街道の雪も溶けさる四月初め。町外れの下層地区――最近は、庶民区の空き地にて、旅芸人一座の馬車列の前で巻き毛のルーが泣いていた。キキも泣いている。
「元気で過ごすんだぞ」ずびぃ、と鼻を啜りながらキキが抱き着いた。
「そっちもなのよ」山羊娘のルーも、涙声を出している。
「あの子をお願いします」座長が頼んできたが、マギーは簡単な約束をしなかった。
(……普通に賃金払うし、衣食住の面倒は見るけど、どうなるかはルー次第かな)
己が料理番の手伝いとして雇われる立場なら、悪くはないと思う程度の待遇は与えるが、ルーの人生はルーが決めるものだ。安く請け合おうとは考えなかったマギーだが、しかし、悪い扱いをするつもりもない。
「勿論、働いた分は払うし、粗末には扱わない。幸せになれるよう、見ておこう」嘘はつかない範疇で、出来るだけの約束はしてやる。なんだかんだで人はいいのだ。
ふわふわの白い毛の巨大蜘蛛が先頭を歩き出した。『フェルトン一座』と書いた馬車列がゴトゴトと音を立ててゆっくりと動き出した。
馬車の中から座長の妹ブレンダとキキが手を振っていた。巻き毛のルーは、背後から料理番リリーに抱きしめられて、メェメェと鳴いている。リリーも当事者じゃないのに泣いている。そうした別れはルーだけではなかった。
「俺の事も忘れないでくれよぉ!」マギー一行の傍。逞しい中年の男が手を振って街路を往く旅芸人たちに別れの挨拶を送っている。「どうか無事で」一座の古株らしい四十路の女性も、佇んで見送りながら、目尻に涙を浮かべていた。出会いと別れを繰り返すのが旅芸人一座の生き方なのだろうか。座長が出会いと別れの歌を歌い始めている。どうやら、他にもポレシャ市に残る者がいるらしい。
三々五々に見送りの人々が散っていった。逞しい中年がルーの傍らによってきてぐしぐしと頭を撫でた。ルーは不満そうに、ふすふすと唸ってから、髪の毛を整える。
男は大笑いしてから、此方の視線に気づくと、服の埃を払って挨拶してきた。
「レスターです。モーデュソン一家に世話になっておりまして」レスターは、卵型の頭と横に伸びた栗色の毛髪。髭と胸毛。拳は硬くて大きい。強そうだ。明るいハシバミ色の瞳。中々整った顔立ち。一目見たら忘れられない風貌をしている。多分、舞台映えも旅芸人には大事なのだろうか?
「ああ、いかにもあの一家で気に入られそうな筋肉ですね」マギーは呟いた。と言っても、レスターは筋骨隆々ではない。ステロイドの前の時代のレスラーやボクサーのような、競技に最適化はされてないが、がっしりとして体幹の強そうな体型だ。地元の騎士モーデュソン家の荘園に留まったらしい。巡回
「ルーを可愛がってやってください」白い歯をむき出しにしたレスターは、そう言い残して去っていった。
しかし、フェルトン一座からは、巡回
(大丈夫かしらん?)マギーちゃんは、少しだけ気になった。餞別に火縄銃の一丁か、二丁でもやればよかったかな。それとも、あの蜘蛛が一座を守れるくらいには戦えるならいいけれど。
ジョージアも出迎えに来てた。リリーとなにかを話している。親密そうな雰囲気で邪魔する気はなかったが、マギーをちらちらと見ている。
流石に露骨過ぎたので「なんです?」と尋ねると、「なんでもないよ」とリリーは首を横に振るう。肩を竦めたマギーは懐から財布を取り出し、薄いペニー銀貨を十枚ほど取ると「なにか二人で食べてくるといいですよ」とリリーに手渡した。
※※※※
マギーちゃんは、月に一度か、二度はお風呂に入っている。勿論、もっと頻繁に身体をお湯で洗っているが、
貧しいものがまず最初に切り詰めるのが、身体を洗う水と洗濯だ。身体を軽く拭くだけの水代でも案外と大きい。それを削ると、怠け者でも結構、楽に暮らせたりする。ポレシャの庶民地区には冬越えの四か月、身体を洗わぬ剛の者たちが犇めいている。だが、マギーちゃんは許さなかった。「居候するのであれば、三日に一度は洗ってもらう」と命令した。
「せめて週に一度にしてくれぇ。垢が無くなったら風邪を引いちまう」呻くジゼルに「駄目だ。これでも妥協してるんです」無慈悲な宣告。
乾燥している気候の為、体臭はそれほど匂わないが、狭い小屋ですし詰めに暮らしていれば、やはり気に食わない。そう言う訳でマギーちゃん。札束を用意し、仲間たちを引き連れて地区の大浴場へと向かった。留守の子たちも、あとで入れ替わりに風呂へと入らせる。マギーとニナ、ジーナ・E
マギーは、女同士で三人の仲間と関係を結んでいた。お風呂で性的に戯れてから、気持ちよく汗も流した。
「それにしてもリリー。もうじき、結婚式ですか」ため息を洩らしたマギーに浴槽の中、小柄なリジィが慎ましい胸を押し付けながら「おい、こういう時に他の女の話は止せ」と文句を付けた。
