーが告げると、爺さんはゆっくりと頷いた。マギーは、最近のポレシャ警備隊の動きについて触れた。牧者衆の為に偵察騎兵を出したのには驚いたと告げると、爺さん「あれは食肉組合の働きかけよ」と頷いた。
それからマギーを見て「お主。JJと言う若者とイザベル・ミラーをヘルナル大尉に引き合わせただろう。大尉もあれで考えるところがあったようだ」と顎を撫でる。ポレシャ市の有りようは、中世自治都市にも幾らか似ていた。複数の有力な市民家系や商人、農場主や組合などの合議と寄り合いによって市政が動いている。偉い人も案外、僅かな切っ掛けで考えを変えたりするものだ。勿論、元から複数の意見が鬩ぎあっていたり、暖めていた考えを後押しされた状況に限ってだろうが。
二十分、三十分と和やかに話しながら、時間を重ねた。何も話さない時間もあった。ふと、爺さんが顔を上げた。「
「妙な噂?さて、寡聞にして知りませんね」首を傾げたマギーも、地元の
「賞金を掛かった若い娘がポレシャ市に逃げ込んでいる。その娘を捕まえれば、膨大な賞金が支払われると言う話があっての」パオロ爺さんは穏やかに語っている。
「気になりますね、それは」とマギー。
「
「お気に入りの逃亡奴隷だの、若い相続人だの、聞かん話でもないからな。ただ、用心に越したことはない。
雑貨店を辞去したマギーは、市民街区から町外れ地区へと戻った。新しい靴の調子は良い。新品のハイキングシューズは、特に靴底の粘りが効いた。
鼻歌を歌いながら町外れ地区のさらに外れ。自由市場近くのガルダ人たちの住居へと向かったが、顔を出しはしない。裏手の少し高い建物に廻って、窓から俯瞰してみる。自由市場からガルダ人たちの天幕を挟んだ裏手の廃屋は、三階建てであり、さらに屋上には小屋が建っている。壁や屋上が崩れかけていたのを大工を雇って手を入れさせた。資材もマギーが提供している。
一応、行政地区の町外れに属しており、新たな住人が引っ越してきたばかりだ。ジャッコーニ参事の知り合いである若夫婦――を装った民兵。独身者も、四階の小屋に生活しており、三人とも紙薬莢の後装式ライフルを所持している。
銃眼から裏手の家へ迫る路地や、周囲の低い廃屋を狙い撃ちが出来る。家の向かいや一階、二階も親方マギーが手を入れており、腕利きの牧者が引っ越してくる予定だった。口は堅く、腕も立つ者たちだ。参事らや一握りの法執行官らと計画を立てた際、まるで罠の糸を張り巡らしている後家蜘蛛《ブラックウィドー》だなと誰かが囁いていた。その綽名も悪くない。名乗ろうかしらん。
マギーは、『この子に地の利を教えておきます』と姫さまの目の前でセシリアに信頼の裏付けを与えて、薄い壁を崩せば、すぐに通り抜けられる裏手の路地を教えておいた。横手の木戸を空けて、逃げられるのだ。裏手の住人が味方だとは、ガルダ人たちも知らない。姫さまにも老執事にも教えていない。
『いざと言う時は、黙って通り抜けたまえ。顔見知りだ。なに、五月蠅いことは言わんだろう』と、セシリアには吹き込んではいる。秘密とは、知る者が少なければ少ないほどよい。そして、『いざと言う時、君が逃がすのだ』とセシリアに囁いておいたが、少女に度胸や忠誠心があるかどうか。マギーには分からないし、どちらでもよろしい。パオロ爺さんが、老執事に別の抜け道を教えてあるからだ。
天幕の木箱の下のマンホール。古い下水道が町外れ地区へと抜けられるようになっている。とは言え、下水道には屍者や変異獣、巨大鼠が当然のごとく徘徊している。比較的に安全な最短ルートを通り抜けなければ無事は保証できないが、逆に言えば、待ち伏せの可能性も相当に低かった。
