黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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廃墟の子_15 潜むもの

 お姉さんの話によれば、何人かの逸れた仲間がいるとのことだった。

 しかし、探してみようか、とは少女は考えなかった。腕利きの廃墟漁り(スカベンジャー)や密猟者《ストーカー》、或いは廃墟の住人でもない限り、【住宅街】ほどの規模を持ち、数多の怪物が彷徨う廃墟で慣れぬ素人が何日も生き延びられるとは思えなかったからだ。

 

 希望があるとすれば、早いうちにいずれかの出入り口から廃墟を抜けていた場合のみだろう。人の足より速い変異獣《ミュータント》さえ避けられれば、あながち不可能でもない。

 幸運に恵まれたか、頭の出来が違うのか。迷い込んでおきながら、ちょっとした戦利品まで見つけてあっさりと抜けだした旅人もいたりする。とはいえ、準備もなしに迷い込んだものが生還する見込みなど、十に二、三が生き残れば上等と言えるほどに【住宅街】は危険な領域だと少女は知っていた。

 

 例え怪物の喰い残しでも、亡骸が幾らか残っていたら幸運と言うものだ。見つけたならば、弔っておこうと言うのが少女の妥協点であって現状、それよりも早急に対処しなければならない事態が起こっていた。

 

 枯れた水路に沿って、静寂に包まれた街並みの街路を進んでいく。不気味な蟹人めいた甲殻類が湿気の残った下水管の付近を徘徊しているが、付近に他の変異獣《ミュータント》は滅多に寄り付かない。

 蟹擬きの強力な鋏はかなり大きな変異獣《ミュータント》をも八つ裂きにしてしまうほどの威力だが、幸いにも疾走する人間より足が遅くて体も大きいので、見つかっても狭い穴を潜り抜けることで少女であれば容易く逃げられる。

 

 とは言え、蟹擬きに察知される間合いまで迂闊に近づいたりはしない。相手の気づくか、気づかないか程度の距離を取って進みながら、積み重なった廃車や瓦礫の間を縫って芋畑へと向かった。

 

 ここ数日、サボりがちであった畑の見回りや縄張りの経路のチェックを行わなければならない。些細な事では、畑仕事を休むことは出来ない。だが、家の周りを数時間、歩いただけで少女の首筋の産毛が猫みたいに逆立ってきた。

 

(……なんか起こってるぅ)

 確証は持てないが、確信はしていた。

 それは例えば、犬や巨大鼠の動きがいつもより慌ただしかったり、でかい芋虫やゴキブリ、蜘蛛が普段と違う場所を這っていたり、変異獣たちが常より高い場所に陣取って落ち着かなげに遠くを眺めていたり。一つ一つは大した事例ではないが全部、合わせると何かが起こっているのが薄々、感じ取れる異常の頻発であった。

 巨大蟻が……それも働き蟻(ワーカー)だけでなく、普段は巣を守っている兵隊蟻《ソルジャー》まで出てきて、路上に布陣するように固まっていたり、空き家の壁を齧っていた。挙動が全く変わらないのは、すでに死んだゾンビたちだけだった。

 

(……なんだろう。胸がドキドキする。奇妙に心が落ち着かない)

 命の危険に何度も晒された為か、少女には第六感めいた変な感覚が身についている。しかし、実はこれあまり役には立たない。危険は迫っているのを感じる。が、それが何なのか分からないのだ。

 

 何かの前兆として幾度か、この胸騒ぎに身に覚えがあった。これほどに胸が騒ぐのは、廃墟探索者(スカベンジャー)の戦闘団が南区域に真正面から乗り込んで以来だ。

 重武装の廃墟探索者(スカベンジャー)たちが怪物の群れと激しくやりあったあの時も、こんな感じに色んな生き物が浮ついていたものだ。

 他にゾンビの波《ウェーブ》が発生した時と、変異獣《ミュータント》の大規模な群れが獲物を追って町に流れ込んできた時。だから、危険が迫っている。ただし、具体的に何が起こるかは少女にはまったく不明だった。

 

 本能か、深層意識かは、盛んに警告を発していた。だけど、表層の意識はそれを汲み取れずに、思考にも思い当たる危険がない。

(これはちょっと面白い事態ですよ)冷や汗を流しつつ、少女は強気に考える。

 

 何かしらの未来予知的な警告が浮き上がってくることがあるが、別に万能でもない。かなり頼りになる感覚であるが、思い込みは禁物だった。読み違えるとそのまま死にかねない。

 

