277年の1月上旬、真冬が到来しつつあった。
マギーちゃんは、ストーブを焚いた小屋の中で微睡んでいた。為すべきことは大方をやり終えた。仕事の無い時間を気楽に過ごしている。ガルダ人たちがどうなるのか。パオロ爺さんやスタンフィールド氏がいかな取引を持ち掛け、アーシア姫がいかな決断をするか。多少の好奇心はそそられるも、知らないでもいいことだ。ガルダの遺産については、連絡員として詳細を知らされた。ならば、成り行きもおおよその想像はついた。セシリアがどんな未来を選ぶかも、おのれで決めること。危険を伴った仕事であったから、今はただ無事に生きて帰れたことを喜んでいる。付き合ってくれた仲間たちも、皆で毛布を被ってごろごろしていた。マギーちゃんは毛布の下でただ幸せを噛み締めている。
外の気温は、真昼でさえ零下五度を下回っている。マギーたちの防寒具は相当に性能が良い代物だが、それでも今の時期、他所の居留地との往来は躊躇われる。出歩くにしても、市内の他の地区やら、精々が歩いて半日の農村一帯くらいだ。
寒さによって世界が閉じつつある。無理をすれば、自由都市で行商の仕入れが出来ないことはないし稼げなくもないが、やるとしても入念に準備をして、あと一度程度に留めるつもりだ。
ジゼルは魘されていた。時々、誰かしらが魘される。貧しいものは、冬の寒さに誰かしら、親しい人を失った経験があるからだ。ルーも夜、鳴いたりする。誰も責めたりはしない。リリーが抱きしめると、ルーはフスフスと鳴きながら、静かになる。
今だって近所やら地区のちょっとした知り合いは、冬に命を落とすことが多い。貧民ばかりではない。取引先の商人や家族、或いは市民や都市の富裕な商人でさえ、肺炎を患って命を落とすことがある。
だから、逆に他人と触れ合って寝るのは悪くない。いや、流石に九人は、少し手狭だ。来年はもう少し、小屋を広く増築しよう。それに金も溜まった。昔の仲間の為に小さな廃兵院を建てても良いし、驢馬を買ってもいい。運べる品が増えれば、稼ぎも増える。天井を眺めながら、やっとここまで来たと感慨に浸ってみた。
木板、釘、ポリスチレンが幾らでも……と言うと語弊があるが、仕入れられるのは悪くない。冬のポレシャ市や自治区に農村地帯。それに近隣の小さな集落や部落では今も寒さに震え、腹を空かせて縮こまっている者たちがいる。それが当たり前で、マギーの全身全霊を持ってして、貧困から抜け出せるとも限らなかった。ニナとジーナ・
外では、吹雪が唸りを上げていた。最近、薪の減りが早い。盗んでいる者がいるのかも知れない。燧石銃《フリントロック》を携えた歩哨がいる家に忍び込むのだ。よんどころない事情ではあるのだろう。生きる為には、火が必要で、僅かな量であれば、上手くやったものだと思うだけだが、結構な量を盗まれている気もする。
壁際に大量に積まれているから、正確には分からないが。しかし、用心棒のリジィやニナ、それにトリスや猫耳ココだって暖かい時間には歩哨に立っている。その目を盗んで持っていけるものだろうか?まあ、いい。見つけたら仲間の誰かが撃ち殺すかもしれないし、或いは、狡猾さを見込んで仕事で使うかも知れない。
或いは、単にマギーがいない時に、近所の連中とか、面倒を見ている浮浪児徒党のムーア君たちが来て、誰かが分け与えてるだけかも。欠伸をして、仲間たちの肉布団の中に埋もれた。やはり狭い。八人がギリギリで、寝ている時、靴下が鼻づらの先に来るのは、ちょっとだけ堪えた。冬が明けて資材が溜まったら、やはり真っ先に増築するとしよう。
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曠野の何処でも見かけるような廃市街が、例によってポレシャ市の近隣地帯にも広がっている。廃墟には屍者や巨大蟻、変異獣が付き物で、近隣農村や小さな集落の住人たちは、常に恐怖を孕んだ警戒の眼差しを廃墟領域や廃市街へと向けている。
