廃墟のでかい建物に潜り込んで、屋根や壁があれば、そいつは当たりの住処だ。コンクリートの床でも、剝き出しの土の地面よりは寒さを防いでくれる。マットレスや段ボール、毛布を敷けばそれで立派な寝床だ。
先住の住人が居なければ尚いいが、注意も払った方がいい。天幕や泥の小屋でも立てて引っ越したのなら言うことないが、壁や床に血の跡でも付いていたら、怪物が潜んでないかを警戒して、一度は建物を出るべきだ。最悪、調べ切らないうちに夜が来て、続きはまた明日なんて気を抜いて眠り込んだら、まだ見てない奥の部屋や地下から屍者になった前の住人が這い出てきて、こちらも敢え無く仲間入りさせられちまう末路だって考えられる。
屍者やら変異獣、或いは略奪者が巣食っていた場合はまだましで、巨大鼠の巣になっていた場合など、床は汚染された糞尿などで汚れ切っている。石灰を巻くか、燃やすか。そちらも出来なければ、土で埋めて十年後、二十年を寝かせてしまう方法もあった。土で埋めるのは良いやり方だ。どんな汚い汚物も微生物や菌類は、大抵、ほんの数か月から数年で分解してくれる。五年も経ったら床の土を取り除いて再び、人間が使えばいい。水で洗い流せば綺麗なものだ。鼠の食い残しや糞尿に含まれている病原菌も、土に埋めれば綺麗さっぱり分解されるのだ。人間が住んで多分、問題にならない程度には。
地区の古い学校跡を塒としているジムとコナーズ、それにミリーは、根無しの浮浪者《ホーボー》だ。地区の居住許可は持ってないし、登録された労働者などでもない。決まったねぐらも持たない。ポレシャの下層地区とその近くの居住区、農村などに出入りして日雇いしたり、良さげな廃屋やら、民家と離れた納屋に忍び込んで春夏の夜を過ごしてきた。寒さのきつくなった秋。三人は学校に天幕を移して教室跡で寝起きする。
初めてマギーと出会ったのは、五、六年以上も前になる。まだ若僧だった三人組が腹が減って食べ物を盗もうと忍び込んだのが、路地に挟まれた当時のマギーの塒だった。見つかって逆にぼこぼこに殴られ、自警団に突き出されたが、三人まとめて殺されるかと思った。当然に逆恨みしたが、なんせ自警団には記録が残っている。マギーには知己も多く、すぐにやるのは不味い。ポレシャは比較的に暮らしやすい土地なので、追放刑を食らいたいとは思わなかった。まあ、半分、言い訳だ。ビビったのもあるし、割に合わないとも考えた。敵わない、とまでは考えなかったが、不意を付いても返り討ちに会うかもしれない。狙って初めて分かったが、四六時中、街中でも警戒しているような凄味がマギーにはあった。
地区の住人も精々が四百余。近くの廃墟――外地区に暮らす連中を混ぜても精々八百人。それが同じ土地に暮らして似たような日雇い仕事にありつくのだ。時々は嫌でも顔を突き合わせるし、同じ仕事に集まる日も出れば、最低限の話くらいはする。不貞腐れて返事もしなければ「命を狙っても構わんが、返事くらいはしろ。貴様も銭が必要で仕事に来たんだろう」と胸倉を掴まれた。
地区の土木作業の際、マギーは班長やら任されて仕事を仕切る時もある。依怙贔屓する野郎もいるので、比較的にマシなのは理解できる。無法者《アウトロー》の首を持ち帰り、保安官事務所や市民軍に混ざって強盗団とやり合う女なので、舐める奴もいない。いつの間にやら保安官補に任命され、普通なら小銭ほどにしかならない行商も続けているうち、相当に稼いでいる。
気前は良くなってきてる。時々、貴重な煙草を他人に分ける。何かしら、在った時の話などすると、特に。揉めてる相手でも、突っぱねられても、何度でも気にせず、勧める。牢の中の強盗犯などにも親しげに話しかけ、笑い合い、そして、それはそれとして証拠不足で釈放された時は、平気で殺し合う。判断は甘くない。
