「ええと、なんやっけ。ボネッティ雑貨店か。廃墟漁りの友達から聞いたことあるなー」【中町】へと向かう道を歩きながら、リリーは首を捻った。ルーはあまり足が速くない。後を付いていくと、リリーは少し歩く速度を緩めてくれた。追いついたルーが、んめぇーと鳴くと、リリーは頷いてまた口を開いた。
「あ、その友達って言うのがな。
リリーは、三十分か、四十分。歩きながら、延々ずっと話しっぱなしであった。お陰で巻き毛のルーは、マギー行商団の面々の食べ物の好みについて世界で二番目に詳しくなってしまったが、同時にポレシャ市一帯の仕事の口や駆け出し
秋の穏やかな風景の中、瓦礫の転がる剝き出しの道を歩き続ける。廃屋が点々と佇んでいた。遠目に見れば立派な建物は、しかし、近づくにつれて幻想が崩れ、みすぼらしい戸口に崩れかけた屋根、ひびの走った壁などを現わしてくる。それでも、暮らせそうだとルーは思ったけれど、通り過ぎる際に、リリーは警戒した視線をそちらに向けていた。
時々、大人たちと道をすれ違う。子供は余り見かけなかった。正確には、少年少女だけで歩いている姿は少なかった。大抵は、大人連れか。さもなくば、複数人で武装して歩いている。こん棒や弓、手製の槍を掲げ、犬を引き連れた少年少女の集団が巨大鼠の頭蓋骨を掲げながら歩いている。鼠捕りの仕事として市民街区の近くにも出入りしてるらしい。浮浪児めいた件の一団は、小骨をくっつけた幟を掲げていて【ジョコ鼠捕り団】などと記されていた。ルーはあまり文字を読めないが、鼠捕りの綴りは身近な職業なので覚えていた。
「鼠、鼠、鼠捕りー♪我ら、鼠退治の一団なり♪下水に屋根裏、壁の穴♪倉庫に廃墟に裏路地、空き家♪どこでも乗り込み仕事を果たす♪」ボロボロの兜を被り、錆びた剣を振り回しながら、背負った盾を揺らし、歌声を響かせて街道を来て去っていく。
しかし、楽しげに見えながらも、リリー曰く、暗い廃屋やトンネルで屍者や巨大鼠、巨大蟻などと遭遇することもある大変な仕事らしい。
勿論、大人たちも武装を携えている。男も女も老いも若きも。
若い男の中には、リリーに手を振ってくる者もいた。「ジョージア止めて。俺にしない?」すれ違いざまに軽口を叩くものもいた。「いややわぁ、もう。揶揄って」とリリーが照れたように言うと「おめでとう」などと笑って言うのだった。「俺の女神が……あんなゴリラに」悔しげに唸る若者もいた。
モテるなぁ、と思いながら横を歩いてると、リリーは鞄を漁って、林檎を取り出した。「お腹空いてない?」メェーと、ルーは応えて、一心不乱に林檎を食べた。
道中で、羊や犬を連れた牧者や豚を連れた豚飼いともあった。驢馬や馬を連れた馬借に、藁の山を乗せた荷車。野菜を運んでいる農夫と農婦たち。揃いの制服を着てマスケットの短銃をベルトに挟んだ衛兵たちの隊列に、ばらばらな歩調の自警団。鎧を着た騎士みたいな騎兵とカーキ色の軍服の市民軍の混成の一団。四、五人で街路を巡回してるらしい。山羊を連れたお爺さんとすれ違った時は、互いに立ち止まって、山羊と匂いを嗅ぎ合った。
人々は厚着をしている。大分、寒くなってきている。日中でも十度未満だ。
ルーも薄い服を三枚も四枚も着込んでいる。あまり多いと汗を掻くので調整が大変だ。ただ、行き交うなかでも、お金を持ってそうな人たちは、余り着膨れせずとも、暖かそうな服を着こんでいた。
リリーは、ちょっといい服だ。お洒落してる。「結婚するの?」ルーが尋ねてみたら「どうかなぁ」って顔を赤くして、えへらと笑いながら本当に体をくねらせた。「そうなったら、ええと思っとるよ」
夜は氷点下の五度とか、六度になってきてる。寝る時は大きなテントでみんなで毛布を何枚も被って雑魚寝している。大人の男と女は時々まぐわってる。ピーターとジェシカとか。結婚すればいいのにと思うけど、ピーターは恐い顔になって、子供が余計なことを、って怒られた。ジェシカも難しいと言ってた。犬や猫だってやることだ。ルーには分からない。リリーの手を握った。暖かかった。
