「ペペがやられた、心臓を一突きだ」脅えるように周囲を見回しながら、廃屋の一角で漂泊民《ジプシー》は小鳥の囀りのように囁いた。
こそこそと手紙を取り出すと、怪我した胸元に押し付けるように渡してきた。
「ポレシャの防諜は、間抜けじゃない。もうこれ以上付き合いきれない。悪いね、ジルカ」怯え切っている伝令の言い分は理解できた。受け入れるかは別だが。
ペペは用心深い情報屋だった。それがやられた。仲間たちのかなりが死ぬか捕まってる現状、此方の手配がどの程度、スネイクバイトに割れているのかも知る術はない。
頭は痛い。あまりに冷たい外気と負傷の責だろうか。放浪の闇医者は痛み止めの阿片を進めてきたが、ジルカにとっては思考力が鈍る方が好ましくなかった。
「あたしが南に生きて帰れたら、残りの半金を支払うよ」手紙を受け取ったジルカが、当局に売り飛ばしたら、残り半金は入手できないと告げる。
「……ああ、それでいい」意味を悟ったのだろう。苛立ちを浮かべながら、それでも足早に柱の影を縫うように離れていった。沈む船からは鼠が逃げ出すものだ。
「……糞ッ」と遠ざかりながらも柱の陰で洩らした罵声をジルカの鋭い耳が拾った。
「鼠みたいに脅えちゃって……まあ」とは言え、気持ちは分かる。ポレシャの防諜が間近に迫っている気配は、ジルカも感じていた。寒さにも関わらず、無駄な散歩を行う浮浪者《ホーボー》のそれとなく探るような視線やら、同じ顔触れの見かける回数。仲間の天幕をやたらと覗き込んでくる漂泊民《ジプシー》の若者。婆《ババ》様とて独裁者でもなければ、豊かな町に留まりたがる若僧もいるだろう。公式見解では死亡したにも関わらず、ジルカの首には地区保安官補の名で、2000地区通貨が懸けられていた。つまりウロボロスは、赤泥のジルカの生存を疑っている。或いは疑惑の段階で念には念を入れただけかも知れないが、1000地区通貨あれば小屋が買える。大金につられる奴は絶対に出る筈だ。
市の自治区外れにある巨大商業施設の廃墟は、柱や鉄骨、梁などの骨組みが頑強なままに残されており、屋根や壁がありものの資材や瓦礫、布で塞がれていた。雑な修繕だが、真冬の最中に人々が立ち寄る集会場として使うには十分だ。張り巡らされた布や薄い木板、それに土の壁を張っただけの部屋でも、ある程度は冬の寒さを和らげてくれる。
集会場には一握りの木こり党や炭焼き衆、鉱夫団、森人やら山民らが天幕を張って滞在しており、鉄鉱石や薪に炭、木材や腐葉土に茸などを販売している。近隣にはよそ者が多く、他の旅人や放浪者、無宿人《ノークォーター》に流れ職工などもいた。漂泊民に扮したジルカが紛れていてもさほど目立たない。木を隠すなら、森の中。危うい手法ではあるが。
大きな町での冬季の資源交易拠点と用いられているのだろう。行商人や露天商、或いは近隣の農民などもこの寒さの中に来訪しては天幕に泊まり込み、取引を行っている。中には、漂泊民《ジプシー》や旅人と見ると、ただで火に当ててくれて茶を飲ませてくれたり、汁物を分けてくれる親切な者らもいた。代わりに連中、他所の土地の話を聞きたがる。他所に無知な農民――安定した暮らしの代償だ――と違い、ある程度は遠来の事情にも通じてる連中だから、出鱈目では誤魔化せないが、ある程度、旅してきた土地の事情や情勢を話してやれば満足してくれる。
漂泊民《ジプシー》たちが滞在してる空き地まで戻ろうと歩き出したジルカだが、肩から胸まで激痛が走り抜けた。蹲って痛みが去るのを待つが、冷や汗が首筋までを濡らす。切り傷が開いたか。包帯の下、血が滲んでいた。小柄なランツクネヒトの女隊長は、油断できない剣士だった。かなり鋭い斬撃で、黒騎士が援護に入らなかったら多分、其の儘、やられていた。いや、問題は一人、二人の個人的な武勇ではない。味方にも、あれくらいの剣士は、二、三人はいたのだから。