五年か、六年も経てば、怒りも醒める。消えはしない。マギーは、餓鬼どもを飼ってる。徒弟に。浮浪児徒党に。訓練し、武装させ、武器も売買している。そして相変わらず、コナーズを警戒している。油断しない。見据える瞳が侮ってないから、むしろ安心できる。何度かは取引した。つまらない情報を買ってくれる。誰が近所に越してきた。見知らぬ奴がいる。どんな仕事をしている。そんな話に小金を支払う。他にも飼ってるだろう。おおよそ見当は付く。割のいい仕事を貰ったり、ちょいと服や食べ物、薪に余裕がある奴だ。多分、マギー以外にも情報を買ってる奴が地区にいるかも知れない。
※※※※
けたたましい鳥の鳴き声が、何処からか響いてきた。近所に屋内で鶏を飼ってる住人がいるらしい。居住区であっても、イタチや巨大鼠が入り込んでくる屋外に鶏や家鴨を放し飼いにするものはいない。必ず、屋内に引き込んで夜を越える。でかい廃墟に暮らす家族なら、部屋だけは余っている。土や粘土で壊れた壁を塞げば、金のない人間様より上等な部屋に暮らす家禽も少なくない。
朝の冷気が部屋に忍び込んできた。床の金属皿に置いた炭団子は、冷え切っている。頭の痛みを覚える。寒さか、それとも、火が燃えた責か。
廃建築物の目ぼしい一室に塒を定めてから、三人は壁の割れ目には藁と土を詰め、入り口や壁に布を張り、さらに部屋の真ん中に段ボールや毛布の天幕を張って暮らしていた。三重の断熱が氷点下の夜も耐えさせてくれるが、日によってはそろそろ零下十度を下回る日もあった。金のない連中は、そろそろ避難所に潜り込む時期だ。コナーズらも手袋や靴下は四六時中は付けてられない。だから、一番寒くて目を覚ました時に付けて再び眠る。朝少し動いたら、温かい昼まで再び眠る日も多かった。
鶏の鳴き声に呼応するように鵞鳥や犬の吠え声も響いてくる。屍者やら変異獣、巨大蟻。それに巨大鼠や不審者なんかに対応する為にも犬を飼ってる家は増えてきてる。浮浪児なんかは、犬や猫の餌を盗んだり、犬を浚って食っちまう奴もいる。だから、好まれてない。この間、住人の私刑にあってた。誰でも腹は好くし、ペットも可愛いもんだ。
冷たいコンクリートの床に設置された小さな土の囲炉裏の薪から、冷えた食い物をよう。粥に屑野菜や小動物の肉。「また粥かよ」誰がともなく愚痴った。「文句あるなら喰わねえでいい」「喰うよ」飯は、中世と同じ一日二食に何度かの軽食。暖かい飯が食えるのは基本、夕飯だけだ。薪を節約しなけりゃいけない。金持ちの家の近くに住んでる奴だと、暖を分けてもらうついで飯まで温めて貰えることもある。当然、世話になれば、それだけ頭が上がらなくなる。コナーズは、そんなのは御免だ。
「今日はどうするんだ?」とミリーが聞いてきた。
「ローガンの農場んところで仕事がある。一人分だがな」とコナーズ。
「そんなら今日はのんびりするかな」言ったジムが水差しからコップに水を注ごうとして、無くなったのに気づき、水瓶《みずがめ》を覗いた。底にわずかしか残ってない。「くそ!飲んだら言えって言ってんだろ!」怒鳴ったジムだが、休みは取りやめだ。水キャラバンに参加して水を得ないといけない。誰かが一日歩いて、作業を手伝う。引き換えに、小さな樽一杯の水を持ち帰る。透明な湖水だ。其の儘、飲んでも死にはしない。多分。だが、浄水器に入れた方がいい。煮沸できるだけの薪はない。
