黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_97 秋の嵐

 大自然――特に黄昏の世(トワイライトエイジ)の曠野が相手となると、矮小な人間の思うように物事が進むことなど早々にない。

 

 それでも若干の知恵や勇気で乗り越えられる状況もあれば、避けようもない突然の破滅が襲い掛かってくる時もあった。手の施しようがない大寒波の犠牲者や、災厄めいた怪物の襲来とて、曠野の何処かでは確実に犠牲者が出ているだろう。数年後か、十数年後か、滅びた居留地跡を見出した探検家や隊商の者たちは戦慄し、伝わる噂を耳にした遠来の人々は、恐れ戦きながら神々や祖霊に明日の無事を祈るのみだ。

 

 マギーとて、地に手に負えぬ災厄があるのは、世間を渡る一人前の商人として不承不承、理解していたが、それはそれとして手に負える範疇の危険に対しては、金銭と武装を積み重ねる事で冗長性を確保してきた。

 

 例えば、普通の旅人がなにをしようが到底、名うての盗賊団には歯が立つまい。連中はショットガンやサブマシンガン、強力なものになるとアサルトライフルで武装しており、これが十数名の手練の襲撃部隊ともなると、大きな居留地の軍隊でもない限り、戦うのは無謀と言うものだ。待ち伏せや奇襲に長けた盗賊団は、行商人にとって最悪の鬼札《ジョーカー》であろう。

 

 略奪者《レイダー》の兵団や傭兵団。無宿人《ノークォーター》や放浪者、傭兵に乞食の入り混じった大規模武装放浪団などは、より強力であっても、馴染んだ街道で噂に注意を払う限りは盗賊団ほどの脅威ではない。何故なら、連中は人数が多い為、その移動は騒々しく、本隊の動きも鈍重であり、用心深い旅人であれば、先んじて察知し、迂回できるものだからだ。

 

 マギーも幾度となく、盗賊団に痛い目に合わされてきた。だけど、熟練の旅人になると、逆に旅の脅威は盗賊団くらいになる。大規模な屍者や変異獣、巨大蟻や狼の群れは、街道上の旅籠や見張り塔が知らせてくれる。蛮族も多数なら察知しやすくなるし、怪物や盗賊の出難い街道を通り、或いは出そうなところは他の旅人たちと徒党を組む。少数の盗賊であれば、他の旅人たちと旅隊を組めば、対抗できなくもない。 勿論、抜け目のない相手といつか遭遇する可能性は常に残っているが。

 

 クロスボウから火縄銃《マッチロック》、燧石銃《フリントロック》と、武装がマシになるにつれて弱い敵――追いはぎや野犬なら元よりどうにでもなるし、蛮族や巨大蟻が相手でも二、三匹ならそれほど手こずる事もなくなった。前言撤回――屍者や変異獣はいまだに危険な相手で、こいつら相手に気を抜けるようになる時はきっと来ない。また、来てはいけない。

 

 いずれにしても、敵対的な人間との遭遇は、常に腹の底に冷えた氷のような感覚を覚える。人間は何をしてくるか分からない。時々、途方もない手練もいるし、巨大蟻や屍者、変異獣などは極稀に手に負えない数の集団が街道上を徘徊していることもある。野犬だって同様で人間よりずっと足が速い。幸い、連中は銃と火薬の恐ろしさを知っているし、群れを成した人間の恐ろしさを知ってるのであまり近づいて来ないが、曠野狼――それにごく一部の野犬には、体長が1.5メートルから2メートル近くもある巨大な個体がパックを組んでいる群れもある。あとは、小さな犬の群れでも飢えた集団は危険には違いないのだ。それでも、マギーの商圏は自由都市ズールとポレシャ市のいずれかの強力な警備隊が巡回しているので、手に負えない数には在ったことがない。今のところはだが。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 怪物や人間、野生動物以外にも、秋から冬に掛けては度々、冷たい風が街道上に吹き荒れる。大雨や雹、嵐に湖の霧などが立ちはだかれば、旅人の旅程は容易く狂う。渡り人(オーキー)の頃や、駆け出しの行商人だった時代のマギーたちの財布には、一日、二日の旅籠での足止めが大きな痛手だった。焦燥から無謀な出発を強行して、記憶もある。それほど痛い目に遭わなかったのは、一重に幸運の賜物だ。財布にゆとりが出来た今は、数日の足止めを旅籠の客である農場主や町商人と歓談しながら、のんびりと休息に充てる余裕もあった。

