黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_102K 裏 街へ街へ

 蕪を始めとした根菜、芋、養殖された茸、野鼠など小動物――金のない曠野の住人が生き延びるため、口にする主な食べ物だ。巨大鼠や野犬と言ったやや危険な野生動物も貴重な蛋白質になるが、下手に手を出せば武装した大人でさえ相手の糧になる。それでも大きな町なら、雑穀の粥やパンも小銭で買えるし、山羊や豚を買う事も出来る。もっとも小飼以上の規模で養うには、牧草地や森への入会権も必要となるし、鶏や鵞鳥を飼うにしても、鼬や野犬に襲われない為の鶏小屋なども建てなければならない。水源や森、林を一度、失ってしまえば、薪や水にも金が掛かる。自由農民の立場から寄る辺なき放浪者への転落は、財産の喪失以上に自由と生存権の喪失であった。

 

 夜な夜な彷徨う屍者たちの群れに脅えず眠るには、バリケードの内側の地区――できれば、防壁内部の建物で夜を越えなければならない。とは言え、防壁やバリケード、土嚢であっても地区を囲うには膨大な資材や労力が必要で、小さな居留地ですら安眠を確保できない人々も少なくない。

 

 斯様《かよう》に曠野において金の有無とは、穏やかな眠りの有無であり、それ以上に安全の有無であった。しかし、例え、バリケードや防柵が皆無な曠野の、屍者や狼どもの遠吠えが彼方より響いてくる廃墟であろうとも、それなりの壁や屋根の内で息を潜めつつも眠りに就くか、野ざらしの瓦礫の影で屍者や野犬の群れに脅えつつ、うつらうつらと夜を越えるかは、同じ放浪者であっても大きく違う。そしてその差は、金銭だけではなく、脅威に対処する為の知識や伝手、そして生きていく為に蓄積された経験の差でも生じるのであった。

 

 

 

 ――――

 

 

 

 四年前の巨大蟻の巣別れと続く一昨年、去年の大寒波に人生を狂わされたものは少なくない。故郷を失い、或いは口減らしに放逐され、大地を彷徨う無数の放浪者たちの一部は、ポレシャ市近郊の廃墟一帯へとたどり着いたが、寄る辺なき人々にとって、そこも決して安住の地とはならなかった。

 近隣の農村や農場で働き口を探したものもいたし、ポレシャ市に出稼ぎに赴いたものたちもいた。定職に有りついた者もいたが、上手くいかないものの方が多かっただろう。それでも、市内や行政地区では仕事が見つからずとも、外地区や廃市街で簡単な仕事にありついたものもいた。茸の養殖に豚飼いたちの下働き。日雇いで粘土や藁を運び、季節の果樹を摘み、大麦や小麦、燕麦にキャベツや蕪、芋の収穫。

 

 

 放浪者たち――【村人】たちは、金を稼いで、食べ物を買えたし、薪も蓄えた。

 そして二か月か、三か月。必死に働いて纏まった金を得た父親たちが我が子らを腹いっぱいに喰わせてやり、菓子を与えてやったとしてそれは罪だろうか。母親たちが布切れと糸を買い、解れた服を直したとして愚かだろうか。転がり込んだ廃屋を改修して、住みやすくすること。材木を都合し、付近に木柵や囲いを作ることは、土地に根付いた入植者たちがまず最初にやる事だ。

 

 大きな町で出稼ぎをしてきた一握りの男たち――或いは、女たちだけが知っていた。他の子が食べるのを横目に懇願する我が子を突き放して、金を貯めなければならないと言い聞かせた親は冷酷に見えたかも知れないが、賢明には違いない。前者も、後者も、間違いなく家族を愛している。

 毎日、疲れ果てて帰宅し、泥のように眠る男たちは、しかし、初めて町に出た農民たちと違い、残された時間が少ないと知っていた。割のいい仕事が幾らでも見つかる時期は長くない。夏は金を貯める季節で、何時までもは続かない。収穫期を過ぎれば秋の仕事は徐々に減り、そしてその後には、冬が来ると。

 

