マルグリット・モイラの住処は、固く守られていた。敷地の境には、土嚢を詰んであり、小屋は頑丈な柱に板材の壁を備えている。密度の高い三センチの板材は小口径拳銃弾を殆んど防ぎ、円弾は貫通してもエネルギーの大半を奪われる。防弾防刃のコートを着込んだ戦闘員六名が立て籠っていれば、容易くは落ちない。
勿論、ミニエー弾やライフル弾などまでは防げないが、壁の前に、さらに土嚢を詰めばどうとでもなる。しかし、現時点では土嚢を詰むつもりはない。普段の生活との利便性の兼ね合いや、拡張計画の妨げになる。マギーは徒党の首魁ではあるが、仲間の労働力も合意を取らないと使えない。設計と合理性だけで、好き勝手出来る訳でもないのだ。二つ目のトイレ製造や、まずは廃墟方面に通じる街路に土嚢を詰むのが、多数決で優先された。濡れた薪は、煙を出す。薪の山に立派な屋根を付ければ、雨の日や雪の日でも快適に火を使用できる。廃墟方面に土嚢を詰めば、安心できる。少し高い見張り台を作っておけば、周囲の街路を見渡せるし示威ともなる。基地みたいで格好いいとジーナ・
実際のところ、敷地の囲いもかなり急ごしらえではある。取りあえず、木箱を詰んだり、板で塞いだりしたが、見た目だけでスカスカの部分も多い。屍者やら巨大蟻の二、三十匹も押し寄せてきたら、どうしようもない。蹴り倒されたら、一発で入って来られてしまう。逃げたり、戦ったりは出来るとしても、その程度の脅威に生死を左右される段階で話にならない。
一息に守りを固めるべきかもしれないけれど、焦燥感と恐怖を感じながらも、マギーは無理はしなかった。心理的余裕――余白や遊びがないと共同体は健全に成長しない。おのれを滅ぼしかねない脅威を隣り合って暮らしながら、仲間の目を逸らし、日々を楽しく過ごすのに尽力している。ある意味、マギーは愚者であった。此の侭、五年。或いは十年。何ごともなく過ごせれば、日々や月単位で見ても殆んど変わらないが去年より今年、今年より来年と確実にマシにはなっている。
徒党の仲間たちには、弱い野生動物や怪物から討伐経験を積ませていた。おおよその装備と火力でなにが為せるかを把握させるだけでいい。例えば、数十匹の腹を空かせた野犬の群れが近寄ってきたとして、今の徒党であれば、トリスや猫耳ココも含めて冷静に対処できるだろう。その程度でいい。普通の人間が、普通に暮らせる生活と住処を守る。何も経験していないままの少女たちだったら、或いは脅え、勝手に発砲し、或いは逃げ散ったかも知れない。指示に従い、配置を守り、発砲し続けるだけで有用なのだ。
マギーの小屋は現状、それでもそこそこの守りを備えていた。少なくとも昼日中であれば、野犬やコヨーテの十数匹。或いは働き蟻や歩行屍《ウォーカー》の数体であれば手もなく捻ることが出来ると確信している。同規模の脅威を討伐で幾度となく片付けてきていたからだ。だから、徒弟の少女らも拠点での寝泊まりにまるで脅えない。
マギーは時々、少しだけ対抗できそうにない脅威について口に出すが、引き締める為であって恐怖させる為ではない。恐怖は団結に有用だが反面、普段の暮らしに関する想像力のリソースを奪い、長期的には枯渇させかねない。マギーは仲間たちに人がましく人生を生きて欲しいのであって、とにかく、生き残ればいい訳ではない。勿論、生存は最優先事項だが、良き日常、良き人生とで妥協できる線を探るのが良い頭目の資格のひとつではないかとも思っている。勿論、危急の際には独裁的に権力を振るい、指示をするとは告げていた。しかし、非常時の独裁と、それを日常に戻すプロセスに関しても、普段からは話してはいる。
だから、巨大蟻があまり多いと困るとか、早歩きする屍者が十匹以上も来ると恐いななどと口にはする。一方で、今は対抗しづらいが、防備を整えれば、或いは、時間と共に徒党が拡大すれば、対抗できると奇妙にも確信を抱いていた。徒党の拡大も、装備の向上も、実際には相当な難事に違いないが、マルグリット・モイラはおのれにはその力量があると信じ込んでいる。或いは傲慢にも思いあがっていた。一方で、町や村を呑み込み、滅びをもたらす変異獣の大群や
