変異獣《ミュータント》も、ゾンビも登ってこれないだろう高い位置の民家の屋根登って、少女はさらに高台に建つ大邸宅を望んでいた。
大邸宅の庭園には数多のゾンビが彷徨っているが、枯れている噴水の向こう側。小さな回転木馬《メリーゴーランド》と観覧車が設置されている。
(……遊びたい)
少女は、あの小さな遊園地に心捕らわれていた。
実物大帆船の朽ちた模型。庭園を巡る錆びた小さな鉄道列車。穴の開いた巨大な滑り台。狂おしいほど、乗ってみたい。
幼い頃から見上げるたびに焦がれていた。勿論、南区画に乗り込めば変異獣《ミュータント》のご飯となるか、ゾンビの餌食となってお終いである。
だから、気持ちを押し殺す。夢見るよりも、やるべきことをやらないとならない。
今はお姉さんを助けるべきだ。ただ、この狂気にも似た渇望は、何らかの形で解消しなければ、いずれ自分を食い殺すだろうとも少女は心の奥底で薄々、感じてもいた。
お姉さんは、少女と背中合わせに座っていた。空の色に合わせて灰色のシーツをマント代わりに風を防いでいる。
屋根に座り込んで壊れた世界を眺めるのは、お姉さんにとってもいい暇つぶしとなった。特にそれなりに安全で暖かな室内にいつでも戻れる上、忌々しい追手たちは今も寒空で怪物に怯えながら待ち構えていると思うと、少しは溜飲が下がる思いがする。
「……早く諦めろ」
呟きながら、お姉さんが見つめる【住宅街】の西。放浪者《ワンダラー》共は、町の入り口を完全に封鎖していた。
「お気に入りの場所だよ、どうかな?」少女が弾んだ声で言った。
「眺めはいいね。だけど、こんなのんびり過ごしてていいのかな」
「確かに、他人を養って大変だよね」と少女の言。
「うぅ」お姉さんが露骨にへこんだ。
「人ひとりの食事を都合するだけで四苦八苦してます……それでも十日くらいは余裕があるけど」淡々と事実を述べた少女は、【住宅街】西の曠野へと視線を向けた。
「だから……町の入り口を封鎖しても、長くは持ちこたえられない。
あの人たちは、そこら辺の廃墟漁りの徒弟《こども》程度にも、廃墟での過ごし方をしらない」
入り口の封鎖は厳重で、人目を盗んでの脱出は難しい。ならば、脱出できるまで待てばいい。それが二人の導く出した回答だった。曠野の怪物どもは、お姉さんや少女を襲うのと等しく、放浪者《ワンダラー》たちをも襲う筈だ。
お姉さんは、しかし、放浪者《ワンダラー》たちの戦力に関して、甘く見てはいない。お姉さんが属していたオーの隊商も、かなり強力に武装を整えていたのだ。
「連中は、かなりの武装をしている。こちらへ踏み込んで来ないかな」
お姉さんの懸念を、隣へとやってきた少女は一蹴した。
「来れない。
廃墟に不慣れな放浪者《ワンダラー》では、一人も生き残れない」
お姉さんへと振り返った少女は、初めて断言した。
お姉さんは、視線で少女に続きを促した。
「
確信した眼差しの少女は、むしろ淡々と事実を告げるように結論を述べた。
「なら、どうして、放浪者《ワンダラー》が廃墟で生き残れるだろう」
数多の怪物が彷徨う広大な【住宅街】で、人ひとりを虱潰しに探すなんて真似は、放浪者《ワンダラー》たちに今の十倍の人数がいたところで到底、不可能な所業だ。巨大な廃墟である【住宅街】には今も数百、数千ともつかない怪物たちが潜んでおり、彼方の黄ばんだ曠野には、人々が名も知らぬ異形の怪物たちが蠢いている。
【住宅街】の入り口に陣取った放浪者《ワンダラー》たちが果たして、いつまで持ちこたえられるか。
しかし、放浪者《ワンダラー》たちは武装し、かなり組織化されている。考える力を持つ人間の集団は、ゾンビや変異獣《ミュータント》など容易く蹴散らして、廃墟まで追跡してくるのではないか。
今のところ、追手を恐れているお姉さんは、少女の考えが正しいことを神に祈るしかない。
「それに……賊徒たち。三十人か、もっと多いかも」と、少女が楽しそうに言った。
まるで追手を評価するような言葉だが、しかし、奇妙に軽んじるような響きも含まれている。
「そうだよ。三十人と言うのは、途方もない人数だ」
腑に落ちないながらも、警戒を促す為にお姉さんが相槌を打つと、少女は謎めいた微笑みを返した。
「食べ物はどうしてるんだろうね」
立ち上がった少女は、お姉さんをじっと見ながらその背後に回り込んで顔を肩に乗せる。
「十日で一人の一年分くらいの食料を費やすとして。それに、水も必要だよ」
少女の指摘は、お姉さんを当惑させた。
少女はお姉さんに顔を寄せて言った。
「今さら、私が信じられない訳でもないでしょう?
