特に何も起こらない時期もある。夏も終わりに近づいた或る日、マギーちゃんは、自由都市で仕入れた
19世紀型の手回しクランク付き
家の片隅に置いて時々、簡単な作業などは行うが、これまで通りに衣服の繕いなどは、キャスリーン・グレイに一定量を依頼した。
ミシンを使った簡単な作業などは、意外にもニナや、それに巻き毛のルーが気に入ったようだ。山羊の獣人娘は、好奇心が旺盛なのか、フスフス鼻息を洩らしつつ、ミシンにずっと夢中で動かしている。驢馬の世話は、猫耳ココや徒弟トリスがやっていた。誰かしら暇なものがやるのだが、やはりもう一人くらいは使用人が欲しかった。
とは言え、家ももう少し大きくしておきたい。しかし、その前に物置を建てたい。
生活は、少しずつ便利にはなってきている。以前からの商売の他、火縄銃《マッチロック》も農民や登録労働者層に順調に売れているし、コンクリートブロックに、ジゼルのどぶろくもそれなりに評判が広がってきている。書籍類もだ。ただ、流石に少しずつ在庫が増えている。基本的に品不足の黄昏の時代でも、高価な本やら値の張るコンクリートブロックやらは、流石に易々とは捌《は》けない。扱う商品の幅が広がれば、どうしたって様々な品目を整理しておける物置や倉庫が必要となってくる。在庫を管理するのに書類仕事も重要になってきて、試行錯誤もしている。
小さな行商団の規模を越えて、商いが広がってきている。以前と同じどんぶり勘定では、在庫も売り上げも把握できなくなりつつあった。帳簿付けにも時間を取られるようになってきたので、書記や会計係も欲しい。なんだ、これは。
とまれ、少し足元を見直す時期が訪れたのかもしれない。
早朝、まだ薄暗いうちに起きたマギーちゃんが、皆の寝相を見てみよう、と思い立ったのは団長としての自覚が芽生えた証左だろうか。思い出すことも少なくなった賞金稼ぎ時代の手下どもや殺しても死なないような同僚との殺伐とした関係に比べれば、行商団の面々は普通の生活を求めて営んでいる。面倒を見る甲斐もあると言うものだ。今のところ、ポリスチレンの上に木板を張った床に毛布を敷き、さらに二枚の毛布を掛けて寝ている。割と悪くない寝床だ。猫耳ココが寝相も悪く鼾を掻いていたので、毛布を掛けやったマギーちゃん団長は、満足げに頷いた。しかし、通り過ぎた瞬間、猫耳ココは毛布を蹴り飛ばした。
巻き毛のルーは、おのれの毛布にアップリケを沢山、縫い付けていた。下手だが素朴な山羊や猫耳。サイクロプスは、トリスかな?いい子だ。勿論、保護するつもりだが、幸せになって欲しい。トリスは、丸まって寝ている。ニナも同じだ。廃墟育ちの癖か。小さくなって、目立たない隅で眠り、ほんの少しの物音や気配で目を覚ます。
最近は冬場になっても暖かいスープを飲んで、火を焚きながら寝床に入るので皆、眠りは深くなってきている。用心棒リジィは、よく壁に寄り掛かって毛布三枚に包まって寝ている。寝る時も、剣を手放さないのは、どういう習性なのだろう。奴隷のイオは外の小屋で寝ている。晩秋には小屋に入れてやらねばなるまい。
料理番リリーは、素直に寝るようになった。小屋に一緒に暮らすのを嫌がっていたし、最初はなかなか寝付けないようだった。それとは別に、犬の吠え声や屍者の呻きにもびくびく怯えていた。貧しいものは眠りが浅い。天幕や新聞、段ボールの小屋など、どうしたって簡単に破られてしまうからだ。泥の藁葺きの粗末な小屋なども、金のないものらの扉は布を垂らしただけだったり、新聞や段ボールで作られている。それでもポレシャ市は、屍者を警戒できるだけのバリケードを下層地区や自治区にも作らせている。それだけでも、かなりマシなのだが。
同じ境遇だったはずの居候で酒造りのジゼルは、いぎたなく爆睡している。寝相にも図太さが出るのだろうか。まったく安心しきっているようにも見える。ジーナ・
