黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_116B 『初期条件』

 物凄い夕立が降っていた。どす黒い雲が天を覆い尽くして、目前の視界も儘ならない。

(……今日は、孤児院に泊まった方が無難だろう)外を眺めながら、マギーは結論した。しかし、得てして、こんな雨の日に限って怪物どもは警戒線を越えてくるものだ。いや、豪雨や吹雪の日には、どうしても怪物どもの影を見落としがちになると言った方が正解だろうか。これほどの土砂降りの雨では、鋼輪式銃《ホイールロック》でも性能の半分も発揮できまい。視界の悪い中、突然に複数の屍者に襲われたら、仲間の誰かが犠牲になるかも知れない。かと言って、どこかの建物に籠って一夜を越えようとも、仮に雨に紛れて怪物の群れが忍び寄ってくれば、同じことだ。

 

 孤児院でも似たようなものか。迎撃しやすい地勢ではあるけれど、あまりに多数の変異獣や屍者の群れ、巨大蟻が押し寄せてくれば死ぬことになる。或いは、変異熊やら屍熊の群れでもいい。時々、稀に耳にする生中な武装では防ぎようのない悲劇だった。

 

 マギーは微笑んだ。おのれの師である冒険商人が何時も笑っていたのを思い出したからだ。死は何時も突然だ。黄昏の世には、死にそうにないものが突然にいなくなる。【大胆不敵】オーのように。外の雨の音に耳を傾けて物思いに耽っているマギーの笑みを、徒弟のトリスや猫耳ココ、用心棒リジィなどが心強そうに眺めていた。

 

 部屋の真ん中にはランタンが揺れており、建物の廊下では驢馬が歩いている。

 子供たちを載せて、ジゼルが手綱を牽いていた。隻足で義足でありながら、上手く驢馬を誘導している。ネムも良い驢馬だ。賢く落ち着いた性格で子供たちと遊んでやっている。単眼トリスと猫耳ココも時々、外を気にしながらも穏やかな雰囲気で過ごしていた。子供たちに対して、少しお姉さんぶって振舞っている。

 

 巻き毛のルーは子供たちに抱き着かれて、メェメェと困ったように泣いている。セシリアは食後の片づけをしていた。幸せな優しい世界だ。マギーの口元に笑みが浮かんだが、隣にダニエル師がいることを思い出し、油断を消した。聖職者とは、世界で二番目に油断をしてはならない職業だ。

 

 

 ダニエル師に皿の上のカボチャパイを勧められる。秋に収穫した保存用の南瓜に若干の砂糖や香辛料、卵に油、クリーム類を混ぜて焼いたパイ。態々、持ってきた南瓜らしい。ちぎって口に入れた。悪い味ではない。いや、最近、口が奢っている。多分、子供にはご馳走だろう。特に普段から、甘いものを食べ慣れない子供には。はしゃいでいる子もいたが、浮かない顔をしている子もいた。子猫を見せに来ていた野良猫親子がここ数日、姿を見せてないそうだ。まあ、よくある話ではあった。

 

 用心棒リジィは、隣で食事を取りながら、年長の子供らに畑仕事のコツや、町との取引に相場の見方などを教えている。随分と気に入ったようだ。小さな農園ではよくあることだが、土が痩せるので小麦や大麦は植えていない。ジャガイモに豆、カブ、あとは定番のクローバやら雑穀類の組み合わせで連作障害を避ける。だが、麦類は換金作物でもある。食べていくものを優先する農民には、どうしたって金に縁が無くなる。

 

 パンプキンパイは、用意された殆んどを子供たちが食べ散らかした。持ってきたバスケットの中身も、だ。子供たちは想定以上に腹を空かせていたし、マギーたちは連日、しっかりと食べているから、夕食を食べ足りないだけならさして気にならない。

 毛布を床に並べ、十人以上の子供たちが寝息を立てている。楽しかったのだろう。夢の中で笑っている子供もいた。ルーとセシリアは子供たちと一緒に寝転んでおり、まだ暖かい季節にトリスや猫耳ココは、壁に寄り掛かって眠っている。驢馬も屋内に藁を敷いていた。変異獣も出没する地区に、日没後の野外に家畜を放したりはしない。例え、木柵がある庭内で、それなりに戦える驢馬であってもだ。許されるのは、訓練された複数の犬くらいのものだ。

 

 マギーは寝酒を戴いた。エールにバターを溶かしこんだスープみたいな代物だ。用心棒リジィや隻足のジゼルも一緒に飲んでいた。ランタンの下、ダニエル師の表情には、妙に懊悩の影が差していた。なにかしらを悩んでいるようだ。マギーは少し考えてから「パオロ・ジャッコーニになにか要求されましたか?」

