黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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廃墟の子_06 夜

 海に棲まうある種の軟体生物と人間が悪夢の底で入り混じったような外見の怪物だった。人間と酷似した顔面は、しかし、ぬめぬめとした肌で覆われ、眼球のあるべき部分には小さな触手が蠢いている。口の部分は眼球の一つが出入りしている。

 曠野生まれのダリルは、残念ながら海も見たことはなかったし、無学だったので蛸なんて生き物も知らなかったが、【住宅街】入り口付近の配管から這いずり出てきたそれが人間の悪意の産物であり、同時に己の創造者(にんげん)を憎んでいる事は無秩序に鈍く濁った複数の眼球を見た瞬間に嫌でも理解させられた。

 

「撃ちまくれぇ!」

 恐怖に満ちたダリルの絶叫が響くよりも早く、居合わせた放浪者《ワンダラー》たちが一斉にクロスボウを発射した。

 

 銃弾は、最も信用ある通貨の一つとしても利用されている。雷管の装薬にムラがあり、何処に跳ぶかも分からない精度の怪しい手製弾薬すら、弾薬は弾薬だった。

 だから、放浪者《ワンダラー》たちは銃弾を惜しんだ。放浪者《ワンダラー》たちにとっては金を撃つようなものだったからだ。より安価、かつ回収して再利用できる低威力のパイプ・クロスボウから怪物めがけて発射しまくった。

 

 それでも大抵の怪物は殺せる。吠えるもの(ハウラー)噛みつき獣(バイター)のような素早い獣であれば、一人や二人の射手では躱されてしまうこともしばしばあったが、ダリルの知る限り、十人の射手で対処できない怪物など存在しない。

 

 のたうち回る肉塊のような怪物は、鈍重な蠕動運動で人間たちへと向かってきた。十本近いボルトは容易く皮膚へと突き刺さり、怪物の傷口から汚らしい紫めいた粘液を噴出させる。悲鳴なのか。甲高い叫びを何処にあるのか分からない口から発していた。

 

「ざまを見ろぃ!」

 おぞましい怪物の苦しむ様に勇気づけられたのか。ダリルは吠えながら大股に近づいた。

 止めを刺すつもりか。クリケットバットに釘を打ち付けたような板切れを振り上げながら、ダリルは己を鼓舞しようと雄叫びを発した。

 

 それが誤りだった。怪物が口を開いた。汚らしい粘液を噴出させ、迂闊に近づいたダリルは刺激的な異臭を放つそれをもろに浴びて、顔を覆って絶叫する。

 白い煙に肉の焼けるような音と臭い。指で覆った顔の皮膚が解け崩れ、粘液に塗れた掌さえ、白い骨が露出するのを見た放浪者《ワンダラー》たちは、恐怖に絶叫してクロスボウを撃ちまくった。

 

 完全に怪物の息の根を止めるには、ボルトが三十発近く必要だった。 

 

 

 

 西の果てで夕日が揺れていた。

「……日が暮れるぜ」

 放浪者《ワンダラー》の誰かが呟くと、転がる岩に腰掛けていたガルフは立ち上がって、大きく手を振った。

「引き上げだ」

【住宅街】の西口に陣取っていた見張り連中が、合図一つで後ろも見ずに駆け戻ってくる。

 いくらパイプライフルを携えていようが、無数の怪物が徘徊している廃墟群の見張りなど、この上なく恐ろしかったに違いない。

 

 強張った表情の放浪者《ワンダラー》が死んだダリルを運んできて、キャンプの横合いへと積み上げた。

 顔を溶かされたダリルの死体を苦い表情で眺めて、ガルフは舌打ちを禁じえなかった。

(これで死者は8人。未帰還者を含めれば11人)

 穴を掘って埋めるように指示した。ゾンビや化け物の同類になられても困るので、首だけは切っておくように釘を刺しておく。本当は焼くのが一番いいのだが。

 大半が顔と名前しか知らない数合わせのならず者とは言え、想定以上の犠牲者が出ている状況に、ガルフは苛立ちと僅かな焦燥を隠し切れなかった。

 

