黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_108 『地獄の底から、星を見る』

 赤泥のジルカは、生き延びた。スネイクバイトのウロボロスとは痛み分けし、仲間と共に南方に帰還したらしい。闇の世界にそんな噂が届くと共に、ポレシャ市に出回っていた手配書も殆んどが撤回された。

 

 どうにも、そう言うことになったらしい。ジルカは自治区片隅の廃墟でそれを耳にした。廃屋で火に当たっている放浪者が囁くように教えてくれた。

「なにしろ、赤泥だろう?しぶとい奴だよ」風を防げる瓦礫の中、放浪者たちは囁き合い、ジルカにも薄い茶を勧めてくれた。

 茹でた木の根などに塩を振って食べながら、「もうじき冬も明ける」「冬明けは仕事が多いな」火に当たりながら、屋根の葺き替えだの荷運びだのと算段している。

「姉さんも頑張んな。あったかくなりゃあ、傷の治りも良くなる」気のいい連中が慰めてくれる。ジルカは締まりのない笑みを浮かべて、そうなるといいねぇと頷いた。

 

 なにがどうなってるのか、正直、ジルカにも見当がつかない。ただ、赤泥のジルカは、賞金稼ぎとしてそれなりに稼いで故郷に――漂泊民たちの都――フェイルノートへと仕送りをしていた。赤泥のジルカの知名度を失うのを惜しんだ誰かが襲名したのか。その場合、自分が生き残った仲間たちにどう扱われるのか。ジルカにも分からなかった。

 

 時々、物陰で目つきの鋭い浮浪者や放浪者、浮浪児などが影のように佇んで、ジルカを眺めながら、手元の手配書を捲っていた。見慣れぬ奴を見た時、調べるのが習性となっている犬の目だ。法執行官側の密偵や賞金稼ぎ――中には手強そうな銃士や傭兵、放浪騎士などもいて、一度など、勘の鋭い奴が赤泥のジルカの手配書と見比べつつ、少しだけ迷いを見せていた。だけど、子供たちがジルカを迎えに来ると視線を逸らすのだ。

 

 密偵連中もさほど数がいる訳でもなく、市内の他の徒党の構成を全て知ってる訳ではないのだろう。流れの賞金稼ぎならなおさらだった。地区に馴染んでいるように見える徒党の一員なら、それはよそ者ではないと思っても無理はない。溶け込むのは昔から、得意だった。ジルカは流れの漂泊民の旅隊《キャラバン》の生まれで、幼いころから密偵仕事をしていたのだもの。

 

 

 

 廃墟地帯に隠れ暮らす子供らにも、教えられることは、さほどあるまいと考えていた。寒さに震えながら、日々を生き延びている子らには、生きる力があると思っていた。ジルカが今まで見てきた中で、当たり前の知恵や知識、付き合い方を教えるだけだと。底辺の浮浪児たちが襤褸着で警戒されず、迎え入れられる社会の範囲と、必要な振る舞いや交渉の仕方。やはり廃市街や小集落や小村落だろう。糞尿の処理や穴掘りなどきつい仕事だ。火に当てて貰えるか。数の数え方や計算が怪しい子もいる。図々しさと頼みごとの境界。

 

 実際には、沢山の当たり前が欠けていた。生き延びれば、身に着けられる範疇の僅かな知恵や知識もまるで足りない。親や周囲の大人が機会さえあれば普通に教えてくれる類の経験値が、見捨てられた子供たちには絶望的なほどに不足している。救い上げるには、一冬では足りない。

 

 分からん。小さな畑を木製の道具で耕して、濁った沼の水と、芋や雑穀で命を繋いでいる。市内の水キャラバンの拠点を訪れれば、公共の大きな水源の地図が壁に張られている。少し遠いが、清水を持ち帰れる。水キャラバンを知らない。拠点を知らない。公共の地区に近づくのに怯んでいる。地図の見方を知らない。仕組みそのものを知らない。壁にチラシで公知されてるものを認識してない。ジルカだって北の仕組みをさほど知ってる訳ではないが、あまりにも酷すぎた。

 

 子供たちの世界は、狭い範囲で閉じて完成していた。僅かな悪意や暴力が命取りになる少年少女らも、閉じこもっていれば、少なくとも暴力に晒されない。ジルカがしてやれることあるとすれば、マシな世界へと繋げてやることか。閉じた世界を少しだけ広げ、やり方を教えてやる。そうすれば、後は自分たちで勝手に世界を広げていくだろう。閉ざされた世界の子供たちを、少しだけ外と繋ぐ案内人の役割をジルカはおのれに課すこととした。

 

