巻き毛のルーの知り合いで、ポレシャの居留地で頼りになりそうな大人となると、一人しかいなかった。
「今の季節は、難しいかな」シチュー鍋の中身を掻き混ぜながら、隻眼のリリーは額の汗を拭いた。
「秋はお銭《ぜぜ》を貯めるのにいい季節やないです。薪や寝床代も金掛かるしで皆《みな》、早い人は今ぐらいの季節から冬籠りして、春と夏にお金を貯めてます」
「んー」十月、十一月は、稼ぐには厳しい季節。そう聞かされたルーは難しい表情で首を捻った。
野天の竈でリリーが料理を作っている合間にも徒弟のトリスや猫耳ココ、用心棒リジィがやってきては、パンを切り取り、焼いた芋とスープを杯に入れてひっきりなしにつまみ食いしていった。敷地の隅で資材をくっつけたり剥がしたりしながら、何かしらの作業している。
「いや、これだと煙突に見えちゃうよ」とニナが言って、「ちょっと膨らませてるだけなら、わかりゃあしないって」とリジィ。
小屋の屋根を眺めながら、リリーが鼻を鳴らした。
「連中、屋根まで外して、煙突を見えない様に隠してるんや。煙突税払いたくないってな。呆れるほど金があるのに」呆れて言うと、目ざとく聞きつけたニナが「違う!」と言い張った。
「よく聞いて、リリー。偶々、屋根に空いた切れ目が煙突みたいな機能をしただけで、これは煙突じゃないんだ。そこは大事な違いなんだ」などと主張しているニナ。
煙突の改造は、冬籠りの少し前、自由居留地圏で少し金の在る庶民の家では総じて行われる脱税――げふん、節税工事だ。
「ああ、うん。そうなんや。なるほどね」農村出身で面倒くさい税制のない料理番リリーは、面倒くさそうに相槌を打っている。
隻眼のリリーは木箱から林檎を二つ取り出すと、一つをルーへと放った。自分でも林檎を齧りつつ「あほらし」と呟いてから「正直言うと、うちはお金儲け苦手です。 銭勘定に詳しい奴がおるから、ちょっと聞いてみよ」
「君たちとお別れするのは辛い。だけど、これも大切な命を守る為だ」小屋の中から声が聞こえた。「新しいご主人のところに行っても元気でいるんだよ。そして辛くなったら、いつでも戻っておいで」マギーの話声だが、内部には一人しかいない筈。
首を傾げつつも、「マギーおる?ちょっと相談がな……」料理番リリーは遠慮なく扉を開けた。シャツを開《はだ》けたマギーが、机の上の銀貨の山に語り掛けながら乳に金貨を当てていた。
「きゃあ!リリーのエッチさんめ。そんなに結婚前に親友との秘めた想い出が欲しくなったのか?わたしはウェルカムだぞ」手を差し伸ばした。
保安官補の言動に戸惑うルーだが、机の上に置かれたマスケット銃と手斧に少し脅えたように後退った。後ろから覗き込むルーに「……守銭奴で変態や。お金に欲情しておる。あんなんになっちゃいかんよ」と振り返ったリリーは真顔で告げた。
「失礼な。別れを惜しんでいただけです。このお金は、支払いに充てるんですからね」マギーはシャツを着ながら、よく分からない抗議をしてきた。
「銀貨千枚くらいありそうやで。なんの支払いや」机の銀貨を見て目を瞠ってるリリーに「溜まった税金の分ですよ。もおう」マギーはため息を漏らして、渋々と袋に入れ始める。
「合同で人を雇ったんです。わたしが10人。あの人が10人。この人が10人ってね。
仕方ない。それもお仕事の範疇ですから」ぶつぶつと不満げに呟いている。
「公共事業か?」リリーは首を傾げた。
「ポレシャが安全なのも今年の三%くらいはわたしのお陰です。感謝してくださいよ。リリーなら具体的な形にしてもいいんですよ。ふぃひ」マギーが美人なリリーに向かって手を伸ばした。
「こいつが壁の工事に金出してるんやって。感謝するか?」リリーが抱えながら尋ねると「んー」山羊娘のルーは首を伸ばしてマギーの頬に、ちうと口づけした。