深手に動けぬ中、影に横たえられたジルカの目の前で、数で優っていた味方が乱戦の中、一人、また一人と屠られ、気づけば寡兵で敗走する羽目に追い込まれていた。
どうやって負けたかすらもジルカには分からなかった。理解を超えた速度で味方の士気と戦列が崩れた。相手は乱戦で普通に統率を取っていたにも拘らず、だ。領域国家の一線級将校にすら匹敵すると言われていた相手。侮るつもりなかったが、苦々しくも認めるしかない。こと戦闘の指揮に限れば、ウロボロスは明白に赤泥のジルカを上回っていた。かつて、あれほどの指揮官に遭遇したことはない。
正規軍なにするものぞと、それまで思っていた。追跡してきた正規軍を幾度となくゲリラ戦で翻弄し、引っ掻き回した経験はあった。
(……大国の一線級に引けを取らない、か)おのれを敗走させた相手の評判にジルカは自嘲の笑みを浮かべた。ならば、あれが平均ではないにしろ、上澄みに匹敵するのならば、それで正しかったのだ。此の侭、慢心していたら、真正面から戦っても負けまいと、何時の日か、取り返しのつかない判断を下していたかも知れない。
生き残れば、教訓となる……が、背筋を悪寒が駆け抜けていた。柱の陰に隠れようとして、それすら出来ずに蹲った。死ぬのだろうか。此の侭……頭にくるなぁ。ジョージアの馬鹿め。口の中で罵っているジルカの傍を、人の足音が通り過ぎていった。
気が遠くなる。と、一度通り過ぎていったはずの足音が引き返してきて、立ち止まった。「なあ、こいつ……行き倒れかな?」鼠の干し肉を杖から吊るしている浮浪児たちの一団がジルカを覗き込んでいた。
※※※※
自由都市ズールは繁華街に店を構える【双つ星亭】は、立派な店構えの割に普段から客の入りが少なかった。表通りに面した扉には、準備中の札が掛けられている。とは言え、文明の衰退した世界でよくあるように、利便性の兼ね合いから酒場は宿屋を兼ねていた。営業時間外でも、泊り客は勝手に出入りし、常連客も裏通りの入り口や横合いの路地から勝手に入ってくる。
客層は宜しくない。例えば、金を持った商人が傭兵団の代理人と連絡を取るのに待ち合わせもすれば、密輸業者が吊るされた仲間を偲んで酒杯を傾けもする。堅気の人間は踏み込まない方がいい場所だ。
新参者の若い銃士《ガンマン》が粉を掛けてくる。マギーちゃんは美形だから仕方ないのだが「君な。こんな店に出入りしてたら碌な大人にならんぜ」と窘めて営業妨害してみると、顔を真っ赤にして、大人しく引き下がった。若者の仲間と思しき男女の銃士《ガンマン》の一団が、害の無い陽気な笑い声を出している。揉め事にはなるまい。
鬱陶しそうに通り過ぎて、何時もの席に座った。「畜生、バルドの奴が縛り首になっちまった」カウンターで飲みながら嘆いてる密輸業者と二、三の近況や噂話を交わしたマギーちゃんは、店主のマーカス・ダウエルが銀貨の袋と引き換えに持ってきた南方の資料を受け取った。
「赤泥のジルカを仕留めたそうだな。話を聞かせろよ、スネイクバイト」席で取り巻き連れた傭兵隊長と思しき赤ら顔の大男に声を掛けられるも、「また今度ね。まだ仕事の途中で、面倒なのが一人、二人残っている」ほほ笑みを返して軽くいなして、通り過ぎた。その傭兵隊長ブッチャーも面倒な輩の一人だが、敵対はしていない。ただ残酷な男なのでマギーは些か警戒している。普通に談笑していた相手を次の瞬間、刺し殺してるような男だ。余り侮られると食い物にしようと仕掛けてくるかもしれない。幸い、今のところ互いに警戒はしている。まあ、悪党はブッチャー一人でもない。互いに手勢を集めて潰し合っても、他の奴が漁夫の利占めるだけだ。(……まったく、浮世は悪党ばかりが幅を利かせて嫌になるわい)と、マギーちゃんはため息を漏らした。
隅の席のカンテラの下でジーナ・
