巻き毛のルーは毎日――ではないが、三日に二日は働いていた。ポレシャ市には仕事の口が沢山――小さな町や農村とは比べ物にならない程に沢山あった。土石を運んだり、畑の溝の浚渫工事を頑張ったり、小高い丘で粘土を掘って町に運んだ。未成年の割に貰える賃金の払いも悪くない。地区通貨で十から十二ほどだが、腹を満たすには充分だった。ルーは山羊の獣人の娘であった。角があり、ふわふわの白い巻き毛だ。そして見た目よりは頑強で働き者だ。
フェルトン一座の天幕や幌馬車で毛布に包まって寝泊まりしながら、時々はモイラ保安官補の家にも泊めてもらった。仕事先でご飯を貰ったり、他の者たちと一緒に寝床を提供される事もある。それでもフェルトン一座に、飯代と寝床代は律儀に払い続けていた。一週間ごと、或いは、十日ごとの取り決めがされていて、この日は払うとか、この日は寝床だけとかは出来なかった。
パトロンが付いたり、富農や町商人に招かれるような芸人なら、一週間ほど行った先でお世話になると告げることも出来るし、座長も対応してくれるが、巻き毛のルーには到底、パトロンなどつかないだろう。誰かのおまけとしてお供していれば、と言ったところだ。なので、無駄も出てる支払いだけど仕方ない。ルーはそれほど弁の立つ方ではないし、一座とはこれからもずっと付き合い続ける。
ルーは臆病な性分が合って、座長はそう言う人ではないと思いつつも、僅かなお金で怒らせたくは無かった。僅かと言っても、ルーには馬鹿にならない金額だったけれど。
秋も深まる十月の中頃、その日のルーは、朝早くからモイラ保安官補の住居にやってきた。昨日、土木工事の仕事があって、夕刻まで長引いた。参加したルーは、長引いた分の賃金も貰って木賃宿に泊めてもらったのだが、朝起きたらモイラ保安官補の家の近所だと気づいたのだ。肩掛け鞄から薄いパンを取り出すと、小さな袋を取り出して塩を振る。丸めて口に入れた。美味しい。世にはもっと美味しい物があるのを知ってるが、塩パンは美味しい。物を食べてると幸せだ。
ルーはふすふすと小さな鼻を蠢かした。内陸の秋は冷え込む。ルーは薄い服を三枚も着込んでいたが、風は容赦なく体温を奪い取っていった。それに薄い服を沢山着ると汗を掻いて冷えやすい。プシッと小さなくしゃみを洩らしてから、小走りに保安官補の家へと向かった。保安官補の敷地には、恐ろしい量の薪が積み上げてあった。普通に部屋を暖めるだけなら、朝夜ぶっ通しで三か月分保つくらいの燃料だ。なので、いつも火を焚いてるのだ。火に当たらせてもらおう。それにあすこのトイレには、トイレットペーパーがあるのだ。
東の空が白んできたばかりで、街路には影がまだ色濃く蟠っている。小さな居留地や農村など、古い防柵が劣化した辺りでは野犬や巨大鼠、或いは巨大蟻や狼、変異獣が入り込んで、住人が襲われもするが、最も警戒すべきは屍者だろう。母子が襲われ、幼い我が子を庇った母親が命を落とし、しかし、離れられないでいる子供に起き上がった母親の屍者が襲い掛かる痛ましい悲劇も、各地を旅していれば時折はどうしても耳に入ってくる。今、街路に設置された木柵は頑丈で、土嚢はうずたかく積まれて使われてない路地を塞いでおり、廃墟との境の防柵には、火縄銃やクロスボウを担いだ見張りが配されている。外への警戒を怠ってはいないだけで、随分と気持ちは楽になるし、きっと悲劇は起こりにくくなる。
保安官補の敷地へと続く路地には、木戸が設けられていて開くと鐘が鳴った。ルーは軽い足音を立てながら保安官補の家へと向かうと、火が見えてきた。土嚢に囲まれた木の台の上に見張りが立っていて「ルーです。一人」と報告していた。敷地ではすでに人が起きていて、料理番リリーは大きな竈の前で野菜を刻んでいた。ルーが近寄って、竈の火に手をかざすと、眼帯をしたリリーが穏やかな隻眼で山羊娘を見「手伝いに来たんやな、関心やで」と頷いた。ルーは時々、調理を手伝ってる。特に異論はないのでコクリと頷いた。
