黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_102L 裏 冬迫る

 十月も終わりに差し掛かる頃から、北の曠野には雪が降り始める。

 南方の旅路を往来していた時期は、夏が一番に厳しかった。雨季に差し掛かると、地面が泥濘と化す日もしばしばで、幌馬車が立ち往生をしてしまった時もあった。

 曠野の年間降雨量はおよそ1000ミリ。乏しい雨と堅い地面のおかげで足を取られることもない代わり、冬季の冷たい雨は打たれるたびに身体の熱を奪っていく。

 

 旅人の装束も、湿原諸邦などではゲートルに頑丈な半長靴など足に気を配るものだが、曠野は分厚いコートや肩当、長い鍔付き帽子などが好まれている。日中も氷点下に近づき、冷える夜明け前には零下十度にも達する。暖房が無ければ屋内にいても白い息が漏れるし、時に吹雪が一晩中、吹き荒れる。頑丈なテントの持ち主たちも、屋根の残った廃屋の下へと住処ごと移り住む時期だ。

 

 揺らめく火が、巻き毛のルーの顔を照り返していた。屋外の竈の近くで椅子に座って煮込み料理の茹で具合を見ている。湯気が顔に当たるので、フスフスと鼻を動かす。竈の火に当たっているのは料理人リリーと手伝いのルーだけで、他の人は屋内にいるか、敷地内の焚火を囲んでいる。贅沢な薪の使い方だ。火が三カ所、節約してない。昨日、一昨日の吹雪と雨で薪が濡れているから、少しだけ煙が多かった。

「来年は、まず竈の上に屋根を作ります。しっかりした屋根。それで、雪の日も料理が作れます」家の主で行商団の親方が説明していた。若い女性だが、地区の役人でもあっていい服を着ていた。「今だと、雨が降るとストーブで暖めたパンだけですからね」部下の人が相槌を打って、二人で屋根の大きさや必要な資材を計算している。親方だけあって一番の働き者だ。

 

「リリー!ルー!なにか竈に付ける屋根の要望はありますか?」大きな声で尋ねてくるが、雇われたばかりのルーにはまだ分からない。首を傾げてると、対面にいた料理番リリーが立ち上がった。

「ちょい、火を見ててや。味見して出来たと思ったら、竈に蓋して火消しちゃってもいいから。失敗しても責めん。火はまたつけられるし」ルーを一瞥して言ってきたので頷くと、隻眼の料理番は、親方さんの方へと走っていった。

 

 ルーは鍋を覗き込んだ。大きな鍋なので台に乗らないと背が届かない。チーズと肉と乳と野菜が泡立っている。巻き毛のルーは、小鍋に乳や水、バターを入れては、ぐつぐつと火に掛けられている調理鍋に注いだ。味見しながら、決められた量で止めて、後は良い火加減になるまで待つ。涎が出てきそうなご馳走だ。飯を毎日、食べられる。ひりつくような空腹をパンの一欠けらやビスケット一枚で誤魔化すとかではない。天国ではないかと思う。表面に浮かんだ灰汁をおたまで取って地面に捨てる。昨日の残りの雪がまだ地面に残っていた。敷地内に設置されてる樽や風呂桶には、雪が其の儘に詰まれている。小石や砂、布に炭で濾した雪解け水が、春先にも飲料水になる。

 

 三日ぶりのごきげんな朝ご飯だ。昨日と一昨日も、ビニールで蓋をした木箱から食材は取ってきたけれど、真っ当な料理は出来ず、煙たいストーブで焼いた野菜や芋にお肉。それとパンか、お粥だった。それでもルーには普通にすごく贅沢な食事だから、不満無かったけれど。大きなフライパンも作れるから、久しぶりにやってきた農民の人から買った卵で、人数分の目玉焼きも作れる。

 

 一昨日は凄い吹雪に襲われてた。一昼夜続いた吹雪は、昨日の朝から強い雨となり、夕方近くになってやっと止んだ。保安官補の住家は、頑丈な木材を柱として地面に打ち込んで、壁は金網や鉄筋、鉛管も埋め込んであるので持ちこたえた。雨漏りした屋根には、夜でも外に出て板材で塞いだりする。雨漏りの下にはバケツを置くが屋根で濾した水は流石に捨てる。そんなことをしないでも新鮮な雨水や雪がたっぷりと溜まるからだ。

 

