黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_102C 白い息

 貧しい浮浪者《ホーボー》や乞食、廃墟生活者にとっては10月、庶民の大半にとっては11月。曠野の地が例年通りの気温であった場合の屋外での活動限界である。 

 服を重ね着すれば冬でも日中は動き回れるが、それにも限度はあった。普段から暖かな家で暮らし、目の細かい防寒具を着込める市民であれば冬の散歩も楽しめるが、しかし、薄い布服や穴の開いたズボンでは、幾ら重ね着しても熱は逃げていく。

 

 だから、曠野の庶民や貧しい者たちは冬籠りを行う。夏の終わりから秋の初めの頃は、冬支度の季節だ。庶民の住まう町外れ地区や外地区のそこかしこで慌ただしい引っ越しの準備をする姿が見掛けられる。天幕を片付け、泥小屋の荷を整頓し、熱を逃がさない建物――廃墟領域の立派な廃屋でもいいし、地下室でもいい。旧文明の古い頑丈な構造物でもいい――へと移り住んで、傷んでいる箇所があるなら改装へと取り掛かるのだ。

 

 冷風を防ぐための布を張り、冷気を遮断する為に藁や泥を詰め、煉瓦を積み、壁の穴や亀裂、崩落した屋根などを丁寧に修繕していく。木材やニス、帆布に粘土材などの需要が一年で尤も上がる為、普段から細かい手入れを行う庶民も少なくない。薪や保存食、水をため込み、配分計画を立てて、一年の三分の一から四分の一の季節を屋内でひたすらに耐え忍ぶのだ。もっとも準備を万全に整えた者らにとっては、長い休暇の時期とも言えるだろうが――。

 

 

 赤泥のジルカが動くなら――ゆえに11月末がギリギリの期限だと言うのが、保安官補マギーの読みであった。しかし、火に当たり、暖かいお酒を飲みながら、マギーの小屋は人が少し多いものの充分に温かかった。余りに快適な暮らし過ぎて、感覚がおかしくなっていたかも知れない。「12月かも知れんなぁ」などと呟いてしまう。ポレシャ市に転がり込んだ最初の年の冬、寒さに震えていた記憶も忘却の沼に沈みかけていた。

 

 以前のマギーであれば、間違いなく11月半ばと断言した。貧しいものが切羽詰まり、そしてどうにもならないと悟るのがおおよそその時節だからだ。赤泥のジルカが常のやり方を踏襲するのであれば、手駒を扇動し、動き出すのに適したタイミングでもあろう。しかし、今のマギーは奇妙に確信を欠いている。

 

 マギーは去年、一昨年の冬、かなり快適な生活を過ごした。切羽詰まったのはいつが最後だろうか。今が十一月末だから、すでに丸三年が過ぎている。いや三年前も、当時の懐具合からすると相当の金銭を支払って冬を過ごした。余裕がなかった冬を過ごしたのは、四年前が最後だ。冬への恐怖が薄れていると自覚して、マギーは小さく舌打ちする。

 

 それから室内を見回した。十一月下旬にも関わらず、外で駆け回っている徒弟トリスや猫耳ココの笑い声。Tシャツで寝転んで読書しているジーナ・E(エクルストン)。時折、熱いコーヒーを啜っていた。用心棒リジィは、鼾を立てて爆睡している。ニナは、友人の家に遊びに行っており、リリーは外で料理の下準備をしている。 

 

 マギーは、当然のように仲間や部下にもいい生活をさせている。居候のジゼルは知らん。自己判断を走らせる。部下の立場ならどうか、と考えてそれでも多分、良い指導者だと結論をだした。傲慢だろうか?分からない。

 稼ぎ、分配し、家を用意し、一人一人に気を配っている。普通に考えれば理想的な指導者像だと思うし、そのように振舞っている。だから内部反乱の心配は少ない。が、ジルカを警戒するべき局面において、多分、それが弱点となっている。

 

 なにせ、マギー自身が冬に追い詰められる側から遠ざかっている。四年前までは、【曠野の冬】を肌で知っていた。寒さと飢えに苦しみ、僅かな食べ物があればと脳をひりつかせ、僅かな薪の分量を節約するのに指をかじかみながら一時間も掛けて慎重に計算をやりなおした。今も冬に気は引き締まるにせよ、恐怖は随分と薄れていた。記憶としても随分と遠ざかっている。

 

 無能や怠惰で鈍った訳ではない。身内を大事にしたから、おのれも部下も、冬の恐怖から遠ざかった。飢えや寒さに追い詰められる人々の心理を読む力が衰えた原因でもある。成功したからこそ鈍った。人の思考力は限られている。思考は変わらず研ぎ澄まされていても、他の事を考える局面が増えれば、冬の領域は見えなくなる。

