黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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廃墟の子_08 ポスアカご飯

 非常階段を降る踊り場で、お姉さんは息を整えた。少女は振り返ると、同行者の疲れを見て取ってごそごそと背嚢を弄り、ブリキ製の水筒を取り出した。

 毒見のつもりだろうか。コップを兼ねた蓋から一口だけ飲んでみせると、水筒をお姉さんに差し出す。

「ありがたいな」

 受け取って、口をつけた。

 廃墟民に関する良くない噂はお姉さんも度々、耳にしていたが、少女は迷い込んだ哀れな旅人を餌食とする悪党の類には見えなかった。仮に擬態としても、見抜けなかった自分に人を見る目がないだけの事だとお姉さんも腹を決めていた。

 と言うよりも、助けてくれた少女に眠り薬なり毒なり仕込まれていたら、ショック過ぎて立ち直れない自信がお姉さんにはあった。

 

 喉を滑り落ちる水は冷たく、甘くも感じられた。一口だけで済ませるつもりが、二口、三口と喉を鳴らす。

 冷え切った体を考えると、熱いコーヒーか、お茶が欲しかったが、贅沢を言うつもりはなかった。居留地でも綺麗な水はそれなりに貴重であったから、廃墟の住人からすれば尚更だろう。

 

 人心地ついたお姉さんが、穏やかになった風を楽しんでいると、少女が再びゴソゴソと体を揺らして、ポケットからなにやら包んだ布を取り出した。

 差し出してきた中身は調理済みのお肉。お姉さんは戸惑い、しばし、躊躇った。

 

 廃墟で食べ物を手にするのがいかに大変かは、少女の痩せた身体を見れば、嫌でも理解できる。交易と農作で栄える豊かな居留地《ズール》すら、しばしば路傍に餓え死んだ者が転がっている。

 とは言え、少女が微笑みと共に差し出したそれを無碍にするのは辛かった。考えてみれば、昨日の昼から殆んどなにも食べていない。

 

「ありがとう」

 結局、ありがたく貰うことにしたが、口にしたお姉さんは、なんとも微妙な表情を浮かべてしまった。

 あまり……かなり微妙な味であった。肉は悪くないが、味付けが良くない。

 小骨が多いので栗鼠やネズミ、或いは蛙のような小動物の類と思われるが、冷え切っている上に、どうにも薄味で珍妙な味付けであった。何処かで食べた覚えの調味料だが、絶妙にあってない。

 単なる塩味の方が旨いに違いない。

 悪いと思ったが微妙な表情で見てみれば、少女もかなり不味そうに食べている。

 

 それでも食べ物は食べ物に違いない。再び、元気を取り戻したお姉さんは、足音を立てない少女の背後についてゆっくりと歩きだした。

 

 

 

 路地に降りると、高架下の金網の向こう側には不気味な人影が蠢いている。

 だが、金網には風で飛ばされてきたのか、少なくない塵が引っかかっており、視界を塞いでいる為、下手な動きを見せなければ、人影の気を引くこともなさそうだ。

 

 街路へと足を踏み入れる。少女の家自体は、高架橋からすぐに見下ろせる近場に位置して単純な道のりに思えたが、【住宅街】の街路は相変わらず一筋縄ではいかない。

 ゾンビの彷徨う街路やら、大鼠《ジャイアントラット》の巣食った廃屋を避けて、些かの手間を要したものの、程なく二人は少女の自宅へとたどり着いた。

 

 陸屋根式の一見するとなんの変哲もない住宅に見えた。窓や扉が木板で塞いであるのは、しばらくなりとも動乱期に住人が生き残った邸宅によく見える特徴で、これでは入れないな、と思ったお姉さんの横で、少女は崩れかけた隣家へと入り込み、渡り廊下の屋根を伝って、木の板を渡って自宅二階の屋根へと渡り切った。

 

 最後に梯子を登ってやってきた屋上には小さな畑が広がっている。青々とした葉を茂らせた芋畑が、どうやら少女の主食らしく、屋上の真ん中に位置する蓋が『玄関』との事だ。

 