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拳よりも小さな象牙の彫刻をハンケチで磨きながら、保安官補マギーはリリーたちへと向き直った。「それで相談ってなんですか?」可愛い犬猫や象の彫刻にルーは興味を惹かれたが、それらが幾らくらい高価な代物のかも、ボネッティに出入りしておおよそ想像はついた。
「お金の相談に乗って欲しいんやけど」料理番リリーが切り出すと、「お給料、足らない?」とマギーは首を傾げる。他人に見せる顔と、身内への表情が異なっているのは、誰でもそうかも知れないが。
「この子です」リリーは巻き毛のルーを押し出した。
「この子がお金が必要なんやけど」リリーの言い分に、マギーはまずは、ふむふむと頷いた。
「なんか元手がなくても、うまいこと儲かりそうな……」とのリリーの物言いに、微かに目を細めた。
「ねえ、リリー。今も怪物の縄張りは、脅えながら走り抜けてるんですよ。あなた、行商を舐めてるでしょう」
「あ……えっと、そんなことは……すまん」リリーが謝った。
「行商だけで食べられるようになるまで五年掛かりましたよ」マギーは象牙の彫刻を机の上に並べながら、しみじみと語った。「小遣い稼ぎだった二年は抜いても、正味三年です。普通に働いた方が、間違いなく稼げます」
「そやろか?」リリーが呟くと「そうやで」と応えてマギーは手を広げた。
「この千人も要るポレシャの町で多分、たった一人の例外ですよ。わたし。上手くすれば、驢馬を何頭も連れてと言う人もいるけど、何十年も行商人を続けて喰うにやっとの人がずっと多いです」
「お金の相談、か……具体的には今、幾ら稼いでいて幾ら足りないのかな?」マギーは巻き毛のルーへと視線を向けた。まともに向き合うのは初めてかも知れない。
ルーは「……あのね」と内情を語り出した。三日に二日は仕事にありついている。日当で八から十二通貨。食べ物と薪に水で、日に五通貨の生活費。一週間でおおよそ十通貨ほど貯めている。
片目を瞑って聞いていたマギーが「おおよそそんなものでは?」と小首を傾げる。
「それはそうなんやけど……なんとかならんかな」とリリーが言うも。
「ならんでしょ。いや、食べ物は、もう少し節約できますかね」とマギーがじっと見てきたので、ルーはきまり悪そうにもじもじしてから、メー、と鳴いた。マギーは己の頬に指を当てて、軽く舐めてから「蜂蜜は美味しいですものね。農場主たちが特産にしようと試行錯誤してるんですよ」と告げた。
「今、芸人一座のところに寝泊まりしておるそうやけど、もっと安い宿とか知らんかな」と料理番リリー。
「……今は十月だよ、リリー。そしてもうじき冬になる」マギーは応えた。
「木賃宿には、冬籠りを前にした素寒貧どもがうろうろしてる。そんなところに子供一人泊めてみなさい。金や持ち物を取られるだけなら、まだましと言うものだ」マギーの指摘にリリーは表情を強張らせた。
「金は、使う時と場所。使いどころが大事だ。ポレシャは稼げるから留まりたい。とても、素晴らしい理由です」言葉を続けていたマギーが考え込んでから「来年の春からでは駄目なのかな?」と尋ねた。
「んー。身体は売りたくないの。やっぱり」とルーがふるふる首を振った。
「見いや。こんな健気で可愛い子がスケベなおっさんたちに買われるん可哀そうと思わん?」料理番リリーが、ルーを両手で掲げてみせると、ルーはメェーと鳴いた。
