黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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第2章 流れ斥候
02_01 春の目覚め


 渡り人(オーキー)というのは家を持たず、耕す土地も持たず、職や食糧を求めて居留地から居留地へと転々と流れ暮らす流れ者たちの通称だった。

 ニナとマギー姉は、しがない渡り人(オーキー)である。別に血は繋がってないが、とても仲がよく互いを大事にしている。

 

 放浪の暮らしは、基本的に辛くて厳しいものだ。二人も多少、知恵は廻って生活に工夫を重ねているけれども、大した財産はなく物持ちでもない。結局は根なし草で、冷たい風が吹く夜に路地裏で身を寄せ合って眠るような生活を送っている。

 

 流れ者の渡り人(オーキー)なんて不安定な身分で、二人が流れ着いたポレシャは雰囲気の良い居留地だけれど、土地によっては侮り蔑まれたり、あらぬ疑いを掛けられてリンチされるなんて話も聞かないではなかった。

 

 比較的に穏やかな土地で住人と上手くやれてるからと言って、油断するのも危うかった。居留地の近くにも野犬の群れやゾンビが出没することもあるし、追剥だってうろついている。採取や薪拾い、水汲みなんて日常作業にでかけて命を落とすことも珍しくない。

 

 なんとか日々を生き抜いても、冬がやってくる。

 

 寒さの厳しい時期に屋根の下で眠られるか否かは、貧しい渡り人(オーキー)にとって生きるか死ぬかの違いと同義だった。暖かいトンネルや地下を見つけて住み着く渡り人(オーキー)もいるけれど、運が悪いとそうした設備がゾンビやその類のアンデッド、或いは何らかの変異獣《ミュータント》の巣窟となっていることもある。

 だから、冬を安全に過ごしたいのであれば、なんとかして簡易宿泊所に泊まれるだけの金を稼ぐか、住み込みの仕事を探さないとならない。別途、食べ物を蓄えておく必要もあった。冬越えするだけの金や食べ物を都合できず、命を落とす渡り人(オーキー)なんて幾らでもいた。

 

 なんとか生き抜いて、お金と食べ物を貯めて冬へと備える。一年を掛けて蓄えたお金と食べ物も、冬越えで大半を費やしてしまう。冬を越える度に、櫛の歯が欠けたように知人の誰かが姿を見せなくなるのも日常茶飯事だった。そんな時に渡り人(オーキー)たちは、減らず口を叩くことが多かった。

「弟は割のいい仕事を見つけたんだ、畜生め」「そう言えば、やっこさん。海の傍で暮らしたいと言ってたな。港町で会うかもだぜ」「あの親父さんは馬車を欲しがってたからな。きっと手に入れて今頃は一家で旅の空だろうよ」

 

 曠野に生きる大半の人にとって、人生が厳しいのは当たり前で、兎も角もマギー姉とニナは冬になる前に寝床を手配して、年の暮れを屋根の下で過ごす事が出来た。冬が明けたら、また次の冬に備えて食べ物とお金を貯めなければならないけれども、なんとか今年一年は生き延びられる。

 

 斯様に渡り人(オーキー)にとっては屋根と壁のあるところで冬を過ごせるかは大変に重要なことで、幸運にも恵まれた二人は苦労した分、食べ物と仕事の心配をする必要がない冬籠りの三か月を大いに楽しむことに決めた。

 

 簡易宿泊所の大部屋に並んだベッドの上で日がな一日微睡んだり、暖かな火の傍でたんぽぽコーヒーを啜りながら何時間も話したり、友人と数人で集まってTRPGをしたり、楽器を鳴らして歌ったり、冬空の下を安全な防壁内をのんびりと散歩したり、薪割りの仕事を貰ったりして貴重な冬の休暇を堪能したのだった。

 

 そうしてある日、空気の匂いが変わった。その日もぬくぬくしていたニナは、毛布に包まりながら犬のように鼻をクンクンと鳴らした。暖かく、穏やかな匂いが、出入り口から入り込んできている。

「……春かな?……春だ!」そうして簡易宿泊所のベッドの上に跳ね起きると、少女は靴を履いて表へと飛び出していった。

 青ざめた冬の陽光とは違う、優しい日差しが大地を照らしている。

 

 春の目覚めの喜びに飛んだり、跳ねたりと子猫のように踊っているニナを見て、マギーも欠伸をしながら起き上がった。

 

 これは地を這う人々が、ただ生きるだけの物語。今のところ。

 

 

 冬の間、ポレシャを離れていた人々が戻ってくるまでに、まだしばらくの時間が空いていた。彼らは春の訪れとともに冬の住居を片付け始め、厳重な戸締りと旅支度を行ってから、ポレシャへと旅立つからだ。