 蓋の留め金を外すと、少女は手鏡を使い、そっと内部をのぞき込む。

 何も異常がないのを確認してから、逃げ道となる屋上への蓋を開けたまま、やはり音を立てずに室内に降りると、廊下をそっと窺う。

 

 それから床に耳を当てて一階の音をしばらく聞き、階段へと這って鏡で様子を確認した。

 一階にも気配はない。扉や窓も破られておらず、壁にも床にも異常はない。

 全てが異常なし、と、やっとそこまで確かめてから、屋上へ再び昇ってお姉さんを手招きする。二人ともに灰色の壁の小さな部屋へと入り、屋上への蓋を閉じて、少女はようやく長々と安堵の吐息を漏らした。

 

 一見、神経質なほどに入念な安全確認は、しかし、お姉さんも理解できないではない。

 各地の居留地には、廃墟に面した集落もあれば、或いは広大な廃墟の一部を利用した住居群なども存在しており、ゾンビの大集団や、変異獣《ミュータント》の群れによって、共同住宅の頑丈な壁や窓、扉や居留地の防壁そのものが破られた痕跡も目にしている。

 

 よほどに巨大な居留地の有力者でもない限り、人々にとって怪物は日常的かつ身近な脅威で、とりわけ廃墟に暮らす身であれば用心は怠れない。

 

 部屋に入ったお姉さんが受けた第一印象は、奇妙な話だが穴倉だった。

 灰色の壁の暗く、狭い部屋だった。天井には紐がぶら下げられ、内臓を取り除いた栗鼠やら蛙に小鳥などの小動物が吊られている。内心、人肉ではないのにホッとしたのは、お姉さんの秘密である。

 

 部屋のやや隅に石が詰まれ、土の詰まった鉄鍋が置かれている。

 少女が窓を開けてわずかに自然光を入れた。それから、ストーブ代わりの鉄鍋に薪を入れるとライターで着火する。

「……生きてるぅ」

 間延びした口調でしみじみ呟いてから少女はお姉さんに抱き着き、掠れた声で再び何かを呟いている。

 助かった。だろうか。帰ってこれたかもしれない。

 兎に角、安堵した様子で目を閉じた少女だが、しばらくするとズルズルと床へと滑り落ちた。寝息を立てている。安堵の余り、気絶するように眠りに落ちてしまったようだ。

 

 弱弱しい炎の穏やかな熱が身体を暖めてくれる。少女の子猫のように高い体温も合わさり、眠気が押し寄せてきたので、お姉さんも少しだけ休もうと目を閉じた。

 

 

 

 

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 ジョエルは、若く俊敏な闘士だったが、惜しむらくは経験が不足していた。

 対するガルフは得意な距離を保ちながら、小刻みにジョエルを切り刻んでは、出血を与えた。それでも、ジョエルが若い肉体を活かして長期戦に持ち込めば、粘るうちにガルフの体力が先に尽きただろうが、焦りからか勝負を急いだ若者は、致命的な隙を晒した。

 雑な大振りを搔い潜ったガルフが、一気に肉薄。手首の太い血管をあっさりと切り裂かれたジョエルは、しばらくは怒り狂って喚いていたが、やがて地面に這いつくばり、弱々しく呻きながら惨めにくたばった。

「結局、お前の取り分は、6ft《フィート》の曠野の土(はかあな)だけになったな」吐き捨てたガルフは、残りの放浪者《ワンダラー》たちを見回して吼えた。

「他に分け前の欲しい奴はいるか!」

 

 挑戦者はいなかった。牛欲しさに険悪な雰囲気で睨んできた放浪者《ワンダラー》連中は、一転してガルフを褒めたたえていた。頭目たちと言えば、老ミロシュは面白そうに手を叩いてはしゃいでいるが、瞳を狡猾そうに鈍く光らせていた。クーロは油断なくガルフの一挙一動を観察し、メリッサは隣の小娘に何かを囁いて指示している。

 

 