 金を使うものに忠告をした者もいたが、あくまで控えめだった。何故なら、金を貯める者たちも凡人であって確信は欠いていたし、相手もさほどの浪費はしていなかったからだ。それに良い避難所や木賃宿は限られており、殺到されてはおのれが入れなくなるかも知れないし、普通に冬を越えられるだけの金を貯められた者たちもいなかった訳でもなかった。

 

 

 もし、町に馴染むだけの時間の猶予があれば。放浪者が馴染みの伝手を築ければ、少なくない村人がもう少しだけ楽な冬支度を整えられたかもしれない。僅かな金で泊まれる安い簡易宿泊所や、冬越えの避難所に使えそうな建物はあったし、人の良い宿の亭主も幾人かはいた。そう言う者らと知り合い、後払いなり、冬の労働契約なりで僅かな隙間に運よく滑り込めた者たちだって当然にいた。やはり一か八かの賭けにはなろうが、それでも金や物資の提供で、避難所の仲間に入れた越冬グループもあった。

 

 だけど、街へとやってきた大半の新参者には、出会うにも絶対的な時間が足りなかった。別に誰も、目立って無能でも、怠惰でもない。有能とは言い切れずとも、各々が自分なりに考え、出来ることをやった。ただ、効率のいい試行を最初の一度で出せなかっただけだ。若干の時間さえあり、幾らかの人との伝手が出来れば、町での冬の生き延びかたを教わることも出来たに違いない。

 

 

 ポレシャ圏では外地区であろうと、売買の市場も、信用も機能している。働けば、食べ物も薪や水も入手できる。時間があれば、家を修繕する為の資材や冬を越える為の衣服も購入できる。元から幾年も廃屋で暮らしてる連中なら、十分にやっていける。春と夏を路傍の粗末な天幕で過ごし、秋と冬は貯めた金で避難所で過ごす。手元に残った幾らかの資材で天幕を新聞や毛布に段ボールを足し、帆布やブルーシートで防水し、服も買って、何時かは秋でも働けるようにする。渡り人(オーキー)の一家や働きものの自由労働者なら、二、三年で泥と粘土の小屋を作り始めるかもしれない。

 

 現実には、食べ物は日々を乗り越えるには充分であったが、冬の四か月を乗り越える備蓄としては不十分だった。薪も足りなかった。放浪者たちの得た外地区や廃市街、農村の紙幣やビタ銭などの【弱い通貨】では水や食べ物、簡単な雑貨は買えても、家に手を入れるだけのしっかりした資材は買えなかった。いや、定価で買うこと自体は出来る。予約に前金を払い、数か月を待てば、運が良ければ定価で買えただろう。ポレシャ市は、信用を大事にする商人が多いので、運が悪くても、一年もした頃に手に入らなかったと返金される。間に合わなかっただけだ。金も、伝手も、時間も足りなかった。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 リックとダラスの二人は、村で育った幼馴染であり、共に三十代半ばの働き盛りだ。若い頃から何くれとなく互いに相談していた。村で育ち、家を構え、それぞれが家庭を築いた。二人とも無謀な性質ではない。若い頃から考え深く、慎重で、忍耐力に恵まれていた。農村の父親として過不足なく、良い資質に恵まれていた。巨大蟻の常識を超えた襲来が無ければ、多分に一生を良き父、よき夫として過ごせたに違いない。引き継いだ時よりも少し広くなった畑と、幾らか暮らしやすい家を子供たちに残せただろう。

 

 二人が時間が足りないと悟ったのは九月初秋。夏が終わり、市内の日雇い仕事が僅かに減り始めた段階で、必要な金額に届かないと悟った。まだ猶予はありながら、しかし、絶対的に間に合わない。薪と暖かな衣服が不足している。転がり込んだ廃屋では防寒が足りない。去年、一昨年の寒波を除いても――例年の気温ならば十月には寒さがきつくなり、十一月には野外での仕事はこなせなくなる。

 

 子供たちとサッカーで遊んだ後、隣の石段に座ってリックが囁いた。

「……金が足りない」無言でダラスも頷いた。二人とも家族持ちだ。

 リックは、ひりつくような焦燥に襲われながら、安い紙巻煙草に火を付けた。

 買わなければ良かっただろうか。だが、贅沢をした訳でもない。

 紙巻煙草も葉を再利用したような露店の安物だ。

 仮に纏めて売ったとしても、その売る時間を働いた方が稼げる程度の品だ。

 携帯用の金属の火種入れ。こんなものでも幾らかになるだろうか。

「そっちは、幾ら足りない?」ダラスが低い声で何げなく聞いた。

「六百……いや、四百」子供たちを眺めながら、リックもまた低い声で洩らした。

 

