夏至祭の日、マギーは家で大人しく過ごしていた。徒弟たちには小遣いを支給して遊びに行かせたし、料理番手伝いのルーや奴隷のイオにも小遣いをやった。
ニナも誘いに来た『路地裏の女王』と同年代の友達やら、ルーは友人セシリアと遊びに行った。徒弟のトリスと猫耳ココは、ムーア君の浮浪児徒党の面々と遊びに行くようで、初めて顔を合わせた諸々の面々が自己紹介したり、地区の有力者の子女となった路地裏の王女と浮浪児徒党の下の子が話してるのも、互いを観察しつつ、情報を押し合ったりして、ぎこちなかったのも、傍目から見てると興味深かった。意味のないマウントを取る子がいないのは、賢くて慎重な良い子が多いからだろう。
或いは、あの世代でいつか冒険なり、交易をするのかも知れない、などと思いつつ、残された面々でゆっくりと過ごした。料理番の隻眼リリーは、恋人のジョージアと会っている。いまだに肌を重ねていないが、結婚の為の準備は整え始めている。居候ジゼルは蒸留器も殆んど完成して、酒を造り始めていた。用心棒リジィは骨休みしている。
涼しい午前中は家を増築し、正午からはゆっくりと過ごして、夕方からジーナ・
花が売られていた。路傍の花売り娘から、一本買って匂いを嗅いだ。夏野の瑞々しい香りが漂っている。巡回
天には星が穏やかに瞬いていた。壁の彼方からは、屍者の呻きや変異獣、獣らの遠吠えが響いてくる。廃墟や曠野から、時々の銃声。行き交う人々の顔は穏やかで、農民や労働者、旅人らが街角の椅子に腰かけて雑談したり、出店を冷かしている。陽が沈み始めると、子供たちの姿が消え始める。行き交う人ごみには若い恋人たちの姿が目立った。驚くほどに穏やかな一日が、静かに終わろうとしていた。気が緩んでいるのは自覚したが、油断してもいいかな、と思った。時折、熟練の傭兵や賞金稼ぎがあっさりと死ぬ。だけど、こんな日に人生が終わるのなら、それを受け入れてもいい気さえしていた。
※※※※
次の日、マギーちゃんはこの世の全てを呪っていた。夏場なのでドラム缶ストーブの煙突掃除を行ったのである。勿論、プロの職人に頼んだ。
敷地に招いた職人に任せて、本人はのんびりしていたのだ。
「湿った薪だと煤やタールがびっしりと溜まるので、乾いた薪を使うんですよ」と口うるさく言っても、どうしたって冬の間、使いっぱなしだったら、煙突部には汚れが溜まる。ブリキの煙突を分解整備を出来るのはプロだけで煙突を解体していたところ、市の徴税吏に見つかってしまったのだ。
「煙突ですよね?」と徴税吏。全ての正直な商人たちの天敵として、役人の中で最も嫌われるこいつらは、ゴ〇〇リのように木戸を這い上って、敷地へと踏み込んできやがったのだ。
「…………」マギーは徴税吏を見た。徴税吏もマギーを見た。
無駄にかわいい子なのが、腹立たしい。下町まで見に来るとは思ってなかった。冬の間、煙の位置を地図にしていたと噂は聞いていたが。こんな犬みたいな仕事をするとは世の末だ。始末するかな?との考えがちらりと一瞬だけ脳裏を掠めたが、マギーちゃんは善良な市民なのでそんな割に合わないことはしない。
マギーちゃんは諦めた。
「そうです。取り付けようと考えていました」
「清掃しているように見えます」徴税吏の指摘。
「中古を買い取って、取り付け前に清掃しています」煙突税の書類。万が一を考えて、持ってきたものを差し出した。日付は今日。賢い。煙突が見つかりそうな時は、何時も、この手の小細工を前準備してから、行っている。用意周到なマギーちゃんだ。
少し悩んでいる徴税吏。とその背後で奴隷娘のイオが斧を持っていた。血に飢えた蛮族娘の忠誠心が爆発しようとしている。マギーちゃんは顔色を変えて「税金を払うことは市民の義務ですからね」と言って、大きく頷いた。「煙突税と言っても、ブリキ煙突に小さな家屋ですから、問題なく払いますよ!」イオを見て必死に言い聞かせる。イオが無表情で固まっていた。しかし、マギーちゃんの祈りが通じたのか。斧をそっと降ろして頷いた。マギーちゃんは安堵の吐息を洩らした。
命拾いしたことを知らない徴税吏娘は、私兵まで持った商人が役人の権威に屈したことが嬉しいのだろう。鼻高々に、ふふん、と鼻を鳴らすと、「三日以内に納めに来てください」と言って立ち去っていった。マギーちゃんは安心して、再びため息を吐いた。最悪、穴を掘って埋めなければならなかった。いや、ポレシャ市から逃げ出す羽目に陥っていたかもだ。「イオ、イオ。聞きなさい。共同体そのものに勝てる戦力を持つか、もみ消せるだけ権力が大きくない場合を除いて基本、役人を殺してはなりませんよ」てんぱったマギーちゃんは、おメメぐるぐるで本音を駄々洩れしていた。
