まだ肌寒い朝、マギーが毛布の中でもぞもぞと蠢いていた。初春の風は、まだ少し冷たさが残っている。
「起きないと」ニナが囁いた。マギーとニナは二枚の毛布に包まって一緒に寝ている。
「……もうちょっとぉ」マギーが呻きながら抱きしめてくるのがすこし暑苦しかったので、ニナは構われるのを嫌がる子猫のように押し返した。
「は……ふぅ」マギーが艶っぽい声を漏らしたので、ニナは同性なのにドギマギした。
「もうっ、盗賊どもの方がよっぽど勤勉だよぅ」文句を言いつつ、力強い腕をようやく振りほどいたニナは、寝床を抜け出して朝食の準備を始めた。マギーはひどく神経を消耗していたようで、廃墟漁りをした日の夜よりも、苦しげで寝付けない様子を見せていた。斥候の任務は、それほどに危険なのだろう。
ポレシャ近郊の街道筋に、胡乱なもの共がうろつき出していた。
「しばらく
先日からの人攫いの噂もあってニナが火を焚きながら呟くと、マギーは毛布の中から応えた。
「無難だと思う」
淡々とそう決めた二人だが、しかし、収入は大分落ち込む。休養期間がどれくらい伸びるかは誰にも分からない。一週間か、一か月か。それとも半年か。一方で昨年の巨大蟻の襲撃以来、居留地の物価も肉や野菜、調味料に石鹸などあれこれと値上がりしている。割のいい仕事が減っているのも悩ましい。
「削れる支出は大体削ったんだけどね」とお湯を沸かしながら、ニナはぼやいた。
あまり食費を削っても、身体が持たなくなる。削れるのは調理用の薪くらいで、それも出来る工夫はとうにやっている。
「これ以上、買うものは何かあったかな?」まだ寝床に丸まりながら、マギーが言った。
「あまりないね。食費と薪だけで済むと思うから去年よりは大分、支出も少なく済むんじゃないかな?」ニナが言うとマギーは呻いた。
既に毛布にポット、フライパンと鍋。カップに水瓶と、必要な食器も一通りは揃っている。
「……どうだろう。石鹸。トイレットペーパー。肉と野菜。食べ物は兎も角、消耗品はズールで仕入れるのと居留地の店で買うのでは、やっぱり値が違う」
自由都市の方がトイレットペーパーや石鹸、調味料などは安くついた。葉っぱで済ませたり、石鹸の使用をケチることも出来るけど限界もあった。
贅沢を言えば、金づちやのこぎりなど工作用品も欲しかったが、何時入手できるか分からない。いや、金を出せばいつでも入手できるのだが
「乾燥させた牛糞が燃料になるって。計算したけど薪より安くつくよ」
ニナのアイディアにマギーは首を振った。
「あまり変わらんなら薪の方がいいかな」
「ううん」
家計で薪が占めている割合は1割ほど。削ってもさほどの効果はない。
「働く日を増やした方がいいかな」マギーが呟いた。
今までは、
「できた。朝食」ニナが呼びかけた。
マギーたちの食事は、日に三食が麦粥である。居住者にはパンに米、パスタに玉蜀黍《コーン》、ジャガイモなどを好んでいる者もいるが、ポレシャでは麦のお粥が一番安くつくし、舌も奢ってないマギーたちは麦粥に不満を覚えることもなかった。
自由都市《ズール》に居た頃には一番安い豆を食べていた。保存が効くので今も買い付けている。そうして、今日も朝食に麦粥を作ってブリキの皿へと盛り付ける。豆も混ざって栄養バランスがよい。
マギーも起き上がり、いざ、朝食を取ろうとした時、玄関《バリケード》に副保安官のキャシディが姿を見せた。
「マギー、いる?」
ニナが物凄い膨れっ面になっている。「いませーん」見え見えのニナの抗議に、副保安官が申し訳なさそうに頭を下げた。
マギーは湯気を立てるブリキ皿を眺めていたが、諦めたようにふっと笑うと、手を付けずに立ち上がった。
「帰ってきたら貰うよ」
「あー」呻いたキャシディ副保安官が気まずい顔を見せながら告げた。
「参議たちが呼んでる」
ニナは、マギーのズボンのすそを掴んだ。顔を見上げて真剣な表情で告げる。
「最悪、ポレシャを出てもいいから。何処に行っても一緒だから」
「大丈夫。危ないことはしない」ニナの頭をクシャリと撫でて、マギーは笑った。
