一瞬前まで味方であったはずの民兵の少年に銃口を突きつけられたマギーは、得心いかぬと言いたげに首を傾げつつも、そっと両手を上げて後退った。
持っていた銃も素直に足元に置いた。刺激しないように敢えて動作はゆっくりと。
黒光りする銃口が真ん前で自分の腹部に狙いを定めているのは、まったく愉快な経験ではなかった。
(迂闊に動くと拙いよ、これは。味方に撃たれて死ぬとか、最高に馬鹿馬鹿しい死に方だけど……)状況打開の為の思考を走らせるべきではあったが、マギーはなんとも馬鹿馬鹿しい気分に襲われていた。なんとなれば、少年を含めた一行を居留地へと生還せしめるためにマギーは尽力していたからだ。
(こやつめ。しかし、どう声を掛けるかな……落ち着け、とか?いや、違うな)
そも素人だろうが子供だろうが、引き金を引けば弾が出る。十数年を鍛錬に費やそうが、屈強な兵士だろうが、弾丸に当たったら死ぬ。当たりどころが良くても、大抵は衝撃でしばらく動けなくなる。マギーはライフル弾を被弾した経験はないが、呻きながら死んでいった仲間の姿を過去に目にしている。その恐怖が足を止めた。被弾の苦痛が小口径拳銃に撃たれたり、刺されたりする比ではないと肌で理解している。
「恐いか?」民兵の少年が先に話しかけてきた。抑揚の効いた、意外と落ち着いた話し方だった。
「そりゃ、恐い」マギーは素直にうなずいた。却ってマギーの返答の方が上ずっていたかも知れない。
「なら、大人しくしていてくれ。撃ちたくはない」幸いと言うべきか。少年は調子に乗った感じではない。冷静に釘を刺しに来てる。主導権を握りに来たかな。
味方に銃を向けながらそれだけ冷静に振舞えるなら、今も此方の様相を窺っているだろう無法者どもへと撃ち返して欲しかった。
リーエンフィールドライフル。少年の手にあるそれは普段から入念な手入れがされているに違いない。銃身には錆び一つなく、上等なクルミ材だろう銃床の木目はニスで鈍く輝いていた。古くは19世紀末期に大英帝国に採用されたその小銃は、製造から長い歳月が経った今日でも狩猟用から軍用、そして変異獣《ミュータント》や略奪者《レイダー》との戦いに用いられるほどに高い威力と信頼性を兼ね備えたボルトアクションライフルの傑作だった。使い方次第では、充分にアサルト・ライフルにも対抗できるだけの精度と威力を有している。
そう、使い方次第で。無法者連中がどう動くか、マギーは不安を覚えていた。現状、弾薬が貴重な世の中で話し合いで決着が付きそうなら様子見に廻ってくれると期待したいが、グラツィアーノは海千山千の悪党。隙を見出せば必ず乗じてくるに違いないし、マギーの予想も八方ふさがりの現実に対する裏腹の願望に過ぎないのだろうか。
マギーは危惧を覚えていた。岩陰の向こう側の無法者どもにこの会話と状況をどの程度把握されているか?連中の耳や勘の鋭さは?いや、状況を把握するまで何分かかる?今、攻め込まれたら途轍もなくヤバいのだが少年、分かっているのだろうか。
「……頭おかしくなりそう」ぼやいているマギーの眼前。少年のリーエンフィールド・ライフルは複雑な機構を有したボルトアクション。銃身は腕ほども長かった。格闘に持ち込んで取り押さえてみる?初弾を凌いで間合いに踏み込む?完全に警戒している相手を出し抜いて?どうにも分の悪そうな賭けである。完全にお手上げの状況だ。