マギーちゃんは善良な市民なのだ。揉め事は御免だった。それにポレシャ市の税率は、納得できる範疇であるから、脱税しようとは考えていない。今は、まだ。
皆が視線を集中させているのに気づいて『違っ……わたし、そんなつもりでは』みたいに思わず口を覆ってみせるも、どう繕おうか悩んだが「うん、知ってる」とニナが肯いた。傭兵団には小さな町を占領して退出料《デーンゲルド》をせしめるような荒っぽい手合いもいて、マギーの中にも賞金稼ぎ時代に育んだ危険な判断がまだ残っている。それでも、思っただけでやらなかったからセーフなのだ。
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徒弟のトリスは、欠伸をした。朝、起きて、まずは敷地の外へと向かい、顔を洗い、歯を磨く。歯ブラシは良い代物だ。歯磨き粉もミント味を使う。洗面用の水樽の横には、鏡が設置されている。手鏡が幾つか、壁に紐で固定されてるのだが。
休みの日も多いが、勉強や体育に、戦闘訓練の日もある。奴隷のイオも参加している。と言うか、あいつは銃を撃つのが大好きだ。それまでも親方を気に入っていたようだが、戦闘訓練に参加するようになってからは、崇拝しているようにも見える。遊びに来たついでセシリアも時々、参加するが、此方は指がやや不便だ。それでもイオより銃は上手い。軌道の計算とか、空気抵抗やらを話したり、計算式にしている。姿勢の打ち方や意義、力の逃がし方など理屈から入るタイプらしい。
親方の家はまた増築されている。およそ6メートル×9メートル。奇妙な話だが、手狭に感じる。以前の小屋は、雑魚寝であったが安心して眠れるだけで満足していた。間違いなく広くなり、手足を伸ばして寝転べると言うのに変な話だ。贅沢を覚えたのかも知れない。親方にもちょっと危ういところはある。それはそうだ。元は賞金稼ぎ団の隊長の一人だもの。
それでも腕利きの商人には違いない。最近、驢馬を買った。敷地の隅に藁を敷いて、雨の日には屋内に入れている。人参やレタス、カブラに林檎。飼葉などを食べさせて、ルーが何時も世話をしている。うんちの処理も苦にならないみたいだ。時折、おしっこをさせに近所の路地やら空き地に出向いているが、安全な地域とは言え、運が悪ければ、野犬や巨大鼠くらいは出るかも知れない。時折、燧石銃《フリントロック》や鋼輪式銃《ホイールロック》の二人組、三人組で巡回しているけれど、多分、大丈夫、でみんな生きている。
トリスと猫耳ココ、それに臨時雇いのセシリアで、門前町へと赴いて屋台を開いたりもする。手製の紙巻煙草に蒸留酒にワイン、医療品、チョコレート、剃刀、石鹸、針と糸。生理用品。嗜好品から、様々な日用品に至るまで小間物まで幅広く販売している。最近は書籍に加えて、密造酒造りだった居候ジゼルのどぶろくまで販売していて、中々の売れ行きだった。親方が仕入れたお茶だけは、値付けが高すぎて殆んど売れない。
以前は門前地区と往来するのに荷物が限られていたが、最近は驢馬のネムと一緒だ。驢馬がいない日には、ショッピングカートだ。【スーパードラゴン号】と名付けた。親方は、好きにしなさい、と呆れてように言ってたが言質を取ったからには、此方のものだ。とは言え、楽しいことや順調な事ばかりでもない。他の徒弟の幾人かとは、余り話さなくなった。あまり売れなかった頃は良かった。今は商品が増えて、立ち働く時間も増えて来た。商売が順調なのは見れば分かる。
「景気がいいよな。トリスのところ」なんて言い方をされる時もあった。今だけかもしれない、と慰めみたいな台詞はトリスは吐かない。
「今はね。出来るだけ続いて欲しい」正直に告げると、知り合いの徒弟はため息を洩らして苦笑を浮かべ、おのれの仕事に戻っていった。周囲から妬まれるかと警戒していたが存外、嫉妬を見せる徒弟は少なかった。行商人は浮き沈みが激しいのもあるだろうし、お手並み拝見と眺めているのか。
妬み嫉みは、どうしたって成功者には付き物だ。大抵の人は、仮に嫉妬を覚えても折り合いをつけるものだが、中には嫉妬を露《あらわ》にする人だっていた。立派な親方にさえも、だ。なんだかんだ言っても、ポレシャは大きな市《ブーグ》だ。四地区纏めれば千人以上の人々が暮らしている。幾つかの自治区や廃市街も加えれば二千人以上。農村部で三千人を越える。中町に暮らしてて、門前町を縄張りとしてる屋台商には、町外れ地区のマギー親方など大して知らない人もいる。
最初は愛想よく話しかけてきた。「おお、ショッピングカートだな、大したものだ」とか「高かっただろう」とか、そんな風に穏やかな口調だったので、トリスも気を許した。
近寄ってショッピングカートを眺めながら、べたべたと触り始めて、ひっくり返したりする。なんか妙な雰囲気だと咎めたら「いや、なに。盗品じゃないかな」でかい声で言った。
