ポレシャ市から東北東。徒歩で半日の距離に小さな廃市街がある。防壁からは、双眼鏡や望遠鏡で様子を窺える距離でもあった。或いは貧民窟とも見做されている。ポレシャ市の北口から片道三~四時間。往復で八時間。ポレシャ市の役人や徴税吏が微妙に干渉しづらく、同時に雇用された狩人、銃士や警備隊による巡回の恩恵は受けやすい。そうした大きな町の勢力圏の境目には大抵、行き場を無くした人々が流れ着いて、寄せ集めの小集落や自治地区が息を潜めるようにひっそりと点在しているものだ。
行政からも完全には保護されず、代わりにろくな税も納めず、荒野にも呑まれない。税と言うのは、直接的なものばかりではない。例えば、水キャラバンやら木こり団、農家に税金が掛かっていれば、市内の住人は薪や食料、水などに間接的に税金を払っている。僅かだが、毎年の登録料もある。ポレシャ市より大きな都市ともなれば関税なども課されている。つまり、境界の自治地区らは税を払わず、怪物や賊から身を守りつつ、安く物品や食料を調達できる。
もっとも派手にやれば、ポレシャ圏からの追放処分を受けかねない。行政は取りやすいところから税を取ろうとするものだ。庶民たちの言う『役人の悪い癖』だが、市民や商人の離脱だって起こり得るし、闇経済が拡大しかねない。だからこそ、密輸業者たちはしばしば吊るされ、税を納めない浮浪者《ホーボー》などが所払いとなるのだけれど。
境界領域の人口は通常、あまり多くない。そもそも多くの人を養うに不向きな土地だからこそ、廃市街としてそのまま放置されている。水場は遠く、土は痩せて畑を作っても雑穀や芋さえさほど大きな実は付けない。新参者の
結局のところ、新参者との取引は、現金か、物々交換だけに限られる。よそ者が買うにしろ、売るにしろ、ツケも信用取引もおまけも無し。そして道なき道を荷を運ばなければならない。ポレシャ市が作り、維持している周辺の街道は、当然に税を払っている木こり団や水キャラバン、農村の荷車に市の居住者たちが優先だからだ。旅人も使用は出来ても度々、道を譲ることになる。例外は、物資をもたらす他所からの隊商。富や技術をもたらす武装鉱夫団や旅の職工団。それに権威などものともしない大きな傭兵団などだろう。境界の集落の暮らしは、かように水源は乏しく、実りも貧しい。信用も皆無。道も優先される他者がいる。それでも大きな町の圏内は、安全ではあるのだ。だから、放浪する人々も少なからず引き寄せられる。
そして、ここ一年。ポレシャ市から半日ほどの距離に位置する廃墟群には、密かに住人が増えていた。寒波や巨大蟻の大移動で住処を失った人々が流れ着いたと見られている。よくある事だ。家や畑を失った人々が放浪の果てに住み着くことも。そして、二、三年の間は、年を越えるのも難しいことも。
気の利いた旅人や放浪者にとって、もっとも重要な技能の一つが地図の製作だ。水場を探し出し、乏しい食材で料理を作る際に空腹を癒し、或いは戦う技術などと並んで、最重要の技能の一つでもある。最近、廃市街に住み着いてきた入植者たちの一団は、周辺の探索を進めるうちに古い住人たちの残したメモを見つけたり、僅かな先住者たちと接触しつつ、一帯の地図を作り上げていった。廃市街の一角、スコッツ通りの――表記された看板の後ろが腐食してるので、かつてはスコッチ通りだったかも知れない――二階建ての建物が連なっている十字路曲がり角のビルに、やはり新参者であるリリス探偵事務所の看板が構えられている。もっとも十字路の三方向は鉄骨や瓦礫で封鎖されており、辺りで立ち話をする者も居なければ、恐れ知らずの