マギーは現在、五万以上の都市通貨を保有している。都市通貨で一万以上を現金で所持しているものは、ポレシャ市ほどに大きな町の老舗の商人にも多分、滅多にいない。何故ならば、黄昏の時代には金の力が限られている。流通と大量生産が完成された資本主義社会は遠い昔――自由都市の通貨のみならず、現金さえも総じて通貨の一種でしかない。鉱石や木材、農作物や家畜に宝石、武器や弾薬、煙草に蒸留酒、チョコレートなどもまた通貨だ。
それでも現金にも一定の価値はある。木材や食料、武器・弾薬などと同じく、取引には使える。労働者の日当が、大きな町で20。小さな村で12と考えれば、五万は相当な大金であった。ただ時々、戦争や争乱、大規模な屍者の襲撃などの際、なにも買えなくなるほどに物資の値が暴騰するだけだ。
傭兵団時代、マギーはそうした局地的な破滅的インフレを度々目にしている。それでも都市通貨――自由都市ズールの通貨を貯めるのは、都市が滅びるような状況であれば、どのみちなにをしても無駄だろうとの諦念が一つ。打つべき手が思いつかない。それに現物を抑えるよりも、現金主体の方が成長が早いことが一つ。馬鹿馬鹿しい強迫観念かもしれないが、破滅的な状況が発生する前に、ある程度、対処できる力を獲得する方に賭けている。
外の敷地に出て薄暗い中、近くの敷地にリリーの小さな畑が広がっている。懐から、木箱を取り出して細葉巻《シガリロ》を咥え、踵でマッチの火を付ける。
曇天に覆われた空、それでも東の地平には青い空が広がっている。古代の枯れた木々のように聳える高い建物も黒い影を大地へと投げかけていた。中には、広大なフロアに屍者やら変異獣が跳梁跋扈している建物もあるだろうが。マギーは苦悶するかのように表情を歪めた。恐い。皆を導いていけるのか。破滅するのではないか。多分、二、三年後もマギーは盗賊団やら変異獣、屍者の群れとやり合ってるに違いないし、大地には、屍者の蔓延る巨大構築物も点在している。いや、或いは変異獣や屍者よりも恐ろしいものが潜んでいるかもしれない。マギーは一度だけ、ニナと共に、それを目にしている。
あんなものが地上に闊歩している。そこかしこの巨大遺構に、メガロポリスの死骸に、地下深い構築群に、人里離れた研究所の廃墟や山岳の謎めいた工場跡地に。レンジャーたちの与太話かと思っていたのに。いや、今は忘れるべきだ。対処できるようになるまで、記憶の奥底に封じておかなければならない。恐怖に耐えながら生き続けるしかない。意識し過ぎれば、他の数多の危険への対処能力が低下するだろう。普通に変異獣や屍者、盗賊――或いはそれよりも軽度の脅威にだって、対処するには全身全霊を毎回、費やさなければならないのだから。
人間たちは――少なくとも曠野の殆んどの連中は、薄氷の上に暮らしている。あんなものを知ってしまったら。盗賊やら変異獣だけでも恐るべき脅威なのに――さらに外側にある恐ろしいものを知ってしまった。マギーも知りたくはなかった。だが。地上に生まれ落ちた誰も彼もが、思うようには生きられない。マギーは目を閉じた。恐怖に乱れかけた呼吸を整えていると、近くに足音が聞こえた。仲間の誰かか。それとも屍者かもしれない。多分、違うが。迷いこまないとも言い切れない。地区の。近隣の街路の殆んど全ての屍者は片付けたはずだ。
今は弱々しく震えながら、しかし、目を開けなかった。馬鹿馬鹿しい賭けをしている。突然、首を噛まれたら、マギーも助からない。数千に一つほどの確率で、実際に屍者が踏み込んできて事故が起きることもある。冷や汗が吹き出ていた。腕に誰かがそっと優しく触れてきた。「マギー」穏やかな声で呼びかけてくる。目を見開けば、仲間の姿があった。マギーは穏やかに微笑んで頷きかけた。
※※※※
昼。ぐらぐらと茹だっている銅鍋を前にして「できたぜ!ジゼル・スペシャルだ!」
怪しげな香草だの茸だのなんだのと色々ブレンドした蒸留酒の瓶を掲げながら、居候のジゼルが叫んでいた。
「……売れませんよ、それ」原価と売れ筋の価格帯の書類を比べながらマギーが言うと、「はぁ?!」ジゼルは不満げに唸った。
「原価が六十?労働者の日当の四日分の酒を誰が買うんですか?