荷物とバットを背負たマギーは、キャシディ副保安官に従って街路を歩いていた。
(……柵《しがらみ》が増えたな)
気が進まないことも、やらなければならない時が人生にはある。今がそれだ。明らかに面倒ごとだが、これからも居留地に暮らすのであれば断りづらいのも確かだ。
しかし、つまらないことになった。とマギーは苦い思いで考える。これ以上、いいように使われるのは危うい。僅かなはした金で命懸けの仕事をやらされるなど冗談ではない。
賊相手の斥候任務は危険な仕事だった。多少、用心深くても、生半可な腕の斥候は、いずれは死神の手に捕まることになる。自分を悪い斥候とは思いたくないが、何年も生きられるほどに卓越してるとも思えなかった。居留地から立ち去るのも、選択肢のひとつとなる。いい所ではあるんだけどな。いくらかの未練を抱えながら、町はずれの瓦礫の中で小さな天幕やらベッドで暮らしてる貧しい流れ者たちをマギーは眺めた。
マギーとニナは寄る辺のない流れ者の
居留地を立ち去ることも出来るが、一方では、いつか、何処かに安住の地を得たいとも思っている。怪物ではなく、人間。それも素早い少数の賊を相手取る際は、十人の民兵よりも一人の斥候が役に立つ場合がある。そして生憎とマギーは、その腕の立つ斥候の一人、そう見做されているようだ。
(そんな大したことをした覚えはないのだけれど……居留地の
議事堂への道の途中、食堂の屋外テーブルに友人のシエルが座り込んでいるのを見掛けた。向こうも態々マギーを迎えに来たのだろうか。逃げないように見張られたかな?と穿った見方をしてしまうマギーだが、駆け寄ってくるシエルの態度には妙に焦りが見えた。
「これから作戦会議なんだけど……」シエルとあまり仲の良くない副保安官が冷めた声で牽制した。
「だから会いに来た。会議の前に話しておきたい」シエルは、かなり真剣な表情で迫ってくる。
「一体、なにさ?」歩み寄ったマギーと不承不承ついてきた副保安官の前で、シエルは、屋外テーブルに地図を広げた。やや躊躇を見せてから、マギーに意見を求めてきた。
「……どう思う」
地図を眺めたマギーは、腕組みしていた片手を口に当てて呻きを押し留めた。
「ううむ……まずいんじゃないかな、これ」
議事堂へと到着すると、既に二十名近い人数が集められていた。居住者の民兵が大半だが、流れ者も数人見掛けられた。志願兵だと、副保安官が教えてくれる。生憎とマギーは、志願した覚えはなかったのだが。
一見して、斥候には流れ者が多い。地形を熟知した狩人や腕のいい狙撃手など、市民にも斥候に適した人物はいる筈だが、どうにも危険な仕事は流れ者に廻されてる節がある。
市民で斥候のフォルジェさんは大家族の四女でお味噌扱い。保安官助手のエリスなどは、無職でプラプラしていたのを強引に任命されたと愚痴っていた。マカロヴァさんは身寄りのない年寄り。極論すると、一部の情熱を持った志願兵を除いて、市民でも死んでそれほど困らないものたちが斥候を務めている。
そしてその市民斥候たちは、なぜかマギーの下に付けられているのだ。
「一目置かれていると考えていいのか、それとも厄介な役割を押し付けられたかな?」集まった民兵たちに通りすがりに挨拶を交わしながら、マギーは小さく独りごちだ。
使い捨てにはされたくないが、単純に生きて帰れればいい立場でもない。むしろ、迂闊に損耗を出せば居留地での立場が悪くなる。
斥候の分隊長は、死傷者の家族に恨まれる役割も込みという事か。大した報酬も出ないのに損な役割を押し付けてくれる。それにしても流れ者を班長に任命するとは、ポレシャも相当に苦しいようだ。
円卓が置かれた会議室へ入室する。参議たちの他、数人の副保安官に古参兵らも顔を見せていた。マギーの傍らからシエルが離れた。有力市民の娘なので参加も不思議はないが、参議である老婦人の隣に着席して嫌そうにビクビクしている。
(……苦手だと言っていたお祖母さんかな)