風が冷たい。つい一昨日に、ニナと一緒に焚火に当たっていた光景が脳裏をよぎった。敵に相対して半日、マギーは活力と精神力をかなり削られている。今、体力も何もかもを温存していた少年(よく考えたら腹立たしい限りである。行軍中には、あれこれと世話を焼いた相手に、だ)に敏捷さで勝てるかと問われたら、自信はない。
「ニーメアは渡さない」と少年。断固たる口調で暴挙に出た動機を語ってくれた。
美少女さんは、ニーメアさんというらしい。英国系の姓だが、名前は教えてもらえなかったのか。それとも、名前がニーメアなのか。今の世の中、姓を持たずに名前だけの人も多かった。
「うん、そうだね」兎も角も、少年の言葉に相槌を打ってるマギーには、むしろグラツィアーノの出方の方が気に掛かる。気もそぞろですよ、と無法者どもの方をちらちらと視線を向けてみるアピール。少年も少しでも無法者どもへと神経を割いてくれると嬉しいな。
「ジョナス、あんた。なにやってるか分かってんの?正気ィ?」民兵の娘さんが吐き捨てた。負傷したスタンフィールド氏の肩へと寄り添いながら、少年を睨みつけている。多分に想い人の命が掛かっているからか。いいぞ、もっと言ってやれ。
とうのスタンフィールド氏は、なにかを諦めたように苦笑を浮かべている。
「黙れ!メリッサ!妙な真似するな!本当に撃つぞ!」叫んだ少年。しかし、マギーに向けた銃口を微塵もずらさない。
(んんん。その油断の無さ。お姉さん、無法者に対して発揮して欲しかったかな)
銃口がブレる様子が見えないので、マギーは、ガッカリしつつも事態を傍観している。
もう一度、考えてみる。少年の手にやや余る程度にはリーエンフィールドの銃身は長い。弾倉《マガジン》ではなく、挿弾子《クリップ》を用いている。ボルトアクション式ライフルを使い慣れているだろうか?間合いは5メートル。飛び掛かって初弾を凌げたら、次弾装填まで何秒掛かる?一秒半?二秒?
(駄目だな……隙が無い。大変に警戒されとるよ、これ)
沈黙しているマギーに「妙なことは考えるな」と少年が釘を刺してくる。
(……おや、鋭い。視線で気取られたかな?)
マギーは、大人しくする。どうやって説得するべきかを考えてみるが、少年から時折、美少女へと向けてる視線。そして美少女の少年を見つめる眼差しを見て、これは無理かな、と結論せざるを得なかった。
ほんの数時間話しただけで、此処まで入れ込むか?思ったマギーだが、つらつらと考えてみれば、居留地で逼塞する刺激の少ない人生に逃げてきた美少女だもの。命を懸けちゃう子も出るわな、と思い直した。
「本当に……自分がなにしてるか分かってるの?」民兵の娘さんの辛辣な物言いに対し、少年は決意に満ちた表情で頷いた。
「分かってるさ。ニーメアを守るんだ」
「分かってない……全然。あんた、とんでもない馬鹿ね」
ボーイミーツガールの主人公かよ。と、するとこの後の逃避行でモブっぽい役回りの私はどうなるかな?グラツィアーノをなんとか凌いでも、下手したらメイヤーとか言う変態奴隷商人が絡んでくる。薬とセックスで手懐けた手練の美女たちを護衛に侍らせる結構な性癖の持ち主であるが、頭は切れる。曠野の伝説な冒険商人『大胆不敵』なオーでさえも、決着を付けられずに痛み分けになった大物だ。
そもそもグラツィアーノにしてからが、かなり手強い相手だった。残り二名で死に物狂いで逃げようとする無法者一味を押し留める?駄目そう。どう考えてもマギーの手に余る。頑張って精々二人道連れに出来れば上等だろう。
あまりに酷い状況に情緒も麻痺したのか。マギーは恐怖や絶望をまるで感じなかった。むしろ、発作的な笑いの衝動が押し寄せてくる。
(……なんだ、これ。どうなるんだ?)