寒さが徐々に増す秋――十月、それに十一月一杯までは貧乏人でもポレシャに馴染めば、工夫次第で凌げなくもない。宿代はただ。ただし、他の破落戸や浮浪者《ホーボー》と揉める恐れもあった。五年、六年と積み上げた歳月が縄張りの塒と日々のそれなりの暮らしだ。金は欲しい。いつも足りない。浮きあがれない。腹の底から、怒りと苛立ちが突きあげてくる瞬間はあった。だが、憎悪も、憤怒も、上手く使うべきだ。
冬は、素人の努力と工夫じゃ越えられない。簡易宿泊所に泊まる為には金が掛かる。金を貯めても盗まれたらお終いだ。だから、温かい季節のうちに、宿泊所に前払いする。一番、寒さの厳しい二月から、一月、十二月と金を払い、十一月分を払うべきか。宿泊所からは、露骨に嫌がられる。冬は長く続く。出来るだけマシな施設に寝泊まりするのは、命に関わるからだ。雨の量にもよるが、一月を過ぎると安い宿泊所などは濁った水を飲ませてくる。
金が、もっと金が欲しかった。浮浪者《ホーボー》や幾らかの
こん棒や杖、六尺棒を購入して壁に並べる。夜に誰かが入り込んでくるかもしれない。怪物もいる。野犬や巨大鼠も入り込んでくるかもしれない。縄張りは死守するつもりだ。夜中、屋内に妙な気配を感じた時は、全員で棒を構えながら「おい!こっちは三人だ!武器もある!出ていきやがれ!」布の向こう側にそう怒鳴った事も一度や二度ではない。まんじりともせず朝を迎えて、床を調べれば、靴跡が残っていた。例え屍者でも――迎え撃つだけだ。複数なら、誰かが死ぬかもしれない。だが、建物を奪われるのは、同じように危険だ。老いぼれた乞食や浮浪者《ホーボー》が哀れっぽく宿を乞うてもいれはしない。他にも泊まれる場所はある。手を入れて住みやすくなってから目を付ける方がおかしい。一度、入れて図々しく居座られたり、金を盗まれたら詰みかねない。三人は面倒を嫌っていた。
ローガンところでの仕事に出かける間際、「ミリー、妙な奴を入れるなよ」
コナーズは妹分に注意を促した。学校跡は、寝泊まりできそうなまともな教室は少ない。だが、奥まで踏み込んでくる奴が出てもおかしくない。段ボールと新聞の小屋は三人の積み上げてきた財産だ。これがあるから寝床代が掛からずに済んでいる。張られた襤褸布も、見る者が見れば財産だ。だが、いざという時は逃げても構わないとも告げていた。扉が欲しい。頑丈で鍵の掛かる奴が。それに武器も。拳銃か。それに数発の弾薬。畜生、と低く喘いだ。
マギーのところにご機嫌伺いに向かうべきか。あの女はマスケット銃まで売り捌いていた。何百って金が懐の財布に唸っている。だが、油断のならない奴だ。小屋はハリネズミみてえに武装して、いつの間にか用心棒まで雇ってやがる。なにかしらを報告すれば、数枚の銅貨は貰える。それで一食は喰えるのだ。あいつと俺の何処が違う、とはコナーズは思わなかった。人間の首を持ち帰って、平然と金に換えようとは思わない。それも、昨日まで仲良く笑い合っていた相手の首だ。確かに物が違う。だが、それでも、あいつの持ってる金のせめて十分の一でもありゃあ、ジムやミリーにも、もう少しいい目を見せてやれるんだが。
※※※※
秋の日の夕刻、土嚢と木箱をくみ上げた見張り台の上。マギーの住処へと通じる路地に視線を配っていたジーナ・
「油断するな」マギーは周囲に囁いてから、「やあ、コナーズ」友達を迎えるように微笑みながら立ち上がる。用心棒リジィとニナは手近な場所に武器を置きながら、コナーズがなにかすればすぐに介入できる立ち位置にそれとなく移動した。リジィは胸甲。他の三人は軍用の防弾・防刃コートを纏っている。徒弟たちが火の傍で芋とマシュマロを焼いていた。山羊みたいな小娘にもマシュマロを与えている。料理番リリーはいつも通りに鍋を見ている。
