放浪者《ワンダラー》たちの宿営地《キャンプ》の近くに度々、変異獣《ミュータント》が姿を見せるようになっていた。
今のところ、出没するのは多くても2~3匹で、初日を除けば死者も出ていないが、それでも宿営地全体にピリピリした、なんとも嫌な緊張感が漂っていた。
「見張りが、また変異獣《ミュータント》を見かけた。段々と近寄ってきている。発砲しないと追い散らせないそうだ」パイプ銃を携えた放浪者《ワンダラー》は、落ち着きのない様子で体を揺らして言った。視線はきょときょと瓦礫の影や丘陵を彷徨っている。変異獣《ミュータント》にビクビクしているようだ。
ガルフはパイプを口から離した。バーナウの煙草は薫り高く、昂った気持ちを静めてくれる。高価な戦利品に余り頼りすぎるのも良くないが、落ち着いて思考できる利点は、金でも代えがたい。
「見かけたのは何処だ?」ガルフは落ち着いて尋ねる。
「さっき来たのは、廃墟の入り口とは反対側の。そう、東側だ。
こう北から南へと回り込むように」
脅えたような態度とは裏腹に中々、冷静に報告してくる。名前を覚えておくか、とガルフは眼を細めた。もっとも、自分たちが【住宅街】から生きて帰ることが出来ればの話だが。
「まるで、こちらの陣地を調べているみたいだな」
ガルフが笑って言うと、怯えた放浪者は何度もうなずいた。
「そ、そうだ。みんな噂してるんだ。偵察しているんじゃないかって」
「確かに……ゾンビも出てきてるしな。なだれ込んできたら」
ガルフは鋭い視線で自分たちの屯している宿営地を見回した。襲撃に備えた土嚢もなく、柵や掩蔽物もない脆弱な宿営地。人数がさらに減った放浪者たちが疎らな間隔で見張っているだけで、変異獣の群れに対してはほぼ無防備だろう。
浮足立った放浪者たちが持ちこたえられるか、ガルフにも疑わしく思える。
「そろそろ潮時かも知れねえな」
ガルフの囁きにホッとしたように放浪者が息を吐いたところで、話を聞きつけたレギンが足音も荒く、割り込んでくる。
「ビビってんじゃねえ!こっちは数もいるし、武器もある。変異獣なんざ何匹来ようが蜂の巣にしてやれ!」
強気に檄を飛ばしたが、報告に来た放浪者《ワンダラー》は、陰気に睨みつけると、無視してそのまま立ち去っていく。
レギンは苛立ちを隠し切れずに、音高く舌打ちした。
「ゾンビなんかにビビってるのか。ええ、ガルフ?」
ゾンビという怪物は、意外と侮れない。動きは鈍く、知性もない。一見、容易く対処できそうに思えて、実際には耐久力の塊で頭を潰さなければ中々に倒せない。膂力も強く、押し倒した人間の腹を素手で引き裂いてしまう。
迂闊に接近戦を挑むのも危険で、噛みつかれた場合、負傷者は数日で死に至り、新たなゾンビとして動き出す。遥か遠い場所にいる人間の匂いを探知し、無尽蔵の体力で延々と追跡してくる。
単体でもかなり危険だが、増殖方法の性質の悪さから数が増えれば増えるほどに脅威度は桁違いに跳ね上がる。それでもゾンビは、武装した屈強な人間であれば、辛うじて対処可能な範疇に収まっている。少数であればだが。
人間の匂いを嗅ぎつけるのか、廃墟からフラフラと這い出して来るゾンビが増えていた。今のところは一、二匹。或いは多くても三匹程度で、問題なくクロスボウやパイプ銃で対処できていたが、ボルトや弾薬の損耗とて馬鹿にならない。
戦利品が分配されて以降、かなりの放浪者たちが立ち去り、残った連中も【住宅街】へと踏み込むのを露骨に嫌がるようになっていた。
せっかく酒や食料に煙草まで手に入ったのだ。誰だって、今さら廃墟なんぞで死にたくない。地図もない廃墟で道に迷い、怪物に怯えながら絶望して死んでいく末路なんて誰だって御免だった。隊商の生き残りが【住宅街】へと逃げ込んでも、もうとっくに死んでいる筈だ。
戦利品を換金すれば、それなりの金も手に入る。金さえあれば、ちょっと大きな町でお楽しみに耽ることだってできる。美味い食い物に薬物。女。
娯楽に乏しい放浪者《ワンダラー》にとって、普段は縁のないカラオケやテレビゲーム、映画だって楽しめる。
いくら安い命とは言え、レギンはケチな野郎で賞金を払うかも怪しい。大半の放浪者たちにとっても到底、命を賭ける価値はなかった。