 

 

 叩きつけられる横風に、旅籠の分厚い木戸がぎしぎしと音を立てて軋んでいた。季節の変わり目には、こうした強い風が吹くことがある。数日のうちに急速に冷え込むかも知れない。冬着を用意するべきかな、とマギーは懸念した。元ランツクネヒトのリジィは、他の泊り客の護衛たちと壁際で何かを話しながら、剣を研いでいた。ニナは先刻まで農場の跡取り息子やズール市民の子弟と話し込んでいたが、今はソファに座ってスケッチを描いている。

 

 

 行商人のマギーは居合わせた町商人や農場主、馬借頭とカード遊びをしていた。大した金額は賭けてない。賭けるのは5都市通貨の小銀貨一枚。暇を潰す為の遊びだ。勝ったり負けたり。

「お仕事はなにをされてますか?」農場主が語りかけてきた。

「しがない行商ですよ。景気も良くありません」一際、高価な上着と靴を履いたマギーはぼやいた。「んん」と、弱いカードが来たので、素直に眉を顰める。延々と話をしながら、それでも負けばかりが込むことはそんなにない。通算で負けが十度も多くても五十都市通貨。マギーにも、旦那方にとっては、笑いごとで済む金額だし、話し相手が居なくなると困る。

 

 旅籠の酒場で、視線をちらちらとこちらに向ける旅装の男女は混ぜない。連中はプロの賭博師の匂いがする。連中からはカモネギに見えるかも知れないが、それではこちらに旨味がないのだ。旨味とは社交であり、それとない情報交換だ。

 

「マスケットも幾らかは扱っています。本業ではありませんが……農民たちが身を守るには、いい武器ですよ」己の商売の一部も明かした。

 農場主が少し興味を示した。あまりぺらぺらと話すべきではないが、取っ掛かりになるかも知れない。今は五匹か、そこらの巨大蟻やら屍者などの存在で、念の為に道を避けもする。嵐の中、怪物の存在が積み重なると本来、止めるほどの状況ではなくとも、危険は回避するようになってきていた。行商の回数は減っていないから、旅籠で過ごす時間が増えている。

 

 せめて雷管式のリボルバーやリボルバーライフルを所有し、よく訓練された四人から六人ならの隊商となれば、今は念の為に足を止める境界の存在――屍者や狼、巨大蟻の十匹やそこらでも、なんとでもなるだろう。それでも熊や変異獣の群れ、盗賊団には遭遇するかも知れない。それに怪物は、思わぬ巨大な群れを形成している事もある。特に屍者は難しい。勿論、ロメロの描いたような歩く屍者(ウォーカー)だけなら、振り切るのも不可能ではないが。少数ならば、と躱して進んでも、奥から新手が現れた場合、追ってくる屍者と挟撃されかねない。他に、巨大蟻などにもその手の危険性はある。足が鈍いからと侮っていい相手ではない。

 

 

 そんなことを旅人の経験談として話すと、馬借の頭が深々と頷いた。人数いる馬借団なら、クロスボウやマスケット、それに槍兵で大抵の怪物の群れには対応できるが、それでも街道の障害には苦労させられるとぼやいている。町商人は、税金が上がった事を話してくれた。忌々しい屍者の群れへの対応として臨時徴税が課せられたそうだ。

「町商人にはそれがありますからね。店舗は羨ましいが、零細の身にはあまりますよ」と皮肉を混ぜながらおだてた。重荷を背負って大変だろう、と微かな嘲弄の意図を見抜かれたか、冷笑交じりに穏やかな笑みを返されて「いや、若い身空で何年も身一つで稼いでおられる」などと返された。

 何年も身一つ。つまり、ずっと小物と言いたいんだな、とマギーは意地悪く解釈した。表面上の言葉に騙されて、いい気持になった方が負けのゲームだ。少なくともマギーはそう解釈している。勿論、素直に受け取っていい気分になっても害はない遊戯だった。

 

 

「さて、少し、中座させてもらいます。いささか、喉が渇きました」マギーはバーの酒棚をちらと見てから立ち上がった。元より少額の賭け金に拘泥する者は、この席にはいなかったし、マギーは多分、負けていたので引き留めるものもいない。

「此処には知らない酒も幾つかありそうだ」などと言いながら、従業員を呼んだりはせず、自分で歩いてカウンターに寄っていく。

 