 

 

(なんだこれは……参ったなぁ)思いつつ、近くで炭火に当たっていた巻き毛のルーを抱き寄せた。ふわふわ巻き毛に暖かい空気が含まれてる。暖かいなと思いながら「んめぇー」と鳴いている山羊娘に「冬は恐いですか?」尋ねかけた。

 不思議そうに見上げてきたルーが、頷いてくる。

「きつくなり始めるのは十月?それとも十一月かな」

「十月だよ、です」ルーが囁いた。頭を撫でてから、マギーは考え込んだ。

 ルーの解答は、無意識にずれていた。十一月、との答えを期待していたのだ。なら、ジルカの仕掛けが十二月の初冬もあり得るだろう。或いは、何も起こらないこともある。

 

 マギーも準備はしている。あまり張りつめ過ぎずに、十二月まで即応体制を維持しよう。それから一月、二月は、交代制で一班ずつの即応体制を維持。これなら冬の間、対応能力を維持し続けられるだろうか。分からん。まったく想定していない攻撃を仕掛けてくることもあり得る。

 

(でも、糸に引っ掛からないんだよなぁ)マギーちゃんは頭を抱え込んだ。マギーの使ってる斥候は、ムーア君は言うまでもなく、他の密偵たちだって利け者である。

 誰も彼も抜け目ないし、観察力もある。買収されてる?思う所を知らせてないのに、そもそもジルカが気づくはずない。もしかして、なにかを見落としてるか。

 一応は、市内全域と外地区の大半、近隣農村に監視網を張り巡らせている。精緻でも大規模でもないが、それでも十人近く密偵がいてそれらしい兆候がなに一つ耳掴めないとなると、なにか勘違いしているかも知れない。まったく別口で、傭兵団などで攻めてくる可能性などにも備えておくか?それだとさらに金が飛ぶことになるのだが、むむ。マギーはため息を漏らした。十一月の冬のある日だった。

 

 

 

  ※※※※

 

 

 

 去年、一昨年の寒波。そして巨大蟻の巣別れは、未だに丘陵の東側の平野部一帯に甚大な爪痕を刻み込んでいた。

 

 巨大蟻は、何処ででも見かけられる割、侮れない怪物である。外骨格は硬く強固で、弱い弓や銃弾など、ろくな傷を付けられずに弾き返されてしまう事もある。

 例えば、22口径の拳銃弾やライフル弾は、精度と発射速度においてマスケットと比較にならぬほど優越しているが、しかし、威力と衝撃に関してはマスケット銃の方が遥かに上回っていた。特に22口径が安価な弱装弾であった場合、働き蟻にすら通用するか怪しい。外骨格を突破する際、かなりのエネルギーを削がれる上、角度によっては弾かれてしまうからだ。

 

 ただし、9ミリ弾ならば弱装弾でも数発当てれば大抵、倒せる怪物でもある。少なくとも働き蟻なら。なんだかんだ言っても、火器は強い。小口径でもそれなりに衝撃も与えるし、貫通すれば、内部組織をずたずたに切り裂いてしまう。生物の貧弱な外骨格で防げる代物ではない。

 そして9ミリならやや高価だが、22口径よりも同じかより多く流通している。旅人がお守り代わりに二、三発所持しているのも珍しくないから、大きめの農村であれば、22口径や9ミリ弾を撃てる拳銃や手製ライフルを所持している者も何人かはいる。他にマスケット――というよりは手製に近いアーキバス銃、クロスボウや弓だって一家の主のうち半数くらいは所持していても不思議はない。

 

 だから、一応の防壁を備えた居留地であれば、十匹やそこらの巨大蟻に襲撃されても撃退することは出来る。例え二、三匹の兵隊蟻に、時には巨大な戦士蟻が含まれていようが、兎も角も、屋根の上や窓の内側から蟻をよく狙い、仮に角度が悪くて弾かれようとも、他のものが当ててくれれば蟻の動きも鈍っていく。瓦礫や丸太を投げつけてもいい。巨大な戦士蟻は、納屋でも壁でもなぎ倒してしまうだろうが、襲撃者の過半を占める働き蟻が脱落すれば、兵隊蟻や戦士蟻の背後から近づいて、間接に斧やこん棒の強打を叩き込むことは出来る。外骨格も衝撃そのものは防げない。勇敢な村人の捨て身の一撃に足の一つも調子が狂えば此方のものだ。油を投げつけて、火を付けてもいい。

 

 屍者や変異獣、巨大蟻は勿論、野犬や巨大鼠だって普通の庶民には恐ろしい相手だ。それでも小さな村落や部落が総出で抗えば案外、何とかなるものだ。襲撃が短期間に重ならなければ。或いは、一度や二度であれば―――

 

