自由都市ズールとポレシャ市では、奴隷の扱いについても差が大きかった。公的私的に関わらず奴隷の売買が盛んなズールに対して、ポレシャ市は奴隷の売買は認めていないが、他所の土地で購入した奴隷については、市法に基づいて扱うよう求めている。つまり、戸籍持ちの自由民に対するよりは軽いとしても、奴隷身分も法で守られており、殺傷は刑罰をもって罰せられるし、労働に対しては賃金を支払わねばならない。そして奴隷が望むのであれば、自らの自由を買い戻す事が出来るのだ。
これには道徳的な理由と同時に、大量の奴隷が低賃金労働者として市場を圧迫し、自由労働者や小作人、作男らの職を奪うことへの警戒も含まれていた。兎も角も、道徳的、経済的な理由の両面において、ポレシャにおける奴隷の扱いは穏当なものになるように設計されており、全員が厳格に法を守る訳ではないにしろ、大規模な経済的侵略はし辛いよう機能している。一応、ズール都にも、奴隷への賃金は慣習法であるが、ポレシャ市ほど明文化されてない。
それにポレシャ市では、奴隷所有者は胡散臭く見られがちであったし、所有する奴隷を解放せずに何年も奴隷身分に留め置くことは、感心されない行いだと白眼視もされている。実際に自分が奴隷を所有する日が来るとは思っていなかったが、納得してポレシャ市に留まっている以上、勿論、マギーも市の法を尊重するつもりではあった。
「月の賃金は居留地通貨で四十八。乃至は都市通貨で三十二。好きな方を選んでください」マギーは淡々とイオに告げた。
奴隷娘は言葉を失ったかのように絶句している。週に12通貨は、確かに酷い賃金だ。
貧しい寒村の雇われ農夫と同じか、少しマシな待遇でしかない。
「安いかも知れませんが、貴女の働き次第で、賃金はおいおい増えます」マギーはいい訳のように付け足した。
「代わりに、食事と寝床は支給します。薪は共有ですが、使い過ぎなければ問題ありません。衣服は年に一回。敷地の隅に古い段ボール天幕があり、そこを……」
イオがやっと口を開くと「え、賃金貰えるんですか?」か細い声で尋ねてきた。
「……え?貴女、今までどういう環境で働いてたんですか?」
その日は、収容所近くで手近な木賃宿に泊まった。牢獄生活から釈放されたばかりの蛮族娘――イオは、寝不足と空腹によって少しだけ衰弱していた為、夕暮れの都市を急がせるには不安があった。足元がふらついて覚束ないのでゆっくりと歩かせ、近くの屋台で山羊の乳で似たお粥を喰わせてるうちに日没が訪れてしまった。
今まで食欲旺盛な仲間しか見てなかったから、食の細いイオにはいささか不安を覚えたが、僅かな食事で随分と顔色が良くなったので安心する。が、しかし、慣れたポレシャ市であれば兎も角、自由都市ズールは広大かつ複雑怪奇な街路を有しており、貧困や犯罪の影もまた根深かった。燧石銃《フリントロック》や鋼輪式銃《ホイールロック》で武装した三人組でも、今から下宿やら、滞在者が宿泊できるポレシャ公邸。定宿にしている宿屋まで夜の街路を歩く気にはなれなかった。夜は恐いのだ。
「……ええと、貴方を所有する過程で1000都市通貨支払いました。1000都市通貨を払えば、自分の身柄を買い戻して解放奴隷になれます。忠実に働いてくれた場合、この1000を賃金とは別に減価償却して、毎月10減らします。8年4か月で解放されます」
ランタンの明かりの下、ガラスペンで書類を書きながら、マギーは奴隷娘イオに説明している。なお、ランタンは木賃宿で借りたものだ。旅用の道具としては所有しているが、今回、下宿に置きっぱなしにしていた。薄暗い木賃宿の雑魚寝の片隅。周囲からは、露骨な警戒やら不躾な値踏みの視線が投げかけられる。三人組の軍用コートに整備されたマスケットは、自由労働者や
用心棒リジィも、ジーナ・
(……そうか、金持ちか)マギーは内心、風体を軽視していたおのれに舌打ちした。今までは辛うじて許容範囲だったにせよ、一線を越え始めていた。これから先、旅人向けの街道以外では、もう木賃宿に泊まらない方がいいだろう。そしてズールの貧富の差は大きく、富裕層と貧乏人の対立は、ポレシャ市のそれと比較にならないほど根強く、時に暴動が起こるほどに激しかった。
危険を敢えて楽しみ、味わうように、しかし、マギーは説明を続けた。危険な気配を読めないのではなく、読んだうえで、さらに行動を続ける。仲間たちに、頭がおかしい、と見做される部分かもしれない。
「契約書に目を通して、文句がなければ、サインしてください。公証人が立ち会うので、質問するべきことはあらかじめ纏めておきなさい」マギーの説明に「え?契約書があるんですか?」とイオの言葉が返ってきた。
「え?ありますよ。それは。奴隷をなんだと思ってるんですか?」