 サッカーボールを追いかけながら、歓声を上げる子供たち。今までは外で駆け回ることも出来なかった。仲間の一人が手製のクロスボウを組み上げ、路地に土嚢や囲いを作り、野犬や巨大鼠が無造作に入り込んでこられなくなる程度の備えを大人たちが整えることで、ようやく遊べるようになった。大した金額ではないが、手間暇と時間は取られた。だが、ずっと不安げだった子供たちの笑顔に間違いだったとは思いたくなかった。

 

「俺とアンナ。爺さん、子供二人。薪と食料を切り詰められるだけ切り詰めても、どうしてもあと四百は欲しい。十一月を廃屋で耐えても、春までのまともな寝床に金がいる」髪を後ろに撫でつけるリックに、シケモクを吸いだしたダラスが「赤ん坊は……」と尋ねた。

 まるでそこに希望でも探すかのように、リック・ターナーは苦しげな表情で路上に視線を彷徨わせた。「人買いに……この辺の子の居ない夫婦が買ってくれれば。いや、召使でも、奴隷でも……生きてさえくれれば」ターナー家は代々、一度として家族を売った事は無かった。辺土の貧しい村において、それは密かな誇りでさえあった。だが、そんな誇りは、飢えと困窮の前に容易く踏み砕かれる。

 

「アンナには?」ダラスは洗濯物を干している女たち。男たちが持ち帰った湖水で二か月振りに纏まった洗濯をしている女房や娘たちに視線を送りながら聞いた。

「これからだ」苦々しくリックが言う。

「……人買いに知り合いは?」とダラス。

「いない」友人の返答を聞いたダラス・ハーパーは、シケモクを吐き捨てると傷んでいる薄い革靴で踏み潰した。

「心当たりはないか?」リックの問いかけだが、勿論、ハーパー一家にも人買いや奴隷商人の伝手などない。いや、と首を横に振るう。

 

 ポレシャ市は税が低く、農民にも庶民にも生活のゆとりがあった。偉そうな市民たちや聖職者らが道徳について講釈を垂れても反発を買わない程度に豊かな町では、人身売買が法によって禁じられている。勿論、年季奉公や借金による束縛は存在しているが、少なくとも公には奴隷制は認められていない。他所の奴隷商人もあまり好かれておらず、あちらも寄り付かない。逆に言えば、困窮した際、最後の命綱となる人買いが目立たず、息を潜めていることを意味していた。

 

 

 サッカーボールが足元に飛んできた。手を振って子供たちへと蹴り返した。ちょいとした空き地が開いている。ポレシャ市の近郊に入るまでは、廃墟地帯ももっと危険な土地しかなく、移り住んだとしてももっと惨めな暮らしを強いられただろう。

 市の近郊では雇われの狩人、銃士たちが定期的に街道を巡回しては、流れ込んでくる屍者や変異獣、野犬や巨大蟻を駆逐している。時に姿を見せる大型の群れには、警備隊や市民軍も出動し、膨大な弾薬代や人件費と引き換えにして、人の領域が維持されている。

 

 なので、余所者が近隣の無人廃市街に住み着くのは、当局にいい顔をされない。屍者の群れがなだれ込んだ時、守り切れずに群れを拡大させるかもしれないし、盗賊団や強盗団との見分けがつくとも限らないし、住み着いた略奪者たちに支配され、生産奴隷になるかも知れない。いずれは、市の息が掛かった入植者たちや余剰人口を送り込む予定で怪物たちを掃討していたに違いない。だから、市から距離がある領域の境目――警備隊の恩恵を受けつつも、干渉を受けない。市から離れつつも辛うじて安全と言える廃市街に、放浪民たちは居を構えていた。

 

