自由民主主義を志向するポレシャ人市民たちにも、密かな政治的欲望を抱いている者たちはいた。例えば、議会に立派な設備が欲しい、とかだ。出来れば、密かにライバル視しているズール都の議会のように、大きな議長席とローマ元老院のような
黄昏の時代に生まれながら、自由主義と民主制に憧れる一部参事たちだが、歴史上に本物の民主主義が存在したことなど一度もあるまいと皮肉っぽく考えている者らも当然に含まれている。キャロル・スタンフィールド氏は、名家の生まれの若者として議会に席を占めながら、到底、熱心な参事とは言えなかった。それでも故郷を愛している気持ちに嘘はなかったし、その理念に一定の敬意も払っていたので、自由主義政体の参事として、政治的亡命者に対しては受け入れる立場を取っている。
「つまり先日の市街戦は、ポレシャに転がり込んできた逃亡者と、追ってきた賞金稼ぎの為に発生したと言うことか?」議場に響き渡っていた甲高い声に対して、厭らしさと嫌悪感を覚えるのは、発言者への先入観か。それとも直感の仕業だろうか。
「逃亡者ではなく、亡命者だ」パオロ・ジャッコーニ参事が訂正する。
「議会では認めていないぞ」と噛みついてくる甲高い声の持ち主。
「所定の手続きは、済ませてある。君は存じてないようだが、ポレシャ市は自由主義を原則としている。ゆえに、一定の資産や技能、知識を持つものの移住と亡命に関しては原則、犯罪をおかしてない限り受け入れる」パオロ爺さんが反論している。
「そのような重要人物の亡命を、一部の参事が独断で行ったと認めるのですな!」老人の甲高い声に苛立ちを抑えきれず、スタンフィールド氏は薄目を見開いた。
卑劣なレトリックだ。髭爺さんは、論点をずらしている。しかし、パオロ爺さんもさるもの。「さて、まずは亡命者として受け入れたことが適法だったのは間違いないと合意を戴いたところで、このポレシャ市に対して卑劣な攻撃を目論んだ者たちに対して我々は次なる備えを……」あっさりと受け流してみせた。キャロル・スタンフィールドには真似できない話術だ。悪意や敵意、嘲弄に対して、あそこまで平然と受け流し、対処することは出来ない。
「ポレシャ市は自由主義の民主社会であるがゆえにこそ、他所から転がり込んできた亡命貴族の争いに巻き込まれる由縁は無い」髭老人が髭の先端を震わせて追及している。
「ポレシャ市は、ガルダ領に対して借りがある」とパオロ爺さんは冷静に切り返している。他の参事たちは互いに耳打ちしながら、沈黙を守っている。
「一部の参議と法執行官が、独断で危険な逃亡者を引き入れた上、市街戦を引き起こした。これは罷免だけではなく、犯罪行為。それも市に対する危険な反逆行為ではなかろうか」髭爺の言い分に対して、キャロル・スタンフィールドは立ち上がった。そして髭爺に歩み寄り、泣き叫ぶ髭爺から髭を素手でむしり取ってやった。想像の中で。
「ポレシャ及びガルダは、難民の相互扶助条約を結んでいる。また、市街戦を引き起こしたのは一重に追跡者で有って、防衛活動に対して責任を追及する謂れは全くない」パオロ爺さんの言い分は真っ当な筈だが、今日は何故か、些か分が悪い。普段、中立の参事たちが予想以上に、彼方の意見に賛同する節を見せている。幸い、前市長である議長はやる気がない、と言うよりは中立を崩すつもりがないようで、どちらにも肩入れをせずに手元の時計を見ていた。「休憩を挟もうじゃないか、諸君」時間は常に限られている。
昼休み。休憩室で紅茶を飲みながら、スタンフィールド氏は瞼を揉んだ。静かに目を閉じているパオロ爺さん。普段なら歩き回って根回しする老練な参事が、いつもと違い、働きかけようとはしていない。参事会の空気を読み切ったからか。今回の一件で味方もいるものの中立の参事たち、どうにも反応が悪かった。