奴隷と言う言葉が行き交うたび、場の敵意と苛立ちが少しだけ強くなっているのを肌で感じる。だが、まだ閾値ではない。だから、マギーは表面上、気にせずに言葉を続けた。
「……もし、逃げることを考えていても、文明社会の事を一通り学んでからをお勧めします。他の者たちと会話すれば、置かれた境遇がどの程度かも分かるでしょう。もっと待遇のいい所を探して、余暇に働いても自由です。その金は貴女のものになります」
「休暇……あるんですか?」とイオ。
「もう、突っ込みませんからね」マギーは疲れたように首を振った。
「手枷は外しませんよ、蛮族さん。或いは、こちらを油断させるつもりかもしれませんしね。仲のいい友人を殺されたから、復讐の好機を狙ってるとか」マギーの言に「いません。友だち……」イオは寂しげに呟いた。
「そうですか」
蛮族――と言う言葉に、やや敵意が薄まった。蛮族が脅威なのは、金持ちも、貧乏人も同じだからだ。奴隷にされた娘と金持ち商人から、虜囚の蛮族と捕えた連中へと認識が変わったか。同時に蛮族に対する敵意はあるものの、野蛮な社会から逃げ出して都市に溶け込む者らもいる。一方、都市から逃れて蛮族社会に合流する傭兵や追放者らもいた。生活様式が別れて数百年、或いは千年単位を経ているとしても、元々、人種的にはほぼ同じだ。それでも、今度はイオに憎しみの視線を向ける者もいたが、大半は戸惑いながら、興味を無くしたように木賃宿に漂う敵意は徐々に霧散しつつあった。
※※※※
翌日、夜明けと共に木賃宿を経ったマギーたちは、下宿している商店に帰還すると一日かけて休息し、英気を養った。「……蛮族ですか?」商店の者たちにやや嫌な顔をされたものの、イオも休ませて滋養のある食べ物を取らせた。下宿先の穀物商グレインズ商店にとって、マギーは年間三万通貨分からのポレシャ産小麦を仕入れる窓口となってる。両市の通貨両替の手間暇や物置代わりに屋根裏をマギーに貸しているが、その程度であれば充分に軽い負担だろう。
一日かけて物置で休ませたイオが回復したので翌日、自由都市ズールを発って、ポレシャへと帰還したが、街道筋にしろ、丘陵地帯の横断にしろ、いささかの緊張を要した。味方三人の中にどう動くか分からない異分子が一人いた為、巨大蟻との遭遇にしろ、その他の脅威にしろ、普段よりも危険な動きを強いられた。仮にイオが致命的なタイミングで裏切っていたら、誰かしらが負傷したかもしれない。
巨大蟻に遭遇した時、イオを手放し、三人は後退しながらの各個射撃戦術で対応した。大した数でもなければ、働き蟻の耐久力や外殻の装甲もたかが知れていたので、あっさりと始末してから、再出発する。マギーちゃんは、出発間際にイオの名を呼んだが、出てこなければ、逃げたか。怪我をしたか。それはそれで構わないと踏んでいた。しかし、イオは岩陰からひょこッと表れて戻ってきた。ならば、それもいいだろう。
マギーはイオに忠誠心は期待していないが、機転の速さと弁舌から判断力は期待している。とは言え、己の基準で判断し過ぎ、自身では情けを掛けたつもりの奴隷から背中から刺されるのは、支配者や奴隷所有者にあるあるだ。
「奴隷所有者になった以上、傲慢になり過ぎないよう何卒、慎重に」一応の忠告をするジーナ・
さて、ポレシャ市に帰還した後、マギーちゃんは敷地に天幕を建てた。帆布とブルーシート、段ボール。そして木材を柱と梁に組み立てた段ボール天幕を、奴隷のイオは無言で眺めていた。なにか言いたげにマギーちゃんを見つめるが、その目には裏切られたような光が宿っていた。
「気に入りません?いやなら、他を考えますよ」マギーちゃんは首を傾げた。イオは沈黙を守っている。
「言っておきますが、虐めとかじゃないですよ?数年前まで私や仲間たちが住んでいた家ですからね。あれ」マギーちゃんが言っても納得してないようなので、手を引いて地区内を散歩した。もっとひどい襤褸布の天幕や、針金とビニール紐に新聞紙とビニールを張り付けた天幕。そして路地に取りあえず作られた天井の下、毛布を敷いた簡素な家を見せた。
「自由労働者とか、
「……ひっどぉ」
「なんだ、お前。やっと手に入れたわたしの立派な家に文句あるのか、このやろぉ!」襤褸布の天幕から
真っ先に一人、逃げ延びたマギーちゃん(逃げ足が速い)は、街路の曲がり角でイオを待ちわびていた。怒り狂った
「取りあえず、奴隷を見捨てて逃げる主人は、良くないと思う」イオがやっと言うと「家の事です」
数秒の沈黙。「まあ、不満があるなら、金を出して木賃宿に泊めてもいいですよ」とマギーは、頷いた。
「あの家でいいです」と奴隷娘のイオが言った。
二人で戻ってから、興味深げに眺めてくる行商団の仲間たちにイオを紹介した。
