黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_109B 19世紀の海軍なら名医

 ゾンビに噛まれた女を見据えながら、マギーちゃんはカトラスを引き抜いた。

 殺される、と恐れたのか。女が警戒した表情で後退った。手で払った際に屍者に噛まれただろうかのか。子供を抱きかかえている掌の指が千切れかけ、血が吹き出している。

「噛まれたのは掌だけか?」大事なことを女に尋ねる。ひっかき傷もあるようだが、兎も角も咬傷が重要だ。ひっかき傷だけなら発症しない場合もあり、一般に流通しているワクチン注射で対処できたりもする。

 

「……え?ああ」肯いた女に対して「今すぐ切れば、助かるかも知れん」マギーちゃんの言葉に希望を持ったか。女が顔を上げたが、駆けよってきた夜警が横合いから「関節は残しておけ。大分、苦労が変わる」告げた夜警も、義手の持ち主で、腰から鉈を取り出しながら差し出してくる。

「鉈。消毒はしてある。こういう時の為に」(いやな備えだな)思いながら、マギーは鉈を受け取った。重たい。よく切れそうだ。女の顔は引き攣っている。

 

「……なるほど」女は蒼白の顔色で、なにかを言いかけてたが、頷いた。

 マギーちゃんと夜警たちは、出血を減らす為、左腕を手早く縛った。

 口にハンカチを噛ませながら女の左腕を石の上に置くと、前腕の骨を一息に蹴り折り、鉈で一気に切断した。女が白目を剥いて失神し、脱糞した。恥ずかしいことではない。「止血!」マギーちゃんは叫んだ。夜警が傷口を縛り上げた。封を切った袋から、綺麗な包帯と消毒液を取り出して用いる。こんな土地でも、乱暴に焼くよりはマシな処置が出来る。多分、一分弱の処置。手荒でも早い方が良い。後で、医者の所へ運んで縫うのだ。

 

「子供は?」と鉈を布で拭って、消毒液を振りかけながら尋ねると、恐ろしい寒さの中、建物に連れ込まれていた。ニナが手早く付けた火の傍、服を脱がせて確かめていた夜警が「足のふくらはぎを噛まれている」。大人たちが躊躇したのを見、一連の処置も見ていた子供が「やって」と覚悟を決めたように目を閉じた。やれるだけやろう。そう言うことになった。ハンケチを噛ませ、紐で縛り、麻酔を打つ。恐ろしい激痛の筈だ。脛の上に鉈を振り下ろした。

 

 助かるかは分からない。「子供は病院に運べ」マギーちゃんが指示すると「何処の?」尋ねてくる夜警だが、別に馬鹿な質問ではない。掛かる診療代が違う。

「地区の診療院でいい。一週間くらいは払ってやるさ」マギーちゃんは裕福な行商人で、保安官補。庶民よりも顔は利いた。

「担架を持ってこい」肯いた中年の夜警が叫んだ。

「ただ、屍者に噛まれてる。治療院も預かるのは嫌がるかも知れない」とだけは夜警も言ってきた。マギーも頷いた。高熱も出すだろう。足枷などを柱などに結びながら、治療を受け、入院することになる。医師も転化が恐いのだ。よしんば転化しないでも、体力のない子供に四肢の切断は、予後も含めて見なければならない。

 

 良質な手当には、個室に鉄格子を備えた暖かい病院などへ預けるしかない。当然、高価で一週間の入院料で百都市通貨ていどは請求される。よい医療は常に天井知らずで、市民街区の病院さえ庶民には目の玉が飛び出るほどの費用が掛かる。市民街区まで荷馬車で運ぶにも運賃が必要だが。まあ、見ず知らずの子供の為に、それくらいの金を出してやってもいいと、マギーは諸々を請け負った。丸きりの損に思えるが、人に関わったからには金銭の問題ではない。詐欺師にカモられやすいとか、お人好しと言う単語が頭に浮かんだが、好きに生きるのだ。

 

 厄介なことに、屍者に転化するまでの時間は人によって異なっている。徐々に弱まる者もいれば、一か月ほど経過して、助かったと思った頃合いに数秒で転化してしまう者もいる。深夜、家族と寝ている時、いきなり怪物に転じたりすれば大惨事が起こる。死にそうで助かるものはいないのが忌々しくもあった。一方で引っ掛かれたり、噛傷部位の切断処置で、多少の熱を出しても助かる者も少なくない。だからこそ、人々は迷うし、希望を抱いて家族を隠しもするのだが。

 

 ともかく半年ほど見れば、まず大丈夫なのだが、その間、ずっと警戒し、隔離するのも難しい。余裕のない土地には、念のために殺してしまう慣習もあるが、責められまい。屍者に噛まれた患者を診る際、鉄製の手甲や分厚い皮手袋を付ける医師や看護婦らもいる。今、子供を救おうとしている判断が、悲劇を招くかもしれない。誰にも結果は分からない。