「で、これからいかがされますか?」ジーナ・
「マギーが相手をなさるのですか?ポレシャ軍に任せた方が無難では?」ジーナ・
「最悪、ポレシャ圏に侵入されて農村食い潰されたり、盗賊と合流されて脅かされるなんて可能性もあるから、途中で捕捉して仕留めておきたいです」マギーが告げると「ですが……相手は、黒騎士グレアムですよ?」ジーナが告げる。
「デスハンズだか、なんだか知らんけど、どうにでもなると思いますよ、多分」マギーちゃんは気楽に請け負ってみせた。
「……侮り過ぎでは?」ジーナ・
「だって、こいつ。やり口が、何時も同じじゃないですか。むしろ、なんでこんな奴が地獄の黒騎士扱いされてるんです?」資料を持ちながら、手を振ったマギーちゃん。
「順当では?死を恐れてないようにすら思えます」とジーナ。
「恐怖を持ち合わせていない人間には三種類。死を恐れていない者。死を望んでいる者。そして想像力の欠如している者」マギーは歌うように囁いてから「グレアム君はどれかな?おのれより強いものとの遭遇を想定していない、なんてつまらないオチは無しにしてくれよ?」
「多分、ジーナだってそう思ってるでしょう?本当は君。私より強いんじゃないかって思う時もあります」マギーがジーナ・
「あん♡……なんです、いきなり。なにするんですか?道のど真ん中で?!」
真冬とは言え、そこは自由都市の商業区域。厚着を羽織った市民たちや裕福な商人たちが往来を歩いている。近くにいた厚着の青年がギョッとしたように、それから首を振って、「いいものを見た」呟きながら去っていった。
「部下に変に買いかぶっても、危機の時に対応できず、期待に応えられないのもいやですよ。正確に把握してください。あんたより強い人はあんまりいませんよ。自分の力を自覚してください」ジーナ・
「はぁい」マギーは頷いた。
「それと黒騎士グレアムを侮らないでください。強敵です」ジーナの言い分に不満そうなマギーが「えー?」と唸った。
「もしかしたら、すっげェ強い騎兵集団で、こっちがコテンパンかもしれんです、そん時は一緒に死んでやるけどさ」ジーナ・
※※※※
変異者の少女たち。単眼と猫耳の二人組が冬の街路を歩いていた。二人は行商人の徒弟で、時折、懐からメモ帳を取り出しては、こそこそと読んでいる。親方は、相場の読み方を教えてくれ、取引も傍らで見せてくれた。さらに駆け出しの行商として、試行錯誤出来るだけの賃金も貰っている。失敗しても取り返しは付くし、成功すれば経験を積んで稼げるのだ。場所ごとの商業免許。地回りや夜警との見えない力関係。稼ぐのは少し恐いが、もっと幼い行商人もいる。二人一緒なら勇気も出せるというものだ。
親方がやり方を教えてくれたのは、冬の町外れ地区や自治地区での、農民や庶民相手の取引方法だ。薪や食べ物の高くなる冬場。現金が欲しい
親方が自分の稼ぎの種を教えてくれたのは、誰でも良くやる方法でさほど競合しないことに加えて、おのれが冬場でも自由都市と取引できる目途が付いたからだろう。そこら辺、徒弟に優しい――甘いと言っていい範疇だけれど、全くの駄々甘ではない。そして今日、そこそこの日用品を幾つか安めに仕入れた。後は、これを春先に売るだけで小銭にはなる。逆に言うと、残念ではあるけれど小遣い稼ぎでしかない。今の生活水準を維持することは出来ない。
金が欲しい、と思うのは悪いことではない。その為に何処までするかは、考えておかなければならない、と言っていた。『どこで線を引くかを自分で決めなさい』と言う訳だ。思考の土台そのものを誘導されているが「これは教育の範疇であるよ、うん」と単眼の徒弟トリスは相棒の猫耳ココと頷き合っている。悪い教育ではない。家具なども売れそうな品があったが、残念ながらトリスとココには、在庫を仕舞える場所がなかった。文明崩壊後の世界では、前近代社会と同じく売れる家具はそれ自体が貴重で資産ともなるし、税も弱いので、何年も保持し続ける商会も珍しくはない。それらがまた高めに売れる時まで眠らせるのだ。
