黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

401 / 404
03_114B 驢馬とイオ

 朝焼けの自由都市は美しかった。修繕された文明崩壊前の巨塔と、煉瓦造りの塔、それに漆喰の民家が色とりどりの旗をはためかせて揺れている風景は圧巻だ。早朝にも拘らず、既に石畳やセメントの街路を歩き回っている者たちがいる。商業地区なので出勤する書記や、大きな商店などに勤める手代たちだろう。早朝の喇叭の音とと共に、街中に設けられた辻門が開かれる。

 夜間の出入りを制限する路上の木製門で、そこから早番の手代や荷運び人、早朝から動く商人たちがぽつぽつと流れていた。町商人たちに雇われた傭兵と夜警らが欠伸をしながら、雑談をしている。街路の石畳は朝露で濡れている。数人ずつ人が現れては、店や倉庫、事務所の入り口へと吸い込まれていった。

 

 小さな辻門を潜り抜けると倉庫街に面した労働街区に入った。馬の嘶きに目を向ければ、手綱を引いた馬借たちや牛飼い、それに荷運び人などが朝一番で動き出していた。一人親方の馬借など、特に働いた時間がそのまま稼ぎになるものだから、牛や馬、驢馬などに合わせて起床時間と就寝のリズムを合わせる者も多い。普通の労働者たちは、もっと遅い時間に起きてくる。

 

 路傍では働き者の屋台商人たちが、肉や穀類で作った団子スープを販売している。 

果実の切れ端を浮かべた水売りもいて、夏場には氷水なども売っている。今は普通の水が売られる時期で、三杯買ったマギーは一息にブリキコップを飲み干してから、ジーナ・E(エクルストン)と用心棒リジィを眺めていた。

「最近、仲間たちから緊張感が薄れてきましたね」マギーの言に「うん?」他の二人は顔を見合わせた。

 

「ほら、小屋で冬越え出来たでしょう?」マギーが指摘すると「ええ、おめでとうございます。大出世ですよ」ジーナ・E(エクルストン)が讃えてきた。

「ありがとうございます」とマギーは丁寧に言いかえした。存外、大袈裟でもない。

 

 貧しい放浪者にとっては、毎年、毎年が野垂れ死にと隣り合わせの命懸けの人生だ。一介の渡り人(オーキー)が、放浪生活から一歩抜け出した。薪なり、金を貯め込んだ。冬を越せる見込みを立てた。晩秋まで住める天幕なり段ボール小屋を築いた。一冬越えられる掘っ建て小屋を入手した。雨風をしのげる永続的な家を所有した。冬を越えるだけで中々に困難な上、家を持つとなれば、さらに余剰を積み立てなければならない。天幕から、藁葺き小屋を得るまで一生涯掛かっても届かない者もいれば、世代を越えてようやくまともな家を築く家系も少なくない。

 

「十中八九、来年は、もっと楽になります。だからか、皆から必死さが消えました」言いつつ、マギーちゃんは、背の高い花壇に寄り掛かった。185cmの長身と百キロ近い重さにミシミシと軋んだので慌てて近くの石壁に移った。

「危惧してるのか?」とリジィが尋ねる。

「いいえ。いいことです。楽な状況になった証明ですから。良い状況なのに無理して緊張を維持しようとすればギスギスします」手を振りながら「ただ、完全に弛緩すると、それはそれで拙い」懸念をそう語った。歴戦のリジィにも納得できたようで、ふむん、と肯いた。

 

『生き延びるための組織』が生き延びた後、『日々も続く組織』へ変わる際、いかな変貌を遂げるべきか。幾つかの朧げな思案や方向性は思い浮かぶものの、マギーちゃんにも、これは、と言う答えはない。恐らく、ある程度成功した組織は、次の段階で、必ずこの手の問題に直面してきたはずだが。

 

「手頃な獣討伐やらで危険を忘却しないようにさせつつ、妥当な線を探るしかないかな?皆にも、私の懸念と動機は説明しておきます。多分、その方がいい」マギーは適当に語った。だって、答えなんかないのだから。