巨大な廃墟ほどに巣食っている屍者や怪物は多くなる。ポレシャ市近郊の数キロ四方にも及ぶ巨大な廃墟領域ともなれば、或いは、数千の屍者が潜んでるかもしれない。多分、それより少ないかも知れないが、或いは、もっと多いかも知れない。
時折、他所の土地から彷徨い歩いてきた屍者が吸い込まれるように廃墟領域へと入り込んでいくのを抜け目ない狩人《ハンター》や農民たちは目にしている。だが、それと同じくらいに廃市街から彷徨い出て保安官や武装農民、レンジャーや狩人《ハンター》に始末されたり、或いは地平の彼方へと歩き去っていく屍者も少なからずいる。一方、廃墟より湧き出した数千の屍者の群れや数百の変異獣が、ある日、唐突に都市へと襲い掛かって丸ごと呑み込んだ事例も、曠野の歴史には伝わっている。
だけれども、ポレシャ一帯は、酒場の酔っ払いたちが不安げに囁くほど危機的な状況にある訳でもないだろう。市は定期的に間引きを行っているし、廃墟の街路に防衛線や監視所も構築済みだ。レンジャーや廃墟漁りを雇っては地図を製作し、怪物の数も調査している。多分、相当に削っている筈だが、正確な数は測るべくもない。廃墟は分からないことだらけで、それでも人々は、脅威に寄り添いながら不安を抱えて生きていくしかない。ともかくもポレシャ市は能う限りの対策を打って、廃墟領域の怪物たちを間引き、人間との居住域との間に緩衝地帯を作り出していた。
ところで、追い詰められた人間は、正気の者たちにはとても思いつかないような途轍もない創造性を発揮してみせるものだ。安住の地を求める
そうしてポレシャ市は、二者択一を迫られた。近隣廃墟に根付いた哀れな連中を――多少は武装して、喪うものがない
屍者の氾濫や変異獣の暴走が起こった際、真っ先に餌食となるか、新鮮な屍者として敵の先鋒へと転じかねない不法入居者たちに頭を悩ませながら、ポレシャ市の人々は、それでも廃市街の連中が怪物をある程度、防げるよう要望を伝えて、屍者に襲われた際、せめて一人で一体は倒してくれるよう武装や物資、薪や食料を援助しつつ、防衛ラインを見直して構築する羽目に陥った。大半の都市が大きな町から脱皮して、都市へと転じる際に経験する、際限のない泥沼の問題へと直面していたのだ。つまり、実際には有り触れた事例でもあった。
ところで、ポレシャ市はおろか、廃市街の新参である放浪民連中さえも想像していなかったことだが、怪物よりも人を恐れる、より貧しく、行き場のない難民たちにとっては、廃墟領域外縁―――武装放浪者さえ屍者が多いために近寄らない危険な廃墟の一帯こそが、それでも怪物に見つからずに冬を越せ、他者にも脅かされない最後の希望の土地でもあった。彼らは追放された者たち、身寄りのない老人、親を失ったり、捨てられた子供、不具者、病人、貧しくて税が払えない者、仲間と逸れた者、逃亡した奴隷や召使い、故郷が滅んだり、土地を奪われた者の雑多な集まりであった。以上が、俗に言う廃墟生活者ら誕生の経緯である。
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廃墟領域での暮らしは、単純な貧民窟ともいささか趣が違う。屍者の呻きが常に響いている。 見知らぬ路地や街路、廃屋などに迂闊に踏み込めば、文字通りに命に係わるのみならず、噛まれたものが新たな屍者となり果てる。最悪、隠れ家でひっそりと暮らす仲間たちを同類へ引きずり込まんとするかのように、新たな同胞を引き連れて生前の記憶にうっすら残る塒へ押し寄せてくる悲劇が起きたりもする。
ポレシャは良い土地だと住人たちは口を揃えて、口々に讃えている。多分、そうなのだろう。市民街区や門前の商業区は厳重に守られているそうだ。町外れでさえ、裕福な住人がマスケット銃を買い揃え、私兵を用いて、近隣廃墟の屍者や野犬、巨大蟻などを掃討しているそうだ。自治区や農村も厳重に武装し、防柵や土嚢、バリケードも張られて守られている。