 

 アーキバス銃とは、原始的なマスケット銃である。主に村の鍛冶屋などが作った火縄銃であるが、最大の違いは、マスケットのように規格化されていない事だろう。

 同一工房で製作されたマスケットであれば、製作した職人が異なっていても、口径が合えば、規格化された円弾を装填できる。これは火縄銃《マッチロック》であろうと、燧石銃《フリントロック》であろうと同じである。製作工房が異なっていようとも――精度が高いならば――同じ口径の円弾を融通できるのだ。

 

 アーキバス銃は違う。一丁一丁を村鍛冶や流れ職工が手作りした代物だ。稀に精度が高いものもあるが、大抵は規格など端から考えていない。その銃に合わせた鉛玉の鋳型を手渡しておけば、持ち主がおのれで円弾を手作りできるようにしてある。例えば、鳥撃ちに用いるから口径は細くとか、盗賊や奴隷狩りに備える為に銃身を長くするとか。熊や変異獣に備えて大きくなどと顧客の注文に応じて作り出されている。

 

 だから、アーキバス銃は必ずしもマスケットに劣っている訳ではない。それでも大きな居留地や農村の住人たちが工房製マスケットを好む理由は、単に精度が高いとか、機構が頑丈で故障しにくいだけではなく――勿論、それらも重要な理由ではあるが――十数、或いは数十の怪物や盗賊などと戦う際、弾薬の口径と火薬を規格化することと部品を取り換えることで、襲撃してくる脅威に対し、長期間の抗戦に耐えうるだけの頑強さと最後の一発まで無駄にしない粘り強さを発揮できるからである。

 

 

 勿論、村の鍛冶や流れの職工とて出来る限りは標準とされる規格に合わせもしたし、独自の規格を試みもした。しかし、都市ごと、或いは工房ごとに基準となる口径が異なっている土地と時代。アーキバスはどうしたって、戦闘が重なるにつれ、マスケットに対して継戦能力で劣るのだった。

 

 一度目の襲撃で、幾人かの幾人かは銃弾を撃ち尽くした。それでもその時は、また弾薬を貯めなきゃなるまいよと笑いながら、撃退を祝った。

 二度目の襲撃は、僅かに半月後。深刻な怪我人が出、偵察に出た狩人たちが、恐怖に震えながら、近隣一帯に恐ろしい数の巨大蟻が出ていると報告を持ち帰った。

 巣別れの斥候だ、と老農夫が蒼白な表情で呟きを洩らす。三度目には持ち堪えられないだろう。弾薬は既に枯渇しつつあり、近くの村々は、巨大蟻に食い潰されるか、村人が先んじて住処を捨てていた。勿論、死に物狂いで防柵や土嚢、堀を作って立ち籠ろうとしている他所の村もあり、合流を促されもした。或いは、そちらも悪くないかも知れない――例え最後には呑み込まれたとしても、何年か、何十年かは持ち堪えた村もあるのだと、村の古老たちはぼそぼそと語った。

 

 しかし、生き残る方法は一つだろう。家も、田畑も全てを捨てて大きな町へと逃げ込むことだ。曠野にも幾つかの大きな市《ブーグ》は存在している。南の町《ブーグ》ポレシャ市は、百を超える巨大蟻に襲われながら群れを悉く殲滅し、捕らえた女王アリを都市へと売り飛ばしたそうだ。候補の一つだ。他にも司教座市サグレー、或いは北方の交易の要衝ツァリオ市、自由都市ズールなどならば、よそ者が潜り込んでも、仕事や食べ物に有り付けるだろうか。ともかく、村人たちの全員が迎え入れられることは難しい。それでも纏まって暮らせば、なんとか道も開けるかも知れない。

 

 か細い希望ではあるが、村人たちは数家族に分かれ、互いの無事を祈りながら、各々が新天地を目指して旅立った。しかし、勿論、先んじて村を捨てた近隣の村人たちも――全く異なる飢えや冷害、不作、奴隷狩りや変異獣、屍者の群れなどの理由に脅かされて土地を捨てた見知らぬ人々も、例年通りに大きな町へと流れ込もうとしているのだ。

 

 

 

  ※※※※

 

 

 

 去年、一昨年の大寒波が終わった後、ポレシャ市周辺の荒地に、見慣れぬ集落、部落がぽつぽつと生まれていた。昔から付き合いの在った浮浪者《ホーボー》やら廃墟生活者らとは違う、急増の瓦礫に木材を積み上げたような小屋や天幕は、ポレシャ市民たちに恐怖と不安を与えた。何故って、もしかしたら、ポレシャ攻略を狙う略奪者《レイダー》軍団や高名な傭兵隊長らの先遣隊と言う可能性もあったからだ。

 