「不可解に思ったり、馬鹿々々しいと思う子がいても、まあ、妥協して付き合ってくれるでしょう」と、今の仲間たちを誰も彼もそれくらいは信用はしている。

「まず、君たちに伝えました。まあ、現状維持で落ち着くかも知れませんが。なんぞ、いい意見があったら、聞かせてください。反対意見でもね。叩き台にします」マギーが告げると、ジーナ・E(エクルストン)は、ニヤニヤしてそんな意見有りませんよぉ、とやけに嬉しそうに言ってきた。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 朝の防壁内を散歩でにするかのように、彼方此方と歩き回った。基本は馴染の店舗との取引だが、知らぬ店にも顔を出してみる。時々は、新しい取引先にもつながったりする。一方、昔は常連だった蚤の市には、もう随分と訪れてない。今も変わらず面白い品や掘り出し物は見かけるけれど、時間的に見ると安定して稼げる店を廻った方が稼げるのだ。若く、野心的な行商には、闇市より蚤の市を廻る者もいる。マギーとニナも、駆け出し商人や旅人の頃には随分と稼がせてもらったものだ。

 

 郊外への道中、いつも通りに取引先の店舗に立ち寄って物資を買い付ける。背嚢がある程度、重たくなると、下宿に戻って預けるなどしつつ、まずは手近な家畜市を訪れてみた。畜獣たちが盛んに動き回り、嘶く埃っぽい空気。柵の内側には何頭もの馬や羊、牛や豚が放たれている。とは言え、家畜を集中させると餌や水を運んだり、糞尿の処理も膨大になるので、近隣の牧場や放牧地、河辺や別の市場に分散されており、集められているのはあくまで一部の見本であった。

 

 家畜商や肉屋、馬借や遊牧民、農村や牧場の牧童らが往来しては、良し悪しを指摘し、時に必死に身振り手振りも含めて、値段を値切ったり、吹っかけたり、時には天幕や仮設建物、或いは絨毯の上で銀貨や銅貨の袋に、紙幣の束をやり取りしている。当然、警戒は厳重で警備の雇われ銃士や傭兵の他、牧童やら馬借らもかなりの武装を携えていた。略奪者《レイダー》の兵団や無法者《アウトロー》の砦も代理人を立てて買いに来る家畜市で、銃を抜いたり、強盗する馬鹿は滅多にいない。

 

 良さげな驢馬はいないかと見て回ったが、実のところ、マギーもそれほど家畜を見る目がある訳でもない。サドラン牛の時は仲介人なども立ち会ったし、羊や豚、鶏の良し悪しくらいなら多少は分かるにしても、驢馬となると自信がない。毛艶は油や薬で誤魔化すし、酷い奴だとヒ素を飲ませたりもする――これは都市法でも犯罪だから、そうはいないが――蹄、歯並びなどで年齢や病気を見抜ける自信もない。それほど悪くないかな?となんとなく思う程度だ。

 

 驢馬の平均寿命は25年から30年とかなり長く、良い環境下に置かれた驢馬が、40歳を超えるのも珍しくない。健康年齢は3歳から15歳だが、若い驢馬を買えば、20年以上を付き合う事例も珍しくはなかった。品種による差も大きい。例えば、幾つかの小型のイタリア種は、体重が八十から百二十キロほど。荷役も無理しなければ30キロほどだ。普通の荷役驢馬なら、体重が百五十から二百五十キロ。

 

 いずれも短い旅なら体重の三割。長旅なら二割ほどが荷重として適切だ。大型はポワトゥー種で三百キロ級。その他、半トン近い驢馬もいるけれど、これは餌代や預け先の厩舎の料金など維持費を考えると、全く割に合わない。要望にあうのは、五十キロほどを無理せず運べる普通の荷役驢馬となる。

 

 ジーナ・E(エクルストン)や農村出のリジィに聞いてみるが「……分からんですね。時々、馬に乗る程度で基本、歩兵でしたし」「右に同じぃ」驢馬への鑑定眼は、マギーと似たようなものらしい。

 まあ、あまり長々と悩んでも埒が明かない。三人寄ればなんとやらだ。あまりひどい外れを掴まされることはないだろう。それに、値段並みの品質程度の驢馬でいいのだ。万が一、外れを掴まされても、今のマギーにとって驢馬はさほどの大金でもないのだ。

 

 家畜商人。鑑札を持った地元の売り手たちの間を適当に歩き回って、目ぼしい驢馬を探した。遊牧民やら牧童らの売る馬や驢馬よりもやや高めの値付けではあるが、当たり外れが少ないからだ。逆に言えば、病気の家畜も少ないが、掘り出し物の名馬や駿馬も滅多にない。ちなみに牧者は羊を。牛飼いや豚飼いや牛や豚を扱っているが今は特に用はない。時々、訳有りの羊皮紙を安く買い付けるくらいだ。

 

 