大鍋を大きな匙で掻き混ぜ続けるのが、ルーに与えられた役割だ。合間に料理番リリーは他の料理を行っている。額に汗を浮かべながら、一生懸命に大鍋を搔き廻していると見張りの人が再び、「来訪者、三名。予約の客です」と報告してきた。
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まるで熊か、力士のように丸く大きな客人だった。ポレシャ市からかなり離れた渓谷の村長だと、紹介してきた旅人からはそう伝え聞いていた。マギーは、女性としてはかなり長身だが、前に立つと横幅も含めて随分と見劣りした。顎髭を三つ編みにして、立派な服を纏っている。一見するとそう高そうな服でもなく、派手でもないが、良く似合っていた。黒い革と絹を用いた服装には、見事な鳥の意匠があしらわれている。厳つい相貌の持ち主だが、しかし、凶相ではない。殺戮や略奪を繰り返す者には、荒んだ暮らしが自然、表情に浮き出てくる。とは言え、凶悪ではないと言うだけで、人を騙したり、多少、痛めつける者でも表層を取り繕うのが上手いものも幾らでもいるのだが。
マギーは頷いて、武器を並べた机の前に案内した。当然にリジィやニナも武装して佇んでいる。歩哨のジーナ・
「燧石銃《フリントロック》は、一丁につき280都市通貨。火縄銃《マッチロック》は240都市通貨、乃至280ポレシャ通貨とかなりお買い得です」保安官補は常の冷静な口調を崩さずに、淡々と説明した。
「……お買い得、ね。ワルサーが、50都市通貨で手に入ったが」恰幅の良い客人は、腰のホルスターを叩いて見せた。
「ガタガタのワルサーと、流れの行商人が扱う錆の浮いた9ミリ弾。悪くはありません。野犬や働き蟻、或いは二、三匹の屍者から身を守ることも出来るかもしれない。
でも、貴方は、単に身を守る以上のものを求めて此処にいらっしゃった」保安官補は冷静に切り返した。
「八発の9ミリ弾を買い集めるのに農民や庶民に何年かかるでしょう。一年?二年?それとも五年でしょうか?地主ならもっと容易いかも知れませんが、それでも、9ミリ弾を数十発と買える伝手をお持ちながら、此処にはいらっしゃらないでしょう」と保安官補の言葉に、村長は苦笑を浮かべながら分厚い肩を竦めてみせた。
壁に向かっての試射が行われると、間近での発砲音に巻き毛のルーがびっくりして、ンメェーと鳴いた。
「此方の火縄銃《マッチロック》の精度は、村の鍛冶屋とは比べ物になりません。ご覧ください。20メートルを一発で当ててみました」保安官補が壁に置かれた標的を指し示すと、顧客は満足げに頷いている。勿論、徒弟のトリスは射撃がかなり上手いのだが、それは口にはしない。精度が高く、頑丈で壊れにくいのは確かだったからだ。
「しかし、少し高いのではないかな?」顎を撫でながらまだ躊躇っている買い手の言葉に「それだけの価値はありますよ、が、220都市通貨に」保安官補が告げた。
「友人から聞いた値段だな」と買い手が考え込んだ。
「採算ラインです」保安官補は頷いて、説明を続けた。
「一発撃つのにおよそ30秒。訓練次第で22秒から25秒までは縮められますが。5人が火縄銃を持てば、6秒に一発。訓練次第では4秒に一発。遮蔽を保ち、銃眼から狙い撃ちすれば、奴隷狩りや強盗団にも対抗できるでしょう」
そして口を閉じて顧客をじっと見つめた。此の局面で値切ってくる客もいるが、マギーは相手をしない。クロスボウを勧めるか、他にもっと良い店があります、と門前払いに移るだけだ。