仕事の帰りだろう。疲れた表情のコナーズは、強張った身体をほぐすように火の傍で身体を動かした。火の粉が布に当たって微かに小さな穴が開いた。もっとも、コナーズの上着もずぼんも小さな解れと穴が無数に空いている。針と糸で繕う余裕もないらしいが、浮浪者《ホーボー》だけでなく、
コナーズは疲れた眼差しで小屋を見つめ「五、六年前は大して変わらん生活ぶりだったのにな……いや、あんた、どうやって稼いでるんだね」とマギーに尋ねた。
「運が良かったのさ。勿論、幾らかの工夫や知恵はあるがね。兎に角、運が良かった。そして工夫や知恵については、他人に教える商人はおるまいよ」マギーの言にコナーズは「そりゃあ、そうだ」とため息を漏らした。
見慣れない山羊みたいな娘を一瞥してから肩を竦めると「あんた何を警戒してる?」そうコナーズはマギーに切り込んでみた。
「分かるかね」少し面白そうに呟いたマギーだが「教えて深入りされ、相手に気づかれてもお前さんが危ないだろう。だから、いつも通り、町や仕事場で見聞きしたことを話してくれ、コナーズ」答える気はなさそうだとコナーズは口元を歪めた。
「ならば、特に変わりはない。いつも通りだ」コナーズは首を振った。
「バラックや天幕建ててた新参どもが焦ってるな。冬の備えが足りない事にようやく気付いたらしい。周りの連中がのんびりしてるのに気づいたからこそ、逆に油断しちまったんだろうが……」
「連中は、どう動くと思うね?!」見張り台の上から歩哨のジーナ・
ジーナ・
「少し魚が喰えるようになったことと塩が値上がりしてるくらいか」と少しだけ話した。
「……魚が?内陸の曠野で?」マギーが首を傾げる。
「水キャラバンの誰かだ。湖で養殖に成功したとか。もっとも、どうやったかは知らんが。それで塩が値上がりしてる」コナーズの言にマギーは頷いた。二、三の噂話を聞いたマギーは、数枚の銅貨を机に乗せてから「持っていくがいい」拳の半分程度の袋も渡した。
袋を開いたコナーズは、白い結晶を舐めた。「塩か」とマギーを見る。
「塩だ」肯いたマギーは「売ってもいいし、使っても構わない」
いそいそと懐に仕舞い込んだコナーズは「世話になったな」言って立ち上がった。
立ち去ったコナーズの背中を見送ってから、マギーもゆっくりと立ち上がった。
秋の風は大分冷たくなってきている。盛んに燃えている焚火の傍に歩み寄ると、山羊娘のルーが見上げてきた。
最近、朝晩の食事の時にやってきて、リリーの手伝いをしている。報酬は林檎と食事。若干の小銭。相場はそんなものだ。何も考えて無さそうな無垢な顔つき――実際には、人の遺伝子の合成生物だから、思考力は高い筈だが――人類の罪の産物と見做す聖職者や科学者もいるらしい。ずっと火に当たり続けたからか、微かに汗ばんでいる。マギーは、リリーがそうしていたようにルーを両手で掴み上げると、山羊娘が首を傾げた。抱きしめてみると、ダボっとしたスカートとシャツの間に逃げ込んだ暖かい空気が押し寄せてきた。
「おお、暖かい」マギーは呟いた。んめぇーと、ルーがじたばたと手足を動かしたので、地面にゆっくりと降ろした。
(……最近ちょっと計算高くなりすぎていたかな)
リリーの考えが正しいか。いや、そもそも、人が知り合うのに、正しいも外れも余程の相手でなければないのだ。例外はある。生涯の友達なる相手や、性根の腐った裏切り者もいる。だが、殆んどの人と人の関係は、相互に形作っていくものなのだから。ここのところ、少しだけ、効率で考え過ぎていたかも知れない。それはつまらん人生だろう。マギーは反省しました。『うちは信じておったで』みたいな顔をして、竈のところで腕組みして頷いてるリリーを見て苦笑を浮かべた。
―――――――――――
十月中旬_23841都市通貨