「可愛い?いや、可愛いと言ったら、それは可愛いけど」マギーが戸惑い、「なんや、可愛いやろ?ルーは」リリーが強弁する。マギーが沈黙すると「前から思ってたけど、頭いい人が好きなんやな、普通の人にはちょい優しくない」とリリーはため息を吐いてから、「ごめん、言い過ぎたわ」と謝ってきた。マギーは首を傾げたが、頷いた。確かに、人に対して投資効率を考える節を思い当たった。
「みんな、今くらいの年齢で町に立って、お金を一座に入れる」言ったルーが、一座に払ってる寝床と食事代を聞いて、マギーは目を閉じた。
食事の内容を聞けば、悪くはない。良くもないが、搾取ではない。どちらかと言えば――いや、間違いなく相互扶助の共同体寄りだ。
リリーは、もっと節約は出来る、と言いたげにしてたが、それはよそ者が口出しできる事ではない。ずっと町に暮らして、農民や牧者、豚飼いなどと顔を繋いでる地元に根付いた行商団の料理番と、風来の旅芸人一座の仕入れ担当では立場も食材への慣れも違い過ぎる。
数年前に比べ、マギー一党の一人当たりの食費は、表面上は十分の一ほどになってる。まず、安い食材と水の配給を受け取れるようになったし、牧者からの乳やバター、チーズ。マスケットや火薬の取引がある農民からの差し入れもある。食費が1割と言うよりは、蓄積された投資と契約の結果がコストを抑えただけで、実際には色々掛かってるのだが。リリーは傷んだ野菜でも、食べられる部分を見極めて調理できる。煮込み料理が多いので、食事が長持ちし、無駄を殆んど出さない。これで随分と食費が減ってる。家計簿で目を疑う数字だ。受け取ったチーズやバター、羊肉などをもっと安い豚や鶏、傷んだ大量の芋や野菜などとも交換する。リリーの掛けてる手間暇のコストは膨大だ。
リリーは怒らせたくないな、と結構、酷いこと言われたにも関わらず、マギーは考えた。ルーはダボっとしたワンピースをはいている。下にシャツとズボンを着込んで、太ももには布を紐で巻いたゲートル。今は、まだ働き続けられるだろうが、十一月の晩秋に入れば、下手をすれば日中でも氷点下に入り始める。防寒服を着込んだ裕福な市民層などは出歩き続けるが、庶民が働きに出るには辛い季節となる。
「……待っては貰えないのかな?」とマギーが尋ねると、ルーは難しい表情で唸った。
「みんな、十四、五歳くらいで……」とルーの言。
同調圧力でもあるのか。狭い共同体で辛い体験を共有することで、傷を舐めあう。そんなところだ。そして、それを悪いともマギーは思わなかった。きっと抗うのも難しい。それはマギーだって助けてやれるなら、助けてやりたいけれど、誰も彼もと言う訳にはいかない。徒弟トリスと猫耳ココを抱えて、用心棒リジィを雇っている。懐にあんまり余裕がない。いや、在るけれど正直なところ、いささか鈍そうなルーを抱え込みたいとは全然、思わなかった。育てる魅力に欠けていて、徒弟とするにも食指が動かない。
「秋は雨がね、それに雪も降る。仕事が取りやめになる事も多い」マギーの呟きにルーが首を傾げた。想像つかないらしい。
「そう言えば、南から来たんやったね」と料理番リリーがルーの巻き毛をくしゃりと撫でてから「今年は粘って、来年稼ぐのはどないかな?」リリーは尋ねる。
思考力が飽和したのか。ルーは大きく欠伸をした。それから考えこんだ。
「頑張ると言い張れば……」自信なさげに首を傾げていた。
「どの道も、間違いではないと思いますよ」マギーは頷いて言葉を続けた。
「リリーが助けたいなら、好きにしなさい。邪魔はしません。ただ、人ひとり面倒見るのは、大変ですよ」他人事だが、リリーにもルーにも、やれるだけやってみせろとも思ってもいる。助けの手は出さないが、他者の不幸を願っている訳でもないのだ。
「なんとかなるとええんやけど。どんな結論出しても、助けになるで? 」リリーが抱き寄せながら囁くと、ルーは目を細めながら肯いた。