 カウンターで店員を呼ぶと、酒の談義を聞いてから地酒を注文し、代金とは別に数枚の都市通貨紙幣を見せた。「一つ、聞きたいんだがね。あそこで私とゲームをしていた立派な髭の紳士。彼は農場を持っていると言うが、どんなものかね」

 従業員は「立派なものですよ」と請け負った。牛も数頭、持っているらしい。土地の痩せたズール近郊では珍しいほどの大農場だそうだ。マギーは満足げに頷いてチップを渡すと、再び賭博の席に戻った。

 

 マスケットに食指を動かした自称・農場主の某氏を前に運んでいた火縄銃を一丁、「どうぞ」と手渡して見せる。「良い代物ですな」と構えて確かめてる農場主の某氏に「工房『雷鳴舎《らいめいしゃ》』の製品です」と告げる。ほう、と頷いた農場主は、マギーの手持ちを即買う事に決めたらしい。

「手形でよろしいかな?」と某氏。火縄銃三丁の代金として自由都市銀行発行の手形を受け取りながら「貴方は紳士です。紳士同士の取引として信用しますとも」マギーちゃんは頷いた。酒を運んできた先刻の従業員が、マギーの言葉を耳にして明後日を向きながら、舌を出した。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 秋冬になれば吹雪は吹くし、ゾンビどもは何時だって街道沿いを彷徨っている。変異獣の群れや盗賊だって出没するかも知れない。遠出や他所の町への旅は常に危険を伴う。行商人となれば猶更に危険な仕事だ。

 

 都市と都市、都市と町を繋ぐ遠距離の街道となれば、何が起こるか分からない。だからこそ、旅人が都市や町で産物を仕入れて隣町で売るだけで小遣い稼ぎが出来るし、裸一貫の風来坊が幸運に恵まれれば、地区の有力者に成り上がれもしたのだろう。勿論、ニナもマギーも慎重かつ細心を払って計画を立てたし、幾度となく勇気をもって大胆な冒険を行ってきた。努力の成果ではあるけれど、幸運に恵まれたことも否定しない。これからも続くと良いと、こんな時にニナは強く思う。

 

 分厚い扉を開けると、旅籠の屋内に冷たい空気が入り込んできた。入口に近い場所で寝転んでいた牧童や行商人らが文句を上げた。素早く外へと滑り出したニナの背後で、扉が重たい音を立てて閉じる。既に時刻は夕暮れに差し掛かっていた。

 

 合成繊維と皮革を合わせた雨合羽をニナは羽織っている。革の半長靴も良いものだが、あまり雨の下を歩けば、傷むかも知れない。それでも外を確認しておきたかった。旅籠の防壁の昇って地平に目をやれば、漆黒の分厚い雲の下、地表に風と雨が吹き荒れている。夜半にはみぞれとなるか、最悪、吹雪くかも知れない。見張りの従業員が白い息を吐きながら、小屋根の下に震えていた。隅に置かれた金属の箱で、小さな炭団子が暗赤色に燃えていた。

 

 

 遠く、何処からかうめき声が響いてくる。屍者たちの誘うような怨嗟の合唱に、どこかにいる、と望遠鏡を使うも漆黒の雨に遮られて、街道の先は見えない。「くそっ」低く罵ってからニナは階段を降りる。

 ほんの百メートル先も見通せない。そして間もなく夜となる。土砂降りの雨に、星のない夜に、屍者の群れ……有視界が百メートル未満。夜道を往く旅人であれば、最悪の組み合わせだろう。頑丈な旅籠は幾百、幾千の夜を越えてきた。百年不落の旅籠だって珍しくはない。恐らくは大丈夫だろうが、やはり気には掛かる。

 

 白い息を洩らしながら、厩へと向かった。金のない旅人たちが屯し、寝転んでいる筈だ。足止めされて既に三日目。落ち着かない気分だろう。ほんの数年前まで、ニナとマギーも同じように厩や中庭で過ごしていたものだ。

 嵐の夜、マスケットは中庭では使えなくなる。もし屍者たちが押し寄せてきたら、旅籠は分厚い扉に頑丈な閂を掛ける。そして内側の銃眼から中庭を撃ちまくるのだ。子供向けの絵本で読んだ光景をニナは思い出した。すると、私も締め出されることになるな。実際に来るかは分からないが、その前に戻るべきか。だが、まだ時間は残されている。