ドバドバ注いだ香辛料の意味は?大人しく普通の蒸留酒作っててください。エールを原材料にしてれば安く上がるし、腕はいいんですから」身も蓋もないことを述べるマギー。「ふぁあああ!バカ!冒険心は何処に置いてきた!数字に魂を捉われるな!」ジゼルが分からず屋の大人を前にした子供のように地団駄を踏んでみせた。「ジゼル。君ねぇ。言っておくけど、その銅鍋。300居留地通貨も
鼻息も荒くジゼルは小さなコップに注いだ。「まあ、旦那。文句を言う前にこいつを一杯飲んでみな。キマルぜ?」受け取ったマギーは、ジゼルを胡散臭そうに眺めた。
「変な習慣性薬物とか入ってないでしょうね。入れてたら、殺しますよ?」
「チェックしてただろ。そんなもん入ってねえよ」ジゼルはなんか伝法な喋り方になってきていた。元と言うよりも、最近だ。マギーは小さなコップを呷った。
「んきゅ!」しゃっくりをして口元を隠し、マジマジと見つめてから、もう一杯いれて、無言で近くにいた用心棒リジィにコップを渡した。
「くれんのか?」リジィが首を傾げるが、マギーは沈黙したまま、頷いた。一口で呷ったリジィが、やはり沈黙する。
「どうだ?おい、なんとか言えよ」ジゼルが急かした。
マギーは唸った。「……いや、やはり、売れませんよ、これ。味は悪くな……いいけど、値段が悪い。都市産の蒸留酒とほぼ等価じゃないですか。誰も買いません」
「……ああー」ジゼルが呻きながら、椅子へと座り込んだ。
「やはり、基本は普通のやつ製造してください」無常に言い渡してから、マギーはしかし、「でも、まあ。美味しいですよ。身内で飲む分なら、作っても構わないでしょう。買い取りますよ」と宥めるように付け足した。
納得いかないのか。ため息を吐いたジゼルが銅鍋をどうにかしようとしたのか。しかし、義足なので重たいものは恐い。「おーい、ルー!」と手伝いをしてる山羊獣人の少女を呼んだが、薪を運んで料理の手伝いをしていた。メーと返ってきたので「イオ!来てくれ」と呼ぶと、「驢馬の世話をしないと!」と厩舎から奴隷のイオの返答が返ってくる。
「ローラと話しましたか?」唐突なマギーの言葉に、面食らったようにジゼルは目を瞬いた。
「あの子、中々に気が利きます」とマギーが補足する。
「ああ、この間来た義手の子か。ちょっと話したよ。義足とか義手とか、作るの上手い職人のところ、幾つか教えてやった。値段とか、耐久とか」合点のいったジゼル。
「お前、頭の中で結論が完結していて、言葉が飛ぶ時があるぞ。あー、うん。悪くないと思うよ。わたしは……」銅鍋が冷めるのを木箱の椅子に座って待ちながら、ジゼルが肯いた。
「驢馬を買ったからには、もっとましな家具も持ち帰れるかもしれません」手元のメモ帳に書き込みながら、「ええっと、そう。心当たりありますか?ローラ以外に」マギーは首を傾げてみた。
「ねえです。まともで信頼できる奴は大抵、あんた(も分かってるだろうけど)。それなりん待遇で、真っ先に引き抜かれるから。田舎街のいい所でもあるけれど……」ジゼルは立ち上がった。「ローラさんちに会いに行ってみようぜ。まだ街に来たばかりなら、早い方がいいだろ。まともな人間なら、もう誰か目を付けてるかも知れない」
※※※※
「ひっひー、市民のお嬢さまになった気分だぜ」ちゃんとした格好の服を着、驢馬ネムの背に揺られてるジゼルははしゃいだ声を上げていた。鞍もなく、毛布を敷いただけだ。マギーが手綱を牽いてやってる。巻き毛のルーも付いてきていた。途中での買い物ついで、驢馬の扱いを覚えようとしている。
「一人で行動しては駄目ですよ。危ない通りにはいかない、口うるさいかもしれないけれど……」マギーが言うと、ルーは、素直に頷いた。
他の徒弟少女たちなら、コートにプレート付きの軍服、マスケット背負っている。
妙な事はほぼ絶対に起きないが、山羊獣人ルーは小柄な少女だし、財布は膨らんでいる。武装はこん棒と小さなナイフ。地区はかなり治安はいいが、かと言って油断していい土地ではない。安全な街路を選べば、妙な事は滅多に起きないと言うだけだ。引ったくりする浮浪児に、他所の土地から来たコソ泥やらスリ。人に慣れない野犬の一、二匹だって偶には徘徊している。もう一人、誰かしらついて来て欲しかったが、ついて来てしまった。