 

 それでもニナとマギーは、冬明けに友人や知人を訪ねては互いに無事を喜び合った。ポレシャでも防壁内の一等地に暮らす居住者たち。保安官助手や歩哨の傭兵隊長などは時々の散歩で顔を合わせていたし、彼らの暮らしてる家屋は頑丈で暖かいので滅多な心配は必要なかった。むしろ向こうがマギーたちを心配する関係だっただろう。

 

 その保安官助手から、春の挨拶回りついででいいので、と路地裏の住人たち宛に何枚かの手紙を託された。食料の配給手続きなどに必要との事で、悪い話とも思えなかったのでマギーは頷いて引き受けた。

 

 同じ簡易宿泊所に泊まっていた中にも、途中で宿代が足りなくなって出ていった人々もいたけれども、大抵は2月も中旬を過ぎて寒さも緩んだ時期であったので然程の心配はしていなかった。気に掛かるのは、あばら家や天幕に暮らしている人々。そして路地裏で冬を過ごさざるを得なかった人たちと、昔の枯れた暗渠などに居を移していた人たちの安否だった。

 

 

 保安官助手のキャシディから受け取ったリストと手紙片手に、ニナとマギーは壁近くの小さな天幕や路地裏の塒《ねぐら》を歩いて廻った。小なりとは言え、家を構えている者たちは薪や食料、毛布などを多めに買う余裕もあったようで比較的、健康に過ごしていた。一方で路地裏暮らしの人々は寄り集まって過ごしていることも多く、薪を使い過ぎた、人の飯や水に手を付けただのと若干の揉め事が起きていたけれど、居留地からの薪や食糧の配給もあってなんとか冬を越えたようだった。

 

 無事を確認できた人たちのリストに✓をつけて、手紙を手渡した。留守の人は―。幸いにもと言うべきか、マギーたちの直接の知人で亡くなってるものはいなかったので、(死亡の)Dマークを付ける必要はなかった。

 

 怪我や病気で亡くなったものも幾人かいたけれど、数百人も暮らしている居留地では避けられない事で、古株の自由労働者がパイプを吹かしながら言うには、今年の冬の死者は少ないそうだ。

 

 コヨーテや狼のような野生動物は、いつも腹を空かせて曠野を彷徨っているし、変異獣《ミュータント》やゾンビも時折、防壁の近くに出没する。風の噂では、さらに恐ろしい巨獣が旅人や行商人を襲う事もあると耳にした。薪を採りに出た女子供が人狩りに浚われてしまうことも稀にはあった。

 

 路地裏へと戻った頃には夕刻になっていた。誰が明日生き延びているか分からない世の中で春の挨拶回りは大事な行事だったから、かなりの時間を費やした。

 ニナとマギーは、自宅のバリケードを再設置してやっと安堵の息を吐いた。マギーはさっそく、木材と釘を用いてバリケードの補修を始める。

 滅多にないとは言え、野生動物やら巨大蟻やらが木柵の内部に入り込んでくることもあるので、安心できるのはバリケードを張った内側くらいだった。

 

 ニナは奥や両隣の壁の具合を確かめてから、バリケードからあまり離れずにご近所の様子を観察してみた。

 

 路地裏一帯には、無人の場所がぽつぽつと目立った。いまだ住人が戻っていない塒も多い。マギーたちの隣の路地も、無人だった。地面にはどす黒い血痕が付着し、入り口の垂れ幕は半ば切り裂かれて虚しく揺れていた。若い未亡人が子供と一緒に暮らしていたはずだが先年の巨大蟻による襲撃以来、行方不明となっている。

「お母さんも花を贈ってた人もあれ以来、見ないね」とニナは呟いた。

 マギーは微かに首を傾げて、バリケードを確かめる作業に戻った。

「どこかもっといい所に逃げたのかな」独り言のように呟いたニナの声は少し震えていて

「そうだといいね」マギーは相槌を打ちながら、ニナの肩を抱き寄せた。

 

 町はずれの家賃は非常に安い。木柵近くとなればほぼ只同然だが、役所や渡り人(オーキー)の顔役たちによって一定の秩序は定められている。新顔の流れ者が勝手に入り込んで住み着かないよう、近くの壁には住人の名前が日付と共に記されていた。数か月の間、住人が帰還しなければ、マークは消されて新しい住人が寝床とする。

 

