旅に時間が掛かるようになってきた。日中でも時に零下を下回る中、大地を移動する影は、飢えた熊や狼、鎧のように土を纏う狂った巨大蟻。それに永劫に彷徨い続ける屍者ばかりとなってくる。他の旅人と顔を合わせることは増々、少なくなってきており、盗賊団などの活動も随分と低調となっていたが、一方で最後の稼ぎとばかりに思わぬところに賊と遭遇する事例も増えているとは耳にした。正確な情報が入ってこないので地図と照らし合わせるのは難しいが、被害に遭った行商人や旅人などがぽつぽつと出ているのは確かだ。
「随分と稼げているんでしょうねぇ」旅の途中、農村で農民から部屋を借りた際、肥満した巡礼者と同室――ではなく偶々、同じ農家に泊まり合わせた。
「足で稼いでいます。楽な仕事ではありません。特にこの時期は」
ぽつぽつと返答した。まったく無視するのも面倒で、しかし、まともな相手もしたくないとゆっくりと返答しているのに、肥満した巡礼者は、喰いつくように「でもいい服だ。幾らくらい稼いでいるんですか?」他人の懐具合ばかり聞こうとして来る。頭がおかしいのか。下世話な侵食に耐え切れず、言葉を濁してマギーたちは早々に席を立った。
時計を見ながら、地図を見てると、覗き込んできた。「駄目ですよ。旅人にとって地図は財産です。例え、ささやかなものだとしてもね」遮りながら立ち上がる。距離感のおかしい奴だが、こんな態度は存外、伝手を持ってるかも知れない。或いは、人狩りで此方の反応を測っている可能性もあった。
マギーたちはマスケット用の弾薬を帯状の筒にして携帯していた。弾薬と火薬を紙で一包にした早合だ。マスケットは旧式の武器だが、それでも高度に機能する為の補助具は揃えている。軍用コートに身に着けた二人組。厄介な手合いの多い、軍隊気取りに見えるかも知れない。あちらの用心棒は、太った巡礼者になにかしら耳打ちする。マギーに相手にされないと見た巡礼者は、今度は未練がましくジーナ・
二人は部屋に戻った。もう一人くらい同行者が欲しいと思ったが、用心棒リジィは、呼び寄せた人員との連絡係であり、ニナは金を出納し、情報に金を払うにも置いてくるしかなかった。徒弟たちは、まだ冬の旅に同行させるつもりはない。
旅人に宿を貸している大きな農家だ。召使の娘を雇っている。肥満した巡礼は、芋虫みたいな指に金と宝石の指輪を幾つも付けていたが、盛んに若い娘に話しかけていた。同行者――恐らくは護衛もいるが、離れて食事を取っていた。肥満した巡礼者は、宿の主人に金を払い、大ぶりの銀貨だ――召使いの娘の手を引いて部屋へと向かった。まあ、そう言う事もあるだろう。冬場は現金も貴重だ。だから、マギーと仲間たちも歓迎されている。
※※※※
ポレシャから一日。丘の手前の農村に泊まり、次の日に丘を越え、三日目の昼。自由都市にたどり着いたマギーたちは、商業区画を中心に潜り込むと、いつものように金を稼ぎ始めた。
「あんたも、元気だねぇ」と取引相手の町商人が呆れたように白い息を吐きながら、在庫のある倉庫へと案内してくれる。曠野も晩秋の時期――十一月に入ってくれば、ポレシャ方面や遠来からの同業者は、殆んどが姿を見せなくなっていた。
市内を歩き回れば、広大な自由都市でさえ貧しい者たちは、路傍や小さな家から姿を消していた。大抵は、かつての地下鉄構内や地下街、枯れた下水道跡など熱を持った地面の下へと潜り込み、集団で薪などを持ち寄っては冬を越えようとしてる。
露天商や屋台商人、小さな店舗も閉まっている一方、中規模、大規模の町商人らは営業を続けており、ズールと近隣居留地の商人に一部の交易商らは、今なお盛んに動き回ってもいる。農夫や旅人、貧しい巡礼などを路上に見かけなくなっても、彼ら彼女らは分厚い防寒着に身を包み、時に路上で白い息を吐きながらも、商いに取引に励んでいる。