 ガルフの目配せで、不安そうにしているジョエルの仲間たちから銃と弾薬が取り上げられた。

 彼らは宿営地《キャンプ》からすぐに追い出される。当然に分け前もなし。

 地図も持たずに、たった三人での曠野への追放。

 厳しい処置にも思えたが、息を切らしたガルフも、次の挑戦者にも勝てる自信はなかった。好きなやり方ではないにしても、冷酷さを見せつけなければ曠野では身を守れない。

 

 放浪者《ワンダラー》の社会では、甘さを見せれば舐められる。丁度、ジョエルが侮ったガルフに挑んできたように。

 

 放浪者《ワンダラー》は。少なくとも大半の放浪者《ワンダラー》。曠野をあてどなく彷徨うものたちは、目先のことしか考えない。知性が低いからではない。他人との約束を守ることに意義を感じていないだけだ。

 理不尽に裏切られ、或いは、力に奪われてきた者たちにとって、刹那的な思考が習い性になっている。目先の利益がすべてだ。

 連中に銃を売ったら、次の瞬間には売人に銃を向けて強盗へ早変わりしても不思議はない。

 人を信じる者。明日を夢見るものは曠野では生きてはいけない。

 

 ジョエルの亡骸に抱きついて泣き叫んでいた女は、恋人か、それとも身内だろうか。

 

 比較的に安全な北部か、南部の自由都市《ズール》までたどり着ければ、追放者たちにも生存の目はあるだろう。大方は、曠野を抜ける前に食べ物が尽きるか、怪物の餌になるか。それでも生き延びたら、いずれガルフへの報復を望むだろうか。

 

 放浪者《ワンダラー》としての人生には付き物の、うんざりするような因縁がまた一つ、ガルフの人生に積み重なった。

 

 彼を称える観衆の歓声におざなりに応えると、ガルフは踵を返した。

 背後で油断なく銃を構えていた仲間たちに頷くと、彼らは安堵のため息を漏らした。

 ガルフは信頼できる幾人かの放浪者《ワンダラー》を銃撃戦で有利になる位置に配置していた。

 長い付き合いで慎重に見定めた連中、多少なりとも信用できる連中だった。

 そんな連中を曠野のギャングにして、真っ当な隊商を襲撃したことに忸怩たる思いを抱いている。ひどい矛盾だった。

 

「やれやれ。碌でもない夜でした。それとも、まだ何かありますかね」

「終わりだろうよ。一先ずはな」

 万が一が起こりうると想定して手筈を整えておいた。あっさりと決着をつけたようにも見えたが、実際にはかなり危うい橋を渡っていた。

 

 放浪者《ワンダラー》同士、似通った武装に同じ程度の銃の腕前。

 出たとこ勝負になる。銃撃戦を避けられたのは良かった。

 

 たかが数頭の牛で命懸けなのも馬鹿馬鹿しいが、襲撃の前準備も戦利品を見込んで仕込んでいた。出来るだけ利益を大きくする必要があった。女子供も喰わせてなければならない。それに収支は兎も角、少なからぬ死傷者も出している。出来るならこれ以上の損害を避けたかった。

 

 今さら、掌に噴き出てきた汗を色褪せたジーンズで拭う。

 襲撃が終わっても、ガルフに考えるべきこと、やるべき事はいまだに多かった。

 酒が飲みたくなる。だが、まだ、そういう訳にもいかない。

 

 

 寝床に戻れば、レギンの糞野郎がたらふく飲み食いした挙句に高いびきを搔いて寝ていた。

 蹴り飛ばしてやろうか、と衝動に襲われたガルフだが、焚火の正面にはミーシャが座り込んでガルフを見ていた。

 

「もめ事を見事に収めたな」

 炎の向こうでガスマスクを被った怪人がくすくすとか細い笑い声を漏らした。

「それに、思ったより生き残った。いい手腕だ。ガルフ」

「計算違いかい?ミーシャ。こうも大勢生き残っては、報酬を支払うのも大変だな」

 ガルフは友好的な口調で、皮肉っぽく吐き捨てた。

 襲撃の話を持ってきたのはレギンだが、或いは最初から噛んでいたかも知れないミーシャ。どうせ偽名だろう覆面の人物を横目で観察した。

 やはり、他人の都合で動くものじゃないな。ミーシャが報酬を惜しむのではないかとの懸念が、ガルフの脳裏にはずっとこびりついている。

 パトロンがなにを得るとしても、強力な隊商を襲撃するとしても報酬が大きすぎた。

 

