火縄銃《マッチロック》や燧石銃《フリントロック》など、銃身に黒色火薬と円弾を入れ、槊杖《さくじょう》で奥に突き入れて、後部の孔を通じて着火し、発砲する前装式銃はマスケットと呼ばれている。黄昏の時代において、マスケットはもっとも有力な武器の選択肢として、クロスボウと並んで庶民の間に膾炙されている。働き者の自由労働者、
一般的に高度な銃ほどにゴムや良質な鋼材、高張力鋼やFRP(繊維強化プラスチック)など希少、或いは高度な材料で形成されている。かなり大きな都市の鍛冶工房でも鋼を扱いかねる中、鉄と真鍮、木材で形成されるマスケットは町の鍛冶屋、なんなら流れの職工であっても修繕できる簡素な構造から、浮浪傭兵や自警団、独立した農場の徒党などに広く用いられていた。つまりは、辺土に残された産業基盤との兼ね合いである。
勿論、マスケットは扱いづらい武器ではある。弓に比較して、静穏性と発射速度において明白に劣っているし、一発一発の値段も銅貨を撃っているようなものだ。火薬は矢と違って再利用できない。命中精度だって高いとは言い辛く、発射時の騒音が周辺の屍者の群れや飢えた熊など、手に負えない相手を呼び寄せてしまうこともある。
それでもマスケットは最良の武器として、私有している者は庶民の間に一目置かれる。なんとなれば、マスケット最大の利点は、居留地を守る時、家に立てこもった時に最大に発揮されるからだ。家の外に屍者や巨大蟻、熊や狼が群がる際、こん棒やナイフでは立ち向かいようのない脅威を前に、父親が手にしたマスケットがどれほどの威力を発揮しうるかを、孤立した小村落の貧しい庶民ほどによく知っている。扉の覗き窓や壁の窓を銃眼として発射される鉛玉が、本来は扉が破られ、或いは薄い壁が砕かれるまでを震え続けるしかない女子供をどれほど勇気づける事だろう。たった一丁のマスケットが、心もとないあばら家を最後に逃げ込んだ死に場所、追い詰められた袋小路から最後の砦へと変えてくれるのだ。
農村にたどり着いたリリー一行のうち、今回、護衛役だったニナと徒弟トリス、猫耳ココは、納屋の下の焚火傍でマスケット銃の整備と清掃を行っていた。油の付いた布を
納屋の入り口近く、微かな冬の陽光の下。軍服めいた灰色コートに身を包んだ三人の少女は、出された軽食に手を付けたが、パンを口にしたニナが口元を抑え、外へ走っていって嘔吐した。屍者に噛まれた訳ではない。戦闘の緊張に胃が収縮して、食べ物を受け付けなかっただけだ。トリスは時々、目を閉じて大きく深呼吸し、黒猫ココも綺麗な雪を手に取って顔に何回も擦りつけ、顔を洗っている。三倍の屍者と真正面から対峙するのは、精神的に消耗を強いられる。十中八九は勝てる、と理性では理解していても、万が一はあり得る程度の戦力差で、容易に恐怖は拭えない。
「この恐怖ばかりはベテラン兵でも、同じだろうね」とニナは呟いた。「分からんです」とトリス。「もしかしたら、平然と耐えるからベテラン兵なのかも」銃の整備を黙々と続けていた猫耳ココが、にゃあ、にゃあとだけ言った。
気分が少し良くなったニナは、装弾のマスケットを背負って納屋の外へと出た。荷車が二台停めてあった。近くの大きな農家で、リリーが農夫と交渉していた筈だが、話がまとまったのだろうか。御者が大きな袋を荷車に幾つか載せていた。腐葉土や肥料だろう。
村の十字路に火が焚かれていた。農兵たちが手製のクロスボウや弓、アーキバス銃に粗末な槍、こん棒などを抱えながら集まっていた。村近くの街道に屍者が出たので警戒を強めているのだ。外側の村ほどに、砦めいた狼煙代も設置されているし、街道は、ポレシャの警備隊や斥候、村の狩人や雇われレンジャーらが巡回しているが、しかし、冬が深まれば、警戒もおざなりになりがちだ。外の哨戒や武装した農村が壊滅したと言う話は聞いてないので、ないと思いたい。