 あくまで経験則によればだが、二、三日中に何かが起こることが多い。家に閉じこもっているべきか?分からない。家は安全だが、必ずしも正解とは限らない。

 かつて、猛烈に逃げだしたい感覚に襲われ、家から飛び出した直後に、家の真ん前の通りを凄い数の変異獣《ミュータント》が駆け抜けていった事例があった。ついでとばかり、家に纏わりついて匂いを嗅ぎまわっている変異獣《ミュータント》の大きさと数と来たら、遠目のビルで観察しながら恐怖で色々と漏れそうになった。あの時は間一髪だった。

 

 取りあえず、対応能力を上げておこう。普段よりも持ち物を軽めにする。頑丈さや保護色よりも、動きやすい服装に着替えておく。撤退ルートを確保して、いつもよりも五割増し用心して動こう。物陰でメモに書き留めてから再び、動き出す。

 

 今、下手に動き回るのは危険に思えた。怪物たちがいつもと異なる挙動をしているのみならず、本能が異様なほどに警告してきている。

 シェルターを見て回るのは……止めた方がいい気がする。こういう時に行動範囲を無暗に広げるのは危険だった。少女は、貧弱な小娘に過ぎないのだ。映画の賢い主人公たちのように事態を把握しようと努めるよりは、何が起こっても生き残れるように逃げ場を確保しておく方が賢明な選択肢だろう。

 二、三の手近で重要なシェルターを除いたら、見回りの優先順位も下げておこう。水汲みは、早めに多めの水を確保しておこう。畑は見て回った方がいいが、遠い畑は最悪、切り捨てることも計算に入れておくべきか。

 

 他には……他に、どうすればいいのだろうか。奇怪な不安に懊悩しながら、取りあえず、隠し田を見て回って、作物の手入れと食べられそうな作物の回収だけしてこようと、少女は屋根の上を這うように低い姿勢で歩き出した。

 

 

 芋と玉ねぎは、素人でも比較的に容易く育てられる。品種にもよるが、水と種があればなんとかなる野菜の筆頭だった。「野菜の育て方大全」と言う、ゾンビ彷徨う本屋から持ち帰った本を参考に姉と一緒に広げた隠し畑は、しかし、怪物に荒らされないよう屋内や建物の屋上に作られた小さな畑ばかりなので、今のところは一人で食べていく量だけならなんとか確保できているという処だった。

 

 野菜には水が必要だった。少女の背嚢には、数本のペットボトルに入れた水が入っている。一人では色々と手間暇が掛かる。万事、手作業であるために、姉と二人いた頃の方が間違いなく作業が楽だった。

 

 連作障害を警戒して休耕地も作っているが、肥料もなければ、日当たりもよくない。当然に収穫も痩せた作物ばかりだが狩りや罠、採取などと違い、定期的に収穫を期待できるのは有り難い事だった。

 

 背嚢を背負って、隠し畑のある家屋へと音もたてずに足を踏み入れた。畑が設けられているのは、窓と扉が木板のバリケードで補強されている奥の部屋。日光は通すが、怪物は通り抜けられない程度に窓は塞がれている。

 

 畑を確かめようと廊下を曲がり、そこで少女は足を止めた。古びているが頑丈な木製扉が搔きむしられたようにずたずたに引き裂かれ、中のトマトが齧られた後に口に合わなかったように床に吐き捨てられているのは些細な事とは言えない気がする。

 

 一瞬だけ緊張するが、小さな家屋には少女の他に人気はなく、僅かな気配も物音もしてないのは確認済みではあった。

 この家に侵入したとしたら前回と今回の訪問の僅かな間となる。廃墟漁り(スカベンジャー)のグループなどが偶然に畑を見つけての狼藉だろうか?

 いずれにせよ、そいつは少女の存在を知っていることになる。

 

 破かれた農業の入門書を拾い上げると、匂いを嗅いでから顔を顰めて少女は周囲を見回した。

(……何かが起ころうとしている状況なのに、さらに何かいるぅ)

 縄張りにいるそれが何かは少女にも分からないが、どう考えても友好的な存在とは思えそうになかった。

 

 

 

 

 

 太鼓腹を揺らしながらトニーが瓦礫の転がっている街路を振り返った。

 一見、廃屋が連なるだけの静寂に包まれた街並みを小さな目で睨みつけると、鋭く舌打ちする。

「……まただ。つかず離れずで追ってきながら、此方の様子を窺っている」

「ちらりと見たけど、桃色の変異獣みたいなやつ?」

 ジルが問いかけると、トニーは忌々しげに頷いた。

「そう、そいつだ」

 手元のライフルに装弾しながら、ジルも足を止めた。

「待ち伏せして仕留めちゃおう」

 パイプ製ライフルを構えると、背後に広がっている瓦礫の上をなぞるようにジルは視線と射線を這わせていく。

 が、ジルが獲物を見つけるよりも前に、雇い主のレギンが口を挟んだ。

「放っておけ」

 