 

 

 ため息を吐いたマギーちゃんは、ニコチンの慰めが欲しくなった。助けた行為が誰かの命を奪うかも知れない。廃屋の中で踵でマッチを擦り、細葉巻《シガリロ》に火を付けた。一本で労働者の日給くらいの細葉巻《シガリロ》を吸いながら目を閉じていると「……大した名医だ」と声が掛けられた。

 横たわってた女が気絶から醒めていた。喪われた左腕を見ながら、「19世紀の海軍なら名医になれた」と皮肉っぽく呟いている。呻きを上げるでもない。激痛に素直に気絶し、早めに回復し、苦痛に耐え続ける。痛みに慣れている。屍者に噛まれる可能性を除けば、強みかな。いや、其の儘、熊や変異獣に食われたりすることもあるか。

 

「その減らず口が聞けるなら助かるだろうよ。多分」マギーが言うと「あの子は?」女が尋ねてきた。

「分からん。何時、噛まれた?」マギーが首を傾げつつ尋ねると「多分、五分ほどまえ。気絶し過ぎてなければ……」と女の答え。

「処置が早かったな」とマギーは告げた。

 助かるとは、請け負わなかった。屍者を相手にすると、どうしたって楽天的な言葉は吐きにくい。

 

 女は、近くの避難所内部の、さらに壁の薄い段ボール天幕へと収容された。それでも文無しの身には、いい寝床だからか「至れり尽くせりだな」なんて汗を浮かべて強がっていた。鎮痛剤だけ渡してやる。売っても金になる代物だから、栄養を付けてもいいし、服用してもいい。好きにすればいい。生き残れるかは運次第だ。

 屍者に傷つけられたものは、通常の対処として、身体を複数の緩い縄で縛って、柱に結び付けておく。別棟の段ボール天幕なら、人知れず転化していても、いきなり襲っては来れないから、犠牲者が出ないで済む。明るい時間帯に様子を見に行って、転化して襲われても、盾と棒を構えた複数人が対処できる。

 

 名前も聞かずに女と別れて帰路に就いたマギーは、なにか考え込んでいた。猫耳ココが、なーと鳴いた。言葉は分からんが、頭と顎を掻いてやった。ぐるぐると鳴いている。「マギーは偉いよ」ニナも言い張った。言われるまでもない。マギーは武装行商団を率いている。時々、廃市街で屍者たちを間引きする。その容易く狩った屍者がどれくらいの惨禍をもたらすか、普段行っている狩りがどれほど人を救っているかは、考えなくても分かる。物の分かった人間なら、感謝しているだろう。ただ、それでも疲労は覚える。子供の足を切断した。やりたい仕事ではない。

 

 出来る限りのことは、おおよそやった。経験則に過ぎないが、見知らぬ子も名も知らぬ女も多分、半々以上で助かる。見えない形で救った人間の方がずっと多い筈だが、ただ時々、それでもひどく憂鬱な気分に襲われもする。

 

 住居周りの安全はおおよそ確保したものの、街道を行く行商人にとって屍者の脅威は他人ごとではない。何時か、街道で小走り屍(ジョガー)やら走屍《ランナー》の群れに遭遇するかも知れない。マギーも別に無敵でもない。複数の走屍《ランナー》や疾走屍《スプリンター》が出たら、不覚を取るかも知れない。もう少しましな武装と人数を揃えても、屍者の群れ(ゾンビホード)には意味は無い。いきなり飲み込まれたら、抗いようなく全滅するだろう。そして、現実にそんなものが街道を彷徨っている。

 

 下手に人数増やしても、被害が大きくなるだけだが、しかし、対処できる能力は確実に上昇する。五人で移動すれば、蛮族やらコヨーテ、小型変異獣など殆んどの脅威には対処できるだろう。歩屍者《ウォーカー》も十体程度なら恐れる必要が無くなる。そして、徘徊する屍者の群れの殆んどは、十体いないのだ。

 

 様々な迷いがあるが、年下の子たちには見せたくない。まだ庇護を必要とする少女たちの前で、安心させるために、迷いのない強い年長者を演じ続けなければならない。ただし、懸念と思考の道筋だけは共有しておかなければならない。後で共用ノートに武装と人数、遭遇する脅威の規模と頻度に関しての考察も記しておこう。

 

