自由都市ズールの地下牢をマギーちゃんは歩いていた。ニナとジーナ・
北西部の森林や、南の沼沢地どもの蛮族どもが三百だか、五百だかの兵士を差し向けてきては幾つかの村や農場が焼かれ、人が攫われ、幾十の人生が狂い、最後には自由都市の雇った傭兵隊によって粉砕され、連中は故国へと引き上げていく。
「いつもの奴ですよ」隣を歩いている牢番が吐き捨てるように言った。初老に見えるから、蛮族の遠征行も二、三回。もしかしたら、三、四回は経験しているかも知れない。
「いつものやつですか」マギーちゃんも丁寧な態度で頷いた。
十数年に一度、恒例のように行われる略奪行だ。ヴァイキングだの、ムーア人海賊だの、コルセアだの……キリキア海賊は交易路からの通行料も取っていたのでちょっと違うかな。マジャール人の小襲撃や、タタール人の小規模遠征が近いかも知れない。手薄な村や町、寺院や農場を襲い、略奪と人攫いをし、出来れば技術者や鍛冶屋、職人も確保して素早く退き上げる。連中は、しかし、満足すると言うことがない。叩かなければ、交代して何時までもイナゴのように略奪し続ける。笑いごとになるのは、自由都市ズールだからで、小規模な町にとって百名の蛮族兵は、恐るべき災厄だ。
例えば、ポレシャ規模の大きな市町《ブーグ》であっても、蛮族の大規模遠征の標的となれば、負けないにしても大変な難事であろうし、軍事費の負担は洒落にならない。十数年に一度でも連続して受け続ければ、発展する力は吸い取られるし、もう少し弱い町であれば、徐々に衰退してしまう。だから、ズールの住人の一部が、蛮族の虜囚たちに厳しく当たるのもけして理不尽とは言い切れない。
元々、自由都市の虜囚に対する扱いは良くない。ズールは人情味があるとは言い難い町だが、敵対する者たちには特に無慈悲に振舞うし、自由都市を脅かすだけの力を持つ勢力に対しても狷介に振舞いがちである。両者を兼ね備えた蛮族の尖兵ともなれば、虜囚たちの末路は推して知るべきだろう。
マギーが捕虜とした娘は、中々に可愛かった。それに多少、素直そうにも見えた。二十歳を越えてない。十代後半に差し掛かったところか。若いから、矯正できるとも限らないが、年喰ったものよりは可能性もある。半月ほどズールの地下牢獄で過ごして、他の捕虜やら囚人やらの扱いも目にしたに違いない。それは凶悪犯用収容の為の地下牢だもの。軽犯罪者や窃盗犯、破産者向けの監獄やら留置場やらとは端から扱いが違う。
ズール側が捕虜にした蛮族が奴隷市で競りに掛けられるのもよくあることで、面会室に連れてこられた蛮族の娘は、目に見えて脅えていた。地下牢の看守、とくに下っ端は安月給で粗暴な上、質も良くないから、囚人がリンチされて死傷したり障害を負うことも、女の囚人が妊娠させられる不祥事も時々は起こるし、滅多に咎められない。家畜と同様、奴隷の赤子も売れるのだ。
部外者による囚人の取り調べや面会には一応、役人とまともな牢番が立ち会う仕組みだ。石畳の薄暗い部屋で囚人となった蛮族娘は、マギーを見るなり跪いた。
「うん?」首を傾げるマギーちゃんに対し、開口一番「母は浚われた女奴隷でした」と言ってきた。
「何時も浚われる前に暮らしていた文明地での生活を聞かされました。こちらへの遠征に加わったのは、逃げ出す機会を窺っていたからです」話す内容を予め、考えていたらしい。
ふふッと笑ったマギーは「聞いたか?この蛮族娘は、少なくとも馬鹿ではなさそうだ」評価するように同行者たちに告げると「確かに……相手が何を知りたいかを考えた弁明」ジーナ・
「ドラマでローマ人の買い手に弁舌する主人公みたいなシーンだな」ニナが唇に指を当てて呟いた。確かに、かなり古典的な捕虜が主人(権力者)に自分の価値を示す場面に酷似している。奴隷や捕虜となった人物が、教養や技能がある。役に立ち、相手に利益をもたらせる、と弁舌で示し処刑や過酷な扱いを避ける局面だ。
ニナやジーナ・