探偵事務所の二階に入れば、賞金額が記載された無数の人相書きがむき出しのコンクリート壁に張りつけられている。賞金額が百五十から二百程度の家出娘やら小金を盗んだ奉公人やらと、私的な賞金を懸けられたコソ泥から六百や八百――時には一千を越えている広域賞金首の似顔絵までが張られていて『生け捕りのみ』とか『生死問わず』、或いは『居場所に50』などと走り書きが書き足されていた。
人相書きには知る限りの罪状なども書かれてもいて『駆け落ち』や『家出』『行方不明』、『嫁さんを捨てて顔を見せない』などの埒もない庶民の頼みから『商人の荷を盗んだ』『逃亡奴隷』『借金を踏み倒して逃走』などよんどころない事情の捜索依頼。そして『殺人犯』『盗賊団の一味』『復讐』などの抜き差しならぬ広域手配犯の手配までがおおよその区分を分けて貼られていた。庶民の家族が謝礼金をかき集めた依頼。証人や農場主が報酬を約束している依頼。大きな町や市が賞金を懸けている依頼。
『家出人』捜索が必ずしも『大物
古くからの廃墟生活者や入植した浮浪者《ホーボー》、
特に仕事の見つからない秋の後半から冬に掛けての貴重な現金収入ならば、多少の危険を冒しても依頼に飛びつく若い男女は少なくない。リリス探偵事務所は、約束した賞金をきっちりとは支払っている。それでも、どうしたって揉めるのが報酬の支払い時だ。仲間同士での危険の多寡や捕縛に通報の貢献度。仲間内での力関係や懐事情。家族の有無。それに報酬への不満が探偵社へと向かう時もあった。
若者の一団が扉を開けて探偵事務所へと入ってきた。少し遅れて、木枷を手首に嵌めた襤褸服の賞金首も肩を押されて入ってくる。居抜き物件に机だけを置いた事務所にやってきたのは、賞金稼ぎの一団。鳴り響いたドア鈴の音に、奥へと通じる分厚い扉の覗き窓が開いてから、ゆっくりと開いた。三人の武装した探偵の男女が表れて、一人が机に腰掛けると、賞金稼ぎの一人が手配書を懐から取り出して、机の上に置いた。
農場に手配された強盗団一味のひとりを見つけ、酒場で飲んでいた帰りに集団で捕まえたまではよかった。支払いを受ける段になって、賞金稼ぎ側が不平を洩らした。
「ガーゴイル団のマイロ。200居留地通貨。100通貨の手形が二枚」
現金での手渡しは行わない。廃市街ではあまりにも不用心に過ぎる。手形で支払い、市内にいる漂泊民キャンプの両替商で金貸しのところまで持っていくのだ。一枚は確認が取れてから期日に支払われる。探偵事務所の職員が差し出した手形を眺めながら、賞金稼ぎ――
「市内で、そいつの手配書を見たよ」と賞金稼ぎの頭目が言った。
「……それで?」と事務机の向こう側の女探偵。取引相手の不満げな気配を感じ取ったか。探偵社の用心棒である男女の銃士がちらり、と目配せをした。
「300居留地通貨、と書かれていた」騙されていた、と言いたげな頭目が不機嫌そうに言葉を区切った。沈黙の対峙に緊張が走った。賞金稼ぎたちは投石杖やこん棒、鉄パイプなどで武装している。どちらかと言えば相手を殺さない為の武装だが、危険度は劣らない。勿論、探偵社の側も三人いて武装している。
「約束通りの金額だ」と探偵社の女が言い「買い叩き過ぎじゃないかね」と賞金稼ぎたちが言う。緊張を孕んでいるが、まだ危険域に踏み込んだ訳ではない。互いに決裂までは望んでいない筈だが、どうなるかは分からない。壁際で手配書を眺めていた先客の二人組がゆっくり退いていった。