マギーは現状、入手出来得るうちでは、最良に近い装備を与えてくれた。
少なくともニナたちのマスケットは、都市のルガリエ工房製。ゴーグルを付けてれば、煙もかなりマシとなる。少しマシな技術による銃身と円弾がどれほど違うか、経験者以外にはきっと理解できない。
火薬の粒度が均一になれば、燃焼速度や圧力のばらつきが少なくて初速や命中精度が安定する。銃身内径と円弾の差のばらつきが小さければ、ガス漏れが減り、威力は増す。弾丸の寸法が揃えば、装填性と命中精度の両方が高く維持される。燧石《フリント》の形状加工や撃鉄の品質が安定すれば、不発や失火も減少する。
冬場の雪の街道で八発撃って、一発の不発も無かった。火皿や火道の加工精度も高く、
それでも恐かった。町中で障害物を確保して一方的に鴨打ちするのとは違う。ランツクネヒト達が戦闘の後に乱痴気騒ぎをするのも理解できた。人はそんなに強い生き物ではない。震えたニナは外に探して、野ざらしの建物型トイレを見つけた。座り込むと、建物からトリスもやってきてくれた。猫耳ココは、軽食の薄いパンを咥えながら、リリーのいる農家へと歩いていった。トイレの傍でトリスが彼方を見ながら警戒してくれるので、安心して出せる。勿論、終わった後は、トリスの近くでニナが警戒する。村内なので滅多なことはあるまいが、万が一に備えてだ。
と。トイレの傍で、薄汚れた青年が桶を手にして、茫然とニナを眺めていた。
びっくりする。異性のトイレを見るのは、城砦都市では軽犯罪になるが、農村ではおおらか、と言うか、安全確保の為、互いに見張るものだから、咎められない。それでも気分を少し害した。風体からするに多分、雇われの渡り農夫だ。ニナは旧世界の本を好んで読んでいるが、中世を扱う書籍で納得しがたいのが、小作人や土地を持たない作男などを当時の貧困層と見做している解釈だ。
渡り農夫の青年も慌てて振り返った。それから「マスケットで屍者を十体も相手したんだって?」話しかけてくる。悪意も、なにも感じないので、取りあえずは、用心深く見つめ返した。
「危険な仕事をするもんだねぇ」と青年の背中が素朴そうに言った。
「うん、まあね」と取りあえず、ニナは言った。ポレシャ圏。しかも、市の近隣の農村でかどわかされたり、などとはあまり考えない。町の出入り口で、顔見知りの自警団員に行き先を告げたし、のべ数千、数万の出入りで正規居住者や登録住人の消息不明は一、二年。一件もないからだ。勿論、事故や事件は起きてるが、拉致と思しき消息不明はない。ポレシャ市や自治地区、農村の治安は、それほど悪くない。勿論、よそ者に向けられる目はその分、厳しいけれど。
「おいらね。嫁さんが欲しくてね。農民兵に志願したのさ。作男にしてくれるってね。だけど一発で辞めちまった。クロスボウは当たんないし。当たっても野犬に効かないし。尻を噛まれてさ。見てみる?」男が尋ねたので「見ない」ニナは応えた。
「そんでめそめそ泣いちまったら村の連中、面白がってね。おいらを納屋に置いてくれたのさ」
「うん」とニナ。
「そんで冬も簡単な仕事して。トイレの入れ替えもそれなんだ。覗くつもりは無かったんだよ。ごめんね」と青年。
「うん」肯いたニナが、ポケットから新品の縄を取り出してお尻を拭いた。それから屑入に捨てる。
入れ替わりにトリスがトイレに座った。
