三月も終わりに近づく頃になると、街角にも他所からの旅人を見かけるようになる。冬が終わって一か月も経てば、随分と街道も通り易くなって、旅支度をした連中が近隣の大きな市町を訪れては仕事を探したり、取引をしに来るようになるものだ。
ポレシャ市も見慣れぬ顔を度々と見かけるが、これが街道の要衝に座す自由都市ともなれば多少、大きな町とは比較にならぬほどの賑わいを見せるものであり、同時に犯罪も増えてしまうのが法執行官らの悩みどころだろう。
その点、我が愛する町ポレシャ市は、丁度良い塩梅であった。蛮族などが富に惹き付けられるほどには大き過ぎず、かと言って、屍者や変異獣に脅かされる程、小さくはない。
春眠暁を覚えず。マギーちゃんは、
「一部の木こり団の薪。少しだけ値上がりしてる」戻ってきたニナが言ってきた。
「普段なら、この時期、安くなるけど、妙に強気ですね」マギーは首を傾げた。ポレシャ市は、複数の木こり団と取引しつつ、市の直営の木こり団もいれば、遠来の山の民や森の民の隊商とも取引して薪の値を抑えている。あまり値上げしても、他の木こり団やら公定価格と競争になるだけだ。それほど気にする事は無いだろう。
「他には、それほど気になることはない」頭の片隅のメモに書き残して、マギーは頷いた。
※※※※
薪1キロは、1時間ほどの暖を取れる。町外れ地区での価格は、2キロあたりおよそ1(地区の)通貨ほどとなる。
自由労働者の日当が15から25通貨だから、冬場には馬鹿にならない燃料代が掛かる。仕事も少なく凍てつく冬場は、薪代は家計を圧迫し、死人が出かねないと思いきや、少なくともポレシャ市に限っては、貧しい浮浪者《ホーボー》や廃墟生活者、乞食の類も凍死者はそれほど多くない。
熱は分かち合える。貧しい家庭でなくとも、冬場には一つの建物に数家族が身を寄せ合い、暖炉やストーブ、竈の熱を分け合って冬を越すのは普通の過ごし方だ。
夜だけは十人近くが一部屋で眠ることも珍しくない。十人が一キロずつ薪を持ち寄れば、一晩中、寒さを凌げるだけの火を維持できる。
共同生活を行えば、かなり薪を節約できる。大袈裟ではなく、三人集まれば、暖を取る薪は、半分。五人ならば三分の一ほどで済む。八人以上になると、流石に四分の一では済まない。例えば、料理も増えれば、煮炊きの薪も増やさなければならないが、それでも伝手や仲間がいるといないのでは、冬の過ごしやすさは全く異なってくる。
前近代のヨーロッパでも、冬は一室で大人数が寝たり、家畜を屋内に入れて暖を取る暮らしは珍しくない。冬場は万事、薪を喰う。暖を取る、料理を作り、湯を沸かし、身体を暖める茶を入れ、洗濯に濡れた衣服や靴を乾かす。明かりも必要だ。薪が足りなければ、まずは洗濯と身体を洗う湯が削られる。料理と茶を減らし、火を細くすれば薪は結構、持つものだ。
買う薪はいささか高いが、賃金や取引の対価を薪や炭、現品などで受け取ってもよい。春や夏には、値下がりした薪をさらに多めに受け取れる。三通貨分を薪五キロで受け取って貯めておけば、安心して冬を迎えられる。盗まれるのが心配であれば、簡易宿泊所やら冬の共同避難所に預けておくこともできる。おのれの名前の付いた炭置き場に、数十キロを盗まれる恐れもなく貯めておけば、独り者でも暖かく冬を過ごせる。働けない女子供や老人、不具者がいても、二十人ほどの避難所や宿泊所で二、三トンも薪を貯めておけば、冬場だって乗り切れると言うものだ。
春先を迎えたマギーちゃん一味。冬の間、結構、贅沢に薪を使ったにもかかわらず、マギーちゃんは個人で1800時間分――二トンほどの薪を余らせていた。マギーの小屋は結構、防寒対策されているので、秋も深まるまで殆んど暖房としての薪を必要としなかったのもある。
「ぐふふ。寒さを恐れる必要がない暮らしと言うのは、まったくいいものじゃわい」
積み上がった薪の山を前に、(野ざらしの)ソファに座ったマギーちゃんは、(近所の野良の)白い猫を撫でながら、ぐふぐふとほくそ笑んだ。
火事が恐いので今度から貯める場所は変えます。と指示しつつ、古い山から使うようにと料理番のリリーに伝えておいた。薪の備蓄量がちょっと尋常ではない物持ちともなると、貧乏な頃とは別の悩みが出てくるものだ。
格安で買える優先割り当ての分を活用したり、配給分を素直に受け取っていた他、折を見て安い時に買い溜めておいた。しかし、貯め込んだがこれだけの量になると逆に売れない。木こり団や炭焼きに正面から喧嘩を売ることになってしまう。連中、どうしてか、善良な行商人のマギーちゃんを恐れている節があるが、それでも他人様の領分に土足で踏み込めば、血を見ることになるのは間違いない。