「生き残りを狩り立てなきゃよ、俺たちは賞金首だぜ。ガルフ。俺も、お前も、破滅しちまう」レギンはガルフに詰め寄りながら、指摘した。
必死に言い募るレギンを適当にいなしながら、ガルフは腹の中で考えをまとめる。
(多少の賞金が掛かっていようが、生き残りを狩ることにも意味がない。連中を引き留めておくのは、此処までだな)
ガルフが頼み込めば、或いは、放浪者たちももう少し頑張りを効かせてくれるかも知れない。が、連中に借りを作ってまで隊商の生き残りを狩り立てたところで、ガルフにとってのメリットなど皆無だ。どうやら、それをレギンは理解していないようだった。
廃墟の西口に近い給水塔の上は、足場が狭く不安定だった。風が強い時は、歩きたくないなと少女は思う。
今までは、危険で近寄れなかった場所であった。下の街路では、ゾンビが吼えている。今のところ、二匹だが増える前に撤退した方がいいかも知れない。
「また、寄ってきてる。寄ってきてる」少女が警告を発するが、お姉さんは呑気にしている。
「大丈夫、大丈夫」
お姉さんは、びっくりするほど強かった。給水塔への道中、あっさりと破壊されたゾンビが路上に転がっている。
極一部の凄腕密猟者《ストーカー》や廃墟探索者《スカベンジャー》などが、ナイフや鈍器で少数のゾンビを片付けるのは少女も目にしたことがある。しかし、ゾンビ三体を素手で倒す芸当は、ちょっと見たことがなかった。
栄養不足な廃墟の民や貧しい旅人などは、武装した成人さえゾンビにあっさりと力負けしてやられる事が珍しくもないのだ。
それをお姉さんは、地を這うような動きと素早い蹴り技で、あっさりと片付けた。
それでも、転ばせたゾンビの頭を踵で粉砕するのは、やはり見ていて肝が冷える。噛まれたらお終いなのだ。
二度とやりたくないと口では言っているお姉さんも、今は
心細さが薄れたのだろう。とは言え、流石に変異獣《ミュータント》にバットでは敵わないだろうし、挑みはしないだろうが。
そのお姉さんが、指を丸めて放浪者《ワンダラー》たちの宿営地を遠目に眺めていた。
「随分と人数、減ってる。
イケるんじゃないかな、これ」
興奮を抑えきれない様子で囁いていた。
抜けられる人数に減るまで少女の家でゆっくりと待つ予定だったが、ただの2日、過ごしただけで半数程度まで減っている。
傍らで伏せた姿勢の少女は、難しい顔で考え込んでいる。
「あと2~3日待ってもいいかも」
「応援が来て、逆に増えるかも。今なら、脱出できる」とお姉さん。
「ないよ。多分だけど。一番近い集落で2日なら、中途半端な場所で待つ理由も、最初から合流しない理由もない」
お姉さんが怪訝そうな表情を浮かべるので、一応、根拠もあると少女は肩を竦めた。
「……怪物に囲まれて籠城した
考え込んだお姉さんを他所に、少女は路面のゾンビの数を気にして下を眺めてみる。増えてない。ホッとして、言葉を続ける。
「市内の怪物たちも大分、落ち着いてきたし。でも、まあ。お姉さんが決めることだし、人数も減ってる。脱出するのも悪くないかも」
好意は抱いてるし、助かっては欲しい。だが、結局のところ、お姉さんの命運を決めるのはお姉さんの判断だと考えて、少女は押しつけがましくない助言に留めた。
しばらく宿営地《キャンプ》を眺めていたお姉さんが、身を屈めた。
「その話も聞きたいな」少女に囁いた。
「籠城の話?うん。代わりに何か面白い町の話を聞かせて」
「面白い話、か。考えておく」お姉さんは、闊達に笑った。
払暁前のもっとも暗くなる時間帯、変異獣《ミュータント》どもが宿営地《キャンプ》襲ってきた。連続した発砲音。薄闇に銃火が幾度となく閃いては、砂煙の向こう側でつんざくような獣の咆哮が響き渡る。
銃弾を詰めたパイプライフルを片手に跳ね起きたガルフの前に、獰猛な変異獣《ミュータント》が飛び掛かってくる。振るわれた鉤爪を銃を盾に辛くも躱すと、ガルフは素早く発砲する。飛び跳ねるように躱して闇に溶け込んだ怪物を相手に焚火だけを頼りに十四、五発を発砲し、命中したのは手応えからして半分ほどだろうか。
闇の中、高い叫びをあげながら、変異獣《ミュータント》が踊るように回転すると地面へと崩れ落ちたのがわずかに見えた。甲高い声で吼えて残りの変異獣たちが瓦礫の彼方へと去っていったが、短時間の戦闘にも拘わらず、ガルフの全身が冷や汗で濡れていた。その夜はもう誰も眠ることはなかった。