机に座った女探偵がちらりと眺めてから「なら、賞金稼ぎの仲介事務所まで連れて行って交渉すればいい」
「場所は?」賞金稼ぎ団が尋ねると、女探偵は冷笑を返した。
「迂闊に洩らせば無法者や略奪者に襲撃を受けかねないのに、素人に教えろと?」
気色ばむ賞金稼ぎ団の若者たちだが、探偵は静かに見据えた。
「本来なら自力で探すものだが、まあいい。ガーゴイル団なら、スージの保安官事務所に併設された事務所で手配された。保安官に渡せば換金できる」
「スージか」若者の一人が苦々しく呟いた。告げられた居留地は、一日歩いても辿り着かない距離だ。黄昏の時代、町と町を結ぶ街道を行くのは命懸けの旅だ。
「ポレシャじゃないのか」「遠すぎる」ざわついている徒党の若者たちの囁きに頭目らしき若者が唇を噛んだ。探偵は、勝手にしろとばかりに無言で腕を組んでいる。
「……分かった。200でいい」若者に対して見据えていた探偵が「190だ」と告げた。
一瞬のざわつきの後、探偵たちと睨み合う賞金稼ぎ徒党。嫌な緊張を孕んだ沈黙の後に「嫌なら、自分で連れていけ」言い放った探偵に対して「分かった。190」
賞金稼ぎの代表が肯くと、探偵は金額の書かれた手形にサインと印証、日付を書いた。二枚を手渡すと、賞金稼ぎはひったくるように懐に仕舞い込み、足音も荒々しく出ていった。
賞金稼ぎの一団が退去すると、残された賞金首が用心棒たちに引っ張られて扉の奥へと連れて行かれ、机に残った探偵がため息を漏らした。壁で見ていた二人組の入植者が顔を見合わせている。
二人とも
壁に張られているうちには『迷子の羊捜索』なんて張り紙も有った。報酬は、六十地区通貨。浮気がバレて逃げ出した農夫よりも高い賞金額だ。だが、広い荒野で当てもなく探し回って見つかるものでもない。羊を見つけた者が偶々、手配書を見ていれば、運が良ければ戻ってくる程度の張り紙だ。
「いい仕事はないもんかね?」二人組の片割れが胸に帽子を当てながら、探偵に尋ねた。
「先月の農場の迷子の子猫探しみたいな?」問われた探偵は机の奥から帳面を取り出して、捲ったが首を振った。
「あんたたちが妻子を養っている大人だから廻したけどね。ああいう仕事は中々、無いんだ。早い者勝ちだしね」探偵の解答に、顔を見合わせた二人組が浮かない表情で顔を竦めた。
「うちも仕事を全部、網羅したり、仲介してる訳でもない。市内で似たような張り紙を探す手もあるが……」
「ただ、人探しは兎も角、賞金首の手配書は止めておきな」探偵が妙な忠告をしてきた。
「そりゃあ、まあ。腕っぷしに自信がある訳でもないからな」と
「理由があるのかい?」と
「そもそも、市のお抱えに腕利きいるからね」探偵が苦々しく言った。
「
「こいつらを捕まえたのがスネイクバイト団のウロボロス。一流も一流だが、今は地区で保安官補をしてる。他にも何人かいるね。保安官やら警備隊が捕まえれば、賞金払う必要もない訳だ」女探偵は頬杖を突きつつ、市内の事情を語ってくれた。
ポレシャ市近隣の(裁判所の許可は取っているにしても)私的な賞金首であれば、保安官事務所に持ち込めば賞金は支払われる。ただ、ポレシャ市は保安官事務所と市民軍が幅を利かせているので、他所の町ほど賞金首は――当然に、賞金稼ぎもだが、多くなかった。端的に言うと保安官から衛兵、自警団に至るまで、あまり賞金稼ぎ――特にモグリの素人を好いておらず、事務所も表立って営業し辛いそうだ。