 地区の検問を抜けたりはしない。瓦礫を積んで木柵を潜り抜ける。襤褸の薄着を幾重にも着込んで、丸く膨れた少年少女を見かければ、嫌な顔をする大人も多いが、人目の多いところであれば追い出そうとはしない。ポレシャ市の良識を利用させてもらい、水キャラバンの建物へと赴いて、地図を写させてもらう。ジルカはフードに杖を付いて、ぎこちない動きで随伴した。

 

 

 係員は、悪臭に鼻を摘まむが、地図を写している子供を追い出そうとはしない。それどころか、水源地図を押し付けて、追い払おうとしてきた。これは嬉しい誤算だった。ジルカは頭を下げて、子供たちと大人しく引き上げた。屈辱は感じない。叩きだされないだけ遥かに有情だ。これで春になれば、マシな水が飲めるようになる。汲んだ水を売ることもできるが、それにはもう少し清潔感のある服が必要だろう。

 

 村落で畑の溝を掘ったり、耕す仕事をした後は、土や汚物を掻き落とし、土は其の儘、畑へと漉き込み、汚物は匂いがしなくなるまで離れた位置に山にして貯めておく。南方で農奴たちから教わったやり方だ。これがどれくらい効果があるのか。それとも畑を枯らさないか。ジルカにも分からない。ただ、少年少女はジルカを信じた。

 だから、畑の一部には、少しだけ黒土が混ざっている。

 

 薪は木こり団のところに買いに行った。小村落や廃市街の駄賃では、通用する通貨がないから、現物払いを受けた。雑穀や芋、鼠肉を差し出し、当然の如く断られた。

「ちゃ、ちゃんと働いてもらったもんです!」断られるのは端から計算済み。少年少女らが指示通りに必死に食い下がると、お人好しの木こり団が頬を掻き、自治区なり、廃市街から買いに来てる連中が木こり団に払える通貨と替えてくれた。

 ひと手間、二手間どころではないし、その割に、実際のところ得もしてない。少年らには不思議そうに聞かれたけれど、この先、自治区なり惣村の外れなりに移り住んで、そこの通貨を使うようになった時に分かるとだけ告げた。子供の頃から顔を出して、真面目に働き続けるのは、汗で履歴書を書き上げているのと同じだ。いずれは効いてくる。

 

 

 水や薪と違い、服は一番安い売り手を見つけて買いに行ける訳ではない。服が襤褸では、入れる場所も限られる。子供の労働力はただでさえ乏しい。廃市街や小さな部落では、小遣い程度の賃金しか貰えない。碌な服も売っていない。少なくとも、自治区くらいには入れる程度のまともな服を入手したいところだ。だが、ここは働き者のサイクルを体感させるべきかとも、ジルカは考えなおした。廃市街で雑用をして小銭を得、金を貯めて、少しまともな服を手に入れ、そこから自治区へ出入りし、仕事を得て、更にまともな服を入手する。頭打ちにはなるだろう。そこから先をさらに上がれるかは人それぞれだが、逆に言えば、最低限までは誰でも這い上がれる。貧困から抜けでる為の階段の昇り方を教える。二、三年は掛かるだろうが。三年。付き合ってもいい気がした。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 巻き毛のルーは贅沢になってしまった。冬には林檎は萎びる。なので、林檎を薄く切ってバターを掛けて焼いた焼き林檎にするのだ。珍しく天気のいい日、料理人リリーは焼き林檎を作ると宣言して二十個かそれくらいの林檎を薄く切って、フライパンなどでどんどん焼いた。薄い小麦をパイ生地にして林檎を挟んでいる。パイ生地は小麦粉にバターを混ぜて作る。つまりバターにバターだ。お塩ペロペロ。

 

「シナモンが効くんやで」たくさんたくさん作りながら、お喋りしていたのでリリーは一つほど焦がしてしまった。あかん、これは食べられん。リリーは火にくべてしまった。昔だったら、ルーは食べたけれど、美味しいものでお腹いっぱいで動けなかった。もう駄目だ。お外で生きていけない。曠野で生き抜ける野生のルーは死んでしまった。

 

 食卓には、単眼のトリスに猫耳ココとニナお姉さん。それに料理人リリーさんと恋人の大男さんだ。セシリアもいた。親方と大人たちは、真冬なのに稼いでくると言って出かけている。大人だけど義足のジゼルもいたが、食事前に一人で檸檬の蜂蜜漬けとパンで腹いっぱいに食べていたので、林檎パイは食べられなかった。

「わしのじゃ。全部、わしのじゃ。誰にもやらんぞ。わしが買ってきたんじゃ」と言いながら、子供たちの前で美味しいものを独り占めしていたから、料理人リリーは意地悪ジゼルに腹いっぱいにパンを食べさせてやった後、林檎パイを焼いたのだ。それでもジゼルが泣いてるので、リリーは林檎パイを取っておいてやった。優しい。