追手がいなくなるまで、此処でゆっくりしよう」
お姉さんはため息をついた。
「……いいのかなぁ」
「死なれる方が気分が悪い」少女がピシャリと言った。
「はっきり言うね」お姉さんは、やや憮然とした。
「随分と久しぶりのお客だし。何年ぶりだろう。まともな人と話すの。見ての通り一人暮らしだもの。人と話せるだけで楽しいです。勿論、相手にもよるけど」
お姉さんの前に話したのは、地下水路で道に迷い、迷路みたいな暗所で数か月過ごしたために完全に気の狂った
「……そんなに」お姉さんが考え込んだ。
「裏切らないよ。そっちはその気になれば、私を簡単に殺せるけど」
一瞬だけお姉さんは頬を紅潮させ、しかし、哀しげに首を振って言葉を返した。
「そういう事を言うのは良くないよ」
「善良な人に使う言葉ではなかった。御免なさい」
少女は意気消沈し、素直に謝った。
「……君は」お姉さんは少し迷い、それから少女の腕を軽く掴むと、ゆっくり引っ張って、胸のうち抱きしめた。
「わあ、お母さんみたい」柔らかく暖かい胸の感触を少女は楽しんだ。
出会ったばかりではあるが、お姉さんは少女が気に入っている。
「全部終わったら、一緒に来る?」
「なに言ってるの?」
「うちの子にならん?」
少女がけらけらと笑う。
「無理だよう。そもそも食い扶持どうするの?」
大体がお姉さんからして、たとえ自由都市《ズール》に帰り着いたとしても、先行きの分からない身であった。
少女も外の世界に興味がない訳ではないが、少女の生活基盤は【住宅街】にあった。何年もかけて畑を作って、隠れ家や道も熟知している。
何時か、怪物に襲われて死ぬかもしれないが、それは外の世界も同じだった。
【住宅街】であれば最低限にせよ、飢えて死ぬことはない。
「外の世界でも、仕事が余ってる訳じゃないよね」
少女は儚げな笑みを浮かべた。
「生きていくのがやっとの人が沢山いるはず。
だって、放浪者《ワンダラー》も、
生きていく為に廃墟に潜って、そうして何人も死んでいった」
彼らの宗教も、哲学も知らないので慰めになるかは分からないが、廃墟で死んでいった人間のタグや写真、持ち物で少女に回収できたものは、慰霊の為に秘密の部屋へと納められていた。
しばらく沈思してから、少女は告げた。
「足手纏いになるのはいやかな」
そして再び、悪気ない言葉でお姉さんをへこませる。
「今、私に養われて、気持ちよくないでしょう?