快適さと防衛力の調和。或いは優先順位の拮抗は、勿論、大型居留地内に居住している余裕がゆえだ。荒野の一軒家であれば生き残るために防衛が最優先となる。空堀を掘り、杭を埋め、鹿砦と木柵を設置して日々に生まれる生産力の大半を防備に注がざるを得ないだろう。
もっとも、居留地でも地区の裏通りには巨大鼠や野犬も出没するし、犯罪者に逆恨みされる可能性も有り得る。或いは、コヨーテやそれ以上に危険な狼、変異獣、巨大蟻や屍者なども彷徨い迷い込むかも知れない。小屋程度では、例えばダイナマイトでも投げ込まれたら、一貫の終わりでもある。破落戸や少数の略奪者《レイダー》なら兎も角、今はまだ無法者《アウトロー》などに襲撃されないことを祈るしかない。
それでも徒党の住処は、地区内の民家では相当に守りが固いひとつだ。大型建造物を修繕した武装徒党や、古くからの鍛冶屋や行商人組合の親方顔役の邸宅に比較すれば及ばないけれども、危険な裏通りに位置しながらも怪我人を出さず、近隣住民も野生動物や変異獣などに襲われて怪我したものが二、三年間いない。 総じてマギーは、地区の有力な商人と見做されるだけの手腕を自然と証明し続けていた。
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隻足のジゼルは海賊みたいな義足を付けているが、歩き回るのを好んでいた。
取りあえずの居候をしてるマギーの敷地を歩き回りながら、トリスから買った手巻き煙草を吸ってはいい気分になって鼻歌を歌っている。足が足だから、雑用も頼まれない。もっとも大事な雑用と言えば、水汲み。或いは、水の購入である。今朝も料理人リリーと手伝いルー、それに徒弟トリスと猫耳ココ、遊びに来たセシリアが水瓶を運んできたものだ。地区の外れの水キャラバンのところから己で水瓶を運べば、随分と安くなる。庶民は当たり前の節約で五人が五リットルでおよそ25リットル。
しかし、料理に飲用。歯磨きなど衛生に用いるとなると九人暮らしに25リットルでは聊か足りなくなる。なのでそれ以上は水屋に水を注文して、大型の樽で100リットル単位を運んでもらう。日に25リットルは、毎朝に買ってくる。不足分は高くついても、数日に一度、100リットルの樽で注文する。少女たちが水を運んできた時もジゼルは椅子に座って煙草をぷかぷかとご機嫌であった。
水屋はポンプを使う。大きな荷車に大型の水樽が乗せられており、人力ポンプで顧客の水槽を満たすのだ。一方では、棒手振の少年少女や寡婦に老人などが配送業で小口の注文の需要を満たしてもいる。市内に仲買が生じるほどの価格差はなく、大量に買う方が幾らかは安いが、大手の水屋も需要を読まないと古い水で損をするし、小口の棒手振も小遣い稼ぎではあるが最低限、生きていける。
痩せ牛に曳かせた荷車に乗りながら、馴染の水屋ノーマ・ゴドルフィンがやってきた。土嚢を詰んだ見張り台に歩哨が立っている敷地を見て「うは」と驚きの悲鳴を上げつつも、帽子を上げてマギーへと挨拶してくる。五年から六年前には、荷車持ちの水屋として
当時のノーマは、仕立てたばかりの100クレジットの暖かな上着を纏った水屋で、既に牛に樽とポンプの荷車を曳かせていたし、マギーとニナは、襤褸上着とズボンを着込んだ風来坊だった。五年か、六年が経って、ノーマは今も少しくたびれた同じ上着を纏い、雑役牛にポンプと樽の荷車を曳かせている。そしてマギーは2000か、3000クレジットの衣服を纏い、今は路上に門を設置し、部下たちが燧石銃《フリントロック》を手に荷車を見張っている。思う所があってもおかしくないと人は見るだろうか。
ともかく、ノーマは少なくとも表面上は、友好的に振舞って「やあ、どうしますかね」尋ねた。書類を読んでるマギーにニナが何かを耳打ちし、マギーが視線を上げて頷いた。「100リットルをお願いします、そちらの樽に。請求書はリリーに廻してください」丁寧な言葉遣い。淡々と冷静な口調と、推し測るような視線。
「……相も変わらんね」口の端で笑ったノーマが「はいよ」愛想よく頷いた。
ノーマ・ゴドルフィンの平静が崩れたのは、敷地の裏手に回った時だ。
「ジゼル?ジゼルなんで?」思わぬ相手に出会った驚きを隠せず、ノーマは意外そうに眼を瞬いていた。