 

 鼻から白い息を吐きながら、ルーは林檎パイを頬張った。本当の作り方は、窯が必要らしいから、これは偽林檎パイらしいが、普通に美味しい。メェメェと鳴いてると、セシリアが「ルー、五月蠅いよ」と注意しながら、折れた角にキスしてきた。

 キキにも食べさせてやりたいなと思ってると、「友達に上げたいんか?」料理人のリリーが頷いて「持ってって上げるとええよ」と林檎パイを包んでくれた。それに熱いシチュウの小鍋をバスケットに、大きなパンの塊も肩掛け鞄に入れてくれた。巻き毛のルーは街路を歩いた。隣を何故かついてきたセシリアが歩きながらルーの巻き毛を撫でている。退院したセシリアは「生き残ったからには、後悔を残すまい」とやたらとべたべたしてくるので嫌ではないが困った。

 

 道中、町外れ地区は安全なのでゆっくりと歩いた。昼時なのか、人気は少ない。ルーは、曠野の冬は初めてだ。雪の中、時々、薪を運んでいる人たちを見るくらいか。

「寒いねぇ」セシリアが抱き着いてきたので、ルーはメェーと鳴いた。

 

 町外れ地区から自治区への境が見えてきた。ルーは、鼻をフス、と鳴らした。昼には開かれてる辻を通り抜けただけで、少しだけ雰囲気が変わった気がする。町外れの自警団員は日の明かりの下、堂々としていたけれど、毛皮を着込んだ自治区の夜警たちは影の下で、此方をじっと警戒するように見ている。町外れは、正式な市の行政区画の外縁で、自治区はその外。治安が良くないのだ。

 

 自治区に入ると廃墟が増える。町外れにも廃墟はあるけれど、正確には恐い廃墟が増える。町外れの廃墟は、単に壊れた建物で、自治区は、何かが潜んでいそうな場所だ。人影が見えたり、見通しが悪い廃墟や薄暗い路地。曲がりくねった道が増える。

 時折、見かける住人の向けてくる目も、よそ者を警戒するだけでなく、値踏みが込められている。ルーは、旅芸人一座の一員だ。猜疑を含んだ目を向けられれば肌で感じるし、スリや窃盗を行う同世代の子供とも知り合う。それでも後ろ暗そうな少年少女らには、なんとなく近寄らなかった。愚鈍と見做されていたが、玩具にされる程ではなく、逆に言えば、盗賊仲間の有難みを受けない代わりに関わらないで済んだ。

 

 セシリアが緊張した様子なので手を握った。掌は汗ばんでいた。寒さが厳しくなって人の目が減ってきている。以前なら、人の目があった長い街路が無人だった。

だから、ルーは立ち止まった。フスフスと匂いを嗅いでから、横合いの人目のない短い路地を通り抜けた。普段は通らない危ない道だけど、今は街路の方が危ない気がした。勘だ。全部、ただの勘。それで一座の泊まっている大きな建物にたどり着いた。

 

 大きな廃屋には、木製の仮設天井や壁が作られていて、その中に分厚い天幕を張っていると空気の二重の遮断で暖かい。零下十度が一、二度くらいに感じられる。火を焚くと普通に快適だ。キキを探してると、座長の妹のブレンダちゃんが居場所を教えてくれた。お礼に林檎パイを一切れ進呈した。「うまぁい?!」と驚いていた。同じ材料なのに、不思議に美味しいご飯を作ってくれる。リリーの手は、魔法の手だ。

 

 キキがいた。妙に暖かい天幕のところで、身内のジェシカ姉さんとエールを飲んでいた。ジェシカ姉さんは、恋人が一座を去ってしまったと嘆いていた。

「あんな薄情な奴よりもっといい男がいるって」とキキは励ましてる。

「でかい仕事を見つけたって……稼いだら家を買って一緒になろうって」頭を抱えたジェシカ姉さんはべそを搔いていた。「そのうち、しれっと戻ってくるかもよ」よくあることだとキキ。

 

 ピーターの名前を聞いたルーが固まった。それでも、パンとシチュウの小鍋、林檎パイをおずおずと差し出すと、キキは涎を垂らした。「食べさせたいと言ったら、持たせてくれた」友人に正直に述べた。ジェシカ姉さんも鳴きながらシチュウを食べた。

「こんなご馳走を。首にならん?」火に掛けたシチュウとパンを食べながら、キキが尋ねてきた。ルーは、「多分、大丈夫」と首を傾げると、キキは「そうか」と頷いた。

「いい仕事場なのよ」ルーが言い張ると「確かに、いい職場に思える」とキキは用心深そうに囁いた。

「上手い話は用心すべきだけど、時々、実際にあるからなぁ。上手くいくといいね」頑張れと応援してきたので、ルーも頷きながらメェメェと鳴いた。

 