仮にセシリアが裏切り者なり内通者なりで、裏路地ルートに伏兵を伏せておいたとしても、マギーの手配した手勢が建物から銃撃を浴びせてくれるだろう。セシリアが裏切っていないなら、こちらの伏兵がライフルで追手を牽制してくれるわけだ。別にセシリアを信じてない訳でもない。姫様以外の誰か一人が裏切ったら詰む状況が嫌なだけだ。逆に老執事が裏切り者でも、その時はセシリアのルートが生きる。両方を示された場合、多分、普通に裏手の抜け道を使うだろうから。そして皆が忠実ならば、それに越したこともない。教えるのは誰でも良かった。マギーの接点が多いから、セシリアになっただけだ。
ポレシャ市と農村を含む近隣人口でおよそ三千。数キロ四方に広がる幾つもの地区や農村、集落や部落から少数の人間を探し出すのは不可能ではないが時間が掛かる。
留まっていると考え、捜索を続けるか。他所へ行ったと判断するか。いずれにしても、確信に欠けるはずだ。
ジルカが搦手を使い、役人の誰かを買収しても、ガルダ人たちは今のところ、役所の書類にGとしか書かれていない。秘匿要項の閲覧できない書類に出鱈目の住所が書かれている。四六時中、密偵を張り付けてる訳ではないので確実とは言い切れないも、ジルカの手の者が囮を調べれば、近くの住人たちが妙な連中を見たと教えてくれるはずだ。マギーだって無能ではない。打てるだけの手は打っている。
しかし、実際のところ、確信に欠けているのはポレシャ側も同様だ。赤泥のジルカは本当にいたのか。いたとして、まだ留まっているのか。杯中の蛇影を恐れてとうに立ち去っている者を探しているだけかも知れない。警戒態勢を取りながら、延々と捜索を続けているが、本当は赤泥のジルカはとうの昔に南方に引き返していて、マギーたちは間抜けにも一人芝居しているだけかも知れない。
分からん。空振りの可能性もある。よほどの理由があるか、執念深い組織を除けば、密偵や賞金稼ぎだって割に合わなければ撤退するのが普通の判断だ。
だから、マギーも全力投入はしていない。かと言って、見捨てもしない。
監視網を築き上げ、退路を構築し、常設の伏兵を配し、住人たちに根回しし、蜘蛛の糸のように諜報と防諜の網を張り巡らせる。赤泥のジルカを追い詰め、補足する為の仕事ではない。ついに姿が現れた時、負けないための盤面作りを行っている。守りやすい為の仕組みをただ整え、ただ積み重ねながら、じっと辛抱強く、対決の時をひたすらに待ち続けている。マギーに出来ることはそれだけだ。
※※※※
「アーシアは、役に立っておらぬ」天幕の奥。椅子に座った姫は一人称を使いながら、ぼやいてみた。ポレシャ市より良い居留地は少ないと言うのは、北の曠野を旅した吟遊詩人に旅商人、巡礼、遍歴の騎士までが口を揃えて言う昔からの評判で、一握りの知己の農場などを除けば、確かに道中の宿場町や居留地、農村と比べても良い扱いを受けていた。なによりも無料で住宅と、若干の食料を提供してくれてるのが無視できない。
だが、それはそれとして、ポレシャ市の衛兵たち――いやさ、法執行官たちは、甚《はなは》だ頼りにならぬ。無能であるだけならまだいい。怠惰であっても許すことはできよう。だが、役割を果たさぬ癖、おのれの利殖には極めて熱心で有能とくれば、お前はなんなのだと文句の一つも言いたくなる。保安官補め。最初は切れ者そうに見えて、しかし、実際には滅多に顔を出しもしない。雰囲気だけかと思いきや、買い取った古い建物を修繕するや、熱心に動き回って店子を見つけて、熱心な口説で賃貸契約を取り付けて見せた。 せめてあの半分でもいいから、刺客どもを追いかける任務に情熱を注いで欲しいものである。なにが『裏手の廃墟に人が住みますよぉ』だ。信じられん。