自分のしている事を分かってるのか。とか、この後、どうするのか、とか、マギーは口にしなかった。今は刺激しない方がいい。なんとはなしにそう結論した。両手を軽く上げたまま、当座の流れを見ることにする。それしかできない。
民兵の娘さんが少年を睨んでいる。しかし、少年はマギーを一番に警戒しているようだ。出会ってすぐの女の子に絆されて、人生も何もかも滅茶苦茶にする気か。
それとも、居留地へと戻って有力者の父親を頼るのだろうか。
疑問だったが、兎に角もマギーは己の身が心配だった。所詮、傭兵の身。少年にとっては最悪、撃ち殺してもなあなあにできるかも知れない。殺される方としては溜まったものではないが。キャシディが多少でも怒ってくれるといいんだが。
後先も考えずに。糞ったれめと苛立つ一方、少年の必死さに少しだけ羨ましさを覚えもする。その熱は、マギーからはもう随分と昔に失われていたからだ。
いずれにせよ、マギーは口を聞かなかった。説得の言葉も、打開するための手段も思いつかない。こうした時は、自らのツキと磨いてきた技術をひたすら信じて、ただ逆転の機会を待ち続ける。流れ次第で、かつての仲間たちのように自分もあっさり死ぬのだろうか。
「銃をこっちに寄越せ」マギーが真横に投げたウィンチェスターライフルを一瞥してから、少年が言った。
「手で拾ったところを撃ち殺す気だぁ」マギーは情けない声を弱音を漏らした。
「そんなことはしない」少年が断固として言った。
「ほんとぉ?」情けない口調でやり取りしながら、マギーは少年を観察し、分析している。不意を打てる可能性や口車に載せる算段を模索している。意外と擦れてないのだろうか?
「無法者どもを凌ぐのに、最低でも三人の手は必要だと思います」マギーは、妥協案を提案してみる。
「ニーメアとメリッサ、それに僕で三人だ」少年に無慈悲に却下された。
「……協力すると思ってるの?」民兵の娘さん、メリッサが険悪に吐き捨てた。
「しなければ、スタンフィールドさんが持たない」ジョナス少年は、出血で青ざめた顔色のスタンフィールド氏を一瞥しながら言った。
「行くよ、蹴るからね」マギーは足でウィンチェスターライフルを蹴った。
俺のライフル、とスタンフィールド氏が情けない顔で呻いている。少年の顔ばかり見ていたからか。「ありゃ」と、下手糞な蹴りは丁度、少年と少女とマギーの中間点にライフルを転がした。
「ええと、内ポケットにも銃が一丁あるのだけど……散弾銃」マギーのおずおずとした言葉に少年が頷いた。
「……ニーメア、こいつから銃を取り上げて」と少年の言。
「え、うん。分かった」頷くと何故か、マギーにのこのこ近づいてきたニーメアちゃん。
「大人しくしていてくださいね」マギーをじっと見ながら、釘を刺してくる美少女。
「はい」マギーが頷くと足元のウィンチェスターライフルを拾おうと屈みこんだので、少年の持つリーエンフィールドの射線を美少女で遮るように動いて間合いを詰めた。ほんの一瞬。狼よりも素早い動き。腕を取り、首を腕で押さえながら、肉の盾にする。およそ2秒弱。少女に絡みつくマギーの、直線的ではなく、レスリングのアスリートのような曲線の動き。少年は呆気にとられ、そして発砲を躊躇った。
マギーの体重は八十二キロと意外と軽いが、太腿と脛はカモシカよりも逞しい。基本的には鍛錬した男性にも、野生動物にも勝てないが、それほど鍛えてない男性なら五秒程度で殺害できる。まして女の子なら。
「えっと、なんで近づけたんだろう?」思いながらマギーは捕まえた。
銃に対してニーメアを盾にしながら、目を瞠っている少年へと話しかける。
「えーと、御免。やっぱ銃無かった」どうでもいい嘘を吐いた。相手の意識や思考をかく乱する為の、どうでもいい出鱈目を口から垂れ流してみる。勝率が少しでも上がるように。万が一でも真に受けた相手が、少しでも判断を誤るように。
散弾銃の下りは、必要もなかったかな。いや、意識と思考力を散らして、流れをつくるのに役に立ったか。多分、美少女は、ウィンチェスターを拾うのが第一段階。散弾銃を取り上げるのが警戒すべき第二段階と無意識のうちに判断し、思考力を割いて直感を鈍らせた。第一段階で虚を突くのに役立ったと分析しながら、マギーはじっと少年を観察する。