そして民兵隊のヘルナル大尉、そしてエヴァンス主席保安官は、出席しつつも、いつも通りに冷然と中立を守っている。二人とも時計を気にしているのは、何時ものように別の仕事が山積みだからだろう。午後の議会には出席せずに帰宅してしまうかも知れない。それはさらに拙い。
功績や能力、人格からしても、ただの二票ではなく議場の安定装置だ。重しが無くなる。
「今日中の採決をされたら、拙い。拙いよ。なし崩しに姫さまの追放までいかれそうだ」スタンフィールド氏が呟いていると、知己のシエル・ガライ女史。犬を抱きながら、歩み寄ってきた。
「あら、まあ、スタンフィー。旗色が悪そうだわね」郊外に大きな農場を経営するガライ家の娘――シエル・ガライは敵ではない。ただ、味方でもない。女騎士クリスティーネ・モーデュソンとは犬猿の仲だが、それ以外の相手に対しては基本、傍観者で、なにか面白そうな局面なら敵にも味方にもなる。
今はいい子のクリスだが、少女の頃はとんだ悪餓鬼で同年代は大体、殴られていた。シエル・ガライやキャロル・スタンフィールドも例外ではない。小さな町国家なので個人的因縁が大人や老人になっても継続している。殴られなかったのは馬泥棒の一団を追跡して仕留めた少女キャシディ・エヴァンスくらいで、遭遇するとモーデュソン兄妹さえ目を伏せていた。シエル・ガライは、サトウキビを持ってきて枯らしているので、その点でも甜菜を育てて製糖業で上手く稼いでるクリスの一家を嫌ってるかもしれない。辺土の小都市ですら、利害や因縁などはあるものだ。
隣に腰かけたシエル・ガライ参事は「髭爺、買収してるわよ」と悪戯っぽく囁いた。へえ、とスタンフィールド氏。
「買収してる。と言っても贈り物程度だけどね」シエル嬢は、言葉を続けた。
「うちの兄も、綺麗なガラス瓶を貰って喜んでたわ。あれ多分、ヘルナル大尉が持ってるのと同じ古いビンテージの酒瓶ね。大尉の品のいいコレクション羨ましがってたから」
「本家の使用人が教えてくれたわ。で、使用人同士の繋がりで聞いてきたのだけれど、妙な客人が髭爺のところに来てね。召使いが見てたそうよ」シエル・ガライは種明かししてくれる。とは言え、口が軽いと言うよりは、用心深い名家の人間なら当たり前に使う手法だから、裏を取りたいならご自由に、と言うことだろうか。
「ヘルナル大尉とエヴァンス保安官は、一目置いてるマギーなら庇うでしょうけど、パオロ爺さんは辛い立場ね。常任参事から引きずり降ろされるかも」シエル嬢は至極どうでもよさげに告げた。髭爺さんにも、パオロ爺さんにも肩入れする様子ではない。シエルが嫌いなのはモーデュソン兄妹で、農場主の娘としての敵は、馬泥棒や家畜泥棒、性質の悪い放浪者たちだ。だから、強盗団や家畜泥棒が恐れるキャシディ・エヴァンス保安官には常に好意的だ。一方、市民同士の角突合いには興味が薄いのだろう。
「それが狙い?髭爺は、自分がなりたがってるのかな」スタンフィールド氏が首を傾げている。
「成り上がりですからね。老ジャッコーニは目の上のたんこぶでしょうよ。出世欲を悪いとは言わないけど役には不足よね」シエル・ガライはどうでもよさそうに小さく欠伸をした。
「今のままだとちょっとまずいけど、なんとかならない?」スタンフィールド氏は、シエル・ガライに懇願するように囁きかけた。
「……なるけど。なにしてくれる?」農場の娘は尋ねてきた。
「現金とか稀覯本とか、俺のコレクションからなんでも……じゃ駄目だよなぁ」シエル・ガライから冷たい視線を向けられて、スタンフィールド氏はため息を吐いた。