倉庫持ちの利点と、いかに知り合うか。伝手や紹介を得る方法。親方が建て増すのを待つだけでいいのではないか、などと言い合いながら道を歩いている二人は、大きな背嚢を背負っており、兵隊のように燧石銃《フリントロック》を担ぎ、ベルトにはフリントロック短銃。腰にはカトラスをぶら下げている。やや治安がよくない通りを差し掛かった時、暗がりの柱の影や廃屋の窓から、薄暗い顔が通行人を値踏みするように覗き込んでいた。
少女たちが金を持っているのは間違いないが、以前はちょっかいを掛けてきた不良少年少女の浮浪児たちも、この間の市街戦から絡んでこない。親方マギーは、四十人の傭兵と十数名の牧者や射手を地区に手配して、同数くらいの黒騎士や浮浪傭兵、放浪者や漂泊民と殺し合った。浮浪児の徒党など指一つ動かすだけで消してしまえるだろう。とでも怯えてるのかもしれない。
強い後ろ盾は最高だと思う。しかも、理知的で態度が一貫しており、なにを怒るか、なにを許すかの範囲が公正で明確だ。全能者の振りもしない。徒弟たちの前で居候ジゼルの使い道については考えがある。でも、大丈夫かな?あいつとも首を傾げて零しもする。いつも通りに相応の考えを持ちながらも、自信や成功で盲目になってない。考えの殆んどが成功するし、失敗も想定してカバーできる。見切りも早い。経験も積ませてくれる。
神か、神だわ。失敗しないからではない。時々、失敗しても想定してリカバーし、新しい手を考えるのが恐ろしく早い。あらかじめ考えて説明してくれることも多い。まず、出来ない事に手を出さない。怪物と戦う時も、衒いをせずに、逃げることを想定している。ただ、組み立てた作戦が上手すぎて、一度も逃げる必要が無かっただけだ。だから態々、誰かが負傷したり、逃げる時の練習をしているくらいだ。親方は時間と共に強くなる。そして手下を――少なくとも忠実な身内を使い捨てにはしない。死なせないと言う訳ではない。そこまで全能でもないし甘くもないが、危険がある時は想定し、備え、説明してくれる。トリスは親方の欠点を探す―――レズか?
徒弟トリスも猫耳ココと、軽めのキスくらいはする。ココが頬を舐めてくるから、笑いながら舐め返したら、舌が振れただけだ。でも、それは挨拶だ。
「挨拶じゃないぞ」しかし、セシリアは包帯を巻いた指を振りながら、「それは断じて挨拶ではない」断言した。
敷地に戻ると、久しぶりに顔を見せたセシリア。病院でへし折られた指の治療を受けていた。細胞賦活剤を用いたものの、少し関節に後遺症が残るそうだ。
「まだ痛む」言いながら、ストーブの近くで暖かくなった巻き毛のルーを抱きしめていた。ニナと話していたセシリアは「姫さまがジャッコーニ参事たちと盛んに合っている。対策を練っているんですが……」とトリスたちにも囁いてきた。
それがどうしたのだろう?何の対策よ?首を傾げるトリスと猫耳ココだが、セシリア。顔を顰めながら「敵の領主からの正式な使者がやってきて、戦争犯罪者として姫さまの身柄を正式に請求してきました。正攻法ですね。で、身柄引き渡しの対価としてポレシャ市に対して20000大陸通貨を銀貨で支払う準備があるそうです」陰鬱な表情でのたまった。
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ネタバレ
乱戦で指揮を執るなんて、そんなの無理だから、あらかじめ乱戦突入を想定しての、味方の守備範囲を決めて連携しやすい配置を定めていた。
経験豊富な良い将校と熟練した部下なら、やってる奴は時折いる。勿論、上澄み層で、普通はそこまでやってこない。