「襲ってきた蛮族を返り討ちにして都市に売り払い、一人、買いました」とマギー。酷い紹介だ。
「蛮族だ、蛮族」「にゃー」徒弟の単眼トリスや猫耳ココは興味深げに話しかけていた。ニナも近くで聞いている。少女たちは三人とも武装を携えており、立ち姿には、腹部に重心を置きつつ、全身に満遍なく力が行き渡っている。日本の武道で言う、丹田に力を入れる姿勢。襲われても次の瞬間、どうとでも動ける姿勢だ。イオも単眼や猫耳の変異者にギョッとした様子だったが、ぽつぽつと答えていた。蛮族にもいるはずだが、部族によっては排除しているのかもしれない。マギーにも分からない。
徒弟トリスや猫耳ココは、友好的に振舞っているが、油断はしていない。イオが危険な行動をすれば、躊躇なく、制圧に必要な行動を取るだろう。二人とも危険な環境で生きてきただけあって、戦う時には躊躇はしない。ニナも言うまでもない。ただ、普段は全く暴力的ではなく、良く抑制されている。
意外なことだが、誰に対しても優しいリリーや巻き毛のルーが蛮族と聞いて嫌悪を隠さなかった。距離を取って話しかけない。いや、逆だろうか。平凡で戦えない旅人や村人たちにとってこそ、話が通じない蛮族は恐怖の対象なのか。料理番リリーや山羊娘ルーは基本、身を守る以外で他人を傷つけようともしないし、普段から見せる善良さも嘘ではない。仲間が傷つけられれば怒るし、恐ろしい相手にだって立ち向かう。勝てはしないけど。食い扶持を削って、ずっと友だちに食べ物を届けもする。多分、暴力と言う選択肢が最後の最後まで出てこないからこその忌避行動なのか。
隻足のジゼルは、唾を吐いていた。
「けっ、蛮族め」単純な偏見と差別意識だろうか。ジゼルはそう言う奴だ。とは言え、しばしば蛮族に襲撃される常民からすれば、身を守るための正当な差別でもあり、責められない反応でもあった。
「ジゼル、あの子は私の持ち物ですよ?」マギーは奇妙な言い方で窘めておく。
「しっぺ返し喰らってもしりませんよ。奴隷による怒りの反撃事件も意外と多いんだから」脅かしたつもりではないが、「なんだよぉ、どうしてあたしに辛く当たるんだよぉ」ジゼルは怯んだ。
「ジゼルの為に言ってるんです。これでイオが存外と人物かもしれない。今、そう言うことを投げかけると、仲良くする可能性を失うかも」適当なことを言ってたら、フスフス鼻を鳴らしてたルーが肩掛け鞄を漁って、おずおずと林檎をイオに差し出した。イオはじっとルーを見つめたが、受け取って礼を言ってる。料理番リリーはため息を洩らしてから、竈へと向かい、「そんなら、手伝ってくれる?」とイオにも声を掛けた。イオは頷いて、ゆっくりと歩み寄っていった。
「解放奴隷になる前に、仲直りできるでしょうか?」マギーの謎めいた言い方に「なんか、根拠あるんか?」とジゼル。
「上の立場にいる間に優しくした方が、追いつかれたり、一人前になってから優しくするより効果があります」マギーの言を聞いてジゼルは顔を顰め「お前のそう言うところ……いや、いい。まったくクレバーだよ」感心したように鼻を鳴らした。
それからの数日は、イオに付き添った。買い物の仕方も碌に知らなかったからだ。どうやら、蛮族内でも相当に扱いが低かったと見えて、文字も余り書けない。触りを教えつつ、ジゼル――意外と頭がいい――に教師を頼んだ。どうせ蒸留器が完成させるまでは暇な居候なのだ。食事は皆と同じものを食べさせて、毛布も与えた。今のところは、不満は少ないように見える。色々と興味を見せて、つまらないガラクタを買ったり、針や糸で服や布を直していた。将来的には、針子に使えるかも知れない。
食べ物と楽な仕事――給料は安い代わり、イオには役割を限定した楽な仕事しかさせていない。奴隷の使い方なんて古来よりこんなものだ。さもなければ逃げだす。
勿論、ガレーの漕ぎ手や鉱山奴隷など、使い潰すような扱いをされる者たちも少なからずいたが、北米の奴隷制のような極端な事例を除けば、奴隷とは存外、緩い扱いも多い。特に肌の色や言語、見た目や宗教、文化などが近ければ、近いほどに相手を同じ人間と見做す風潮もどうしたって強くなる。殆んどはある程度、拮抗した国力や文明で勝ったり、負けたり、奴隷にしたり、されたり。肌の色や宗教、言語や文化にある程度の近似値を持っており、あまりに残酷に扱えば、叛乱も起きるし、白眼視もされ、母国も報復してくる。
古代ギリシアの昔から、昨日の自由民が今日、奴隷になることも、今日の奴隷が明日、自由民となることも人の世の業、何者にも避けられぬ巡り合わせなのだと見做されていた。マギーやその他の仲間とて、何時か一敗地に塗れて捕虜となり、奴隷として売られる日が来ないとも言い切れない。世界は常に不確実で、人の命運を定める