「あたしがいて、なにがおかしい?」樽の上に座って煙草を吸ってたジゼルが不機嫌そうに噛みついた。
「いや、マギーの徒党は、利け者か、性格がいいか、よく選んでたからね。だから……」と聞きようによってはかなり失礼なノーマの言い草。
「なにが、だから、なんだ?あたしとマギーは親友だぞ」ジゼルが主張して、マギーは無言で肩を竦めている。
両者を見比べたノーマが「あー」と納得したように肯いた。
「古い友人だと、そう言う例外もいるんだな。良かったね」
「……例外!」絶句したジゼルが「哀れな奴だ。ノーマ・ゴドルフィン。性格が良くて賢いジゼルさんの良さを見抜けないとはな」そう言い放った。
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土嚢に囲まれている広い敷地を訪れた際、感銘を受ける者もいれば、こけおどしと見做すものもいる。水屋のノーマ・ゴドルフィンは目を瞠っていたし、保安官のキャシディ・エヴァンスは守りの脆弱さを喝破し、鼻で笑った。誰の反応も間違いではない。誰かを招く際には、マギーは本来、慎重な判断をする性格だ。敷地の間取りや人員配置に交代時間を知られて、格上が本気で来たら終わる。
小さな辻馬車が木戸の前まで乗り付けると、御者が客の二人組に振り返った。随分とくたびれてはいるが、シルクハットにタキシードの座長が、花柄スカーフと、リボンを巻いた山高帽《ボーラハット》の老女が降りるのに手を貸した。
「2名、客人」見張り台の用心棒リジィが報告してきた。ニナと徒弟トリスが駆け寄って木戸を開ける。旅芸人フェルトン一座の座長は、幾らか脅えて見えた。漂泊民《ジプシー》のお婆《ばば》は、物珍しそうに眺めていた。めかし込むとそれなりに上品な老婦人に見える。もっと金持ちの家や似たような曠野の宿駅に泊まった経験もある筈だが、或いは、観察しているのだろうか。
「この度はご招待にあずかり……」云々と座長が帽子を取りながら、迎えたマギーへと挨拶をしてくる。二人はよそ行きの服装なのか。漂泊民の老婆は、意外にも上品な装いで、団長も普段着とは言え、決まっている。ただし、靴が駄目だ。履き潰して襤褸襤褸に傷んでいる。それでもマギーは平静に頷き返すと「どうぞ、こちらに」と敷地に設けた長テーブルへと促した。
漂泊民《ジプシー》のお婆《ばば》が中途、視線を鋭く走らせた。燧石銃《フリントロック》を携えて、敷地内で警戒に当たっているジーナ・
西部開拓時代。拳銃で撃ち合った逸話が多数、残されているが伝説的ガンマンでも、かなりの至近で十発も撃ち合っても当たらない泥臭い戦いをしている。当たり前の話だが。移動し合うし、意図を読み合う。息を殺し居場所を掴ませず、相手の居場所を探る。大事な過程だ。マギーは武装した仲間たちを分散させ、遮蔽の後ろで移動させて場所を把握させないようにしているが、客たちが妙な真似をしないといいのだが。
或いは、おのれも徒党を率いる立場として、単に若い女性が人数を養っていることに感心しただけかも知れない。今、マギーは己を含めて、九人を養っている。一人を養うのに地区通貨で最低三千――できれば、四千は欲しい。賃金に経費、食費に武装。トリスと猫耳ココは、おのれの商いを持っていて、マギーももう把握できない。リリーやジーナ・
二人の客人が長テーブルに着席したので、肉団子のパスタとシチュウ、赤ワインなどで歓待する。徒党の食事は済ませたか、或いは、食事を取ってないリジィやニナはおのれの分を取ってある。デザートは林檎のパイ。流石に市民の好む蒸留酒やアイスクリームなどは出せなかった。どちらかと言えば、漂泊民《ジプシー》のお婆《ばば》の方が健啖で、旺盛な食欲を見せた。年若い男性のフェルトン座長は控えめであった。
「お気に召しませんか?」テーブル上で手を組みながら尋ねると「いいえ、大変結構なお味で……」などと言いながら、無理して口に突っ込む。マギーも同じ食事を取っているのだが、団長のパスタはどうやら残りそうだ。ジゼルは喜ぶだろう。
「お二人に良い知らせがあります」マギーは話を切り出すと、座長がしゃっくりをした。