 意外そうに眼を瞬いた後「いいえ、いいえ。ですが……怪物の事で悩んでいました」僅かに言い淀んでそう告げる。

 

 先日、巨大鼠の群れを殲滅したばかりだが、怪物やら野生動物の群れは、当然だが他にもいるらしい。「ああ、なるほど」マギーは肩を竦めた。それから土砂降りの窓の外を眺める。古い窓枠に木枠を外から嵌め込んであり、さらにガラス窓を嵌め込んであった。ステンドガラスめいた鉛で接いだ硝子の丸窓は、技術の低さから多用されているが、怪物が来た時に備えて、内側には木板が釘で打ち付けられ、バリケードとなっている。よほどの強力な怪物か、多数の屍者でもない限りは、窓枠は破壊できまい。

 

「この建物であれば、滅多なことは置きませんよ」何と言っても、旧文明の消防署跡。頑丈さには折り紙付きだ。言いつつ、マギーは少し物哀しくなった。

「そうですね」肯いてるダニエル師。

「そして何かあれば助けに来ましょう」言った時に、ダニエル師の表情に後ろめたさが浮かんだ。先刻も、言い換えた気配と緊張感が漂ったので、マギーは首を傾げた。

 

 騙すつもりはないが、本当の言葉を、別の問題に置き換えたのかもしれない。多分にダニエル師は嘘が嫌いな性格と思えた。そう言う人間が誤魔化す時は、大抵、関連する問題の一部に焦点を矮小化したりする。もっとも、賢い嘘つきも使うテクニックではあるが。ダニエル師の場合、多分、まだ整理できていないか、あるいは言うべきか迷っているとマギーは洞察した。勿論、こんな洞察が、まったくの勘違いな可能性もあるけれど。

 

「よかった。もしかしたら、老ジャッコーニに無茶振りされたのではないかと心配した」マギーは敢えて、ダニエル師の言葉にうなずき、さらにやや見当違いの言葉を口にした。ダニエル師の人柄に多少、好感を覚えていたし、問い詰めても意味はないからだ。

「あの老人は悪い人物ではないが、取りあえず他人に無茶振りしてくる。気にしないで構わない」などと言葉を続けると、ダニエル師が苦笑を浮かべた。

「出来なくても責め立てるような性格ではない。同時進行で別の手を打っている。あの手の人物の言葉を全て本気で受け取ったら、持たないよ」マギーにしても、相手に期待や責任感を植え付けるために言葉を使う瞬間がある。言わば、同類であるから、相手がパオロ・ジャッコーニであろうとなかろうと、政治家や役人の言葉なんて半分、受け流しておけと暗喩でアドヴァイスしておいた。

 言葉の裏に込めた意図は、いくらか伝わってくれたようで、ダニエル師は僅かに微笑みを浮かべた。気も楽になったのか、張り詰めていた気配も多少だが緩やかになっている。

 

 マギーや用心棒リジィ、徒弟のトリスや猫耳ココは、ウトウトとしながら夜を越えた。子供たちに抱き着かれていた巻き毛のルーが取り残されそうになった。雰囲気で優しいのを子供たちが察するのだろうか。早朝に軽い朝食。薄焼きの雑穀粥を貰い、それから別れ際に握手を交わした。痩せぎすのダニエル師だが掌は力強く、無数のマメが潰れて、また新しく出来ていた。農民の掌だ。

 

 

 帰路。ひと気のない街路の路地に蠢く影を見かけた。先日、巨大鼠を排除したばかりのショッピングセンター跡地の周囲の路地で、まるで蘇ったかのように巨大鼠の群れが我が物顔で徘徊していた。狭い路地に屯している巨大鼠たちが猫と子猫たちを追い詰めていた。通りかかったマギー一行に気づくと、小さな目で貪欲に凝視してくる。一匹が威嚇するようにキィキィと牙を剥いてきたので、トリスが鋼輪式銃《ホイールロック》を構えて、発砲。巨大鼠の額に穴が開き、脳漿が地面にばら撒かれた。

 