 当たり前の話だが、接触は極めて慎重になされた。幾人かの法執行官や参事、軍人たちは、各々が動かせる廃墟漁り(スカベンジャー)や浮浪者《ホーボー》、或いは乞食に浮浪児等を動かして偵察に行かせた。自由都市ズールのように、軍人が高圧的に訪れなかったのは、不用意な刺激を避ける為だ。勿論、ポレシャ市の軍隊は自由居留地でも、屈指の精強さと規模を誇っている。自由都市ズールとツァリオ市を覗けば、丘陵地帯の東側で一番かも知れない。だけど、それと砲艦外交を好むか否かは、全くの別問題だ。

 

 まして略奪者《レイダー》軍団や大手傭兵団ともなると、数個中隊(カンパニー)――数百の兵員を動かすこともある。ポレシャ市も容易く一敗地に塗れるとは考えていないが、相手が大勢力となれば、揉め事は避けたい。多少の金や食料なら提供してもいいし、一方で、戦闘となれば、最悪、自由都市ズールの軍門に下ってでも援軍を呼ぶことまで計算にいれながら偵察を重ね、結果、新たな隣人たちが単なる難民だと知った時点で、一気に監視体制は解かれた。どこぞの武装集団の橋頭保として用いられては厄介なので、流石に定期的な監視は行いつつも接触も為されなかった。

 

 何故なら、ポレシャ市には既にポレシャ市の警戒すべき略奪者《レイダー》勢力がいて、友好を保たねばならない自由都市や自由居留地があり、油断も隙も無い隊商と交易を行い、気を抜けない競合相手トラン市やスージの町の手札を調べつつ、頭を抑えつつも助け合わないといけない農村地帯に牧者衆、木こり党、鉱夫団を抱えているからだ。名うての行商人や狩人、廃墟漁り(スカベンジャー)に傭兵など地元の腕利きが他の居留地に引き抜かれないよう気も配らなければならない。

 

 

 ――ポレシャ市の防壁、長い長い大防壁に二人の軍人が登った。一人は傭兵で、一人は民兵だ。傭兵は常雇であり、民兵は常備兵だった。二人ともよく整備されたボルトアクションライフルを携えており、名高いポレシャの防壁を順に歩き回って、異常がないかを見て回った。

 ベトンを積んだり、或いは石造りである防壁は、人の背丈の倍ほど高さを持って市民街区やその他の居住区を包み込んでおり、未だに難攻不落を歌われていた。冬が近い。人によっては十一月は既に冬だろう。白い息を吐きながら、遠目にある小集落だの、部落だのの方に視線を見やった。

「やっこさんらも随分と静かになったね。大丈夫かな、炊煙が少なくなっている」一人が言うと、もう一人の兵士が肩を竦めた。「そんな事を言っても俺たちには手の施しようもないんだ。連中が変な気を起こさない様祈りながら、まあ、来年も、再来年も生き残っていたら、そのうち付き合いも出来るだろうぜ」

 

 言ってから懐から双眼鏡を取り出してのぞき込んだ。「どれ、まだ随分と元気だな。案外と普通に暮らしているようだ。元は農民だろう。冬との付き合い方も知ってるってわけだ。これなら、半分以上は冬を越えられるかもしれんな」

「へえ、双眼鏡かい。良いものを持ってるな」兵士が唸った。

「マギーから買ったのさ。三百はしたね。だが、普通に買えば、五百はする」傭兵がいうと「俺も頼んでみようかな」

「気の毒だが、お前さんは買えないな。嫌われてるからな」傭兵の言葉に仰天する。「なんだって?俺がなにをしたって言うんだ」泡を喰った兵士。

「あいつが来たばかりの頃、保安官補になった時に、足手まとい云々って言ってただろう。覚えてたぞ」

「あれは、お前が流れ者は信頼できないって最初に言いだしたからだろう」兵士が抗議するが「俺はその後、謝ったからな。誤解していたようだ。済まない、と」

「何時?!」兵士が尋ねると

「あいつが無法者との撃ち合いで生き残った後、二人きりの時」と傭兵はしれっと答えた。

「馬鹿な。そんな……」兵士が喘いだ。

「三年か、それくらい前か。謝るか?一年で百丁くらいマスケットを売りさばいてる商人に。今から」

「去年だったら、まだ……今、謝ったら、大物になったから媚びたと思われないかなぁ? 」兵士の嘆きに「思われるかもね。へい、覚悟を決めろ。男だろ。いい機会じゃないか。向こうだってそんなねちこい奴じゃないぜ」傭兵が気軽に慰めた。

「……去年だったら、対等だったのになぁ」兵士は天を仰いだ。

「断言するが二、三年後には……」傭兵は意味ありげに言葉を切った。

 

 

 

 

 

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