会議は、思ったよりも長引いた。夕刻近くまで休憩を挟んで幾度か話し合い、大筋でシエルの作戦案が採用されたが、作戦の開始時刻だけはかなりもつれた。結局、明日《みょうにち》の払暁と共に民兵隊は出発するが、それまでは機密保持のために作戦を知りうる立場にいる雇い兵は議事堂に詰めることになった。つまりマギーと他、数名の斥候たちである。もしかしたら二、三人かも知れない。
議事堂出入り口近くの廊下で、ベンチに座りながらマギーがぼやいた。
「人さらい共の間諜《スパイ》が紛れ込んでいるとして……街道の近くで野営する間抜けの手先扱いですか」
「いないと皆、分かってるだろうにね」とシエルが慰めてくる。
「ニナに今日は帰れないと伝えてくれないかな」マギーの要求は一々もっともなので、「ああ、うん」とシエルも頷いている。
「保安官が定めた規則でね……すまない」キャシディ副保安官が謝った。
元は大規模な略奪者《レイダー》や野盗《バンディット》相手を想定した規則なのだろう。略奪者《レイダー》や野盗《バンディット》、
「小腹が空いた。食事くらいは振舞って欲しいな」
マギーの言葉にシエルがサンドイッチを分けてくれたので、もそもそと口にする。魚のフライのサンドイッチ。川魚。いや、湖で取ったものだろうか。内陸の自由都市《ズール》では、あまり口に入らない。旨味が口腔を満たした。
(旨いな、これ)色々とある不満を呑み込んで、マギーは満足げに息を吐いた。
食事を取っている三人の目の前で、一度集められた民兵や志願兵らが解散して散っていった。払暁に再集結して出発する。装備の手入れを怠らないように、と言い含められていた。マギーは、キャシディから二、三の注意をして貰ったが、万が一にも間諜が混ざっていたら、明日の奇襲も筒抜けだろう。
「ちょっと……なぁ」
マギーや他の斥候を拘束する意味合いがない。保安官が定めたルールを本質を理解しないまま、杓子定規に運用している。
「ちょっと、ね」
サンドイッチをお代わりしながら、シエルが分かってるとため息を漏らした。お役所仕事では、よくある事だ。ポレシャは大きな居留地だが、崩壊前の基準で言えば小さな田舎町に過ぎない。臨機応変に動きづらい程度には大きな居留地であり、同時に有為な人材が足りない程度には小さい。人物が居なくなった穴は、すぐには埋まりそうもなかった。仮に大規模な略奪者《レイダー》や、狡猾な野盗《バンディット》が保安官亡き居留地に目を付けた時、果たして残った参議や民兵らが持ち堪えられるかは、甚だ疑わしくもあった。
(……あっさりと居留地が滅びても、困るんだけどなぁ)とは言え、変異獣《ミュータント》に略奪者《レイダー》、ゾンビに巨大昆虫、巨獣に訳の分からない怪物など地上は脅威に満ちている。交易の途中で前回、立ち寄った小さな居留地が滅びているなど珍しくもないのだ。
「……存外、志願兵が多いな」
お茶を飲みながら集まった民兵を眺めていたキャシディ副保安官が、ぽつりと呟いた。
マギーも幾人かの顔には見覚えがあった。老いも若きも着の身着のままに継ぎ接ぎだらけの古着を纏い、自前の武装と思しきパイプ式のチューブ・クロスボウや古びた火縄銃などを持ち寄った十人ほどの男女は、町はずれに住み着いた流れ者たちだ。僅かな金を目当てに巡回《パトロール》や防衛作戦に参加するらしいが、さほどの手練がいるようにも見えなかった。
「手練の略奪者《レイダー》や放浪者《ワンダラー》などと遭遇したら、肉の盾にもならないよ」マギーの値踏みは辛かった。
「二、三人は多少、マシな武装を持っているようだが、それにしても命知らずな事だね」とシエル。
「他に仕事だってあるだろうに……」と同じ
「冬明けで手持ちが乏しいから。参議たち、餌をチラつかせていいように使う心算だろうね」辛辣な評価をするシエルは、しかし、安価な雇い兵たちが戦ってくれるから命を張らないで済む立場の有力市民なので、マギーは意外そうに横目で眺めた。