 数を集めずに襲撃を決行していたら、間違いなく返り討ちにあっていた。上機嫌になって焚火の傍で戦利品のラムをきこしめているレギンを見ると、首根っこを掴んで怒鳴りつけてやりたい気分が湧いてくる。

「今、俺たちは廃墟に足を踏み入れている。それを分かってるか?」

 歩み寄ったガルフの低く抑えた声に、レギンは緊張感の欠片もない口調でへらへらと笑い返した。

「大丈夫さ。全部、うまく行ったじゃねぇか。これで俺たちは大金持ちさ」

 

 

 昔馴染みのレギンが持ち掛けてきた計画は、元から杜撰で使えない代物に過ぎなかった。

『横暴な雇い主への仕返しに、隊商を襲撃して積み荷を頂くって寸法だよ』

 締まりの笑顔を浮かべながら、宿営地《キャンプ》を訪ねてきたレギンは自信満々で請け負った。

『物資をたんまりと貯めこんでいる金持ち商人のぼんくら爺。脅せば、すぐに降参してくるさ』

 

 調子のいい話をぺらぺらと囀るレギンだったが、曠野を生き抜いてきた自由商人がそんな腑抜けた輩である筈がない。

 隊商の下働きとして雇われているレギンが、移動ルートの時期と経路を確実に知らせてくれる。それだけは魅力的ではあったから、熟考の末に引き受けたガルフだが、計画はそのままでは使えないと判断して、大幅に修正した。

 

 当初の予定では一方的な奇襲で隊商を半壊させた後、その場で奪えるだけの積み荷を奪ったら即、離脱する予定だった。

 方針が変更されたのは、計画も大詰めになった頃、レギンがミーシャという謎めいた自称・商人を宿営地《キャンプ》に連れてきた為だった。

 

 皆殺しは後援者《パトロン》となったミーシャの急な要望で、前金だけで純正の弾薬200発と食料400日分を提示されては、断り切れるものではなかった。

 成功した暁には、倍を支払うとミーシャは約束した。

 命を懸けるにしては妥当な報酬なのだろうか。元々、ガルフは農民で変異獣《ミュータント》の襲来で暮らしていた洞窟の集落を失っていた。

 集落の生き残りには当然に女子供もいて、5年の放浪の間に幼い子供らを栄養不足などで失っている。生きる為には、今すぐに口を糊するものが必要だった。

 

 ミーシャを何処まで信用していいか。ガルフにも躊躇いはあったが結局、承諾せざるを得なかった。女子供を抱えた徒党にとって、ミーシャの前払いしてきた物資はあまりにも魅力的であったからだが、同時にガルフは計画を大幅に見直す必要にも迫られた。

 

 手勢を増やす為に顔見知りの放浪者《ワンダラー》たちに声をかけ、根本的な所から作戦を見直し、足りない武器を調達し、手持ちの弾薬をかさましする為に粗悪品と交換した。距離を取って数を揃えた単発銃で仕留める作戦であれば、3~4発にひとつ不発の不良品が混じっていようが問題ない。

 襲撃の為に合流した別口の放浪者《ワンダラー》たちも、ミーシャからそれぞれに前金を受け取っているようで、中には生粋のならず者めいた集団もおり、ガルフたちにとっても何処まで信用できるかは分からなかったが、もはや退路は断たれていた。

 

「ジョゴ。そろそろ焚火を燃やせ。それと薪は惜しむなよ」

 頷いたジョゴが、シャベルを手に取って歩き出した。ラテン系には珍しく寡黙だが、骨惜しみしない信頼できる男だ。宿営地《キャンプ》を取り囲むように、焚火の穴を掘っていく。地面に掘った二つの穴に空気が通る横穴を開け、片方に薪を放り込んだ。

 今は殆んどの者が知らない理由で、ダコタファイアーホールと呼ばれる焚火のやり方だった。火が変異獣《ミュータント》や野生動物をどれだけ遠ざけてくれるかは分からなかったが、曠野で闇に包まれて夜を過ごすよりは遥かにマシに違いない。