「それで、ええと……」青年が言葉を濁した。
「嫁にはならんよ」ニナが言うと「え……あ、そりゃ残念」青年があっさり言ったので「うん?違ったかな?」ニナは首を傾げる。
「十匹も屍者がやってきたら、誰かやられちまったか。なんとかなっても弾やら矢やら随分と使っちまっただろうし。助かりました。礼を言おうと思ってたんでさ」青年が礼を述べた。「旦那さんがご馳走したいってんで、見たら呼ぶようにと。あっちの大きな家です」指差した青年に「では、遠慮なく」とニナは頷いた。
こん棒やら粗末な手製クロスボウしかない貧しい農民や労働者にとって、十体の屍者は恐ろしい脅威だ。十体十で戦っても、二、三人噛まれてしまうのも珍しくない。負ければ最悪、屍者が二十体に増えてしまう。人々が腹を空かせ、寒さに動きも鈍った冬の寒村では実際に度々、起こりうる悲劇だ。ポレシャ圏の農村部は、薪や食料に余裕もあれば、村の外周の家は頑丈な煉瓦や石作りだし、武装もそれなりには整っている。それでも屍者の群れは容易な相手ではなく、町の警備隊でもけして侮れない神出鬼没の脅威として常に居留地を脅かしている。
トイレを済ませたトリスがズボンを履きながら、「時々、他人様の壊れそうな小さな家を眺めて、安全の愉悦を感じる。良くないかも知れんけど」ニナに囁いた。
「……踏み込むね」とニナは妹分を一瞥した。己の卑しい性分とどう向き合うか、と言う自問自答なのだろうか。一歩間違えれば醜悪に。上手く向き合い続ければ、良い意味の正直に。
「自分にそう言う部分があるとは思ってなかったから戸惑ったよぅ」とトリス。
少し考えてから「別に悪くないと思う。人の業だよ。それ自体は。そんなんばっかり浸ってたらよくないが」 ニナは寄り添って慰めた。
寝床や武器、薪と食料の余裕が文字通り生死を分ける世で、貧しいものと比較しての安堵は、果たして醜い感情だろうか。ニナには分からん。簡単に答えが出る事でもないだろう。小集落の住人と比べて、自分たちの武装がどの程度か。町中で土嚢の有る敷地と頑丈な小屋。戦闘要員六名もいて、マスケットやクロスボウもあれば、安心して暮らせる。最初はバットから始まった。スリングショットからクロスボウ。火縄銃。燧石銃となり、人数と金も増えて、小屋も新聞の家から、布の家、木製の骨格。頑丈な小屋と大きくなった。雪の上を歩きながら「マギーに感謝だ」言ったニナに「親方、万歳」トリスが囁いた。
※※※※
赤煙突《レッド・チェミニィ》の町、と自称されるようになった共同体――或いは、廃市街と見做されている小さな開拓地でも、必ずしも冬越えに窮乏してる住人ばかりではなかった。
働いた賃金で食べ物を買い、或いは、現物支給で受け取り、納屋や部屋の隅で眠って金を貯め、正解を引き当てた放浪者も一握りはいた。蓄えた金は、手元で盗まれないように簡易宿泊所の予約票に替え、幾らかは資材を買い、来年以降に天幕を作るか。或いは廃屋を修理してもいい。月単位の簡易宿泊所は長期で安上がりだが、正解は一つではない。今年は諦め、食べ物を切り詰めて、兎に角も冬越えの為に金を貯めるのだって選択肢だ。部屋を借りても良い。木賃宿に泊まっても良い。冬を越えて、春を迎えれば、また選択肢も増える。一方で、住み着いた廃屋に資材や手間暇を費やすのだって間違いではない。
だけど、刻限もまた確実に存在していた。今年にようやく廃市街に転がり込んだ放浪者たちは多くの場合、三か月の冬を越えられる備蓄には届かなかった。或いは、協力すれば越えられたかもしれない。十数名で計画を立て、貯めた薪や食べ物を出し合って、分け合えば恐らくは足りるだろうが、しかし、見知らぬ者同士。誰が采配し、誰が分配するのか。よほどの人物でもなければ、短時間で主導権を握り、いい方向に指導力を発揮できるものでもない。暗黙の了解と信頼を作るための時間だけが、僅かに足りなかった。