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 自由都市門内の広場に面した娯楽施設のうちでも、桃色ビルは一際目立つ建物であった。何故なら、他の建物の屋上を越えて巨大なボーリングピンの模型が聳えているからだ。しかし、ボーリングが出来るわい、とウキウキして訪れてみた旅人はがっかりするだろう。古く看板は、射撃場と言う文字と大きな銃の絵で塗りつぶされているからだ。

 

 射撃場の会員権は、六百都市通貨で即金で支払った。会員一名につき、最大五人まで同時にレーンを使うことが出来る。弾と標的は購入しなければならないが、玩具のソフトガンとBB弾、安い紙の標的を借りるだけなら、大した出費にはならない。そして射撃姿勢や照準、呼吸や構えの最低限の技量を維持するだけなら、その程度の訓練でも案外、馬鹿に出来ない。似たような事を考える連中は、意外といるようで、武装鉱夫団や馬借衆、隊商護衛の傭兵隊なども似たような訓練を行っていた。

 

 勿論、大国の軍人や大手傭兵団の精兵には及ばないだろうが、別に狙撃手や選抜射手を育成したい訳ではない。狙撃手は一人育てるのに数万発の訓練が必要になるが、銃の扱いを身体に叩き込むだけなら、玩具を真剣に撃つだけで見れる程度の腕前にはなる。

 

 六百都市通貨と言うのは、けして軽い金額ではない。大きな町で15都市通貨の日当を受け取っているなら熟練労働者の類か、それなりの働き者だ。毎日、仕事があるとも限らないし、勿論、食費に衣服、冬越えの備えを考えれば多分、六百都市通貨は何か月か、家族を養っているなら年単位でも貯まらない金額だ。

 

 当然、大型設備で継続して訓練を積めるのは大手徒党に限られる。小徒党や傭兵団などは、それでも工夫して自分たちなりの訓練を積んでいるのだろうが、一方で上のレーンでは、実弾。安めの再生弾だろうが、景気よく撃っている者たちもいた。都市軍の選抜射手か、警備隊の精鋭だろうか。彼ら彼女らの腕前には、盗賊団ですら怖気《おぞけ》を振るうだろう。

 

 マギーは小さなため息を漏らした。届かない武装や境遇を羨んでも意味がない。手持ちの札で最善を尽くすしかない。かと言って、最善の武装の保持を怠るべきでもない。リジィとジーナ・E(エクルストン)はソフトガンで紙の標的に穴を空けている。リジィは銃が下手糞だが、基礎を叩き込んだら、大分、向上した。ジーナは以前より大分、力量は落ちていたが、勘を取り戻してきている。マギー自身はどうだろうか。悪くはない、と思うが……盗賊団から逃げ延びた先で、憂さ晴らしのように行う射撃訓練が役に立つか、マギーにも確信は持てなかった。

 

 それでも、折あらば、訓練を積み重ねている。日々、積み重ねる訳にもいかないが。兎も角も、現状の装備で出来る事を積み上げておく。なんの意味も持たないかもしれない。狙撃兵を抱えた略奪者や盗賊団といきなり遭遇するかもしれない。

 

 だから、なんだと言う訳もない。今は無理だ、と結論している。

 盗賊団には、まず敵わない。同行者を増やしても、マスケットでは対抗できない。

(まあ……所詮、私たちは地獄の底を這い廻る虫けらに過ぎない)

 だからと言って、絶望に沈まないし、邪悪に染まったりもしないが。

 

 これから先も、敗走は避けられまい。いずれ、再び仲間を喪失するかもしれない。

 一敗地に塗れ、或いは財産を略奪され、凌辱された挙句、命も尊厳も奪われて終わる結末も有り得る。

 

 だから、なんだ、とマギーは拳を握った。

 地獄だからこそ、真っ当に生き抜いてやるのが、格好いいのだ。

 

 足手まといも簡単に切り捨てず、使いどころを見つけてやるし、間抜けなお人好しの料理人にも人並みの暮らしを与えてやる。

 それくらいの知恵と知識は、マルグリット・モイラは、持ち合わせている筈だ。

 

 かと言って人を信じすぎず、裏切りには備えつつ、疑心暗鬼には陥るまい。

 最後までおのれの生き様は曲げんぞ、死んでも後悔などするものか。

 歯を食いしばって、声には出さずにマギーは心に固く決めた。

 見ていろ。いつか、天上に瞬く、星を掴んでやる。

 

 

 

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 2月上旬_36203都市通貨

 

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