廃墟に暮らす子供たちが夢見るのは大抵、比較的にマシな廃市街での生活だ。住人たちは農村や自治区に出掛けて仕事を探し、夜には厳重に守られた建物に籠って、寝起きしている。街路を変異獣や狼、コヨーテが駆け抜けるも、人々は武装しているし、怪物や野生動物が入れないよう瓦礫を積んだ広場には市場だって開かれている。屍者たちからただ逃げ回るだけでなく、対抗し、戦う気概と武装を兼ね備えている。
自治区や農村に暮らす者たちからすれば、恐らく廃市街でさえ危険地帯なのだ。それでも、さらに外側で暮らす廃墟生活者たちからすれば、まだ実りある人生を送れる安全な地区だ。焦がれるように覗いても、どうすれば手に入るかも分からない。身分証もなければ、身寄りや伝手、保証人もいない。誰を頼ればいいのか知らない。世間知のミッシングリンクが大きすぎて、かなりの才人でも容易くは渡れない。
手さぐりに進む道のりとて難しい。人買いに目を付けられたり、泥棒一味の手先にされるなど埋まっている地雷もあれば、世知辛くも廃墟鉱夫や農民に使い潰されたり、ケチな職人・商人の親方に僅かな対価でこき使われる境遇もある。痩せた少年少女にも使い出はあって、破落戸どもに煙突掃除に売り飛ばされる例もあった。それだって合法の範疇なのだ。大抵はなんとか生き延びられるものだけれど、かと言って、無視できるほどに落とし穴が少ない訳でもない。端的に言って、よりましな暮らしへと渡る為の橋が、廃墟の子供たちには見えなかった。
言うなれば、廃市街は希望であると同時に、陥穽が潜んだ危険な場所であった。
騙されぬよう纏まって暮らそうにも、身元不明な浮浪児の集団など、なにをするか知れたものじゃない。下手をすれば、全員纏めて自警団に叩きのめされたり、夜警たちに追い払われてしまう。だからどうしたって、身寄りのない少年少女は集まって、近くの沼や泉で水を汲んできて小さな芋畑を耕したり、手近な小集落やら小部落などで半端仕事を貰って生きていくしかない。
根菜に芋、ベリー、玉ねぎ、茸に雑穀。野鼠や栗鼠の肉。放置された鼠採りの罠とか、或いは畑の傷んだ作物などを持ち帰る。或いは、生ゴミを漁って、まだ食べられそうな代物を漁る時もあった。そうして一年を必死に薪や食べ物を集めても、冬を越えられるとは限らない。冬が訪れれば、野に食べ物も見つからなくなる。偶には盗みも行う。叩きのめされて、命を落とす時もある。誰かが捕まっても、泣きながら逃げる。そうやって薪や食べ物を集めても、冬のたびに誰かは命を落とすのだ。
廃墟の子供らでは、鼠捕りをして生計を立てている少年少女らは比較的に余裕を持って暮らしている徒党だ。なにしろ、全滅する徒党だって少なくない中、見ず知らずの行き倒れを拾って助ける余裕があるくらいだ。外に雪が降っている。足音を吸い込むような深くて新しい雪に、一月の廃墟で彷徨い歩いている屍者も此処数日は見かけなかった。頭を破壊された屍者の残骸が腐りながら、狭い路地に転がっていた。自治区の夜警たちや武装した廃市街の自警団も、態々、廃墟にやってきて屍者を掃討したりはしない。それでも、少しだけ近所を歩きやすくなった。
数軒の小屋が固まった小さな部落に、冬場で穴を掘る仕事をやり遂げて、食べ物を抱えて住処へと帰還する。積まれた木箱をよじ登って、さらに木板を二階の屋根に掛けて入り込んだ。建物の窓から滑り込んで薄布の扉を閉じると、窓に煉瓦を積んで冷気の侵入を防いだ。
拠点である室内の隅に薪が置かれていた。明らかに昨日見た時よりも増えている。五本か、六本。其の儘でも四時間化、五時間。細かく割って少しずつ使えば、八時間くらいは持つだろう。寝転んでいる女性はなにも言わなかった。律儀な人だと思う。ただ、具合が悪そうなところを拾って、暖めただけなのに。
寝転んでいる女は、お金を持っているようには見えない。真冬に出来る仕事は多くはないし、男女の行為の体臭もしない。それでも毎日、薪も食べ物も、少しずつを何処からか持ってきている。食べ物は一握りの穀類。薪はほんの少し暖かくなる量に過ぎない。それでも、 元からの備蓄に合わせれば、例年より随分と楽だ。今年はまだ、誰も死んでいなかった。皆が無事で、なんて希望を抱きそうになる。