(近所の困ってる連中にちょっと廻してやるかな)それでも余るだろうが、考え込んでるところに、少女の時分からの付き合いなジーナ・
「え?なんです、それ?」とマギーの問いかけに「崇拝です」と真顔で答えるジーナ・
「……本気で言ってるのかな、こいつ?」呟いてるマギーに、ジーナ・
「乞食坊主?喜捨でも欲しいのかしらん?追い返しなさいよ。お金が欲しいのはこっちですよ?」言ったマギーにジーナ・
「それがなんとも妙な一行でして……マギーに引っ越しの挨拶に来たと」
※※※※
ジーナ・
人々の信仰は何時の時代も為政者を悩ませがちな課題だが、自由居留地圏のポレシャ市には信仰の自由が法で保障されており、多神教とキリスト教、仏教に祖霊信仰系などですみ分けている。市のキリスト教徒たちは、以前から正式な司祭を欲しがっていたのだが、参事のジャッコーニ老人が、大教会《グランドチャーチ》を警戒している。、他所の大規模な宗教組織に十分の一税やら、市の聖職者任命権を握らせるつもりはなかった。
危機感を抱いたジャッコーニ老人と幾人かの参事らは各々、独自の伝手で評判の高い独立系聖職者と秘密裏に接触していた。ダニエル師はその候補の一人である。
ダニエル師は、腹の前に掌を上向きに重ねて、親指を合わせたまま静かに立っていた。座禅の法界定印《ほっかいじょういん》によく似ている。
「これはダニエル師」マギーが軽く会釈すると「お久しぶりです」と落ち着いた雰囲気で会釈を返してきた。頭頂を剃った禿頭が陽光を眩しく反射した。
マギーは見渡した。心なしか、子供の数が以前より増えている気がする。
揃いのコートに燧石銃を背負ったマギーたちを見て「すげぇ!軍隊だ!」「悪者だァ!」子供たちが口々に言っていた。
「違います、いいものですよ?」ジーナ・
キャッキャと笑い転げる子供もいれば、指を咥えて近くの店から漂ってくる食べ物を見つめている子もいた。仮にも地区の大通りだから、最近は、屋台やら建物に机を置いた店も増えている。林檎やカボチャパイに炒り豆、炒った胡桃や栗、焼き菓子、団子に砂糖を振った揚げパンなどは子供には目の毒だろう。
「……お腹空いた」と呟いている子らにダニエル師はポケットを探ってから「夕餉にはスープとお粥があります」と哀しげな表情で告げると、子供たちも哀しげな表情を浮かべた。腹を空かせている子供の大群を前に、マギーは天を仰いでから「立ち話もなんですから、私の家に」とダニエル師と欠食児たちの一団を家に招いた。
そして、まあ、案の定。テーブルの上は戦争みたいになった。食べ物の備蓄には余裕もあり、料理番リリーは材料を厭わずに子供たちに料理を振舞った。子供たちは地獄の餓鬼もかくやと言う勢いで料理の皿に群がった。マギーの古巣である傭兵団――スネイクバイト団の食事でさえ、これほどの勢いで料理が消えるのを目にしたことはない。流石に体調を考えて肉は少なめ。消化にいいスープを主体に野菜や肉の細切れを混ぜた粥や乳で煮たパン粥、熱いエールにキャベツなど煮込んだもの。そして簡単な焼き菓子と焼き林檎だが瞬く間に全部売れた。
「このうちの子になるぅ!」言い張って足に縋り付いてきた十歳児に軽くデコピンを返してから、マギーはなにか言いたげに居候のジゼルを眺めた。
「……なんだよぉ」と子供らの世話を見つつ、お姉ちゃん面してる同年代の居候を一瞥して肩を竦めてから、マギーはダニエル師に向き直った。
敷地の隅では山羊娘のルーが子供たちに群がられて、メェーメェーと鳴いていたが、普段なら助けてくれそうなトリスと猫耳ココは生憎、門前地区の蚤の市に露店を出しに出かけている。
子供の人数は、見たところ十人ほどもいる。
「以前より増えていますね」マギーの呟きに対して「やはり、一昨年の寒波で養いきれず、子を預ける親たちもおりまして……」と苦渋の滲んだ顔でダニエル師。
いずれもやや痩せ気味だが、少年少女らは誰も顔色は悪くない。それなりに食べさせているとしたら、それでも大したものだが。「以前より、ジャッコーニ殿に援助を戴いておりまして……なんとか」とダニエル師が肯いた。
「ポレシャ市に移れば、孤児院を建てて薪と食料も援助できると……」どうやら援助を引き換えに口説き落とされたらしい。喰えない爺さんだなと思いつつ、マギーは頷いた。
「手頃な土地を戴きまして。中々に頑丈な建物です」それでも朗らかに笑みを浮かべたダニエル師だが、口にしたのは廃市街との境界近い旧消防署。確かに頑丈ないい建物だが、少し離れた通りや周辺区画の建物には、屍者や変異獣、野犬や巨大蟻が徘徊している。子供たちを住ませるのに適しているとは到底、思えなかった。