 

 

 脅えた顔、諦めた顔、卑しい顔、恐怖に引き攣った笑顔。覚悟を決めた顔。厩の隅では渡り人(オーキー)と思しき母親が、幼子を抱きしめていた。男女二人組の旅人が金属の皿に熱を発する炭団子の火に当たりながら、愚痴っている。廃墟漁り(スカベンジャー)の一団はカンテラの明かりの下で原始的なクロスボウや弓、ナイフを整備しており、貧しげな行商人たちは、薄い毛布を掻き合わせて横になっている。

「屍者どもめ、何処から湧いてくるんだろうね」「きっと地の底さ。俺たちを引きずり込むためにやってくるんだ」「三日も足止めされてる」「二~三匹なら、マスケットでもなんとかなるだろうが」百体を越えれば、大胆な旅人にも、流石に強引に街道を突破しようと言うものはいなくなる。軍や警備隊が片付けてくれるのを待つだけだが、激しい嵐の夜には、軍でさえも脅えて二の足を踏む。

 

「嵐が止みませんな」老いた羊飼いが空咳を出しながら、震えている子に上着を貸した。

「この先の街道に屍者が出たそうですよ。見つかったのは二十匹くらいだそうですが」周囲の者たちが興味を示したと見て、旅商人が言葉を続けた。

「今は、もっと増えているかも知れませんな。こんな一歩先も先も見えない嵐の夜に屍者に襲われては……」

 雷鳴が空に響いた。横殴りの雨が厩の入口近い藁を濡らした。

「ここに来るでしょうか?」渡り人(オーキー)の母親の不安そうな言葉に「旅籠は頑丈な壁がありますよ、奥さん」安心させるように返答した片足の老人。古びた軍服からして退役軍人かも知れない。

「しかし、銃眼から火縄銃は使えんでしょう。中庭にも雨が降っている」

「そこは、まあ、クロスボウなりなんなりで。頑張るしかないでしょうよ。わしらも」と片足の老人。

「さっき、確かめましたがね。門の前に屍者が来た時、きちんと狙える構造になってないんですよ」狐のような顔の旅商人が見回しながら「よくありませんな。よくないですよ、これは」

 柱に寄り掛かり、外や内側を眺めて、メモを取るようにノートに何かを描きつけては、時折、目を閉じていたニナが目を見開いた。そっと音もなく、厩から離れる。

「二階屋上からは狙えるんですが、屋外です。こんな激しい雨では」

「設計士は馬鹿ですな」「すると、私たちの命は、馬鹿な設計士のせいでどうなるか分からんと」

 

「最悪、厩の二階への階段に机など積んで、籠城戦ですかね」

「まずは女子供でしょうな」「階段に血の跡がある。あそこまでは、侵入されたことがあるのでしょう」「どうします?やりますか?」「もう少し、待ちましょう」「宿の者たちが門で持ちこたえられない様なら、誰が何と言おうがやる。やりますぞ。わたしは」

 気勢を上げている声を後ろに、雨の彼方から迫ってくる複数の足音。ニナが足早に扉を開いて旅籠の大広間に入り込んだ直後、壁の上で鐘が激しく打ち鳴らされた。

「屍者だ!屍者だ!」見張りの若者の叫び声が伽藍の鐘のように大きく響き渡った。

 

 実際には、従業員たちは嵐の中、土嚢を積み上げて門は破られる事なく、コートを纏った用心棒たちは、門の銃眼から木箱の覆いを付けた重たい火縄銃で、濡らさずに発砲を続け、屍者たちを撃退し続けた。銃声やクロスボウの発射音が鳴り響く中、ニナは厩の人々の簡単なスケッチに一心不乱に筆を走らせ続けた。

 

 よく見れば、旅籠の内部も、古い廊下は塞がれ、階段の降り口にはバリケードになりそうな木の扉が備え付けられている。廊下も狭く改装されており、近くのテーブルを嵌めることで即座に防壁へと変えられ、廊下を狙い撃ちできるようになっていた。旅籠の改装と障害物へと変わる家具に、どれほどの執念と工夫がつぎ込まれてきたのか。ニナには、想像もつかなかった。誰一人死人を出すこともなく、良く晴れた翌朝、旅人たちは普通に旅立った。

 

 

 

 

 

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九月中旬_22173都市通貨

 

 

 

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