「まあ、ジョージアは思ったより、真っ当な男です。リリーも幸せになれるでしょう。暫くは通い婚で、新居は持てるか分かりませんが」リジィを抱き寄せつつ、マギーは目を閉じた。
「職場遠いですよね」ジーナ・
意外なところではジゼルも手先が器用だが、気が向いた時に何日も機械に向き合う癖、普段は怠惰なので料理人には向いてない。
「そう言えば、ジゼルはどうでしょうか」とジーナ・
「おるかー!」と、いきなり浴室の扉を開けたのは牧者の娘イザベル・ミラーだった。泡だらけで抱き合っていたマギーたちが硬直する。素っ裸のイザベル・ミラーも硬直した。お供の褐色娘エジプシャンはマギーたちを凝視してる。数秒の沈黙の後、何事もなさそうに立ち上がったマギーが「やあ、イザベル」と挨拶を送った。
イザベル・ミラーは、マギーの前の椅子に座った。
「あのな。マギー、資材扱ってるでしょう?コンクリートブロックが欲しいんだけど、手に入るかな?」とメモを手渡してくる。息を荒げていたニナが「いいところだったのに……」と恨めしげにぼやいて、エジプシャンは「なにが?」と尋ねていた。
「荒野にいい拠点を見つけたんだけど、壁の穴を塞ぐのにね」イザベル・ミラーが説明してくる。
「かなり高いですよ。でも、これくらいの量なら自由都市で手に入るかな。鉱夫団や職人衆は都市銀貨や銅貨での払いを喜ぶと思う」マギーが頬に指を当てながら、考え込んだ。
「安く付く?」とイザベルは値段を気にしている。
「値段を気にするならば、運ぶのがネックですね」マギーが言うと「あー、それは、南回りの荷運び隊に頼むよ。流石に行商にはね」運送は手配できるとイザベル・ミラーは言ってきた。
「それなら……」マギーは頷いて手間賃を告げた。
話し合いが済むと、イザベル・ミラーが立ち上がった
「要は済んだ。さらばぞな」
イザベルの歩き方は、少し内股で、頬も紅潮していた。
ふと、悪戯心を起こしたマギーは、イザベル・ミラーの腕を掴んで壁に押した。
「わあ。なにをするぞな!」イザベル・ミラーの抗う力は弱かった。
「ねえ、イザベル。振られたんですってね。こんなに可愛いのに。勿体ないことをする人がいるものです」顔を近づけながら迫ってみる。
「やめ、やめるぞな。もし」イザベルは戸惑い、頬を赤く染めて、キュッと目を閉じた。マギーは言われたとおりに「はい、止めます」と手を放して朗らかに笑った。
「大丈夫です、イザベルは魅力的な人です。貴女を好きな子は、男の子にも、女の子にも沢山います。あまり鬱屈したり、拗ねないでくださいね」
イザベルは怒ったように軽く拳を撃ち込んできた。マギーは笑いながら、受け流した。
「……一部の傭兵団とか、戦士団は、男色や百合が珍しくないとは聞いてたけど」お供の褐色娘エジプシャンが首を傾げながら「結束が固くなるって。試す?」上司に尋ねていた。
「冗談は、やめるぞな!本当にやめろ!」イザベル・ミラーは怒りながら浴室から去っていった。
「そろそろ、驢馬が欲しいですね、驢馬。エサ代も安いし。比較的、穏やかで使いやすいです。頑固だけど」お風呂に浸かりながら、マギーは目を閉じた。
「真冬には使えませんよ。その時だけ馬やラバを借ります?」とジーナ・
「驢馬を買ったら、いよいよ一人前の親方だね。変な言い方だけど」ニナが言うと「普段、預ける宛ても出来ましたからね」マギーは微笑んだ。
※※※※
マギーたちが帰宅すると、それと入れ替わりに料理人リリーに率いられた徒弟たちやルー、何故か混じっているセシリアもお風呂に出発の準備を始めた。浴室を借り切っての入浴であるから、元から一人くらい増えても大丈夫だが。
徒弟トリスと猫耳ココは、真剣な表情で持っていく玩具――文字通りの玩具を吟味していた。十代も半ばであるが、プラスチック製の潜水艦や車。ビニール製の怪獣。ラバーダックに子猫の人形を手に取り、考え込む表情は、まるで道具を選ぶ職人のように真剣な鬼気迫っていた。二人とも、子供時代に殆んど遊べなかった、遊びという行為そのものが何らかの代償行為なのかもしれない。頭がおかしいのだ。皆、どこか、少しずつおかしい。だけど、狂ってる訳ではない。リリーも急かさない。穏やかに微笑んで待っている。
「北のお風呂は高いですね、びっくりしました」セシリアが呑気に言ってる。巻き毛のルーは、藁と布で作られた人形を出かける前に、そっと木箱に仕舞い込んでいた。農村の子が持ってるような粗末な人形だが、お気に入りらしい。
子供組を率いて出発する料理番リリーを見送ってから、マギーは振り返った。