良い防寒服と良い寝床が、マギーたちの活動を支えてくれる。冬に活動できる商人は意外と少ない。或いは、高価な防寒服もまた、商人としての成功へと立ちはだかる最初の見えない壁かもしれない。一方で装備や寝床に金を掛けずに働いている商人もいるが、やり過ぎなければ、それもけして間違っている訳ではないだろう。経費を削って土台作りを優先させる棒手振や露天商もいる。稼ぎが一定を越えたら、生活を変える行商人もいる。稼ぎと共に経費を増やし、時に下げながら、良い頃合いを探る町商人もいた。
ポレシャ市だけでも、マギーの同業者が幾十と犇めいている。マギーの先達もいれば、後進もいる。幾人もの野心溢れる若者が旅の空に野垂れ死に、極稀には隊商を組む程の商人になり、大半の者は安酒場の片隅で一生を終える。多分、どの方法もそれなりに正しいし、危うさも付き纏う。順当な方法を取って失敗することもあれば、危うい橋を渡り切る者もいる。運や巡り合わせもあれば、他人に見えないものが見えている者もいる。
マギーの商売の肝のひとつは為替にあった。都市通貨とポレシャ通貨は、それぞれ他所の居留地では購買力が多少落ちる。マギーは、ポレシャ市で仕入れた品々を売却する際、だぶついている都市通貨か、ポレシャの小麦紙幣で支払いを受け取り、都市に持ち込んでは、穀類を扱う商店で都市通貨に両替している。一部は、古新聞や薪、食料の配給券などとも引き換えて、家で使う。これで食費や生活費を大分抑えられている。
都市の穀物商店にとって、穀倉地帯ポレシャの小麦兌換紙幣は是非とも欲しい通貨だ。これに目を付けたマギーは、為替での手数料を省くことで利益率を上げていた。両替による利益は殆んど生じていない。そこで利益を求めないからこそ、多量の通貨両替を両都市の有力者たちに許容されている。だが、経費が大きく抑えられる。どちらにしろ、足で稼いでいることに違いない。だから、殆んどの商売敵たちは、マギーの仕掛けに気づけずに、真正面から戦いを挑んできては、競争に敗れて脱落していくか、期待していた程には大きく稼げず、首を捻りながらも足踏みを続けている。ただし、それでも一応、稼げはするので、抜け目のない競争相手が絶えることもないのだが。
穀倉地帯ポレシャの参事とズール都の穀物商店の伝手を持ち合わせている者なら、調整すれば同じ仕組みは作れる。相場を把握し、同じ程度に歩き回って取引先を開拓し、少人数かつ短期間で丘陵を横断できる者なら、同じ量は仕入れて、売却できる。盗賊や変異獣を迂回し、追いはぎや部族、巨大蟻を返り討ちに出来る者なら、商売を続けられる。正確な地図を製図する技能を持ち、粘り強く作り続ける者なら、突然死の可能性に耐えながらも、少しずつ安全性を高められる。他の旅人仲間に親しく話しかけ、時に小金を支払い、街道の情報を常に集め続ければ、危険を回避できる確率は一定、保ち続けられる。盗賊団に捕まっても交渉し、予め身代金と報復の為の手はずを整えている者なら、釈放されるだろうし、幸運に恵まれれば、幾度かの死の危険を乗り越えられるかもしれない。
多分、世にはマギーと同じか、それ以上の技量と知性、知識、持続する意志に幸運を持って商売を築き上げたり、何かしらの事業を行っている者もいるだろう。
(……簡単にいて溜まるかよ)と思いつつも、マギーは己のささやかな商売に、より優れた人物が参入してくることに脅え、新しい稼ぎ口や仕入れ先を開拓し、日々の研鑽と努力を怠らない。勿論、それらが戦争や死の河の襲来などで一発で吹き飛びかねないことも重々、承知していた。心の奥底で、英雄になりたいと言う夢見がちな気持ちが疼く時もあった。百人のよく訓練された兵士を率いれば、一地方の興亡をも左右できる。
