黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_102R 彼方より来る

 甲高い笛のような音が、袋の内部から響いていた。ピーターは最初、おのれの喉から漏れてる声だとは気づかなかった。マギーちゃんの家の隣家の廃屋。二階のコンクリートに埋められた頑丈な椅子に座りながら、旅芸人ピーター君は今まで想像したことがない苦痛がこの世にはあることを学習していた。ある種の臓器を直接、撫でられると脳の奥で吐き気を覚えるのだ。

 

 最初の五分で罵る気力は失せた。七分で虚勢を張れなくなり、十五分で糞尿を洩らした。尻の下にバケツを置かれた時は、なんの為かと訝ったものだが。針金とビニール紐にあんな使い方があると思わなかった。想像力には際限がなく、人間は苦痛を奏でる楽器だ。

「お家《うち》に帰りたいよぉ。マンマぁ」ピーターは、母に救いを求めた。幼児退行ではない。古い記憶に縋り付き、大人のままに懐かしんだ。『人が最初に生まれ、最後に戻る場所』が明滅する脳裏にちらついている。ピーターが求めているのは助けを呼ぶ叫びではなく、自分がまだ守られていた頃の記憶であった。

 

 生まれて初めて、無償の愛の尊いこと。おのれが愛されていたこと。自由だったことを知った。当たり前だった人間性や尊厳が、実はどれほど貴重だったかを喪失してから知り、生き残れたら真人間になると真剣に誓い、神に祈った。世界には、矮小な知性に想像し得ない苦痛が隣で呼吸していることを知った。生殖器が火と針金によって、快楽以外の感覚をもたらすのを知った。身体的苦痛の学習を越えて、自分の身体に対する認識が破壊された。

 

「ごっほ、っごっほ。おっう、ほっへ、へっは……」袋を被らされながら、歌うように呼吸が奇妙にリズムを取っていた。

 周囲から囁きが聞こえてくる。暗闇の中、手際よく家畜のように部分が取り除かれた。爪を剥がされ、皮膚を剥かれ、一部の歯を抜かれても生きるのに支障はない。

「ころしてくらしゃい」ピーターは屈服して懇願した。「なんでもはなしましゅ」

 知ってることを全て話した。同じ内容を幾度か繰り返してから「よく頑張ったね」と褒められた。首に布が巻かれた。赤い涙を零しながら、ピーターは安堵の笑みを浮かべた。やっと殺してもらえる。苦痛から逃れられる。赤子に返った無垢の微笑みを浮かべながら、ピーターはあらゆる苦痛から永劫に解放された。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 ピーター君を生かしておくつもりは無かった。セシリアを拉致し、拷問を加えた自称・殺し屋さんである。殺し屋ならば、きっと惨い最後を迎える覚悟もしているに違いない。多分。きっと。どうでもいいけど。かと言って、所属していたと言う旅芸人一座に一々、知らせる必要もあるまい。賊徒に加わったナイフ投げピーターは、闇から闇へと永遠に消息を絶つことになる。黄昏の世には時々、起こることだ。

 

「セシリアの方が根性が決まっていたな」ジーナ・E(エクルストン)が血と糞尿の入った汚物バケツを処理しながら、少女を称賛するかのように呟いていた。

「あの子、仲間に欲しいな。寝とっちゃってくださいよ、マギー。得意でしょ」とんでもない言葉を吐き出した。

「えぇ、全然、得意ではないですよ。なに言ってんですか?お前」傍らで誑し込まれたリジィがなにか言いたげに見てくるのを無視して、マギーは主張した。

 

 マギーは幸運にも拷問された経験はないが、耐久訓練くらいは受けている。皮や爪を剥がされ、歯の神経を削られるくらいは序の口で在った。もっとも、再生治療薬によって喪失の恐怖を覚悟しないで済むので、練習に比べてどの程度、本番で耐えられるかはまだ未知だ。蛮族やら邪教《カルト》、略奪者《レイダー》に捕まった味方が拷問されたり、或いは洗脳されることもあった。出来れば、捕まりたくはないものだ。洗脳とは、必ずしも敵やイデオロギー、宗教の走狗に落ちるだけではなく、より暴力的に、殺伐とした世界観の共有だって一種の洗脳だろう。或いは、感染と言うべきか。セシリアは傷は負った。幾らかの障害が残るとしても、大半は再生可能な傷ではある。