「まずは、ジゼル。お前をドラム缶風呂に入れる前に洗います」無慈悲な宣告。
「垢のバリアが皮膚を守ってるんだ」中世欧州の乞食みたいな理論武装をしてきた。まるきりの出鱈目ではないが、洗い過ぎなければ常在菌にダメージが入ったりはしない。
「大分、妥協してるんですよ。孤児院の子らに、ジゼルお姉ちゃん、なんかくっさーい、とか言われたいんですか?」メスガキマギーちゃんに煽られて「うぅ、分かったよぅ」とジゼルは表情を歪めた。
春の日差しの下、火を焚きながら、石鹸を付けた布で身体を拭いてやる。
「うわ、お湯が白く濁ってるじゃないですか。何年、入ってないんですか?」マギーは途中で嫌になった。これではドラム缶が汚染される気がした。流石に口にはしなかったが。
「この布はもう駄目だ。燃やそう」五分か、十分もしないうちにマギーは諦めた。感想した布を与えて水分をふき取ると「明日。いや、明後日も洗いますからね。逃げたら、追い出しますよ?」
身体を拭いて、火で乾かしてるジゼルが服を着ながら嫌そうな顔をした。
(あの服も洗濯せねばなるまい)心に決めたマギーが「置いて欲しいなら、風呂に入りなさい」言い放った。
ジゼルは硬直していたが、渋々と肯いた。
「普通、逆でしょう。お湯と石鹸を配給してるんですよ。何故、逃げるんだ」ぶつぶつと言いながら、マギーは汚れた水を近くにあるリリーの畑の傍の穴へと捨てに行った。
(……そう言えば、シーマちゃんはお風呂好きでした。ああいう子が一人いれば、ジゼルの世話も少しは楽だったかもしれない)マギーは、ガルダ人亡命者の件で敵に回った元部下を思い出した。
仲間の黒騎士たちが巻き毛のルーとセシリア――か弱い子供を拉致して、痛めつけるのを、シーマは黙認した。その時は、捕虜を採る余裕もなく、言い訳も聞かずに処断したが、シーマは環境次第で善にも悪にもなる、いわば普通の人間だ。
(……いやだな。わたしも――少し注意しないと)マギーはため息を洩らした。
後悔した訳ではないが、少し苦い思いを覚えていた。
他人より多少、力を持った人間は、間違えると災厄になりかねない。それと、養えるのならば、もう少し人数を引き受けてもいいかなとも考えた。まともな生活をしていれば、道を踏み外さないで済む者もいるかもしれない。
マギーちゃんは腕利きの行商人である。釘や木材、帆布《タープ》やブルーシート、ポリスチレン、煉瓦、粘土に漆喰、泥材、ペンキなどの資材を集める手腕に長けている。余りものを安く買い集める事が得意だ。一定量までは安値で買い集められる資材を寝かせておき、市や顧客に売り払うことで相当額を稼いでいる。資材不足の居留地では歓迎される人材で、仮にマギーが小村落に移住してたとしても、半世紀後は惣村になっていたかもしれない。自分の小屋を建てる際も、材料には困らなかった。
短期間に大量に集めるとなれば、流石に市場価格で高掴みしなければならないが、掘り出し物だけでも時間と共に相当量を蓄積できる。それこそ、家を作れる程度の資材でもだ。今日も屋根を倍ほどに増築したばかりだ。高く均した土の上にポリスチレンを張り巡らせて、木板を打ち付けてニスを塗っておく。これで断熱した床となる。
出来るだけいい木材を仕入れたつもりではあるし、チェックも差せたが、見落としがあるかもしれない。毛布を敷いたり、スリッパを履いて、木のささくれなどには対処する。床の完成直後は全員で紙やすりを持ち、慎重に木のささくれを探して削らせもする。
後は、壁を作って、古い壁を移動させれば、家の面積が二倍になる。壁を移動させる前には、屋根を一度外す。二度手間となるが、あらかじめ雨漏りやらの不具合がないか、見ておくための期間は取っておきたい。軽くて分解・組み立てが出来る家だからこそのやり方だ。後で、盛り土や煉瓦を用いて床との接触面を固定させる。
不格好な家屋だ。内部には柱が多い。屋根を作るのは、実はかなり高度な大工仕事であったりする。文明崩壊前の痛みの少ない住居に比べれば、みすぼらしくて見劣りするが、
ラジオもあるし、ドラム缶ストーブに横に付けた煙突もあった。市の税法を調べたら、横向きの煙突は、無税なのだ。屋外だがトイレも二つある。洗濯ものも干せれば、畑もある。積んだ土嚢で守られているし、燧石銃《フリントロック》と鋼輪式銃《ホイールロック》も、合わせて六丁ほど手元にあった。真冬の零下二十度でも、なんとか耐えられる程度の家も出来た……広くしすぎてストーブ一つで足りるかな?いや、そこは火鉢を置いてもいい訳だ。それでも、裸一貫の
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