「普通の仕事の口でも耳に挟んだら知らせるよ」との探偵の言葉が何処まで頼れるかは分からないが、
奥の扉が薄く開き、腰に吊るしたリボルバーに手を掛けながら、背の高い用心棒が顔を出した。「流れ者が来た」警告の響きを微かに含んだ報告に、女探偵が肯きつつも机に座って待ち受ける中、外への扉が乱暴に開かれた。
肩に縛り上げた娘を担いだ男たちの一団がどやどやと室内に入り込んでくる。
荒々しく訪れてきた一団の殆んどは、無数の穴が開いた襤褸い服装だが、分厚い布地で継ぎ接ぎされ、冬にも暖かさを保てるよう重ね着している。足にはゲートルを巻き、長旅に耐えるよう工夫されていた。頬が痩せ、目は落ち窪んでいる者が多いのは、幼少期からの慢性的な栄養不足の影響だ。近くにいる者を自然と警戒させる雰囲気と大きく見開いた忙しない目は、鼠や栗鼠のように周囲を油断なく警戒している。威嚇的に吊り上がった口元の笑みは、荒んだ生活が馴染ませた悪相と言うべきか。根っからの放浪者であり、定住民に忌み恐れられている漂泊民《ジプシー》の若者の一団だ。
「よう、リリスさん」先頭に立っている男が上機嫌で挨拶してくるのに対し「扉はもう少し優しく開けて欲しいものだね」と探偵は冷ややかに告げた。
「へへ、怒るのは、こいつを見てからにしてくれよ」男はニヤニヤ笑いを浮かべながら、仲間の担いでいた若い娘を床へと転がした。
「逃亡奴隷のモニカさ。クランドルの大地主から逃げ出したやつだ」娘の髪を掴んで顔を見せつける。虜囚の苦痛の呻きを気にするでもなく、腕を広げながら得意げに「買わないか?六百でいい」
「二百」と探偵が告げた。
「二百ぅ?!」素っ頓狂な声を洩らして首を振るい、漂泊民《ジプシー》は「買い叩く気にしても、あんまりだぜ。掛かってる賞金は八百だろ!」と抗議するも、「クランドル通貨の八百さ。紙切れとは言わないが、ポレシャ紙幣ほどの価値はない。それに連中の狷介さを考えるとね。あそこは、ゴルミーズに近い。賞金を素直に支払うか怪しいもんだね」探偵は首を振って指摘した。
「おい、俺たちがよそ者だと思って……」背後の仲間の一人が値切りに耐えかねたか。怒りの表情を浮かべて進み出るも「いや、待て。ピーター。確かにクランドルは、あまりいい話を聞かねぇ」と仲間から制止の言葉を掛けられて踏み止まった。
当惑しつつ、漂泊民《ジプシー》の男は鼻を啜った。しばしを沈黙してる間、時折、外から屍者の呻き声が響いてきた。廃市街に暮らすものに取って聞き慣れた危険のシグナルが却って頭を冷静にしたか。やがて、へらりと笑った漂泊民《ジプシー》の男が「せめて三百にしてくれよ」と頼み込むと、女探偵は考え込み「二百……四十、ギリギリだよ」
「二百六十、頼むよ」漂泊民《ジプシー》の頭目が懇願すると女探偵は渋々と肯いた。
手形を書き記して手渡すと、漂泊民《ジプシー》の男はひったくるように乱暴に手に取ってその癖「ありがとよ」と礼を口にする。暴力を誇示しながら下手に出てみせる強かさが、庶民が漂泊民《ジプシー》を恐れ嫌う一面なのだろう。
「くそっ、五百にはなると思ったのによ」と漂泊民《ジプシー》の男がぼやいた。
「だが、まあ、悪い金額じゃねえよ。楽な仕事だったしな」と背後の漂泊民《ジプシー》が慰めた。
足音も荒く漂泊民《ジプシー》の一団が次々と部屋を後にするが、最後に残った頭目の男は振り返って「例の話だが、ね。まだ有効かい?」尋ねてきた。