自由居留地の慣習法では、買い手と売り手は対等の契約と定義されており、ポレシャ市法でも、売り手には売らない権利がある。ただし、飢えた人物が金を出し、在庫が豊富にあるのに食べ物を売らない権利はない。予約や名義上、すでに客のものとなっている場合はどうなるのか。それは各々のケースで司法で争われるが、単純な悪用や村八分には出来ないようになっている。
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三人の客は、机に並べられた火縄銃《マッチロック》と燧石銃《フリントロック》を、それぞれが二、三度試射してから頷き合った。満足はしないでも納得した様子で「買おう」と頷いたが、支払いの段を済ませるのに、三十分以上の時間が掛かった。
客たちは、金の詰まった袋を取り出したが、まずは天秤が机の上に持ち出されると、支払いの銀貨や銅貨を秤に乗せる。削られていたり、贋金――大抵は鉛や錫などが混ぜ物してある――が混じっていると、価値が下がるからだ。紙幣にもよく偽札や破損しかけた札が混ざっている。
片眼鏡で貨幣を確認している保安官補が「リリー!お茶を入れてください!」叫んだので「三杯やねぇ」と言ったリリーが缶詰から茶葉を取り出した。こういう時は、みんなが飲んでる出涸らしでは済まさない。そして、二番煎じ、三番煎じは、出涸らしより少しだけ美味い。客が帰った後は、普段より少しだけいいお茶を飲めるのだ。
保安官補は商いとして多少の珈琲豆や蒸留酒なども扱っているそうだが、振舞ってくれるのは主に十二月から二月までの寒い時期だけだそうだ。「ケチや」と言ってリリーはクスクス笑ったが、きっとこれは冗談だろう。料理番リリーは木箱をひっくり返して、茶葉の金属缶を取り出した。煉瓦みたいな茶葉の塊の端をナイフで切ってる。箱には、防虫剤として樟脳、松脂、蚊取り線香なども入っていた。夏の在庫の売れ残りだそうだ。暮らしはきっと、見た目以上に快適なのだろう。
料理の火が弱くなってきた。薪の山に行って、古い薪のてっぺんを取ろうと背伸びをした。届かない。木箱を持ってきて昇った。木製の簡単な柱にブルーシートを乗せた簡単な納屋だ。雪や雨を防いでいる。乾燥した土地には充分だが、今の時期は、路上にまだ雪が残っている。下の方の薪は少しだけ湿っていた。雨や雪が降ると日雇い仕事も無くなってしまう。
薪を持ち帰ると、リリーは浄水器から出た綺麗な水で薬缶に湯を沸かした。三杯のお茶が入り、山羊娘のルーが盆に載せて持っていくと、巨漢の村長が燧石銃《フリントロック》を手に仲間に囁いていた。
「見ろ。精度が良さそうだ。部品も滑らかに動く。滅多に不発もないんだろう」
「いい品だと思います」慎重に意見を口にした若者に頷きながら、「値段分の価値がある品だというのはわしにも分かるが、壊れた時に村の鍛冶屋に直せるかは分からんな」
ルーは少し緊張して、湯気を立てるお茶を配った。机の上では、仕切りの付いた木箱が置かれ、銀貨が10枚ずつ積まれていた。メモに数字を記しながら、保安官補とニナが貨幣を数えている。銀貨と銅貨、そして紙幣の小山は、ルーには見たこともない大金だった。いや、見たことはある。座長の天幕に不意に入った時、会計係と金勘定をしていた。そっちの山の方が大きかったけど、座長は汗を掻いていた。保安官補は、事も無げに扱っている、と言う事はないのだろうけど、きっと大金を幾度も扱ってきたのだろう。慣れた様子で数えていた。
とと、と足音を立てて下がると、ルーはため息を洩らした。小剣を杖のように立てながら、用心棒の女ランツクネヒトが「目の毒だぜ。なあ?」と笑いかけてきた。
山羊娘のルーは無言で肯いた。悪いことをするつもりはないが、大金の傍らにいくと心臓に悪い。それはきっと誤解でも、獣人の小娘に命の破滅を招きかねない危険物の側面も持つからだろう。