「隊長さま、どうか機会をください」蛮族娘の必死の懇願に対して、マギーは一瞥を返した。「助けたとして……裏切られたら、被害が大きい。だが、舌の廻る奴だ。弁舌の内容も悪くない」告げてから「ホントか、嘘かは別にしてもな」と頷いている。
「嘘など……」言葉に詰まった蛮族娘に対して「本気で変わろうとしているなら、嘘でも構わない」マギーは手を振った。
「さて……文明人に成りたがっているのが本当かどうか」首を振りつつマギーは、文明――と言う言葉に皮肉っぽく自嘲の笑みを浮かべつつつも『――1000CR――thousand。price――10000CR』と記載された手元の青い用紙を立ち合いの役人に差し出した。役人が肯いてメモを返しつつ「刑務作業でまともに働いている、ようには見える。見た限りではな」と報告してくる。
「それは勿論、蛮族の娘も必死なのだろうが。少なくとも取り繕う事も出来ない奴よりはマシだろう」目の前で判断基準を其の儘語ると、役人も頷いた。
「お前がまともな態度なら、買いとる事も考えておいてやろう。また、来る」
実際には既に初日、マギーは自分が捕まえた虜囚の身柄を買い取っている。別に其の儘、おのれの捕虜として連れ帰ってもよかったのだが一度、ズールに身柄を渡し、かつ預けておいたのは、正規の奴隷所有の手続きを踏む為と、現実を見せた方が素直になると踏んだ為。それに虜囚の性根を見極める為の猶予期間だ。
所有権は、ポレシャ市のマルグリット・モイラのものとなっている。マギーは奴隷制は好きではないが、引き取らないともっとひどい目にあうだろうし、それに貧困や孤児に対するセイフティとして、資源の枯渇した社会には他に回答がない側面もあった。
ともかくも、使い潰せる蛮族奴隷の――それも若く美しい娘を欲しがるものは多い。十倍出すなら、売ってもいいとも告げていた。マギー本人が一万程度は簡単に出せる人間だし、まったく売るなと言う方が搦手を使われた場合は危険だ。なので、一万。それをはした金と出せる金持ちなら、マギーも突っぱねるより折れた方がいいと判断していた。その時は、蛮族娘にとっては不運なことになるだろう。いや、まともな主人なら幸運かも分からないが。とは言え、五千とか、八千あれば、美しく従順な奴隷や技能奴隷を購入できるし、マギーも揉めたくないような大物は、滅多に地下牢には来ない。そして、一万惜しむ程度の小金持ちであれば、マギーが突っぱねても平気だろう。多分ね。
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野良犬《ストレイドッグ》と野犬《フェラルドッグ》は、外見は似ていても中身は明白に異なっている。例え、野良の番から路地裏に生まれ落ちた生粋の野良犬《ストレイドッグ》であっても、ある程度は人に慣れているものだ。街や村といった生活圏に溶け込み、残飯を漁ったり、餌を貰ったりで生き永らえ、街路や空き地に人の子と遊んだり、時に悪戯や追いかけられても、声や匂いに慣れているものだ。
農村生まれの料理番リリーが「犬を飼いたい」とか、やはり農村出の用心棒リジィが「番犬はいいものだ」と訴えるのもおかしい話ではない。廃墟育ちのニナやトリスたちが「犬恐い」と口を揃えて猛烈に反対するので取りやめになったが、農村で番犬や家畜の見張りをして幼い子供に添い寝してくれる忠実な飼い犬と、廃墟の住人が思い浮かべる、人でも家禽でも襲う凶暴な野犬はまったく別物である。
暗闇から出てきた野犬の群れに闇夜の廃墟で襲われた経験が一度でもあったら――まして死体を漁るそれらが犬との初遭遇であれば「犬って怪物の一種ですよね?」「犬は、殲滅すべきニャー」と言う発想もまた自然なものであった。
二、三匹やそこらの野犬なら兎も角、二十匹から時に五十匹以上にもなる群れ。特に狼犬や、稀にはコヨーテの血を引くものまで混ざっている大規模な群れとなると、それなりの惣村や居留地にとっても侮れない脅威となる。相当の金を払ってでも、狩人団や浮浪傭兵の徒党、放浪騎士と従卒の一団を招かねばならない。