だけど、もしかしたら多分、盗んでいる。危険な真似だ。盗みを見つかった浮浪者が、棒を持った雑用係に叩きのめされて其の儘、死んでしまうなんて珍しくない。金持ちの家なんて、ライフル銃を持った見張りまでいる。誰も恐がって近づかない。誰もが理解しつつ、だけど、黙って甘えていた。仲間を死なせたくない気持ちは強く、けれど、打開策を思いつくほどには頭もよくなかったからだ。
一人前の若者は、よく食べる代わりに働いて稼げる。だから一番、苦しいのは少年期の終わり。十二~十五、六歳だ。仕事に在りつけないし、大人と同じ労働は体力的に苦しい。なのに食べる量ばかり増える。普通、貧民窟では、他の子供たちから食べ物を奪い取るような奴が得てして生き残る。ただ、ポレシャ近くでは比較的にマシだと思う。大人の浮浪者《ホーボー》や廃墟生活者の徒党が、食べ物を奪わず、子供が子供から奪うのも許していない。勿論、建前に過ぎない。強奪が無くなる訳でもないけれど、表立って出来ないだけで、弱い子たちの集まりは随分と暮らしやすくなる。或いは、優しさではないかもしれない。奪う奴は、長じれば、危険人物になりやすいからだ。だけど、逆に年下の子らに自分の食事を廻す兄さんや姉さんも、いなくなりやすかった。
最年長になって、今度は自分たちが小さな子供たちに廻す番になった。
「……お腹空いたね」言いながら身を寄せてくる。今年もいずれ、籤を曳いて誰かを人買いに差し出す日が来るのだろうか。
人買いでも煙突掃除もいれば、農場の奴隷もいる。幸運にも荘園や市民の室内奴隷になって教育を受ける子もいれば、明日をもしれない鉱山奴隷や廃墟探索者の囮役に飼われる子もいる。誰が買うかは分からないと、時々、出入りしている人買いがそう言ってた。
身を売って、よりましな人生が手に入るかは売る者にも分からない。一種の賭けだと告げる人買いたちは、時々、売られていった者からの悲喜交々の手紙を運んでくる。少しだけまともな暮らしを手に入れた者や、解放奴隷になれたもの。かつての日を懐かしむもの。残酷な主に当たり、買われないように忠告を送ってくるもの。通信が途絶えるものもいる。
優しかった年上のお姉さんの文面が削れて、呪いと苦しみが叩きつけられるような文面に変わった時には、皆に見せずに二人で泣いた。
「なんでこんなに生きるのが辛いんだろう」つい、呟きを洩らした。
「年長者に言えることがあるとすれば、世界が残酷で、生きるのが辛いのは当たり前だよ」辛辣な言葉なのに、不思議と穏やかな声だった。女性は身を起こして壁に寄り掛かった。「不快にさせるつもりはなかった。すまない」と言った。冷や汗が吹き出している。なのに毎日、何処からか、薪や食べ物を都合してくる。
少し苦しげに息を整えている。少年少女は顔を見合わせて、「……かなりの怪我だから、無理しない方がいいよ」そう声を掛けた。命に関わるような怪我ではないけれど、片方の肩が砕かれている。苦しみに呻いた女性が「……君たちはなにも聞かないね」苦しげな息の下で笑った。
「堅気じゃなさそうだけど……聞かない方がいいなら聞かない」少女が告げて「でも、なにか話したいなら話せばいい」少年がそう続けると、少女は目を瞠って少年を見つめた。
「大した話じゃない……ちょっと名が売れて思いあがって、腕利きの同業者と腕比べをしただけだ」女性は遠い目をしながら自嘲するように苦笑を浮かべた。
「……それでこのザマだよ。商売も上がったりだ」
「恐い商売だね」と少年が慄いた。互いに名前も知らない。だから、言えることもある。
「碌でもない仕事だね」頷きながら女性は少年少女を見据えて「それでも、多少は世間を知っている。あんたたちの力になれるかもしれないよ」
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