 雨上がりの後には適当に板材を使って塞いで、ニスやペンキで誤魔化すのだ。正直言えば、もっと酷い環境下で寝た日も旅芸人には珍しくないから一晩、火が間近で焚かれているだけでも十分に快適だった。ただ、夜の闇の先。街路の彼方から屍者の呻きや獣の遠吠えが響いてきた時は、ルーもブルブルと震えていたし、親方や部下の人。ニナや用心棒リジィは、槍を持って窓からそっと外の様子を窺っていたし、リリーはルーを抱きしめてくれた。最近、やってきたジゼルは、ずっと神に祈っていた。ジゼルは片足が海賊映画みたいな棒の義足なので、足の速い野犬や変異獣に襲われたら逃げきれない。

 

 

 昨日の昼に雨が弱まるまではみんな、家の中で大人しく過ごしていた。小屋はそれなりに広くて、黄昏の時代(トワイライトエイジ)にしっかりした屋根と壁を備えて、雨が降っても、風が吹いても暖かい寝床があるだけで贅沢というものだけど、八人でじっとしていると、ルーですら少しだけ手狭に感じてしまう。時折、トイレに行くときはクロスボウと手槍、長めの鉛管などを携え、付き添いが外に出ていた。扉では誰かしらがマスケット銃を構えて、反対側にも視線を配り、夜間にはカンテラを掲げている。「来年まで生き残れたら、家を大きくする前に、まず屋根付きトイレが欲しいよ。屋根付きトイレ」ニナ姉さんがマスケット銃を持ちながら叫んでいた。今は簡単な柱とビニール屋根のほぼ吹き曝しなので、寒い時期の雨の日はとても辛い。

 

 

 

 吹雪が吹き荒れる最中、一晩中、ストーブも焚かれていたし、カンテラも室内を照らしていた。窓の明かりは土嚢や囲いに遮られて、伸びている街路の向こうには見えない筈だが、逆に窓から屋外の街路も見えなくなる。それでも窓を用心深く開いては、敷地内の様子を窺いつつ、交代でうとうとした。吹雪が終わった朝には、何人かは敷地と周囲の街路を歩き回りながら地面を入念に調べている。親方さんは、尋ねてきた自警団や民兵たちと会って、なにかが『こちらには来なかった』と安堵のため息を漏らしていた。

 

「……冬が近づいてから、不発が増えてさぁ」自警団の若い娘さんが背中のマスケットを叩きながら、ぼやいている。

「結露ですよ、結露。氷点下の屋外に出てから、屋内で火に当たったらね。火薬湿ります」保安官補が手を振った。

「買ったばかりで壊れたのかと。不発増えるの、それか」自警団の娘さんが肯いている。去年まで、クロスボウだったからと肩を竦めていた。ちなみにお姉ちゃんに譲ったらしい。

「あとは、自家製の獣脂や植物油は、寒いと粘度上がります。最悪、固まっちゃうから今の時期だけでも良い油使ってください」

「助けてよ。見回りだけでも」なにやら強請《ねだ》っていたが、保安官補は首を横に振っていた。

「今年は、もう討伐はいきませんよ。よっぽど近所で見つかったら別ですが。寒いと注意力も落ちますし、雨や雪の下だと不発も増えますし」

 

 屍者、変異獣、巨大蟻、狼、熊、強盗団、略奪者《レイダー》、盗賊団、無法者……幾つかの話題を出し、農場や農家の無事だったこと、襲われたこと、用心棒たちの奮戦と撃退。町の外れからの退避。冬には使わない家の戸締りと、勝手に入り込んで住み着いてしまう者たちの話。薪と食べ物、お金の話。そして保安官補たちも、民兵たちも、自警団らも、熊だ!狼が!と何度も口にしては腹を抱えて笑っていた。まるで、仲間うちだけに通じる、なにか面白い冗談のように。

 

 

 トリスと猫耳ココは、煙草の葉っぱや針金を家の床に広げると、手巻き煙草やら木箱の鼠取りを作り出していた。二人にとっての大事な商売だ。親方からは利鞘が薄い石鹸も任されて売っている。トリスも猫耳ココも若年層の露天商としては、人並程度には稼いでいるそうだ。行商人には、親方と同居して食事付きの徒弟もいれば、似たような身の上の行商人やら露天商で集まって共同生活している者たちもいる。金を出し合って大部屋を借りたり、荷を置いてる若者たちもいて、稀に荷や金を盗んで逃げるなどの裏切りも生じる一方、小さな商人団の結成に至ることもあるそうだ。ルーは、冒険とも、商売とも縁遠い料理人手伝いだが、秋の夜長にトリスやココが語るそれらは知らない世界の話なので、何時も興味深く聞いている。