「……感謝しているよ。それに、わたしが大人たちの立場でも同じことをする」シエルは淡々と言った。
愚痴っている年下の二人に対して、キャシディ副保安官が肩を竦めて口を開いた。
「報酬は出てるけど、さして手厚い訳ではない。むしろ、冒険心や義侠心から志願したものが多そうだ」
「危険な仕事だよ」とシエルは首を振った。
「自覚しているなら構わないだろう」副保安官が言う。
「……わたしは志願した訳でもないけどね」とマギー。
「すまんね。民兵隊長がどうしてもマギーを使いたいと」副保安官の言に、マギーは首を傾げた。
「……民兵隊長が」少し考えこんだ。
「……使い捨てられるのは御免だよ」
やや険の籠ったマギーを宥めるように、シエルは頷いた。
「分かってる。分かってるよ……そんなことはさせない。絶対に」
日が暮れつつある会議室の窓から、淡い光が洩れていた。文明崩壊後の世界から電気の光が失われた訳ではないが、一般的な光源としては松明や蝋燭が用いられる事が多い。蝋燭を入れたランプは麗しい香りを放ちながら、煌々と室内を照らしている。
会議の終了後。居留地の長老たちがケープを羽織り、湯気を立てたワインで身体を温めてながら雑談に興じていた。
「それにしても……お前さんのところの孫、中々のもんじゃないかね?」
椅子に腰かけた小柄な老人が、地主の婆さまに機嫌良さそうに話しかけた。
「……口ばかり達者な、頭でっかちにならなきゃいいがね」参議を務める老婆が冷たく皮肉を口にする。
「人を見る目はあるよ。キャシディも、マギーも、若い者では頭一つ抜けている。将来が楽しみだ」小柄な老人は、穏やかに告げる。
「少なくとも、ヨハンのところの孫よりはマシだな」卵型の頭をした老人が隣にいた眼鏡の老人を見て、にやりとした。
円卓の上の書類を手に取った老婆は、眼鏡を掛けながら低い声でつぶやいた。
「マギーかい。これを見ると若い連中を幾人か預けてるようだけど、大丈夫なのかい?」
「手練の斥候はそういない」
穏やかな口調で告げると、小柄な老人は甘いクッキーを摘まんだ。どうしようもない甘党なのだ。
「なにを心配しているのかは分からないが、会議で見たとおりに慎重で用心深い。付けておけば、若者たちもそうそう死なないだろう」
「確かに、いい仕事をしてるようだけど、
冷たく鋭い目で小柄な老人を見据えると、用心深そうに念を押して来た。
「野盗の間諜ってことはないんだろうね」
小柄な老人はしばし沈思してから、老婆に向かって身を乗り出した。
「冒険商人のオーを知ってるか?」囁くような小声。
「『大胆不敵』かい?曠野の英雄を知らん奴がおるかね?」
言った老婆に悪戯っぽく微笑んでから、小柄な老人が種明かしをする。
「オーはあちこちの悪党に報復で賞金を懸けられて、一年ほど前、鉄拳のガルフに殺害されてしまったがね。その身内や部下は、今も狙われてるだろうね」
マギーを何者とも断言しなかったが、答えを聞いた老婆が瞳を細めた。
「間違いないのかい?」
「保安官の保証だよ。オーの生前に、顔を合わせたことがあったそうだ」
小柄な老人の言葉は、老婆の耳にやっと届くほどの囁きだった。
「今は保安官も、オーもいなくなってしまったが。この居留地で素性を知ってるのはわしだけだ」
小柄な老人の真剣な表情に、老婆は静かにうなずいた。
「信頼する理由が分かったよ。他言はしないさ」
ワインで最後のクッキーを流し込むと、今度は小柄な老人が老婆に尋ねた。
「それより、そちらの推してる斥候はどうなのかな?」
「あの子のことはね……子供の頃からよく知ってるよ」
深く頷いた老婆も、淡々と事情を口にした。
「人狩り共に親兄弟を殺されているんだ。間諜《スパイ》だなんて絶対にないよ」
婆さんの言葉を聞いた小柄な老人は、少し渋い表情を浮かべた。
「……少し気がかりだな。なに、間諜《スパイ》であるとは思っとらんがね」