 もっといい場所に移ることも出来なくはない。幾つか空いた場所が壁の張り紙で告知されているが、マギーは今、引っ越す気にはなれなかった。居留地は大概、防壁の内側に近づくほどに家賃も高くなる傾向があって、町はずれでも木柵から遠ざかれば、若干ではあるが地代も掛かる。

 

 地代は、貧しい渡り人(オーキー)にも算段できない金額ではない。麦兌換紙幣にして十ポンドから二十ポンド。五キロ弱から十キロ相当。十日から二十日分の食料と引き換えに、町はずれとは言え、怪物に襲われにくい場所へと住める契約だが、マギーはどれほどの意味があるか疑わしく思っている。

 

 近所の家で子供がゾンビに噛まれていて真夜中に発症。知らなかった家族が寝ているところを襲われて全滅する痛ましい事件なども、頑丈な壁や扉の家など望むべくもない路地裏暮らしの渡り人(オーキー)からすれば、ゾンビの群れが深夜に襲ってくる突然の脅威に他ならない。あまりにも隣人に近しい路地よりは、左右を高くて頑丈な煉瓦壁に挟まれ、入り口に頑丈なバリケードを設置すれば、ひとまず安眠できる今の塒の方が安全だとマギーは結論していた。

 

 流れ者たちが勝手に住み着いているような町はずれでも一応の備えはあって、出入り口に頑丈な木柵は設置してあるし、瓦礫を積み上げた防壁や簡素なバリケードで余分な街路も塞いである。日没後は出入り口も封鎖するので、怪物や野生動物なども簡単には入り込めないようになっていた。それ以上の備えは、貧しい渡り人(オーキー)でしかないマギーたちには望めるものではなかった。

 

 春になって寒さに怯える必要は無くなったが、明日からまた稼がなければならない。防壁の補修作業や溝掘り、畑の収穫に家畜の世話。仕事は幾らでもあってお茶に酒、菓子や煙草を味わうなり、映画や本を楽しんだり、ただ食べて寝る以上の生活を求めるならば、お金もそれなりに必要だった。

 

 今日の処は、麦をお湯で茹でた塩味の麦粥だけで夕飯を済ませる。コトコトと鍋で煮込んだ麦粥をブリキのお皿に入れて、スプーンでゆっくりと味わう。簡易宿泊所で毎日、食べていた麦粥だけれど不思議と飽きることのない味だった。

 

「明日から仕事を探さないと。芋やキャベツ、人参も買いたい」

 湯気の立つ粥に塩を足しながら、マギーが言った。

「お肉とチーズは値上がりしてるね」とニナ。

「仕方ない。蟻が暴れたからね」マギーが肩を竦めた。粥を味見して頷いてる。

 例年は、農作物を売却して物資や嗜好品を仕入れるポレシャだが、先年の有事で弾薬の備蓄を使い果たした上、食糧庫も大きめの一箇所を巨大蟻に破られていた。

「……家畜を買い足して、弾薬と銃も注文するそうだけど。畑も荒らされたし、元に戻るには最低でも2~3年は掛かるだろうって、オットマンさんが。ほら、あの機械工の人が言ってた」マギーの言葉にうなずいたニナは、ノートに物の値段を書き記そうかと考えるが、新しいノートだって渡り人(オーキー)には結構、馬鹿にならない値段だった。

 

 食べ物と娯楽に費やしたお金と冬越えの後で、マギーとニナの手元の蓄えは乏しかった。それほど贅沢はしていないが、時々のお茶とレモネード、新しい歯ブラシと石鹸、食器、布切れに針と糸、塩胡椒などあり触れた品でも、流通と生産力が失われた土地ではそれなりに値が張るのだ。

 

 地面に木の板とシートを敷いて、薄い毛布に包まるとニナはマギーに抱きついた。

「あったかい」心地よさにうっとりしながら、ニナは目を閉じる。

 今日は掃除と修繕で一日が過ぎてしまった。明日から、またいつもと変わらない日々が始まるけれど、それはとても幸せな事だとニナもマギーもよく知っている。

 

 未来に何の展望もなく、何時まで生きられるかも分からない。暮らしやすい居留地でさえ何時、略奪者《レイダー》や変異獣《ミュータント》に襲われて滅びることもあり得る。時には不安に襲われながらも、二人は自暴自棄に陥らず、ささやかな暮らしが続くことだけを願っていた。

 

 夜空では、静かに星が瞬いている。マギーは穏やかな寝息を立て始めたニナをしばらく抱きしめていた。それから大型犬が親しい人にするように軽く鼻で触れる。「お休みなさい」火を消してから、マギーも目を閉じた。穏やかな夜風には、芽吹きつつある草花の香りが含まれていた。春の匂いだった。

 

 

 

 

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