「だが、大したものだ、ガルフ。君の手腕には、大いに満足しているそうだ」

 まるで他人事のように告げながら、ミーシャはポケットから無線機を取り出した。

 ほぼ同時に、ガルフは素早い動きで立ち上がり、ミーシャへと突き付ける。

「まず、座り給え。曠野の夜は冷える。体を冷やしては毒だ」

 即座の死をもたらす銃口が額を狙っているにも関わらず、ミーシャは落ち着いた様子で、淡々と言葉を紡いだ。

 油断なく四方へと視線を走らせるガルフだが、しかし、曠野の闇の向こうにミーシャの手勢が伏せられているとしても、気配を感じ取ることはできなかった。 

「人質にとっても無駄だ。わたしはただの代理人に過ぎない」

 ガルフはそこまで考えていなかったが、いずれにしてもミーシャが得体の知れない男であることに変わりはなかった。

「……俺たちを口封じするつもりか?」

 思ったよりも、大掛かりな仕掛けに巻き込まれたのか。口封じを警戒し、いや、そんな手勢がいるなら、自分で襲撃するだろうか。思考が纏まりを欠いていると自覚していたが、とにかくもガルフは疑問を投げかけた。

 だまって聞いているミーシャのガスマスクの下の表情が、図星を刺されて焦っていたか、或いは、呆気に取られていたかも知れないが、ガルフには知る由もなかった。

「なぜ、そんな考えに至ったかは分からないが、後金はすぐにでも支払われるだろう」いずれにしても、ガルフを宥めるミーシャの口調は穏やかだった。

 

 ガルフはしばらくミーシャを睨みつけていたが、やがて毛布へと座り込み、毒づいた。

「酷く冷えるぜ。曠野の夜はよ」

「砂漠よりはマシだよ」とミーシャがガスマスクの下からくもぐった笑いを漏らす。

「砂漠に行ったことが?」

「曠野の夜は冷えるが、昼も涼しい。

 砂漠は灼熱の昼に、曠野よりも冷え込む夜が襲ってくる」

 わずかに気を抜いたのか。ミーシャは初めて私事を漏らした。最もガルフにはミーシャの素性など見当もつきそうもなかった。

「まったく北の砂漠の夜は、な。ひどく冷える」

 ミーシャも緊張していたのだろうか。

 ガルフはふと思ったが、黙って薪を足した。

「もうじき夜も明けるな。オーの隊商《キャラバン》に夜を越えられた者がいるとも思えないが」

 

 

 

--------------------------------------

 

 

 時刻は、夕方。薪は燃え尽きて、室温はやや肌寒さを感じる程度まで低下していた。とは言え、狭い室内ではあっても、寒空の下、薄いシーツ一枚を被って耐えた夜とは比べ物にならない快適さではあった。

 

 お腹が空いた。目を醒まして、開口一番のお姉さんの台詞である。

 楽しみに取っておいた南カルディア産の桃缶は、残念ながら毛長牛と一緒に襲撃者どもが貪ってしまったし、背嚢に入れておいたアデーレ地方のワインも、価値を知らない賊徒にラッパ飲みされてしまっている。

 食べ物も、持ち物も、ついでに交易品もなくして、お姉さんは敗残で無一文の哀れな身の上であった。そんな訳で厚かましく、情けなくもあったが、少女を頼るしかなかった。

 一方で、なぜか少女はいそいそと食事を用意して、お姉さんを至れり尽くせりともてなしてきた。

 

 歓待を受けたお姉さんは、嬉しくあるが、同時に戸惑いも覚えている。

 廃墟の住人には、世捨て人のように暮らす人々も少なくない。たった一人で廃墟で暮らしているにしては、少女は善良に過ぎる気もするが、或いは、むしろ孤独で人恋しいからこその歓迎なのだろうか。