道を歩き続けてるうち、やがて高い丸太の壁と石壁を組み合わせに守られた小さな町が見えてきた。
「中町やで」リリーが立ち止まった。煉瓦や石に瓦礫を漆喰で積んだ壁が続いている。あまり大きな町ではない。外壁なのに屋根があって窓が付いている不思議な町だ。
「あれは家なんよ。外向けの壁は全部、頑丈にして家の中から怪物や敵を撃つんや。でも……巨大蟻には正門を破られました」リリーが少し泣いた。
涙を拭いてから、ルーに振り返った。
「さて、うちは鍋を探してくる。帰りは門のところで待ち合わせやけど。一人でいけるかな」マギーから貰ったメモを握りしめると、ルーは自信満々で肯いた。
んめェー。道に迷った巻き毛のルーは、迷路みたいな中町の路地で途方に暮れながら、鳴いていた。自分はこれほどに馬鹿だったのか。ストレスで服の端を嚙みながら、必死に考える。恐怖でお腹空いてきた。地図を描いたメモが美味そうに見えてくる。大体、ルーはあまり文字が読めない。地図を見れば行けると思ったのに、分からなくなった。
「……ボネッティ」ルーは唸った。「ボネッティ!ボネッティ!」叫びながら歩き続ける。「ボネッティ!ボネッティ!ボネッティ!」やけくそになって叫び続けていると、通りかかった男の人が、地下へ続く階段を差した。「ボネッティはそこだ。看板出てるだろう」木の看板に【Bonetti general store】と出ている。
文字は読めないがアルファベットくらいはなんとか読める。一度認識すれば、次は大丈夫だ。「ありがと!」言うと下手な文字でメモに矢印や自分だけは分かる道順を書き足してから、おのれの機転で道を切り開いたと信じるルーは、鼻息も荒く階段を下りて行った。
カウンターには眼鏡を掛けた老婆がいた。ルーが頭陀袋から車の精密な玩具を取り出すと、「はい」と、いきなり乗っけた。それから思い出したように、「あ!」と叫んで、メモを渡した。
「汚い字だね、こりゃ」老婆がメモを手に取った。「ほうほう、マギーの紹介かい。駆け出しスカベンジャーと言う訳だ」眼鏡の奥で目が大きく開かれた。「そうなの」とルーは、開き直って得意げに頷いた。
単眼鏡《モノキュラー》を付けた老婆が、玩具を手に取った。矯めつ眇めつ、上下左右から見て「これは良いものだねぇ」
「こんなものでどうだい」算盤を弾いてから、此方に見せてきた。
ルーが肯くと、「支払いは門前銀貨と農村銅貨、居留地紙幣のどれがいいんだい?地区紙幣もあるけどね。こいつなら、20%おまけしておくよ」
玩具の車を高く買ってくれた。ルーは30通貨を銀貨と銅貨で受け取った。
「領収書だよ。名前をお書き」老婆の寄越した紙に、ルーは大きくRと書いた。
「まあ、いいかね」言った老婆。ガラスの商品棚に買い取ったばかりの車の玩具を置いた。値札には、80と書かれている。
なにか言いたげなルーに、「何時売れるか分からないんだからね。これくらいが妥当さ。不満に思うなら、次には他の店も廻ってみな。それも勉強だよ」
昨日か一昨日、廃墟で瓦礫を掘ってた時、似たような玩具を見つけたら、傍にいた大人の
「これからも高く買ってやるから。なにか見つけたら持ってくるんだ」ホクホクしながらの笑顔に似て、どこか醜悪な笑いよりも、老婆のつんけんした表情の方が、ルーにはなんか好きに思えた。
「ありがと!」ルーは大きな声で言って財布を仕舞い込むと、階段を上がっていった。
ボネッティからの帰り。隻眼のリリーは付き添ってくれた。それからなぜか、敷地まで引っ張ってくると、お湯で身体を拭いてくれた。泡立った石鹸は気持ちよかった。女海賊みたいなのに優しい人だ。うとうとしたルーは、その日は結局、保安官補の小屋の片隅で寝てしまった。気づいたらトリスと黒猫ココに挟まれて毛布に包まっていた。冷たい風が吹く氷点下の夜にも、床の金属のお皿の上で幾つもの炭団子がじんわりと温かい熱を放っていた。炭団子は安い。炭の粉と植物の粉を混ぜたものだからだ。小麦粉や澱粉だと高いけど、食べられない植物の粉でもいいのだ。夜明け前には、薪もドラム缶ストーブに入れた。屋根のブリキ煙突からは煙が吹き出している。贅沢な暮らしだ。