人ひとり面倒見るのも大変なのに、外で仕事が見つかるかも分からない」
言ってることは道理だし、悪意も感じない。
お姉さんは、ううむ。と唸った。しばし、天を仰いでから、頷いた。
「御免」
「また、謝る。悪くもないのに」
ぺしぺしと、少女は軽くお姉さんの腕を叩いた。さすがに男性よりは細いが、堅く、しなやかで、よく鍛えられている。頼りがいがあって、全然似ていないが、姉を思い出させる。
ちょっと気を取り直してから、少女は提案した。
「取りあえず、何日か待ってみよう。お姉さんが宝の地図でも持ってるなら兎も角……」
「無一文の貧乏行商人だね」自嘲っぽくお姉さんが呟いた。
「そう考えると生き残りに拘泥するのは、割に合わない。封鎖してれば、食料も、弾薬もだんだん減っていく」
「なるほど。道理だなあ」お姉さんはうなずいた。
「私たちが知らない理由で動いてない限り、そうしつこくは、追跡しないはず」
少女は目を細め、遠く放浪者《ワンダラー》たちの宿営地《キャンプ》を眺めた。
少し前までは、レギンにとって万事上手く運んでいた。
喰うに困った昔馴染みのガルフを上手いこと転がし、オーの隊商にぶつけるなんて真似は、そこらへんのやつには思いつきようもない冴えた計画だった。
少しばかり金を持ってるだけで口煩かった爺の死体を蹴りつけ、唾を吐きかけてやった時は、胸のすくような思いがした。自身の頭の良さに惚れ惚れする。
しかし、今はどうにも妙な雲行きになってきている。
「オリヴァーを仕留めたか。確か、会計係だったな」
宿営地の真ん中で、ガルフが列に並んだ追放者《ワンダラー》共とやり取りしていた。隊商《キャラバン》随員の顔写真や特徴が描かれた人相書きを確認し、バツ印を書き込んでいる。
「間違いない。五箱持っていけ。約束の報酬だ」ガルフが言った。
「わお、そんなにか?」
歯の抜けた間抜け面の放浪者《ワンダラー》が歓声を上げている。
「ああ。よくやってくれた」ガルフは頷いている。
何よりも貴重なはずの食料や物資をガルフは気前よく放浪者《ワンダラー》たちにくれてやっていた。
見すぼらしい格好をした曠野の屑たちは我先に戦利品へと群がると、梱包されたパンや小麦が詰まった木箱に、高価な酒や煙草を掲げて歓声を上げている。
真新しい衣服を手に、くるくると踊るように回っている若い女の放浪者《ワンダラー》もいた。
ガルフは、やってくる放浪者《ワンダラー》たちの背中を叩いては、歯の浮くようなご機嫌取りを繰り返している。
「しっかり喰っておけよ。小麦パンも滅多に食えるもんじゃねえからな」
「もっとくれねえか?生まれたばかりの孫たちが腹を空かせてるんだ」
「約束は、約束だぜ」
相手の老いた放浪者《ワンダラー》は未練がましく山積みされた戦利品を見ていたが、ガルフは言葉であしらうと、若い兄弟へと話しかける。
「普段は、街道筋の追いはぎだったか?そっちは弟だったな。初仕事か」
「ああ、初仕事でこんなデカいヤマを踏めたのは運がよかったよ」
「俺も一人仕留めたんだぜ。ガルフさん」興奮した様子で兄弟は言葉を続けている。
「キャラバン襲うなんて大仕事だぜ」
「だけど、うまくいったよ。さすがガルフだ」
尊敬の眼差しを向けてくる若い放浪者《ワンダラー》に、ガルフは鷹揚に頷いた。
「俺たちだけじゃ上手くいかなかった」
「分け前には期待してるぜ」
「ああ、期待しておいてくれ」気前よくガルフは、煙草草が詰まった箱を取り出すと兄弟に渡している。
「こいつは高く売れるぜ!」
「そこらの闇市で売るなよ、まとめて無法都市《ジグラット》か、盗賊市《レインシティ》に持っていけ」商品の価値も分かってない放浪者たちに、ガルフはアドバイスまでくれてやっていた。元々は、レギンが戦利品の売り先としてガルフに語っていた場所だ。
レギンの頭にカッと血が昇った。俺の計画だった。なのになんでかミーシャは、ガルフに采配を任せた。ガルフも当然みたいな面で分配してやがる。
戦うなんて泥臭い真似はガルフに任せてもよかったが、戦利品の分配はレギンが行ってしかるべき権利。そう、レギンの権利の筈だ。
(それをガルフの間抜けが。よくもまあ気前よく配るもんだぜ。五箱だと?
