曠野の冬は厳しい。それでもポレシャ市内には、彼方此方に安い木賃宿があり、金を出せば防寒のしっかりした簡易宿泊所にも泊まれる。
人口の乏しい時代だ。市内でも案外と家賃は安く抑えられており、暖房用の薪や、裕福なら炭。それに食糧の方が、得てして高くつくものだ。それでも冬の間、貸家や上等な個室を貸し切りとなると、一年の商いが上手くいった隊商やら鉱夫団の長。或いは、寂れた地元での冬の無聊を嫌った荘園騎士や農場主だろうか。四人や六人ほどの相部屋であれば、金を出し合って借りる隊商員や木こり団、渡り鉱夫に職工団などもいようし、用心棒や傭兵でも下町の下宿や農村の小屋で一冬を凌げるかも知れない。
貧しい流れ者たちであれば、無事に冬を越せる保証は無いが、無料で過ごせる避難所も開かれているし、頑丈な廃屋も探せば見つかるだろう。普段のあばら家に寝起きするよりは、いくらかマシな筈だ。ただ、どうしても家族と共に無事に春を迎えたいなら、廃屋に潜り込むだけでは覚束ない。最低でも避難所に。出来れば、簡易宿泊所に泊まるべきだし、その為にはどうしたって纏まった金が必要となる。
マギーちゃんの暮らす小屋に目を付けて、『千五百都市通貨で売らないか』と持ち掛けてきた旅人もいた。勿論、売る気はないが、下町の小屋にしては悪い金額ではない。多分、そのような小屋を年に二、三軒も建てられれば、それだけで暮らしていけるだろう。もっとも、資材を集めるには、馬鹿にならない伝手と労力が必要な時代でもあるのだが。
※※※※
スタンフィールド氏の店に来訪した見すぼらしい母子らは、赤煙突《レッド・チェミニィ》の町から来たと告げた。交易路や近隣の町に詳しいつもりの両替商スタンスフィールド氏だが、聞き慣れない地名に眉を潜めた。相当に辺鄙な土地の集落か。最近できた開拓地か。それとも地元だけの呼び名かもしれない。それともなく、来客の足元に視線を向ける。靴は何度も修繕したと思しき薄い革靴。普通に農民や庶民が履いている靴だが、泥に塗れて、傷みは激しい。
冬の曠野を何時間、歩いたのだろうか。何枚もの服と羊毛で膨らんだ女は、幼子を包んだ袋を胸に縛り、顔だけを出している。高価な防寒具を持たない庶民にとって、早朝からの移動は辛い時期に入っていた。それでも、昼の少し後は一日でもまだ暖かな時間帯だ。女は、白い息を吐きながら外で靴の泥を落とした。子供が二人、付き添っていたが、ドアの外で立ち止まって覗き込んでくる。
「入りなさい。冷気が入ってくる」スタンフィールド氏が声を掛けると、母親が肯いた。子供たちも靴の泥を落として入ってきたが、それでも美しい木目の床に泥の痕跡が残った。何時間歩いたのだろう。裾は雪や泥で汚れている。子を連れた母親の思いつめた必死の表情を見、スタンフィールド氏は(どうか、妙な気は起こさんでくれたまえよ)と顎を撫でた。
店の片隅には、狼のように巨大な二頭の変異犬。ケイロンとバッカスが寝そべっている。最近雇ったバルザックは、元拳闘士だと一度洩らしている。愛人の秘書メリッサが付けている上着やコルセットは防弾仕様の代物だ。
「わんわ」背後の下の子が犬たちに手を振っている。両替商で金貸しのスタンフィールド氏だが、為替手数料による収入は微々たるものだ。本業としては、友人マギーや他の数人から万単位の都市通貨を預かって、市内の商人や農場主に利子を付けて運転資金を貸している。
ここ数年の商いは上手く運び、取引相手も整理してきた。基本、為替としては隊商や家畜を商う遊牧民、堅気の職工団や鉱夫衆。金主としてはポレシャ市内の富裕層。貸し付ける相手は手堅い商店や倉庫、土地持ち農民や農場に限られている。つまり、金の無さそうな一見の客は、もう相手にしていない。
限られた人手に商いを拡大できないなら、稼ぐためには客層の変化を受け入れるしかなかった。祖父から受け継いだ市民街区の両替店も、昔馴染の取引相手を除けば、小口を扱うこともない。これは前近代の成功した商人金融に近い形だろう。両替商との看板を取り外して、一見するとなんの店かも分からなくしている。だけど、粉雪がちらつく中、鉄の扉の向こう側から、赤子を抱えて寒さに震える母子に訪ねられては、無視できるほどにスタンフィールド氏の心は冷酷ではなかった。とは言え、用心は怠らない。