「何故だ?放置しても、いい事ないぜ?」 

 太鼓腹のトニーが噛みつくように唸った。

「桃色なら、死肉漁りさ。臆病な奴だ」レギンは舌打ちして決めつける。

「さもなくば、変異した巨大鼠か、犬だろう。

 どちらにせよ、獲物が弱った時に襲ってくる」

 

「音を、立てるな」

 レギンの言葉にトニーは頬を歪めたが頷いた。ジルは肩をすくめる。

 巨漢のダグはむっつりと黙り込んでいた。解体用に似たでかいハンマーを背負って、額に吹き出た汗を拭いていた。

 

 【住宅街】は噂を超える危険な遺跡で、四方から常に怪物たちの気配が漂ってきた。

 変異獣《ミュータント》の遠吠えに反応するように野犬の群れが激しく吠え立てている。気味の悪い肌をした巨大鼠の群れが下水溝の入り口に固まって蠢き、間抜けな廃墟漁り(スカベンジャー)の肉を貪っていた。ゾンビどもが呻きながら佇んでる駐車場の横の街路を巨大蟻の群れが闊歩する。

 

 廃墟漁り(スカベンジャー)たちが物資を採りつくした浅い地帯を越えてみれば、中に入り込むほどに歩く速度は低下した。怪物と遭遇する度に崩れたビルや家屋の影に隠れ、また曲がりくねった街路は度々、瓦礫や崩落で塞がれていた為、分かれ道まで戻ることもしばしばだった。ジルは幾度か立ち止まっては、手持ちの地図に情報を書き足していた。が、しかし、これ以上進んだ場合に来た道をそのまま戻れるかどうか、ジルには自信が無かった。

 

 怪物の姿は幾度となく見かけたものの、レギンと言う男は奇妙にすり抜ける術に長けていた。通りを闊歩する変異獣《ミュータント》を廃車の影でやり過ごし、徘徊するゾンビの群れの裏を取って、通りをそっと渡ってみせる。

 

 少数のゾンビならダグの出番で、巨漢は容赦なくそのハンマーで死者を叩き潰した。変異獣《ミュータント》の一匹や二匹であれば、クロスボウの連射で仕留めている。

 

 レギンは、怪物の習性や性質に精通しているようで当初、懸念したように口だけの男と言う訳でもなさそう、と言うのがジルの雇い主に対する印象であった。

 

 数多の怪物が徘徊している廃墟において、いかに怪物を迂回し、または気づかれずに切り抜けるかの知識を何処で学んだのかレギンは語ろうとはしないが、元が廃墟漁り(スカベンジャー)であろうが、廃墟民であろうが、ある程度の帰還の目途があり、報酬を支払ってくれるのならば、ジルには文句はなかった。

 

 街路の前方に黒い影が蠢いていた。破棄されたトラックの影に潜むと、太鼓腹のトニーが懐からメガネレンズを重ねて作った手製望遠鏡を取り出して覗き込んだ。

「畜生……蟻がいる」トニーが呻いた。

「……数は?」

 隣に座りこんだジルが問いかける。

「見たところ、七……八か。見たことねえ程、でかい奴もいる」

「兵隊蟻か?」体のでかいダグは、二人とやや離れた位置に蹲っている。

「いや、兵隊蟻もいるが、さらに一回り……二回りくらいでかい」

 太鼓腹トニーのぼやきに巨漢のダグが顔を顰めた。

「戦士蟻か」舌打ちするダグ。

「知ってるの?」とジル。

「生半可な銃弾くらいは弾くって話だ。正直、やりあいたくはねえな」

 

 手持ちの弾薬は、一人頭二十五発から三十発。

 相当の怪物にも充分に対処できる弾薬数だが、【住宅街】ほどの廃墟を数日かけて探索するには、いささか心もとない。

 無尽蔵な数の怪物が彷徨っている大規模遺跡で派手に発砲しまくれば、音に引き付けられたゾンビや蟻を他所からも呼びかねない。弾切れの挙句、大量の怪物に退路まで断たれてあわや全滅と言う話も、酒場で管をまく廃墟漁り(スカベンジャー)からよく耳にする話だった。

 