 

「お姉ちゃん、お客さんだよ。久しぶりだね、隊商の人なんだって」少女は下の階の台所で料理をしながら、横に置いた熊のヌイグルミに小声でぶつぶつと話しかけている。話している内容は穏やかなので、取りあえず、軽めの狂気以外は問題なさそうだった。

 

 しばらく待って、料理が供された。大皿には焼かれたお肉とお芋。コップには、綺麗なお水。味付けは、奇妙な調味料。少女はなんと、スナック菓子を粉砕して振りかけていた。

「……塩味だから」ブリキのフォークとスプーンを配りながら、少女が呟いた。

「……えぇと」とお姉さん。

「……その、ガーリック味もあるけど」

「……うん」

「……塩は貴重なんで」

 お姉さんは、微妙な表情を隠し切れなかったかもだが、食べられなくはない。

 崩壊世界には、もっと酷い食べ物が幾らでも転がっている。

「分かってる。分かってるんだ」

 自分でも微妙な顔をしつつ少女は頷いた。哀しいかな、塩も胡椒も手元にないのだ。

 

 古代ギリシアの哲人ソクラテスは、空腹は最大の調味料と言い残している。

 けだし至言だろう。

 

 少女は可愛らしいが、瘦せている。廃墟暮らしで食べ物に余裕があると思えないと、遠慮していたお姉さんだが空腹には勝てなかった。

 少女はやたらと食べるように勧めてくる。これが見た目がかわいらしい少女でなければ、自分を太らせた後で食べる気ではとカニバリズムを疑うほどだ。しかし、穏やかな顔で微笑んでいる少女を疑うことは、お姉さんには難しかった。

 

 微妙な味付けの肉と芋だけとは言え、気が付けば大皿に山盛りの料理がすっかり空となっていて、悪いことをしたなと思ったら、さらに茹で肉にジャガイモと玉ねぎをお代わりで出してきた。

 たらふく食べてすっかりお腹がくちくなったお姉さんは、灰色の壁に半ば寄りかかりながら、気だるげにうとうとしている。

 お姉さんの寝転がる姿からは警戒感などがまるで感じられず、その姿は満腹した駄犬を思わせた。

 幸いなことに、少女にはお姉さんを騙し討ちするつもりなど微塵もなかった。しかし、廃墟や廃墟に面した土地では、ゾンビや変異獣《ミュータント》の大群《ホード》が何の前触れもなく突然、押しかけてきて路上生活者だったり、運の悪い隣人だったり、時には居留地の住人全員食べてしまうのは、稀に良くある事例なのだ。万が一でも怪物が押し寄せてきたら其の儘食べられてしまうのではないかと不安になるくらい、今のお姉さんはだらけ切って見えた。

(大丈夫なのかな?でも、武術の達人っぽいし……逃げられるくらいはできるだろう)少女はそう思ったが、もしかしたら買い被りかも知れない。

 

 食後には、温かな飲み物をゆっくりと味わった。幸運に恵まれれば廃墟でもタンポポや食べられる草などは結構、見つかるもので、少女が用意したそれはタンポポの根を焙煎し、煮だしただけの単純な飲料だったが、擬きとは言え、久方ぶりのコーヒーは随分と有難かった。

 

 天井の紐に吊るされていた蛙やら鼠やら小鳥やらが、かなり姿を消しているのに、お姉さんは気がついた。

(……芋や玉ねぎは兎も角、お肉は備蓄の大半を食べちゃったんじゃないかな。これ)

 ぽこんと膨らんだお腹を撫でながら、お姉さんは惰性でお皿に残っているジャガイモを摘まんでいたが、反対側の座布団に座って、何やら考え込んでいた少女が一言。

「食べ物が足りないかな」

 お姉さんは、摘まんでいたジャガイモとお肉を眺めてからそっとお皿に戻そうとする。

「きちんと食べて」叱られた。

 