そしてポレシャ市内と近郊の農村部にも、少なからず野犬の群れは存在している。
略奪者《レイダー》や屍者の河、大型変異獣の群れや変異熊、屍熊のような致命的な脅威ではないものの、数においては他の脅威を上回っていると推測している学者や狩人もいた。野犬たちは、巨大鼠や巨大蟻などと共に雑食性で、荒れ野から丘陵、沼沢地や森林、湖水地帯に至るまであらゆる場所に生息しており、巨大蟻よりも遥かに敏捷で、巨大鼠よりも遥かに手強く、小は二、三匹から、大は時に百匹近い群れを形成する狂暴な野生動物として、農民や庶民に恐れられていた。
何処からか、赤子の鳴き声が聞こえた。大人たちの恐怖や苦しみを嗅ぎ取っているかのように、火がついたように泣いている。地区でも外縁の住居や、村外れの家屋などはとくに襲われやすい。ポレシャ市の自治区でも場末の界隈――ほんの数戸の廃屋やら天幕の孤立した一角に暮らしている数家族は、碌な武装を持っていない。精々が壊れかけのクロスボウが一つか、二つ。アーキバス銃か、ラッパ銃の一丁でも持っていたら、立派な方だ。
やせ衰え、襤褸を纏った老人がマギーの家を尋ねてきたのは、つい一週間前。三月の半ばであった。
「あんたさまは偉い勇士だと聞いている。どうか、助けてくれんだろうか?」
ポレシャ市には幾人かの勇士・英雄がいる。筆頭は遊牧民を戦争で撃退し、市民や農場主からの支持も厚いキャシディ・エヴァンス保安官だろうが、ロラン・モーデュソン卿(実際のところ、彼の一族は金持ちの市民に過ぎないのだが)に妹のクリスティーネ・モーデュソンの兄妹もポレシャの騎士と呼ばれ、特に近隣の農民たちから人気を誇っていた。マギーちゃん。マルグリット・モイラは比較すると残念ながら、一枚か、二枚落ちるだろう。
強盗団や無法者討伐に功績のある有能な指揮官だが、やや気まぐれで基本、無料で屍者や変異獣を狩ってはくれるものの戦う相手は自分で決めるし、気に入らなければさっさと帰ってしまう。近所に暮らす者たちからすると、無料で十数体の屍者やら巨大蟻、野犬の群れなども退治してくれるのだから、崇拝しても良いくらいだが、あまり関係ないところには出張らない。良くも悪くも、おのれの領域や縄張りを守る地元の勇士でしかない。
かき集めたであろう古い紙幣や錫に鉛、鉄の貨幣の入った革袋を手に頼み込んできた老人の家は、聞いてみれば意外と近場であった。話を聞いたマギーちゃん。地図を広げて眺め「はした金はいらん。私のやり方に文句を付けたり、手を引いた時に責めないなら引き受けてやる」と告げた。
勿論、ポレシャ市には、非常時に編成される市民軍を頂点として、保安官事務所や民兵隊、騎兵隊などが存在しているが、市の軍事力が対処すべきは、まず近隣の略奪者《レイダー》兵団や無法者《アウトロー》の砦、街道上の盗賊団の動向であり、次に大型から中型の変異獣たちや屍者の大規模な群れ。或いは、民間人に対処し難い強盗団や家畜泥棒、狼の群れや人食い熊など、より直接的に人命を脅かす存在であって、野犬は後回しにされがちだ。
一般衛兵や自警団、農民兵らも、マスケットやクロスボウを所持していたものの、倉庫や農地を荒らす巨大鼠やら巨大働き蟻に向けられがちであり、野犬はどうしても優先順位が低かった。結果、真っ当な居留地に暮らすものにとって脅威を実感し難い野犬たちは、防備の整ってない小さな集落や部落、廃市街の人々の生活を日々、脅かしている。
マギーちゃんは暇してそうな牧者の知人を探したが、生憎とジーナ・
野犬の群れが何匹かは分からない。一網打尽に出来るはずもないから、マギーちゃんたちは、数日に一度。万全の準備をしつつ、待ち伏せるに適した廃屋の二階などでゆっくりと過ごした。少しずつ地図を作り、建物の配置や内部の様子を確かめ、壊れたタンスを開ける時など、数人で盾に斧や剣を構え、手甲を付けて慎重に調べていく。屍者が一番、恐いし、噛まれてタンスに逃げ込んだまま、屍者に転化する者だっている。古い建物は恐いのだ。