「……両替商と聞きました」疲労か、心労か。血走った目の母親が、咳き込みながらポケットから三枚の紙を取り出した。
「拝見しましょう」おずおずと差し出された紙を受け取ったスタンフィールド氏は、机の上に広げた。自由都市ズールのカンブリア銀行の手形。金額欄の記載は【―――C100.00】、100都市通貨。綴り欄には、One hundred credits of the Free City of Zoul only.と書かれている。数字だけでは改竄されやすい。1を4に変えられたり、後ろに0を書き足されない為、商業手形では文字でも金額を記載しておくのが常識だ。
裏面を見る。発行者はリリス探偵社と署名され、印章が押されている。支払期限にはついては特に問題なし、だが、引き換え場所がズールカンブリア銀行本店のみとなっている。
「知らん名だな。カンブリア銀行か」独り言ちたスタンフィールド氏は、椅子に座りながら、片眼鏡を取りつけた。ポレシャ市でも指折りの両替商であるから、当然に近隣都市の銀行との取引も行っていた。バルザックが本棚から大型台帳を取り出して机に置いた。メリッサと二人で調べると、知らされた形状と様式のうちに手形は確かにある。中華王朝の勘合貿易時代のような割符が張られているが、これの真贋は銀行でしか確かめられないだろう。裏面は、発行者のリリス探偵者のみ。綺麗なものだ。他人に譲渡された後はない。取りあえず、形式としての番号は符合している。本来、割符の切れ目をなぞって、都市に手紙で送り付けて、返信で承認が送られてくれば本物となる。顔を合わせる。メリッサも頷いた。マギーもいれば鑑定の精度はより上がるが、贅沢は言えない。
「本物である可能性は高いと思います。ただし、自由都市のカンブリア銀行で最終確認する必要があります」スタンフィールド氏は頷きながら、農婦を見つめた。
「よろしければ、郵便人を呼んで照会の手続きを行いますが。冬季ですので、10%の手数料をいただきます。二週間後、確認が取れましたら、三枚で二百七十都市通貨をお支払いします。いかがでしょうか」
両替商の提案に対し、母親は長く沈黙していた。もじもじした顔が真っ赤に染まった。「あの、つまり……」蚊の消える様な声で呟いた。
「はい」とスタンフィールド氏。
「つまり、お金には今すぐ変えられない、と言うことでしょうか?」
スタンフィールド氏は、机の上で掌を組んだ。
「ご自分で自由都市まで行かれましたら、勿論、手数料なしで、そのまま300都市通貨に替えられます」言ってから、咳払いして「お茶を入れて貰えますか」バルザックに頼んだ。長身のバルザックは、眼鏡の下で目を光らせ、気ぜわしげに農婦を見つめたが、スタンフィールド氏が肯くと奥の部屋へと向かった。
今のは親切ではない言い方をしたと、スタンフィールド氏は反省する。そもそも母親の姿を見れば、食い詰めてるのは一目で分かった。素朴な農民で、金融取引の仕組みもよく知らない。冬を越える為の金が今すぐ欲しいのだ。しかし、自分で手形を割り引くと、偽物だった時に些か痛い目に遭うこととなる。
カンブリア銀行。リリス探偵社。赤煙突の町。スタンフィールド氏は、どれひとつ、聞いたことがない。いや、カンブリア銀行は最新の台帳では存在しているようだ。とは言え、二百都市通貨の損金は、裕福な両替商でも馬鹿にはならない。
農婦の連れた二人の子供に目をやる。子供たちも疲れ切った顔をしていた。端から鼻水を垂らしていたが、お茶を振舞うと嬉しそうに顔を輝かせていた。
今は、暖炉の傍でうとうとしている。頬は暖炉の炎を赤く照り返している。農婦の抱えている幼子が、腕の中でむずがっていた。毛布や毛皮、布を何枚も掛けられ、暑いのかもしれない。
「夫とその友人が作ったお金なんです。どうしても、冬を越えるには必要で」あかぎれの目立つ手は、メリッサやエンブリー婦人の手入れした艶やかな肌とはまるで対照的だ。働く女の手。
奇妙な磁力を感じたスタンフィールド氏は、目を閉じた。市内で美しく着飾り、同時に戦場で後ろを守れるほどに強く、真の意味で頭のいい女を好んできた。生命力に惹かれるような感覚。指で机をトントンと叩いた。考えを纏める。
「ご婦人。今は冬です。カンブリア銀行とも、ご婦人とも初めての取引になります。