※※※※
町外れ地区の空き地に滞在していたフェルトン一座の座長と会計係は毎日、帳簿と顔を突き合わせながらを議論を重ねていたが、ついにキャンプ地を引き払い、南方へと帰還することを決めた。今はまだよいが、寒さがより厳しさを増すにつれ、薪代も嵩むだろう。留まった場合、冬越えにかなりの金が掛かると試算したのだ。
十月中なら、まだ馬車で南方に帰還できる。勿論、ポレシャは仕事も多いし、大道芸におひねりを払う余裕がある大きな町でもある。現状でもトントンか、少し黒字の稼ぎは出ているから此の侭、ポレシャ圏で冬越えという選択肢もない訳ではない。それでも、初めて訪れた北の地で冬越えするよりも、何度かやってきてもう少し慣れてから、冬を越えた方が間違いなく安全だと座長は考えたのだ。
集められた旅芸人たちは、団長の考えに頷くものもいれば、考え込むものもいた。
(……残念)ルーが、リリーやトリスたちとの別れを惜しんでいると「勿論、残りたいものは残ってもいい」と団員の皆を見回しながら座長が告げた。
一座の中に僅かなざわめきの波が起こった。
「幾つかの村や農村が冬の間、空き家や部屋を貸してくれるとの話でな。ありがたいことだよ」団長が大きく頷きながら言うが、実際、これはかなり気前のいい申し出だ。よそ者に貸して火事など起きたら、大損である訳だし、フェルトン一座の行儀のよさと人誑しとも言える、人当たりの良さが効果を発揮したのだろう。
「勿論、働いたり、退屈な冬の合間に、村の皆さんを楽しませなければならん。が、ここは芸の見せ所だろう」団長の物言いに「冬の見世物にフェルトン一座とは、贅沢な農民たちだな」とナイフ投げのピーターが言い、くすくす笑いが広がった。
会計係も髭を弄りながら「一カ所に集中するよりも負担は小さくなるし、宿代も掛からない。来年、合流しても良いわけだしな」そうして団長は、残留を希望する者は手を上げてくれと告げると、思ったよりも大勢が手を挙げた。
怪力の闘士《レスラー》や剣を呑む男、火吹き芸人など一芸を持つ者たちは、おのれの見世物でまだ稼げると強気な判断で、留まるようだ。初見の土地だけにポレシャ市の人々は反応が良く、気前の良い見物人が多いのだ。ルーも手を挙げると、キキが意外そうに眼を瞬いた。
ポレシャはルーにとっていい土地だった。地区や農村、農場にはよく簡単な仕事があって、要望を聞いた保安官補が新たに紹介してくれた水の運搬キャラバン隊や木こり団の手伝い、薬草取りたちと一緒に遠出して、森の土を持ち帰る仕事など、食費と寝床が雇い主持ちで賃金の出る仕事も幾つかあった。そうして元々、飯代を支払ってはいたが、徐々に借金が嵩んでいたものが、少なくとも均衡は取れるか、徐々に減るようになっていた。もうただ飯を貪っているだけではない。座長と会計係に毎日、なにがしかの食事代を支払っている。
それにポレシャ市には安く冬を越える為の避難所や簡易宿泊所が幾つとなく建てられていたし、なんといっても治安もよく、軍隊も強力な町だ。曠野のうちでは、冬を過ごすのは難しくなさそうな安全な土地でもある。安全は大事な要素だ。南の湿原諸邦でも、東の蒼月の砂漠地帯でも、他の町からの応援や、善良な傭兵たちが助けに駆けつける事が難しい季節において、人狩りや略奪者《レイダー》、或いは屍者や変異獣の類が小さな町や村を襲撃して、滅ぼしてしまうことは珍しくない。
ルーは残ると決めていたが、キキが寄ってきた。なにかを話しかけてきそうになるが、その前に団長。団員の半ばが手を挙げたのを見て、「よし、分かった。フェルトン一座は、ポレシャで冬を越えよう」と告げた。一同の視線が集まる中「北の地の冬は初めてだが、人生は挑戦だ」そう団長は呟いた。