 

 ルーがフスフスと鼻を鳴らしながら鍋を掻き混ぜてると、敷地の外を歩き回っていたニナ姉さんが立ち止まった。「マギー!」と親方さんを叫んで、土嚢のすぐ外の地面に屈みこんでいる。用心棒のリジィも近くでしゃがみ込んでいた。

 親方さんと部下の人が歩み寄って何かを話し合い、猫耳ココもチラと一瞥して、なーごと鳴いてからトリスの元へと戻っていった。ココがにゃあ、と鳴いて足をトントンしたら、トリスは頷いていた。ジゼルは、家の中でずっと寝ている。地面の上に何があるのか。ルーも気になってそわそわしてると、料理人リリーさんが戻ってきて「気になるなら見に行っておいで」と言ってくれたので、そちらに向かう。

 

 巻き毛のルーも駆け寄って、覗いてみた。雪の上ではない。泥の上に大きな足跡が残っていた。獣の足跡だ。「足跡、どう思う?」とニナが囁いている。

「妙にでかい。変異獣かも」用心棒リジィは首を振った。

「……近くの飼い犬かな」部下の人が首を傾げて「足跡が12センチの犬か?あたりの貧乏人じゃ餌代だけで破産するな」リジィが指摘した。

「以前から此処に在った?」親方さんが尋ねて「分からん。今、気づいた」言いながら、ニナ姉さんは薄気味悪そうに周囲を見回した。

「体重は六十からおおかた八十キロ。恐らく夜間だが、誰にも気づかれず住処のすぐ傍らに忍び寄っていた訳だ」肩を竦めた用心棒が「ゾッとしないな」と呟いた。

 

「冬の魔獣か」ニナ姉さんが呟いて「なんだい、そりゃ」と用心棒が尋ねる。

「昔から辺りの伝承で囁かれてる怪物さ。冬に目覚めて人間を二、三人喰ってまた眠りに付くと」ニナ姉さんが「子供を脅かす為のおとぎ話だよ、多分ね」

 しゃがみ込んでいた親方さんは、スンと鼻を鳴らした。

「職人のアダムを覚えてるか?」立ち上がりながら尋ねると「あーぁ」とニナ姉さんが小さく頷いている。首を傾げている残り二人。

「ジーナやリジィが来る前の話だよ。町の少し外の頑丈な家に暮らしていた。冬が明けても姿を見せないんで様子を見に行ったら、分厚い木の扉が外側からぶち破られていた」手をひらひらさせながら、ニナは嫌そうに付け足した「鋳掛屋もしていた。力の強い奴で、力自慢の大会で岩を持ち上げてたし、でかいクロスボウも自作していた」

 厳しい表情を浮かべた部下の人と用心棒に、親方さんが宥めるように言葉を掛けた。

「まあ、こちらは武装した六人も含めた八人……」言いかけてから「九人暮らし。そう簡単に襲われるとも思わんがね」少し嫌そうに言い直した。

「ともかく、あとで近くの道を見回って、見通しの良い場所に昇って確かめてみる」とニナ姉さん。

「装弾済みで最低、三人……いや、四人で」親方さんの指示に「りょ」とニナ姉さんが二本指で敬礼する。

 

 狼か、変異獣かは分からない。ルーは震えたが、親方さんは掌を打ち鳴らして、「さあ、兎も角、朝食だ。久しぶりのシチューに焼き立てのパンを楽しんで」と言い、皆を解散させた。

 皆が散り始める中、親方さんは足跡を一瞥し、廃墟へと続く街路を眺めた。

「堡塁二つ。それと歩哨。ミニエーは……無理か。せめてパーカッション」人差し指で指し示しつつ「夢想するだけなら、楽なものだ。維持するにどれだけ稼ぎが必要かな」くつくつと笑ってから、ルーの頭をくしゃくしゃ優しく撫でて立ち去った。

 残ったルーは地面に鼻を近づけて匂いを嗅いでみた。雨で洗い流された足跡の殆んど消えた匂いが、それでも気に入らなかったのでメェメェと鳴いてから竈へと戻った。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 トイレの紙の消耗が早い。十人近くで暮らして普通に客人も尋ねてくれば、一巻き、二巻きは、あっという間に無くなる。後は縄なり、布なり、葉っぱなりを使うしかない。