隊商《キャラバン》で斥候を務めたと喋った相手はシエルだけで、それも一言だけだった。そこから、お婆さんに伝わったのかも知れない。
(家長に逆らえないにしても、口の軽い奴め)マギーはシエルを軽く睨んだ。
「みな、揃ったね」シエルの愚痴からは、もっと豪傑みたいなお婆さんを予想していたマギーだが、老婦人はどちらかと言えば、やや小柄で痩せている。しかし、言葉には力が有り、冷たく厳しい目つきで全員を見据えていた。
円卓の上に地図が置かれると「作戦会議を始める」と、民兵隊長が地図上でおおよその位置を指し示しながら、作戦を説明し始める。
人攫いたちを三方から囲んで、殲滅する作戦を目論んでいるようだ。
「質問は?」見回しながら、聞いてくる。
作戦を立てたのは民兵隊長だろうか?民兵たちも素人ではない。巨大蟻との戦いでも見事な動きを見せていたが、描かれた作戦図では交戦距離があまりにも近い。
味方に死傷者が出ると判断したマギーだが、兵士を犠牲にしても割に合うと考えているのか。一介の
表面上の冷静を保ちながら、シエルが片手を上げて質問する。
「……作戦の目的は、対象の殲滅?」
「それ以外になにがある?」民兵隊長が訝しげに聞いてきた。
「いいや、了解」
もう少し頑張ってよ、とマギーは視線で訴えた。当然に通じない。
沈黙したシエルを一瞥し、今度はキャシディが口を開いた。数人いる副保安官の一人で一応の発言権を持つが、際立った有力者と言う訳ではない。
「……この作戦、相当な犠牲を覚悟する必要がありそうだね」
作戦提案者の面子を潰すのではないか、と恐れたマギーだが。
「これは叩き台に過ぎない。もっといい作戦があるなら当然に採用する」と民兵隊長自身が発言を促すと、覚悟を決めたのか、シエルが手を伸ばした。
「相手の逃げ道を完全に塞いでいますね。交戦距離が近いので、賊が突破を図った場合にどこかの部隊が真正面から衝突します。別にこちらの人員と引き換えにしてまで、絶対に仕留めなければならない相手とも思えません。それよりは……」円卓に身を乗り出したシエルは、地図上の稜線にしるしをつけた。民兵隊長と、参議たちが地図を覗き込んだ。
「こことここ。横列で遮蔽物を利用した火線を引いて、十字砲火で打ち下ろせる。
敵を一方的に狙える位置で、かつ敵が逆襲してきても連携を取れる距離です。
敵の武装は、長距離を狙えるものではないので、反撃は薄くなり、こちらは主力はライフルに絞って散弾銃やマシンガン、その他は補助兵力に……」
(よしよし。いい説明だぞ、農家の娘。もっと頑張れ)マギーは口の端を微かに上げた。古代中国の軍事思想家、孫子《ソン・ツー》のThe Art of Warにも囲師は闕き、窮寇には迫るべからずと書かれている。敵には、逃げ道を残しておくべきだ。
「単発式でもなんでも、長距離を狙えるライフルを主軸にして。百メートルから十数人が牽制と狙撃。仕留める必要はなく射すくめるだけで肝を冷やすでしょう。一撃を食らわせれば、引き上げていくかと」シエルが言葉を切って、集まった面々を見回した。
「引き上げるかな?」顎に手を当てていたマギーは敢えて聞いた。
「複数の狙撃手に狙われてまだ粘る?」とシエル。
「なるほど」納得したっぽい態度でマギーが頷いた。
「ポレシャの警戒と偵察能力を示せれば、充分。保安官亡き今も居留地の防衛が衰えてないと悟れば、割に合わないと考える」シエルは淡々と説明してみせた。
「そうなれば、もう来ないか」キャシディも調子を合わせて頷きながら、言葉を続けた。
「守りの固い居留地に張り付いてるより、他の土地で旅人狙う方が儲けになるからね」とマギーの発言を皮切りに、参議や民兵たちが議論を交わし始める。
「斉射で追い払えるなら……悪くない」
「此方に犠牲も少なく済むだろう」
「悪くないんじゃないかな?」
「だが、遠距離だとライフル弾の消耗が激しい。弾薬の備蓄にも不安がある」
「いつの間に、こんなに弁が立つようになったんだい。シエル?」と老婆が孫を横目で見つつ、揶揄するように言った。