今も南方からの刺客――赤泥のジルカが市内のどこかに潜んでいると思われた。湿原諸邦では、伝説的な賞金稼ぎであり、凄腕の刺客として知られている。狙われて生き延びたものは、一人もいないとすら言われている。
それがアーシアを狙っている。生きた心地がしない。正直、人は悪くないが、間の抜けてそうな自警団員やら、怠惰な保安官補では到底、太刀打ちできまい。
ポレシャ市から離れるべきか。
しかし、ともかく、金がない。
いや、金はある。若干の金。相当量の銀貨と銅貨、それになぜか、未だに使えるガルダ紙幣。自由都市ズールでも使えるようだ。ならば、自由都市ズールに、というのも一つの選択肢ではあるが、手持ちの金も無限ではない。ポレシャ市での生活費は援助もあって非常に安い。女兵士のイブリン、兵士のコリン、それに侍女見習いのセシリアまで働きに出て、稼いでいる。流石に賃金を取り上げることはできないが、若い三人はあれでポレシャ市での暮らしに適応して、自費で薪や食料、水を買ってきたり、町中から噂を集めてきては無聊を慰めてくれている。むしろ、自分こそ足を引っ張ってるのではないかな、と忸怩たる思いが、アーシアの胸中を苛んでいる。
それに加えて、護衛の兵士ボーモンは目を負傷しており、
おのれは役立たずである、との苦い認識は、アーシアには堪えた。執事のヨハンも、アーシアの世話が無ければ働きに出たかも知れない。今も、イヴリンかコリンのどちらか片方が、常に天幕の傍らに侍っている。
季節は秋。曠野の夜は氷点下に落ち込み、既に屋内にも薪が欠かせない時期に入りつつあった。自由都市ズールへと逃げ出すなら、今が最後の好機には違いないだろうが、北の大地の冬は厳しいと耳にしている。今のうちに薪や食料を備蓄しておくべきだろう。
「彼らを責める前に、まず我らがどうするべきか、考えたほうが良かろう」アーシアはため息を漏らした。今や、アーシアは曠野を彷徨う敗残の貴族の一人に過ぎなかった。元より小さな封土ではあったが、僅かに付き従う供を引き連れた寄る辺なき廃王子となった今、転がり込んだ町の役人たちに冷たくあしらわれても仕方あるまい。少なくともポレシャ人たちは礼儀正しく対応している。途中、自由居留地圏の町や都市では、嘲笑を浴びせられたこともあったのだから、ポレシャの役人たちが怠惰で無能であっても、悪意を持っていない以上は、大目に見るべきだ。本来なら、自分たちの手で赤泥のジルカを倒すべきであろう。
肌寒くなってきた。絹のガウンを掻き合わせつつ、物思いに耽っているアーシアの耳に、近づいてくる足音が入った。侍女のイサラが息せき切ってやってくると、天幕へと入り込んでまず一礼した。
「姫さま、ただいま保安官補が参りました」
「久しぶりか。構わぬ。会おう」ガルダの姫がそう呟くと、イサラは息を整えながら、首を横に振った。
「いいえ、違います。あの無礼者。
久しぶりに顔を出したと思ったら、あの女……失礼します」そこで机の水差しから、己のカップに水を注いで、飲み干した。
「いかがした?」戸惑っているアーシアに、イサラは説明する。
「丁度、病院から帰ったばかりのギィ卿を連れ出し、出かけてしまいました。言うに事欠いてデートだそうで……」
「……いったい何をしているのか」流石に呆気に取られたアーシアは、再びため息を漏らした。強兵と聞いていたにも関わらず、しかし、ポレシャの法執行官たちは、殆んど頼りになりそうにない。とは言え、今さら他所の土地に行くのも難しく、抗議もし辛い。寄る辺ない亡命者の哀しさであった。
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九月上旬_21080都市通貨
+ 黒色火薬と弾丸 ルガリエ√からの安値での供給。