※※※※
トンネルの果てから、不気味な咆哮が幾重にも重なって響いてきた。
変異獣だろうか。「……神様」誰かが弱々しく呻いた。ぜいぜいと喘いだ護衛の一人が恐怖に舌を出し、マスケット銃を暗闇の彼方へと構えている。
大昔のイギリス探検隊みたいな制服を着た技師が舌打ちすると「退避!全員退避だよ!諸君!」叫びながら腕を振るう。巨大な盾に甲冑を着込んだ武者たちが殿を務めるようにメイスを構えながら、ランタンの明かりが届く範囲と闇の境まで前進した。「トールよ!我が勇気を嘉したまえ!」己を鼓舞するように唸りながら、怪物の襲来を待ち受けた。
瓦礫を放り出したルーは、労働者たちに混じって慌てて逃げだした。古い地下のトンネルから外に出ると、そこにはまだ秋の日差しが照っている。手織りの服を着た労働者が震える手で水筒の蓋を開けると、水を流し込んだ。
殿を務めた騎士たちがトンネルから出てきた。「やっぱり大型トンネルは、手を出すのは不味いか」傍らで技師と話し合っている。「先の枝分かれしているところで変異獣の多分、斥候が窺ってたそうだ。刺激しない方がいい」
ポレシャは、旧文明の市街地跡のごく一部に作られたが、その地下には膨大な地下鉄や車両トンネル、地下街に水道、電気などの朽ちたインフラ網が走っている。
地上に入り口を持つトンネルや下水を埋める仕事があった。瓦礫や岩を砕いて、漆喰と共に隙間なく積み上げる。何重もの壁を築く場合、扉を付ける場合もある。怪物や屍者の群れが襲来する可能性を下げる為、危険なトンネルや地下道を見つけたら、埋められる時は埋める。隧道だけではない。例えば、瓦礫の崩れた場所や、廃墟の街並みを貫く道路なども壁を作っておく。怪物の大きな群れと接触しないように。出来るだけ先延ばしできるように。いざ、押し寄せてきた際の時間稼ぎの為に。
ポレシャ市は、相応に強力な備えが為されている。市民街区など要所には、トーチカめいた住宅が配されている。百匹の変異獣が攻め寄せてきても負けはしないが、犠牲の有無となると話は別だ。その為の土木工事を続けている。人員も、弾薬も掛からず、戦闘時には敵を分散させて対応できる。直撃は避けたい。そう説明された。
暖かな飲み物が振舞われている。薄い茶、珈琲もどき、どぶろくであっても、ありがたい。九月も半ばに入ると誰もが冬支度を始め、早いものは十月には冬ごもりを始める。曠野の冬は厳しい。貧しいものだと空気の悪い避難所で四か月近く過ごす為、肺や喉を悪くする者もいる。今年はそれでも暖冬だから、冬間際の今になっても、少しでも薪に水、食料を貯めようと必死で金を稼いでいる労働者もいた。
三十通貨は、巻き毛のルーにはそれなりの大金であったけれど、大人の労働者が二日働けば、稼げる金額だ。一日のパンとバターには、最低三通貨ほど掛かるし、秋には薪代だって必要になる。だけど、農村や廃市街なら、もう少し食べ物も安いし、火は分かち合える。何処で寝起きして、なにを食べるかは、貧しい旅芸人には大事だと、団長は口を酸っぱくして言っている。ルーは毎日、フェルトン一座の塒へと戻っているが、食事はあまり美味しくないし、値も少し張ってる。一座の買い出しに付きあったり、料理の手伝いをしたルーだから、ぼったくってる訳ではないのは分かる。沢山食べる者も、小食の者も一律で飯代を徴収してるのだ。それでも寝泊まりも薪も安くて、安心できる場所は他にはすぐに見つからない。
働いたらお腹が空いた。ルーは鞄から麦粉の薄いパンを取り出し、塩の包みから塩を振ると、ぺろぺろと舐めながら食べだした。
「やはり外から塞ぐかね?」
「いきなり破られたら致命傷になるよ。中にも壁を作って二重、三重にしておかんと」「大きなトンネルは無理がある。見張るにも限界が……」
偉い人たちは話し合ってるが、結論は付きそうもない。