冬が迫ってきても、バリケードの構築も、家の改修も遅々として進まなかった。
物資に乏しい黄昏の世に、そう簡単に廃墟に集落を立て直せるならば誰も困らない。最初から分かっていたことだ。どうしても冬に籠る部屋が足りない。薪や食料、水の足りない家族が出るだろう。慣れない環境と足りない食べ物に病気の子が出れば、薬を買う金も無く、薬師に些か頼りない民間治療を頼むしかない。恐らく、放浪者たちは、僅かな資材を費やしてのバリケード建造など試みるべきではなかったのかもしれない。
工夫し、知恵を絞り、それでも幾らかは多分、助からない。春が過ぎ、夏から秋が迫るにつれて、村人たちは徐々に陰気に寡黙となり、それでも一日、一日を愛おしむように子供を抱きしめ、時に隣人らと静かに頷き合って過ごしていた。移り住んだ初年度に間に合わないことは、誰もが承知していた。最悪、老人や子供の半数以上が命を落とすかもしれず、二年目、三年目でも見知った顔の幾人かは春を迎えられない。
勿論、土地によって開拓の難度は違う。肥沃な土地に辿り着き、指導者や職人に恵まれ、幸運が重なって初年度を乗り切る開拓地もある。その一方で、同じだけ懸命に働き、知恵を絞っても、あと少しの備えと時間が足りず、冬に呑まれていく開拓地もまたあった。それは新しい開拓地が必ず突き当たる壁であり、入植者たちが常に越えなければならない試練でもあった。
※※※※
振舞われた食事は、中々に豪勢なものだったのだろう、多分。豚肉。特に腸詰や塩漬け肉は冬のご馳走だ。畜肉は、特に家畜の餌で味わいが変わるが、ドングリなどを食べさせて太らせた豚の肉は、脂も甘く食材としては悪くなかった。そもそもが普通の纏まった食事が、庶民層では大層なもてなしだし、肉も出るとなれば、間違いなくご馳走――の筈であった。
ラードを使った煮込み豚肉と、脂で焼いた豚肉。脂脂脂――あまり肉と脂を取ってない層であれば、きっと大層、美味に感じられるのだろう。普段から適度に脂を使った料理を食べている者たちにとっては、胃袋が受け付けない。ラードで揚げ物を作っても口を付けない程度に、皆がいい代物を食べている。いまやラードは、スープやシチュウのコクを出す為の調味料の一種だった。
「食べ慣れないご馳走に腹が一杯で……」愛想笑いでお皿の前に置かれた肉料理をナイフとフォークで切り刻む。お腹が出て来たのではないか?などと気にして普段から肉の量を控えていたニナなど、表情を引き攣らせていた。
「リリーは料理が美味いんだな」トリスに囁くように褒められても嬉しくない。何時もは、卑しい食欲を発揮してるジゼルが一皿食べ切ってダウンしていた。猫耳ココは自由な立ち振舞いを利用して中途で席を立ち、外をふらふら歩いている。
巻き毛のルーが食べ切ったのを見て、抜け目のないニナは半分ほど食べたおのれの肉煮込みを渡していた。ルーは顔を輝かしている。
逃げ遅れたトリスが天を仰いだが、農婦がやってきて満面の笑みを浮かべながら、お代わりをニナの皿によそった。半分ほど食べていた筈が、またお皿に一杯に満たされ、強張った笑顔を浮かべるニナ。自業自得であった。