ジョゴが変異獣《ミュータント》の死体を焚火の傍らまで引っ張ってくる。
炎に照らされた変異獣は、細長く瘤の付いた手足とずんぐりした胴体を持った怪物で、凄まじく醜い顔の造形が、何処か歪んだ人に見えなくもない類似性と相まって、尚更に見る者の嫌悪感を誘った。
仕留められた変異獣《ミュータント》は二匹だけだったが、切り裂かれた腸から漏れる凄まじい悪臭に誰もが顔を歪めていた。
「こいつも人間擬きかよ」年かさの放浪者が唾を吐きかけながら、せせら笑いを浮かべた。
「ゾッとしねえな。地獄に落ちた人間の魂が、変異獣に封じ込められたんだって坊主共は言ってたぜ」と若い放浪者がゾッとしない様子でつぶやいている。
「そうかい、すると来世のお前は、こいつの同類だな」
「こいつ、牝だぜ。お前の嫁さんだぞ。わおぅ」
「黙れ!馬鹿ども!さっさと焼いてしまえ!」ガルフが怒鳴りつけると、放浪者の若集たちは雷鳴に打たれたように体を震わせ、命令に従ってそそくさと散っていった。
「……変異獣《ミュータント》どもは気に入らん」
ガルフは周囲を見回した。地平は薄暗く、身を寄せるべき場所もなかった。警戒していた見張りがいち早く発砲し、事なきを得たが、次もこう上手くいくとは限らなかった。
「餌になるのは、もっと気に入らんな」そう吐き捨てる。
ガルフにとって守る価値があるのは自分と家族、そして同じ村の出の仲間だけだ。
他の放浪者たちに対しては、二、三の例外を除いて欠片程度の親しみも抱いてはいない。
放浪者という人種は、親しげに振舞いながら、しかし、目先の利益で容易く裏切ってくる生き物だった。全員がそうではないとしても、人間の屑が少なからずいて、そうした連中は、裏切りに利益があり、好機があれば、平気で手を組んだ相手の寝首を掻くだろう。
だから、ガルフは惜しげもなく戦利品をばら撒いた。
ガルフが戦利品を独占すれば、必ず、寝首を掻くことを考える奴が出ただろう。或いは、放浪者連中が合力してガルフの一党に襲い掛かってきたかもしれない。
だが、ある程度の戦利品を分配すれば、その心配も薄れる。
懐が暖かくなった今、放浪者たちは我が身が心配になっている。他の放浪者たちが信用できる訳でもない。今度は、他人に奪われるのではないかと疑心に襲われている。
加えて、欲の皮が張った連中に襲撃を躊躇わせる程度には、ガルフの一党は武装し、警戒していた。
金は惜しい。だが、命はそれ以上に惜しかった。戦利品をばら撒く理由について、ジョゴやほんの数人には説明して、納得させている。
ある程度は稼いだし、依頼人のミーシャに対して義理も果たした。変異獣の斥候が宿営地《キャンプ》の辺りをうろつき、出没するゾンビが増している。ここらが潮時と、ガルフは判断した。
「明朝、数人の見張りを残して宿営地《キャンプ》を引き払うぞ」
数人というのは、レギンの出した手間賃に釣られた少数の放浪者たちだ。連中が【住宅街】に残ろうが、残るまいがどうでもいいが、己と部下たちを無謀な廃墟探索に付き合わせるつもりなど毛頭ない。
余り長居して略奪者《レイダー》や変異獣《ミュータント》と鉢合わせするのも、まずい。強力な武装を持つ略奪者《レイダー》であっても、少数ならどうにかなるが、ガルフの考えでは、自分たちはもう危険なほどにこの場所に留まり続けている。
引き払う準備を始めたガルフの元に、苛立ちを隠し切れない様子でレギンが歩み寄ってきた。
「おい、ミーシャの仕事はどうするつもりだ」
「仕留めた連中の報酬分で、充分に元は取れた」
話しかけるレギンを無視して、ガルフは廃墟へと視線を向ける。
「残りの報酬は要らん。やりたければ好きにしろ。俺は引き上げる」
「引き上げる?あそこに隊商の生き残りが、俺やお前の顔を見た連中がいるんだぞ?」
レギンの問いかけを無視して、ガルフが部下たちに頷いた。
「お前の取り分は、積み荷の3割だったな」
より分けられた積み荷が眼の前に積まれ始めると、レギンは今さらに焦って、喚き始めた。
「待て!なぁ、待ってくれ。落ち着け、ガルフ。
俺たちは顔を見られてるんだぞ!