「うむ。今日はローラ会わないで、買い物だけして帰ります?」心配性のマギーちゃん団長が行動を刻もうとするも「ルーだってそんな間抜けじゃないし、治安そんな悪くない」居候である義足のジゼルに信じないのかと返された。
「それくらいは分かってますよ」と、渋々と譲歩せざるを得ない。
(……心配しすぎかしらん?)内心、どうにも釈然としないものの市営の集合住宅《アパルトメント》へと向かった。
庭に入ってローラの姿を探すと、箒を持った下男の老人が庭を掃いていた。
「ローラを知らないかな?」マギーが尋ねると、首を傾げてから「ゴミ処理ではないか」と言いつつ、裏手を指指した。
見れば、屋根の向こう側から、黒い煙が上がっている。焼けるのに燃料にしないということは、燃やすと臭いか、煙の酷いゴミかな。木くずに油のしみ込んだ布やら、炭の粉も大抵は燃料。油布は、傘や屋根の材料。家畜の内臓でも豚の餌に廻す。糞尿も肥料。何かしらの使い道はある。とは言え、トイレで使った布や縄、或いは真夏の腐った生ごみなど、悪臭が酷かったり、さっさと埋めるか、燃してしまった方が良いものもある。
裏手に廻ってみると、下男たちが数人でゴミ処理の仕事をしていた。
覆面をした旅人ローラもいた。片手が義手なのに、少しくたびれたシャベルを器用に握って、地面に穴を掘っていた。鉄の籠手みたいな義手で、革ベルトで固定してある。
「鉄腕ゲッツみたいですね」呟いたマギーは、(……そう言えば、シャベルももう一本欲しいな)と思った。
そうした鉄製品――金槌、のこぎり、シャベルに鶴嘴などは、高価な仕事道具として常に品薄状態で、最低でも三十都市通貨。良い品ともなれば二百とか、三百の値が付いたりもする。火縄銃とほぼ等価だ。崩壊前の逸品ともなれば、市場で千、二千の値も付いている。
ジゼルを見て、旅人ローラが手を止めた。汗だくでシャツで顔を拭う。「義手の具合、いいよ。この革ベルトも、良い工夫だ。この間はありがとう」ジゼルが色々と面倒を見てやったようだ。ジゼルめ。その面倒見と勤勉さを私に対しても発揮しろと思いつつ、マギーも後に続いた。
「おー。義手の具合もだけど、あれ。今日は、マギー……うちの団長が話があると」居候――いや、今となっては、まあ、仲間か。何時の間にやらそう言うことになったジゼルが、話を振ってきたので「今、幾ら貰ってる?」マギーは話を切り出した。
「あー、寝床と飯、薪を支給で、ええと。月に八十かな」旅人ローラが言ってきた。いかにも少ない。とは言え、市営住宅の下働きの仕事は、年老いた孤独な者らや片腕のものに職を与える福祉も担っている。まだ若く、人並みに働けるローラなら、別の仕事をしてもいいのではないかな。と勧誘してみる。
「行商団の下働きに、もう一人、人手が欲しくてね。別の仕事をしてみる気はない?」ローラに事情を話すと、意外と渋った。
「うーむ。ここもそんな悪い環境ではないし……そちらでやってみたら、思っていたよりも厳しいとか、戻りたくても戻れないってこともあるからな。ここだと衣食住は保証されてるし」予想通りではあるが、ローラは慎重で安定志向の返答を出してきた。
「それはそうだ。まずは一度、休日に顔を出して、一日仕事や半日仕事で馴染めるか見てみない?会わないなら諦めるし、やっていけると思うなら入ってみればいい」頷きつつのマギーの提案に少し考えてから、「ああ。この腕でいいなら、そちらも試してみよう」ローラは頷いた。
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8月下旬_56003都市通貨
サイト付き、鋼輪式銃《ホイールロック》 1丁
鋼輪式銃《ホイールロック》 3丁
燧石銃 4丁
驢馬 2匹 ネム イネー
ペイロード 110キロ~
(※無理をさせない数字_人間も頑張れば、最大+60キロ)
家 6メートル×9メートル 54㎡