 この程度の問題は平気ですよ、と言う顔で徒弟たちを安心させつつ、絶対視させて依存し過ぎないように、もっと厳しい局面では、『君、私も割れるかも知れん。だから精進してくれ』とは匂わせておくのだ。小さな仕事も任せたりする。それで最悪、マギーがやられても、なんとかなる。(どうしたものかな……なにが正解か、分からんですね)苦虫を嚙み潰したような腹の底を飄々とした表情で覆い隠しながら、マギーは短くなった細葉巻《シガリロ》を吐き捨てた。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 2月も中旬を過ぎれば寒さもピークを越えて、徐々に緩み始める。とは言え、零下十五、六度の明け方が零下十度ほどに。日中の零下二、三度が五、六度ほどに気温が上がる程度で、幾らか過ごしやすくはなるものの厳しい冬が終わりを告げた訳ではない。

 

 それでも、冬越えの最も過酷な時期を乗り越えたからだろうか。地区の家々からは陽気な歌声も響いてくるし、自警団員たちも見回りを再開する。日なたの道はぬかるみ、屋根の雪も溶けだしている。友人と再会した子供たちが燥いだ声を上げながら、街路を駆けまわり、犬や猫、鵞鳥に鶏、山羊や豚も盛んに騒ぎ始める。

 

 当たり前と言えば当たり前の話だが、十人近くで同居していても、劇的な出来事は取り立てて起きなかった。マギーは仕事の計画を練りながら書類を書きあげ、或いは鍛錬を重ねながら日々を過ごしている。ニナや徒弟たちには小遣いを与え、遊びに行くように勧めたが、少女たちが、いかな使い方をしたかは不明である。

 

 マギーちゃん(28歳)は、小さな行商団を率いている。行商団とは、主に行商人が集まった徒党で大抵、構成員は零細商人が多かった。マギー行商団も例に漏れない。親方のマギーが自由都市と往来して品を仕入れはするが、何頭もの駄獣を連ねた隊商《キャラバン》などとは違い、背嚢に積めるだけの品を徒歩で運ぶ。稼ぎ方もそれぞれに異なっており、ある者は行商を主とし、ある者は露天商や屋台商人として稼いでいる。行商をしつつ、時々は店舗商人や店番として客に対応するなど、使い分ける時もある。

 

 徒弟の単眼少女トリスと猫耳ココの商いは、親方から任せられた品々の販売の他、鼠採りの罠の製作・販売や、水キャラバン近くでの石鹸の欠片売り。親方から仕入れた煙草のシケモクを解体しては、紙の煙草に作り直して稼いでいる。最近は、手が回らず、他の浮浪児を雇って紙の煙草を作らせていた。ちなみに作る時には見張っている。以前に雇った少年は、煙草の葉を誤魔化してたのだ。気づかない程度に抑えておけばいいものを、どんどん掠める量が増えたのでクビにしたら、逆恨みして年上の子を連れて襲撃してきた。

 

 「にゃがー!」腹いっぱいに食べて、戦闘訓練も受けてる猫耳が、栄養不足の少年少女たちに負けるわけがない。ナックルを嵌めて殴ったのは、実はむしろ手加減で優しいのだ。爪で血管を切り裂いていたら、文字通りに秒殺だ。後遺症が残らない程度にボコボコにした後、親しい浮浪児徒党と囲んで脅かしておいた。殺してもどうとでもなる立場だけど、殺したくはない。だから、仲間がいるぞ。報復するぞ、と示して釘を刺すのを忘れない。安い賃金だったことは悪かったとも思ってるので、殺せるけど殺さない、とは、はっきり告げておいた。

 

 敵を抱えると言うことは恐いことだ。相手は怨むだろうが、殺しに来るほどだろうか。それも分からない。むしろ、別の敵が仕掛けてきた時に、報復されたと勘違いして殺してしまうのではないか。とか、浮浪児徒党のムーア君たちとは色々話した。

 面子なんかどうでもいい、けれど舐められたら拙い。その為に何処まですればいいのか。一人前になれば、線引きだって考えさせられる。殺せるけど、殺したくないよね、と話すとムーア君は、同感を示してくれた。安心する。親方が付き合う価値があると踏んだだけあって、いい男だ。判断が正しいか間違ってるかは分からないが、近しい価値観の相手がいるのはいいことだ。

 

 

 今は、その浮浪児徒党から、小遣いの欲しい者たちに仕事を頼んでいる。以前よりは、高い賃金を出してる。首にした少年らが知ったら、腹を立てるかも知れない。悪かったとは思ってるのだ。一応。商品には手を出さない。再生煙草はあまり美味しくない。味も荒いが一応、煙草の葉を使った代物で、労働者や渡り人(オーキー)、浮浪者《ホーボー》などが購入する。こんな代物でも、四、五本も買うと労働者の日当が吹き飛ぶ。煙草の葉は、南方からの輸入品で、流通も寸断されて不安定な時代だから、どうしても高くつくのだ。なのでシケモクを買って、そのまま、ほぐしてパイプで吸う奴も多い。