女探偵は顔を顰めると、壁際の
「……乗るのかい?」
「あーあ」と頷いた頭目の男がにやりと笑みを返した。
「お望みなら、人数を集めておくぜ」
「相手に備えられてもつまらないだろうね」と探偵が言うと「仕事があるとだけ言って集めて、詳しいことは当日、その場で告げるのさ」
頭目の切り返しに面白くなさそうに「……そうかい。なるほどね」そう呟いた。
「一山幾らの安い命さ。俺も、連中も」自嘲気味なせせら笑いを浮かべてから「それよりも約束の金は払えるんだろうな」に漂泊民《ジプシー》の頭目は鋭い視線を探偵に向けた。
「ズール銀行の元本保証型の手形で先払いしてやるよ」探偵は手を振りながら「金だけ受け取ってとんずらはさせない代わり、仕事が成功しようがすまいが、生き残った奴は、前金は受け取れる」
「なるほどね。よく考えられてる」肯いた漂泊民《ジプシー》の頭目が相好を崩した。
「へへ。大仕事の前の景気づけだ。命の洗濯に、いっちょ、パーっとやるか!」札びらの詰まった胸ポケットを叩くと、鼻歌を歌いながら出ていった。
漂泊民《ジプシー》たちが立ち去り、それでも五分か、それくらいの間。室内の誰も誰も一言も発しなかった。やがて探偵が、重苦しい沈黙を打ち破って床に転がされた若い娘に近づき、猿轡を取り、後ろ手に縛った縄をナイフで切り離した。
「あんた、モニカだね?逃亡奴隷としてクランドルの町の農場に手配されてる」用心深そうに距離を取りながらも、話しかけた探偵。背後では奥の扉から出てきた用心棒が壁に寄り掛かっていた。
「私は……村から攫われただけで、奴隷じゃない」モニカは暗い声で脅えるように、しかし、はっきりと告げた。
「そうは言っても、あんたは奴隷として登録されてるし、逃亡奴隷として手配されてる。気の毒だけどね。大きな町の身分を持ってないなら、実際、それが今のあんたの身分なんだよ」油断なく見据えながらも探偵は憐れむような口調で指摘して「ポレシャ紙幣で三百六十。払えるかい?身代金、あんたの値段さ」
力なく蹲っている逃亡奴隷モニカに「百は手数料。払えるんなら、自由にしてやるよ」女探偵リリスが淡々と告げる。
「そんな金は、とてもない」首を振るう逃亡奴隷モニカに対し、探偵は少し考えてから「放浪民の旅隊《キャラバン》に加わって、稼ぐ気はあるかい?」問いかけながら「身体を売るのも一つの選択肢だ。幸い、あんたは顔がいい。すぐに稼げるだろう」
モニカは悔しげに歯を食い縛って探偵を睨みつけた。若く美しい娘は、襤褸着で蹲っていても絵になる。鼻を鳴らしたリリスは、モニカを観察しつつ、今度は別の提案を提示した。
「それが嫌なら……農場での年季奉公かな。こっちは身体を売らないで済む。だ が、契約金から三百六十もらうよ。四年かそれくらい、安い賃金で働いてもらうことになるだろうね」
逃亡奴隷モニカは意表を突かれたように目を瞬いた。
「どうする?他に考えがあるなら、言ってみな」リリス探偵が話しかけながら「ただ、あれもいやだ。これもいやだ、って言うのは通用しないね。元の主人の所へ連れ帰るしかないね。正直、あたしもクランドルとの取引は気が進まない。耳にした評判だけでも、碌でもない連中の集まりだからね」
あまりに話が上手すぎて、騙されていると捉えたのか。モニカが沈黙した。
リリス探偵はどうでもよさそうに眺めていた。それでむしろ信頼したのか。それともどちらにせよ、相手の手中にあるなら、足掻くよりも信じてみようと考えたのか。