俺の計画がなけりゃなにも手に入らなかった癖に、自分の手柄だとでも思ってるのか)
ガルフには、昔からそういう独善的な気質があったと、レギンは腹を立てる。
(間抜け野郎が。いい気分になりたいだけで戦利品をばら撒いてよ。
このままじゃ『俺』の戦利品が残らずなくなっちまう)
レギンにとっての曠野の屑たちが、またガルフの眼前へとやってきた。
「立ち去る前に、約束の取り分を貰いてえ」
「頭はどうした?」ガルフが尋ねる。
「お袋は……死体も回収できなかった。変異獣《ミュータント》に喰われちまった。
真っ黒な顎のでかい奴だ。兄弟とニコも死んだ」
廃墟での追跡に当たっていた放浪者《ワンダラー》が、そう報告した。
「……女は」纏め役であるガルフの問いかけに、放浪者《ワンダラー》は渋い表情を浮かべた。
「女の死は確認してない」
「なんだとぉ」傍らに立つレギンが舌打ちしたが、それにもかかわらず頭目《ガルフ》は頷いて手を振った。
「……そうか。よくやってくれた。女も生きてはいないだろう。約束の取り分と、それに報酬も渡そう」
「いいや、そう簡単にくたばるような女じゃねえ。女の死体を持ってこい!さもなきゃ報酬分は渡せねえ」レギンが言い張ると、ガルフは煩そうに眺めてきた。だが、その言葉は訂正せずに肩を竦める。
放浪者《ワンダラー》は疲れた表情でつぶやいた。
「なら、報酬分はいらねえ。俺らもみんな疲れてる。
それに早めに親父にお袋たちの事伝えなきゃいけねえしな」
ガルフは頷きながら、ポケットを探った。
「分かった。取り分と、それとこれは……」
挿弾子《クリップ》に纏めた弾薬を2つ、3つと取り出すと、相手へと差し出した。
同じ口径でも製造元の工房や工場の違いで信用価値は変わってくるが、弾薬は最も信用の高い通貨のひとつとして取り扱われている。
「これはお袋さんへの手向けだ」
「ガルフ……これは。
貰えねえ。俺たちは役に立たなかった。まして……」
首を振った放浪者《ワンダラー》に、ガルフは強引に押し付けた。
「いいから取っておけ。下に餓鬼どももいるんだろう」
「すまねえ」 幾らかの食料に弾薬を受けとると、放浪者たちはガルフを拝むようにしてから立ち去っていく。その背中を見ながら、レギンは吐き捨てるように言った。
「やりすぎじゃねえか?」
「なにが、だ」とガルフは気にした様子も見せずに、手元のメモに何かを書き込んでいる。
「なにって、報酬だよ」
ガルフの態度にムッとしながら、レギンは言葉を続ける。
「いくら儲けたからって、あんまり配りすぎるのはよ。よくねえぜ。あっという間になくなっちまうぜ。あんな役立たず共にまでよ」
「その役立たずが働いてくれなきゃ、その儲けもなかったんだぜ。レギン」
窘めるようなガルフの言葉。
「ガルフよぅ。そんなだから付けあがるんじゃねえのかい?あんまり気前よくやっちまうと、俺たちの取り分が……」
ガルフの目つきに気づいて、レギンは喋るのを止めた。
「付けあがる?俺たちの取り分?」
頭目《ガルフ》の低い声には、レギンに発言を躊躇わせるなにかしら危険な兆候が含まれていた。
「な、なんだよ」不穏な気配を感じて、レギンの声は思わず上擦った。
「キャラバンを襲撃できるだけの銃と弾薬を集めたのは俺。
五人もの部下と引き換えに強力なキャラバンを潰したのも俺。
大胆不敵なオーと腕利きのキャラバンガードを討ち取ったのも俺。
廃墟に逃げ込んだ連中を、手間かけて探してるのも俺」
淡々と言ったガルフが、嘲弄するようにレギンに疑問を投げかけた。
「お前が一体、何をしたんだ?レギンさんよ」
ガルフの急変した態度は、露骨にレギンを軽んじていた。
「……俺の情報が無きゃ」
「お前の情報か。相手が伝説の探検家とは聞いてなかったぞ。
大胆不敵なオーとは、な。
知ってりゃあ、もうちょっとは違う作戦を立てた」
「腹を立ててるのか、分かるぜ。ガルフ。だがよ……」
宥めるように言ったレギンの言葉を無視して、ガルフが視線を転じた。
視線の先から、ジョゴが近寄ってきた。
ガルフの隣で立ち止まると、無言で太い腕を組んだ。巨大なマチェットを弄んでいる。レギンは、この男が苦手だった。
隊商の大男をぶち殺した時と同じように、ジョゴは感情の窺えない濁った眼で、じっとレギンを見つめてくる。
背筋が凍ったように冷たくなったレギンは、喋るのを止めて二歩、三歩と後退った。
「わ、分かったよ。くそっ」
口の中で何やら毒づきながら足早に離れていくレギンを見送りながら、ジョゴはガルフへとささやきかけた。
「始末するか?あいつは信用できない」
「……放っておけ」
そう鼻を鳴らすと、ガルフは廃墟へと視線を転じた。
「素人が【住宅街】でそうそう生き延びられるとも思えんがな」
廃墟の薄闇の中、変異獣が鈍く光った複眼でこちらを見ているような気がして、ガルフは身震いした。