「今、精神的衝撃を受けてふらついてるから、口説くなら……Hな意味じゃないですよ。正気になるまで待つんですよ。良いように捻じ曲げられるのは、大人になってから響いてきます。心の強いセシリアを真っ当に味方にしたいなら、ケアして、その上で勧誘すべきです。そちらの方が強いし、振られても互いに得るものもあります」マギーも一応の則は持っている。

 

 本来、ピーターも自警団なり保安官事務所に引き渡すのが、望ましいと言えば望ましい。亡命者保護の一件。複数名の参事からの依頼ではあるが、ポレシャ議会が決議した訳ではない。やや私的な活動に寄り過ぎてもいる懸念を覚えてもいたが、時間がなかった。危ういほどに非合法の領域に踏み込んではいないが、暗闘が多すぎる。

 いつも通り、制約の中で動きながら、なんでもありの犯罪者や無法者どもとやり合うしかない。すまじきものは宮仕えだと、昔の文人も言っていたが、正直言えば、黒騎士やら赤泥のジルカなんて連中は相手にしたくない。

 

「ドヤ街(スキッド・ロウ)ね」ピーター君が教えてくれた、推定ジルカ、或いは別の追手の拠点をマギーは苦々しく口にする。率直に言えば、盲点だったが、生まれたばかりの寄せ集めの開拓村など内情を探りようもない。むしろ、そんな流動的な土地に転がり込んで、短期間で数人なりとも人心を掌握してみせたジルカの方が尋常ではないと言うべきだろう。

 

 とは言え、それも此処までだ。潜伏場所は割れた。明日には自警団員に常備傭兵、それに保安官と民兵たちを手配してリリス探偵――ジルカの潜んでいる村へと向かう。浮浪傭兵も賑やかしとして連れて行こう。三十人の武装した人員に、予備としてさらに二十人が待機。正直、今日中が望ましいが、装備や傭兵の雇用、作戦の周知徹底に騎馬斥候の派遣、伝令騎兵の手筈なども含めると、どうしても時間は掛かる。こちら側の参事たちの動かせるほぼ最大の戦力で踏み込めば、ジルカがどれほどの手はずを整えていようが、一流であろうがもはや打つ手などあるまい。

 

 いや、例えば、機関銃に数百発の弾薬……は無理かな。数丁のアサルトライフルと弾薬でも持っていれば、対抗自体は出来なくはない。それでも、浮浪傭兵たちを混ぜた自警団と保安官助手を先行させて、ボルトアクションライフルを所持した十名からの熟練兵がバックアップに付けば、最終的には勝てるだろうし、戦術的には撤退してもいい。こちらは無理に戦う必要は無いし、或いは、半包囲から狙撃戦に持ち込んでも良い。先頭に犠牲は出ても勝てるし、そんな手を打ってくるとも思わないが。何故なら、ジルカも曠野全域での指名手配を避けられないからだ。まともな土地の司法機関相手に正面切っての戦闘。賞金稼ぎ赤泥のジルカとしては、致命的な汚名を被ることになる。それとも名前を捨てる覚悟を持てば、別かな?

 

 帰宅したマギーちゃんは、血の付いた両手を洗い流してから、机の上で申請書類を書き始めた。弾薬と人員の出動、各種騎兵の応援要請。荷車の手配。今回の件の参事たちへの私的な報告書と、些かの誤魔化しを混ぜた公的な報告書。文明地で物事を動かすには万事、書類が必要と。ぼやきながらも蝋燭を溶かして、指輪で刻印を押した。勿論、偽造は出来るが、普段使いの書類で作成者が誰かを示し、多少の偽装難度を高めるには、封蠟は便利な代物だ。

 