 

 宿営地《キャンプ》を照らし出すように、火が盛んに焚かれている。

「気を抜くなよ。廃墟から出て来るのが、連中の生き残りだけとは限らないからな」

 廃墟の近くでの野営はゾッとしない仕事だが、定期的に声を掛ける事で見張りたちも気力を保っているようだ。

 暫定のリーダーとして、ガルフは襲撃の指揮を執り、此処まではうまく運んできた。一方的な奇襲で壊滅させる筈が、即時に立て直して反撃してきた時は、肝も冷えたが、なんとか物量で押し潰し、あとは大詰め。廃墟に逃げ込んだ僅かな生き残りを狩り立てれば、この忌々しい仕事も終わる。

 

 素人が廃墟……それも名にし負う【住宅街】で生き延びられるとも思わないが、ガルフには最後まで気を抜くつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【住宅街】に日没が迫りつつあった。三方を塀に囲まれた民家の庭先で、お姉さんは遂に地面へとへたり込んだ。息が荒く、表情も強張っていた。

 

 門扉から顔を出し、少女はそっと周囲の様子を伺ってみた。

 茜色に染まる街を背景に、風に吹かれるままに幾多の人影が通りを流れていく景色は一見、美しい夕暮れ時の光景にも見えるが、地の底から響いてくるような呻きを幾重にも伴っていれば、そこに広がるのが幻想的な黄昏時の街角ではなく、生ける死者たちが蠢く地獄であることに嫌でも気づかされるだろう。

 

 お姉さんは、気力も体力も底を尽きかけている様に見えた。周囲の怪物からの視線が遮られ、取りあえずは足を休められる場所にたどり着いた途端、地面に腰を下ろし、苦し気な表情で息を整えている。

 

 民家の周囲では、何体ものゾンビが街路を徘徊していた。時折、早歩きするゾンビの姿も見かけられ、少女は顔を顰める。幸いと言うべきか、ジョギングするゾンビ『ジョガー』や走るゾンビ『ランナー』は見かけられないが、かと言って安心できる訳でもない。

 

 隠れている二人の存在は、怪物どもに気づかれてはいないが、しかし、間近で発せられる死者たちの虚ろな呼び声は、聞く者の神経を容赦なく苛んだ。お姉さんのように、先行きも分からず、死者の大群に抗すべき術もない立場であれば尚更だろう。

 

 お姉さんは、廃墟に慣れていない。まして怪物に囲まれながら、何時間もそれを避けながら廃墟を移動し続けるのは、初めての経験だった。それに気づかなかったのは、廃墟に慣れていたが故の少女の失態だろう。

(……死者の合唱を間近で聞き続ければ、こうにもなるか)

 少女は、己の見積もりの甘さに舌打ちしたくなった。

 

「乗らなければ、よかったかな」と、少しだけ恨みがましい口調で愚痴ったお姉さんが、首を振ってから苦笑した。

 沈黙する少女の前で、小声で囁くように告げる。

「もう、行って。貴女だけなら今からでも家に帰れる。

 わたしも一人の方がいい。その方が隠れやすいし、最後に見っともなく泣き喚くかも知れないから見られたくない」

 心が折れたのか。お姉さんは諦めを吐露していた。

 弱音だろう。しかし、それは冷静に考えた末の弱音だった。 

 少女は、泣きたくなった。歯を食い縛りながら、音もなく涙を零した。

 

 廃墟での行動に経験豊富な少女にして、計算違いが重なった。一つには、当初の予想よりも怪物が溢れていたし、活発に動き回ってもいたこと。普段は南区画を彷徨う怪物たちが、人間たちの引き起こした騒音に誘われて流れ込んできていた。

 

 二つは、お姉さんが廃墟での移動のセオリーを知らないこと。見つからないようにしながらの二人組の移動は、単独行動よりも遥かに時間を喰った。

 複数人での移動は、当たり前だが物音もするし、目につきやすくなる。

 