労働者たちは日当を貰って解散し始めていた。ルーも給料係の机の前に並んだ。少年少女は瓦礫をあまり運べない。壁を作る左官の技能もない。多分に紙幣を5枚か6枚貰えたらいい。8枚貰えたら働き者。9枚で御の字だ。名簿を見てから、ルーに渡されたのは12枚。大人が二十枚だから少ないと言えば少ないが――見上げると、「骨惜しみしないからな」と言われた。頷いて、大事そうに懐に仕舞い込んだ。
稼げなかったら、街に立つしかない。一緒に働いていた少女が疲れたように立ち止まり、数日後には街角に立っていた。それでも、また働きにも出てくる。身体を売ったら、食べていける訳でもない。いや、食べていけるけど、明日を買うのだと――お金を貯めて、手に職を付けたり、道具を買うには、体も売って働いて食べて勉強して、おのれの生活を築くしかないのだと仲間内で言い合ってた。
ここのところ、ルーは仕事にあぶれる日が少なかった。廃墟に行って大人がハンマーやピッケルで廃屋を壊すと、少年少女たちが頭陀袋に瓦礫を入れて、工事現場まで運ぶ。瓦礫を運ぶ仕事は二、三日ごとに見つかった。新しい建物や壁の材料になるのだ。町外れ地区の防壁も強化するとかで、しょっちゅう募集している。普通なら大人でも根を上げるようなきつい仕事が、山羊のように黙々と働くルーの性にあったのかも知れない。
ルーは身体だけは頑丈だ。貧しい若い娘が生きていくなら、街に立つか、仲間と一緒に暮らすかである。 今は芸人一座に対して貸しが溜まっていた。子供だからか、待たれていたが、稼げなかったら、身体を売るか、それが嫌なら踏み倒して逃げるしかない。同じ貧しい芸人たちへの貸しを踏み倒して逃げる者も、それは時々は出る。ルーは、まだそこまでは追い詰められてなかった。むしろ、ここしばらくは結構、ゆとりが出てきたかも知れない。
他にも野良仕事の手伝いに溝掘りも大人に混じって、よく行っている。キキや他の子と一緒になってフェルトン一座の薬草や漂泊民《ジプシー》のお守りを売りながら、占いの客引きも手伝って小遣いを貰う。魔女っ娘のシーマちゃん一味は商売敵だ。恋に悩む女性客を取り合って、出会うたびに互いに呪いの言葉やまじないを掛け合った。シーマちゃんは、頭を捻ったのか。スケベな女悪魔の絵をくっつけた小瓶によく効くと触れ込みの媚薬を売りだした。女性向けだと半裸のハンサムな男悪魔の絵だ。中々に侮れない。
廃墟の仕事も行う。罠を仕掛けて、野鼠や栗鼠を捕まえる。ドブネズミは食べない。ばい菌を持ってる。大事な違いだ。茸や根菜、玉ねぎにベリー、苔なんかを回収もする。時々は、廃屋で掘り出し物を見つけてはボネッティへと売りに行った。大半はそれほど大した金額にはならなかったが、ポレシャ市は大きな町だけあって、秋の半ばでも仕事の口は結構、見つかった。それでも日に日に寒くなってきている。そして四か月の冬を越えるには、最低でも百二十通貨。あまり寒さに震えず、お粥と屑野菜のスープ以外も食べたいのなら、三百通貨は欲しかった。
一座の他の人たちには、そこまで運には恵まれなかった人もいた。年上の芸人の子には肩を落として「町に立つ日も近いかな」とぼやいていた。軽業芸人の華奢な体には、ルーみたいな肉体労働は辛い。一座にいるとお金が溜まらない。ポレシャでの興行は成功したはずだが、資金は右から左に消えていく。食事はそれなりの量だけど皆、金を払ってるから頑張って食べる。節約できない。ルーは、外に寝泊まりすることも考えたけれど、場所に心当たりがない。幾ら治安が良さそうでも、そこら辺の廃墟に転がり込むのは危ないだろう。良さげな廃屋は大抵、先住者の縄張りになっているし、よしんば無人であっても、秋の氷点下に見知らぬ廃屋がどのくらい冷えるかは想像もつかない。
考えたルーは、結局、頼れそうな大人に相談することにした。座長ではなく、出会うたびに林檎をくれる隻眼のリリーだ。ルーは文字を書けないが、思いついた発想の欠片をノートに書けば、人に相談する時、話の筋を予め構築できる。ノートに家やルーや冬の嵐や薪にお金を描いて、満足げにめぇーと鳴くと、意気揚々と歩き出した。