思い思いの思惑を含みつつ夜は更けていった。
作戦としては、ポレシャの戦力はA分隊。およびB分隊に別れて行動する。
人さらいの集団は、居留地西に開けた街道の南に野営している。
A分隊は西南の進路を取り、人攫いの一団を東南(対象の4時から5時)の位置から攻撃。
B分隊は、さらに大きく南から迂回して西(対象の8時から9時)へと回り込み、十字砲火を形成しつつ、相手の退路を遮断する。敵が後退しても北の街道は開けた見通しの良い地形であり、多数のライフルを有したポレシャ民兵隊による長距離狙撃の優位は崩れない。
移動に際して、両チームはつかず離れずの距離を取って進撃する。相互に援護のできる位置について、ライフルによる長距離射撃を主軸として人攫いの一団を攻撃し、これに打撃を与えて撤退に追い込むのが作戦の目的である。
B分隊の指揮官は、副保安官のキャシディ。斥候としてはマギーも同行する。
議事堂仮眠室に備え付けられた固いベッドで目を覚ましたマギーは、曙光が微かに窓から入り込んできているのに気づいて、小さく舌打ちした。
「時間、か」
マギーは、まったく気が進まない。命を張るのなら、せめてニナに終の棲家を与えられるくらいの報酬が欲しいけれど、現実ははした金で命懸けの仕事をせざるを得ない立場だ。今回の任務が首尾よく終われば、早々に呼ばれることもなくなるだろう事情だけがせめてもの救いだろう。
向かいのソファではシエルが寝息を立てていた。シエルは作戦には参加しないので、すぐに起こす必要もなかった。見送るなどと言っていたが、長時間の会議で気力が尽きたのだろう。深い眠りに落ちている。今日一日を脅かされることなく過ごせるだろう農場の娘を羨ましく思いつつ、顔を洗い、歯を磨き、それから朝食を口にする。目玉焼きの一つも食べたいものだが、固いビスケットと冷たいお茶。
貧しい食事だが、しかし、それさえもろくに口に出来ないものたちも世には少なくない。
短時間で食事を済ませた頃に、ノックの音が響いた。キャシディが部屋の入り口に立ち、開いてる扉を叩いた。
「民兵が集まってきた。準備は?」副保安官の言葉にうなずいた。
「できている」
持ち物は、綺麗な水と包帯。地図。コンパスに双眼鏡。地面の色に合わせたポンチョと帽子。
頷いたキャシディ副保安官が、ボルトアクション式のライフルをマギーに手渡して来た。弾薬は、十二発。一通りの稼働を調べたマギーだが、やや自信なさげに言った。
「ボルトアクション・ライフルは使いこなせる気がしない。リボルバーライフルとかはないかな?」キャシディ曰く、スプリングフィールドM1903は、かなり良いライフルらしく、銃自体も癖がない素直な銃らしいが、マギーはボルトアクションを使った経験に乏しかった。性能が劣っても使い慣れている銃の方が好みだ。
「済まない。向こうの連中に取られて、残りはマスケット銃か、散弾銃だけかな」
「散弾銃。それがいい」
キャシディ副保安官の言葉に、マギーは頷いてソードオフショットガンを背負った。スヌーピーの言う通りだ。何時だって、人生は手持ちの札で勝負するしかない。
人浚いにもピンキリがある。遥か遠来の地では、強力な武装と人数を揃えた人狩り
曠野の人攫いの殆んどは食い詰めたならず者の集まりで、出来る悪事と言えば、精々が街道筋や居留地の近くで不運な農民や不用心な旅人を浚って売り飛ばす程度だが、中には手練の無法者らもいるし、略奪者《レイダー》や野盗《バンディット》と組んで農場や小規模な村落を襲撃する大規模な一団らも徘徊している。なにより放置しておけば旅人は遠ざかり、行商人も訪れなくなる。
比較的、頻繁に自由都市を訪れるマギーにとっても、街道筋の人さらいどもを片付けることにはもろ手を挙げて賛成であった。その討伐に自分が参加するのでなければ、の話だが。