「D&Dやら、ウォーハンマーのメタルフィギュアなんか興味ないわよ。ファンタジー小説もね。コレクションに『開拓者』とか『大地の巨人』とかない訳?」開拓小説の名著を上げてきたが、「なにそれ」とスタンフィールド氏。
「呆れた。『森の生活』も読んだこと無さそう」シエル・ガライは肩を竦めた。
天井を見上げて考え込んだスタンフィールド氏は「貸し一つってのは?」とニヤリと笑った。
「あんたが、なんでも言うこと聞くの?」とシエル嬢も笑いながら尋ねてきた。
「君が困った時に、俺やマギーちゃんが助けに行く。どうかな?」
「あら、マギーの分も約束していいの?随分と信頼厚いわね。私なんか最近、お見限りなのに」言ったシエル・ガライが、瞳を潜めて「暴力沙汰ではなく、あんたたちの伝手で手に入りそうな代物を頼んでもいいのよね?」そう確認してきた。
「むしろ、その方が有難いね」スタンフィールド氏が笑みを返すと「いいわ。ちょっと市長に働きかけて上げる。ただし、後は自力でなんとかしなさい。それと、借りを忘れたらただじゃ起きませんことよ。キャロル・スタンフィールド」シエル・ガライは立ち上がると、そう宣告した。
※※※※
赤泥のジルカは高名な賞金稼ぎだ。とは言え、一流とされる同業者は他にも幾人かはいる。スネイクバイトのウロボロスもその一人で、傭兵として幾度かの敗走はあれども、賞金稼ぎとしては、最高の一人に数え上げられている。数千の懸賞金を掛けられた賞金首を単独、或いは少人数で狩ってみせた者はそうはいない。ただ、流石に五桁の賞金首には手を出していない。一万《テン・サウザンド》以上の広域手配・賞金首となるとこれは別物で、恐るべき脅威が存在していると他所の地域に知らせ、被害者を減らす為の手配となっている。
ウロボロス。一流の傭兵で、凄腕の賞金稼ぎ。そして最高の護衛。流れの銃士や傭兵、自由騎兵や放浪騎士などが集まる場末の酒場で、赤泥のジルカと並び、畏れ、湛えられる
町に息を潜める標的の居場所を突き止め、人員を手配し、襲撃を掛けた時、ウロボロスは見事に即応してみせた。二十名ものランツクネヒトの堅陣を短時間で展開した手際には、それでこそと感心したものだ。脱出路を用意し、二陣、三陣と立ちはだかってくる傭兵や射手の展開の速さと来たら、感心を越えて戦慄を禁じ得なかった。だって何時、襲い掛かるとも分からないジルカの手勢を前に、僅かな時間で兵力を展開させてくる。どういう即応体制だと目を疑った。
最後には、小さな要塞まで築いていた。或いはそれでさえも囮であったかも知れないが。それでも、途中のウロボロスの兵の足止めには、かき集めた放浪者や部族戦士、浮浪傭兵などを当て、残った黒騎士と無宿人《ノークォーター》たちを突入させた。それこそ容易く崩れるはずのない精兵たちが、しかし、短時間で崩壊させられた。アサルトライフルや機銃での掃射などはなかった。強力な火器を持つ無宿人《ノークォーター》たちも弾薬を殆んど使い果たしている。あとは互いに似たような単発式の火器や白兵で盛んに動き回り、遮蔽を取り、しかし、見る間に仲間たちが倒れて……
間近に火の弾ける音がした。目を開けると、僅かな隙間風に火花が目の前を舞っている。土や藁が壁の亀裂に詰められていたが、微かな空気が流れていた。それでも換気は弱く、頭の芯に重たい痛みが宿っていた。ただ、気分の悪さは随分とマシになっていた。毛布に横たえられ、近くに欠けた焼物のコップと水入れがあった。
目を覚ました直後、少しだけ意識は混乱していた。記憶の整合性が取れない。敗北し、顔見知りの漂泊民《ジプシー》たちに助けられ、手当てを受けた。数日を潜んでから、連絡員と繋ぎを取り……それから……吐き気を覚えて、思考を中断する。