 巨大鼠たちが逃げ散り、猫たちはその隙に小さな排水溝に飛び込んでいた。

「生きるのは大変だ」トリスは呟いたが、これなら猫もまた孤児院に姿を見せるだろう。遠くからは、野犬たちの遠吠えが聞こえてくる。歩道橋の近くでは働き蟻たちが十字路を這い廻り、運悪く迷い込んでしまった廃墟民の成れの果てである屍者たちのうめき声も何処からか聞こえてくる。物陰から奇襲されないよう、道の真ん中を歩きながら――これは対人戦闘とは真逆のセオリーではあるが※――歩いている時、マギーが唐突に立ち止まった。漆黒の大型変異獣が支配者の如く、遠く建物の屋上から荒廃した街を睥睨している。マギーは両手で銃の構えを形作ると、変異獣に狙いを定めて「バン!」と呟いた。

 

 

 ※ tips――手強いレイダーなど、アジトの近くにゾンビの群れを閉じ込めておいて、襲撃を受けた際に、解き放ってくる。防御火点に身を晒すか、ゾンビの奇襲の可能性を込みで遮蔽を採るかの二択を敵方に強いるのだ。マギーはあっさりと撤退して遠巻きにしたが、それも戦術的自由が許された状況でこそ、取れる戦術ではある。指揮官によって、銃兵と板金鎧兵の組み合わせなど、色々と考えるだろう。 

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 参事の老パオロがマギーの家に訪ねてきたのは、その日の昼前。つまり、マギーの行動を読み切ったかのように、帰宅してすぐに顔を合わせた訳だ。

 お土産のお茶の袋をマギーに渡しつつ「ほだされたかな?」会うや開口一番、そう切り込んできた。

「爺ィ……ジーナ・E(エクルストン)がさすがに罵りを口にしかけるもマギーに一瞥されて、「失礼」と渋々と謝意を口にした。心理や行動パターンを読まれるのは、まだ若さの残るジーナには、心が見透かされたようで不快なのか。

 

 ニナは冷静に考えている。幼少期から、マギーよりもさらに過酷な環境で生き延びてきた廃墟の娘――こういう時は、相手の思惑を見抜くのに実に頼りになる血の繋がらない妹だけど、流石に相談する時間も選択肢も無かった。

「むしろ、貴方はほだされたようですが……」パオロを眺めつつ、マギーは切り返してみた。

 老パオロが好々爺の表情で「少なくとも他の候補者や大教会から乗り込んできた連中よりは、ダニエル師に教会の司祭になって欲しいですね」素直に答えた。

「良い御方ですね」マギーは慎重に返答した。

 

 パオロ爺さんは、料理番リリーが入れたお茶を飲んで満足げに頷きつつ「外部の巨大組織の走狗や私欲の強い人物に、地区教会と言う権威は渡してはならない。少なくともその始まりにおいては、清廉な人物が必要です」言ってから「ジョージアはしあわせ者だ。わたしも結婚式に顔を出してよろしいですか?」などとリリーに語り掛けていた。

「……確かに新しく芽吹いた組織は、最初の人物によって性質の色が左右されます、マギー」ニナが組織論を耳打ちしてきた。実質、マギーとニナは二人で考えているようなものだ。

 

 

「……いずれは異なる人物を必要とする時が来るとしても。それはその時代のポレシャ人たちが決める事でしょうが」マギーは考えを纏めながら、ダニエル師の農民の掌を思い出していた。

「初期条件は、確かに重要です。しかし、ダニエル師が大きな教会組織の采配に向いてるとは思えません」ポレシャ市は、近隣農村と自治区を含めれば、住人人口はおよそ三千人強。黄昏の時代(トワイライトエイジ)には、滅多にない規模の大型居留地で、キリスト教徒は、総人口の二割から、三割にも達している。莫大な富と権威が集中するに違いない市公認の大型寺院を采配するには、ダニエル師の性格は朴訥に過ぎると言うのがマギーの評価だ。

 

「他に人がいない」老ジャッコーニは断言し、そして咳き込んだ。

「そもそも、引き受けてくれるでしょうか」と近くで腕組みして壁に寄り掛かって売るジーナ・E(エクルストン)が懐疑的な口調で、口を挟んだ。

「彼は、引き受けた」老パオロ・ジャッコーニは告げた。「神がそう道を示されたなら、為るようになるでしょう、と言いながら」

「それは諦めたのでは?」とジーナ・E(エクルストン)が首を傾げている。

 

「よく口説けましたね」マギーの正直な感想に、老ジャッコーニも、哀しげに微笑んだ。

「子供たちの世話を見るに、不足するものも無くなると指摘してね。それと、わしも残された時間は少ない。出来るだけのことはしておきたい、と頼み込んだんだ」

 パオロ爺さんは確かに最近、髪に白いものが増えていた。背も僅かに縮んでいるようだ。「……なるほど」マギーもため息を洩らしつつ、頷いた。

「相応しい人が責務を引き受けなければ、誰かほかの人が不幸になる。

 高貴な人間には責務がある。責務が……」言いかけたパオロ爺さんが突然、咳き込んだ。しばらく苦しげに喘いでから呼吸を整えて言葉を続けた。

 