「イタリア驢馬だ。山地育ちで脚が強い。体重は180そこそこ」売り込んできた小柄な驢馬に目を止めた。

「悪くないね。800で売ってくれ。ポレシャに届けられる?」尋ねるも、「おい、この毛艶を見てくれ。1000の価値はあるよ!」値段交渉を吹っかけてきた。

 今は、長々と交渉を楽しむ気分ではなかった。

「なら、いらん」値が合わないと見るやあっさりと引いて、隣の商人のところに歩いていき、やや小柄な驢馬を眺めた。

 円らな瞳をマギーに向けて観察してくる。中々、賢そうに見えた。少ししゃがみ込んで撫でたり、互いに匂いを嗅いだりする。頭を寄せてきた。

 

「こいつは?」と尋ねると「6歳の雄。山岳の方の血が入ってる。粗食でもへこたれない」家畜商がぶっきらぼうに答えた。隣でのやり取りを見てたらしく、やや警戒の視線を向けてきている。

「800で売ってくれ。前金で半額。ポレシャに届けてくれたら、残り半金を払う」とマギー。

「輸送費が掛かるぜ?」頭を掻いた家畜商に「ボーナスとして200、届けたらさらに200出す」とマギーは告げた。

「ええ、と。今、六百で、あとで六百か?千二百?」家畜商は、目を丸くしてる。驢馬自体の相場が800ほどだ。中々に法外な輸送費だと自分でも思う。

「おい。もっと立派な驢馬が買えるぞ。小さいやつなら、二頭だ……本気か?」窺うように言ってくるので、マギーは事情を話した。

 

「話を聞け。中型の扱いやすい驢馬が欲しいんだよ。体格よりも、素直な奴な。あまり重たい仕事をさせる心算もない。月に十日。積み荷も、50キロくらいかな」目的を説明しながら「ただ、旅の記録をレポートで報告して欲しい。一日、何キロを移動したか。なにをどれだけ食べて、幾ら金が掛かったか。途中の関所で幾ら払ったかなど。幾ら掛かったか」

「随分と色々と聞いてくるなぁ」と家畜商が面倒くさそうに言う。

「自分たちでも南回りを通す時の参考にもなるからな。輸送費400は、その報告書の手間賃も含んでいる。引き受けてくれるか?」マギーが尋ねると「よろしい。引き受けやしょう」考えずに即断してきた。1200都市通貨は、それなりに魅力的な報酬のようだ。

「商人同士の約束だ」と家畜商が手を伸ばしてきたので、握手を交わした。

「では、そこで話を詰めよう。ここで六百。残り六百は、ポレシャに付いたら」マギーは、仮設建物の喫茶店を視線で指し示した。

 

 契約書を取り交わし、取引を済ませた後、都に戻ったマギーは、鑑札から相手の評判を調べた。ポレシャ市で指折りの商人【キャプテン】ヴァル・ドレイクが若かりし頃、似たような馬輸送の依頼をしたのだが相手の馬商人。なんと宿場町の博打で大負けし、預けた馬まで賭博のかたに取られてしまった。当然、所有権を巡って相手の賭博師と裁判になったのだが、辣腕の隊商主も若い頃には、手痛い失敗をしたと、今はそれなりに知られている笑い話だ。

 

 軽く調べたところでは、取り立てて悪評もない。別に博打打ちと言う噂も聞かなかった。ただ、一応、家族や親せきの住所も押さえておく。逐電されても探偵を雇ってある程度なら追えるだろう。リジィはマギーの周到さに鼻白んでいたが「本当に用心深い商人なら、当たり前のように取引前に調べます」とマギーは告げた。最も数千単位の大きな取引であれば、マギーだって事前にある程度は相手の評判を調べるが。

 

「マギーは二人目に対してメッセージを送りつつ、交渉の主導権を握る為、一人目を振ったのかも。勿論、一人目と纏まったら、其の儘でも良かったんだろうけど」ジーナ・E(エクルストン)は歩きながら、隣のリジィにつらつらと考えを述べた。

「一人目を仕込みに使ったのか。よく考えるものだ」リジィもアートオブウォー(孫子)は読まされた。指桑罵槐《しそうばかい》の応用に少しだけ感心しつつ、用心棒は肩を竦めた。「隊長が賢いから好きなのか。好きな人が賢い隊長だから嬉しいのか?」

 「十年以上の近い付き合いですからね」ジーナ・E(エクルストン)は、ほほ笑んだ。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 やるべきことは大方、済ませた。後は、蛮族の虜囚の処分を決めるだけだ。