鉄くず、空き瓶、空き缶、古布、羊皮紙、衣服に靴と帽子、包帯や抗生物質などの医薬品、都市産ビールやラム酒、釘にロープ、工具類、板材やブルーシートなどの資材、チョコレートや飴、キャラメルなどの甘味。運が良ければくず鉄や銅線。マスケットやクロスボウ。黒色火薬と円弾。都市では入手しやすいダクトテープや接着剤。電池なども貴重品だ。塩はポレシャ市の隊商が大量に仕入れ、公定価格で販売している為、合法だが旨味が薄く、手を出さない。段ボールや古新聞、煙草の吸いさしに激安の密造酒《ムーンシャイン》などの品も、嵩張る割に単価が安く、割に合わなくなって扱うのを止めた。行商を始めた頃に就いた客には、それで文句を言うものもいるが、利幅が小さすぎる。洗剤や石鹸の欠片などは今も扱っている。お得意様が大量に消費してくれる。浴場に納めれば、さしたる利益はない代わり、安く利用できた。
これから先、仮に驢馬を購入して、丘陵に通れる経路を開拓しても、利益はそれほど上がらない。荷の大半を占めるのは利幅の小さいガラクタの類で、運搬量が増えたからと言って、マギーは足で歩き回る行商人。利幅の大きな甘味や酒、資材に武器の類を大量に仕入れられる立場でもないからだ。
店持ち商人や隊商持ちに成りたいと言う野心は当然に持ちつつも、しかし、行商人として稼げば稼ぐほどに、現実的に立ちはだかる壁が鮮明に見えてきて、マギーも途方に暮れてしまう。仕入れに喋る為、喉が枯れる時もある。小まめに水分と飴で潤し、何者にも成れないかも知れないと寝床で不安にのたうち回りつつ、翌朝には、大麦の粥《ポリッジ》を食べながら(……二十代も半ばを過ぎて落ち着かん奴よ。マルグリット・モイラ。まあ、稼げてるだけ有り難い)とおのれを慰め、しかし、野心が消え入らない程度には奮起して、今日も頑張って稼いでいる。とは言え、全身全霊で打ち込んでも、たかの知れた一介の行商人に過ぎないのだけれど。
マギーは執念深く、路地を這いまわり続けていた。町中で幾人もの同業者――商売敵どもとすれ違う。老若男女が油断ない視線を他の行商人たちや雲の上に交易商らに投げかけながら、この寒い季節になってもしぶとく動き回るのを止めないのだ。冬の町の死にかけた流通を動かしてもいる原動力でもあった。
※※※※
「ベリーの蜂蜜漬けです。特産になると言いのですけど」馴染の酒場に顔を出したマギーは、土産を手渡した。ジーナ・
「保安官が名家に貰ったものを私が貰い、其の儘持ってきました。毒が入っていたら、それは名家の責ですね」
酒場の店主マーカス・ダウエルは微笑みながら「ありがとう、友達。甘いものが好きなお客に売りつけるとしよう。ところで蜂蜜のティーを呑まないか?好きだっただろう」と感謝の言葉を伝えてきた。
今の時期の旅は、どうしても移動に時間が掛かる。マギーは月の半分以上の時間を、行商とズールでの滞在に費やしていた。そうなると気になるのは、ポレシャ市に置いてきた徒弟たちだ。それに料理番リリーとよく顔を見せる山羊娘のルー。あいつらはジョージアが守ってくれるといいのだが。ジゼルは……まあ、いいや。町が巨大蟻に襲われても生き残る女だ。一人でなんとかなるだろう。
用心棒リジィと、ニナを残してきた。なんとかなるといいのだが。避難経路は指示しており『最悪、家は壊れても立て直せます』と言い残しては来たが心配ではあった。だけど、なるようにしかならない。行商も手を広げれば、一時の稼ぎよりも取引先が重みを増してくる。仕入れ先や販路を保つためにも、顔を繋げ続けなければならない。
「鎮痛剤だよ」アンプルと注入器《シレット》が詰められた細い木箱を開いて、マーカス・ダウエルは掠れた声で囁いた。マギーは頷いた。