手形割引であれば、額面の七割になります」告げてから「もちろん、一枚だけを割り引いて現金化し、残り二枚は照会を待つという方法もあります」
婦人が頷いた。差し出した書類にサインを行う。
アンナ・ターナーと。
「では、ここに郵便配達人を呼びますか。それとも一緒に郵便局に行って、手続きをしましょうか」スタンフィールド氏は、首を傾げるアンナに「どちらかと言えば、郵便局の方をお勧めします。記録も残りますし、今後、ご婦人が類似の取引を扱う際にも、覚えておいた方がよろしいでしょう」と提案した。
「お、お願いします」アンナも立ち上がった。
スタンフィールド氏は、メリッサの持つコートを着て外出する。
メリッサが二人の子供を見てくれる。
市民区画の郵便局はすぐ近くだ。十二月に入っても、暖かな服装を纏った市民たちは、雪のちらつく街路を歩き回っている。
中町の郵便局は一日遅れで集計され、町外れ地区となると三日に一度。自治地区や農村だと週一の集計と配送も珍しくない。市民区画の郵便局へと運ぶために、さらに多めの運賃が掛かる。何ごとも高めの市民地区の物価ではあるが、公的な遠距離郵便に限っては市民区画が一番、速くて安くつくのだ。
門前町の方から、防壁を越えて男女の派手な笑い声が聞こえてきた。
「きっとランツクネヒトだな」スタンフィールド氏は、呟いた。
一人頭三百都市通貨は、守備契約における一か月分の報酬だ。
五百都市通貨あれば、小さな小屋は買える。それほどの纏まった金額を入手したと言うのにランツクネヒトども。連日連夜、市内の高級酒場から安酒場までを梯子しては備蓄の酒を呑みつくす勢いだ。勿論、冬の間の寝床と薪、食料も支給するとは約束したが、全てを浪費する必要はあるまい。少しは金を取っておこうと言う考えはないのか。艶やかな女たちの嬌声も聞こえてくる。出稼ぎで酒場に勤める娘も多い。
ランツクネヒトに限らず、浮浪傭兵の類に無宿人《ノークォーター》、牧童なども刹那的な生き方をする輩は少なからずいた。彼ら彼女らは、季節で稼いだ手持ちの金を酒や賭博、女――或いは男。大抵、異性だが、時に同性にも入れ込んで、その時々の欲望や慰めにあっという間に費やしてしまう。
鼻を鳴らしたスタンフィールド氏は、隣の人妻を一瞥する。
黒髪の髪を短く切った美人。見すぼらしいが、酒場で稼げなくはないだろう。
だが、人によっては耐えがたいほどに辛い仕事でもある。
すぐ、人生を金に換算する。嫌な考えだ、と首を振るい「ご夫君はどうされました」とアンナに尋ねた
「……仕事先から、帰ってきませんでした」絞り出すような声で応えた。
アンナを郵便局に案内し、手続きを教えてやる。アンナはメモに取っていた。局員も親切に対応してくれて、手続きはすぐに終わった。
「親切にありがとうございました」アンナの礼の言葉に「仕事です」スタンフィールド氏は素っ気なく告げた。
「貴方が親切な人だと教えてもらって……」アンナが声を震わせながら、元同業者の名を上げた。今では門前町で呑んだくれてる老人だ。
「他所の両替屋さんに持っていったら六割だと言われて……」辛そうに言うアンナだが「冬ですからな」と冷淡なスタンフィールド氏。
「地区紙幣です」アンナの言葉に、眉を顰め「それは酷い」と吐き捨てた。
地区通貨は、都市通貨の七割程度の価値しかない。買い叩き過ぎだろう。
両替店へと足早に戻った。両替商は、店の奥の金庫から現金を取り出すと「七十の都市通貨紙幣を用意しましたが、地区通貨にしますか?」とアンナに尋ねた。
「九十支払いますよ」と提案すると「お願いします」と返答が返ってきた。
金を受け取ったアンナは大事そうに金を仕舞い込むと、子供たちを連れ、赤子を抱えて雪の降る街路へと消えていった。
二週間。九十都市通貨。女一人と子供三人で食い繋ぐには少しだけ厳しい。だが、元からの備蓄した食料や薪があれば。そして都市通貨で百八十。二百四十地区通貨あれば、避難所に転がり込める。冬を越えられるかもしれない。
※※※※
12月のポレシャ市の空き地に、物悲しいヴァイオリンの音色が響き渡っていた。
聞くものも殆んどいない中、藁の山を前にフェルトン一座の座長が楽器を奏でている。昼間でも気温が二℃から三℃の冷え込みの中、猛烈に汗を拭きだしながら、目を閉じて演奏に専念している。瞼に幻想の観客たちでも見ているのか、引き終わると座長は手を広げ、深々と虚空に一礼して見せた。