「参事会からの好意で冬の間、一定量の薪を安く提供し、冬越えしやすい場所を用意するとの通達が。購入するか、移るかどうかは、そちらのご自由です」二通の手紙をそれぞれに差し出した。
と、ガツガツと食べていた老婆が、用心深そうに手紙を摘まむと「いい話だね。裏はないのかい?」
マギー保安官補は人差し指で食卓を叩いてから「特にありません。真っ当な仕事で稼いでいるのなら、それ相応の扱いをするべきだと考えているだけです」
「つまり、身内を引き締めておけって事だね」老婆が少し考えてから頷いた。
老婆の皿が開いたので、料理人リリーが大皿から料理を取り分けている。
巻き毛のルーが近くに寄ってきて篭瓶からワインのお代わりを注いでいると、漂泊民《ジプシー》のお婆《ばば》が目を細めた。「おや、職場は気に入ったかね?」山羊娘のルーが、メェーと鳴いてみせると、「そうかい、可愛がってもらってるかい」と老婆が呵々と笑った。
「でも、悪い話じゃないね。承った」老婆が肯くと座長の方が汗をハンケチで拭きながら「ただ、その、逸れ者は何時でもいるもんです。同行してきた中には、ろくでなしもいるかも知れない」と切り出してきた。
「なるほど」と頷きつつ「一人か、二人。逸れ者が出ても、即追放とはならんでしょう。集団全部の罪を問うような真似はしません」と請け負った。
「しょ、書類で確約していただけないでしょうか?」聞きようによっては大胆な願いを座長がしてきたが、マギーはあっさり「後日で公文書にしてもらえるよう、役所に連絡しておきます」と請け負った。
ホッとした座長に対して「ただし、必ずしも確約して貰えるとは限りません。そして公文書にする場合、三人も、四人も法を犯すようなら看過できません」マギーは、ミートボールをフォークで刺したまま釘を刺した。
「四人も五人も?」座長がさりげなく人数を増やしたので「三人も、四人もです」と訂正する。
「喧嘩や騒乱罪、浮浪罪でも?」座長が尋ねてきた。
身分証もない放浪者が特に引っかかり易い罪状だ。貧しい身なりのよそ者が市民街区に入り込むのは、殆んどの町では歓迎されない。何処の留置場にも、その手の輩が常に二、三人はいるものだ。
「傷害や窃盗」とマギーが言うと「分かりました。三人も、四人も出さないように頑張りますよ」座長が額の汗を拭きつつ頷いて、ようやくに食事に手を付け始めた。
「旅をしてない人には分からないと思うけど、単に同行してるだけのものもいるんです」と座長が適当な事を言うので、マギーは鼻を鳴らした。
「私は隊商に属していた。旅人の事はよく知っている。同行するのは、それなりに信頼する相手だけです」
言葉に詰まった座長に対して「漂泊民と言うのは、弱い立場なのさ」と漂泊民《ジプシー》の老婆が助け舟を出した。
「助け合えるなら多少、相手の素性が怪しくともね。藁にも縋る思いで頼るんだよ」切なげに告げたお婆に、マギーは冷笑を浮かべ、首を振った。
お涙頂戴は効果がないと見たか、老婆はあっさりと方針転換した。
「ただ……得体が知れない奴も確かにいる。名前と人相を描いた名簿を出すよ」ある意味で、仲間を切り捨てる、と告げた。それで満足するべきだろうとマギーも頷いた。評判芳しからぬ漂泊民《ジプシー》や旅芸人の大半が、春先まで大人しくしてくれるなら、それはそれで悪くない。
「それとひとつ。馬鹿な町衆が一緒に捕まったからと言って、こっちが引きずり込んだとか変に誤解しないでおくれよ。町の悪党が犯罪仲間に誘い込むってこともあるんだからね」老婆の言い草に「ふむん?」とマギーは片眉を軽く上げた。
「妙に具体的だが……」と尋ねてみるが、「どんな町にもいるもんさね」お婆は肩を竦めてみせる。
「寄ってくる中には、妙な誘いを掛けてくる奴もいてね。若いもんが引きずり込まれる前に丁度、追い払いたかったのさ」お婆の言葉に、しかし、芸人一座のフェルトン団長は浮かない顔つきで「どうかな?」と首を傾げていた。
「却ってヤバそうじゃないかね?行く当てが無くなったら……」座長の懸念に「あいつらは、どのみち碌なことはしやしないよ」とお婆はピシャリと言った。
「そうかね」座長の苦々しいため息に「そうさ」告げて、お婆はワインを飲み干した。