「それともう一つ、現段階での情勢を説明しておこう。教会の再建を巡る綱引きだけではない。あの一帯には、立派な……古い大きな建物が多いのは、気づいただろう?」パオロの指摘に、ニナやジーナ・E(エクルストン)と視線を合わせてから、マギーは無言でうなずいた。

「旧商業地区だ。古いポレシャ人たちは、ずっと奪還を夢見てきた。何時か、ポレシャのもう一つの中心になる。建物の一つも早めに、抑えておくと、いずれ貴女の力になる筈だ」言葉を区切った老パオロは目を閉じまま、言葉を探していた。

 

「……ベルティーニは、ハンターギルドを招こうとしている。わしは反対した。伝説のスネイクバイトがいる、と」パオロの評価に「足りませんよ」マギーは首を横に振った。

「だろうな。将来的には」僅かな会話で老パオロが、再び、咳き込んだ。「だが、外部組織の介入は出来るだけ避けたい。将来的に拡大したポレシャに避けられないとしても、商業地区の奪還に力を借りたくはない」と訴える。

 

 

 ハンターギルドは、取り立てて評判の悪い組織ではない。町や貴族、商会などが金を出し合い、危険な野生動物や怪物、時に暴走機械や悪人にまで賞金を懸けることで狩人《ハンター》たちに効率的な依頼を発行する為の組織だ。だが、依頼を一元管理・仲介されるのを嫌って独自組織を運営している自治体も多かった。賞金首の一部は、賞金稼ぎギルドと兼用になっているが、しかし、高額賞金首の上位陣は不動の顔ぶれとなっており、民間人の士気を下げているのではないかと言う指摘もある。また、戦争の敵国同士が単体戦力として高名な相手側の軍人や傭兵に賞金を懸け合うと言う事例も一部の戦乱地域では頻発している。毀誉褒貶の激しい組織だが、マギーは別に好いても、嫌ってもいなかった。

 

「……ベルティーニは政治家として終わりだ。長い間、渇望してきた権力の夢は先日の議会での銃撃事件で砕かれた。だが、彼は……」僅かに咳するパオロ爺さんを他所にジーナ・E(エクルストン)が「ベルティーニ?誰?」と首を傾げており、ニナが「髭爺。両替商」と教えている。

 

「……アルドは諦めていない。若い頃からそうだった」パオロ爺さんが呼吸を整えつつ、独り言のように小さく呟いていた。

「ハンターギルドの支部長になって、商業地区を牛耳りたい。そんなところだろう。或いは、将来的に招聘するべきかもしれないが、ポレシャは今の枠組みで上手くいってる。現時点では、無理に変えるべきじゃない。此方から辞を低くして外部組織を招けば、力関係が歪になる」パオロ爺さんの危惧は、もっともだとマギーには思えた。少なくともマギーには。しかし、脅威に晒されている廃墟生活者らやアルド・ベルティーニには、また独自の言い分があるに違いない。

 

「少なくとも、アルド・ベルティーニのような人物が権力を握れば、それをわたくしの為に使うだろう。商業地区の黎明に、それは良くない。ポレシャはポレシャ人のものであるべきだ……」そこで言葉を切った爺さんがマギーを見つめて「わたしや君のような」と告げた。

 瞑目して聞いていたマギーは、数秒を沈黙しつつ、口元に笑みを浮かべた。

「……殺し文句ですね。効きました」老パオロ・ジャッコーニの弁舌は確かにマギーの殺しどころを突いた。

 老パオロは、いそいそと鞄から書類を出してきた。

「これ鼠退治の依頼なんじゃが、引き受けてくれるかね?」首を傾げる爺さん。

 受け取ったマギーは、書類を一瞥した。先日と同じ書式、同じ依頼内容と報酬。

 マギーは頷いて「私にも多少の望みはあります。ささやかな目的の為に、貴方とダニエル師に助力させてもらいますよ」老パオロ・ジャッコーニと握手を交わした。今以上の武装は中々、難しいし、マスケット兵を増員してもあまり意味がないが、それでも弱い怪物たちを蹴散らすくらいであれば、仮にも伝説のスネイクバイトのひとりだ。決して無理な話ではあるまい。

 

 

 

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