「ええと、普段の食事はもっと少ないよね」おずおずとお姉さんが尋ねる。

 少女の答えは端的だった。

「この食事で、3日分くらい」

「うわ」

 お姉さんは、申し訳なさに手で顔を覆った。

 人と場所によっては、食料三日分は充分に殺し合いの理由となる。

「大丈夫。ジャガイモの作付けを増やせば、何とでもなる」 

 問題ないと切って捨てた少女。

「……女神みたい」お姉さんは崇めた。

「ふざけない」

 ピシャリと言われて、お姉さんは口を閉じる。

 思っていたよりもダメな大人かも知れない。

 少女は考えながら、言葉を続けた。

「えっと、そうではなくて……それで故郷まで何日?」

 

 お姉さんは、ジャケットから折りたたんだボロボロの地図を指先から摘まんで取り出した。

 幾人もの旅商人に古くから受け継がれてきた地図には、何種類かの異なる筆跡で色々と書き込みがされていた。多分、現在位置と思しき場所に鉛筆で印をつけると、お姉さんは考え込んだ。

 

 帰還するには距離だけが問題ではない。季節によっては干上がる川も在るし、複数の巡礼や旅商人が集まる隊商に合流すれば安全に移動できるだろうが、しかし、旅商人としてまだ未熟なお姉さんは、人づてのおぼろげな噂でしか時期や出発場所を知らない。

 

 地図上に記されたいくつもの経路《ルート》から、安全な経路《ルート》を選ばなければならない。

 比較的に安全な経路《ルート》を辿って、おおよその時間が弾き出す。

「……二週間から、三週間かな」渋い表情でお姉さんが告げた。

「幅が大きいね」少女の感想。

「街道沿いに野盗が出たり、隊商が襲われると足を留めて様子見することもあるからね」

「そんなことあるんだ」旅の話を聞いて、感心する少女。

「野犬の群れも結構、恐いし。曠野のは変異してちょっと手が付けられない。コヨーテよりも狂暴なのが多い時は、五十頭くらい出てくる」

「うわぁ」恐怖で少女が喘いだ。

 

 

 数年から数十年に一度程度の頻度で、大規模な変異獣《ミュータント》の大集団《ホード》が目撃されることもある。百頭からの変異獣《ミュータント》の襲撃は、強固な壁と銃火器に守られたかなり有力な居留地さえ容易く壊滅させてしまう。

 そこまで危険ではなくても、ゾンビや野盗《バンディット》、野生動物の出没も経路《ルート》の往来に影響を与えている。

 

 一方で、自分が充分に武装してると考えたり、或いは金儲けの好機と捉えたのかも知れないが、危険を物ともせずに街道封鎖を破る命知らずは、それなりにいた。

 武装巡礼や狩人《ハンター》、賞金稼ぎ、冒険商人などで、無事に横断する者たちもいれば、それきり消息を絶つ者たちもいるし、街道の脅威であった野盗や変異獣の群れ(パック)などを討伐して名を上げる剛の者たちもいた。

 

 少し考えてから、お姉さんが地図に指をのせて口を開いた。

「此処から歩いて二日ほどの場所に小さな居留地がある……けど、いつ滅びても不思議がない廃墟みたいな処だし、食べ物が手に入れるか分からないな」

 手近な場所に他の人が住んでいるのは少女にとって吉報だったが、今にも滅んでいるかも知れないとも聞いて、落胆にうーむと呻いた。

 お姉さんの指が、地図の北をトントンと叩いた。

「自由都市《ズール》に直接戻るより、北を経由した方が安全だけど、時間がかかるし。北のクロスは、大きな都市だけど、余所者に厳しくて仕事探すのも少し難しい」

 それから曠野の南の丘陵地帯を人差し指でなぞった。

「南は、少し危険。街道を間違えると山賊やら野犬の群れがうろちょろしてる。

 オー老人がいたら、絶対に間違えることはなかっただろうけど」

 本来は、南に抜ければ手っ取り早く帰還できるが、丘陵地帯の複雑な隘路を自分一人で抜けられる自信はなかった。

 宿駅《ウェイステーション》の警備隊にも顔が効くオー老人と違って、丘陵に巣食う盗賊《バンディット》や略奪者《レイダー》たちが、女一人の旅人に手加減するとも思えない。