「離せッ!」なにか怒鳴って、切羽詰まっている少年だが、今さら手遅れだった。
哀れみの目で少年を見るマギー。判断が遅すぎたのだが、本人は気づいていないだろう。
「落ち着け、少年。撃ったらこの子に当たる」マギーは淡々と言い聞かせた。
「なので、話を聞「離せと言ってる!」いて」喋ってるさなかに怒鳴られた。
困ったマギーは、なんとなく美少女の胸を揉んでみた。呼吸が何とかできる程度の力で締め付けながら、身悶えしている美少女の筋肉と力の出力を計って、これなら脱出は難しいと判断。それから腰から引き抜いたナイフを美少女の胸の下から当てる。
胸の真下の位置から刃を横に刺すと多分、第四肋骨と第五肋骨の隙間から滑り込んで心臓へと突き刺さる。肋骨の名称には自信が無いけど、マギーの得意技で類人猿みたいな変異獣《ミュータント》を何匹となく仕留めている。
恐怖したのか、美少女が静止した。涙が頬を零れ落ちたので、舌で掬い取って舐めた。少年が増々、険しい目つきとなる。対峙してる少年が冷静さを失っているのを確認し、マギーは常の薄い微笑みを口元に浮かべた。
左腕に少し力を込めて首を軽く締め上げるだけで、美少女の顔色はすぐに変化する。
「かっ……ひゅッ」
「あのな。話を聞いて欲しい」マギーは語り掛けた。
「リーエンフィールドに用いられる.303ブリティッシュ弾には大別して2種類ある。
貫通力に優れたフルメタルジャケットとソフトポイント。君が使っているのは、多分、フルメタルジャケットで貫通力に優れている」
「なにを言っている?」いらつきを隠そうともしない少年。
「落ち着くんだ、少年。人が話してる時は、まず耳を傾けて」とマギーは訴えた。
「ほら、右手が心臓。左腕が首の上。リーエンフィールドのライフル弾なら、例え安くてヨワヨワな弱装弾でも、簡単に貫通して急所を撃ち抜く。少女は死ぬ。理解できる?」マギーは解説してあげた。
少年の目が昏く、炎を湛えたように底光りした。
「まあ、ソフトポイントならうまく当てればいいけど、失敗したらニーメアちゃんが悲惨なことに。どのみち詰んでるぞ♡」マギーは教えてあげた。
「……糞やろう」少年が押し殺した声を漏らした。
「敵にはよく言われる。なんでだろ?」マギーは首を傾げる。
何時も、出来るだけ正直で善良に振舞ってるのに。
「真面目な話、わたし一人に出し抜かれる少年が、グラツィアーノ一味を相手取れるはずない。ましてやメイヤーに立ち向かえるはずないです」マギーは真剣に忠告した。聞き入られるかは別として、だ。
グラツィアーノの一味は、全員が粘り強くてしぶとい手練の無法者。つまりマギーが十人いるのと同じ程度に手強いし、メイヤーは組織であるから文字通りに次元が違う。
「君は大人の力を借りるべきだと思うんだよね。一人で何もかも守ろうと言うのは無謀だよ」言われた少年だが、マギーを睨みつけながら沈黙を守っている。
マギーも微動だにせず、少年から視線を逸らさずに言葉を紡いだ。
「私も引き渡すと決めた訳じゃない。他に方法がない場合は仕方ないが」
無法者どもが騒めいてきている。
「おい!スネイクバイト!」叫び声に怒鳴り返した。
「商品返して欲しけりゃ黙ってろ!伊達男!今、大事な局面なんだよ!」
叫んだ直後の口でマギーが宣った。
「だから、冷静になって欲しい。話し合いは大事だ」
低く抑揚の効いた声で少年は告げた。
「お前の言う事は嘘ばかりで真実がない。まず彼女を離せ」
「うわっ、怒ってる。撃つよね?」とマギー。
「お前こそ僕が銃を捨てたら撃つだろ?」
「撃たないよぉ」言ったマギーは、他人に問いかけてみた。
「信じて欲しいな。貴女は、どう思う?」
瞬間、銃声が轟いた。少年のリーエンフィールドライフルがその手から吹き飛ばされた。ロングバレルリボルバーを構えた民兵の娘さんが、銃口から立ち昇る硝煙の向こう側で少年を睨みつけながら、ふん、と鼻を鳴らした。