悪漢が蔓延る一方、世には弱者の味方となる賞金稼ぎや用心棒も少なからずいるが旅人や行商人、時に隊商を襲って持ち物を奪い、身柄を売り飛ばす人攫いどもは大抵、資金もそれなりに豊富で強力な武装を所持している事が多い。残念ながら、返り討ちにあったり、不利と見るや逃げ出す傭兵らも少なくなかった。
今回の作戦、マギーも自分が生き残ることを最優先に動くつもりであった。かと言って、戦いに手を抜くこともない。明確に不利になってから逃げだしても、生き残れるかは分からないが、あまり早くに逃げ出せば脱走兵として処罰されるし、軽蔑を買う。多分に一兵卒に過ぎないマギーの立場では、むしろ全身全霊で事に当たるべきだろう。保身もあるけれども恩義だって感じている。自分とニナの安全の為にも、世話になっている居留地の人々の為にも、人攫いどもは排除するのが望ましかった。生き残れるよう祈るだけだ。
大胆不敵なオーは、時に採算を度外視して困窮した者たちの為に荷を運び、食料や薬を利益の出ない金額で売却することがあった。雇い主の無欲に時に悔しい想いを抱いたものの、尊敬するに値する高潔さや勇気の持ち主であったオーだが、あれほどの人物でありながら、結局は小さな商会の主で終わってしまった。
(……わたしには『大胆不敵』ほどの能力もなければ、智慧もない)
マギーは結局のところ、平凡な人格の持ち主だった。生き残りたいし、悪いことはしたくない。そして出来れば居留地の皆の助けとなってもいいけれども、使い潰されるのも御免だった。だから、課せられた役目を果たしつつ、戦いにも生存にも最善を尽くすしかない。
生きるだけで精一杯のマギーだ。英雄にはなれないだろう。なろうとも思わない。
多分恐らく、何者にもなれないで終わるに違いない。
だから、せめて……自分の命の使い道は、自分で決める。
他人に使い捨てられはしない。その為にも、まずは生き残らなければならない。
廊下に出るとマカロヴァ老人が、気配もなく椅子に座っていた。ビックリして立ち止まると、老人は幽霊のように音もなく立ち上がり、ベレー帽を胸にあててから「今日はよろしく」と挨拶してきた。
「……マカロヴァさん?」キャシディ副保安官がやや戸惑いを見せていた。
「こちらの方が生き残れそうですから」キャシディとマギーに静かに視線を向けながら、マカロヴァ老人は丁寧な口調で遜った。自力救済の世の中。民兵たちは中世の傭兵ランツクネヒトのように、自分が命運を託す隊長を選ぶことがあった。
キャシディ副保安官は少し困惑を見せていたが、モルタルの廊下の彼方から呼び声が聞こえてくる。
「なるようにしかならないか。もう集まっている。行こう」
議事堂前の広場に出ると、キャシディの同僚である副保安官が隊列を整えていた。
マギーより年上だが、若いと思った。二十代も前半ほどに見える。
顔つきは鋭く締まっているが、どこかで経験不足が響いてくるかも知れない。保安官の層の薄さはどうにも気になるが、時間の解決を待つしかない。
「B分隊しゅうごーう」
副保安官が号令を掛けてから、キャシディを見ると頷いた。見たところ、A分隊はまだ集合していないようだ。
集まってくるB分隊の民兵たちの風体を確認したマギーが、ホッと息をついた。
「よし、目立たない服装してきてる。キャシディ、帽子は」
「用意してある。何とかかき集めた」
「やれることはやっておきたいからね」マギーの言葉に頷いたキャシディが、地面と同じ色の帽子が入った木箱を示してから、祈るように胸元の十字架を握りしめた。
マギーもトール神のハンマーを象ったアミュレットに触れる。然程の信仰心がある訳でもないが、父母から送られたものだった。
緊張と不安の色を互いの表情から読み取って、マギーとキャシディはぎこちなく苦笑を浮かべた。
「人数は上回っているし、弾薬もある。作戦もよく練れている。きっと上手くいくさ」自分に言い聞かせるように呟いてから、キャシディはマギーを勇気づけるように親しげに肩を叩いた。