 しんみりした口調で隊商主を哀惜してから、お姉さんは結論をだした。

「……二週間から三週間くらいか。食べ物。そう、食べ物だね。その間、どうするかな」

  

 少女が背にしていた木箱を退かし始めた。

 ふん、ふんと鼻息も荒く横にのけると、今度は壁のレンガを取り除き、穴から缶詰を取り出し始める。

 お姉さんが凝視しているのに気づいて、少女は頷いた。

「スカベンジャーのお土産。腐肉漁り(どうぶつ)じゃなくて、廃墟漁り(しょくぎょう)の方」

 長期の廃墟探索に備えて、保存食を持ち込む廃墟漁り(スカベンジャー)は少なくない。

 彼らが命を落とした際、銃や弾薬、ナイフ、薬に照明器具やライターなど大半の装備はそのまま仲間が回収していくが食料や包帯、マッチくらいは置いていく事もあった。

 【住宅街】での散歩中に廃墟漁り(スカベンジャー)の遺体と遭遇した際、少女はそうした遺留品をまるでロッドユールのように穴倉にかき集めていた。

 

 

 少女は、目の前に缶詰を積んだ。しかし、文明崩壊後の社会での缶詰は、それなりに値の張る代物だ。お姉さんはため息をついた。

「居留地なら、缶詰はかなりの価値があるよ」

 仮に少女が価値を知らないとしても、恩人につけ込む気にはなれない。

 勿論、少女は缶詰の価値を知っている。その上で提供してくれたのだが、曠野以上に食べ物が貴重な廃墟の暮らしで、缶詰は命綱にも等しい筈だった。

「ただじゃないよ」

「対価を払えない」

 渋るお姉さんに、少女は鼻を鳴らした。

「お金は使い道ないし、銃弾を貰っても同じ。

 そもそも何時死んでもおかしくないだよ」

 だから、と少女は言葉を続けた。

「話を聞かせて。外の話を」

「……そんなのでいいのかな?」

「そんなのじゃなくて、それがいい。正直言えば、お礼を期待したこともあったけど、無一文だよね。それに廃墟の暮らしは刺激が……刺激は多いけど、楽しい事や面白いことは滅多にないもの」

 

「で、足りる?」

 お姉さんは、困った顔をしている。

「こんなにして貰って……」と煮え切らない。

「そこまで言うなら、気が向いたら返しに来て。此処までして助けられない方が嫌だよ。それで足りるの?」

「ありがとう……なんとかなる」

 大き目の缶詰が十数個。重量にして6キロから7キロほどか。人参、ジャガイモ、ツナに豆とコンビーフ。そして、ペットフードまでが混ざっているが贅沢は言えない。

 

 幸い、水にはかなりの備蓄があった。少女の家の中庭には、砂と木炭、砂利、小石を敷き詰めた樽の浄水装置が置かれていた。太陽光を利用してビニールで純水を集める浄水器なども、予備として屋上に設置してある。

「途中で井戸や宿駅《ウェイステーション》もあるし」

 友好的な土地や井戸が設置された水場は、お姉さんも地図上では把握している。

「水筒を持つと全部で十キロほどかな」

 幾つかの水筒に小さいが頑丈な背嚢まで、少女が都合してくれた。

 

 食料と水の問題が片付き、予定とは言え、帰り道の経路《ルート》も決まった。

 希望が見えてきた。後の問題は、ひとつ。

「この町から脱出する方法だね」と少女は考え込む。

「西側塞がれて、南は難しい。北か、東になるけど。少ないとはいえ、どちらも怪物がうろついてる」

「怪物……か」お姉さんは低い声で囁いた。

 脱出口の包囲は強力で他のルートには怪物がうろついている。

こればかりは、少女も簡単には思いつかない。

「どうしたらいいんだろう」

 

 

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