「マギー!トイレットペーパーが尽きてる!」ジゼルさんの悲痛な叫び声に、親方さんはため息を漏らすと、木箱からトイレットペーパーを取り出した。ビニール袋に入れて、トイレの近くの地面へと投げると、ジゼルの歓喜の声が響き渡った。

「ジゼルくんさぁ!もうじき十一月だけど、何時になったら、宿屋に移るんだい?!」と親方さんが問いかけた。

「置いてくれよぅ!あたしは役に立つってばよ!」トイレの方向からジゼルさん。

「なんに?全自動食料消費型うんこ変換機か?!」と親方さん。

「し、辛辣ぅ!でも、醸造器を作ったら絶対に稼げるし、置いといて損はないよ!」めげないジゼルさん。

「そりゃあ、まあ……」なにか負い目でもあるのか。親方さんが珍しく言葉を濁した。トイレから出てきたジゼルさんは、胸元から紙をごそごそと取り出した。

「ほら、醸造器の設計図と稼ぎの計算もしてあるんだ」言われて覗き込んだ親方さんは、ふむん、と軽く頷いた。

「古い付き合いじゃないかぁ。あたしも身内にしておくれよぉ。マギー!もう、ゾンビや寒さに脅えるのは嫌なんだよぉ」ジゼルさんは痛切な声で訴えた。

 

 土嚢に寄り掛かった親方さんが踵でマッチに火を付けると、細巻きを口に咥えた。

「気の毒だがね、わたしはお前を知らないんだ。ジゼル。そして、お前も私をよく知らない」口を開いてなにかを言いかけるジゼルに掌を向けて押し留めてから、親方さんは言葉を続けた。

「まあ、話を聞け。ニナとの付き合いは長い。六年以上だ。トリスやココも五年くらいはある。ジーナとは二十年近い。その間、私はずっと観察してた。勿論、相手も私を観察する。互いにどんな人間か。なにを許せるか。なにを大事にしているか。なにが許せないか。なにを欲しがっているか」親方さんの言葉をジゼルさんも黙って聞いている。

「私は、徒党の頭目だけどな。王さまでも大統領でもない。互いに妥協点を見出し、擦り合わせて、私は連中に。連中も私に合格点を出した。連中が私に対して要求している最重要の点は、こいつは私たちを生き残らせてくれるか、だ。奇しくも今、ジゼルが私に求めているようにな。そして私は、迂闊な奴を仲間に入れないことで、連中に対して能力を証明してきた。少なくとも、今までは」言葉を区切った。ジゼルさんは頷きながら、考え込んでいる。

 

「ジゼルは、どうだ?悪い人間だとは思っていないが、他の連中のように互いに数年、値踏みに掛けた訳でもない。新参の誰か一人に裏切られて即壊滅する訳でもないが、痛手は負うだろう。リスクを背負ってでも徒党に入れて欲しいと言うのなら、ジゼルに課される条件は、暫くの間……数年は他の者より厳しくなる。裏切りは許されない」親方さんが言葉を区切った。

 傍らで聞いてた料理手伝いのルーがカタカタと震え始めた。親方さんは慌てて手を振って弁明し始める。「いや、ルーとかリリーはいいんだよ。戦うことも求めないし、止めたくなったら旅立ってもいいんだ。あらかじめ言って欲しいけど。リリー!リリー!ルーが!」

 

 (勝手に)脅かされたルーは腰が抜けてたので、昼ごはんの手伝いは出来なかった。「トイレットペーパー様のおられる生活をしたいんよぉ!」と叫んでるジゼルを他所に、ニナを助手にしてリリーは昼ご飯を作った。ニナは、料理とはまず焼くものだと考えてるが、少なくとも食べて美味しいものを作りたいとは考えているので、他の面々よりも助手に向いていた。食べられればいいとか、塩を振って茹でればいいだろとは思ってないのだ。ルーは、甘いものを食べて、親方さんに抱っこされていた。ジゼルがヴァイオリンを近くで引いてみせた。「へっへっへ、あたしがいれば、毎日、演奏を聞かせられますぜ。旦那」などと意外な特技を見せたが、徒党は別に船乗りでもなければ、ラジオも持っている。音楽家は別に必要とされてない。

 

 やってきたセシリアとジョージア、それに気を取り直したルーも手伝って、お昼のカリオストロ風パスタが完成した。なぜ、カリオストロなのかは分からないが、昔からそう呼ばれている。そして普段は来ない客人が2名。フェルトン一座の座長と漂泊民《ジプシー》のお婆だ。

 

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