(おや、お婆ちゃんが口を挟んできたぞ)マギーは興味深げに様子を窺った。
「お前が西の土地に詳しいなんて初耳だよ。銃器の性能に戦術。台地の地形。人攫い共の思考や習性……誰の入れ知恵かね」
「わたしも少しは成長するよ、お祖母ちゃん」
固い表情ではあったが、祖母の問いかけに肩を竦めるシエル。実際、マギーとキャシディから短時間で聞き取った情報でそこそこにプレゼンしてのけたのはシエルの呑み込みの早さの賜物だった。
老婆は孫から冷たい視線を外した。まずマギー。それからキャシディに意味ありげに視線を向けてから、傍らにいる斥候の一人に問いかける。
「あんたはどう思うね?」
「これじゃあ、連中を逃がす」
(ふむん……あちらは、お婆さんのお気に入りかな)とマギー。
「それに、なんの問題が?」首を傾げながら、シエルが問い返した。
「連中が逃げ出してくれるなら、そのまま犠牲を出さずに勝てるもの」とシエルが民兵隊長や参議たちに向かって説明しようとする。
「はっきり言わせてもらう。なんの意味もない勝利だ。すぐに生き残りが戻ってきて、また街道を荒らし始める」
(おお、言うね)マギーも少し興味が出た。
成り行きを見守りたくもあるが、困った様子でシエルは言葉に詰まっている。
円卓を指で叩いてる農園の娘が言い負かされるのも望ましくないので、マギーは援護射撃をしてみる。
「何人か仕留められれば、上等じゃないかな。家畜泥棒や人攫いなんて根絶やしに出来ないのだから、連中が商売しづら……寄りづらくなってくれれば、充分だろう」
互いに、なに言ってんだ、こいつ?みたいな目を向けあった。どうにも徹底的に意見が噛み合わないようだが。
「生きてる限り、連中は何度でも居留地を狙ってくる」と
「そこら辺の小さな村落とは状況が違う。仮にも数百人の人間が暮らし、防壁も強固な居留地だよ。連中からすれば、近づくたびに銃撃戦で追い払われるのは割に合わない」
「……小さな村落、か」
気に障ったのは分かったが、マギーはペースを崩さずに説明を続けた。
「ポレシャがしっかりしてるなら、奴らは他の獲物へと行くと思う」
「他の獲物か?そこでまた人が襲われる訳だ」
辛辣な口調で
「回り込めば、奴らを片付けられる」地図を指さしながら、積極的な戦闘を提案してくる。
「ここだ。今、此処で戦うべきだ」
「楽に勝てるのに至近でやりあう意味は?此方に犠牲が出るかも知れない。わたしかも知れない、あなたかも知れない」マギーは首を横に振った。
「襲われる他の獲物も、顔見知りの誰かかも知れない」
「奴らと戦う力をあるなら、追い散らすだけじゃなく出来るだけ叩くべきだ」
「それは保安官や参議たちが決めることだよ。どう戦うか決めるのは彼らだ。武器も弾薬も、彼らが負担してる。民兵も」マギーは、意識して淡々と説明を続けた。
「二人とももういい」
民兵隊長がピシャリと言った。それから頷いて地図に目をおろした。
「だが、作戦は、もう一度練り直すべきだろう」
参議たちや副保安官たちも頷いている。
「保安官のようにはいかんが……皆で力を合わせよう」民兵隊長の言葉からするに、自分が立てた作戦に拘泥するつもりはなさそうだ。
「一旦、休憩にしよう」そう宣言する議長の声に出席者たちが立ち上がり、或いは思い思いに散っていく。シエルがあからさまに、ホッと息を吐いた。マギーは、シエルと視線を合わせなかった。キャシディも、隣の副保安官と何やら話している。
何人かは、シエルとマギー。或いはキャシディも示し合わせていたことに気づいたかも知れないが、会議の前の多数派工作は咎められるような事でもない。
顔が分かる距離での銃撃戦など、マギーにとって冗談ではなかった。他人《シエル》の思惑に乗った形だが、ひとまず避けられそうな流れとなってくれればいい。
最悪、居留地からとんずらを噛ます選択肢が残っていても、留まれるならそれに越したことはない。心労絶えないマギーは、悔し気に部屋から出ていく
(人攫いに対して相当な過去の因縁があるのかも知れないけれど……悪いが付き合えないよ)