 怪物に気取られない為、その視野へと入りうる範囲で動く際は、遮蔽物から遮蔽物への移動が基本だった。

 まず斥候が慎重に安全を確認してから後続が一人、また一人と追従するのだが、この手法は手堅い代わり、単純に纏まって動くのに対して、倍の移動時間を必要とする。

 

 通りを横断する際も、少女が先に動いて怪物の気配を伺い、安全を確認してからお姉さんを呼び寄せた。怪物の習性や視界の範囲を予測し、隠れて進める窪みや瓦礫の位置を熟知し、動くか、動かないかの判断ができるのは少女だけだったし、音を立てずに猫のように歩くことも出来たが、お姉さんには無理な芸当だった。

 

 廃墟でひたすらに怪物たちを避けながら、先の見えない逃避行を続けることがいかに心削るかを少女は忘れていた。

 

 

 

 少女は空を見上げた。日没が間近まで迫ってきている。

 隠れ家《シェルター》にも、家にも、辿りつけずに時間が切れようとしている。

 

 深呼吸し、気持ちを落ち着けてから、少女は周囲を見回した。

 夜の廃墟は、人の世界ではない。怪物彷徨う廃墟で無防備な庭先に隠れて、生き延びるのは不可能ではないが難しい。

 

 生き残る為にまだ打てる手は無いか。窮地で何時もそうするように、廃墟で生まれ育った少女は、打開するための方法を脳裏の記憶から導き出そうと試みる。

 

 廃墟の深部に迷い込みながら、上手く地形を利用して脱出した遊牧民《ノマド》の家族。膨大な戦利品を獲得しながら注意力を失い、或いは運が足りずにあと一歩のところで廃墟に飲まれていった廃墟探索者《スカベンジャー》。賞金首を追いかけ、大型変異獣(ミュータント)の縄張りに足を踏み入れて壊滅した賞金稼ぎの徒党。

 

 幾らかの経験と知見から、助かるかも知れない方法を導き出す。ただし、命の保証はない。物心ついてから、生と死の狭間を十年も見続けてきた。廃墟に絶対がないことを少女はよく知っている。

 

 恐怖を飲み込み、平静を装いつつ少女はお姉さんに淡々と告げた。

「今晩、生き残るだけなら、それなりに成算はあるよ」

 

 切り妻屋根の廃屋。壁や屋根の一部が崩れかけた家屋の二階へと昇り、ロープを取り出すと、重りを付けた先端を頑丈そうな天井の梁へと掛けた。梁を通って落ちてきた先端を結びで固定し、引き絞る事で屋根に空いた穴から屋根へと昇れるように工夫した。

「屋根に昇って。冷えるけどゾンビにも、野犬にも襲われないで済む」

 お姉さんは無言で屋根へと昇った。荷物を引き上げて、少女もそれに続いた。

 夜の帳がゆっくりと、しかし、着実に舞い降りてくる。

 地平線だけが仄かに落日の残滓を漂わせていたが、やがてそれもうっすらと消えていった。

 

 周囲が闇に包まれた。曇天に星明りも地上に届くことはない。

 ただ、時折、獣の遠吠えと死者たちの不気味な呻きだけが闇より響いてくる。

 屋根の上に並んで座りながら、少女は小さく囁くような声でお姉さんに謝った。

「御免なさい。正直言うと、変異獣《ミュータント》。大型のやつだと昇ってこれるかも知れない」

 お姉さんは無言だった。闇に包まれて近くにある筈の顔も良く見えない。

「赤くてかなり大きいやつがいる。鉤爪が付いてるし、嗅覚も鋭い。あいつは跳躍力があって、もしかしたら……」

 

「ホントは、此処にいても夜を越えられるか分からない。何時襲われてもおかしくない。でも、助かった人もいる。ほんとに運次第」

「分かってる。いいよ」

 お姉さんは人差し指で、少女の口をふさいだ。

「いいんだ」お姉さんの声は優しかった。

 