火から僅かに離れるとひどく薄暗かった。コンクリートの壁際には水の入った瓶が並んでいる。片耳の欠けた猫耳が「目を覚ました」と振り返った。「水を飲ませよう」「お湯の方がいい」少年と猫耳が言い合って、瓶から薬缶に水が注がれた。焚火に掛けられた五徳の上に薬缶が置かれる。何処からか不気味な呻き声が聞こえてきた。壁に揺れてる小さな人影が全て静止した。少年が唇に指を当てる。怯えたように全員が、木で封じられた窓や壁、屋根を見上げている。咀嚼音。少年や猫耳が視線を室内に走らせた。数を数えあい、指で数字を出し、安堵が瞳に浮かんだ。
(……屍者が外にいて何かを喰らっている?)すると、ここは自治地区でも無さそうだ。多分、廃市街か。もっと悪ければ廃墟領域に隠れ潜む浮浪児たちの拠点。壁の外から聞こえる呻きが二つに増えていた。薪の弾ける音が響いた。少年が大きく目を見開いた。しかし、よろめくような足音が二つ、呻きと共に徐々に遠ざかっていった。目を閉じ、静かに鼻からか細い息を吐いた。
「わにゃ」「恐かったぞ」「にゃあ」囁きを交わし合い、しゃがみ込んでコップにお湯を入れて、口に運んでくる。ジルカは大人しく飲んだ。助けられたのだろう。小さな刀で干した鼠肉を削り、雑穀を入れた粥を作っていた。一口ずつ食べて微笑んだ。
ジルカの前にも粥の皿を置いた。笑いたくなった。
(赤泥のジルカともあろう者が……)
口を付けないので首を傾げてる。皆、小柄で痩せている。疑うのも気の毒なほどに純朴な子供らに見える。いや、これが演技なら騙されてやろう。どのみち、好きにできたはずだ。
お粥を腹に入れる。暖かい。「ありがとう」言うと子供らは嬉しそうに笑う。身体が栄養を欲してるのか。胃が鳴り始めた。困ったように鍋を見るので、ジルカは静かに目を閉じた。食べ物に乏しいのは分かる。汗を掻いたのか。酷く喉が渇いていた。お湯は。いや、水には困ってないようだ。沢山の瓶が並んでいる。
子供たちは多分、何処にでもいる浮浪児だ。親はいないか、捨てられたか。或いは逸れたのかも知れない。兎も角も、共同生活をしている。そして冬を越えるたびに櫛の歯のように誰かが欠けていく。数年後には、一人、二人しか生き残ってないかも知れない。毛布は見当たらなかった。細い薪や藁束などを燃やしている。薄い布を重ね合って暖を取り、互いの体温で寒さを凌いでいる。気づかされた。毛布、ジルカの背に敷かれているのが唯一の毛布だろうか。動こうとして、軋むような背筋の痛みに喘いだ。苦痛に冷たい汗が吹き出し、乱れた呼吸を喘ぎながら整えた。
なにも出来そうにない。見切り、現状を把握する為に懐から手紙を取り出した。手紙を開いて、火の近くで視線を走らせてみれば、雇い主からの通信は、意外にもさほどジルカを咎めてはいなかった。スネイクバイトのウロボロスもまた一流として知られているからか、失望を露にしつつも、克ち合ってしまった不運を慰め、標的であるアーシア・オブ・ガルダがポレシャ市に身を潜めているのを突き止めたことを称賛し、報酬を約束していた。それから最後に、黒騎士グレアムをこちらに差し向けた事。ポレシャ市ごと焼き尽くされたくなければ、早々に避難するように警告していた。勿論、暗号文ではあるが、おおよその文意を読み取ることはできた。
ジルカは要点だけをおのれの暗号で紙に書き写してから、手紙を焚火にくべ、それから目を閉じる。(……グレアムが来る。あの地獄の騎士が。全てを馬蹄に掛け、何もかもを焼き尽くす為に)外では、風を叩きつけるように冬の嵐が荒れ狂っていた。
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マギーちゃん「……地獄の騎士ww」