嘆息した逃亡奴隷の娘は、「……その中なら、農場に」と素直に返答した。
「出来るだけ、真っ当な女主人を探すよ。その方があんたもやりやすいだろ。それに身分証も取れるように手伝ってやる。ただし、別に金は掛かるよ」立ち上がった女探偵は立ち止まって「それと、男やもめの主人の方がいいかい?」と尋ねる。
「お願いします。女主人で」逃亡奴隷の答えに肯いた探偵が、奥の部屋に向かって怒鳴った。
「聞いてるだろ、ベス!モニカの面倒を見てやりな!客の扱いだ!マーチン!奥の部屋に行って、ベスを手伝ってやんな!」
「お嬢も甘いな」壁際の背の高い用心棒が苦笑を浮かべながら、モニカを立たせて奥の部屋へと連れて行った。
用心棒と逃亡奴隷たちが立ち去った事務所にリリスが立ち尽くしている。木の板で塞いだ窓から、微かに茜色の光が漏れ入ってきていた。
「もうじき夕刻だね。危うい時間だ。そろそろ閉めるよ。あんたたちも早く帰んな。リック。いい仕事があったら、取っといてやるよ」言い捨てた探偵に、「例の仕事ってのは?」
「堅気は知らん方がいいビズさ」リリスは切って捨てた。
「誰でもそうだと思うが、金が必要なんだ」食い下がる
「南から逃げてきた大物を追う仕事だよ」と打ち明けた。
「だけど、一筋縄じゃ行かない。だって、相手は腕利きに守られていないとも限らない。さっき言ったウロボロスみたいな奴だって噛んでるかもね」リリスの物言いには、微かな緊張が含まれていた。
「首尾よくいこうが、失敗しようが、あたしたちだって仕掛けたら、ポレシャを売って別の土地に行く羽目になるかも知れない。そう言う仕事さ」探偵が脅かすように言っても、
「賞金は幾らなんだ?」と尋ねる男たち。
「実働部隊の取り分は……総額で八千大陸通貨」リリス探偵は渋々と告げた。
「ただし、何十人も参加するからね。生き残りで分けることになる」軍事作戦のように死人手負いが出ることを前提としているとリリスが釘を刺してきた。
「それにチャンスは一度。全てか無だよ。下手すりゃ死んで一ペニーも貰えない」探偵の区長は、
「さっきの連中。ろくでなしの放浪者だが荒事には慣れている。ピーターは、サーカスのナイフ投げで、宙に投げた林檎を串刺しに出来る。そう言った連中向けの仕事さ」探偵は懐から安い手巻き煙草を取り出し、火を付けた。
「あんたたちは、人を殺したことはあるかい?」肩を竦めながら言い聞かせてくる。
「さっきの漂泊民《ジプシー》どもが言っていただろ。あたしも、奴らも、鉄火場に張るような安い命さ。だけど、あんたたちは堅気の正直な農夫で、女房も子供もいる」
「標的は、若い女の子さ。多分、まだ二十歳にもなってない」探偵は本来、あまり明かすべきではない情報を明かした。
「そんな娘を敵対している大物に引き渡す。或いは死ぬより辛い目に遭うかも知れない。誰かの人生を確実に壊す。そういう仕事だ。だから、お勧めはしないね。素直に帰りな」しばしの沈黙、だが、
踏み止まった
「あんたは厳しいが誠実な人間だ。リリスさん。だが、俺たちも、家族の為に金が必要なんだ」
「金が足りずに家族の誰かを失ったり、売る羽目に陥っても、何もかもを失うよりはましだ。いずれまた春が巡ってくる」探偵は突き放したが、男たちは立ちさらない。
しばらくして根負けしたように「分かったよ。その時は呼ぶ。ただ、まだ時間はあるんだよ。考えておきな。リック」吸い終わった煙草を靴で踏みながら、探偵が告げた。
「ああ。ありがとう。リリスさん」