 徐々に風が冷たくなっていく。

「……神さま。アマテラスさま」

 少女の声がか細く響いた。

「……ゼウス……オーディン……偉大なるクロム……ミトラ」

 知ってる限りの神々に祈っているのだろうか。

 寒い。夜半を過ぎた頃、曠野から耐えられないほどの冷気が押し寄せてきた。

 少女がもぞもぞと動いて荷物を開いた。迷彩用の灰色シーツは、薄手の毛布ほどの防寒効果も期待できなかったが、無いよりはましだった。

 

 辺りは闇に包まれている。分厚い雲に遮られて、月光は地上には届かない。

 冷たい風から逃れるように、二人は切り妻屋根の風下へと移動した。

 落ちないように慎重に。足元も、手元も、手探りで。

 

 冷たい風が容赦なく体温を奪っていく。

 風から逃れようと真横に倒れる。身体を寄せ合い、体温を分け合った。

「ミーシャやオリヴァーは逃げられたかな」お姉さんが億劫そうに枯れた声で囁いた。

 傾斜のある屋根では、寝返りも迂闊に打てない。寒さに少女の歯が鳴った。寒いのに汗が噴き出てくる。お姉さんがジャケットを脱いで、二人を覆うように被りなおした。少女はお姉さんに抱き着いた。互いの身体を抱きしめて体温を共有する。早く終わって欲しいと思う。或いは、いっそ死んだ方が楽かもしれない。

 うつらうつらとしては、落ちないように目を瞬かせて、眠気に耐える。

 

 変異獣の足音だろうか、不気味な唸り声も庭のあたりから響いてくるような気がする。昇ってくるのでは、と少し眠気が醒めて、耳を澄ませる。十分か、十五分か。或いは、一時間だったかも知れない。唸り声が何度も響いてきている。匂いで探しているのか。発汗している。気づかれないか。風が匂いを撒き散らしているのか。

 頭痛が額の奥で疼いていた。分からない。なにも。

 

 放浪者《ワンダラー》たちはどうしてるだろう。と、ふと思った。明かりが見えた。多分、町の西の外れでキャンプを張ってるのだろう。

 多人数で見張りを立て、銃器を持ち、町を出入りする者たちがいないか見張っている。僅かなゾンビや変異獣《ミュータント》などが迷い出たとしても、相手にもならないだろう。

 

 悪人が善良なものを食い物にするなど、普通にありふれた話だった。気に入らないし、悔しい。だからと言って、なにが出来る訳でもない。

 

 闇の中、獣めいた息遣いがハッハッと響き渡っていた。

 多分、真下。二階まで昇って来たのだろうか。此方の様子を伺っているのか。

 もしかしたら、すぐ傍に寄って来ていて、次の瞬間にいきなり首を食い千切られるかもしれない。二階に多数の変異獣《ミュータント》が集まっていて、夜明けとともに絶望する事になるかも知れない。

 この程度の苦しみや苦痛は、幾度か乗り越えている。だが、これに耐えても、夜を越えられる保証はなかった。なぜならば、変異獣《ミュータント》のうちで賢い個体は、一度、獲物に期待を与えてから絶望を味わうほどに邪悪で狡猾だったからだ。

 

 少女が発狂しそうになった時、お姉さんが囁いた。

「……私は隊商の一員なんだけどね」

 聞いてるよ、と身じろぎでうなずいた。

 お姉さんが言葉を続ける。

「放浪者《ワンダラー》たちに襲撃されて逃げてきてた」

「うん」

「今頃、放浪者《ワンダラー》たちは、暖かい火に当って、美味しいものを食べてるのだろうな」

「そうだね」

 ああした人種にとっては他人が数年、十数年を掛けて一所懸命に蓄えた財産を奪うのは、きっと楽しいのだろう。狂おしいほどの恐怖と絶望の下で、お姉さんは囁いた。

「酷い話だ。あいつら……いつか、殺してやりたいな」

「出来るといいねぇ」

 闇の中、くすくすと笑いあうと、それから二人は身を寄せ合い、押し寄せる冷気にひたすらにじっと耐え続けた。夜明けは遠かった。

 

 

 

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