「どうするんだ?レギンさんよ。

 あの数の蟻どもはちょっと手に負えそうにないぜ」

 太鼓腹のトニーは、蠢いてる蟻どもから視線を外した。

「足が遅いと言っても、代わりに何時間も延々とついてくる。

 そろそろ引いた方がいいんじゃないのかい?」

 陰気に沈黙しているレギンは、周囲の街並みを見回していた。

 怪物たちを警戒しているにしては、建物の窓際や屋上など妙な場所に視線を向けているのがジルには解せない。

 視線を彷徨わせていたレギンが、やがて店舗が連なるアーケード街の一角へと視線を止めた。二階建て店舗と店舗の隙間にある狭い路地だった。

「……あそこだ」

 独り言のように呟いたレギンが、路地に向かって歩き出した。

「ついて来い」

 残された三人は顔を見合わせたが、今のところはレギンは上手くやっている。

 肩を竦めると雇い主の背中を追った。

 

 裏口から入り込んだ店の陳列棚には、何一つ転がっていない。入り口の色褪せたポスターは日光に漂泊されており、なにが売り物の店舗だったかも不明だった。

廃墟漁り(スカベンジャー)どもは、こんなところまで入り込むのか?」

 低い声で囁いたダグに、ジルが小声で返した。

「……崩壊直後の住人達かもね」

 

 陽光もほとんど差し込まない店内の床には、埃が積もっていた。

 薄暗い奥の柱に寄りかかった死体は、ズタズタに裂かれている。

「なんだ、こりゃあ」とトニー。

廃墟漁り(スカベンジャー)だな」レギンが頷いた。

 死体は動きやすく、目立ちにくい灰色の装束を纏っていた。隠蔽と動きやすさを優先したのだろう。その分、牙や爪に対する防御力は、心もとないに違いないが、それでも厚手の皮や布を当てて急所を補強していた。残念ながら虫食いでひどく痛んでいたが、使われていた頃は相当に手を入れた服装だったに違いない。

「廃虚だの廃れた居留地だのを狙って食料でも雑貨でも何でも持っていっちまうハイエナ共さ。

 もっとも、ここまで来れるのは熟練者《ベテラン》と呼ばれる一握りの腕利きだろうがな」

 レギンの言葉にダグが感心したように鼻を鳴らす。

「へぇ、こいつらが……」

「見ろ、認識番号の描かれた入れ墨付きだ。

 廃墟漁り(スカベンジャー)どもの組合とやらに名前が登録されているんだろうよ」

 死体の前に屈みこんで腕を取ったレギンが、ついで手早く持ち物を漁り始めた。

「タグはないな。誰かが持ち去ったか」

「襲ったやつが野生動物にしろ、変異獣《ミュータント》にしろ、そいつは人間の顔が好物らしいな」

 大男のダグは皮肉っぽく言った。

 木材や鉄パイプを組み合わせた手製散弾銃は、最後の一発まで撃ち尽くしたようで、足元にプラスチック製の空薬莢が転がっている。

「大方、変異獣《ミュータント》だろう。喉笛に食らい付き、食いちぎってから、ざらざらの舌で顔の肉を削ぎ落したんだな」

 レギンの言葉に、ジルは吐きそうな表情をしていた。

「おい、吐くなよ?」ジルの隣にいたトニーが嫌そうな顔をして後退った。

 

「弾薬はなし、か。まあ、期待はしてなかった……背嚢の紐が緩んでるな。

 戦利品は……スケベな本。高く売れそうだ。貰っておこう。

 それに……おう、スーツ。紳士の装いだ。俺に相応しい」

 廃墟漁り(スカベンジャー)の持ち物を一通り見繕ったレギンが、手下たちに振り返った。

「さて、と。問題だ。戦利品が残っているのに、装備がない。食料も消えている、と。なぜだ?」

「……装備?撃ち尽くしたんだろ」

 トニーが太鼓腹を揺らした。

「腰と肩に付いたナイフ用のケースが空になっている。手袋も剥したようだな」

「なぜ、手袋をつけてたと分かる」ジルが疑問を呈した。

「袖口まで返り血がべっとりついてるのに、掌は綺麗なもんだろ」

 言ってレギンは、周囲を見回した。

「身ぐるみを剥いだやつがいる」

 

「他の廃墟漁り(スカベンジャー)じゃないのか」

 胡散臭そうにダグが唸った。

「戦利品を残してか?」

「ああ、そっか」

 納得したトニーの横でジルが鼻で笑った。

「そいつも、慌ててたとか。荷物が一杯とか」

 

 ジルの言葉にレギンは反論せず、頷きながら床を顎で示した。

「足跡を見ろ。

 入り口から俺たちの足跡が床に続いている。そしてもう一つ」

 深手を負った廃墟漁り(スカベンジャー)が裏口を破って此処までやってきて、店内で食われた。と説明して、レギンは埃の積もった床を示した。

「この小さな足跡。奥へと続いているな。

 天井の通気口。机に昇って入り込んだな」

 通気口に鋭い視線を送って、レギンが低く囁いた。

「廃墟の住人って奴らだ。何か知ってるかもしれんな」

 

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