「妙な事を言わないでください」トリスは焦ったし、驚きもした。
「おや、そんなに焦るってのは心当たりがあるのかな?!」的を得たり、とばかりに大声で言ってきた。成人男性――立派な親方の大音声だ。通りの衆目は集まってくる。
「止めてください。バーナード親方。あなたみたいに立派な人が子供みたいな嫌がらせ」トリスは必死に言った。
「どこから仕入れてきたんだ。チョコレート。これも盗んだのか?」「自由都市です。足で歩いて仕入れてきました。同行しました。親方は大変な苦労をしてます。盗品と言ったのを取り消してください」訳が分からない。バーナードは立派な屋台持ちだ。競合していたとしても、それはトリス一人じゃない。
「なにを取り消せだと」バーナードは興奮しきっていた。
「言いがかりを止めてください」トリスは必死に訴えた。商売を守るためにも、バーナードの為にもだ。「みなさーん。此処の品は盗品かもしれません」酔っているようだ。だが、悪意は明白だ。
五分ほどもしないうちに、衛兵たちが駆けつけてきた。バーナードを取り押さえ、宥めながら、連れて行った。連行中も訳の分からない言葉を叫んでいた。
(今朝はあれほど楽しかったのに……)トリスは泣きたくなった。【スーパードラゴン号】の名前を張った布が踏まれて、地面にボロボロになっていた。恐怖ではなく、情けなさと悔しさ、哀しさで単眼からポロポロと涙を零した。猫耳ココは怒ってたが、なーご、と言ってトリスの背を撫でた。セシリアは当惑し。マギーと親しい――多少の小遣いを貰ってる衛兵が、「根も葉もないことだよ」と宥めてくれた。
徒弟の二、三人は駆け寄ってきて「商売が上手くいけば、こんなこともあるよ」宥めてくれた。その日は、それでも売れた。いい品だからだ。値は安めで、客足が少し悪くても絶対に売れてしまう。果たしてバーナード親方は似たような商品を扱っていただろうか。
※※※※
「君の商品が盗品だと言う噂が
誰がそんなことを。
証明できるか?
勿論、しかし、仕入先を明かせば、他の商人が訪れるかも知れない。
それが狙いかな。
……と言う会話を今日、ヘルナル大尉といたしました」
二日後の昼食の際、親方マギーが唐突に噂話を告げてきた。少女セシリアの他、リリーの恋人・議会衛兵のジョージアも顔を揃えていた。
「なんとまあ」と骨付き肉を食べながら、呆れたように首を傾げてる。
トリスと猫耳ココは顔を見合わせてから、その時、初めて、バーナード親方に絡まれた一軒を親方へと報告した。
親方マギーとニナ。ジーナ・
「うん。ムカつきます。バーナード氏は……」ジーナ・
「いました」一緒に食事していたセシリアが告げてきた。
「ニヤニヤしている奴が。ただし、年齢は徒弟でした。真犯人ではなく、性根が曲がっているだけかもしれません。観察している人もいました。当たり前ですが。他人事なら、面白い話ですし」言いながら、特徴と服などを書いたメモを取り出してきた。
生まれ育った環境や訓練の有無の違いだろうか。ここら辺、深層廃墟育ちのニナや元々、貴族のお付きだったセシリアの用意周到さや観察力、用心深さは、トリスの及ぶところではなかった。
「なるほど」と親方マギーは、ワインの酒杯を傾けながら、「そこでですね。まず、輸入証を張ることにしました」と何かを書かれた紙切れを食事の絨毯の上に出した。
12人の視線が集中する。
「……グレインズ商店?」隻眼のリリーが不思議そうに呟いた。
「ズールの取引先です」マギーが得意げに言って「小さな穀物商店じゃん」同行したことのある用心棒リジィが突っ込みを入れた。
「はい。でも、顧客はそんなこと知ってますか?」とマギーは言葉を続けた。「ノン。グレインズ商店は、穀物と同時にポレシャに対して商品を輸出する為の拠点です。品質はグレインズ商店……自由都市の立派な商会が保証してくれます。これから先、エミリーに延々、小遣いやることになりますが。まあ、安いものです」
エミリーと言う名前に、ニナが嫌そうな顔をした。
「ちなみに全て合法です。騙してません。ジゼル製のお酒をズールで売るさい、グレインズ商店に品質を保証してもらいました。そのどぶろくをポレシャでも売るだけです。まずはどぶろくだけでも品質保証シールを付けて、信用を一部なりとも保証してもらう」マギーの取りあえずの対策に「はぇぇ。あったまいい」ジゼルが酔っ払いながら、頷いていた。巻き毛のルーはよく分からないのか、首を傾げていた。
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6月下旬_51262都市通貨
鋼輪式銃《ホイールロック》 2丁
驢馬 1匹 ネム
家 6メートル×6メートル 36㎡
↓
家 6メートル×9メートル 54㎡