 各々への宛名を付けた報告書と要請書を書き上げたマギーは、伝令役を割り振られてた自警団員を呼びつけて、書類を託した。地区保安官補からの封蝋と犯罪対応・至急の文面を記しておけば、市内でも可能な限りは迅速に宛先に届けられるはずだ。戦時、或いは屍者や疫病の発生、大規模火災や地震などを覗けば、最優先に扱われる手筈である。ジルカの潜伏も、ようやくに決着がつきそうだ。半年近くも襲撃に神経を尖らせながら、所在を探り続けていたのだ。緊張を維持しながら対峙し続けられるのが一応のプロだけれど、流石に多少の気疲れはマギーにもあったのだ。

 

「終わった、終わった」書類を渡し終えた直後、安堵の吐息を洩らしてるマギーちゃんに「終わってねぇよ、油断すんなよ」用心棒リジィが突っ込みを入れてきた。

「まだ、件のジルカを捕まえた訳でもないだろ。一流てのは総じて粘り強いもんだ。逃がしたら厄介なもんだと相場は決まってるぜ」言ってるリジィに、マギーはむしろ朗らかに「ああ、どうでもいいんです。ジルカなんて」と意味不明な事を告げた。

「……は?」リジィは、怪訝そうな表情を浮かべる。

「昨日までは、ジルカを含む姫君の追手は、かなりの脅威でしたけどね。もう大丈夫」

「あたしは頭が悪いからよ。良ければ説明してくれねぇか?」リジィはため息を漏らした。

「リジィは、頭、悪くないですよ。考え方を知らないだけです。一度説明すれば、理解できるでしょうね」マギーは細い葉巻に火を付けてから、ゆっくりと味わった。

「つい先刻まで、ポレシャ市は、ガルダの姫君の味方ではありませんでした。よく言って、精々が好意的中立。実際に、守ろうとしているのは数人の目ざとい参事たちとその手勢。つまり私を含む、数人ですね」マギーの説明に口を半開きにしていたリジィが、「あ!そう言う」と頷いた。

 

 これで、ジルカを逮捕出来れば、良し。仮に取り逃がそうとも、ポレシャで拉致・暴行などを行ったとすれば、ここから先、能動的に動けるだけの法的根拠と権限は確保した。市内とポレシャ圏は勿論のこと、友好的な大型居留地でも手配書を発行して追跡することも出来よう。自称・リリスがジルカであろうが、別人であろうが兎も角、姫君を狙っている者たちを公的に追えるようになった時点で、マギーにとっては半分、勝利を納めたようなものだ。亡命者の一団を密かに狙っている刺客の一団でも逮捕は出来ないが、拉致・拷問を行った者たちの仲間であれば、官憲や賞金稼ぎたちが追うことが出来る。

 

「連中、迂闊にも暴れてしまいましたね。セシリア。登録された住人。公的に参事の庇護を受けた少女を拉致し、拷問してしまいました。ポレシャ市は、姫君の味方ではありませんが、ジルカ一味、まあ、リリス一味でもなんでもいいですが……敵に回りました。これで私たちは、ポレシャの全戦力を使えます。皆を動かせる(エブリワン)ですよ」マギーは微笑みながら、細い葉巻をリジィの唇に差し込んだ。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 書類を書くには、それ相応の時間が掛かった。報告書と要請書だけでなく、それを書き終わったら、自分が誰に依頼され、なにを考え、なにを行ったかの私的な日記も残しておいた。全てが書き終わった頃には、正午を過ぎていた。今日と明日は、料理人リリーはいない。焼いた芋とパン、塩辛いベーコンやハム、腸詰に残り物のスープだが、二日間の辛抱だ。それが終われば、全てが日常に戻る。

 犯人側の逆恨みは、普段から余り気にしない。そもそも余程の腕利きか、強力な火器の持ち主にでも襲われない限り、土嚢と見張り台を備えた敷地だけでも、破落戸程度には難攻不落の要塞と同義だ。マスケットやら拳銃の一、二丁持ち出した程度では、とても攻め落とせるとは思えない。その程度には普段から守りを固めていた。

 