 だが、距離があるということは、同時に市内での仕事を探すことが難しいと言う事でもある。行政地区での仕事には在りつけないとなれば、外れの自治地区や農場、農村部での仕事を探す羽目になる。払われる通貨は価値が低く、賃金だって随分と安い。小集落や部落、村落の私鋳銭では、話にならない。小型の居住区での雑役夫の口なら、転がっている。小屋の隅での雑魚寝に乏しい賃金、貧しい食事。大人一人が辛うじて口を糊できるだけで、家族は養えない。働くなら辛うじて廃市街だ。放浪民たちの住み着いた居住区と似たような、それでも古くから細々と信頼を重ねてきた廃市街の通貨であれば、一応は地区通貨に両替して冬支度の物資とも交換できる。地区通貨で四百。大金だ。それでも三か月か、四か月あれば貯められただろう。

 

 まだ、時間は残されている。九月一杯は働けるだろう。寒さは厳しくなるだろうが、十月もなんとか。十一月半ばまで、行けるだろうか。だけど、足を棒にして歩き回っても、日雇い仕事にだって毎日、在り付けるとは限らなかった。そして、リック・ターナーは、この土地では見ず知らずのよそ者でしかない。一山いくらの放浪者に大金を貸してくれる人間などいない。

 

 悩みながらも、或いは、なんとかなるのではないかと思える時もあった。木賃宿ではなくとも、もっと安い公営の避難所に入れれば。それとも皆で廃屋で集まって助けあえば、今のままでも冬を越えられるかもと、儚い願望に縋り付きそうになる。だが、息子や娘の顔を見、やはり駄目だと首を振るう。最低でも市内の木賃宿が望ましい。それでも雑魚寝だし、老人や子供たちは危ういほどだ。賭けは出来ない。

 

 燃え尽きそうな煙草を指に挟んだまま、リックは目を閉じた。子供たちの笑い声が響いてくる。風には既に冬の気配が混じっていた。秋が深まるにつれて、冷たさは増していく。水を買うにも金が掛かる。僅かな井戸水では到底、足りない。食料も薪も、ただのものはない。地面を耕して野菜を作っているが、足りない。材木や縄で廃屋を修繕し、布を張った。瓦礫を運び、土嚢を詰んで、廃墟領域へと通じる街路を塞いだ。家と食事、安全を確保するにも金も時間も掛かる。どれも必要な仕事で、なに一つ、無駄なことはなかった。

 

「……女がいる」ダラスの言葉は時々、唐突だ。

「人買いか?」リックが戸惑いつつも口を開くと、ダラスは首を振った。

「いや、本人は探偵とか、そんなことを名乗っていた。人探しとか、兎に角、そう言う仕事を斡旋する」怪しげな話だ。普段のリックなら、まず乗らない。だが、仕事を選べるような余裕は無かった。地区の誰にもないだろう。リックも、ダラスも、見かける者たちは、誰もが服の袖口が解れている。典型的な浮浪者《ホーボー》の服装。上着もズボンも数か所に破れ目が走っていて、当て布で繕うことも出来ずにいる。かつて村で見掛けた時には、警戒の視線を向けたであろう食い詰め者たちの服装だ。

 

「……人探し、か」考え込んだリックに「金払いはいい。市の紙幣や門前町の銅貨で……」言ったダラスは、そこで言葉を区切った。後悔するようにベレー帽を握りしめる。

「なにか問題があるのか」リックの問いかけに「危険な相手が多い。賞金首とか。賞金稼ぎかもしれない」言って呻き「すまん。忘れてくれ……口にするべきじゃなかった」と首を振るった。

「聞かせてくれ。ダラス、頼む」リックが友人の腕を掴んだ。ダラスは、気が進まない様子で渋々と続けた。

「多分、スコッツ通りに今も暮らしているはずだ」

 ベレー帽で膝を払いながら、ダラスは神経質な動作で指を小刻みに動かしたが「確かに、金は必要だ。よし、行ってみよう」一つ肯くと立ち上がった。

 ダラスの後ろについて歩き始めたリックだが、しかし、ダラスは立ち止まって「だが、本当に危険な仕事だぞ。死人も出ているからな」最後にもう一度だけそう釘を刺してきた。

 リックは肯いて「女の名前は?」と尋ねるとダラスは肩を竦めた。

「リリスと名乗ってる。よくあるように、偽名かもしれんがね」

 

 

 

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