御者たちは別室で食事を振舞われているそうだ。断るのも失礼だし、食べ残すことも出来ない。「いや、勿体ないので、飯盒に入れて持ち帰ってよろしいですか?それとも、あの。残した分は召使いたちの食事などになるなら、残しますが」ニナがぶっちゃけた。賢いな、と思ったが、飯盒を持っているのは、兵隊組のニナとトリスだけである。リリーは目の前に山盛りにされた脂を、半分以上は平らげないといけない。さもないと流石に失礼だ。腐葉土を取引するのに出された食事を半分以上残すとか失礼どころではない。それに豚肉のラード煮は、間違いなく農村にとってはご馳走もご馳走なのだ。忘れもしない農村の少女の頃には、豚肉のラード煮を腹いっぱい食べられるなら、死んでもいいとリリーも願っていた。夢が叶った。死にそうです。
ゆっくりと時間をかけて食べよう。エールなど飲みながら、胃に流し込む。酔っ払った振りもいい。そう考えて時間を稼いでいるリリーだが、「うぃーい」隣でトリスがエールの杯を片手に机に倒れ込んだ。大きな単眼を眠たげに瞬いている。「おやおや、トリス。酒も弱いのにこんなに飲んで」ニナが心配したように背中を撫でた。嘘だ。エールでトリスが酔うはずがない。拠点では、普段から水代わりにカパカパ飲んでいる。ニナが肩を貸して「わたしも酔い過ぎた。いいエールです。良ければ帰りに少し売ってください。少し酔いを醒ましてきますね」トリスを連れて逃げ出した。
目の前には笑顔の旦那。だが、流石に半分以上がいなくなっては逃走を悟られるだろう。最近まで脂の無い生活をしていたジゼルは何とか食べ切った。ルーも。そしてリリーの前には、湯気を立てる豚肉のラード煮。まるで豚肉が溺れるラードの沼だ。
リリーは覚悟を決めた。家に帰る途中で吐くことになるかも知れんけど、呑んで、食べたるわ。仕方ない。貧しい頃には食べ物を吐くほど酒場で深酒する商人やら市民たちを軽蔑してた。街路の汚物に藁を被せて掃き掃除しながら、『食べ物を無駄遣いして、あんなん地獄に落ちるわ』などと思っていた。今になって、市民には市民の付き合いもあったんだろうなと短慮を反省していた。
リリーは頑張った。笑顔を維持して、エールを飲みながら、ラードを腹に流し込んだ。脳の奥が警戒信号を放っていた。あかん、これ以上食べたら、ほんまにあかんことになる。「ふふふふふ」意味もなく口元から笑みが零れ落ちる。手元には、まだ半分以上残っている。と言うより、大きすぎんかな?
リリーがいよいよ死の危険を感じ始めた頃、ルーが突然、立ち上がった。農家には珍しいガラス窓に寄っていって、じっと外を眺めている。
「……どしたん?」リリーも億劫そうにゲップしながら立ち上がって、窓を覗き込んだ。母子だろうか。二人連れの女と子供が歩いていては、雪の道をかき分けて農家の扉を叩いている。
「
やがて母親が近づいてきた。農家の扉を叩いた。旦那は迷惑そうな顔をしている。親切な農婦の召使も、別人のように険しい顔付きだ。
それでも扉を開けると、椀を持った母親と着ぶくれした子供が佇んでいた。「あの……何か貰えないでしょうか?」足元の布で覆った太ももと靴は、雪と泥に濡れていた。「粥の一匙でもいいのです。どうか」
部屋の中に招き入れて、扉を閉める。暖気が逃げてしまうからだ。
暖かい室内でそれでも震えている母子を見やり、ルーが手提げ鞄を探って、ビタ銭を何枚か渡した。廃市街で貧しい一食くらいにはなる程度の金額だ。持ってる銅貨をやるかとも思ったが、ルーは優しいけど金銭感覚はしっかりしている。
「あー、うん。なにかあるかな」隻眼のリリーも言いながら、ポケットを探った。ラードの匂いが漂って、リリーは吐き気を覚え、子供の胃が大きく鳴った。
山羊娘のルーが迷ったようにおのれのお皿と子供を見比べたが「あかんよ」リリーは諫める。