「間抜けな金持ちの用心棒やら、使用人やらが金を盗んで……ってのはよく効く話だ。安い賞金首共の半分はそう言った奴らだ。まったく哀れな連中さ。見たこともない大金に目が眩んで、つい魔が差しちまう」ランツクネヒトは取引を眺めながら、淡々と呟いた。警告かな?とも思ったが、おのれやルーに言い聞かせるというより、追憶するような口調だ。
「頭が冷えてからは地獄だろうよ。首には賞金。以前の人生には戻れない。賞金首の持ち物は勿論、捕まえた賞金稼ぎのものになる。取り返すという条件でも、どれだけ戻ってくるか。金目当ての腕利き共が涎を垂らしながら追いかけてくる」
机の前でニナがマギーに向かって頷き、立ち上がったマギーが東の渓谷から来た村長と握手を交わした。銀貨と銅貨、紙幣がそれぞれに束にされて、小さな手持ち金庫へと仕舞い込まれていった。
「お前、今、幾らもらってる?」ふと用心棒が聞いてきたので、ルーは戸惑った目を返した。
「カツアゲしようってんじゃないよ」用心棒が苦笑と共に窘めた。ルーは、昨日の日雇い仕事で貰った十二地区通貨――数枚の銅貨をポケットの中で握りしめてから「12」そう正直に答えると、用心棒は頷いた。
「マギー……保安官補と、リリーには媚び……じゃないな。素直に頼っておけ。悪いようにはしない」
巻き毛のルーは考え込んだ。
「用心棒さんは……」口を開くと「リジィだ」と用心棒が名乗った。
「リジィさんは、誘惑に駆られたりするの?」机の上で保安官補が糸で結んでる銀貨や銅貨を眺めつつ、尋ねてみた。
「どうかな」雇い主と貨幣の山を眺めながら、リジィはくつくつと笑った。ルーも視線を同じ方向へとやった。
「幾つ売れた?」とニナが聞いている。ノートを書きながら、保安官補が「火縄銃が4丁。都市通貨の銀貨と銅貨で880に、燧石銃がひとつ。現金で払うと……予備の火薬と円弾込みで900。で、1140」
「おぅ。今週だけで1000越えた」とニナが笑い「利益は半分だけどね。また、仕入れてこないと」保安官補は肩を竦めていた。干した薬草とか、魔女の婆ちゃんの塗り薬を二束三文のビタ銭で売ってるルーには、想像の付かない商いだ。
「今、週に25から30ほど小遣いを貰ってる。飯と寝床を別にしてな。都市通貨だから、地区通貨にすると35から40ちょいか」リジィの言葉を聞いたルーは、フスフスと鼻を鳴らした。用心棒が言う小遣いは、ルーの日当の三日から四日分に値した。
「暇な時間には、働いても良いし、賭博しててもいい。いいご身分だ。豪族や貴族に仕える雑兵よりも恵まれてる」言ってるリジィだが四六時中、鍛錬をするか、雇い主と武器や盗賊団、街道や荷物などなにかしらを話し合っているのをルーも見ていた。言うほどには気楽な仕事ではないだろう。
「ランツクネヒトも仕事のない時期も多い。金回りのいい商人の部下は、まあ、あれくらいなら誘惑は感じないな」小金の山がどれほどの金額か、ルーには区別すらつかないが、鼻を鳴らしたリジィは、むしろ雇い主に注目しているようだ。
「そのうち、あいつはもっと大金を扱うようになる。その時には、給料も増やしてくれるそうだ」ランツクネヒトが一瞥してきたので、山羊娘もなんとはなしにメェと鳴いた。ルーだって、縁を大事にするのはやぶさかではないけれど、リリーや保安官補たちがルーと長く付き合ってくれるかは、相手の気持ち次第でもある。
「……それに、傍にいると酒を飲まないでも酔わせてくれる。もっとも、タフだが、不死身じゃない。気苦労も多い」楽しげに独り言ちているリジィだが、残念だけど保安官補たちが長々と付き合ってくれるような価値がないことは、ルー自身が知っていた。放浪の旅芸人のちっぽけな山羊娘だもの。立ち尽くしたルーは、ンメェーと哀しげに長々と鳴いた。