「……爺さん、なにを考えているんだ」マギーが顔を顰めると「見に行ったところ、頑丈な木柵もあり、立て籠れるだけの頑丈な建物です。裏口には逃げられる路地もありますので」ダニエル師曰く、野原での掘っ建て小屋の暮らしより安全だと告げてくる。
「……まあ、それはそうかも知れませんね」マギーは肩を竦めた。可愛らしい子らだが、この先も無事に過ごせるかは分からない。確かに野外よりはマシだ、分の悪くない賭けでもない。人狩りに押し入られて浚われたり、屍者に壁を破られて全滅するかも知れないが多分、大半が大人になれるだろう。幸運を祈るしかない。
別れ際、ダニエル師は、思い出したように懐から手紙を取り出した。
「ジャッコーニ殿から、貴女に手紙を預かっています」差し出してくる。
受け取った手紙を一瞥したマギーはくつくつと笑い出した。
ジーナ・
※※※※
ダニエル師と子供たちは、旧消防署の中に荷物を運び込んだ。なんとか日没前に、全ての荷物を運び込めた。荷解きは明日以降になるだろう。
ポレシャ市の寄越した荷馬車は小さなものだったが、それでも荷物を全て詰め込んで、小さな子らを載せてしまえるほどに、元々の荷は乏しかった。
消防署には、畑を作れそうな広大な庭が、土嚢や木柵に囲まれていた。芋やエンドウ豆、人参、キャベツ。ライ麦や雑穀、カブ、クローバーを植えれば、取りあえず食べ物には困るまい。問題は水だが、それについても案内人がやってくるらしい。明日の朝には、外の木柵をこの目で確認し、一本一本の強度を確かめておかなければなるまい。それから念の為、一階の窓も塞いでおいた方がいいだろう。土嚢を積むには人手も必要となる。大量の釘と木板を頼むことになるが、果たして届けられるだろうか。
ダニエル師は、建物の壁にそっと触れてみた。ひんやりとした冷たさの伝わってくるコンクリートの壁は、冬には冷えるかも知れない。しかし、荒野に置いてきた藁葺き小屋の頼りない土壁に比べれば、随分と心強かった。少なくとも屍者や変異獣が体当たりしてきても、狼や熊が現れてもビクともしないだろう。だが、油紙を張っただけの窓では、何時破られるかも分からない。
先刻まで子供たちははしゃぎまわって、各部屋を探検していた。一応、市の雇われ人が消防署内を確認したそうだ。どこかに屍者や変異獣が潜んでいるかも知れないと怯えてきたが、どの部屋もがらんとしていた。使い出のありそうな道具やら机やら、全て運び出してしまった跡なのだろう。とは言え、これなら怪物が潜んでいないのも一目瞭然だ。逆にホッとしたが、しかし、この建物は余りにも広すぎる。幾つかの廊下は土嚢などで塞いだ方がいいだろう。少人数では、侵入を防げない。
現在、子供たちは居ぬきの部屋に毛布を敷いて眠っていた。昼間にご馳走になったからだ。久しぶりに腹を満たして安らかに眠っている。
子供とは言え、十余人の食事は、相当な負担だろう。最初の使者としてやってきた女性。思っていたよりは、有力な人物なのだろうか。だが、それにしては町外れの粗末な小屋に住んでいるのは解せない。権力者にとって使い出のある人物と言うことなのかもしれない。頼れるだろうか。分からない。別れ際に大きめの銅貨を十枚ほどもくれた。子供に親切に振舞って食料や身銭を割いてくれるのは感謝すべき善行だが、宗教的な争いで全面的に肩入れするのとはあまりにも違い過ぎる。相手にとっても、重い決断となるだろう。それに、そもそも異教徒かもしれない。
自分が、何らかの権力ゲームに巻き込まれていることはダニエル師も理解している。参加者ではなく、駒として。
ポレシャ市の一部の参事たちは、恐らくはダニエルを擁して、大教会《グランド・チャーチ》の権威に対抗するつもりのようだ。
(……今さら、宗教戦争《リリジャス・ウォー》の時代でもあるまいに)ダニエル師は苦々しい思いで首を振った。自分と言う存在が、信仰や救済の為の組織同士の争いの名分にされる。それはダニエル師のような純朴な聖職者にとっては、空恐ろしいことだった。大教会《グランド・チャーチ》は確かに幾らか問題ある組織だが、人を救ってもいる。欠点のある大きな家を倒して、その下にいる人々まで傷つけるかもしれない。だが、子供たちになにかが起きることが、さらに恐ろしい。彼ら彼女らを救うには、ポレシャ市に身を寄せるしか手は無かったのだ。
「……神よ」掠れた声で囁き、ダニエル師は蝋燭を一本ともした小さな祭壇の前で一心に祈りを捧げた。窓の外、厚紙を通した陽光が徐々に薄れていく。もう日が暮れつつあった。
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