リリーは、財布を取り出した。腐葉土の支払いを済ませても、貨幣と紙幣がぎっしりと詰まっている。(……変な話やな。なんで、こんな大金持っておるんやろ……うちこそ、お貰いさんなってそこらへん彷徨っててもおかしくなかったんやけど。いや、仲間に恵まれたんやね。料理人としての仕事に有りつけたんは有難いことやっと思っておこ)銅貨を三枚ほど取り出して母親に取り出した。まともな食事を取れば一日か、二日。食つなぐだけなら三日は持つ。「ありがとうございます」ホッとした様子で、母親が深々と頭を下げた。
リリーは、他人に頭を下げられて悦に入れる人種ではなかった。頭目のマギーは良くも悪くも上下関係を楽しめる。上下関係の逆転もあり得る、と捉えているから、他者を見下す行為にならないんだろうか。だけど、リリーにとっては、とにかく居心地が悪く感じる。相手の気持ちを想像する。頭を下げるのは悔しいし、情けないだろう。気分の良くない行為です。だから不愛想に頷いて、席へと戻った。
「お客人に施しさせて、わしが何も出さん訳にもいかんな」農家の主がやはり数枚の小銭を手渡した。そして薪とパンを袋に入れてやると「さあ、出て行ってくれ」扉の方へ手を振った。頭を下げた母親が手を引いたが、子供は動こうとしなかった。「さあ、行きましょう」と戸惑った母親がもう一度、手を引いたが、ラードの皿を凝視したまま胃袋を鳴らしている。
農家の主が顔を顰めた。その時にルーが食卓のお皿を手に取ると、ととっと近寄って、母親の椀へと入れた。
「あっ」声を洩らしたリリーは、「こらっ」ルーの頭を軽く叩いた。優しくしていたリリーに叩かれたことがよほど衝撃だったのか。ルーは頭を押さえて、リリーを見上げた。涙がジワリと浮かんでいる。心が痛んだが、それでも言い聞かせなければならない。
「ルー。聞きなさい。出された食事渡すのは失礼かもしれん。ご主人の判断を飛び越えることになるんよ」
ルーは、ふすと鼻息を出した。不満なのか、聞いてるのかは分からない。
「気持ちは分かるけど、勝手に分け与えると、農家の主の顔を潰すんやで。豚肉は乏しい蓄えから出した客へのもてなしで、同時に、冬の貴重な食べ物でもあるんや」
客へのご馳走は、ただの食料ではなく、もてなしには主人の誇りが込められている。そして、施しにも作法や関係性は付き纏うのだと言ってきかせた。
一瞬、強張っていた農家の主も、ため息を一つ吐くと顔を和らげた。隻眼のリリーが、ルーに道理をきちんと言い聞かせたからだろう。「子供の頃は、食べ物があるなら、飢えているものに与えればいいと考えていた」呟いて「子供のしたことだ。優しさによる行いを責めはしません」と頷いてくれた。リリーも頭を下げる。
「リリーさんを恨んでは駄目よ。あなたの為を思っての言葉なんだから」召使いの農婦がルーに声を掛けると、山羊娘は頷いていた。
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なろう風に言うと
そんな悪いことはしてないけれど、運に恵まれなかったお父さん。
幼い我が子と優しい奥さん。育ててくれた婆さん。
命より大事な家族を救おうとしても、もう遅い!
きつい展開描くとストレス溜まる。
徐々にバランス狂いそうになる時にどうやってバランスを保てばいいのか。
優しい世界はあっていいが、ご都合主義はいかん。
残酷な結末や悪意はあっていいが、ご都合悪い主義世界も駄目。
調和を保ち続けるのが難しいんよ。短編なら一場面のバランスで済むけど、長編は何十章も因果と世界の調和を保ち続けんといかん。