 マギーと仲間たちが、捕虜収容所を兼ねた警備隊の地下牢を訪問したのは、夕刻のほんの少し前、夕暮れが西の空に広がりつつある時刻だ。顔見知りの牢番の一人がカンテラを手に態々、迎えてくれた。

 

「……辛気臭え牢獄だな」廊下を歩きながら、リジィが毒づいた。

「陽気な牢獄なんてものがあれば見てみたいですよ」ジーナ・E(エクルストン)が牢獄内の陰気な囚人たちを冷たい目でじっと見ていた。

 コンクリートの打ち抜きの半地下の牢獄内には、藁や毛布、それに排便用の壺が隅に置いてあるだけだ。

「ポレシャの刑務所を思い出すぜ」とリジィは嫌そうな顔で吐き捨てる。

「彼女は、元囚人で?」マギーの隣を歩いていた牢番が驚いたように尋ねる。

「きちんとした戦時捕虜ですよ」マギーはリジィの名誉の為に説明した。

「おう、数か月も牢に入れられたぜ。その時の刑務所長がマギーだ」リジィが言った。

 もの問いたげな牢番の視線にマギーは肩を竦めて、口を開いた。

「リジィは、ズール側……ではなく、遊牧民側で戦い、戦後にスカウトしました」

「いい指揮官だぜ。盗賊と二度やり合ったが、一人も死んでねぇ」とリジィが最大限の賛辞を送った。

 

 明り取りを兼ねた小さな通風孔から徐々に陽光が零れ落ちていった。薄暗い廊下を歩き続けるうちに、突き当りの曲がり角までやってくる。

「……此処にいるのは凶悪犯と蛮族の捕虜ばかり。スカウトには向いてないな」牢番が肩を竦めた。牢内の囚人が通り過ぎるマギーたちに手を伸ばしながら、「よう!姉ちゃんたち!夜の相手でも探しに来たか!」

「毛布なら貸してやるぜ。俺の隣が丁度、空いてるからよ!」声を掛けてくる。

「……昔、賭博の手入れで捕まって、エミリー(メイ)と一緒に留置場に入れられた時を思い出します」マギーがうんざりしながら過去の思い出を語った。

「此処までお上品ではありませんでしたが……」

「お友だちのエミリー・グレインズだが、この間も違法賭博で捕まって破産者用の留置場に拘留されていた」牢番が教えると「あいつは多分、死ぬまで懲りないんでしょうね」マギーはぼやいた。

 

「で、ええと」マギーが肯くと「囚人だな。今、連れてきます」牢番は言い残して、曲がり角の回廊の向こう側に消えた。暫くは松明だけが照らす薄暗い一角に三人だけで残された。マギーは思い耽っているように沈黙していたが、暫くすると木枷を付けた蛮族の娘が連れてこられた。

 

「手を出せ」素直に従った蛮族娘の腕から木枷が外され、代わりに鎖の手枷が繋がれる。鍵がマギーに渡される。壁に寄り掛かり、腕を組んでいたマギーが顔を上げた。「君を引き取ることにしました。ポレシャ市に連れ帰ります」と宣告する。

 

「正直、見捨てようかとも悩みました。嫌なら、拒んでも構いません」マギーは本当にどうでもよさそうに告げた。

「連れて行ってください。他の道が貴方の召使いより、マシとも思えない」蛮族娘が訴えた。何故か、憂い顔で蛮族娘を見つめた後に「この選択が正解か、間違いかは私にも分からない」とマギーはため息を洩らした。

「後悔はさせません」蛮族娘は静かに言うが、「そうあって欲しいものだ。お互いの為にも」マギーはそう言って振り返った。

「ついてきなさい。悪いが手かせは外さない。暫くはね」

 肯いた蛮族娘が歩き出すと、マギーは気づいたように再び声を掛けた。

「それで君を何と呼べばいい?」

「奴隷の腹から生まれた身分の低い身ですから、おい、とか、お前とか呼ばれていました。よくある事ですが」蛮族娘の返答に、マギーは少し考えてから「母親は貴女を何と呼んでいた?」

 蛮族娘は、記憶を探るように数秒、目を閉じてから「イオ」と答えた。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 関係ないが、蛮族娘のイオだけど、うーん。実は名前がない。

 そして一緒の組で戦死した娘が母親にイオと呼ばれていて、咄嗟に出て。

 イオを探しに来た身内とかが来て、名前を盗んだな!ってなっても、

 マギーちゃんからすると機転を利かせたのか。

 わたしにとって、イオはイオです。となる。なんて、エピソードも考えた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。