 

 自治区の通りの自由市場も、春になれば再開する。今はまだ、自治区外れの巨大な廃墟で細々と商いが行われている。冬の通りよりは暖かいので、商売するにも楽な場所だ。去年の末、親方は、ショッピングカートを一台持ち帰っていた。三度くらい掛けて自由都市から運んできたそうだ。

 

 用心棒リジィが言うには、丘を越える途中、嫌になって途中で放置すること二回。冷静な親方が「んあー!」と叫びながら、投げ出したそうだ。三回目でようやく丘を抜けると農村で驢馬を借りて運んできた。こんなショッピングカートだけでも、実は相当な価値がある。ポレシャ市では、居留地通貨の百や二百あっても買えない代物だ。親方マギーの、努力と冒険の賜物だ。

 

 徒弟のトリスと猫耳ココの二人は、ショッピングカートに仮設天幕と毛布を入れ、コロコロと転がして運ぶと、商業ドームで出店を開いた。遠距離の輸送には耐えられないが、市内を動き回るにはよく役立つ。他の零細商人たちも羨ましそうに眺めていた。目を瞠ってるものもいる。ちょっと気分が良い。

 何時もの位置に毛布を敷いて、やっと二人入れるような小さな天幕を開くと、客が買いに来るのを待つだけの仕事である。煙草と鼠採りの罠。後は石鹸の欠片などを展示しつつ、客を待つ。装填済みの燧石銃《フリントロック》とフリントロック短銃、カトラスを差しているので、盗人も寄ってこない。

 

 二人は唇を半開きにしたアホ面をして客を待ちながら、サイコロを振ったり、カードをして時間を潰した。カードもプラスチックなどではない。19世紀並みの品質をした、しかもペラペラに安物のボール紙で作られた遊び札(プレイングカード)でババ抜きをしている。と、店の前に客が立ち止まってしまった。「うーむ、客が来なければココの財布を空にしてやったのに」トリスが言うと「なーご」とココが言い返した。「なにおぅ」言いながら、二人は客に向き直ると女が一人がしゃがみ込んでいた。

 

 見慣れぬ顔だ。年の頃は二十歳半ばだろう。良いライフルを背負ってるし、肩にはプロテクターが付いている。ライフルが単なるマスケットより上等なのは分かるが、後装式マスケットか、雷管式ゲベール銃か。ミニエーか。紙薬莢、金属薬莢なのかは、トリスもココも分からない。廃市街や農村育ちの二人は、銃器の名称や分類は教わってようとも、実際の知見には乏しいからだ。腕が立ちそうな雰囲気はあるが、威圧感は感じなかった。なので普通に対応する。

 

 客の女は、手製の紙巻き煙草を眺めて、指先でそっと摘まんで、用心深そうに匂いを嗅いだ。

「悪くない。幾らだ?」尋ねてくる。

「地区通貨で六。二つで11。3つで15、4つで18、5つで20」徒弟トリスの答えに「面白い値付けだ」肯いた女は、地区で流通している質の悪い銅貨や紙幣を数枚、取り出した。5つ買うと、乾燥した布に包んで木箱に入れている。物資の乏しい地区や土地の痩せた村落、貧しい部落なら、通貨として交換に使える程度の品質は保っている。売り方次第では一応、稼げなくはない。割には合わないが。

 

 女の厚手の羊毛《ウール》上着の胸のところ――デレク・グリフィンと名前が縫ってあるが、デレクは男の名前だ。誰かから買ったり、譲られたか。奪ったものか。それとも慣習で、男の名前を付けてる土地の出身かも知れない。

「そっちのカードは?」とデレク?が聞いてくる。

「これは売りものじゃない」トリスは肩を竦めた。

「もし売るなら?」と尋ねてくる。

「うーん。安物だし、傷んでるし。2と半でいいよ」親方に頼めば、新しい代物が手に入る。新品でも、中古でも、もっといいボール紙のカードに、なんならプラスチック製のカードだって手に入らなくはないのだ。

「2地区通貨で」と値切ってきた。なので、頷いて通貨と交換される。デレクが立ち去った。猫耳ココが欠伸してから、にゃー、と囁いた。トリスも安堵の吐息を洩らした。良い武器を持つ初見の相手との取引は、はした金でもやはり緊張するものだ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

ダイス判定

 

噛まれた箇所。

1D70+10 → 21+10 31 低いほど体の末端。 

 

首筋とか、腹部とか、致命の箇所は避けられたから1D70+10で  

 

 

31なので69以下で助かる。低いほどいい。

子供のセービングスロー 1D100_??

 

 

 

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