「悪くないね」としわがれた声が背後から掛けられた。幾つかの天幕が広がる中、一際、分厚い毛皮の天幕の中に、漂泊民《ジプシー》の老婆が椅子に腰かけていた。入口は開いており、床に火が焚かれている。
「ほら、茶を入れてやった。火に当たんな」老婆の声に座長は汗を拭きながら、笑顔で歩み寄っていった。
老婆が枯れ枝のような腕で器用に茶を入れた。ありがたく陶器カップを受け取ると、湯気の立つそれを美味そうに飲みながら「生き返りますねぇ」と座長は欠伸を洩らした。
「それにしても、あんたも飽きもせず演奏しに来るねぇ。それも毎日、違う曲をさ」漂泊民《ジプシー》の老婆が小さな肩を竦めた。「あたしとしちゃ、いい退屈しのぎになるから構わないけどね」
「約束しましたからねぇ」と座長が藁の山を見ながら呟くと、「約束?蜘蛛とかい?」老婆が小さな目を丸くした。
「ええ、一緒に来たら、毎日一回は音楽を聴かせると」
「盗賊団に追われて廃墟に逃げ込んだ時、あの子と出会いましてね。私の演奏を気に入ってくれたんです。それで、付いてくるなら、毎日、演奏を聴かせると……」
老婆がへっ、と笑った。「するとなにかい?あの蜘蛛は人の言葉を解するっていうのかい?」
「さあ、そこまでは。でも何となく言ってる事くらいは分かるでしょうよ。羊や犬に猫だって、言葉を理解するんだから」座長が手を振るうと、藁と土の小山が揺れるように僅かに動いた。
「へえ、あんたも中々に面白い冒険をしてきたようだね」との老婆の言に、座長はぶるりと身体を震わせた。
「ああ、でも、この間は、流石にあたしももう駄目かと思いましたよ」と弱音を洩らした。
「この間かい」と茶を啜る老婆。「ええ、とんでもない場に居合わせましたよ。吟遊詩人やら新聞記者なんて類なら、嬉々として突っ込むかもしれませんがね。正直、一晩中、生きた心地がしませんでしたよ」座長は顔を顰めて首を振るう。
「大げさな。若い者があんま情けないことを言うんじゃないよ」と老婆が鼻で笑うも「あたしたちの割り振られた宿泊地は、自由市場近くでしょう?目の前でしたよ。もう、何十人が撃ちあって、流れ弾も飛び交うし、空き地の子たちは無事だろうかと。心配で一睡もできませんでした」ため息を吐いた座長が、両手でカップを持ったまま、曇った冬空を見上げた。
「それにしても、ねえ。あの赤泥のジルカと、スネイクバイトのウロボロスが直接、やりあうとはね。なにしろ、手勢が双方合わせて百人もいたと言うんだから」ぶるり、と身を震わせた座長。
「わたしにいわせりゃあ、ジルカだの、ウロボロスだのは、まだまだ小娘さ」けけっ、と笑った老婆が言い放つと、座長が苦笑を浮かべた。
「そりゃ、あなた。何歳ですか。比べれば、小娘でしょうよ。はっは」
それからも二人は、身内の話や冬の物資。興行や商いに暮らしぶりなど世間話をした後、「寒くなる前にあたしはこれで」一時間ほどで座長が席を立った。
座長は、鼻を鳴らしつつ「まあ、暫くはどこの宿場町でも、この話題で持ち切りでしょうね。ウロボロスも、赤泥も、一流も一流の賞金稼ぎでしたから。二人が対峙して片方が落ちたとなれば、冬の間はみな退屈しないでしょう。にわか評論家も尽きないでしょうな」
「誰が強いだの、どちらが正しいだのと、どうでもいいことを見てもいない連中が好き勝手に言うんだろうね」老婆の言葉に座長が微笑んだ。
「わたしも、適当に話をでっち上げて、稼がせてもらうかも知れません。それにしても保安官補が、ウロボロスだったとはねぇ。ああ、これは秘密だと口止めされていたんでした」
座長は歌を口遊みながら、街路を遠ざかっていった。やがてその声と背中が見えなくなった頃、老婆が背後のテントを向いた。
「だとさ。で、死人は、これからどうするんだい?」
天幕を覗き込めば、負傷した女が包帯を巻かれて寝転んでいた。
「……婆《ババ》様には助けられたが、あまり偉そうな口を叩かれる覚えはないよ」吐き捨てるも、老婆に鼻で笑われた。
「へっ。尻の青い小娘が。あたしが拾わなきゃ、ランツクネヒトに首を取られていた分際で、生意気な口を叩くんじゃないよ」
――――――――――
12月上旬_29630都市通貨
34 (1D100)
30 (1D100)
50 (1D100)
72 (1D100)
74 (1D100)ジルカ