「言うまでもなく、使い方には注意が必要だよ」とマーカスが言うと、「乱用は避けるし、古くなったら処分しますよ。もっとも今の時代、消費期限は危険がある時期まで伸ばされてますけどね」マギーが応えた。
「これは製造から四年で、軍閥から放出されたもの。本来の推奨期限は五年、危険期限は十年かな」マーカスの言に対して「充分です」マギーは、抗生物質の包みと民用鎮痛剤をマーカスの方へと押しやった。
マーカスも医療品を受け取りながら、囁いた。「都市軍に注文されてたんだけどね。仕入れた隊商が商売敵とトラブルが起きてね。信頼できる隊商員が欠けて、仕方なくズールに運ぶまで、途中の町で人夫を雇ったんだがね」
(……荷を抜いたな、私も気を付けないと)と察しを付けつつ、マギーは木箱を懐に入れた。
「ええ。で、このルートは今後も期待できますか?」
「在庫が幾らかあるし、似たやり方で手に入るだろうが。使い続けるなら、貸し一つ相殺だよ」マーカスは片目を瞑ってウィンクした。
小さな錫の杯に琥珀色のラムを一杯ずつ、胃に流し込んでから馴染の酒場を出る。おおよその必要な取引は済ませた。やはり驢馬が欲しいな、と考えつつ、比較的に安全な通りや区画を選んで散歩するように石畳みの上を歩き出した。分厚くはないが、硬い残雪が路上の片隅へとかき集められている。都の通りに設けられた陸橋やその下の門扉を幾度となく潜り抜け、防壁東門を潜り抜けると、近場の丘から地下へと続く巨大なトンネルが見えてきた。
勿論、黄昏の時代の技術でこれほどの建築物が築けるはずもない。その旧文明の遺産は常に微かな温かさを保っており、冬越えを営む多くの人々が内部で生活していた。
「懐かしいな。腹が減った時は、ここで巨大鼠の肉の串焼きをよく食べていたものです」マギーが囁きながら、遠目にトンネルを覗き込んだ。
トンネルの入り口付近には石が積まれ、階段も作られている。一見、中世の建築物にも見えた。内部には二階、三階の木造建物が旧文明の巨大構築物に寄生するように壁に張り付いていたし、さらにはトンネルの中空に橋やアーチ型建物まで張り付いていた。窓からは、いたずら小僧どもが下の人通りを覗き込んで、罵声など上げている。商店街には、粗末な品が並んでいるも、賑やかな声が響いているが、こうした遺構に暮らす人々の人生は、常に破滅と隣り合わせだ。トンネルの奥は塞がれている。
トンネルの内部から微かに地下の暖気が流れてきていた。近寄る程に居住区のざわめきが響いてくる。人の話し声に家畜の鳴き声。焚火の煙だろうか。古い照明がトンネルの彼方の蟠った闇を微かに照らしていて、まるで異界めいた情緒の風景をもたらしていた。
「五年か、六年前か、忘れたが、あの中に混じっていた頃は、ずっと界隈で生きていくのだろうと思っていたし、それも悪くないと」入口から踏み込まず、マギーはトンネルを眺めながら煙草に火を付けた。
「でも、ニナと出会って、少しはいい暮らしをさせてやろうと……思ったよりも才能があったみたいです」煙を吹いてから首を振った。
「十人近い人間が肩に乗ってきました。時々は疲れます」マギーの独白めいた呟きに「これから、もっと乗ってきますよ」ジーナ・
マギーは首を傾げて、少女時代からの馴染友達に訝しげな眼差しを向けた。
「いつの日にか、貴女はこんな街よりも遥かに巨大な権力を得られますよ」ジーナ・
「君は、私のメフィストフェレスだな」マギーは多分に本気にせず、苦笑を浮かべて煙草を踏んだ。
「わたしには分かっています」ジーナ・
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十一月の中旬_28237都市通貨