安全を確認したら、お茶を飲み、本を読み、二時間か、三時間。書類仕事だってしたり、話し合いつつ、見張っている。犬がやってきたら、同行している住民が野犬かを確認する。後は、上から発砲して二、三匹でも、仕留めてしまう。仕留めた犬は、住人たちが持っていた。食べるのかも知れない。円弾だけは回収しておくが大抵、潰れているので、再利用は出来ない。精度が落ちるからだ。
「……来ました」まき餌として傷んだ芋やらパン、食べ残しなどを地面に撒いていた。初めに様子を見た時には、幼い子供が拾って食べていた時には、マギーちゃんはドン引きした。「……そう言えば、廃墟に住んでいた頃なら、拾って食べたかも」などとニナも呟いていた。止めて。そんな拾い食いした口でキスしないで。
ガツガツと、痩せ犬たちが残飯を漁っている。人間の匂いには気づいているだろうが、侮っているのだろう。頷いたマギーちゃんは手信号で合図を出し、六人は立ち上がって窓に姿を見せ、一斉にマスケットを発砲した。
ギャン!と甲高い、何とも言えない悲鳴を上げて犬が飛び上がった。かなり大きな犬もいるようだが、ぐるぐると廻ったり、地面でのたうって甲高い声を上げたり、吹っ飛んだ足で走り出している犬もいた。冷静に次弾を装填し、二、三十秒で順次、自由に発砲すると、すぐに動かなくなった。
「この野郎!」と怒鳴りながら、こん棒を手にした住人が廃屋から飛び出して、こん棒を死んだ犬――多分、死んでいる――に叩きつけた。目の玉が飛び出す。余りに残酷で見たくないのでマギーは目を逸らした。よほど怨みがあるのだろうが、マギーにはどうでもいい。同調もしない。ただ野犬を倒して人を救った。それだけでよい。
マギーは仲間たちを見まわしてから「銃の調子はどうですか?」と特にトリスに尋ねた。「はい、完璧っす」トリスが応えた。
トリスは一人だけ歯輪式銃《ホイールロック》を用いている。ルガリエ工房の新作だ。ゼンマイ動力を使って歯輪《ホイール》を回転させ、これで着火する事によって発砲する高度に機械式の銃で、歴史的には火縄銃《マッチロック》と燧石銃《フリントロック》の間に位置している。
歯輪式銃《ホイールロック》は、燧石銃《フリントロック》に対して、幾つかの長所を持っていた。射程と威力、装填時間は殆んど変わらないが、信頼性――不発率が非常に低く、即応性に優れている。欠点としては故障率と値段の高さであるが、19世紀は産業革命期程度の冶金や工作技術を持つズールであれば、少なくとも故障率は大幅に低下している。
デメリットとしては、複雑な構造に対して15世紀末から16世紀の冶金、工作技術では故障がやや多く、素人による修繕は困難だろう。さらに値段が高価なこともあって今一つ普及できずに、主流になり損ねた徒花的なマスケットの一種であるが、のちに燧石銃《フリントロック》が発明されて以降も、歯輪式銃《ホイールロック》を好んで用い続けた騎兵や貴族などが少なからずいたことは特筆すべきだろう。
値段の高さと手間暇から早々、量産は出来ないが、価格を除けば、ルガリエ製歯輪式銃《ホイールロック》は、性能面だけならば、燧石銃《フリントロック》に対して優っていると断言して良いというのがマギーちゃんの評価であった。恐らくは、マスケットにおける量産型の一つの解答だろう。
一週間で五匹――十日で七匹を仕留めると、野犬たちは一帯に近寄らなくなった。爺さんは不満げにしていた。群れの縄張りに踏み込んでいって倒して欲しかったらしいが、冗談ではない。「自分でやりたまえよ」手をひらひら振って、ただ働きしたマギーちゃんは悠々と自宅へと帰還したのだった。
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