 明日の日の出と共に、作戦が開始される。兵力の集結が終わるのは予定では午前9時だが、冬場は人馬の動きも鈍るので、十時半を見込んでおく。そこからおよそ十キロを移動。これも最大で四時間。後方二キロの中継地点に予備兵力を配置しつつ、三十名の法執行官でリリス探偵を扇動、拉致、暴行の主犯容疑で逮捕する。ジルカであろうと、無かろうとどうでもいい。追手の資金源と人員を一部なりと断てば大分、動きやすくなる。市民街区ではあまりにも新参者が目立つので隠蔽は難しい。やはり新しい身分を用意して、カバーしつつ、中町か、門前辺りに馴染ませるべきだろうか。

 

 なにか手抜かりはないか。他に考えるべきことはないか、と思考を凝らすが、特に思いつくことはない。或いは、ジルカの斥候が町に潜んでいて今頃、手先が捕縛されたことを知らせているかも知れないが極端な話、ジルカが逃げようが迎撃の準備を整えようが、対処できるだけの手筈は整えていた。どう転ぼうが、どうとでもなる。ジルカ捕縛の先鋒を務めるのは、大半が浮浪傭兵であり、例え銃火での反撃を受けようが、ポレシャに痛手はない。それを冷酷とは、マギーは考えなかった。

 

 そして仮にジルカが逃げ延びて、なおもガルダの姫君を狙うとしても、こちらも別に無策ではない。時間は敵味方双方に対して平等だ。来年になれば、半年を掛けた政治的工作も実を結ぶだろう。姫君には新しい身分が用意され、より安全な門前の邸宅などに移すことが出来る。二十四時間を衛兵が見回り、駆けつけてくる門前地区において、要塞めいた邸宅に真正面から押し入り、護衛を突破して人を拉致するのは不可能に近い。いや、不可能だ。アサルトライフルを持った戦闘集団でも襲撃すれば、流石に守り切れまいが、領域国家や都市国家でさえ、そんな工作部隊は容易く用意できない。一介の領主程度に動かせる戦力ではあるまい。

 

 そのための手筈。その次の手筈。参事たちは参事たちで、色々と考えているようだし、マギーも薄々は察しているが、しかし、姫君と参事たちが何処まで腹を割って、どのような条件で交渉を重ねているのか。それは例え、警護責任者を任されているとしても、マギーの知るべき区分ではなかった。

 

 紅茶を啜りながら色々と考えているマギーちゃん。陶器の縁に金箔を張ったお気に入りの瀟洒なカップで飲んでいると、気持ちだけはヴィクトリア朝にタイムスリップしたような気持ちになれた。例え、周囲の風景が廃屋めいた小屋に土嚢だとしても。

「ぐふふ。瀟洒、瀟洒。器が良いとヴィクトリア朝も三割増しです」他人には意味不明の笑い声を上げながら、午後のティータイムを楽しんでいると、自警団員が駆け込んできた。路上に設置された木戸を拳で叩き続ける。

 

 あまりにも尋常ではない様子に、警戒しつつもニナが門を開けると、転がるようにマギーの目の前に走り込んできた。

「おや、どうしました?」とマギー。世の中に慌てるべき事など、それほどはないのに。だが、それも若者の特権だろう、などと呑気に構えていた。「屍者にでも嚙まれたんではなかろうね」ジーナ・E(エクルストン)が警戒している。

 ぜえぜえ言いながら、自警団員が口をパクパクと動かしていたが、声が出てこない。

「ジ、ジルカ……ひゅ」やっとそれだけ口にする。冬の乾燥した空気に汗だくになるほど走った為、声が出てこないようだ。

「もしかして、明日の逮捕に同行して手柄を上げたいとか?感心な若人です。マギーポイントを3点上げちゃいます」マギーちゃんが褒め称えたが、自警団員は首を横に振るう。

「お茶飲みますか?」ヴィクトリアン・マギーちゃんが優雅に紅茶を入れて上げると、自警団員は紅茶を一息に飲み干した。

「高い茶葉なのに……」とマギーちゃん。

「北東のドヤ街(スキッド・ロウ)より、武装した集団が、北門から一キロまで接近中。最低でも五十人以上。ジーク班長は、ジルカ一味と思われると」やっと口を開いた自警団員の報告に「……はい?」マギーちゃんの背後。リジィが鼻を鳴らし、燧石銃《フリントロック》に装弾し始めていた。

 

 

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