生き残りがズールまでたどり着いたら、賞金が掛けられちまう」
「それはお前の都合だ、自分で何とかするんだな。
生き残り連中が廃墟で無事とも思えんが……」
どうでもよさげなガルフの態度に、レギンは信じられないと言いたげに首を振った。
「なに他人事みたいに言ってやがるんだよ?お前も顔を見られてる。
賞金首になるのは俺だけじゃない。
証人を消さなきゃ、南の都市全部で指名手配になるんだぞ」
レギンは脅迫するような響きを込めて言うが、ガルフは鼻で笑った。
「珍しい事じゃないさ」
「……賞金稼ぎに狙われるんだぞ?」
「まぁ、しばらくは、おとなしくするさ。お前もそうしろ」
肩を竦めて会話を打ち切ると、ガルフは荷造りを再開した。
レギンは焦燥に表情を歪ませながら、ガルフの肩を掴んだ。
「幼馴染だろ!頼むよ。ガキの頃から兄弟分じゃねえか!
襲撃の証人けさなきゃ、南に戻れなくなる……
あいつらの息の根を止めなきゃ、俺たちゃ安心して眠れねえんだぞ?」
周囲の部下がいきり立つのをガルフは視線だけで抑えてから、昔の兄弟分の腕を締め上げて冷ややかに言った。
「呆れたな。お前、大胆不敵なオーを裏切って、南部に戻れるつもりだったのか?」
それからレギンに囁くように言い聞かせた。
「襲撃で死んだ連中も、俺たちと幼馴染だぜ。レギン。
お前、一度でも悼んだか」
ガルフが本気だと悟ったレギンは、顔色をサッと変えた。
「悪かった……ガルフ。頼む、助けてくれ」
情けない声でレギンが懇願すると、ガルフはしばらく睨んでいたが大きく舌打ちしてから昔馴染みを突き飛ばした。
「タイレルかそこらで戦利品を金に換えて、連邦かどこかの土地を買って畑を耕して暮らせ。3割は相当なもんだ。独り占めならな」
のろのろと身を起こすレギンに、ガルフは言い放った。
「ガジーの爺さんを覚えてるか。村と取引してた商人で、まだ生きてる。
爺さんに頼めば、買いたたかれることもないだろう。北への伝手もある。
連邦ならギルドの手配で追われることもない」
「そうもいかねえんだ……俺は南にちょっとした商売を残してるんだよ。
あいつらが一人でも南に戻ったら、俺は破滅しちまう」レギンは呻いた。
レギンだって、当初は顔を見られずに連中を片付ける計画を立てていた。隊商の連中が放浪者《ワンダラー》たちによってなぶり殺しに合うのを、後方の安全な位置から楽しむ筈だったのだ。それが大胆不敵なオー。あのクソ爺が予想外にも此方の手勢を幾人も撃ち殺し、一時はレギンと部下たちまでも撃ち合いに加わらなければならない状況まで追い詰められた。
オーと(隊商の方の)ミーシャには予定外に顔まで見られてしまった。誰に伝えられたかも分からない。兎に角、最低でもミーシャの死体は確認しなければならなかった。
「頼むよ……ガルフ。上手くいったら兄貴にも恩は返すからよ」
レギンには、まだ幾つかの稼げる腹案があった。が、その為には、賞金首になる訳にもいかない。なんとか、ガルフを動かそうとするが突っぱねられる。
「同じ村の誼《よしみ》だ。タイレルの闇市で3日だけ待ってやる。その間に来なかったら知らん」
結局のところ、レギンは自分で危険を冒さざるを得なくなった。
廃墟に踏み込む度胸がレギンにあったのは意外だとガルフは皮肉っぽく感心する。
数人の部下を連れて【住宅街】へとレギンを見送ってから、ジョゴが荷物を纏めているガルフに近寄った。
「本当に待つんで?」
「お前らも羽目は外したいだろう。タイレルなら息抜きにはちょうどいい」
それに、とガルフは言葉を続ける。
「来れたら来れたで約束は守ってやるさ。損にはならん。手数料はいくらか貰うんでな」
そうしてジョゴを見ると、ガルフはいかにも面倒くさそうに肩を竦めた。
「そして来ないなら、面倒も一つ片付いたって訳だ」